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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(2−9)
 

2ー9章 ウェイク・アップ

 この部屋で目覚めるのは、何度目になったろう。
 そのたびに、悪夢にうなされたり、試練のことを考えたり、あまりいい記憶がない。
 けれども、その朝は本当にすっきり目覚めることができた。
 何となく警戒していた悪夢にも見舞われず、頭を悩ませていた試練も解決できたようで、爽快な朝だった。これで窓から日の光が差し込んできたりすれば、希望の一日が始まるように思えたろう。けれども、残念ながら雪山の洞窟内部の部屋に窓はない。そう思うと、ローマ時代の地下墓地(カタコンベ)に隠れ潜む信仰人のような気分が募ってくる。
 ついつい陰鬱になりがちな思いを振り払う。どうも、ゾディアックに来てからのぼくは、物事を深刻に考えがちだった。無邪気で陽気で単純なスポーツマンのカート・オリバーは、どこかに行ってしまったみたいだ。たぶん、スーザンと引き離されていることが、原因なんだろうな。
 体を起こそうとして、うめき声をあげる。痛みはまだ消えていない。寝ている間は忘れていられたけれど、自分の怪我も不安材料だ。カレンさんは、必ず治すと約束してくれたけど、本当にこの痛みから解放されるのだろうか。自分が怪我をして、ベッドから動けない状態になって初めて、世の中に数多くいる障害者の気持ちなんかを考えることができた。
 健康な人間には、体の弱い人間の気持ちは分からないのかもしれない。
 だったら、弱さを経験した人間は、その分、人に優しくなれて、気遣いなんかもできるようになるのだろうか。それとも、物事を暗い方向に考えがちになって、心を閉ざして他人の気持ちが見えなくなるのだろうか。
 選べるものなら、ぼくは前者を選びたいと思った。そのためには、自分の弱さに甘えていてはいけない。できることを見つけ出して、自分を高めていかないと。弱さを言い訳にしても何も生まれない。
 ぼくにできること。
 腕をゆっくり持ち上げて、痛みが走るギリギリで止めて、伸びをする。
 そして、肘の曲げ伸ばし。
 さらに、拳を握ったり、開いたり。
 ついでに、肩をもんで、こわばった筋肉をほぐす。
 腕を動かすことはある程度、問題なくできると判断し、次は脚を試してみた。
 膝の曲げ伸ばしは問題なかったけれど、(もも)上げのときに痛みが走る。
 どうやら腹筋に力が入ると、骨に響くみたいだ。
 そうやって体をいろいろ動かしていると、不意にドアを荒々しくノックされた。
「入るぞ」こちらの返事を待たずにズカズカと入ってきたのは、もちろんリメルガだった。

「絶対安静だと思っていたが……」腿上げ途中で固まっているのを見て、巨漢が一言、口にする。
「動いて大丈夫なんですか」その影からピョコンと姿を見せた小柄な少年。当然、いっしょに来ていたわけだ。自分の怪我の原因を作った相手に一瞬、どんな表情を見せたらいいか戸惑ったけれど、恨み言はなしに、明るい本当のカートでいようと決めた。
「いつまでもベッドに寝ていたくないから」ゆっくり脚を下ろしながら、にっこり笑う。引きつった表情になっていないといいんだけど。
「あんまり無理をするな」ぶっきらぼうだけど、心もちいたわるような声音で、リメルガが言う。「休むときには休むのも、戦いの心得だ」
「さんざん休みましたよ。少しは動かないと体がなまる」強がりじゃなく、本音だった。「また元気になったら、いろいろ教えてください」
「それなんだけどな……」リメルガが言いにくそうに、鼻の頭をかいた。この男にしては珍しい態度だ。やがて重々しく口を開く。「オレは首になった。もう、お前のトレーナーじゃない」
「ぼくのせいなんです」こちらが何かを言う前に、ロイドが悲痛な声をあげた。「ぼくが自分を抑えられず、リオ様に怪我させたから……」
「それは違う」ぼくはきっぱり言った。怪我の原因は前に考えてある。二人は、戦いを止めようとした。それを調子に乗って続けたのは、ぼくだ。他人のせいにできる問題じゃない。
 その考えを口に出すと、リメルガはかぶりを振った。「あの場の責任者はオレだ。不幸な事故を回避するには、力づくでも未熟なお前たちの戦いを止めないといけなかった。それが長の責任って奴だ」
 リメルガの言葉は、少々意外だった。組織の規律とか、責任とか、そういうことは気にせず、もっと傍若無人に生きている男だと思い込んでいたから。
 ぼくは何とか体を起こそうとした。腹筋を使わずに、腕の力だけで支えて、上半身を持ち上げる。
「おいおい、無茶するな」
 リメルガは止めようとしてか、支えようとしてか、近づいてきたけど、ぼくはその顔をにらみつけた。
「かまわないで! 一人で起きられます」
 過保護にされることは、自分が半人前扱いされているようで嬉しくない。未熟でも誇りだけは持っていたかった。多少の痛みは我慢しながら、ゆっくり身を起こす。これだけの動作に何十秒かかったか分からず、起き上がったときは息をあえがせ、額からは汗も噴き出していた。
「タオル!」リメルガに命令する。そして、立ち尽くしているロイドにも視線を向けた。「水!」
 二人は否も応もなく従った。リメルガの差し出したタオルで顔の汗をふき、ロイドの差し出したグラスの水を飲み干して一息つく。それから、
「ぼくはラーリオスだ。長の責任は、ぼくにある」そう断言する。「リメルガ、ロイド、君たちには最後まで付き合ってもらいたい」
 リメルガは腕を組んで、思慮深げな表情をした。やがて、考えをまとめたように言う。「分かった。紫トカゲや黒頭巾の説得は、オレにはできねえ。お前次第だ。オレは上の判断に従う。気に入らなければ、文句の一つや二つは言うけどな。命令には従うしかない。それが兵士の道ってもんだ」
 ぼくは、ロイドに目を向けた。
「ぼくですか? オタクの道に従うなら、『逃げちゃダメだ』と言うしかないでしょ。怪我人見捨てて、自分だけ逃げてちゃ男じゃない。怪我人が包帯巻いた少女じゃないのが残念だけど」
 言葉の意味はよく分からないけど、とにかく、その決意だけは受け止めたふりをして、うなずいた。
「大体、二人にここで去られちゃ、目標を見失うんです」ここぞとばかり、ぼくは気持ちを打ち明けた。「リメルガさん、あんたみたいにデカい男には、会ったことがない。体だけじゃなくて、あんたの生き様がね、ぼくの好きなハードボイルドそのままなんだ。あんたには大きな壁として、生き様を示してほしい」
「買いかぶりすぎだ」リメルガはぼそりと言った。「リオ、お前はな、オレみたいな小者よりも、もっと上に行かないといけねんだよ」
 その言葉は、しっかり受け止めた。いずれ、この男を越えてみせると決意しながら。
 次にロイドを見る。
「ぼくは君のことを軽く見ていた。でも、練習試合(スパーリング)で負けて分かったことがある。人を見た目で安易に判断しちゃいけないって。君には負けたけど、次にやったときはもっときちんと戦って、勝ってみせる」
「いや、あの試合はこっちの負けなんです」ロイドは済まなそうに言った。言葉が震えているように聞こえる。
「怪我させたから負けってことか? そういうルールじゃなかったと思うけど」ぼくは怪訝そうな表情を浮かべたんだと思う。
「そうじゃなくて……」ロイドは一瞬、言いよどんでから、まくし立てるように言葉を続けた。「最後の最後で、ぼくは転装してしまったんです。それじゃないと、天狼旋風拳(シリウス・トルネード)なんて大技は使えませんよ。生身のリオ様相手に、こっちは自分が抑えられなくて、つい転装してしまった。反則もいいところです。もう少しで、取り返しのつかない過ちを犯してしまうところだった……」ロイドはそう言ってから、唐突に膝まづいた。そのまま急に感情が高ぶったように、おいおいと声を上げて泣き始める。
 ぼくは訳が分からなくて、リメルガの方を見た。
「見ての通り。負け犬はこいつなんだ」
 納得がいかない。ぼくはロイドに向かってタオルを投げつけた。
「立てよ。それで顔をふけ。泣きたいのはこっちだ。今も痛いんだからな。でも、我慢できる。星輝士だったら強くないといけないんだろ? 取り返しだったら付くさ。怪我だって治る。別に死んだわけじゃないんだから……」
 そう、その時は誰も死んでいなかった。結局、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのは、ロイドではなく、ぼくの方だったんだ。そういう運命を知っていれば、もっと違う言葉をかけたろう。
「次はラーリオスとして戦う。天狼旋風拳(シリウス・トルネード)だって破ってみせる。それで、今回の怪我の借りはお返しだ」
 ロイドの感情に刺激されたようで、ぼくも言いたいことをぶちまけた。その意味するところも、深く考えずに。
「リオ様……」ロイドは涙に濡れた目をうるませて、上目使いにこちらを見た。同性相手にそういう目で見られても、嬉しくない。タオルで顔をふき始めた少年から視線を外すと、何かを言いたそうなリメルガの表情に気付いた。
「何?」言葉をうながす。
「いや、リオ、お前、年はいくつだ?」
 その質問に少々、面食らう。「16だけど何か?」
「え、ぼくと同い年なんですか?」ロイドが口をはさんできた。水を差す横槍に多少の苛立ちを感じながらも、その発言内容には驚く。てっきり、ローティーン、2つか3つは年下だと思っていたのに。
 そんな内心の驚きを口に出さずに、平静さを装いながら、リメルガのさらなる発言を目でうながす。
「正直言ってオレはな、《太陽の星輝士》候補といっても、ただのガキだ、大したことないと見なしていた。それに、他の連中は肩書きだけで、やれ聖人だとか、神の意思を体現する者だとか、噂しやがる。そいつがオレには納得がいかなかったんだ。中身のない偶像に膝まづくつもりは、オレにはねえ。だが、お前は違うよな。その年にしては、きちんと自分を持って、全てを受け入れようとしている。何というか、誉めるのは苦手なんだが……お前の可能性には賭けてみたい。そんなところだ」
「買いかぶりすぎです」リメルガの言葉を、そのまま返す。「聖人だなんて、とんでもない。そんなバカなことを言うのはどこの誰です?」
 ラーリオスが本当に聖人だったら、自分の好きな娘のことや、綺麗なお姉さんのことを考えて、内心で悶々としたりしない。神の意思? そんなものに、ぼくの人生を左右されたくはない。ぼくは、ぼくだ。自分の意思を持たない偶像でも、誰かの操り人形でもない。
「人を聖人なんて呼んで崇めるのは、現実を見ない幻想。そういうのは嫌いなんです」
「ヘッ、そうだよな」リメルガもぼくの答えに満足したようだ。「『さすがは、ラーリオス様』なんて軽々しいご追従は、言いたくねえ。お前は人間だ。だが、そこら辺の奴よりは、ずっとマシな人間だ。そうである限り、オレはお前を信じられる」
 この男の信頼や期待に応えてみせないと。
 そう決意しながらも、かすかな不安が胸をよぎった。
 言い訳がましく、口にする。
「それでも、まだまだ未熟です。みんなにあれこれ教えられたり、支えられたりしないと、試練も果たせない。もし、ぼくが今度、間違ったことをしそうになったら、その時は力づくでも止めてください」
「そこまで悟ってる奴に、今さら、何も言えねえよ」リメルガは苦笑いを浮かべた。「いやに達観しやがって、お前、本当に16か?」
「……一度、死に掛けたからかもね」少し考えてから、気の利いた一言を返してみる。
「違いねえ」ぼくのユーモアに応じて、リメルガも生来の豪快な笑い声をあげた。
「まったくです」取り残された形のロイドが口をはさんできた。「リオ様が10代とか、リメルガさんが20代の前半だとか、ぼくにはまだ信じられません」
 リメルガが20代? それはぼくも信じられない。てっきり、30過ぎた退役古参兵だと思い込んでいた。やっぱり、人は見た目じゃ分からない。
「試練は人を成長させるんだ」リメルガがロイドの頭を小突きながら、教訓めかして言った。「お前も少しは人生、真面目に向き合って、大人になれ」
「リメルガさん、痛いです」ロイドが頭を抑えながら、涙目で訴える。
 ぼくはクスッと笑って、その幸せな時間を満喫した。

「入ってもいいみたいだな」
 ノックの音には気付かなかったけど、そう言ってジルファーが姿を見せた。後ろに、カレンさんも従っている。その朝は前夜の私服と違って、いつもの白ローブ姿だったけど、体のラインは前よりも明確に想像できた。一度、イメージがきちんと出来上がると、見えないところまで心が補ってくれるらしい。
「思ったより元気そうじゃないか」ジルファーの言葉に、
「癒し手が優秀ですから」そう言って、カレンさんに目配せする。
「無理はしないでと言ったはずです」昨夜の打ちとけた表情とは違う、取りすました態度で彼女は応じた。ふわりと滑るような動作で、リメルガとロイドの間をすり抜け、ぼくの腹をそっと押さえる。
 思わぬ激痛が走って、ぼくはたまらずベッドに倒れこんだ。
「まだ起き上がれるはずがないのに」そうつぶやいたカレンさんは、リメルガを振り返った。「ハヌマーン、あなたがまたラーリオス様に無茶をさせたの?」
「ちょっと待ってくれ、嬢ちゃん」リメルガは数歩後じさって、身を守るように大きな手の平を前にかざした。巨体の大男が華奢な美女に気圧されている姿は、少々意外だ。「リオ、いや、ラー……リオス様が無茶をするのは、オレのせいじゃねえ。なあ、犬っころ」
「どうして、こっちに振るんですか」ロイドは本当に犬っころみたいに怯えていた。
 カレンさんがそちらを振り向く瞬間、ちらっと見えたその表情に、ぼくもゾクリとした。彼女の瞳は、ぼくにこれまで向けたことのない鋭さを帯びていた。兄のソラークを思い起こさせる猛禽類のような瞳。前の晩は、ジルファー以上の冷たさを感じたけれども、冷たさと鋭さを両方宿せる視線にさらされたら、並みの神経じゃもたない。
「ご、ご、ご、ごめんなさい」射すくめる視線に耐えきれず、ロイドはがばっと土下座した。「ぼ、ぼくがリオ様に怪我させたんです。もうしませんから許してください」今朝は何回、負け犬になれば気が済むんだ? 気持ちは分かるけど、卑屈もそこまで度が過ぎると、見苦しい。
「リオ様?」カレンさんの視線が微妙に和らいで、かすかに首をかしげた。「リオ様って……」そこに反応するんだ。
「い、いえ、ラーリオス様でした。すみません」ロイドの声は完全に上ずっている。
「リオ様って、ラーリオスの愛称ね。私も使っていいかしら」カレンさんがこちらに視線を向けた。表情がはっきり柔らかくなっていて、ホッとする。ぼくは、ただうなずいた。とても反対なんてできたものじゃない。
 こうして、カレンさんまで、ぼくのことをリオ様と呼ぶようになった。ロイドにそう呼ばれても、あまり何も感じなかったけれど、カレンさんの落ち着いたトーンの声音で「リオ様」とささやかれるように呼ばれると、思春期のぼくの心と体はぴくっと反応してしまう。こんなぼくの内面を知れば、誰もラーリオスを聖人だなんて呼ばないだろう。
 そして、カレンさんにはっきり惹かれていることを自覚すると、スーザンには申し訳ない気持ちにもなった。

「それで、紫トカゲ、オレの首は決まったのか?」リメルガの言葉が、ぼくの気持ちをカレンさんから引き離した。
「ああ、その件では、神官殿の意見をくつがえすことはできなかった。君には、ラーリオスの教育係の任から外れてもらう」
「当然だな」リメルガは納得したようにうなずいた。
「ちょっと待ってください」ぼくは慌てて起き上がろうとして、ロイドに押さえつけられた。こいつ、どうやらカレンさんに(こび)を売ることに決めたらしい。小柄なロイドの力で押さえつけられる自分が情けない。相手がカレンさんなら抵抗する気持ちといっしょに力が抜けてしまうので、押さえつけられるのも納得なんだけど。
 やむなく、横たわったまま抗議を続けた。「こっちの意見は聞かないんですか? ぼくはリメルガを辞めさせたくない」そう言ってから、思い出して付け加える。「それにロイドも」
 リメルガだけ続けてもらって、ロイドを切り捨てるという選択肢も考えられたけど、何というか、この2人はコンビだからこそ釣り合いが取れるようにも思えた。
「これは決まったことだ」ジルファーが冷然と言った。「ハヌマーンは、ラーリオス様の教育の任から外れる。シリウスは……教育というよりは、同年齢の話し相手の役割があったのだが、どうも遊び感覚が強すぎるようだな。心のゆとりは大切だが、星輝士の試練は決して遊びじゃないことは自覚してほしい」
「……すみません」ロイドは小さな体を、ますます縮こまらせていた。
 ぼくは、反論の言葉を考えようとしたけれど、その前にジルファーが話を続けた。「しかし、これはカレンの要望で、ソラークも承認した。ハヌマーン、いやMGに訂正しよう、彼にはラーリオスの介護関係の雑用、および食事の補佐を担当してもらう。つまり、カレンの助手だな。もちろん、シリウスも一緒だ」
「どういうことだ、嬢ちゃん」リメルガは、カレンさんに訊ねた。
「私一人で、リオ様を支えたりはできません。力仕事の得意な人や、食事に意見してくれる人の協力が必要です」
「そんなこと、言ってくれたらいつでも手を貸すつもりなんだがな。オレはこう見えても、女子供には親切なんだ」
「ぼくの頭はポンポン殴るくせに」とロイド。
「力仕事はともかく、食事の補佐は思いの他にハードかもしれんぞ」ジルファーは小声でつぶやく。「味見とか。少なくとも、私には務まらん」
 リメルガがロイドを、カレンさんがジルファーをにらみつけて黙らせた。
 なるほど、ジルファーよりは、カレンさんの方が立場が上なのか。
 いや、それよりも、この洞窟の中で実質的に最強なのはカレンさんなのでは? 兄のソラークも妹には甘いみたいだし……。
 そんなことをぼんやり考えていると、気を取り直したらしいジルファーの声が、ぼくの注意を促した。
「これはラーリオス様の気持ち次第だが、怪我が治れば、空き時間にトレーニング室を使うことは自由だ。トレーニング室の管理は、雑用の合い間に引き続き、MGに担当してもらう。他に適任者がいないからな」
「だったら、実質、何も変わらないってことですか?」ジルファーの寛大な処置を知って、ぼくは喜びの声をあげた。
「表面上はな」ジルファーはうなずいた。「ただし、MG、『ラーリオス様の教育係』の肩書きが外れることで、君の給料は減ることになるぞ」
 リメルガはチッと舌打ちしたが、すぐにつぶやいた。「オレがリオに関わるのは、金のためじゃねえ。報酬はついでだ」そう言い切る大人の男は、格好いいと思った。「ともかく、紫トカゲ、あんたの温情処置は恩に着るぜ。もう少し、冷たい奴だと思っていたがな」
「そう思うなら、紫トカゲはやめてくれないか」
「だったら……氷トカゲ?」
「トカゲから離れろ!」
「紫サンショウウオ」
「……」ジルファーは無言で抗議の視線を示した。
「冗談だ、冗談」そう言って、リメルガは豪快な笑い声を上げた。「ええと、ジル……何だっけ?」
「ジルファーだ。それと、この処置は私の決断じゃない。ソラークが考えたことだ。彼は、この洞窟のメンバー全員が一人も欠けることなく、ラーリオス様の試練を乗り越えることを望んでいる。感謝なら、彼にすることだな」
「一人も欠けることなく、か。ヘッ、貴族の坊っちゃんらしい甘い考えだぜ」
「甘くて悪かったですわね」カレンさんの冷たい声。
「ハン? 何で嬢ちゃんが怒るんだ?」
「カレンは、ソラークの妹だ」ジルファーが説明する。
「ああ、そういうことか。済まなかった、嬢ちゃん」リメルガが頭を下げる。「もちろん、感謝してるって兄上には伝えておいてくれ。ただ、どうもオレは、ああいう、お高く止まった野郎は苦手でよ。でも悪気はないんだ。口が悪いのは、オレの責任だしな」
「ソラークは確かに頭が固いし、いささか理想主義の強すぎるところはあるが、話の分からない男ではないし、現実にも対処できる人間だ。坊っちゃん呼ばわりは、彼を知らない者の言い草としか言いようがない」ジルファーが批評するような口調を示した。
「それに、貴族の称号は捨てました。そういう呼び方は慎んでください」と、カレンさん。
「そうですよ、リメルガさん」ロイドが追随する。「ソラークさんは、星輝士の鏡。まさに星輝士ザ星輝士です。星輝士ファイトで優勝しても不思議じゃありません」どうやら、カレンさんに尻尾を振っているみたいな口調だけど。狼の尊厳の欠片もない。
 それに……星輝士ファイトって何だよ? 
 でも、そんな質問をしたら最後、元ネタになるアニメのことを嬉々として話すんだろうな。ロイドの好みそうな熱血バトルストーリーを頭の中でいろいろ想像していると、
「星輝士ファイトか……」ジルファーが真剣な面持ちになった。「最強の星輝士はバハムートと言われている。ラーリオス様や、シンクロシア様を除けばな。ソラークもかなりのものだが、月の陣営にも熟練の星輝士はいる。戦えば、双方、無事では済まないだろうな。実戦はスポーツみたいな試合じゃない。命を掛けた真剣勝負もありうることを、シリウス、君はもう少し考えた方がいい」
「さもないと……」そこでリメルガが付け加えた。「自分が死ぬか、味方を巻き込むかだ」
「そうでした」ロイドは反省の言を口にした。「ぼくはまだまだ未熟です。力におごって制御できなかったから、リオ様を傷つけてしまった。もっと強くならないと……」
 その言葉は、ぼくの心にも響いた。力を制御できなければ、愛する人を傷つけてしまう。自分がスーザンの命を奪った悪夢が脳裏に浮かんだ。ダメだ。こんな未来は実現させてはいけない。もっと強くならないと……。

 気が付いたとき、周囲の空気は変質していた。
 カレンさんの放つ甘やかな香り。
 リメルガの発する戦場の雰囲気。
 ロイドのかもしだす、名状し難いナーディッシュ(ナードみたい)な気配。
 それらが消えて、そこにはただ凛冽(りんれつ)な風情だけが残っていた。ジルファーの《気》らしき物を何となく意識して、ぼくは瞳を開けた。
 どれほど意識が飛んでいたかは分からないまま、「みんなは?」と訊ねる。
「朝食をとりに行った」部屋に残っていたジルファーは、こちらを観察するような目を向けていた。「少し気を失っていたな。まだ傷が痛むのだろう?」
「いや、そうじゃなくて……」意識を失ったのは、傷ではなく、悪夢のビジョンのせいで……そう言う前に、ジルファーが言葉を続けた。
「無理をするな。《気》の課題のことで、必要以上に悩ませたみたいだな。素人がいきなり何もかもできるとは思っていない。まずは怪我を治すことだけを考えろ」言葉は優しいが、独り善がりに誤解した言い回しに、もどかしさを覚える。ジルファーは確かに賢明で、観察力なんかにも秀でているけれど、全知全能ではないし、自分の判断に自信を持っているあまり、思い込みの激しいところがあるのではないか。
「《気》さえ使えれば」ぼくは静かに言った。「傷も早く治せるんじゃないですか。カレンさんに治癒の術の使い方を教わります」
「たしかにそうだが……」ジルファーは諭すように言った。「それほど簡単じゃないことは承知しているだろう」
 言葉で説明するよりも、現実の成果を見せた方が早い。そう思って「氷のグラスをお願いします」と告げた。
 目を閉じて、ジルファーの手元に凝縮される氷の《気》を感じ取ることに、意識を集中させる。
 耳は、氷の結晶が固まるかすかな振動を聞き取った気がした。
 鼻は、あるかなしかの氷の冴えた匂いを感じたような気がした。
 肌は、冷ややかな冬の気配を敏感に受け取ったような気がした。
 全ては、ほんの気のせいとも思える微弱な感覚だったけれども、それらの細かい要素をきちんと受け止めて、自分の認識力を高めることが《気》の修得の一歩なのだと思う。
 感じることをあるがままに受け止めて、自分の中に取り入れる。
 今なら、水を飲む準備をしなくても、上手く行くのではないか。ぼくはそう思いついて瞳を開けた。
「やってみろ」ジルファーがグラスを手渡した。
 ぼくはベッドに横たわったまま、手を伸ばして受け取る。氷のひやっとした感触を包み込むように堪能する。
 深呼吸して冷気を吸い込む。
 口の中で唾液がこみ上げてきたので、冷気とともに喉に飲み込んだ。
 そして……。
 手の中で溶けたグラスが、心地よく、ぼくの顔を濡らした。
 口元を舌でなめまわし、手で顔を洗うようになでた。
 ぼくは完全に目覚めた気持ちで微笑みかけた。
 一瞬の衝撃から立ち直った面持ちで、「合格だ」とジルファーは言った。

「なるほど。操作ではなく、消去の力か」ぼくの説明を聞いて、ジルファーは感心したようにつぶやいた。「実に興味深い。逆作用の力を生成するのではなく、力そのものを無効化するとは。物を持ち上げるのに、重力とは逆の力を加えるのではなく、無重力状態を局地的に生み出すほどの特殊な現象だ。口で言うのは簡単だが、現実に行うのは難しい。《気》の常識を塗り替えるほど、と言っていい」
「そんなに凄いのですか?」
「こんなことができる星輝士や神官は、私の知るかぎりいない。いや、もしかすると、今の星霊皇や、シンクロシアにはできるのかもしれんが。少なくとも、君がこの力を使いこなすなら、あらゆる星輝士や神官の《気》の力を封じることも可能だろう。もっとも、発現した力を受け入れてからでないと使えないのでは、対抗策として手遅れになるとも考えられるがね」
 ジルファーの分析は妥当だと思った。
 自分だけに与えられた特殊な才能……それは自分のプライドをくすぐる反面、使いこなすためには他人の経験があまり参考にならないことも意味する。
「一つ、愚痴を言っていいか?」思いがけない質問だった。
「何でしょう?」
「カート、君に対しては、どんなカリキュラムを組んでも、無意味に思える。こうすれば《気》の修練になるだろうという、こちらの計画を片っ端から崩してくれる。思わぬ怪我も負うし、これだけ最初から段取りがつかめない相手も珍しいと思うよ」
「すみません」
「まあ、だからこそのラーリオスかもしれないがな」皮肉っぽい口調。「無能なために、与えられた試練がクリアできないわけではない。ただ、課題に対する対処の仕方が、こちらの予想をはるかに越えているというか、通り一辺倒のやり方じゃ上手く行かないということだ。ちょっとした才能だな」
 けなされているわけではないのだろうけど、素直に誉められている気にもなれない。ジルファーらしい言い回しだと思った。
「ぼくにどうしろと言うんですか」
「『自分で好きにやれ(ドゥー・イット・ユアセルフ)』という言葉を送るよ」
「何ですか、それ?」放任主義もいいところだ。
「習うより慣れよってことだよ。さあ、これを受け取れ」そう言って、ジルファーが示したのは星輝石の首飾りだった。
「大丈夫ですか?」ちらっと一目見て、いつかの朝食の席のことを思い出す。石を手にした途端、《気》の力が暴走しそうになったことを。
「あれから、少しは《気》というものが分かったろう? いざとなれば、消去の力を試せばいい」
 それはそうだけど、そううまく行くだろうか? 
「それに、私だって対策を考えた。よく見てみろ」
 石には加工が施されていた。前に見たときは、鎖の先に直接、水晶めいた石が取り付けられていたが、今回は石の周りを透明のカバーが覆っている。より精巧に造形されたペンダントと言えた。
「私の親友に、《金》の星輝士メル・ゴーヴのイゴールという男がいてな。彼に君の話をしたところ、『石が直接触れなければいいのでは?』と提案して、これを作ってくれたわけだ。試してみてくれ」
 おそるおそる星輝石のペンダントに手を伸ばして……触れてみた。前のような激しい反応は起こらない。ただ宝石が淡い光を放ち、ほんのりと熱を帯びただけだった。
 氷のグラスを溶かすときの要領を思い出しながら、石に宿った《気》の力を鎮めようとする。浅い眠りにつくように光は消えていった。
 完全に光が消える前に、ぼくは石に呼びかけるように念じた。消えかけた《気》が凝縮されて、再び輝き始める。ゆっくり光度を調節しながら、ぼくは石に対して思念で制御する方法を理解し始めた。分かってしまえば簡単なことだった。
 星輝石に、光と熱を放たせ、それを維持するところまで、ぼくはあっさりと修得することができた。
「大したものだ」何も言わずに見守っていただけのジルファーが、やがて感心したように一言つぶやいた。「最低限の制御はこなせるようだな。これなら、星輝石を預けておいても問題ないだろう」
 
 こうして、ぼくは星輝石の力に目覚めることができたのだった。

(第2部『覚醒編』完。第3部『発動編』へつづく)


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●作者余談(2012年1月20日、ネタバレ注意)

 第2部の後書き余談も、これで終わり。
 ジルファー、リメルガ&ロイド、カレンとの交流。書きたいものは一通り書いて、伏線も張りながら、第3部にうまくつながる流れが描けたなあ、と自負します。

 タイトルは、「覚醒編」に合わせて、「ウェイク・アップ」。
 目覚めで始まり、目覚めで終わる。本章も、そして第2部全体も、そう意図しました。

 ついでに言えば、「接触編」でカレンと接触し、「覚醒編」でカレンにはっきり惹かれていることを自覚し、「発動編」でカレンと結ばれ、「鎮魂編」で……というのも、一応、イメージはしていました。
 つまり、書き手としては、本作のメインヒロインは、カレンだったわけですね。

 スーザンの方は、カート同様、作者としても申し訳ない気持ちなんですけど、「死なずに未来がある」という一点で、まだ書ける。というか、本作で「スーザンについて書きたい気持ち」を残しておけば、世界としては続けていける。
 でも、その前に、カレンについては、きっちり昇華しておきたいってことになります。

 そして、カレンとロイドを接触させることで、ロイドの「リオ様」をカレンが受け継ぐ計画もここで結実。

 「失墜」では、このロイドがカレンを守る形で死亡、
 そして、カレンも散り、リメルガは二人を助けられなかったことを悔やみ続けるようになる……という物語が出来上がっているわけですが、その前日譚をここで提示。
 はっきり悲劇の未来が待っているわけですが、カート視点で、どう鎮魂の話に持っていけるか、プロットと自分の書いた話を比べながら、イメージを高めている最中です。

 いや、まあ、話自体はできているのですけど、それをうまく描けるかは別問題。
 プロットは設計図、でも、設計図どおりに、いや設計図以上の作品が生まれるかどうかは、自分のバイオリズムとか執筆時の勢いとかにも影響されるわけですね。

 第2部だけを見ても、「カレンのコーンスープ」をカートが《気》の習得に活用する、というのは、プロットには全くありませんでした。
 「ジルファーの《氷の気》を体内に取り入れることが、それを無効化するための条件」という種明かし要素は、第2部の途中に考えたんですけど、コーンスープは8章を書きながら思いついたこと。
 もちろん、そういう思いつきが生まれる背景に、掲示板で「コーンスープネタの話」がいろいろ展開されたから、というきっかけがあったことは表明しておきます。
 掲示板で話題に上がれば、作者としても印象が強くなるので、膨らませたいと思う。そうすると、既存のプロットにうまく絡められないか、と考えて、自分一人の発想ではたどり着けない深度まで行き着ける、と。

 第1部では、ほぼプロットの想定どおりに話がまとまりましたが、
 第2部は、プロットを超えた完成度だと自負します。
 そして、第3部は……プロットよりもはるかに膨らんで、想定外の事態が続出。作者としては、キャラの自己主張に振り回されながら、必死にプロットから逸脱しないよう、手綱を引きしぼることを楽しんでました。いやあ、暴れ馬な部だったなあ、と述懐しつつ。

 ともあれ、第3部の余談は、また時期を見て書きますが、まずは第4部に入りたい、と思います。
 自分でも、もう一度、第1部と第2部をじっくり読み直して、カートの成長ぶりを再確認。
 カートとカレンの関係、そしてスーザンとの結末を、後味悪くならないように、カートらしさを切り捨てないように、どう描けばいいか見えた気もしますので、まずは「インターミッション3:ホーリーウッズ・ナイトメア」から始めよう、と。

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