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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−7)


 
4ー7章 ホワット・ラブ・ミーンズ

 翌朝、ぼくはバトーツァと部屋で、宅配ピザを食べていた。

「本場イタリアの味を堪能いただければ、とも考えたのですが、さすがに料理に費やせる時間もありませんでな」
「いや、十分だよ、バトーツァ」
 ぼくは一切れを手にとって、おいしくぱくついた。
「ふむ、ナイフとフォークはお使いにならないのですか?」
「アメリカじゃ、これが普通だよ」
「そうみたいですな」バトーツァは不承不承といった感じでうなずくと、一切れを皿に乗せ、手にしたナイフとフォークでていねいに食していく。
 その間に、ぼくはもう三切れめを食べていた。
「う〜む、やはりアメリカン・ピザは、パサついてますな。もう少し、生地が柔らかくないと、ピザらしくないと思うのですが」
「そのうち、本場のピザを食べさせてよ」ぼくは軽い気持ちでそう言った。「ラーリオスの儀式が終わった後にでもさ。サミィに、ミラノの街を案内する約束にもなってるんでしょ? ぼくだって、外国の街を旅してみたいや。カレンの話にも出てきたケルンとかさ」
「分かりました。お任せあれ」神官殿は優雅に一礼した。
 最初は、見た目の陰鬱さから、気取った仕草が絵にならないと思い込んでいたけれど、実のところ役者出身だけあって、その身のこなしは弁舌の流暢さに引けをとらなかった。
 もちろん小男なので、距離をとると、その過剰な仕草はどこか滑稽にも見える。でも、部屋の中のような狭い場所では、丁寧な気取りも見栄えは決して悪くない。

 食後に、神官殿の講義が始まった。
 ぼくは早速、星霊皇について質問する。
「星霊皇ですか。私めも直接は会ったことがありませんでな」
「カレンも、そう言っていた。誰が会っているの?」
「そうですな。我が師を除けば、星輝士筆頭バハムート殿および、先代筆頭のネストール殿がまず挙げられます。星輝士の中では、他にカミザ殿が会っているはずですが、彼自身、ゾディアックの公の場には姿を見せなくなりましたからな」
「そのカミザって人が、ぼくの前のラーリオス候補だって話だね」
「ええ、カミザ殿のことは、パーサニア殿が詳しいはずですが、普段は遺跡の調査に当たっています。ゾディアックの政治にはタッチしない旨を宣言してますな」
「カミザの息子もラーリオス候補らしいけど、それってぼくの対抗馬になるのかな?」
「確かにそうですが、本人はゾディアックのことを何も知らないはず。さらに、もう一人のシンクロシア候補とされるマイ・カンナヅキ殿も預言者(エリヤ)セイナの親族というだけで、ゾディアック内での教育を受けているわけでもなく、最高神官殿は候補の資格はないものと考えておられます」
「ええと、ゾディアックで一番偉いのは星霊皇。そして戦士である星輝士は分かったけど、宗教面がいまいち分からないなあ。預言者と、最高神官ってどっちが偉いの?」
「組織内での地位や、政治力は名実ともに最高神官殿が上だと申せましょう。星霊皇が眠りに就いてらした時期は、実質的に最高神官殿がゾディアックのトップであり、それを親友のネストール殿が星輝士筆頭として補佐されていた、と聞いております」
「すると、問題は預言者か。どういう役割なのかな?」
「預言者に求められるのは、神の声を聞けるという霊感ですな」バトーツァはよどみなく答えた。
 この点は、カレンの説明よりも端的で分かりやすい。
 ジルファーと比べても、バトーツァは求められた質問に応じる能力は高いのだと思う。
 ただし、ジルファーがたとえを交えて幅広い視点から説明しようとするのに対し、バトーツァの場合は一本道で素っ気ないマニュアル通りの説明に聞こえる。つまり、教わる側が興味を持って臨まない限り、眠くなるような授業をしてしまいそうだ。端的で要点をまとめているけど味気ないのが、バトーツァ流の講義と言えるだろう。

「神官にとって、術を扱うための霊感は非常に重要な資質です」
 バトーツァの説明は続いていた。
 ぼくは自分の考えにふけりながらも、高まった情報処理能力のおかげで、話に十分ついて行くことができた。こういう場合、余計な寄り道をしない説明の方が話の流れが読みとり易い。
「ただし、霊感がどれほど高くても、それだけで組織の長になれるわけではありません。人心掌握や政治的な駆け引き、事務能力など、組織の長にはそういう社会面の経験が求められますからな。その点で、最高神官殿はうまく組織管理ができていたと考えます。異なる意見を調整し、組織を平穏に維持する能力に長けていたと言えましょうな」
「預言者の2人には、それはできないとでも?」
「今の預言者は、どちらかと言えば、保守よりも改革側のスタンスだと考えます。イザヤ殿は、バハムート派閥と結託して、ゾディアック内にも近代的な革新が必要だと主張されておりますな。私めも、表向きはイザヤ殿の命を受けた立場です。イカロス殿はバハムート直属ですから、太陽陣営は基本的に改革側のスタンスと申せましょう」
「すると、月陣営が保守派ということ?」
「何しろ、スーザン様が最高神官殿の姪御にあらせられますからな。セイナ殿の考えはともかく、月陣営としては、保守に傾くのは間違いないと考えます」
 知らなかった。
 スーザンがそういう重要な立場の人間だと分かっていれば、ゾディアックを捨てて、ぼくと逃げるなんて虫のいい発想には決してならなかったろう。
「さて、預言者の仕事ですが、基本は星霊皇の相談係ということになります。星霊皇および2人の預言者の話し合いによって、星王神の御言葉がまとめられる形です。仮に、星霊皇の身に異変があったとしても、預言者2人が補佐することで、ゾディアックの運営は滞りなく行なわれる体制ですな」
「ふうん、預言者が2人ってことは、昨日、話していた二王並立(ツートップ)体制にも関係あるのかな」
「確かに。預言者はそれぞれ太陽と月を補佐することにもなります。今回は、セイナ殿が月を管理し、イザヤ殿が我らを管理する立場。ただし、イザヤ殿が必ずしも味方とは限りません」
「どうして?」
「イザヤ殿が推したラーリオス候補はユウキ・カミザであって、あなた様ではありませんから」
「でも、セイナって人は、ユウキの母さんになるんでしょ? 彼女の方は、自分の子を星霊皇に、とは考えなかったの?」
「つまるところ、セイナ殿は権力を得ることに興味がないのですよ。自分と身内の安全を第一に考え、政治的な野心は持っておられない」
「いい人なんだ」
「さて、子供のように無責任なのを、いい人と呼べるのかどうか。自分の置かれた立場をわきまえずに組織の和を乱す、周囲の見えない自己中心者(エゴイスト)と評する者もいますな。なまじ才能や力を持つ者が、周囲の期待に応じず、自分だけの小さな幸せを求める生き方を、私は肯定しません」
 バトーツァはそう言いながら、意味ありげな目で、ぼくをじろじろ見た。
「才能や力、ねえ」
 自分にそんな物が備わっているとは、ここに来るまで考えたこともなかった。
 それに、いざ自分の能力が分かったとしても、それをどう使いこなせばいいのか分からないのでは不安が募る。身に過ぎた才能を突然与えられても、ありがた迷惑だと思う。
 与えられた力を何に使うのか? 
 何も考えずに、ただ子どもみたいに喜んでいればいいのと違う。獣みたいに衝動や本能任せに暴れたいわけでもない。
 考えるだけの知識や知恵を与えられたぶん、かえって悩むことも大きくなったと思う。
 それが幸せと言えるのかどうか……。

 そうしたことをとりとめなく考えながら、表面上は納得したように、うなずいて見せた。
 こちらの反応を受け取って、バトーツァの話は続いた。
「ともあれ、2人の預言者が星霊皇と3人で意見を交わした上で、さらに神の意思を現実にどう対応させるかを決めるために、神官会議が開かれます。神官会議の議長役が最高神官であり、副議長がバハムート。さらに、預言者も会議には参加されますが、星霊皇は現在、会議に出て来ないのが慣例となっております」
「つまり、星霊皇の意思を会議の場で伝えるのが、預言者の仕事になるわけだ」
「そうですな。じっさい、星霊皇が星王神そのものと化しているような現状では、預言者が神の声を伝えるという意味で、間違った呼称でもないのでしょう。もっとも、その預言者たちですら、星霊皇の現状を正しく理解していない、と師は考えておられますが」
 星霊皇と2人の預言者、そして最高神官。
 直接、面識はないものの、自分の運命に大きく関わってきた人たち。
 ぼくをラーリオスに選んだのだったら、一言「よろしく頼む」との激励ぐらいあればいいのに。
 ぼくが将来、そういう偉い立場に就いたなら、もっと臣下には身近に接しようと思う。民主主義と情報公開の時代に、今のゾディアックみたいな古風で権威主義的な組織体制は流行らない。
「一つ分かった。ゾディアックは秘密主義すぎる。この閉鎖体制は改めないと、今後、本当の危機に際しても、何の対処もできないと思うな」
「本当の危機とは?」
「う〜ん、大量に復活する邪霊をどうするか、ということじゃない?」
「ラーリオス様は、いかにお考えで?」
「そうだなあ」
 ぼくは思考力を活性化させる目的で、左手の甲に埋め込まれた宝石を額に押し当てた。
「邪霊の数が少なければ、《暗黒の王》の力で制御できると思う。星輝士だって、邪霊に対する力を備えているはずでしょ? まずは情報公開して、邪霊の脅威を知らせるとともに、その能力を研究して対策を練るのが先決じゃないかな。ゾディアックだって、今までそうしてきた研究資料とかあるだろうし……」
「なるほど。少し意外ですな」
「何が?」
「《暗黒の王》の力を得たのなら、もっと欲望に忠実に、人類を脅かすような意見を口にすると思いましたが」
「暗黒帝国の建設とか?」
「そうそう、それです。邪霊憑きの、邪霊憑きによる、邪霊憑きのための帝国作りなど考えなかったのでしょうか?」
「そういうことをカレンに言ったら、敵を見るような目をされたよ」苦笑いを浮かべてみせた。
「ぼくは、どうもセイナって人と同じみたい。あまり大それた支配欲って柄じゃないんだよな。王と言っても、自分で何をしたいってわけでもなくて、ただ自分の力で周りの人を助けたいというか、望みをかなえたいって思う。ぼくの力は、自分のためというよりも、自分の周りの人のためにあるんじゃないかな」
「ちょっと失礼」バトーツァは、ぼくの左手をとった。
「う〜む、確かに《闇の気》は発しておられますが、高ぶりすぎることなく適度なところで収まっている。うまく制御できているようですな」
「朝だからかな」ぼくは推測を口にした。「《闇の気》は夜に活性化するんだよね」
「確かに。それと、近くに《闇の気》があると、影響を受けるようですな」
「だから、カレンがぼくの近くにいると、おかしくなるわけか」最近のカレンの変化も納得できた。「バトーツァ、君は大丈夫なの?」
「私は、邪霊憑きではありませんからな」
 ぼくは意外な目を神官殿に向けた。
 精査しても、確かに《闇の気》は感じない。
 彼が首に掛けている聖印、術士用の黒い星輝石も、濁った気は放っていない。
「てっきり、君も《闇の気》の使い手だと思っていたが」
「術の一種としてなら扱えますよ。それ用の道具があれば、の話ですが」バトーツァは、クククと笑った。
「ただし、私は影の神官であって、闇の神官ではありません。《闇の気》を身に宿して、衝動に苛まれるようなことは望みませんとも。それをすると、私が私でなくなってしまいますからな。昔、アルコールに溺れたように、邪霊の力と衝動に溺れて自ら破滅する真似は避けようと考えております。ともすれば、私めの弱い自我ではたやすく良心を失ってしまい、つまらない犯罪行為を繰り返して退治されるのがオチでしょうし。それでは、我が師のお役に立つことができません」
「吸血鬼の従僕が、全て吸血鬼でないのと同じことか」ホラー映画の知識を思い出す。
「ドラキュラにおけるレンフィールドですか? 虫を食べたいとは思いませんが」そう言って、バトーツァは何がおかしいのか、ニヤリと満面の笑みを浮かべた。
 その不気味な表情は、むしろ奇妙な食習慣を持っている方が似つかわしいのだけど。
「とにかく」ぼくは気を取り直して話を続けた。「トロイメライに従う者が、全て邪霊憑きというわけではないんだね」
「もちろんです。我が配下の神官たちも、邪霊憑きは一人もおりません。そうなってしまえば、組織としても非常に扱いにくくなりますからな」
「確かにそうかもな」カレンのことを考えて、納得した。
 たった一人の邪霊憑きでも、衝動とか不安定な感情とかを考慮すると、接するのに苦労する。邪霊憑きの集団ともなると、圧倒的な力とかカリスマでも持たない限り、組織としてまとめることは不可能に思える。
「それなら、どうして、ぼくに邪霊の力を?」疑問点を口にした。「邪霊憑きを無闇に増やすつもりはない、ということは分かった。だったら、ぼくをどうして引き込んだ?」
「強要したつもりはありませんが」バトーツァは何食わぬ顔で言った。「《闇》を受け入れることを決断されたのは、ラーリオス様ご自身ではございませんか」
 ぼくは左手の手袋を外し、竜の鱗を示した。
「人の手にこういう改造を施しておいて、よく言う。確かに、ぼくの意思もあるが、君たちが仕向けたこともあるだろう。どうして、ラーリオスを《闇》に引き込んだのか、包み隠さず教えて欲しい。ぼくが王なら、過剰な秘密主義は変えていきたいと思う」
 バトーツァは探るような目で、ぼくを見た。
「心を読もうとしているのか?」
「まさか。ラーリオス様の心は読めません。高い壁に遮られているような感じで、術がうまく働かないのです。だから、その行動も読めずに、苦労させられました」
 なるほど。カレンの言ったとおりだ。
「だったら、何故じろじろ見る?」
「顔色から、その言葉が真実か虚偽かを見極めようとして。あなた様の真意がどこにあるか、察しを付けようとしているのです」
「ぼくの真意か。極力、犠牲を少なくして、多くの意見を汲み取ろうとする。『最大多数の最大幸福』といったかな」
「ベンサムやミルの系譜ですか」
 バトーツァは、哲学者らしい名前を挙げた。
「いや、誰の言葉かは覚えてないけど、とにかく、そんな感じだ。《異質な闇》は、いたずらに《闇》を増やそうとしているわけではない。だったら、ぼくたちは邪霊に対して、どういうスタンスで行動すべきか、そういうことを知りたいんだ」
「私に言わせれば、邪霊は狼ですな」
「どういう意味だ?」
「狼は、人間社会にとって長年、悪の象徴とされてきました。人や、人の飼う家畜に危害を与えるゆえに。よって、人々は狼を根絶しようと力を尽くしてきたわけですが、その結果……」
「生態系のバランスが崩れ、自然の土地が荒れることとなった、と」
「そういうことです。星霊皇は邪霊憎しのあまり、ろくに研究することなく、封印することでよし、とされた。そして、邪霊の研究をしていた我が師を放逐したのです」
「トロイメライは、どうして邪霊の研究を?」
「師が錬金術を志していたことはご存知ですか?」
 ぼくはうなずいた。
「研究テーマはいろいろですが、その中の一つが邪霊と人間の共存。邪霊憑きを人間社会で暮らせるように、その衝動を抑える方法や、魔物の力の制御などです」
「医者であり、科学者だったというわけだな。どうして、星霊皇はそういう研究を理解しなかったんだ?」
「何ぶん、500年も前の話ですからな。当時のキリスト教社会では、神の御心に反する民間療法や、魔術的な要素は表向き禁じられて当然。星霊皇も当時としては比較的、開明的な人間でしたが、邪霊に関する限りは、そういう根底的な思想の呪縛からは逃れられなかったのですよ」
 なるほど。
 トロイメライの話では、単に愛情のもつれ程度にしか思えなかったけど、バトーツァが客観的にまとめてくれると分かりやすい。
「すると、ぼくに《闇》を与えたのも、一種の実験台になるのかな?」
「そ、それは……」バトーツァは口ごもった。
「気にするな。実験の目的が知りたいだけだ。実験台にされたからという理由で、今さら反抗するつもりなんてない」
「そうでございますか。では、打ち明けますと、《暗黒の王》とは邪霊の力を制御する人間装置とも呼べるもの。あるいは、抵抗力の高い人間に《闇》を植えつけて、免疫作用を活性化させることで、邪霊の影響を浄化させる力の発現が目的なのです」
「……つまり、ぼくは邪霊ウイルスに対抗するワクチン製造機みたいなものか」
「ご理解いただけましたか?」
「まあね」ゆっくりうなずいた。「ぼくはバカじゃない。ジェンナーの話だって知っている。邪霊を天然痘みたいな伝染病と考えれば、トロイメライの計画が医学的な見地から、正しいのだと思うよ」
 もちろん、新奇な研究は往々にして、周囲の誤解を受けがちだけど。
 トロイメライの説明の仕方も、どうも秘密めかして、誤解を招きやすそうだし。
 ぼく自身、石の力で理解力が高まっていて、なおかつ、邪霊という存在を一応は受け入れていればこそ、《異質な闇》の意図するところも納得できたのだと思う。
 そして、このぼくの理解を他の人に誤解なく伝えようと思えば、どうしたらいいのやら。
「バトーツァ、邪霊について分かりやすくまとまった文書資料ってないの?」
「はて、パーサニア殿にも同じことを聞かれましたな」
 そりゃそうか。
 ぼくも、まずジルファーに理解してもらおうと思ったけれど、考えることはジルファーも同じだと言うことだ。
「ジルファーは文献学の達人だ。彼なら、誤解することなく書き手の意図するところを読み取ってくれるよ」
「ええ、パーサニア殿も同じことを主張されましたが、文書資料はないのです」
「何でだよ? ゾディアックには5000年の歴史があるんでしょ? 記述資料が何も残っていないなんて、未開民族でもあるまいし」
「いえ、その逆です。ゾディアックの歴史や、時を越えた知恵の数々は、《星智神殿》に収められているのですが……」
「戦火で焼かれたとか?」
 バトーツァはかぶりを振った。「今は、アクセスそのものが断たれているのです」
「アクセス不能って、まるでインターネットみたいだな」思わず、つぶやいてみたけど、
「はい、その通りです。《星智神殿》は、星輝石を通じてアクセスできる膨大な情報群です。それを管理するのが星霊皇でもあったのですが、100年ほど前の《大喪失期》の折に、彼が長い眠りに就いて以来、《星智神殿》へも接触ができなくなりました。ゾディアックの叡智の数々は、1世紀近く失われたままなのですよ」
「星霊皇、何やってるんだ!」思わず悪態が口に出る。「一人でいろいろ抱え込みすぎだ。もっと人の信頼とか協調とかを重んじて、役割を分担するとかできなかったのかな?」
「だからこそ、代替わりが必要なのでございますよ」
「仮に、ぼくが星霊皇になったら……」頭の中でイメージしてみる。「バトーツァ、相談役の預言者は君に頼みたい」
「へ? 私めでございますか?」
「当然だよ。ぼくが星霊皇ということは、神はトロイメライということになる。それなら、トロイメライに最も忠実な神官は君だろう?」
「も、もちろんでございます。身に余る光栄、さすがはラーリオス様」
「すると、もう一人の預言者は、カレンということになるな」
「そ、それは……」バトーツァは陰気な顔をさらにしかめた。
「何だ、不服か?」
「い、いえ、決してそのような……」
「はっきり言っていいよ。カレンはいまいち信用できないって。ぼくも扱いに苦労している」このとき、神官に負けないぐらい陰鬱な笑みを、ぼくは浮かべたのだと思う。

 そこから話題は、愛情絡みの話に移った。
「ゾディアックの背景は、大体、分かった。次に、邪霊の影響について聞きたい」そう前置きを述べてから、「邪霊は、人の感情にどんな影響を与える?」
「欲望や衝動を活性化させる、ということで、ご理解いただけないでしょうか?」
「う〜ん、それは分かるんだけど、たとえば、邪霊によってそそのかされた愛情は、本当の愛と見なせるかどうか。さらには、術によって植えつけられた感情と、普通に育まれた恋愛感情の違いとかが知りたいんだけど……答えられる?」
「それは……難しい質問ですな。信仰上の観点や、演劇にまつわる恋愛心理学の観点から話せないこともないでしょうが」
「話せるんだ」バトーツァのような男が、恋愛について語ることができるとは意外だった。こちらとしては、カレンの態度について、ちょっと愚痴程度にこぼしたかっただけなんだけど。
「一応、シンクロシアとの心の絆とか、整理もしないといけないし……」そう取り繕っておく。
「ラーリオス様は、金髪碧眼に魅力を感じられるのですか?」
「まあね」スーザンも、カレンも、そうだ。
 でも、トロイメライやサマンサは違う。
 こう並べると、自分に関心を持ってくれる女なら誰でもいいのか、と思うけど。我が事ながら、節操のなさに少々呆れもする。
「ワルキューレ殿は、外見上はスーザン様に近しくもありますからな。目移りしても、仕方ありますまい」
「そう、そのとおり」バトーツァに理解を示してもらえて、嬉しかった。
「私は、我が師一筋ですからな。黒の魅力には何ものも抗しがたい」
「サミィは?」
「セイレーン殿は、芸能分野という趣味が合うだけですよ。異性の良き友人にはなれても、恋愛感情までは……」
好意(ライク)と、愛情(ラブ)は違う、と」
「それもしかり。さらに愛情(ラブ)と一口で言っても、厳密に分けるなら、エロス、ストルゲー、フィーリア、アガペーの4つを考えることが基本ですが」
「それって基本なの?」
「古代ギリシャの演劇学や、聖書を読み解く上でも常識ですよ。それを意識せずに恋愛物語を語るなど、たとえるなら、シェークスピアを知らずに舞台演劇を語るようなもの」
「説明してもらえる?」
「お任せあれ。まず、エロスは肉欲的な性愛と解釈されますな。情念のあまり、破滅的な衝動を喚起しかねず、(タナトス)とも並び称される。人間関係を全てエロスとつなげて考えるなら、行きつく先は獣と何ら変わりない世界であり、邪霊の衝動ももっぱら、そういう方向に向かうものと見られます」
 う〜ん、これは自分のこととして、十分自覚できる。
 愛に溺れたら破滅するというのも、いかにも、ぼくとカレンの関係じゃないか。
「次に、ストルゲーですが、これは親子愛、兄弟愛といった肉親への情愛が基本となります。ただ、定義を広げると保護者、被保護者の関係とも解釈され、師弟愛、主君への忠節と臣下への慈しみといった感情になりますな。師弟愛をエロスと混同したりしますと、何だか下世話な話になりますので、ご注意のほどを」
 何に注意するのか分からないけど、たとえばジルファーとぼくのような関係か。
 あるいは、カレンも導き手であると同時に、臣下でもある。なるほど、彼女との関係がややこしいのは、ぼくの中でエロスとストルゲーの区別ができていなかったことにもあるのか。
「第3のフィーリア。これは友愛、同胞愛とも称され、共通の出自や関心事を抱く者同士が、互いに助け合い、利を与えつつ高め合う関係を基軸とします。私とセイレーン殿の関係は、仮に愛と称するにしても、この範疇になるでしょうな。星輝士同士の絆、同じ組織に属する者の連帯感も広い意味では、フィーリアと呼べましょう。ただし、同じ組織といっても、仲が悪くて口論ばかり、というケースもございますし、競争相手にもなりかねないので、必ずしもフィーリアが成立するとは限らないのですが」
 すると、ロイドとかランツが、ぼくにとってはそうなるかな。ストルゲーに比べると、対等な感じがするけれど。
「そして、究極の愛がアガペーと称されます。これは神の愛、無償の愛とも称され、万人を無条件で慈しみ、救済する至高の愛とされます。太陽が万人の上に等しく公平に光をもたらすように、分け隔てなく愛すること。もちろん、これをエロスと混同したりすれば、とんだ騒ぎを巻き起こすことになると考えますが」
 確かに。
「ラーリオスの愛はアガペーを目指せ、ということになるのかな?」
「そういう博愛精神が実践できれば、それこそ正に聖人と言えますが……今のままでも、ラーリオス様は、部分的に聖人の徳を実践されていると考えます」
「ぼくが? 心にもない追従はよしてくれ」
「追従ではございません。聖人の徳とは、寛容の徳、謙譲の徳と考えます。邪霊はその逆に執着や傲慢をもたらします。《闇の力》を身に宿しながら、執着や傲慢に縛られることなく、寛容や謙譲の姿勢を示す今のラーリオス様は、良き意味で、私にとっては想定外。すなわち、常人ばなれした徳性を示されているのです。」
「大したことじゃない。寛容といっても、物事を受け止めることこそが今までのぼくなんだし。謙譲というのは、周りに自分より優れた人がいるのだから、自分一人で偉ぶって他人を見下すなんて、滑稽以外の何ものでもない。ぼくは世間知らずだけど、周囲が見えないほど愚かでいたくない。ただ、それだけだ」
「それこそ、正にラーリオス様の善性でしょう。聖人の徳とは数々あれど、並べ立てるなら、勇気、公平さ、慈悲、誠実さ、献身、気高さ、包容力、そして謙譲の心得となるでしょうか。ご自身を省みて、何か欠けているものはございますか?」
「う〜ん、公平さとか誠実さかな。たぶん、考え方が偏ってるだろうし、嘘だってつく。気高さというのも、よく分からないや。大体、ぼくに実践できているなら、星霊皇だって達成できているんじゃないのかな? 今はともかく、昔だったら……」
「我が師を放逐して、独善的な体制を構築しておいて、ですか?」
 バトーツァの口調が急に激しくなった。
「私の知る限り、当代星霊皇は聖人などではございません。もちろん、能力的には優秀でしょうし、勇気や献身、気高さなど卓越した特性を備えていることは否定しません。しかし、我尊しの思いが強すぎて、寛容さ、謙譲精神を身につけておられない。それゆえ、私は星霊皇ではなく、今ここにいるラーリオス様に期待するのです!」
「う〜ん、寛容とか謙譲とかを誉められても、何だか人に流されて操られるだけの人形になってしまう気がするなあ」ぼくは苦笑を浮かべた。「どうも、自分の意思じゃないような感じで」
「自分の意思がなければ、今のラーリオス様はとっくに邪霊の影響で欲望と破壊の権化に堕してますよ。少なくとも、あなたは食欲さえ満たしてさし上げれば、立派に人間性を維持しておられます。人の意見を受け入れることと、自分の意思を持たないことは別物。そうでしょう?」
 確かにそうか。
 『食欲さえ満たして』という部分が少々引っ掛かるけど、あながち間違いではない。ぼくがバトーツァという男を理解する以上に、彼はこちらを理解しているように思える。
「そういう君はどうなんだ? さっき挙げた聖人の徳なら、君だって部分的に身に付けているんじゃないか?」
「とんでもない」バトーツァはかぶりを振った。
「私めは生来、臆病者でして、公平とも言えません。世の中、力ある者が勝つ。力なき者は強者の支配を甘受すべき、と考えていますからな。慈悲についても、敵に対して残忍さを示すことには躊躇しませんとも。誠実さ? もちろん、終始嘘をついているわけではありませんが、自分の利になるならば、平気で人を騙しますとも、はい。気高さ? 包容力? 知りませんな。誇れるとすれば、我が師や王に対する限定的な献身と、まあ、自分の器を見切った謙譲精神ぐらいでしょうか。もっとも、誇り高い者が見れば、卑屈にも映るのでしょうが、これまで、そうして自己の分を守って生きてきたわけですからな。ただし、酒でも飲めば、無性に気が大きくなって羽目を外したりもしたのですが、決して誉められたことではありません。この私ほど、聖人らしからぬ輩はおりませんよ」
 う〜ん、ここまで自分を卑下できる男も珍しい。
 ただ、信仰者には時々いるのかもしれない。彼らは、偉大な存在の威光を笠に着て傲慢になるか、あるいは偉大な存在の忠実な信徒として過剰なまでに謙虚に振る舞うか、大きく二つに分かれるのだと思う。あるいは、一人の人間でも、同胞に対しては謙虚に、異教徒に対しては威圧的にもなるのかもしれない。もっとも、味方に対して威張り、敵に対しては弱気になる人間よりはマシなのかな。
 とにかく、バトーツァについては、その意外な知識や分析力について有能な男と見直したりもしたけれど、師と仰ぐにしては、あまりにも卑屈な小者すぎる。もっとも、そういう男だからこそ、ぼくには分からない視点から物事を判断できるのだろう。
「バトーツァ、君のことは尊敬するわけじゃないけど、その知識や気遣いの数々には、これからも助けてもらうことになりそうだ。臣下として、信頼は寄せようと思う」
「はは、ありがたきお言葉」深々と頭を下げる影の神官。

「それで、カレンのことだけど……」話を戻す。
「おお、秘め事の相談ですか」バトーツァが途端に顔を上げ、爛々と目を輝かせる。「ワルキューレとの睦み事の話なら、是非ともお話いただければ……」
 何を興奮しているんだ、この男は。
「昨夜は、何もなかったよ。話をしただけだ」
「どうしてですか?」バトーツァは不満げだ。「ラーリオス様ほどの活力さえあれば、あの女を従わせ、生意気な口をきかせないようにすることなど容易なはず。そうすれば、私に対しても、もう少し、しおらしく敬意を示すように命ずることだってできようものを。もしかして、尻に敷かれているのではありますまいな?」
 余計なお世話だ。
「いけませんぞ。生身の女は、最初にどちらが上か、体で言うことを聞かせないと、どんどん付け上がります。一度主導権をとられますと、男は従うしかありません。ラーリオス様は人が良すぎますから、ともすればワルキューレに篭絡されて、破滅への道を転がることにもなりかねません。古今の王がたどって来た道を繰り返してはなりませぬ」
「バトーツァ、少し黙れ」ぼくは冷たい目でにらみつけた。
「は、これは失礼を。で、ワルキューレとはどういう接し方を?」
「シェラザードのように話をさせている」
「なるほど、シェラザードですか」バトーツァはうなずいた。「それは、ラーリオス様が女性に対して不審の念を抱いている、ということですか」
「まあ、そういうことになるかな」
「それで、ドゥンヤザードの役はどなたが?」
「ドゥンヤ……ザード?」
「シェラザードの妹君ですよ。夜伽の場には、王の近くに姉妹が侍るのが、かの物語の筋書きです」
 それって……
あの娘(スーザン)が《闇》を受け入れれば、3人で楽しむことだってできるかもしれない』ということか?
 カレンがそこまで意図して、自分をシェラザードになぞらえたのかは知らないけど、スーザンとの関係性をどう考えるかが、目下の最重要課題と思い直す。
「とにかく、カレンに溺れて、スーザンのことを忘れてはいけない。それがトロイメライの意向だ。だから、ぼくはカレンを抱かないようにしている。ただ、カレンはぼくの知らないスーザンの話をいろいろ知っているみたいだからね。彼女の語る話から、今後を考える材料が得られないかと思ったわけだ。だけど、カレンは邪霊の衝動のせいか、やたらとぼくを誘惑してくる。どうしたらいいんだろう?」
「果てさて、邪霊の衝動のせいだけでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「ラーリオス様は将来の王ですから、近くに侍ることで力を得られる、ということですよ。愛情よりは、権力欲といった下心があっても不思議ではありますまい。ましてや《闇の気》の力を活性化することで、うまくすれば自身が強大にもなれる。私めがワルキューレの立場なら、ラーリオス様の寵愛を得るためなら、何でもするでしょうな」
「つまり、君が今、親切に振る舞っているのも、そのためか?」
「もちろんです。私が心から忠誠を誓うのはトロイメライ様だけ。ただ、トロイメライ様があなたに期待し、あなたがその期待に応じる才能を示し、我らの側に就いたからこそ、今はあなたに従うのです。仮に、あなたが我らを裏切るような真似をすれば、この関係もそれまでとお考えあれ」
「なるほど。《闇》の世界に信頼や友愛なんて期待しない方がいい、と言うことだな」ぼくはカレンの言葉を思い出した。「欲望と利害の一致、そして互いの能力への敬意があるから、つながっていられる。そう理解しておくよ」
「逆に言えば、相互の欲や利害をさらけ出し、適度に調整しながら、互いの能力を提供し合える関係が理想ですな。無条件に助けてもらえると考えるなら、それは甘えであり、我が侭に通じます。王とは言え、臣下に対しては、その益を配慮した契約関係を意図することが大切でありましょう」
「心しておくよ」ぼくはうなずいた。「あと、気になるのはスーザンのことだな。先ほどの愛の種類から考えて、スーザンへの気持ちはどうなるんだろう? エロスでも、ストルゲーでも、フィーリアでも、アガペーでもないと思うんだけど。自分でも、スーザンのことを愛しているのか、どうか分からないんだ。そこさえ解決すれば、いろいろと道筋が見えてくるんじゃないかな」
「《太陽》と《月》の絆は、愛という言葉では収まらないのではないですか?」
 バトーツァは賢者らしい思慮深げな表情を示した。
「愛はいささか情緒的、感情的な言葉ですが、絆はもっと幅広い意味を内包していると考えます。運命を共有しているとか、(えにし)といった言葉がふさわしいのでは、とも思いますが、どうもうまくまとまりませんな。ただ、ラーリオス様は少し、愛という言葉にこだわり過ぎるようにも感じられます。愛という感情だけで、世の中は回っているのではないのですから」
「愛は至高の概念ではないのか?」
「確かに、愛は感情を高ぶらせますが、それしか見えないようですと、やはり曇りし者(クラウド)でしょう。ラーリオス様には、もっと広い視野に立ってもらいたいものです。かくいう私も、最近は東洋哲学を研究中でしてな」
「東洋哲学?」
「さよう。聞けば、パーサニア殿もカミザ殿の影響か、そういう方面に興味があるとか。彼が熱心に語っていたのですが、ラーリオス様は『モエ』という言葉を聞いたことがありますか?」
「モエ?」ぼくはかぶりを振った。
「最初はシャンパンの名前かとも思ったのですが、パーサニア殿によれば、愛に代わる新しい概念だそうで。近年の東洋で発祥した言葉で、一説によれば、『モエが分からなければ、近年の創作は語れない』とか。ええと、その単語の中には『炎のように熱い心』と『植物が育つ生命力』の両方を含むとのこと。何やら、仏教らしい響きも感じると思うのですが。これからのゾディアックは、西洋よりも、むしろ東洋的な方向性を志向すべきかとも考える次第です」
 う〜ん、モエねえ。
 東洋よりも、フランス語っぽい響きなんだけど。
 カレンなら、何か分かるかな。植物関係だし。

「とにかく、いろいろ教えてくれてありがとう。エロスに、ストルゲーに、フィーリアに、アガペー、それからモエかあ。愛といっても、いろいろ分類できることが分かっただけでも、収穫だ。もう少し、自分の気持ちを整理してみるよ」
 ぼくがそう納得したことで、その朝の講義は終了した。


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