SFメカ別館 スパロボ雑記 本文へジャンプ
TOPページプチ創作
前ページへ次ページへ

プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(インターミッション3)

第4部目次
第1部
(接触編)
プロローグ こちらへ
第2部
(覚醒編)
インターミッション1
ハリウッズ・ナイトメア
こちらへ
第3部
(発動編)
インターミッション2
ナイトメア・ウィズイン
こちらへ
第4部
(暗黒編)
インターミッション3
ホーリーウッズ・ナイトメア
このページ
ダーク・ロード こちらへ
ファフニール・フェイト こちらへ
ワルキューレ・ハート こちらへ
イーヴィル・スピリット こちらへ
ムーン・アスペクト こちらへ
ダブルムーン・スパイラル こちらへ
ホワット・ラブ・ミーンズ こちらへ
ハーフ・ブラッド・ガイズ こちらへ
ブラック・プディング こちらへ
10 シリウス・マインド こちらへ
11 シリウス・ワールド こちらへ
12 ジャスティス・スターズ こちらへ
13 ビースト こちらへ
14 フェイク こちらへ
15 ダブル・フェイク こちらへ
16 ブロウクン・ソウル こちらへ
17 ウインド&ザ・サン こちらへ
18 ブラン・エ・ノワール(1) こちらへ
19 ブラン・エ・ノワール(2) こちらへ
20 ノブレス・ノワール こちらへ
第5部
(失墜編)
インターミッション4
ザ・ラスト・ナイトメア
こちらへ
第6部
(鎮魂編)
インターミッション5
デイ・ドリーム


 

IM3.ホーリーウッズ・ナイトメア

 すっきりした気分で、ぼくは目覚めた。
 よけいな悩みから解放され、怪我の痛みもなく、心身ともに満ち足りた想い。
 失った力や絆をもう一度、取り戻すことができ、自分自身が一回り大きくなったような清々しさ。
 勢いよく身を起こそうとして、自分のかたわらに(ぬく)もりを感じ、何だろう、と視線を動かす。
 かぐわしい肌の匂いを意識したのと、うるわしい金髪の女性の姿を認めたのは、ほぼ同時だった。
 ごくりと唾をのみ、ぼくは自分の犯したことの重さを自覚した。

(夢……じゃないよな?)
 とっさに声が出ず、口の中で自問する。
 ゾディアックと関わってから、現実離れした夢のような出来事はいっぱい体験した。だけど、これは……おとぎ話やヒーロー活劇のような子供じみた空想とは質が違う。より生々しく、リアルだけど、自分の身に起きるとは思いもしなかったこと。
 美しい女性が自分と同じベッドに横たわっていて、無防備に寝息をたてている姿を、呆然と見下ろすなんて。
 幸い、裸体はむきだしではなく、シーツがかぶせられていた。もしも、そうでなければ、ぼくは衝撃のあまり、理性を失って叫び声をあげていたかもしれない。
 ええと……女性の顔をしげしげと観察する。
 見覚えのある金髪と、夢うつつの微かな記憶から確信はしていたんだけど、ぼくの知っているカレンさんは、湖のような青い瞳と、清楚で凛々しい立ち居振る舞いが特徴だ。彼女の寝顔なんて想像したこともない。
 その安らいだ顔は、思っていたよりも幼く感じられた。初めて会ったときは、何となくスーザンに似ているようにも見えたけれど、今こうして寝顔に接してみると、改めてそういう印象が蘇ってくる。
 それに……思っていたよりも小柄なんだな、と感じる。起きているときのカレンさんは、おそらく星輝士としての内なる力を発散していて、見た目よりも大きく、威厳をもっているように思えたのだろう。だけど、じっさいはぼくの方がはるかに大きく、たくましい。当たり前のことなのに、そう感じられなかったのは、人の大きさというのは見た目以上に内面の力や自信、まとっている雰囲気というものが、全体的な受け取る印象に関わってくるからだと思う。
 手の届かない大人の女性と思っていたカレンさんが、自分の手の内にあると実感することで密かな満足を覚えたものの、そういう気持ちを味わうことに何だか抵抗もあった。
(やっぱり、起こした方がいいのか?)
 そう自分に問い掛けてから、ぼくは、否、と返した。
 まずは、自分自身がもっと落ち着いて、現実の状況を受け止めてからにしよう、と。
 目を覚ましたカレンさんがどのような反応をするか、よく分からないけれど、自分が事態をよく理解していれば対処できる。そうでなければ、混乱した心で取り返しのつかないミスを犯してしまい、自分も相手も傷つけてしまうことになり兼ねない。
 自分の気持ちをしっかり整理してから、相手に呼びかけても遅くはない。

(遅くはない……よな?)
 カレンさんから何とか目を離し、反対側の壁時計に視線をやる。
 4時半より少し前。
 夜明けまでは、まだ間がある。
 次に目を向けたのは、スープの大鍋を乗せた配膳車。
 これがあることからして、記憶にあるトロイメライやバァトスとのやりとりが現実だったと確認できる。
 すると……ぼくはようやくにして、自分の左手に注意を向けた。
 何の変哲もない自分自身の手だ。
 赤い異形の鱗は見当たらない、無骨で馴染み深いカート・オリバーの手。
 手首に切断された跡が見当たらないか、と確認したけど、傷口はきれいに消えていた。完全に元どおりに接合されている。
 指を何度か開いたり、曲げてみたり、手首をぶらぶら振り動かしたり、右手で感触を確かめたり、逆に右手の甲をつねったり、いろいろしてみたけれど、全く違和感なく思えた。
 ぼくは失った片手を完璧に取り戻した。
 でも、それだけか? 
 この左手は、他にも力を秘めているはずだ。
 たとえば……ぼくは部屋にあるものに目を留めた。
 グラスに飾られた紫色の花。
 目標に左手の人差し指を向け、思念の糸をイメージする。
 かすかに手の甲が熱と光を帯びるのを感じる。
 ピンと張った糸を引き寄せるように、人差し指を自分の方にくいっと曲げる。
 すると、差し招かれた花一輪がふわりと飛んできた。
 右手で的確につかみとる。
 ナイスキャッチ。
 ぼくはホッとため息を漏らす。
 力を発動した左手は、一瞬、異形の鱗をまとっていたけれど、すぐに元の人肌に戻った。
 なるほど、力を使うときだけ、一時的に姿を変えるわけか。
 これはこれで便利かもしれない。今後は、無意識で力を浪費してしまうことは避けられる。そのような場合は、左手が熱を帯びて異形に変わってしまうのだから、自分でも気付けるはずだ。

 さて、星輝石の力で習得した念動力(サイコキネシス)が健在だということも分かった。
 それなら……ぼくは右手に持った花に念を込めた。
 再び、左手の甲が熱を帯びた。
 力の波動が血管や神経を伝うように体内をよぎって、右手に届くのを実感する。
 そして、紫の花はちょっとした変成作用(メタモルフ)によって、黄色い花に変わった。それだけで、部屋が明るくなったような感じがする。
 新しい玩具(おもちゃ)を手に入れた子供のような満足感を覚えた。
 花の色を変えるのは簡単にできる。
 おそらく、物の形を変えることも。
 だけど……魂の色、心の形を変えることはどうだろう? 
 ぼくは、花に向けていた目を、もう一度、カレンさんに戻した。
 彼女の心の色は、一体、何色だろう?
 ずっと明るい緑や輝く黄色だと思っていたけれど、それがまやかしに過ぎず、本当は深い紫や黒なのだとしたら? 
 紫の花は、トロイメライの色だと思っていたけれど、実はカレンさんの内に秘めた内面の色だとしたら? 
 それに……ぼく自身の魂の色は今、どうなっているんだろう? 
『《闇の左手》を受け入れたとき、あなたは《暗黒の王》として覚醒されるはず』と、バァトスは言った。
 すると、今のぼくは彼らの望む《暗黒の王》ということになる。けれども、不思議と自分自身が《暗黒の王》となった実感がない。
 ぼくはぼくだ。
 《暗黒の王》なんかじゃない……少なくとも今は。
 《暗黒の王》だったら、どう考え、何を為したらいい? 
 ぼくは何げなく左手をカレンさんの方に伸ばした。
 花の色と同じ、輝く金髪にそっと触れる。
 《闇》を受け入れていながら、どうしてこの色なんだ? と、ふと疑問に思った。
 ぼくの心に、炎と闇のイメージがちらついた。
 そのイメージが髪に伝わり、まずは赤い色に染まる。まるでサミィのように。
 続いて、トロイメライの黒に移り変わった。
 森の葉が紅葉し、その後、枯れ果てて散っていくような印象を覚え、慌てて思念の暴走を抑える。カレンさんの髪は、ありのままがいい。
 自己制御が成功して、彼女の髪は元の金髪に戻った。
(何を遊んでいるんだ、ぼくは?)
 他人の色を勝手に操作した自分に、かすかな嫌悪感を覚える。
 こういうことを何の葛藤もなく、自然に行なってしまえば、それこそ《暗黒の王》なんだろう、と実感した。

「んんっ」眠る女性が身じろぎして、ぼくを焦らせた。
 今ので起こしてしまった? 
 カレンさんが目覚めたら、何て言い訳しよう? ええと……
「やめて」つぶやき声が漏れた。
 いや、まだ、何もやって……って、やってしまった後なのか? 
 ぼくは自分の記憶を確認した。
 視界が闇の色に染まって、彼女の体を抱きしめて、強引に口付けをし……その後は、おそらく受け入れられたのだと思うけれど、こちらの都合のいい解釈かもしれない。
 さらに……たぶん欲望を解放したのだと思うんだけど、はっきり覚えていない。
 一体、どこまでやったんだ、ぼくは? 
 女性を抱いた初めての体験なのに、明確な記憶がないなんて最悪だ。
 どうしたらいい? 
 《暗黒の王》だったら、こんな事態でもクールに徹するんだろうな。
『ククク、ワルキューレ。そなたの身も心も、今や我のものだ。永遠の忠誠を誓うがいい』
 こんな悪役めいたセリフを口にして、相手を高みから見下ろし、圧倒的な威厳を示す。
 そして、ひれ伏し、媚びる相手に慈悲と称して、自分の欲望を注ぎ込む……。
 妄想の世界に一瞬、逃げ込んでから、すぐに現実に気付いた。
 カレンさんの表情が、穏やかなものから一転、苦悶を示すようになっている。
「お願い、殺さないで」あえぐような声で、懇願する。
 何だか、ひどい悪夢にうなされているようだ。
 すぐに起こしてあげるべきか? 
 とっさの判断に迷っていると、言葉の続きが発せられた。「殺さないで……兄さん!」
 兄さん? ソラークのこと? 
 カレンさんがソラークに殺される?
 それは、どういう夢なんだ? 
 苦しむ相手を悪夢から解放するよりも、ぼくの興味は夢の内容を知ることに向けられた。
 《闇の左手》を装着した今なら、できるはずだ。
 力を発動して、アストラル投射を行なえばいい。
 広げた左手を顔の前にかざすと、視界が闇の色にかすむ。
 闇と炎の彩りを備えた竜鱗がはっきり左手を包み、力が充填されるのを感じる。
 いつぞや紫の花の匂いを媒介にしたときと同様の浮遊感を覚え、いよいよ魂が肉体から抜け出そうとしたそのとき、
『およしなさい』誰かの声が抑えにかかった。
 集中が途切れ、アストラル投射は失敗に終わる。
 蓄えられた力は消えず、その持って行き場に一瞬、戸惑ったものの、すぐに妨害の声との通信に意識を向けた。
『誰だ、邪魔をするのは?』ぼくは苛立ちを思念に乗せて返した。他人の心に侵入するなんて、無作法にも程がある。
『以前に警告したはずよ』声の主は、すぐに思念を返した。『アストラル投射を使わないようにって』
『トロイメライか』ぼくは悟った。『こちらのしていることをずっと監視していたのか?』
『そこまで悪趣味じゃないわ』トロイは否定したうえで、クスリと笑みを伝える。『ワルキューレと楽しんでいるのを邪魔するほど、野暮なことはしないわよ』
 十分、お見通しじゃないか。
 そういう独り言めいた気持ちは、相手に送らないようにする。
 思念による遠隔通信(テレパシー)は初めての経験だったけど、何となくコツはつかんだ。
『だったら、どうして、今、交信してきたんだ?』おそらく赤面していた表情と気持ちを少し落ち着けてから、思念を送る。
『あなたが力を発動させるのを感じたからよ』トロイメライの返答は簡潔だった。
『力の発動が感じられるのか?』ぼくは純粋な疑問を相手に向けた。トロイメライにそれができるのなら、ジルファーやソラークにだって、ぼくの力や、今の交信の内容が伝わったりするのでは? と懸念を覚える。
『どんな力でも無制限で感じられるわけではない』トロイメライは説明した。『相手があなただからよ、我が君(マイ・ロード)。あなたの思念の力は強力な上、契約を果たした後だもの。容易に嗅ぎつけられるわ』
 なるほど。今後、トロイメライの干渉を防ごうと思えば、力の使い方を考えないといけないのだろう。あるいは、こちらからも逆にトロイメライの動向を感じとれるようにならなければ、フェアとは言えまい。
『それで、どういうつもりだ?』ぼくは気圧(けお)されまいと思念に力を込めた。
『???』疑問詞だけが返ってきた。なかなか器用な伝え方をする。
『自分の望みは大切にしなさい、と、以前のあなたは言った』彼女の言葉を引用する。『それなのに、ぼくが望みどおりにしようとすると邪魔をするのか?』
 トロイメライのため息が伝わってきた。どうやれば彼女のように、思念だけで細やかな感情まで伝えることができるのだろう。
 少し時間が経って、トロイが改めて交信を送ってくる。『説明すると長くなるし、今のままでは外に交信が漏れてしまう危険が大きい。ひとまず眠りなさい、オリバー。そうすれば、もっと細かく伝えることができるわ』
 眠るったって、こっちはずっと眠りっぱなしだったのに。
『眠れない』短く不機嫌に返す。
『術でも使いなさい』トロイの返答も素っ気なかった。『他人を眠らせたのなら、自分を眠らせることぐらい簡単なはずよ』
 確かに、ぼくはリメルガを術で眠らせたことがある。
 同じことを自分にしろと言うのか? 

 ベッドに横たわろうと思ったけれど、まだ悪夢にうなされている様子のカレンさんを見ると、気が変わった。かたわらで眠る気持ちにはとてもなれない。
 そっとベッドから立ち上がり、簡単に身づくろいをしてから、椅子に腰かけ、《気》の力で自己暗示を施す。
 ほどなく、意識は心の深層に潜っていった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 そこは見慣れた林間地だった。
 ただし、月と泉は見当たらない。
 あるのは暗い木々と、辺りを包む闇の影だけ。
 その夢の空間に、ぼくとトロイメライは対峙していた。
 夢の中のトロイは、見慣れた黒ローブと、妖精めいた黒髪の少女然とした姿で、体重がないかのようにふわふわと空中に浮いている。小柄な体格なのに、まとっている威厳は大きく、大人びた表情とあいまって、年齢不詳に見える。
 つかみどころのない女性だというイメージは変わらない。
 以前はそれが単に、夢の中だから、という理由だけで納得していた。
 今はもっとはっきり分かっている。
 トロイメライは500年近く存在してきた霊体、すなわち肉体的には不安定だということだ。そして霊体であるなら、見かけの年齢なんて意味を為さない。夢に映し出される少女めいた姿は、彼女にとっては、かりそめの化身(アバター)に過ぎないのだろう。
 一方で、ぼくの外見は、お気に入りの黒い革ジャンとジーンズ。あくまで現実を崩すつもりはない。
 太陽の星輝士ラーリオスでも、《暗黒の王》でもなく、カート・オリバーという個人にしがみつくことが、自分を保つ上で不可欠だということは認識していた。もっとも、ただの高校生ではトロイメライのような相手には対処できない。そこで、自分の理想、つまり完成されたハードボイルドを意識する。
「デートのお誘い、ありがたく受け取ったよ」多少、斜に構えた物言いを心がけた。「で、用件は何だ? つまらない説教なら、聞く耳は持たないぜ。こっちはあんたの子供じゃないんだからな」
「それが《暗黒の王》としての物言い?」トロイメライは、面白そうにこちらを見つめる。彼女はしばしば皮肉っぽい口調を示すけど、対峙する姿勢はあくまで真っ直ぐだ。鋭い視線でこちらを見透かそうとする。
「《暗黒の王》という称号は知らないが」ぼくは自分の中のハードボイルドなイメージを総動員した。「これが、こっちの流儀だ。タフでなければ生きられない。優しくなければ生きている資格がない。闇の世界、裏社会で生きるなら、そうだな、今後は《暗黒街の首領(ドン)》の流儀でも熟知してみるか。コルレオーネ一家みたいにね」
「コルレオーネ……イタリアの小さな(コムーネ)の名前だったと思うけど、よく分からないわ」
「あなたは『ゴッドファーザー』の映画を知らないのか?」
「活動写真を見る趣味はないから」トロイはあっさり言った。「私にとっては、現実も虚構も大差ないと言えるわね。どちらも、過ぎ行く時のはかない幻でしかない。その中で、人々は感情を紡ぎ、時とともに想いが流れていく。そうした流れにさらされながら、私は存在を実感するというわけ。同じ感じるなら、虚構よりも生の人々の感情に接する方が、味わい深いわ」
「500年の時の流れを経ると、そういう感じ方になるのか?」
「少なくとも、私はそう。あなたも体験すれば分かる……とは言わない。あなたには、あなたの感じ方があるかもしれないから。こればかりは、自分の感じ方を一般化しても意味がないと思う。経験する人自体が少ないものね」
 確かに。
 人の寿命を越え、500年の時を見つめてきた存在の書き残した手記でもあれば別だけど。そういうのは、作家の想像力を働かせた創作、虚構でしか有り得ない。
「で、その『ゴッドファーザー』とやらが、あなたの《暗黒の王》のイメージ?」
 トロイメライが不意に話を戻して、ぼくは戸惑った。
 う〜ん、ロバート・デ・ニーロとか、アル・パチーノとか往年の名優と自分を比べたことはない。アル・パチーノといえば、『スター・ウォーズ』のハン・ソロ役をオファーされて断ったこと、という話を兄貴から聞いたぐらい。有名な俳優だけど、自分との接点を感じたことはあまりなかった。
 少し考えた末に、
「映画の話がしたいわけでもないだろう」相手の質問を断ち切ることが正解だと判断した。「用件を言ってくれ」
 トロイメライはかすかに不満そうな表情を見せた。『ゴッドファーザー』のことがそんなに気になったのだろうか? 誰だって、好奇心を途中で遮られるのは不快になる。
 夢や霊的な世界に生きる彼女が、映画に関しては詳しくないのは意外でもあった。500年も存在し続けているのだから何でも知っているように思えたけれども、そうでもないと分かって少し安心する。
 相手は全知の神ではない。いざとなれば相手の知らない分野で勝負できるかも、という気持ちは、こちらの自信につながる。
 何事も達観して見下ろしがちな彼女に、そういう人間らしい表情をさせたことにも、ちょっとした満足感を覚える。
 それでも、すぐに冷静な仮面を取り戻したトロイは、真剣な口調で問うてきた。
「アストラル投射で何をしようとしたの?」
 どう答えるか迷ったけれど、正直に話すことに決めた。
「カレンさんの夢に入り込もうとした」そして付け加える。「何だか悪夢に苦しんでいるみたいだったから、助けたいと思って」
 さらに、悪夢というキーワードから思いついた疑問を確認する。「まさか、悪夢の原因はあなたじゃないだろうね」
「味方を苦しませて、どうするの」トロイはあっさり否定する。「ワルキューレの悪夢は、今に始まったことじゃないし、珍しいことでもない。あの()の出自にも関わってくるのだから」
「どういうことだ?」
「結局、話してないのね。あなたに打ち明けるかどうか気になってはいたけれど」
「……まだ、何か隠しごとがあるのか?」
 自分の知らない秘密があるということに、ぼくは苛立ちを覚えた。
 配下の者が王に隠しごとをして、密かに陰謀を張り巡らしているようでは、王の権威が足下から崩れているようなものじゃないか。王としては、あらゆる秘密を手に入れ、適切に対処することで権威を強化しないと。
 知は力なり。情報を制した者が世界を制す。全ての情報を入手する術を確立しないことには。
 ……そこまで考えて、ぼくは自分の思考が自分らしくないことに気付いた。どうして、こんなに神経質になっているんだ?
 トロイメライですら知らないことはある。神ならぬ身で、全知を望もうなどとは傲慢もいいところだ。他人のことをよく知りたい、という好奇心は大切だけど、他人の全てを知りたいというところまで想いが暴走するのは、何だか恐ろしい。
 それでも……何も知らずに騙されたり、裏切られたりするのはイヤだ。
 ぼくの内心の葛藤を見透かすようなトロイメライの目を、強く意識した。
 そう、彼女の視線はあくまで真っ直ぐだ。この視線こそ、彼女の力の源のように感じる。それさえ会得すれば……。
 ぼくはトロイに視線を合わせて、その瞳の色を自分に重ねようとした。トロイの心や思考様式を、自分の中に取り込もうと意識する。
 以前のぼくは、トロイメライの闇の視線を怖れ、それに取り込まれることを本能的に避けようとしていた。それは闇に取り込まれ、支配されることを拒絶していたからだ。
 だけど、それでは何も得られない。
 支配されるのがイヤなら、支配すればいい。
 取り込まれることを望まないなら、こちらから取り込めばいい。
 ぼくには、それだけの可能性、力があるのだから。
 自分の周囲の影、《闇》の気を意識し、大きく深呼吸をするように、体内に取り込んでいった。
 左手が熱く燃え、視界が暗くかすむのを感じる。
 夢の中でも、感覚は現実と同じ。それはすなわち、夢の経験を現実の力に変える糸口になる。
 だけど、それで終わるつもりはなかった。
 視界がかすむのは、まだ闇になじんでいないということ。不自然な感覚だからこそ、視野がおかしくなる。闇を力と為し、透徹した目で見据えれば、細かな陰影さえ判別できるようになる。
 そう、闇の中に真実の光を見い出し、その世界の豊かない(いろど)りさえも感じとれる。それこそが《暗黒の王》に求められる資質だと、直観した。

 周囲に対して心を解き放ったとき、視界と感覚が変転した。
 闇の森はただ闇一色ではなく、緑の葉と、褐色の木肌と、ざわつく葉ずれと、濃密な自然の匂いと、大地の息吹きがない混ぜになった複雑な紋様を描いていることが分かった。
 その全てを肌で感じ、一体化の気分を堪能し、それから大きく息を吐く。
 視野の(かげ)りは一掃され、闇の森は諸霊(スピリット)の飛び交う神聖なる森(ホーリーウッド)に、姿を改めたように思われた。
 そう、神聖とは光の専有物ではない。闇の中にも、神聖さ、高貴さは備わっているのだ。
 世界が光と闇の半分に分かれるならば、闇を否定することは、世界の半分を否定することにも等しい。
 光と闇の渾然一体を分断し、二極化したのが今の星霊皇の秩序。
 それなら、その分断状態を改め、うまく組み合わせながら新たな秩序を模索するのが、これからの時代に求められていることではないか。
 悟りめいた考えが脳裏をよぎった。
 自分の狭い世界が急に広がり、何でも受け止められるように思える。

「さて、何から教えたらいいかしら?」トロイの声が囁くように響いた。
「いや、必要ない」ぼくは刹那の思索から醒めるや、かぶりを振った。「あなたの言いたいことは大体、分かった」
「どういうこと?」戸惑うような声。
 ぼくは視線に力を込めた。闇を見通す王者の瞳を意識して。
 光と闇の二つの力を感じ、双方の瞳に宿す。
 左の瞳は黒玉のように、相手の魂を見据え、
 右の瞳は黄金の輝きを備え、相手の闇を射抜く。
 闇と光、受容と放射の相反する力、これこそ新たな世界が求めた王の特性だと確信した。
「ぼくは目覚めた」短く伝える。
「《暗黒の王》に?」トロイの口調は半信半疑だ。「瞳の色を変えただけじゃないの?」
「試してみるかい?」ぼくの挑発めいた言辞に、トロイはすっと後退して警戒の構えをとる。
「相変わらず好戦的なこと。力を得たからといって、のぼせ上がらないことね」
「早とちりをするな」ぼくは両腕を広げ、戦意のないことを示す。「戦うわけじゃない。簡単なテストだ。あなたの伝えたいことを、ぼくが口に出す。間違っているなら、修正してくれ」
 トロイは警戒を崩さないまでも、了解の印に黙ってうなずいた。
 ぼくは、トロイメライの瞳を見据え、その表層に浮かび上がった思念を読みとった。
「要するに、あなたは、ぼくにアストラル投射の危険を分からせようとした。夢や精神の世界に対して、ぼくがあまりにも素人だから、身の破滅を招きかねないと考えたわけだね」
「もちろんよ」トロイは安堵の意思を示した。「それが分かっているなら、もう少し慎重に振る舞うこと」
 ぼくはかぶりを振った。「あなたは、ぼくの力を過小評価している。ぼくが素人だったのは、以前の話だ。今のぼくは違う。あなたの力の多くは会得した、と思う」
「そんな馬鹿なこと。私は、何も教えていないわ」
「トロイメライ、ぼくは自分に対して放たれた《気》の技を吸収することができるんだよ」物分かりの悪い生徒に教えるような口調で説明する。
「ジルファーの《氷》の技、カレンの癒しの技、ライゼルの《炎》の技、他にもいろいろと使えるかもしれない。そして、トロイメライ、君の精神や夢にまつわる技術だって例外ではない。君はぼくの夢の中に入り、留まっているだけで《気》の力をぼくに注ぎ続けているんだ。ひとたび受け入れようと思えば、学習は容易だ。つまり、君がここに存在するだけで、ぼくにいろいろと教えてくれたことになる。言葉の伝達がなくても、伝わることはあるんだ」
 そこまで言ってから、皮肉っぽく付け加える。「感謝するよ、ぼくの闇の先生(マイ・ダーク・マスター)
 トロイは一瞬、戸惑いの表情を浮かべながらも、すぐに微笑で応じた。「さすがね、我が君(マイ・ロード)。教える手間が省けたわ」
 それから付け加えてきた。「今のあなたが《暗黒の王》として覚醒したなら、一つ聞きたいことがあるわ。過去の私に、未来から思念を送ってきたことがあったわね。あれも、あなたがしたことなの?」
 何の話だ? と、一瞬、感じたものの、トロイの精神を即座に読みとって理解した。
 以前の夢の中で、トロイは《暗黒の王》からの交信を受け取ったのだ。《暗黒の王》という自覚をもったのは今夜が初めてなので、今のぼくがしたことではない。だけど、おそらくは未来のぼくがそのような交信を送ったのだろう。
 たとえば、『カート・オリバーが近い将来、《暗黒の王》として覚醒するので、接触し見守るように』と指示したのではないか。
 そう考えて、うなずいて見せた。「それは、近い将来のぼくなんだろうね。そして、君はその指示に従ったわけだ」
「時を越えて、過去に接触する力なんて……」トロイの言葉に畏怖の念が込められているのを、ありありと感じた。「私の知る限り、そのような事に成功した星輝士は存在しない。私は遠い過去から存在し続けているけど、時間は一方通行だと思っていた。時間を遡って昔に帰ったことは一度もない。それができれば……過去の自分にアドバイスできれば、どれだけいいと思ったか。あなたは一体、どうやったと言うの?」
 そんなに大それたことなのか? 
 過去に遡るなんて、タイムマシンの登場するSF小説や映画に触れたことがあれば、子供にでもできる発想じゃないか。
 そこで、ぼくは気が付いた。
 トロイメライは、500年前に生きた人間だということに。
 彼女の生きた時代には、時間旅行(タイムトラベル)という概念すら存在しなかったのではないか。
 ぼくの知る限り、タイムマシンの登場する小説は19世紀に登場した。メジャーになったのはH・G・ウェルズ以降だと思うけど、それ以前の作品も調べたら存在するかもしれない。だけど、500年前、ヨーロッパ中世からルネサンスの頃に、時間移動の物語があったという話は聞かない。
 つまり、21世紀の人間には極めて当たり前の発想が、トロイメライにはイメージすることも困難なのかもしれない。仮に、トロイが映画鑑賞に興味を持っていたり、ぼくのようなSF好きや、ロイドのようなナードだかオタクだかに接触する機会が多かったりすれば、そういう発想もできたかもしれないけれど。

「つまり、トロイメライ。君の警告に従うだけでは、新しい試みはできないということだね」ぼくは結論づけた。
「経験から来る君の忠告には敬意を示すけれど、《暗黒の王》としては、新しいことにも挑戦しないといけないんだろうな。それこそ、伝統的な星王神に対峙するためには、先例を破ることを怖れてはいけない。そうだろう?」
「御意のままに」トロイは地に降り立つと、膝まづいて臣下の礼を示した。
 この恭順の姿勢を心地よく受け取ると、話をアストラル投射に戻す。
「さて、過去への交信はいずれ教えよう。それよりもアストラル投射の危険だけど、自分の位置を見失って、元の体に戻れなくなることだったね。これは、ナビゲーション役がいれば、何とかなるんじゃないかな」
「それだけではないわ」トロイメライは付け加えようとしたが、ぼくはそれを制した。
「ちょっと待って。自分で考える」
 トロイの心を読むのではなく、今度は自分の分析力を試すことにする。
 他人の思考を借りるだけでなく、自分の思考能力も高まっているはず、と確信するために。
 ぼくは先刻、カレンさんの精神に接触しようとしていた。だけど、こういう精神的接触は、お互いの心に良くない結果をもたらすこともあるのだろう。
 以前、スーザンの夢にぼくが関わったときに、殺し合いをしてしまって、互いの心に深い傷を与えたように。
 ましてや、カレンさんは悪夢に苦しんでいる。苦しみの精神に深く関わってしまえば、こちらの精神も傷ついてしまう危険がある。自分の心をしっかり防護する(すべ)を知らなければ、苦しみの感情に没入してしまい、自分自身を保てなくなる可能性さえある。
 その自分の考えを伝えると、トロイメライはうなずいた。
「ワルキューレの心の闇は、オリバー、精神的に未熟な子どもでは耐えられないかもしれない。接触するにしても、距離をとる必要があると思うわ」
「あんまり子ども扱いして欲しくはないな」そう反抗期の少年らしい気持ちを口にしてから、一人ごちる。「……と、そういうセリフが出てくるところが、まだまだ子どもと言うことか」
「ワルキューレも、あなたに隠しごとをした、というよりも、あなたの心の安全を図ったのかもしれないわね。王であるあなたへの信頼と、年下の少年に対する保護者的な感情の間で揺れ動いているところもあるから」
「それでも、ぼくは選んだんだ。全てを受け止める《暗黒の王》としての道を」そして、決然と言う。「王としては、全てを見、目を背けないようにしたい。それが光であろうと、闇であろうと見据えて、受け入れることが、ぼくの生き方だと思う。それだけは曲げたくない」
「そこまで覚悟を決めているなら……もう止めないわ」トロイメライは静かにつぶやいた。「ワルキューレの夢への扉、開くわね」
「いや、ぼくがやる」力を秘めた左手をぼくはかざした。「君にできることなら、ぼくにもできる……と思う。失敗したときだけ、フォローしてくれたらいい」

 黄金の右目が、自分の夢の影を突き抜けて、現実の光景を示した。
 椅子に腰を下ろしたカート・オリバーの視線の先に、眠る金髪の美女を見据える。
 それから黒玉の左目の力を意識して、彼女の魂の映像たる悪夢を透視する。
 こうすることで、ぼくは自分の体と心を維持したまま、森の星輝士の悪夢に触れることになった。
 このままでも、夢をのぞき見ることはできるけど、いかにも不自然な感じがする。自分のイメージに反する力の維持は、心的エネルギーを大きく消耗するので、避けたいところだ。
 だから、自分にとって自然な状態を生み出すことに力を注ぐ。
 左手で白いシーツを描き、周囲の木々にかぶせることで、即製のスクリーンに具現化させる。精神世界なら、容易(たやす)いことだ。
 それから、自分の超自然的な視覚とスクリーンを同調させると、カレンの悪夢が映画のように映し出されるはず。
 相手の意識に侵入して悪夢を直接、体験するよりも、映像という形で間接的に触れる方が、自分の受ける衝撃も和らげられると判断してのことだ。

「ずいぶん、手の込んだことをするのね」トロイメライが感想を述べた。
「映像世代の発想さ。君も学んだらいい」林間地の上映会をうまくセッティングできたことで、ぼくは満足の笑みを浮かべる。「自分の過去に接するときも、これに近い方法を使った。記憶を外からのぞき込むような形なら、客観的に判断することもできる。うまくやれば、適度に編集することもできるんじゃないかな」
「記憶の改変は勧めないわ」
「そうだね」ぼくはトロイの言い分を認めた。「記憶、そして歴史の改変は、物事をややこしくする。君は闇の世界にも秩序を重んじて、混沌状態は望まない。それは、ぼくだって同じだ。君の意向は重んじることにするよ。お互いの流儀を尊重しよう」
 トロイは納得して、うなずいた。
「……ワルキューレの悪夢はよく知っているつもり。でも、違ったアプローチに接するのは新鮮ね。活動写真を見る趣味はないけど、付き合わせてもらうわ」
「ああ、デートでの映画鑑賞は定石だからね」ハードボイルドを意識した皮肉っぽい口調。
「ワルキューレの次は、私にちょっかいをかけるつもり? 大したプレイボーイぶりね」
「君はかつてのシンクロシアじゃないか。ぼくは近い将来のラーリオス。過去と未来が今この時に触れ合うのも、いいと思うのだけど」
「私に触れるのは500年早いわ」トロイは穏やかな苦笑を浮かべた。
 それでも、ぼくは忠実な臣下としてのトロイメライを手中に収めた感触を覚え、口元を歪める《暗黒の王》にふさわしい笑みをこぼす。

 その後、ぼくとトロイメライは映像に注目した。『ワルキューレのカレン主演 森の星輝士の悪夢(ホーリーウッズ・ナイトメア)』に。


前ページへ次ページへ



inserted by FC2 system