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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(2−8)
 

2ー8章 フィーディン・フィーリング

 濡れた衣服を着替えに行く、とカレンさんは告げた。
「そんなの、《気》の力でパッと乾かせないんですか?」と訊いてみる。このまま、もう少し話をしたいという気持ちもあった。
「私の星輝石は《森》の石。たぶん、そういう働きとは相性が悪いわね。《風》や《炎》の力ならできるかもしれないけど」
 ふうん。ジルファーが《氷》の技を得意とするみたいに、力にも種類があるんだ。
 引き止めたい気持ちで、さらに質問する。
「《森》の力には何ができるの?」
「そうね。癒しの他には、植物の成長を促したり、木の葉を生み出したりしたことはあるけど、《気》の可能性は制限されていないわ。術者の感性や訓練次第で、いろいろな技に応用できる。たぶん、物を乾かしたりもできるかも……」
 そう言って、カレンさんは濡れた箇所、肩口から胸元に手を当ててみた。
 集中するように瞳を閉じた綺麗な横顔を、息をのんで見守る。生身の女性よりも、むしろ神秘的な女神を模した芸術作品を鑑賞するような思いで。
 彼女の星輝士としての呼称は、確かヴァルキリー、いや本来の発音はワルキューレだったかな。北欧神話に登場する、主神オーディンの使いにして、白鳥の翼で空を舞う戦乙女の精霊。目の前の女性は、まさにワルキューレと呼ばれるにふさわしい雰囲気を宿していた。
 しばらくして、カレンさんはフッとため息をもらし、まぶたを開いた。じろじろ見入っていたことを気まずく思って、ぼくは慌てて視線をそらす。
「ダメね。水分とか、乾かすことがイメージできない。私の感じられる《森》の力からは、《気》を操作するための糸口が見出せないわ」
 その言葉を聞いて、不思議な力を操る星輝士と言っても万能じゃないんだな、と改めて思った。自分に与えられた才能を活かすには、創意工夫や試行錯誤、日頃の練習、そして、それらをつなげる想い、イメージの力が欠かせないみたいだ。
 結局、カレンさんは乾かすことをあきらめた。「それに、あなたの食事を用意して来ないとね」と告げる。
「いや、今の状態じゃ、食べられないでしょ?」ぼくは怪我のことを気にした。「食欲もないし……」珍しく腹が鳴らず、空腹を感じない。
 もしかすると、そういう体の機能が麻痺しているのかも。ちょっと不安がこみ上げてくる。
「水が飲めるなら、流動食ぐらいは口にできるわ。スープを作ってきます」
 ゲッ。
 カレンさん特製のコーンスープ、いや、コーンジュースのことを思い出した。
 あの異様に甘い、名状し難い舌触りの飲み物をまた飲まされるのか? 
 そう思うと、先ほどまで浸っていた幻想的な気分や、体への不安は、たちどころに消え失せる。
 何か言おうとして、でも、気を遣って食事の準備をしてくれるというのに、その好意を無下に断るのもどうかと思っているうちに、カレンさんは部屋を出た。
 ジルファーやリメルガみたいに思ったことをはっきり言えない自分に、ちょっとした失望を覚えた。

 いつまでも落ち込んでいても仕方ない。
 ベッドに横たわったまま、陰鬱になりそうな気分を何とか切り替える。
 そして、カレンさんが戻ってくるまでの間、もう一度、グラスの試練について考えてみることにした。
 氷が溶けたことについて、カレンさんは問い(ただ)すことも、責めることもしなかった。ちょっと水をこぼしたぐらいに受け止めたのかも。
 こちらも「ゴメン」と謝る以上の説明はしなかった。自分でも、どう説明したらいいか分からなかったからだ。
 説明する代わりに、質問したのかもしれない。
 それで分かったのは、《気》の力を使いこなすのは最終的に、本人の感性や訓練次第ということだ。確かに、考えるための手がかりは教えられるかもしれない。でも、本当の答えは自分で感じ、考えを深めないと得られないように思われた。多くの実践技術では、人の感じ方、考え方を知るのは参考にはなる。けれども、それをそのまま受け取るだけで、自分の考察や実感、修練なんかをともなわなければ、実際に使える生きた知識や知恵とはいえない。
 ぼくが《気》の力を物にするには、実感や体験を踏まえた自分の理論を見つける必要がある。その理論が誰にも納得できるものかは、自分が分かった後に考えればいい。ぼくは研究者でも学者でもなく、行動者、実践者を目指しているんだから。

 大体、何で氷が溶けたんだろう?
 一度だけなら、たまたま偶然ということも有り得る。そもそも、ぼくが溶かしたのではないのかも。実はぼく以外の誰かが、あるいは何かが働きかけたのを、自分の力と勘違いしたのかもしれない。そういうことも、今さらながら思いついた。
 でも、二度目があった。あれだけ試してもダメだったのに、今度は何となく思っただけで溶けた。それには何か共通する理由があるはずだ。
 前に思いついた「朝の方が力を発揮しやすい」という理由は、もはや成り立たない。今回は夜でも氷が溶けたのだから。
 「寝起きだから」という理由も考えられるけど、それなら、この朝にも試してダメだった。今朝との違いといえば……夢の影響? 
 前のときは確か、『スター・ウォーズ』の夢を見ていたと記憶する。アナキン・スカイウォーカーになった夢。
 今回は……狼男? 狼を模したロイドの拳を受けての後遺症なのかな? 何だか自分が人狼の呪いを受けて、恐ろしい殺人を犯したような覚えがある。
 どうも夢の中の自分は、暗黒面に堕ちて、取り返しのつかない悲劇を起こしがちなんだけど、それって何か欲求不満でもたまっているのだろうか?
 ぼくにとって星輝士の力って、欲求不満の衝動(リビドー)が噴き出したときに発動するものなんだろうか? 
「もっとフロイトの勉強が必要か……」そう、言葉に出してつぶやいてみる。
 ぼくの心理学の知識は、昔、兄貴の勧めで入門書をざっと読んだくらいで、心許(こころもと)ない。
 学校の作文の課題で「夢について」書くように言われたことがあった。兄貴に相談すると、「夢ならフロイトだ」と断言して入門書を貸してくれた。あまり意味の分からない内容を分かるところだけ適当に引用したりしながら、感想文めいたものを書いたんだけど、それで恥をかいた記憶が残っている。正確な作文の課題は「将来の夢について」だったわけで……。
 昔かじっただけの勉強をしっかり学習し直す必要を感じた。夢について考えると、いろいろと不安な影が心をよぎる。大切なことを忘れてしまっているような……。『忘れるのは忘れたいからである』とフロイトも言っていた気がするけど、本当に忘れてしまっていいのか? 
 夢とフロイトについて一通り考察というか、堂々めぐりの妄想を展開した後で、意識を現実に戻そうとした。うろ覚えの知識で考えを進めても仕方ない。今度、ジルファーから本でも借りよう。
 とにかく、夢の中の想いが現実に力を与えてくれる、なんて考えるのはどうだろうか? そういうのはロイド辺りが好きそうだな。「夢の中から生まれた未来戦士」の話とか、「夢を現実にするノートから生まれたヒーロー」の話を嬉々として語ってくれそうな気がする。同じ夢の話でも、映画『トータル・リコール』なんかだったら、喜んでするのに。

 ロイド好みの話題は、どうも現実を解決する役に立たなそうなので、違う方向から当たることに決めた。ついつい余計なことまで考えがちな意識を、現実の感覚を思い出すことに向ける。
 ジルファーは、氷のグラスの生成過程を見せてくれた。光の中でちらつく結晶。その神秘的な光景を見て、ぼくは《気》を感じたようなつもりになっていた。
 でも、今は、そうじゃないことが分かる。あの光景は「ジルファーが示してくれた考えるための手がかり」に過ぎない。他人が示してくれたものをそのまま受け取って、自分で分かったつもりになってもダメだ。「分かったつもりになること」と「本当に分かること」と「実行すること」の間には、それぞれ大きな隔たりがある。本当に分かるためには、もっと突きつめないと。
 氷のグラスの感触を思い出す。手で触った冷たさと固さ。そして溶けるときの、何だか力が抜けたかのような柔らかさ。そう、熱で溶けたのでもなく、力任せに砕かれたのでもない、あの溶け方の感じは何だろう? どちらかと言えば、タイヤから空気が抜けて、しぼむような……。
『私の作った氷を溶かすには、同様の逆作用の力が必要だ。それだけの《気》を生み出すほどの高度な操作を、君は星輝石の助けも借りずに成し遂げたんだよ』
 ジルファーは、そんなことを言っていた。そして、ぼくも彼の話をそのまま信じ込んだ。
 でも、それは本当なんだろうか? 
 ぼくには、そのような高度な技を成し遂げた実感はない。それに、ジルファーは現場を見ずに、ぼくの話から推測しただけだ。
 ぼくは、ジルファーの《氷》の力に匹敵する《気》なんて生み出してはいない。ただ、ジルファーの《気》の働きそのものを消し去っただけだ。
 でも、どうやって? 
 疲れた頭を刺激するつもりで、ぼくは大きく息を吸い込んだ。そして、また思い出す。
 ジルファーは《気》を、分かりやすく空気にもたとえていた。
『我々は呼吸をすることによって、空気を体内に取り込み、エネルギー源に変えることができる』
 そう、ぼくはジルファーの《気》を体内に取り込むことで、その力を消し去ることができたわけだ。自分で《気》から何かを生み出したり、操作したりはできないけれども、すでにある《気》の作用を打ち消すことができる。
 でも、まだ何か考えが足りていない感じがする。
 そう思ったとき、部屋の扉が開いてカレンさんが入ってきた。

 服装は人の印象を変える。
 野暮ったい中世風の白ローブだったカレンさんは、緑と白の横じまの入った袖付きのシャツと、動きやすいジーンズに身を包み、より活動的な感じだった。肌の露出はローブの時とさほど変わらないけど、体のラインははっきり見えるようになって、想像した通りのスタイルの良さを(うかが)わせた。
「聖職者の正装だと、何かと作業がしにくくて」と、微笑みながら言う。
 神秘的な感じは薄れたけれど、そのぶん手の届かないところにいるよそよそしさも消えて、親近感が増したようだ。
「よく似合ってますよ」本当なら、もっと気の利いたことを言えたらいいんだけど、とりあえず、最低限の社交辞令は無難にこなせた。
「ありがとう」カレンさんはそう応じてから、付け加えた。「お世辞でも嬉しい……と言いたいところだけど、あまり上手な言葉とは言えないわね」
「どういうことですか?」自分では、うまく言えたと思ったのに。
「そういう言葉は、相手が念入りに着飾っているときに使うの。普段着を『似合っている』と()められてもね」
 ああ、そういうことか。ぼくにとっては初めての衣装も、カレンさんにとってはごくごく普通の装いってことで、誉められるには値しないということだ。誉め方も難しい。何を誉めるかという点にも、感性が問われるんだな、と改めて思った。
 でも、これで一つ分かった。別にカレンさんは好きで白ローブを着ていたわけじゃない。そういう格好も、きっと堅苦しいゾディアックの規則か何かで、望まないコスプレまがいの制服を着せられて……。本人はきっと現代的な常識の持ち主なんだ。
「ぼくは普段着の方がいいと思いますよ」そう付け加える。本当は、ジーンズではなく、足の見えるスカートの方が嬉しいんだけど。
「そう? 良かった」晴れやかな表情で、カレンさんはそう言った。「兄さんや、バトーツァさんは、こんな格好を見ると渋い顔をするわね。女性が人前に出るなら、もっとフォーマルな格好をした方がいいって。本当に二人とも頭が固くて、センスが古いんだから」
 風の星輝士ソラークと、影の神官バァトス。ぼくにとって、二人は対極の存在だった。それぞれ光と闇を体現したような男たちに、共通点なんてないと思っていた。でも、カレンさんは「古風」という点で、二人を結びつけた。言われてみれば、確かにその通り。
「そもそも、ゾディアックって組織が古風なんじゃないですか?」
「だったら、ラーリオス様が変えてください。伝統は大切だけど、それに固執しすぎてもいけませんから」そう言って向けてくる視線には、何だか期待が込められているようで、ぼくはドギマギした。
「カレンさんは、ぼくに何を期待しているんですか?」そう言う自分が何を期待しているのやら。
「そうね、今は……」カレンさんは右手の人差し指を軽く折り曲げて、形のいい唇に押し当てた。
 その仕草に、ぼくは目をばちくりさせる。
 服が変わったからか、話し方や動作の印象まで変わった気がする。それとも、今までの取り澄ましたような感じが演技で、本当はもっと奔放な性格だとか? 
 こちらが身動き取れないまま、悶々としている間に、カレンさんは言葉を続けていた。
「今は、あれこれ質問しないで、私のスープを残さず、飲んでくれることかしら」にこやかに言う。
 ぼくの(たか)ぶった期待は、華々しく打ち砕かれた。

 それは一つの試練だった。
 部屋の外から、大鍋の乗った台車が運び込まれる。
 てっきり、飲まないといけないのはカップ一杯だと思っていた。
「少し、量、多くありません?」おずおずと訊ねる。
「だって、どれだけお代わりするか分からないでしょ? ラーリオス様って、結構、召し上がりますから」無邪気な笑顔が恐ろしい。
 ロイドと戦っているとき以上に、はっきり命の危険を感じた。冷や汗がにじみ出る。
『その気になれば、私だってあなたを容易(たやす)く葬ることができる』
 カレンさんって、そう言ってなかったっけ? もしかして、今、その気になってません? 
 もちろん、殺気を見せることはなく、ひたすら陽気にハミングしたりしながら、ワルキューレの異名を持つ女性は、大鍋から紙コップにスープをよそっていた。異様に甘い匂いが漂ってきて、ぼくの嗅覚を麻痺させる。
 ワルキューレには「死の天使」の異名がある。戦死した勇者の魂は、天上界にあるヴァルハラ宮殿に連れて行かれる、と聞いたことがある。そこには、主神オーディンがいて、狼やワシの姿があって……一瞬、悪夢めいた白昼夢(デイ・ドリーム)に迷い込んでしまった。いや、今は夜だから、白昼夢って言い方はおかしいか? だったら、何て言う? 夜の夢(ナイト・ドリーム)? それって普通じゃないか。
 自分が現実逃避していることは分かっていた。その間に、カレンさんは紙コップにストローを付けて差し出した。ていねいに、ファーストフードのドリンクみたいなふたも付いてある。不安定な体勢でこぼしたりしないように、との配慮だろう。
 もはや、逃げることはできない。夢なら醒めることができるけれど、これは現実だ。そして、ぼくはベッドから起き上がることすらできない。
『君は勇者だ』とジルファーの言葉を思い出した。
 ぼくは勇者らしく、覚悟を決めて、紙コップを受け取った。氷のグラスとは反対の熱さを感じるが、それに匹敵する難敵だ。
「あのう、水を用意してくれません?」カレンさんに頼む。「熱くて、舌を火傷(やけど)するかもしれないから」一応の気遣いだ。不味(まず)くて水で洗い流す必要があるなんて、さすがに言えない。
 背中を向けて、水を用意するカレンさんを見ながら、ぼくはストローに口を当てる。これはスープじゃなくて、ホットミルクかココアみたいな何か甘い飲み物だ。そう思いを定めて、一口すする。
 口の中に広がる甘ったるさは、想像以上だった。ハチミツと、練乳と、ガムシロップを混ぜて、さらに濃縮したような味。
 何でスープがこんな味になるんだ?
 どんなスイーツ好きでも、胸がむかむかして、ウェッと吐き出しそうな代物。
 いくら甘党でも、限度があるでしょ?
 自分が一度は、この液体を飲み干したことが信じられない。この甘さが消えればいいのに……。
 そのとき、真摯な思いが天に通じたのか、それとも単に舌が慣れてきたのか、スーッと飲み物の味わいが変わった。
 普通のスープの味。やや塩みが効いて、トローッとした滑らかな舌触り。
 ぼくは、ストローから口を離した。しげしげと紙コップを見る。
「どうしました、ラーリオス様?」怪訝そうな顔をしているのが分かったのか、カレンさんが声を掛けてくる。
「いや。ただ……」はっきり答える前に、もう一度、ストローに口をつけて、スープの味を確かめる。
 普通においしい。
 ぼくは夢中になって、熱いスープを吸い尽くした。現金なもので、美味しいと分かると、急に食欲が沸いてくる。
「あのう……」おずおずと言葉をかける。「もう一杯、いただけますか?」
「喜んで」言葉どおりの表情を浮かべて、カレンさんは紙コップを受け取った。
 すぐに、二杯めのスープが差し出される。
 飲んでみると、やっぱり甘ったるくて、ウェッとなった。
 失敗したかな、と思いながら、心の中で『甘さよ、消えろ』と念じた。
 すると、その通りになった。
 異様に甘い特製コーンジュースは、化学変化でも起こしたように、普通のコーンスープの味に変わる。
 これは、もしかして?
 半分ほど飲んでから、ぼくは訊ねてみた。
「カレンさん、失礼ですけど、スープを作るときに《気》の力を使ったりしていますか?」
「使ってません!」ピシャリと言いきった。「何で、料理するのに、術を使わないといけないんですか!」
 そりゃそうだ。魔法を使わずにできることに対して、魔法の力を借りたなんて言われたら、不愉快にもなるだろう。ぼくだって、普通にボールをキャッチしたときに、「奇跡だ」とか「魔法でも使ったのか」と言われたら、いい気分はしない。でも……、
「言い方が悪かったです。でも、そのつもりがなくても、《気》の力が無意識に発動したりすることってないですか? それが例えば、味付けなんかにも影響するとか……」
「どういうこと?」
 ぼくは、カレンさんに紙コップを渡した。「飲みかけで悪いですけど、味見してください」
 ストローとふたを外して、コップの(ふち)から直接スープを飲む姿を、ぼくは見つめた。「何だか味気がなくなっているけど……」
 ああ、やっぱり、この人は根っからの甘党なんだな、と思いながら、ぼくは言った。「ぼくにとっては、それぐらいの味付けが飲みやすいんです」
「ラーリオス様の力で、味を変えたと言うの?」納得できないような口調で、カレンさんは質問した。
「変えたんじゃなく、戻したんだと思います」ぼくは、自分の仮説を打ち明けた。「カレンさんは、普通にスープを作ったつもりかもしれない。でも、途中で《気》の力を知らずに込めたんじゃないでしょうか? だから、甘さが増した」
 本人にとっては、自分の《気》で甘くなったわけだから、それが異常に増幅されたものだとは気付かない。けれども、他の人にとっては、その甘さは極端で、耐えがたいものとなる。たとえるなら、自分の体臭や付けている香水の匂いに、本人はあまり気にしないのに、周囲の者が敏感に反応するようなものだ。
 カレンさんは、美しい顔を苦悩に歪ませ、ぶつぶつとつぶやいた。「確かに、材料とか塩加減とか、きちんと考えて作っている。調味料の配分も、他の人のやり方をいろいろ聞きながら、参考にした。それに、作るときに『おいしく(スウィーティーに)なれ』といつも気持ちを込めながら……」
 そこで納得したように、うなずいた。「分かった。そういうことね」笑みを浮かべて、カレンさんは言った。「確かに、《気》の力を使っていたのかもしれない。そんなこと、今まで誰も指摘してくれなかったし、自分でも気付かなかった。ありがとう、感謝するわ。無意識だったら力の加減もできないけど、次から何とか調整がつけられるかも知れない」
 これでカレンさんの料理がうまくなれば、みんなが幸せになれる。
 何だか満たされた気分で、ぼくも心からの笑みを浮かべた。
「まだ、スープを飲んでいいですか?」
 三杯め。
 飲む前に、甘さの《気》を消すように念じてみる。
 飲んだ。
 やっぱり甘い。
 どうしてだ? 
 一口、飲んでから、もう一度、念じる。
 今度は成功だ。
 自分の力の特性を、今度こそ理解した。《気》を消すためには、まず《気》を自分の中に何らかの形で取り込まないといけないんだ。
 どういう形で取り込むか。
 飲み食い(フィーディング)することが分かりやすい。たぶん、ぼくにとっては舌で味わって体内に摂取することが、《気》を感じる(フィーリング)手軽な方法なんだろう。

 ぼくはようやく、ジルファーのグラスの試練を解決できた気になった。
「もう一杯」
 カレンさんの美味しいスープが、心と体を満たしてくれた。


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●作者余談(2012年1月19日、ネタバレ注意)

 前章に引き続き、カレンにスポットを当てた章。
 前章が「嗅覚」を刺激するタイトルだったのに対し、本章は「味覚」に関するタイトル。

 ちなみに、小説では映像作品と比べて、「視覚」「聴覚」よりも「嗅覚」「味覚」「皮膚感覚」をどう文章表現できるかに重点を置いたりしています。
 もちろん、あまりやりすぎると生々しくなったりするので、使いどころを意識することも大事なんですけど。

 なお、「視覚」は色彩と光、闇を強調しているのが、自分の描き方。
 「聴覚」は、本作では映画のBGM、携帯電話、そしてサミィの歌を意識しています。まあ、普通には会話の調子(野太い声、高い声、柔らかい声)などと組み合わせたりしていますね。

 あと、これは一人称なので、「カートの感じ方」が問題なんですけど、星輝石(醒魔石)を埋め込まれて感覚が鋭くなったことをどう描写するか、が今後の課題と考えております。
 前章でも、「夢の中の狼人間描写で嗅覚を強調」しておりましたが、こういう人間とは違った感覚をどう想像し、描写するかが「超人として覚醒する物語」では絶対必要と考えております。
 まあ、熟練の星輝士だったら、そういう感覚を既知のものとして普通に受け止めているので、さほど強調することもないのですけど(それは「失墜」で描いた)、カートの場合は、「変貌してしまった肉体への違和感」とか「手に入れた力の強大さの実感」とか、これから描写するのが割と楽しみだったり。

 とりあえず、第3部は、精神的な覚醒や《気》の力の描写に十分、力を入れて書けたので、第4部はより肉体感覚を強調したいと思いつつ。

 さて、肉体感覚の話だと、自分にとってはカレンとなるわけですが、
 前章で「エログロ」を意識したと作者感想を書いたところ、読者感想では「それほどエログロでもなかった」と言われたので、これはもっと強調した方がいいかな、とは思って、本章のカレンさんはカート視点で、女性キャラの魅力をどこまで描写できるか、に挑戦してみました。
 ただし、「アダルト小説ではなく、あくまでファンタジー小説」という制限を自分に課して、思春期の少年の女性に対する幻想や期待、手を伸ばそうとしてドキドキしつつ、赤面して引っ込める……といった感性を重視。
 ラブコメなら、こういうシチュエーションをどれだけ維持して、じらせるかが長期連載のコツとなるのでしょうけど、自分は少年少女の未成熟なラブコメを書くつもりはないので、第3部では大きな転機を迎えてもらいました。この辺は、少年マンガ的なラブコメよりも、トレンディードラマや、最近の韓流の宮廷陰謀物ドラマなどの影響もあるかな、と。少年少女の初心な恋愛よりも、社会人の若者の恋模様や、宮廷女官の色事の駆け引きなどの方に興味あったり。

 もっとも、カート自身は恋愛事に未熟な少年なので、一気に大人の世界に引き込まれて成熟を余儀なくされたにせよ、初心な感覚を維持しながら描くつもりはあります。まあ、作者自体がそういう話を書き慣れていないので、「未熟な人間が、大人のシチュエーションに戸惑いつつも、それを受け入れて成長する」という流れなら、我が事のように描けるんじゃないかな、と目論んでおりますが。

 さて、カートとカレンの関係に文量を割きましたが、本章ではもう一つ、「ジルファーの課題に対する謎解き」というミステリー要素で、カートが推理力を働かせるのもポイント。
 ここでのカートは随分、頭が良くなっていますが、「星輝石との最初の接触」「トロイメライとの接触」「治療を通じて、カレンの《気》の力を受け入れたこと」の3つが彼の思考力を活性化させた、というように作者は考えております。
 基本的に、カートは現実主義で、天才的なひらめきとは無縁だったわけですが、ここでは名探偵並みの「事実を分析して、それを論理と直観で一気に結びつける才能」を示したことになりますね。
 ただし、その過程が決して一本道ではなく、フロイトに脱線したり、「夢の中の想いが現実に力を与えてくれる」などという想像を働かせたりしています。もちろん、作者としては、カートの気ままな思考を想像しながら、本作の方向性を提示してもいるわけで、脱線すればするほど、後の物語で使える素材がふくらんでいく、という意図で書いています。
 結論=「カートの《気》の無効化能力と、それを行なう上での前提条件である受容能力」は出ているのですけど、そこに至るまでの過程もまた、後の伏線として使おう、とは考えていました。

 でも、作者のイメージ=書きたいものが出すぎて、

 ロイド辺りが好きそうだな。「夢の中から生まれた未来戦士」の話とか、「夢を現実にするノートから生まれたヒーロー」の話を嬉々として語ってくれそうな気がする。

 それって、どんな気なんだ? ってツッコミ入りますね。
 ええと、「夢の中から生まれた未来戦士」とは、『鳥人戦隊ジェットマン』です。そういう主題歌の歌詞なもので。ジェットマンは、別名「戦うトレンディドラマ」とも呼ばれており、メンバー間、そして洗脳された敵女幹部の恋愛模様がテーマだったりします。
 また、「夢を現実にするノートから生まれたヒーロー」は、『ウイングマン』ですね。
 どちらも、「変身ヒーローと恋愛」というテーマでもあり、単に夢だけでなく、本作の目指す方向性を示唆してもいる、と。

 とにかく、カートがどうして、そこまでロイド(作者)の好きそうなものまで具体的な想像力を駆使し得たのか、まさに恐るべし、星輝石の与える直観作用ってところです(笑)。

 服装は人の印象を変える。

 カレンさんの衣替えですけど、これはカートとの距離を縮めるため、ですね。
 白ローブのカレンだと、「ファンタジー世界の住人」という感じで、カートには手が出せない。
 だけど、カレンの別の姿を示すことで、カートはカレンを「現実に生きた人間」として意識する。
 そして、遠い伏線ですけど、「カレンは違った顔を持ち得る女性」という読者向きのアピールでもあります。

 ワルキューレには「死の天使」の異名がある。戦死した勇者の魂は、天上界にあるヴァルハラ宮殿に連れて行かれる、と聞いたことがある。そこには、主神オーディンがいて、狼やワシの姿があって……一瞬、悪夢めいた白昼夢(デイ・ドリーム)に迷い込んでしまった。いや、今は夜だから、白昼夢って言い方はおかしいか? だったら、何て言う? 夜の夢(ナイト・ドリーム)

 ここも、実は、カレンと、トロイメライの関係を暗に示唆した文章ですが、それ以前に、カートは夢についていろいろ妄想しているので、紛れてしまったと思いますね。それもまた狙い通りですが。
 後から解説する機会を、楽しみにしておりました。

 そのつもりがなくても、《気》の力が無意識に発動したりすることってないですか? 
 カートのセリフ。
 ちなみに、そういうことを言っている彼自身、主に知的能力面で、星輝石の力を無意識に発動して、高度な認識能力、理解力を会得するわけですが、それに翻弄されて悩みが深まったりも。
 それにしても、夢とか、無意識とか、フロイトに影響されまくり、ですね。
 まあ、本作の方向性自体、「愛と死(エロス&タナトス)」を目指す物語なので、フロイトを意図するのは当然なんですけどね。

 でも、エロス&タナトスが暴走し過ぎると、読後感が良くないと思われるので、うまくコントロールしていければなあ、と。
 キャラが暴走する話なので、作者の方は冷静に書きつづって行きたい、と。

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