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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−8)


 
4ー8章 ハーフ・ブラッド・ガイズ

 その日、リメルガが用意してくれた昼食メニューは変わっていた。
 皿に盛られたライスの上に、どろりとした黄土色の液体がかかっていて、衣をかぶせた肉のフライが乗っている。
 ツンと鼻に来るピリ辛い匂いが漂ってきて、いかにもエスニック料理といった感じだ。
 でも、見た目は下品な排出物を思わせて、食欲を刺激するとは言えない。

「何だよ、これ?」ぼくは不審げに尋ねた。
 昼頃に食堂に行くと、リメルガとロイドはすでに席についていた。
 リメルガの正面、ロイドの左隣がぼくの席としてあてがわれ、目前には待ち構えるように、不思議な食べ物がこしらえられていたのだ。
「カツカレーだ」リメルガは腕組みしたまま、悠然と答えた。
「リオ様は、片手が使えないそうですからね」ロイドが補足する。「これなら、スプーン一つで食べられますよ」
「インド料理なのか?」なけなしの外国料理の知識を思い出す。
「インド原産がイギリスに伝わった。そこから日本に至って、カツを乗せるようになったらしい」リメルガが解説する。
「カツって?」
「肉だよ、肉。見て分からないのか?」
「ああ、このフライね。日本語なの?」
「元は、英語の切り身(カットレット)らしいがな。カツという言葉には、『勝つ(ビクトリー)』とか、『(エナジー)』といった意味もあるみたいで、日本人は戦いの前の縁起かつぎとして、よく食べるらしいぜ」
 ふうん、日本人はこんな下品な見栄えの食べ物をありがたがるんだ。
 アメリカとの食文化の違いを実感しながら、リメルガを真似て、右手のスプーンで液体と白粒の米を一盛りすくう。そして、顔をしかめながら、口に入れると……

 すこぶる(から)かった。

 慌てた。
 口の中の火を消さないと。
 グラスの水に左手を伸ばす。
 左手は使えないはずなのを思い出す。
 焦って、手が滑る。
 あ、水がこぼれた。
 呆然。
 顔まで熱くなる。
「おい、無理するなよ」リメルガは倒れたグラスを立てた後、手早くテーブルの水をふき取ってくれた。
「はい、水」ロイドが差し出してくれたグラスを右手でとって、がぶ飲みしたおかげで、ようやく人心地つく。
 はあはあと息をあえがせながら、一気に力が抜ける。
 何で、こんなに消耗しないといけないんだ? 
 恐るべし、カツカレー。
「初心者だったとはな。辛口は早かったみたいだ。お子様用に甘口にするべきだったか」リメルガの口調は、いかにも見下すような感じだ。
 粗相をした子どもと同じ気分になる。
「こんな辛すぎる物を食べるなんて、日本人の気持ちが分からない」ぼくは不満を口にした。「これなら、フランス料理やイタリアのピザの方が……」
「カレーを嫌うなんて、まだまだですね、リオ様」ロイドにまでバカにされた。「初代イエローレンジャーの大好物だというのは、この道の常識ですよ。レンジャーマニアだったら、カレー道も追求するべきです」
 相変わらず言っていることが分からない。
 この道って何だよ?
 それに、こっちはレンジャーマニアってわけじゃないし。
 パワーレンジャーなんて、子どものときに見ていただけだ。
 そう思いながらも、子どもの気分に戻って、初代イエローレンジャーがどういうキャラクターだったか、埋もれた記憶をほじくり返す。
 ええと、赤が典型的な白人タフガイで、ピンクが金髪の可愛い女の子。いかにも、憧れのお姉さんって感じだったな。
 青がメガネの発明家で、黒がダンスが趣味の黒人。この辺りは、どうでもいい。
 そして、黄色は……ああ、アジア系の女の子がいたなあ。忍者みたいに機敏な動きと、拳法で戦うんじゃなかったかな。カレーが好きだっていう話は知らないけど。
 まあ、全話見ているわけじゃないから、ぼくの知らない話のことをロイドは言っているんだろう、きっと。
 それにしても……
「どうして、アジア人が黄色いのか分かった。カレーばっかり食べているからだ」深く考えずに口にする。
「おい」リメルガが途端に不機嫌になった。「リオ、お前、人種差別でもしようってのか?」
「え、いや、そんなつもりじゃないけど……」何が気に障ったのか分からず、ぼくは戸惑った。
「だったら、口には気をつけろ。ゾディアックは別に、白人だけの世界じゃないんだからな」
 ぼくは、リメルガの顔をじろじろ見た。
 例の殺人サイボーグを思わせる体格と風貌で、何の違和感もなく白人だと思い込んでいた。日に焼けた肌や(とび)色の眼からは、あまり人種を特定できない。アジア人特有の小柄で柔軟な印象もないけれど。
「どこの出身なんだ?」リメルガの出自を問い掛けたのは、意外にも初めてだった。これまでは、映画の世界から飛び出したような元戦場の兵士という印象だけで十分だったのだ。
「ビルマだ」
 知らない国だ。「どこ?」
「東南アジアだよ」
 う〜ん、東南アジアと言えば、ベトナムがまず出てくる。後は、フィリピンとか、タイとかかな。インドネシアってのもあったな。
 頭の中の地図を探してみたけれど、ビルマという国名には覚えがない。
「ごめん、分からない」正直に答えた。
「タイの西ですよ。ミャンマーとも呼ばれています」ロイドの言葉で、知識がつながった。確か、軍事政権が支配していたけど、最近、民主化が進められた国だったような。
「ミャンマーなんてのは、軍事政権が勝手に付けた名前なんだよ。それに反対する人間は、昔ながらのビルマと呼んでいる」
「ミャンマーかあ……」リメルガの殺気めいた視線に気付いて言い直す。「ああ、ビルマね。覚えておくよ」
 しょっちゅう戦場の話を出してくるから、アフガニスタンやイラクなんかとも思ったけど、リメルガからはイスラム圏の感じがしない。砂漠よりは、密林の方がよく似合う。
 東南アジアだったら、環太平洋圏内で、まだアメリカに近い印象がある。フィリピンは確か昔、アメリカの植民地だったはずだ。
 その辺の産物といえば、バナナを思い出す。
 バナナだったら、リメルガにもつながりそうだ。
 だけど、リメルガの体格は、やはりアジア人離れしている。
 そのことを指摘してみると、「混血なんだよ」と返ってきた。
「父親は名も知らない白人の兵士だ。母は現地の女でな。どういう事情でオレが生まれたかは、ガキに話すことじゃねえ。戦場みたいな場所の近くでは、よくあることが起こったと察しろ。とにかく、オレの血の半分は白人だが、顔も知らない親父のことなんざ、どうでもいい。オレの心はアジアに帰属しているし、力で相手を蹂躙したり、策で陥れるような奴らには憤りを覚えるってことだ」
 そういうことか。
 ぼくは深くうなずいた。
 前日までの経緯で、リメルガとの関係が修復不可能までにこじれるのでは? と懸念していた。
 だけど、彼の出自を聞いたことで、改めて親近感が持ち上がった。
 何しろ、ぼくも白人とネイティブ・アメリカンのハーフだ。戦場のことは詳しくないけど、自分のルーツへのこだわりについては共感できる。
 こっちもハーフだと打ち明けようかと思ったけれど、すぐにリメルガとぼくの差異にも気付いた。うちの両親は割と幸せな結婚をしたのに対し、リメルガの親は必ずしもそういう話ではなさそうだ。
 女性に対して卑劣な父親ってことは、カレンの過去にも近いものがあるのではないか。
 うかつに他人の出自や家族関係の話に踏み込むことには、ためらいを感じた。
 他人の過去に踏み込むことは、他人の人生の重みを共有することにもつながる。知った以上、自分とは関係ない話だと割りきるほどには、ぼくは成熟していない。
 こんなんじゃ《暗黒の王》失格だ。
 闇の世界に生きるには、もっと非情さを身につけないと。

 こちらが考えすぎて戸惑っている間に、口をはさんだのは、そういう悩みとは無縁そうなロイドだった。
「リメルガさんもハーフなんですか。ぼくもなんですよ」無邪気で甲高い声が耳につく。陰鬱な気分には耳の毒だ。
「おまえが?」リメルガの応答も重々しい。
 だけど、ロイドは気にした様子もなく、話し続けた。
「ええ、ぼくのフルネームは、ロイド・アンドーっていいます。アンドーは、日本語で『安らぎの東(ピースフル・イースト)』という意味なんですが、『安らぎ(ピース)』には『安っぽい(チープ)』って意味もあるみたいで、『一番安っぽい(チーピスト)』なんて仇名を付けられたこともあります」
 自分の名前をつまらないダジャレにするセンスが、ぼくにはあまり理解できない。そういうユーモアが欠けているのだと思う。
平和(ピース)安物(チープ)がつながるとは理解できねえ」リメルガは、ぼくとは違う感想をもらした。「平和ってのは、高い買い物だからな」
 ロイドは、巨漢の真面目な発言を聞いていなかった。
「ついでに、日本語では苗字(ファミリー・ネーム)を先に言うので、ぼくの名前はアンドロイドになるんです。これも、よくネタにされました。小さいときはそれがイヤでしたけど、今は格好いいと思っています」
「なるほどな。だが、そんな話はどうでもいい。おまえの本名が何であろうと、オレにとって、お前は犬っころで十分だ」
「そんな、リメルガさん。いい加減に名前で呼んでくださいよ〜」
 リメルガも相変わらずだ。
 ロイドの話をまともに聞いちゃいない。
 この2人の間で、コミュニケーションが成立しているのが不思議だった。
 いや、成立しているのか? 
 ただ、そこにいて、適当に刺激し合って、思ったことを口にするだけ。
 相手の人生とか考え方なんて、いちいち真面目に受け止めず、自分の言いたいことを喋っているだけでも、人は付き合って行けるのかもしれない。
 ぼくが少し深刻に考えすぎているのかも。
 そう思いながら、ぼくはロイドの話を真面目に受け取って、記憶に残していた。
 以前に聞いた話では、彼の父親は「日本のヒーローの宣伝マン」ということだった。日本人だったら当然か。
 アメリカに来た日本人で成功した人間だと、野球選手のイチローや、忍者俳優のショー・コスギを知っている。息子の名前は、ケイン・コスギだったかな。
 ロイドも、そういう移民の系譜だとしたら、いろいろ納得できる。必殺技の名前が「天狼旋風拳(シリウス・トルネード)」というのも、そんな名前のボールを投げた日本人ピッチャーにちなんだのかもしれない。
「つまり、ロイドは忍者の血筋だったのか」濃密な思考の果てに、ようやくつぶやいた。
 すると、すかさず答えが返ってくる。
「いや、ぼくも安東流という忍者の家系があれば、と調べてみたのですが、むしろ武将の方だったみたいですね。その前をさかのぼれば、藤原道長という有名人に行き当たるのですが……」
「誰だよ、それ?」日本の歴史なんて、ぼくが知るはずもない。
「1000年前の貴族ですよ。当時の日本で栄華を極め、自分の天下は満月のように欠けたところがないとまで謳ったそうです」
「何て傲慢な奴だ。これだから貴族ってのは……」リメルガがフンと鼻を鳴らす。

 月の話題が出たところで、スーザンのことが頭をよぎり、次いで、カレンのことが気になった。
 近くで、ぼくを監視していると言っていたけど、どこにいるんだ? 
 周りのテーブルをざっと見渡してみる。
 食事時だから、何人か顔の知らない男女があちこち点々と見られるくらい。目立つ個性と言えば、バトーツァのようなローブ姿の集団だけど、彼特有の陰鬱なオーラは放っておらず、普通に背景に溶け込んでいた。
 この洞窟に星輝士以外で、何人が働いているのか、それまで気に掛けたこともなかった。
 こちらの無関心と同様に、彼らの方もこっちに気を配っている様子はない。
 もしかすると、ぼくがラーリオスだってことも知らないのかも。元々、ゾディアックは秘密主義らしいし、別にラーリオスが直々に命令しているわけでもない。ただ、機能している組織の歯車として自分の仕事を忠実にこなしていればいいのだろう。
 組織の動かし方なんて、あまり考えたこともなかったけど、ぼくみたいな子どもの知らないところで、ソラークやジルファー、バトーツァたちがうまく手配しているのだということは察せられた。
 そう、神や王の意思がいかに働くにしても、それをうまく伝え、各人の役割や仕事を分担、配置し、組織全体としてうまく回るように機構化するには、人の知識や知恵が求められる。
 仮に独裁的な王が全てを牛耳るにせよ、独裁的な体制を構築し、維持するのは結局、人の組織なのだ。王は情報を集め、信頼できる配下に地位を与えなければならない。一つの理想は、王が眠っている間に全てが勝手に滞りなく進んでいることだけど、それは有能な大臣なり官僚なりがきちんと働いているから、だろうな。
 そんな帝王学の初歩めいたことを思い浮かべながら、カレンを探したものの、人目を引くはずの金髪女性の姿は食堂に見当たらなかった。
 もしかして目立たないように変装しているのか?
 見張っているのが目に付くのはうっとうしいけど、どこで見られているか分からない方が、よけいに不安を募らせる。
 同じ見張られるなら、せめて相手の動向はこちらも把握しておきたい。
 別に、カレンの姿が見えないから寂しい……ってことじゃないんだからな。
 そう、自分に言い訳しながら、瞳を閉じて、右手で左手の甲に触れてみる。
 石の力で思念を飛ばして、交信を試みる。
(カレン、どこだ?)
(リオ様?)少し戸惑ったような思念が帰ってくる。(今は厨房よ。仕事の真っ最中)
 ああ、彼女もぼくのお守りだけをしているんじゃなかったな。それぐらいは察しないと。
(何をやってるんだ?)
(プリンを作ってるの。食後のデザートよ。そっちのゴリラが特盛なんて注文したから)
(今から焼いて間に合うのか?)
(もう焼き上がってるわ。今は冷やしているところ)
(冷やすのに人手がいるのか?)
(特製の冷凍庫を使っているから。ジルファーの力を料理に応用して冷却効率はいいんだけど、機能させるには誰かが《気》の力を注いでやらないといけないの)
(普通の冷凍庫はないのかよ)
(それじゃ間に合わないわ。文句は、ゴリラに言ってよね。リオ様の名前を出して、無理な注文をしたんだから)
 ぼくは、別にプリンなんて頼んでないんだけどな。
 『ラーリオス様がプリンを所望している』と言えば、特盛プリンを注文できるということか。こういうことが権力の悪用につながるのかもしれない。
 たかがプリンで大げさな考えかもしれないけど、『食の道は全てに通ず』って聞いたことがある。あれ、『全ての道は食に通ず』だっけ? 
 どうでもいいことを考えて、思念の送信が遅れているうちに、カレンからの思念が来た。
(リオ様? 聞こえてる? 何かトラブル?)
(いや、交信にまだ慣れてないから。そろそろ切るよ)
(ええ。準備ができたら、そっちに行くわ。それまで、うかつなことを口にしないようにね)
 一瞬、口うるさいな、と思いながら、そういう気持ちは間違えて送らないようにした。
(了解。待ってるよ)
(わざわざ連絡ありがとう。嬉しかったわ)それから、通信が切れる前に、一言ささやかれた。(愛してる(ジュテーム)
 一瞬、フランス語を解釈するのに戸惑い、
 意味を知って混乱し、
 続けて、ぼくもだよ(ミー・トゥー)、と応じそうになりかけて、
 慌てて、そうじゃない、と思念を取り消す。
 単なる社交礼儀(あいさつ)じゃないか。
 本気で受け取って、どうする。

「リオ、お前、何をボーっとしているんだ?」
 リメルガの声で、我に返った。
「顔まで、やけに赤いぞ」
 ドジッた。
「いや、ちょっと香辛料(スパイス)が目に染みて……」右手で涙をぬぐうような仕草をして、無理に取り繕う。
「大げさな奴だな」リメルガは呆れ声ながらも、疑いはしなかったようだ。
 何だか、秘密の通信を送っていたスパイのような気分だ。
 気持ちを切り替えるために、右手で額をパンパン叩く。
 次いで、決意を固めるように伸びをする。
「よし、覚悟は決まった。とにかく、強敵カツカレーを撃破するのが目下の最優先の任務(ミッション)だ」わざとらしいほどの意気込みを見せる。「ここで撤退するわけにはいかない。敵前逃亡は銃殺刑だ」
「お、おお、いい心意気だ」リメルガは、軍隊めかしたこちらのユーモアを受け取ってくれたようだ。「敵を撃破したら、ボーナスがあるぞ」
「もしかして、甘いデザートか何か?」先ほどの通信から知った情報を口にすると、
「察しがいいな。楽しみにしてろ」リメルガはニヤリと笑みを浮かべた。
「大方、またプリンってところですね」ロイドが口をはさんだ。
「またとは何だ、またとは?」リメルガの笑みは、鬼軍曹のような厳しい表情に変わった。「いいか、よく聞け。今回のはただのプリンじゃないぞ。特製カツカレーといっしょに注文した特盛プリンだ。リオの快気祝いなんだからな、心して食うんだ。食べ物の好き嫌いは許さん。辛さを乗り越えて、至福の甘味(スイーツ)を目指す。我がリメルガ小隊の誇りに掛けて、任務(ミッション)完遂(コンプリート)すべし」
 何だか、いつにないテンションで楽しげ(ノリノリ)なリメルガを見ていると、かえって不安がこみ上げてきた。
 プリンには、カレンが関わっているんだけど。
 彼のためにも、甘さは控えめになることを、ぼくは願った。
 
 カレーの辛さにも舌が慣れて、水を飲むペースも分かってきた。
 左手が使えないことになっているので、右手でスプーンを扱いながら、ときどき皿に一度置いては、グラスを手にする。
 そういう繰り返しが面倒になってきた頃合いで、スプーンを持ったまま、器用にグラスを手にとる方法を試みる。
 その技術を習得すると、食事のペースも格段に上がった。
 こうして、最初は辛勝になるかと思われたカツカレー攻略戦は、新兵カート・オリバーの成長もあって、無事に終わろうとしていた。
 周囲を見ると、小隊長役のリメルガ軍曹と、ロイド伍長はとっくに自分の敵を倒している。食事のスピードで他人に負けるのは何だか悔しいけれど、次の機会があれば、挽回はできるだろう。
 何事も経験だ。
 カート・オリバーは、カツカレーの食べ方をマスターした! 
「うまかったか?」リメルガが尋ねてきたので、何となくうなずいた。味を堪能できたわけじゃないけれど。
 すると、思わぬ質問が続いた。
「リオ、お前はやっぱり……リオだよな?」
 戸惑う。
 目を瞬きしながら、相手の顔を見つめる。
 強面(こわもて)の表情は、かすかな不安をにじませながらも決然としていた。
 冗談で聞いているわけではなさそうだ。
 同じような質問を、ぼくはカレンにしたことがある。
 どうしてなのか理屈では分からないけれど、相手の内面にある闇を薄々感じ取っていたのかもしれない。
 リメルガもそうなのか?
「何だよ、それ?」ぼくは、あのときのカレンのように、相手の質問の意図が分からないような答えを返した。
「ぼくが、ぼく以外の誰だって言うんだ?」
「今のお前は、オレの知ってるリオだ」リメルガは重々しく口を開いた。「だが、お前は時々おかしくなる。その辺りの事情を確認しておこうと思ってな」
「おかしくなる……って、どんな感じに?」リメルガが何に疑念を抱いているのか、はっきりさせるために問い掛ける。
「星輝石の影響か分からないが、何かに取り付かれたような感じだ。自覚はあるよな?」
 ああ、そのことか。
 闇や邪霊のことを嗅ぎ付けられたのかと思ったけれど、リメルガが指摘したのは、それ以前のことだ。
 そう、最初に食堂でジルファーから見せられた星輝石に触れた際、ぼくはその力を制御できず、強烈な光を噴出させたことがあった。
 その後、バトーツァを尋問した時にも、眩惑(トランス)状態になっていたな。
 そして、リメルガを術で眠らせた、あの夜。
 この昼食会は、その辺りの事情を尋問される場だという覚悟はあった。
 食事中ではなく、食べ終わる段階で聞いてきたのが、彼なりの配慮なのだろう。
「いろいろ心配を掛けているみたいだね」ぼくはあらかじめ、闇のことには触れないように考えていた応答を試みる。
「星輝石の力を少しずつ制御できるようになっているんだが、時々、振り回されているようだ」
 そう言ってから、逆に訊ね返した。「君たちも星輝士だったら、似たような……力を抑えられない経験はないのか?」
「力の暴走ですか?」ロイドが口をはさむ。「ぼくは一度だけです。リオ様と戦ったときに怪我をさせてしまいました」
 そう言ってペコリと頭を下げたので、鷹揚にうなずいてみせる。この少年の体格や、ペコペコする姿も、日本人の血が混じっていると思えば納得できた。
「オレはねえな」リメルガはそう言った。
「元々、性根が単純だし、やってることも力押しに過ぎんから、格別、制御が難しくないのかもしれねえ。それに、お前たちよりも人生経験を積んでから星輝士になった。だから、心の抑制と適度な発散ができているのかもな」
「ぼくだって発散はできていると思いますよ」またもロイドだ。「熱い正義の魂、いつでもどこでも発散中です」
「お前は抑制を覚えろ」リメルガはあっさり切り捨てて、ぼくを見つめた。
「リオ、こっちはな、お前のことが心配なんだ。何だか無理をしているんじゃないか、周りの期待に応じようとする余り、心が悲鳴を上げているんじゃないかってな」
 よけいなお世話だ。
 こっちは、別に心配してくれ、なんて頼んじゃいない。
 そういう反抗心を感じながらも、口に出さないだけの理性はあった。
 今のぼくは、子どもじゃない。
「大丈夫。迷いは乗り越えた」冷静に、そして決然と答えた。
「ぼくはラーリオスだ。自分の役割は心得ている。シンクロシアとの戦いを乗り越え、世界の未来を輝けるものにする。今は、そのために自分の力を高めるだけだ」
「そんな型にはまった模範回答じゃ納得できねえよ」リメルガは静かに、ぼく以上に決然と、そして強い意思を言葉に乗せた。
「どう答えろと言うんだ?」相手の意思に反発する。
「お前の本気の心だ。今の答えは、誰かに言わされているような感じだな。どこか心を失くした機械人形みたいだぜ。最初に会ったときのお前はそんなんじゃなかった。こっちにがむしゃらに向かってきたお前からは、こう真っ直ぐで一途な想いを感じたんだ。だから、こいつにだったら、付いて行ってもいいと思った。嘘とか虚飾がない奴なら信用できる。だが、今のお前は自分を捨てて、何かの枠にハマろうとしている。ラーリオスの役割だと? それが本当に、お前のやりたいことか? お前の本心なのか? そこのところをきちんと確かめておきたい」

 これほどストレートに切り込んでくるとは思わなかった。
 もう少し、遠回しの探るような質問を予想していたので、適度に受け流していれば何とかなるだろうと考えていた。
 だけど、そういうのはジルファーのやり方だ。
 リメルガには、リメルガのペースがある。
 ぼくは、それに対処しないと。
「ぼくの心ね」まず、相手の言葉の断片を受け止めて、ワンクッション置く。「本音とか、一途な想いと言われても、どう答えたらいいか困るよ。君は、ぼくを困らせたいのか?」
「ああ、困らせたいね」
 そう返ってくるとは思わなかった。普通は「そういうわけじゃないが……」と言葉を濁すところだろうに。
「本音を聞かれて困るということは、そいつが偽りの世界に生きているということだ。人を騙すような上官だったら、オレは喜んで困らせてやるぜ。そいつがオレの生き様って奴だ」
 う〜ん、リメルガらしい言い方だ。
 これには、どう切り返したらいいんだろう?
「リメルガ、君は一つ間違っている」急場しのぎに、そう言ってみた。
「何だ?」
「ぼくは君の上官じゃない。ラーリオスだからって、まだまだ未熟だ。君の上に立って物事を考えたりはしていない。むしろ、君をどう乗り越えたらいいのか、と、そういう目で見ていた」
「乗り越えたじゃないか」
「いつ?」
「オレを術で眠らせた晩だ。あの時のお前は何だったんだ?」
「ぼくに眠らされたことを、根に持っているのか?」皮肉っぽい目で見つめてやった。「そんなに小さい男だとは思っていなかったが」
 どうにも、刺々しい口調になる。
 こういうのは、カートらしくない。
 《暗黒の王》が出てきているのか?
「……リオ、お前、やっぱり変わったな」リメルガは真正面からにらみつけてくる。
 案の定、敵意を向けられた。
 熱いストレートな意思と、冷ややかな意思が中央でぶつかっているような錯覚を覚え、ライゼルとの戦いを思い起こす。
 そうか。
 こういうときは、小手先の切り返しではなく、身を切るつもりで本気の相手をしてやらないと。
 それでこそ、相手を納得させられる。
 そこで、取り繕わないカート・オリバー自身を何とか呼び起こし、維持しようとする。
 ストレートには、ストレートってことだ。
 ただし、全ての本音を差し出すわけにはいかない。トロイメライやカレンの闇の話は避けないと。
 これが駆け引きという奴か。
 そこまで考えてから、自嘲めいた笑みをこぼす。
 こんなことをあれこれ考えている時点で、カートじゃない。
「確かに、変わったかもしれないな」そうつぶやいた。
「今のぼくは、君と初めて会ったときの、無邪気なカート・オリバーじゃないようだ」
「カート・オリバー……そいつがお前の名前か」
「言ってなかったか?」
 リメルガは、首を横に振った。「オレにとって、お前は最初からリオだった」
「つまり、出会ったときから、偽りの世界だったわけだ」ぼくは取り繕うのをやめて、皮肉めいた感想を漏らした。
「ゾディアックに連れて来られたときから、全てが偽りの世界だったようにも思える。ぼくの現実は、モンタナのハイスクールに通う平凡なティーンエイジャー。フットボール部のラインバッカーをやってたんだが、受け身過ぎると言われていたな。それがどうして、ラーリオスに選ばれたのか、自分でも不思議だよ」
「アメフトのことはよく知らんが、ラインバッカーは守りの要じゃないのか? 受け身でも問題ないと思うが」
「ぼくもそう思っていたんだけど、受け手は攻め手を叩きつぶすぐらい好戦的なのがいいらしい。一応、体には恵まれていたから、サイドで使ってみようとは言われたけどね。チームに馴染む前にここに来た。まあ続けていても、自分が求められるほど好戦的に振る舞えたとは思えないけど」
「追いつめられたら好戦的になるタイプだな、お前は」リメルガは、そう評価した。
「刺激に対して、過剰に反応するところがある。だからか? あの晩、洞窟から逃げ出そうとしたのは? 何がお前を追いつめたんだ? ゾディアックがお前の現実を脅かしたからか?」
 ぼくはリメルガの指摘にうなずいた。
「何が現実で、何が偽りなのか、正直、今のぼくには分からなくなっている。ここに来て、何度も悪夢を見たりもした。夢と現実がゴチャゴチャになったりもする。そんな気持ちで、本当の自分なんて問われても困るだろう」
「そんなときは、自分を殴ってみることだ」リメルガはあっさり言った。「痛みを感じるなら、それが現実だ」
「何とも単純だな」こちらも、あっさり返す。「リメルガ、君は本当の悪夢を知らない。夢が現実を侵食する怖さってものをね」
「お前は知っているのか?」そう問われて、
「ああ」思わず返してしまった。
 すぐに自分のミスに気付く。
 リメルガは単純な質問に見せかけて、巧みに誘導しているようだ。
 考えてそうしているのではなく、本能的にこちらの本質を探り当てようとしているのかもしれない。鍛えられた兵士の直感って奴か?
 悪夢の話に踏み込むのは危険だ。
 何とか、話をそらさないと。
「どういう悪夢だ?」
 案の定、踏み込まれた。
 ぼくは戸惑った。「答えなければいけないのか?」
「それが、お前を悩ませているならな」リメルガの意思は揺るぎない。
 これがジルファーなら、こちらが反発すると違う角度から攻めてくる。だから、意図的に話をずらせることも可能だった。
 リメルガの力押しに対しては、正面から受け止めるか、あくまで避けるしかない。だが、避けることで、相手の不審をますます募らせることになる。
 どうすればいい?
「自分の力が親しい誰かを傷つけるかもしれない。そういう悪夢だったら、ぼくも見ました」ロイドの甲高い声が助けになった。
「力の制御ができなくなれば、ぼくたちは戦うだけの戦闘機械になりかねません。リオ様は、そういうことを心配しているのでは?」
 確かに、それはあった。
 ぼくは、ロイドにうなずいて見せた。「ラーリオスの力は強大だ。ぼくは自分が化け物になるのが怖い。好きな相手を傷つけるのが怖い。だから逃げ出した。戦いを強要されることがイヤだったんだ」
 そう言って、リメルガに視線を戻した。「戦場近くで育ったあんたには分からないかもな」
 リメルガは黙ってうなずいた。
 何か返事が戻ってくるかと思って、待ってみたけど、真っ直ぐな視線をぶつけてくるだけだ。
 結局、こちらから自分の体験をぽつぽつ口にするしかなかった。
「ここには拉致同然に連れて来られた。その時から、機を見て何とか逃げ出そうと思ったんだ」
 遠い日の思い出のように語る。
「でも、周りが雪だらけだったから、逃げたくても逃げられない。結局、ここに残って、自分の人生を取り戻すために力を身に付けようとした。君たちと知り合ったのは、そんな何も分からないまま、がむしゃらになっているときだ」
 リメルガから視線をそらして、ロイドに目を向ける。
 それから不自然にならないように、二人の間のテーブルを定位置に見据えることにした。
「最初は、ゾディアックを受け入れていなかったから、君たちも偽りの世界の住人でしかなかった。ジルファーも、カレン……さんも、幻想物語(ファンタジー)の登場人物のように考えていたこともあった」
「紫トカゲや、嬢ちゃんは、確かに浮世離れしているがな」リメルガはぽつりと感想をこぼしてから、「今でも、そう考えているのか?」と問い掛けてきた。
「変わったって言ったろう?」巨漢に向き合う。
「ぼくの現実はモンタナではなく、ゾディアックにあると腹は決まっている。それに、モンタナにいた頃は、誰からも期待されていなかったんだよ。両親は、ぼくを借金の肩代わりとして、ゾディアックに売り払ったんだ。自分の才能とか可能性なんかは、ゾディアックに来て初めて知った。今のぼくなら、モンタナ時代が幻で、ゾディアックでの生活が現実だと受け止められる」
「それは、モンタナ時代を切り捨てるってことか?」リメルガは、まだ納得していないようだった。
「切り捨てないと先に進めないだろう?」
「全てを切り捨てることはない。自分を作った原点、思い出ぐらいは大切にしろ」
「分かっているさ。そんなこと」頭ごなしな言い方に、自然と反発が生じる。「あんたに言われなくったって」
「分かっているつもりでも、時々は確認しないとな」リメルガはあっさり受け流した。
「心はあいまいだ。自分の心なんて誰かに打ち明けて言葉にしてこそ、初めて実感できるってもんだ。自分一人の頭の中で分かったつもりになっていても、独り善がりになるだけだぜ」
 確かにそうか。
 ぼくだって独り善がりの星霊皇にはなりたくない。

「ぼくの原点と言ったな」
 先ほど言おうとして言えなかったことを、ここで打ち明ける気になる。
「それは、自分を売った両親なんかじゃない。お祖母(ばあ)ちゃんから受け継いだアメリカ先住民(ネイティブ)の血だ。両親は、そういう古いものを受け入れなかったけど、ぼくは自然との調和を大切にしていきたい」
先住民(ネイティブ)の血だと?」リメルガは、まじまじとぼくを見つめた。
「なるほどな。お前とは出会ったときから、ただの白人とは違う匂いを感じたが、そういうことか」
「すると、リオ様もハーフなんですか?」ロイドの声はやっぱり嬉しそうだった。「この3人はみんな同じなんですね」
「一緒にするな」リメルガの拒絶は、ぼくも同感だった。「仲良し3人組なんて関係は、願い下げだ」
「じゃあ、どういう関係ならいいんですか?」ロイドが尋ねる。
「お互いの信念をぶつけ合う関係だ」リメルガの返答は明確だった。
「腹の底から自分を見せた上で、ぶつけるところはきっちりぶつける。その上で、互いの生き様を尊重できるような関係がベストだ。ぶつかることもせずに、表面上のお愛想だけで仲良く振る舞って、肝心なところで裏切る奴が世の中、多すぎる。リオは最初から、そして今もオレに本気でぶつかってきているからな。その心意気は認めるってことだ」
「つまり、リメルガさんはツンデレってわけですね」
「何だ、そのツンデレってのは?」
「最初はツンツン刺々しく振る舞って、後からデレるんです。デレは、相手を好きになるとか、認めるとか、そういうことです。拳でぶつかり合ったライバルが終生の友になって共闘するとか、熱血バトル物の王道ですね。モエパターンの一種とも言えます」
「何だかよく分からんが、ぶつかった後の信頼構築ということなら、そのツンドラってことだろうな」
「リメルガさん、ツンドラじゃなくて、ツンデレですよ。ツンドラだったら、燃えずに冷めちゃいます」
「どっちでもいいんだよ、そんなこと」
 リメルガとロイドのこうした掛け合いはいつものことだけど、ぼくはロイドの言った『モエパターン』という言葉が気になった。
 バトーツァ曰く、『モエとは、近年の東洋で生まれた、愛に代わる新しい概念』だとか。まさか、ロイドの口から、そんな高尚な哲学用語が飛び出してくるとは思わなかったけれど、彼も日本人の血を引き継いでいるのなら、『禅』や『武士道』、『忍術』や『カツカレー道』と同じように、民族的な常識として先天的に習得した知恵なのかもしれない。
「ロイド……」質問しようとしたとき、リメルガが一言口にした。

「カース!」

 呪い(カース)だって? 
 どういうつもりだ? 
 ぼくは、巨漢をまじまじと見つめた。
「リメルガさん、もしかしてリオ様のことを、そう呼んだんですか?」
「ああ、そうだよ。認めた奴は本名で呼ぶ。そいつがオレの流儀だ」
「だったら、ぼくの名前はカートだ。呪い(カース)じゃない」
「……どっちでも一緒だろ」
「一緒にするな! そういう不吉な間違いをされるんだったら、今までどおり、リオでいいよ、もう」
「ああ、分かった、リオ。やっぱり、こう呼ぶ方がしっくり来る」
「……で、何なんだ?」ぼくははっきり見下す視線を向けた。どんなに立派なことを言っても、人の名前を間違えて呪いをかけてくるような奴は尊敬に値しない。
「そろそろ話をまとめておこうと思う」
 それには賛成だ。
 リメルガの尋問は、ジルファーを相手にするときよりも疲れる。
 たぶん、威圧的な外見のために、緊張感が生まれるからだろう。もう少し、愛想笑いとかできないのか?
「オレが聞いておきたいのは、二つだけだ」
 だったら、最初から要点を絞っておけよ。
「どうして、紫トカゲを首にして、黒頭巾を教師役にしたんだ?」
 ああ、そのことか。
 バトーツァ嫌いのリメルガなら、聞いてくるだろうと思っていた。
「ジルファーを首にしたわけじゃない。戦いの後で消耗しきっていたから、休養が必要だと判断した。ただ、それだけだ」
「だったら、どうして代わりが黒頭巾なんだ。あいつを牢獄から出したのも納得できねえ」
「神官殿は命の恩人だ。彼がいなければ、ぼくは月の刺客に殺されていただろう。彼のおかげで、左手の怪我も治る目処がついた。元々、彼を投獄したのも、こっちの過ちだ。あの時は、いろいろ精神的に不安定だったからね。彼はそれを許してくれた。そして、ぼくへの変わらぬ忠誠を誓ってくれたんだ。それ以上、彼を邪険にする必要がどこにある?」
 ぼくは用意していた答えを一気にまくし立てた。
「しかし……」リメルガはこちらの勢いに圧倒されたようだ。それでも、まだ不服そうな顔なので、付け加えてやる。
「確かに、ぼくも、それにジルファーも彼を嫌っていたのは事実だ。影の神官の役割は、どこか秘密めかして後ろ暗いところがあるからね。けれども、あの夜の働きで、彼がこちらの陣営に必要不可欠な人材だということが明らかになった。ジルファーも彼を認めて和解したんだ。ぼくがそうして何が悪い? 軍隊でも、好き嫌いの感情よりも、部隊に貢献できる仲間かどうかが大事だと思うんだが、どうなんだ?」
「お前が決めたのなら、納得するしかないんだろうな」リメルガはそう言って、ため息をついた。「オレは気にくわないが、ただそれだけだ。文句は言うが、従うことにする」
「彼も君のことは嫌っているみたいだけど、嫌がらせめいたことは言わないように注意しておく。陣営内部の不和は招きたくない」
 リメルガは意外なものを見るように、大きく目を見開いた。
「何だ?」
「いや、未熟なガキだと思っていたが、だんだん指揮官(リーダー)らしいことを言えるようになってきたじゃねえか。正直、感心した」
「自分の頭の中の悩みよりも、組織運営の方が解決しやすいからね。たぶん、問題点がはっきり目に見えるからじゃないかな」
「そういうものかよ。オレには他人のことをそんなにうまく動かせるなんて信じられんが」
「ぼくだって、自分にそんなことができるなんて信じられないよ。だけど、ラーリオスの立場だったら、そうするしかない。何でも受け入れるって決めたんだ」
 そう、何でもね。

「だったら、あと一つ。月陣営の女王は、お前にとって何なんだ?」
 これが最後の難関と言えた。
 だけど答えは、あらかじめ考えている。
「モンタナ時代のガールフレンド……ということで、勘弁してくれないか?」
 リメルガは重々しくうなずいた。
「戦う相手としては……辛いな」
「泣いたさ。だけど、どうしようもない。今さら引き返せない」淡々とつぶやく。
「戦う覚悟はあるんだな」
「言ったろ? モンタナ時代は幻だって」
「……それが結局、あの夜、逃げた理由なんだな?」
 ぼくは黙ってうなずいた。
 リメルガは溜め息をついた。
「納得した。オレがお前の立場でも、そうしていただろう」それから付け加える。「今度、逃げ出すならオレに相談しろ。協力してやる」
「ぼくも手伝います」ロイドも割り込んだ。
「……本気なのか?」二人がそのような提案をしてくれるとは思わなかった。「ゾディアックを裏切ることになるんだぞ?」
「惚れた恋人の仲を引き裂くような組織に、義はないからな」リメルガはにやりと笑みを浮かべた。「組織のために個人が犠牲になるような世界は気に入らない。ただ、それだけだ」
「ぼくも、あれから考えました。ジルファーさんに、太陽と月の戦いの話を聞いたときは、耳を疑いましたよ。今ごろ、そんな時代錯誤(アナクロニズム)を押し付けてくる組織だなんて。それが正義だなんて認められません」
 こんな二人の言葉を、あの逃げ出した夜に聞いていれば、ぼくは涙を流して喜んでいただろう。
 それだったら、三人で逃げていたろうか? 
 それとも、自分の気持ちを受け入れてもらえたことで、もっと落ち着いて考えられるようになっていたろうか? 
 あの夜の逃避行を断念するか、あるいは延期していたか……。
 いずれにせよ、ライゼルとの戦いは違った形になっていたと思う。
 だけど、もう遅い。
 あの夜、星輝戦争は始まり、ライゼルは犠牲になった。
 その後、ぼくは闇を受け入れ、トロイメライと手を結んだ。
 この事実は変えられない。
 ぼくは自分の選んだ道を受け入れ、そのまま進むしかない。
 だから……冷たく2人を突き放すことにした。
「仲良し3人組なんて関係は、願い下げじゃなかったのか?」
 リメルガの先ほどの言葉を引用する。
「君たちの言葉には、星輝士としての理がない。ゾディアックに義がないとか、気に入らないといった感情論で動く気か?」
「オレに理がないだと?」
「ああ、星輝士だったら、ぼくが愚かな行動をとろうとしたら、力づくでも止めるべきだ。事実、あの夜のぼくはどうかしていた。後から学んだことだけどね。こっちが反省して覚悟を決めたのに、君たちの方が愚かな行動を認めてどうする? そんなことで喜ぶほど、ぼくはバカじゃない」
 沈黙が漂った。
 目を伏せ、乾いた喉を湿らせるために、グラスをとった。
 ゴクゴクと水を飲む音が染み渡る。
「本当に変わっちまったんだな」リメルガが静かにつぶやいた。「何だか遠い奴になった気がするぜ。これからはリオじゃなく、ラー……リオス様と呼ばないといけないのかもな」
「いつまでも子どもじゃいられないからな」
 それから付け加えた。
「リメルガ、ロイド、君たちがゾディアックを裏切るという事実は、聞かなかったことにしておくよ。あるいは、ただの冗談か。本気だったら、こんな周りの耳のある場所でする話じゃないだろうし」
「助かる。不良兵士のオレだが、義理に反するマネはしないつもりだ」
「ぼくもそうです。リオ様が納得しているなら、ゾディアックの正義を信じます」
 二人の反応は、少々意外だった。
 こっちは突き放したつもりなのに、かえって信用を勝ち得たようだ。
「ぼくが正義とは限らないだろう?」ロイドの言葉を否定したのは、非情になりきれない良心からか。
「ぼくがもし、間違った道を突き進んだなら、君たちが止めてくれ。そう約束してくれる方が、こっちも安心して力を追求できる。今はそれを邪魔して欲しくはないが……万が一、ぼくが自分の力を制御できなくなったときは……」
「止めてやるさ、この拳でな」巨漢はニヤリと拳骨を示した。「だが、この間のような卑怯な術は使うなよ。やるなら拳と拳の対決だ」
「約束する」ぼくもニヤリと笑み返す。「その時までには、怪我を治しておくよ」
「何言ってるんですか?」ロイドが抗議した。「殴り合う約束よりも、道を踏み外さない約束をして下さい。二人とも、ケンカっぱやいんだから」
 こうして、混血の男たち3人(ハーフ・ブラッド・ガイズ)は互いをさらけ出し、分かり合ったように見えた。
 表面上は。

「リオ、お前がまだガキなのが残念だぜ。大人なら、いい酒が飲めそうなんだがな」
 リメルガの方は心底、納得したらしく、明らかに警戒を解いていた。
「イタリアとかなら、16でも飲めるらしい。今度、連れて行ってよ」
 ぼくは、信頼する大人の先輩にするような口調を意識した。
「バカ野郎。16なんて早すぎる。せめて18になってからにしろ」
「何だよ。不良軍人のくせに融通が利かないんだな」そう口をとがらせると、
「お前は真面目な王を目指すんだろうが。オレみたいに道を踏み外すな」説教された。
 別に真面目な王を目指しているわけじゃないんだけど。
 リメルガの中では、そういうことになったらしい。
 変に疑われないのはいいことだ。
「で、道を外したリメルガさんは、何歳から飲み始めたんです?」ロイドが訊ねた。
「酒は17、女は19ってところだな」
「女……って、経験ありなんですか?」ロイドが驚いた反応を示す。
「どうして、そんなに驚く?」
「だって、酒と女ってブラックコンドルじゃないですか。リメルガさんは、どう見ても、イエローオウルって感じですから、女に縁があるとは……」
「オレには、お前が何を言っているのかよく分からんが、かなり失礼なことを言っているのは分かる」そう前置きしてから、不良軍人は語り始めた。
「女といっても商売女の類だ。部隊の先輩に、そういう店に連れて行ってもらったんだ。さすがに特定の女と恋人同士になっちゃいないが、命を掛けた仕事だ。時々、無性に人肌恋しくなることだってある。だから、通いの店の何軒かは作っているんだ。興味があるのか?」
「う〜ん、ないわけじゃないですけど、ぼくは2次元で十分です」
「何だ、そりゃ?」
「大体、ビルマと言えば、敬虔な仏教徒の国じゃないですか。リメルガさんは、酒戒や女戒を犯して、それでもいいんですか?」
「うるさい野郎だな。ビルマにだって精霊信仰はある。オレは戒律ガチガチで育ったわけじゃねえ」
 そういうことか。
 まあ、殺人を忌避する敬虔な仏教徒なら、とても兵士になんてなれないだろうし。
 リメルガの信仰観なんかも聞いておきたかったけど、その前に、
「リオ、お前はどうだ?」と話を振られた。
「こう言っちゃ何だが、一人の女にこだわって、おかしくなるぐらいなら、欲求をうまく処理した方がいいことだってある。そういう話なんかでも、相談に乗ってやるぞ」
 いや、ちょっと待て。
 それは余計なお世話だ。
 こっちは、いたずらに欲求を刺激しようとする女がいるから困っているのに。
「リメルガさん、それはひどいですよ」思いがけず、ロイドが助け舟を出してくれた。
「リオ様は、愛する彼女と戦う宿命なんです。つまり、レッドホークじゃないですか。敵に回った恋人のことで人知れず悩んでいたのに、そんな女のことはさっさと忘れて、商売女でも抱いてろ……なんて、言って良いことと悪いことがあります。見損ないました」
 それから、ロイドはぼくの方を向く。
「リオ様。一途な純愛を胸に秘め、それでもチームのリーダーとして振る舞おうとする姿、正にヒーローの鏡です。何があっても、このぼくはリオ様の気持ちを応援します。頑張って月の女王に掛けられた悪しき呪縛を断ち切りましょう」
 いや、ええと、そういう話なのか?
 間違っちゃいないと思うけど、何だか妙に美化されている気もするし。
「お前な、そんな単純な話じゃないだろう」リメルガが呆れたように言った。
「大体、オレの話を悪い方に端折りすぎだ。女のことで悩むなら、相談に乗るぞって話だ。それに今すぐ女を抱けなんて言っちゃいない。さすがに早すぎるだろ。しかしだ、世の中、女はそれこそ星の数ほどいるんだ。一人の女にこだわり過ぎず、もっと世間を広く見てだな。たとえば、あの甘党の嬢ちゃんなんかも、リオが頼めば……」
「おい、リメルガ」ぼくは、発言が暴走している巨漢に厳しい視線を示した。
「何だよ。気づいてないのか? 嬢ちゃんは時々、お前に色目を使っている感じだぜ。ああいう視線を向けてくる女は、オレの経験だと……」
「あなたの経験だと何かしら?」
 ぼくの警告は無駄に終わったようだ。
 リメルガの背後に、噂の本人が立っていた。
 特盛プリン3人前の乗った大型トレイを支え、
 薄緑色をした給仕嬢(ウェイトレス)のエプロンを身に付けた、
 冷ややかな視線の金髪美女。

 リメルガの強面(こわもて)の表情が蒼白になり、あんぐりと口が開いた。


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