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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(インターミッション4)

第5部目次
第1部
(接触編)
プロローグ こちらへ
第2部
(覚醒編)
インターミッション1
ハリウッズ・ナイトメア
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第3部
(発動編)
インターミッション2
ナイトメア・ウィズイン
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第4部
(暗黒編)
インターミッション3
ホーリーウッズ・ナイトメア
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第5部
(失墜編)
インターミッション4
ザ・ラスト・ナイトメア
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アルター・エゴ こちらへ
ラ・ピュセル・ブランシュ こちらへ
ブレイク・タイム こちらへ
ザ・ファースト・ラーリオス こちらへ
第6部
(鎮魂編)
インターミッション5
デイ・ドリーム


 

IM4.ザ・ラスト・ナイトメア

 ぼくは右手を左の胸に押し当てた。
 確かな心臓の鼓動(ハート・ビート)を感じながら、そこに秘められた心の記憶(ハート・メモリー)を呼び起こそうとする。
 左手が熱くなり、石の力がアストラルの波となって、血流とともに心臓に届く。
 そして生まれた一つのイメージ。
 それこそ、ぼくの記憶の円盤(メモリー・ディスク)
 右手に形成された光の輪を顔の前にかざすと、いくつもの光景(ビジョン)が万華鏡のように浮かんでは消えた。

「そんな物を作り出して、どうするつもり?」カレンの体に宿ったトロイメライが、いぶかしげに問いかける。
「言ったろ? 過去への旅を始めるって。これが、ぼくのやり方だ」
「確かに前にも言ったわね。『過去への交信のしかたを、いつか教えてくれる』って。でも、オリバー、あなたの記憶をいじるだけで何が変わると言うの?」
「過去は変わらないさ。ただし、ここでぼくたちが干渉しないと、いろいろと齟齬が生じると思う。未来からのメッセージはちゃんと伝えないとね」
「……あなたのやり方も、言っていることもよく分からないんだけど」

 SF映画を知らない幽霊の女に、時間遡行(タイムトラベル)の不文律を一から説明するのは億劫だった。
 だから、「黙って従ってくれ」と告げただけ。
 それでトロイメライがおとなしく了承したので、ぼくは作業を続けた。
 右手の円盤(ディスク)を額に差し込む。
「今だ、トロイメライ。アストラル投射で、ぼくの中に入ってきて」
「ワルキューレの体はどうするつもり? 放置しておくのは危険よ」
 時間がなかった。
 強引にカレンの体を抱き寄せ、いっしょに寝台に倒れ込んで、額を押し当てた。
 そのまま相手ごと自分の意識を、再生した記憶の映像世界(ビジョン)に飛ばす。
 悲鳴か、あえぎ声か分からない音量で、かすかなこだまが鳴り響いた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

『ぼくをスーザンの夢に送ることはできるかい?』カートのセリフが聞こえてきた。『たとえ、夢の中でも、ぼくはスーザンに会いたいんだ』
『後悔しても知らないわよ』空中にいたトロイメライが、スッと降りてきて、カートのかたわらに立つ。
 トロイメライが描いた五芒星(ペンタグラム)の転送円にカートが飛び込むと、舞台は砂漠から森に切り替わる。

 ぼくとトロイメライは、その光景を舞台から一歩引いた観客席で眺めていた。
「また、活動写真? 強引に誘いをかけた割には、ありきたりね。もっと趣向をこらさないと、女の子の気は惹けないわよ」
 画面に映っているのと同じ、妖精めいた黒髪の少女の姿となったトロイメライが軽口めかした不満を漏らす。
「だったら、ショッピングでも楽しむかい? それとも、アウトドアでキャンプって手もあるな」
「どうせ、夢の中でしょう? 絵空事の娯楽は間に合ってるわ」
「まあ、そう言うなよ。自分が出ている映画を見る経験は、俳優や女優でもない限り、なかなかできないんだ。『カート・オリバー主演 失いし夢の再上映(ロストドリーム・アゲイン)』、ここだけの独占リバイバル上映なんだから、楽しんでくれ」
「内容の分かっている物語なんて……」文句を言いながらも、その目が画面に釘付けになっているのを、ぼくは確認した。
 たぶん、彼女なりに楽しんでいるのだと思う。
 だけど、そうでなくても問題はない。
 別に楽しむことが目的ではないのだから。

 ライゼルが画面に登場した。
 スーザンの沐浴を覗き見していて、カートと対面する。
『ん? 何だ、お前? ええい、夢の中のエキストラその1が邪魔するな。今がいいところなんだからよ』
 記憶どおりのセリフを口にした後、カートの拳一発で夜空の星になる。
『フォイヤーーーーーッ!』

「プッ」画面のトロイメライと、ぼくの隣のトロイメライが同時に吹き出した。
 どちらも、笑いをこらえる渋い表情だ。
 前にこのシーンを見たときは、自分の動作ばかりに気を取られて、画面の隅のトロイメライの反応は気付いていなかった。
「同じ映画の再鑑賞でも、違った発見があるんだよな」そうつぶやく。
「知ってたはずなのに……どうでもいいことだと思って忘れてたわ。こんなコメディで二度も笑ってしまうなんて……不覚」
「君を笑わせただけでも、これを見た意味はあったな。まさにライゼル様々だ」
 軽く応じながらも、その後のライゼルとの戦いと死を知った後では、どこか物寂しさを覚える。
 そうだ。
 この夢には、死と喪失が付きまとう。
 最初に見たときは、辛い事実を心が受け付けず、記憶を封印していた。
 2度目に見たときは、事実を知って動揺し、ゾディアックから脱走するまでに心が追いつめられた。
 その後、《闇》との死闘と、《異質な闇》の受容を経て、精神と霊の領域を学び知ることになった。《闇》と関わることで、心の耐性が高まったのだと思う。
 だから、3度目は問題なく、受け止められるはずだ。
 もちろん、そうでなくてもトロイメライという保険を用意してある。
 心配することは何もない。

 スーザンの姿を見たのも、しばらくぶりだった。
 カレンを知った後では、その容姿などにいくぶん幼さを感じるものの、本質的な可愛らしさは変わらない。
 黄金色の髪と、翳りない空色の瞳は、久しく見ていない陽明(ひあ)かりを連想させて、まぶしさを覚える。
 ただ、カートを見つめる視線は、北極星のように冷ややかだった。
『トロイメライが、あなたを送ってきた。そうでしょ?』詰問口調のスーザンに対して、しどろもどろに答えるカートがいかにも未熟で、我ながら情けない。
『た、確かに、ここに来るのに、トロイメライの力は借りた。でも、決めたのはぼくなんだ。どうしても君に会いたくて……』
『会って、どうするつもりだったの?』スーザンは敵を見る目で、カートを見ていた。
 その激しい感情は、《暗黒の王》としては甘美で、ゾクゾクした刺激を与えてくれる。ラビックの言葉が、実感として理解できるようになった。
 たぶん、余裕を持って相手の敵意を受け流すことも、心の強さなんだろうな。
 ライゼル戦を経るまでは、ぼくも本気の殺意を向けられたことはなく、何の心構えもできていなかった。
 だから、自分の心の中をぶちまけるしか、対処できなかったんだ。 
『好きな女の子に会いたいのに、理由が必要なのか? あんな形で別れるなんて最悪だ。ぼくはまだまだ君の姿を見たいし、いろいろ話もしたいし、君が困っているなら力にもなりたい。言いたいことだって、いっぱいあるんだ』
 純粋なカート。
 これもまた、まぶしい。
 成熟して、失ったぼく自身。
 その背後で、目を細めて見守っているトロイメライの姿が画面に映った。
 こちらは冷ややかというよりも、若者ゆえの情動を懐かしく見つめる視線。
 たぶん、今のぼくも同じような表情をしているのではないだろうか。

 スーザンはカートを拒絶し、二人の間にあった恋愛感情が、魅了(チャーム)の術で仕込まれた嘘であると言い放った。
『ハハハ、冗談だろう。星輝石の力で、ぼくの心を操作したって? そんな魔法みたいなことができるわけないだろう』
 カートはスーザンの言葉を受け止めきれず、笑いで受け流そうとした。
 実のところ、この時のカートの言葉は、ある意味、正しい。
 後から知ったことだけど、ぼくには外部からの精神的な術に対する耐性が備わっていて、スーザンのかけた魅了(チャーム)の術が効いていなかったのだ。
 ぼくは本当にスーザンに恋愛感情を抱いていたし、
 スーザンの方も、きっとカートのことを想っていた。嘘をついて互いの恋愛感情を否定しないと戦えないぐらいには。
 ラーリオスとシンクロシアの間には、精神的な絆が構築される。
 この絆は、小手先の術で外部からどうこうできるものではない。
 ただし、夢という形で無防備な精神をさらしてしまった状態では話が別で、カートとスーザンの精神の接触は、非常に不安定な結果をもたらすことになった。
 カートは当然、精神世界での危険には無知で、自分の感情を制御するなんて考えもしなかったし、
 対するスーザンも、自分の精神に他者が侵入する経験には慣れていなかった。
 二人とも未熟なまま、一方は自分の心をさらけ出し、もう一方はこれ以上、心に踏み込まれないよう、かたくなに拒絶したのだ。
 互いに、うまく駆け引きを講じることもしないで。

『冗談ではないわ、カート。あなたの気持ちは最初から偽りなの。だから遠慮なく、わたしと戦いなさい。それが、わたしの望みなの』
『そうかい。だったら戦ってやる』
『そう。それでいい。わたしはシンクロシアとして、あなたはラーリオスとして、力を付けて戦うの。平凡な人間ではいられないのだから、大いなる運命に従って、自分の責任や役割をしっかり果たす。それでこそ、世界を救うことができる』
 その言葉を口にしながら、スーザンは涙を流していた。
 一瞬、その涙に心を奪われたけど、すぐにかぶりを振る。
 違う、これじゃない。
 ぼくは冷静に、記憶の映像を観察しながら、自分が動くべき時を見計らっていた。

『ラーリオスとして戦う。ラーリオスとして戦う……』
 スーザンの言葉が暗示のように、虚ろなカートの心に影響していた。
「今だ!」ぼくは席から立ち上がって、映像を一時停止した。
「どうしたの?」かたわらのトロイメライが問いかける。
「ピース・オブ・ハートだ。今の場面をもう一度!」
 左手をスクリーンにかざして、映像を巻き戻し、スローで再生する。

 スーザンの言葉を受けて、カートの精神がガラスのように崩壊していくのが、はっきりと目に見えた。
 カートの心は、ぼくのアストラル視覚からは「赤いハート型の宝石」として感知できた。
 スーザンの言葉を受けて亀裂が走り、粉々に砕け散っていく光景が潜在的(サブリミナル)なイメージとして再生される。
「打ち砕かれし愛よ」ぼくは唱えて、スクリーンに左手を伸ばした。「我が手にもう一度、戻りたまえ」
 そのままだと映像の地面に落下して消えていくだけのハートの欠片(ピース)が、ぼくの意思に導かれ、流星群のようにスクリーンから飛び出してくる。
 異形の左手が、無数の星粒(スターダスト)を受け止めた。
「これが、ぼくの失われたピース・オブ・ハートだったんだ」
 左手の上で、欠片(ピース)が再構成され、もう一度、ハートの宝石(ジュエル・オブ・ハート)の姿を取り戻す。
 そこに秘められた純粋な思念(ピュア・ソウル)は、太陽のようにまぶしく暖かい。
「それをどうするの?」トロイメライが興味深げにたずねる。
「本当だったら、昔のカートに返さないといけないんだろうけど……」少し迷った。
「昔のあなただったら、また壊してしまいそうね」
「そうだな。壊れて、そのたびに蘇ってきた気がする。君やカレン、それにジルファーたちに助けられて」
「でも、ラーリオスとしての(コア)は、そのハートにあるのではないかしら。スーへの愛情も含めて」
「だったら、今までのぼくは魂の抜け殻みたいなものだったとでも?」あまり、そうだとは思いたくなかった。
「あなたが完全な魂を持っていたら、《太陽の星輝石》も受け入れてくれるはずよ」
「う〜ん」そう言われると、納得せざるを得ない。
 あまり悩んでいる暇はなかった。
 考えているうちにスロー再生が解け、スクリーン状のカートが獣人ラーリオスに変身して、スーザンに襲いかかる。
 慌てて巻き戻そうかと思う間もなく、ぼくの左手はハートの宝石(ジュエル・オブ・ハート)をむさぼるように吸収し始めた。
 全身がカーッと熱く燃え、穏やかな光と安らぎに包まれる。
 まるで、昔のカートの人間性を、今のぼくが奪い取ったような罪悪感をかすかに覚える。
 だったら、その分、昔のカートを助けてやらないとな。
 そう考えることで、自分を納得させた。

 カートが獣人ラーリオスになったことで、映像の視点がトロイメライに切り替わった。
 これはおそらく、いっしょに鑑賞しているトロイメライの影響もあるのかもしれない。
 ぼくの記憶のはずなのに、スーザンやトロイメライのやりとりが丁寧に描かれているのも、複数の思念が入り混じっているからだ。
 やがて、記憶のとおり、獣人がトロイメライの結界に封じられた。
『あなたはわたしの姉みたいな人で、術の師匠でもあった』
 しばしの余裕ができたスーザンが、トロイメライに詰問する。
『信じていたのに、どうして裏切ったの? 本気で《闇》に魂を売ったりしたの?』
『星王神が人に幸せをもたらさないからよ』トロイメライはそう答える。
『犠牲を強いる神など、私は望まない。スー、妹みたいに思ってきたあなたを犠牲にしたくはないのよ。だから、あなたの敵対相手になるかもしれないオリバーにも接触した。どういう人間か見極めるためにね。つまらない人間だったら、あなたが彼を殺して終わる、という選択肢もあった。でもね、彼は思っていたよりも純粋だったのよ。そういう人間の命を奪って、あなたが星霊皇の後継者になったとしても、何かが間違っている。私にはそう思えてならない』
 その後も、スーザンとトロイメライの議論は続き、改めてぼくはそれぞれの言い分を考えた。
 スーザンは星霊皇を崇拝し、その意志を受け継いで、《闇》すなわち邪霊を再封印することを目指している。世界の害になるものを排除するという考えは、いかにも過激な正義思想で、一神教の二元対立に基づいているように思える。
 一方のトロイメライは、《闇》をしっかり統制することで、世界の秩序を保とうとしている。《闇》の全てを単純に悪と見なしているわけではないのだ。
 そして、トロイメライはスーザンを説得しようとしたけれど、拒まれた。
『わたしに《闇》に下れと? そんなバカなことを言うなんて、そこまで堕落しきっていたの? 誇り高き《影の星輝士》ともあろう人が信じられない』
『あなたがダメなら、オリバーに話を持ちかけるわ。この坊やの方が、先入観なく受け入れてくれそうだし』
 その結果、紆余曲折を経て、ぼくはトロイメライの同志、《暗黒の王》となった。

「どうして、この時点で、星霊皇クリストファーとの関係をスーザンに伝えなかったんだ?」ぼくはかたわらのトロイメライに問いかけた。
「君はかつてのシンクロシアで、ゾディアックのルール違反を犯したのはクリストファーだった。星霊皇が過分にも星王神の力を奪いとったってことを、スーザンに伝えていれば、もしかすると説得できたかもしれないじゃないか」
「嘘つきと決め付けられて終わりね」トロイメライはそう応じる。
「人は自分が信じたいものを信じる。悪いのは星霊皇で、私の方が被害者だと訴えても、スーが信じるはずもないわ。それに今のゾディアックが虚構に満ちた組織だと伝えた場合、スーの中でも拠るべき自分(アイデンティティ)を見失ってしまう可能性がある。何しろ、あの娘はゾディアックの中で育ってきたのだから。説得するにしても、段取りというのが必要だったのよ」
「説得の余地はあるのか?」
 ぼくはスーザンを失いたくない。
 ピース・オブ・ハートを取り込んだことで、再び彼女への思慕がふくらんでいることを自覚した。
「星霊皇に代わる思想の柱を、あなたがスーに伝えることができたなら」
 それはまた難しそうだ。
「あるいは、あの娘の心の闇を突いて、うまく支配するという手もあるわね」
 そっちの方が簡単……って、ダメだろう、それは。
 少なくとも、カート・オリバーのやり方じゃない。人の自由意思は尊重しないと。

『星輝転装!』
 スクリーンのスーザンが右手を高々と天に掲げた。
 頭上の満月から光が降り注ぎ、魔法陣にも似た五芒星を描いて彼女の体を包み込む。
 身につけた衣が光の中にスーッと溶け、一瞬、透き通った少女の裸体が浮かび上がる。
 しかし、すぐに革めいた感触の黒い装衣が身を覆い、その背中からバサッとコウモリめいた翼がひるがえる。
 頭部から突き出す、ねじれた二本の角。
 すらりと伸びる手足の先で、禍々しい光を放つカギ爪。
 スーザンの姿は、女悪魔のそれだった。
『なるほど、それがあなたのイメージのシンクロシアというわけ?』映像のトロイメライが面白そうに笑みを浮かべる。『やっぱり、《闇の女王》にふさわしいわ』
『ち、違う……。わたしはこんな姿、望んでいない』自分の変化にうろたえるスーザン。『シンクロシアはもっと神々しく光り輝いているはずよ』
『覚醒し損ねているのは、ラーリオスだけじゃない。未熟なのは、あなただって同じみたいね。その姿が何よりの証拠だわ。スー、あなたは口では星王神への信仰を説くけれども、その内面では《闇》に惹かれる気持ちも強く残している。あなた自身、気付いていないかもしれないけどね。人はそう簡単に暗い感情や欲望と無縁ではいられないの。あなたは自分の中のそれを見ないようにしているだけ。そんな不安定な気持ちがそのまま反映されたシンクロシア。安心したわ。まだ、あなたにも付け入る隙があったということね』

「これはどういうことなんだ?」ぼくはトロイメライにたずねた。
「君は、スーザンまで邪霊憑きに変えていたのか?」
「残念ながら、違うわ」トロイメライは冷ややかに答える。
「残念ながら……って、それを望んでいると言うのか?」
「あなたはどうなの、オリバー?」
 逆に質問を返された。
「ぼくは……スーザンと戦いたくない。それは分かっているはずだ」
「だったら、あの()を邪霊憑きにして、共に闇の支配者として君臨すればいい。そのために、あなたは《暗黒の王》の道を選んだのではないかしら?」
「ぼくは……」
「忘れているなら、あなたが《暗黒の王》に覚醒した夜に言ったことを繰り返すわ。『魅了(チャーム)の術で人の心を(もてあそ)んだ報いを与え、絶望と後悔の末に、ぼくたちの世界に引き込む。それこそが《闇》の計画』と、あなたは宣言していた」
「それは……」
 一瞬、そんな恐ろしいことを言ったろうか、と首を傾げたけれど、右手を胸に当てると、確かに言ったような気がする。
「ええと、それはぼくの誤解だ。スーザンの魅了(チャーム)の術は失敗していたんだから、前提条件が違っている。報いなんて与える必要はない。絶望と後悔なんて望んじゃいない。ぼくはスーザンを愛しているんだ。だから……」
「だから?」
「彼女とともに未来を歩みたい!」
「よく言えました」トロイメライが微笑を浮かべて、拍手して見せる。
 たぶん、現実だと気恥ずかしくて、顔から火が出ていたろう。
 だけど、その時、スクリーン上のシンクロシアが、ぼくの心に水を差した。
『それ以上の言葉は無意味よ』ピシャリと言い放たれて、ドキリとする。
『闇を倒すことで、わたしは光を取り戻す。これも試練の一つ』
 そして、宣言された。
『大いなる戦いの始まりよ!』

 獣人姿のラーリオスと、女悪魔の姿をしたシンクロシアが、生い茂る夜の森を背景に戦っていた。
 一方は人としての心を砕かれ、戦いを強要される呪いと本能の奴隷。
 もう一方は、見失った姿を取り戻すために闇を断罪する執行人。
 この戦いに理はない。
 ただ、未熟さと運命のいたずらによって引き起こされた虚しいものに過ぎない。
 どうやったら、止められる?
 カートの心に人間性を呼び起こしたらいいのか?
 カートはそれでいい。
 だけど、スーザンは?
 この戦いは、スーザンが望んだものだ。
 ただ、彼女が望んだのは、聖なる儀式に基づく厳粛なもの。
 光輝なる戦士が互いの誇りと名誉をかけて、正々堂々と雌雄を決する戦いのはず。
 あるいは、光と闇の大いなる戦いであってもいい。
 だけど、目の前で行なわれているのは、獣と悪魔の原始の衝動に満ちた、もっと野生的な闘争だった。
 どこで歪んだのだ?
 いや、誰が歪ませたのだ?
 星霊皇?
 それともトロイメライ?
「スーザンを《闇》に引き込んだとしても……」ぼくはかたわらのトロイメライに問いかけた。
「その後、君はどうするつもりだ? 星霊皇の封印は解け、世界中に邪霊が溢れるんじゃないか? 君の計画は、こんな獣と悪魔の闘争に満ちた闇の世界を作ることなのか?」
「誰も支配する者がいなければ、そうなるのでしょうね。破壊と混乱に満ちた魔の世界。そこでは、人の文明など、何の意味も持たない。私がそんなものを望むと思う?」
「思わない」ぼくはかぶりを振った。「だから、君を信じて従ったんだ。だけど、君が本当に世界をどうしたいのか、それが読めない」
「あなたは、どうしたいの?」
「話したはずだ」そう言ってから、考え直す。「いや、君には話してないか。カレンやバトーツァに伝えただけで……」
「私の望みは、クリストファーの魂の解放。彼の役割は、もう終わったわ」ぼくが答える前に、トロイメライが言葉をつないだ。
「その後は、私が果たせなかった神の役割を引き継いで、次代の星霊皇を補佐すること。次代の星霊皇は、あなたとスーザン、どちらでもいい。むしろ、二人で役割分担することを推奨するわ。そうすれば、人の世界も、邪霊の世界もうまく支配できるのではないかしら」
 彼女の口にした理想は、大いに納得できるものだった。
「ぼくの望むのは多様性だ」こちらも、バトーツァに語った展望を繰り返す。
「白と黒の二つに分断されることなく、適度に調和した色彩豊かな世界。支配者は君臨するのではなく、調停役として陰からそっと管理する。光と闇のどちらを選ぶこともせず、天秤(バランサー)として機能できれば、あとは世界の住人の自由意志を尊重する。そんな世界の構築を目指せないだろうか?」
「理想としては悪くないわね」トロイメライはうなずいてから、
「具体的に何をするか、現実的な計画を考えないといけないけど」と続ける。
「あれを立てれば、これが立たず。何を尊重して、何を切り捨てるか、そういう判断ができなければ統治なんてできない。当然、あなたの選択に反対する者は出てくるし、そういう相手をどう納得させて事を進めるか、あるいは中途半端でも妥協するか、政治的手腕が問われることになる。万人が万人とも満足し、幸福にできる世界なんて絵空事よ。うまく調整するには、より見識を高め、力を付けないといけない」
「分かっているさ。帝王学とか、学ぶことが多いってこともね。だけど……」
 ぼくは、なおも続いている獣と悪魔の戦いに視線をやった。
 空中から舞い襲う月の悪魔(シンクロシア)に対して、防戦一方の太陽の獣人(ラーリオス)
『戦いは一方の勝ちでは終わらない』映像の中のトロイメライの言葉が、不吉に響く。『どちらも傷つき、勝った方も痛みを抱えて苦しみ続けることになる。さあ、どうする、ラーリオス?』
「こんな不毛な戦いを始めないために、ぼくは今まで力を付けたんだ」思わず、映像の問いかけに対して、答えてしまった。
 気を取り直すために、かたわらのトロイメライに向けて言葉を続ける。
「これからだって、必要なら何でも学んで、吸収し、受け止めてやる。ぼく一人で足りないのなら、仲間の絆を力に変えればいい。何よりも大切なのは、不可能を可能にする強い信念、意志の力、そうでしょう?」
「青臭い考えだけど、心構えは否定しないわ」トロイメライは微かな笑みをこぼした。苦笑いにも受け取れるけど、どっちでもいい。
「それで十分じゃないってことも分かっているさ」勢いづいたまま、さらに言葉を重ねる。
「だからと言って、意志がなければ、何も生まれない。そのために、ピース・オブ・ハートを手に入れたんだから」
 自分の左胸に手を当てて、そこにある力の脈動を感じとる。
 愛と、勇気と、正義。
 星輝士の力の源となる信念、想いの力を意識しながら。
「そういう純粋さは、変わってないのね、カート・オリバー。嫌いじゃないわ」
 ふわりと答えると、少女特有の悪戯っぽい笑みを残して、画面に向き直った。
 わずかな言葉のやり取りの間に、映像の中の戦いは終わりを迎えようとしていた。

 飛翔していたシンクロシアが、投槍の攻撃で墜落する。
 とどめを刺そうと、ラーリオスが森を駆ける。
 止めないと。
 映像に注意を戻したぼくは、とっさに干渉したい気持ちに駆られたけれど、すぐに冷静さを取り戻す。
 過去の夢の記憶を改変しても、ただの自己満足でしかない。それで現実が変わるわけでないことは分かりきっていた。
 悲劇を受け止めるために、画面を注視する。それが心を強くするために必要な試練だと思い定めて。
 獣人視点の映像が、木々の間を突っ切っていき、やがて変身の解けた血塗れの少女に到達する。
 負傷に耐えながらハァハァとあえぐ声。
 にらみつける気丈な瞳。
 しかし、抑えがたい怯えと哀しみが、こちらにも伝わってくる。
『カート、おねがい。元に戻って』
 懇願する声も間に合わず、カートの獰猛な牙はスーザンに致命傷を与えた。
 カート視点の画面が、涙でにじんだ。
 静けさの中、嗚咽(おえつ)が漏れ聞こえる。
『カート……』スーザンの弱々しい声。『良かった。元に戻ったのね……』
『スーザン! 一体、何があった?』事態を把握できないカート。
 だけど、この時、自分が取り返しの付かない過ちを犯した、と察してはいたのだ。夢にしては生々しい感触を受けて。
『まさか、負けるとは思ってなかったな』力ない微笑を浮かべるスーザン。『わたしはもうダメ。夢を維持できない。あなたは早く逃げて』
『スーザン、何を言ってるか分からないよ。しっかりするんだ』
『これは夢なの。泣くことなんてないわ。カート、あなたも強くなって。自分を見失わないように。わたしもそうするから。次は、もっときちんとした形で戦いましょう』
『いやだ、スーザン。戦いなんて、君を失うなんて、ぼくは望まない』
 そのカートの言葉は、今のぼくの気持ちと変わりない。
 そう、あれから、いろいろな経験をして、一度は戦う覚悟も決めたはずだった。だけど、スーザンを愛する心、ピース・オブ・ハートを取り戻してみると、そんな覚悟も消え失せていた。
 愛が心を弱くしたのか? まさか……。
 そのとき、映像に浮かぶものがあった。
「まさか……」違う意味でつぶやきを漏らすと、即座に行動に移る。
 再び、左手をスクリーンにかざして、巻き戻した映像をスロー再生した。

 抱きしめるカートの腕の中で、スーザンの肉体は光の粒子となっていく。
 そのまま辺りの空気に溶けるように消えていく刹那、ぼくのアストラル視覚は、スーザンの心を「(あお)いハート型の宝石」として、とらえた。
 状況を穏やかに受け止めたような末期の言葉とはうらはらに、ガラスのように砕け散る心の象徴。
「心が打ち砕かれたのは、ぼくだけじゃなかったのか」
 スクリーンに左手を伸ばすと、画面からもう一度、新たなハートの欠片(ピース)を召喚する。
 異形の左手で受け止めようとしたけれど、スーザンの心を闇にさらす危険性に気付いて、受け手を右に切り替える。
 星粒のような欠片を、すぐに元のハートの宝石(ジュエル・オブ・ハート)に再構成した。
 ぼくの右手は、貪欲な左手と違って宝石を吸収することなく、精巧な結晶を保ち続ける。
「スーザンの心の精髄か。こんな物まで手に入るとは思わなかったな」見とれながら、そう、つぶやく。
「うまく使えば、私たちの切り札になるわね」トロイメライが興味深そうに覗き込む。「どう使うつもり?」
「考えていない」正直に答える。
「元々は、自分に欠けているものを補うだけのつもりだったんだ。スーザンの心まで、不完全な状態になっていたとは思わなかった」
「それがなければ、スーは……シンクロシアとして覚醒できないかもしれないわね」
「そうなのか?」トロイメライにたずねる。
「根拠はないわ。あなただったら、欠けた心でどう感じた?」
「心が欠けていたなんて、実感したこともないな」肩をすくめる。「強いて言うなら、愛情の念が次第に薄れていったような……。自分を維持できず、周りに流されやすくなったというか……」
精神支配(マインド・コントロール)に掛かりやすくなったとか?」
「そういう心当たりがあるのか?」ぼくは、トロイメライに疑念の目を向けた。
「まさか。私はあなたの心をいじったりはしていない。精神防壁(マインドブロック)で、外からの干渉を妨げられていたことは話したでしょう? あなたが《異質な闇》を受け入れて初めて、接触がかなうようになった。その後は、あなたの理解が早くて助かった面もあるけど……」
「理解が早いというか、君の言葉を疑いもせずに順応していったというか……」
「今はどうなの?」トロイメライは鋭い視線を向けた。
「分からない。ピース・オブ・ハートのおかげで、スーザンへの愛情の絆を取り戻せたとは思うけど。スーザンの方はどうなんだろう? これがなければ、ぼくとの心の絆が弱まって、儀式が失敗するとか?」
「いろいろ実験しないと、正確なことは分からないでしょうね」
「よけいなことはせずに、元あったところに戻すべきだと思うよ。他人の心を操作するのも、操作させるのも望ましくはない」
「そこがあなたのいいところであり、いまいち煮えきらないところよ」そう言って、トロイメライは溜め息をついた。「私がクリストファーの心をこういう形で手に入れたなら、喜んで私の色に塗り替えるんだけど」
「君は、他人の自由意思を尊重するんじゃないのか?」ぼくは責めるような目を相手に向ける。
「もちろんよ。相手の心を操って、一時的に愛情を得たと思い込んでも、それは虚しいと思うから。だけど、自由意思を重んじた結果、私を裏切って命を奪った相手に対しては、そういう原則だけじゃ収まらない感情もある。人並み以上に執念深くないと、肉体を失ってなお、存在を維持することなんてできないもの。それに愛と憎悪は紙一重。綺麗事だけで済ませられたら、楽なんだけど……」
 う〜ん、トロイメライでさえ、これか。
 スーザンの心、という物品を手元に残しておくと、ぼくだって誘惑に駆られて、何をしでかすことになるか。
 考えられるのは、カレンの中にスーザンの心を取り入れて、理想の恋人に仕立て上げることだ。それは、カレンの人格も、ラーリオスの儀式も踏みにじる行為だと分かっているけど、ややこしいことから逃げたい場合には、手近な餌に飛びつくことだって有り得る。
 それに、ぼくじゃなくても、ぼくの中に封じているカレン・ノワールがスーザンの心に手を出す危険性も想定しないと。
 スーザンの心をぼくの色に染めて、自分の思いどおりに動く人形にするつもりなら、いくらでも活用できるお宝と言えるけど、そういう選択を望まない場合、よけいな重荷となりかねない。
 そこまで考えた末に、ぼくは決断した。
「トロイメライ、できれば、このハートの宝石(ジュエル)をスーザンに返してきて」
「どうして私に言うの?」
「ぼくからスーザンに接触することはできない。君だったら、何とかなるかもしれないじゃないか」
「無理よ。スーは私に心を閉ざしている」
「このハートが、鍵になるかもしれない。これを返すことで、ぼくの想いを彼女に伝えられるなら、試してみる価値はあると思うけど」
「お人よしで、バカで、楽天的、としか言いようがないわ」
「お人よしで、楽天的は認めるけど、ぼくはバカじゃない。いろいろ考えての結論なんだ」
「何をどう考えたか知らないけど、私だったら、こんなに大切なものを他人に預けたりはしないわよ。実験材料にされるかもしれないんだし」
「君だって、スーザンを可愛がっているんだろう? 本気で実験なんてするつもりなのか?」
「まさか」トロイメライは肩をすくめた。「《暗黒の王》として、そう簡単に他人を信じない方がいい、という話よ」
「この件に関しては、《暗黒の王》として、ぼくは自分が一番信用できない。欲望をそそる物が近くにあったら、取り返しの付かない過ちを犯してしまいそうだ。何しろ、ぼくは聖人とは程遠い思春期の男(ティーンエイジャー)なんだからね。自分の中の獣を押さえきれるかどうか、分かりやしない。冷静で経験豊富な君の方が、よほど信頼できる」
「私を信用することが間違いだなんて言うつもりはないけれど……」トロイメライは珍しく、微妙に言いよどむような口調になった。「あなたは私に大変な重荷を押し付けようとしている。スーザンの心を受け取ったら、私がそれをどう扱うか、少し考えてみた方がいいわよ」
「……それでも、ぼくは君を信用している。じゃなければ、心の中に立ち入らせたりするもんか。君の導きがなければ、運命に抗う(すべ)も知らずに、破滅へ一直線だったかもしれないんだし……」
「《暗黒の王》として導いた結果が、こんなお人よしで、楽天的なバカにしかならないんじゃ、私は自分の指導能力を疑うしかないわね」
 そう言って、黒髪の妖精めいた少女はプイと顔を背けて、再び画面に向き直った。
「ほらほら、いつまで、のんびり流してるの。早く、元の速さに戻しなさい」

 画面上では、ぼくとトロイメライがまだ口論していた。
 スーザンを殺してしまったぼくが、その責任をトロイに押し付け、さんざん罵った挙句、夢の世界の崩壊に巻き込まれていく様子がスローで展開していた。
 元の速さに戻すと、カートは闇と炎に包まれ、その後、場面が切り替わって、虚無の世界を漂うこととなった。
 獣人を殺したカートと、その様子を記憶映像で観察していた脱走前のカートが時空を越えた会話をかわし、それをさらに時経て《暗黒の王》となったぼくがトロイメライと鑑賞している、ややこしい入れ子構造のような状況。
 過去の自分同士のトンチンカンなやりとりの果てに、脱走前のカートの思念が流れる。
『トロイメライの助けを求めるしかないな』
 そして、思念カートが状況の全く分かっていない錯乱カートを適当にあしらい、昔のトロイの気配を探り当てる。
『トロイメライ、そこにいるのか?』
「私はここよ」ぼくのかたわらのトロイメライが不機嫌につぶやく。「何、この場面。何がどうなったのか、誰が喋っているのか、ちっとも分からない」
 確かに、暗闇の中でセリフのやりとりが流れるだけだ。
『誰、この気配? まさか、オリバー?』
『そうだ』
『そんなはずないわね。あの坊やが、この空間で私に交信を送ってこれるはずがない。星輝石だって持っていないのだし……』
『カート・オリバーはここにいる』
『それを知らせてくれるなんて……あなたは誰なの?』
『誰でもいい。今の状況を理解している者とだけ言っておこう』
「自分一人だけ理解していないと、きちんと説明しなさい」
 不機嫌にセリフに反応するトロイメライ。
 この映画を編集した人間は、どうも観客の立場で映像表現するセンスに恵まれていないようだ……って、それはぼく自身じゃないか。
 せめて、思念体のぼくがCGを使った半透明な姿で、トロイと会話をかわす描写にしないと伝わらない。
 とは言え、今さら記憶映像を修正するつもりもない。
 ただ隣で愚痴られていると、気が散って仕方ないので、一度、画面を静止させて、状況を説明してやることにする。
「私のいないところで、何をややこしいことに手を出していたのよ」一通り、理解した後で、トロイメライは容赦なく苛立ちを示した。
「これだから、あなたは想定外のトラブルメーカーって呼ばれるの。目が離せないったらないわ」
「だから、何とか状況を取り繕おうとしているんじゃないか」
「あなた一人に任せられないわ。自分のことは自分でやる。画面をゆっくり流してみて」
「ああ、何をするつもりだ?」
「昔の私に呼びかける。あなたは、私の声が彼女に届くようにして」
 どうすればいいんだ、と思いながら、適当にそうなるよう念じてみた。
 自分の精神世界だから、やってみれば何とかなるものだ。
「おおい、そこにいる私、聞こえる?」トロイメライは画面に大きな声で叫んだ。
『今度は誰? この空間じゃ、いろいろな思念が渦巻いているみたいね。厄介なこと』
「私よ、私。トロイメライ、ナイトメア、リン・マーナオ、かつてのシンクロシア、生前の名前はロゼマリア。ここまで言えば、賢い私なんだから伝わるはずよね」
『誰よ、あなた。人の名前を気軽に呼ばないで』
「あら。私が自分の名前を呼ぶのは勝手でしょう? あなたは私、私はあなた。それぐらいのこと、すぐに理解しなさいよ。わざわざ時を越えて、メッセージを送ってあげてるんだから」
『時を越えるですって? バカバカしい。この500年、そのような術を行使した者は、私の知る限り存在しないわ。妄想に駆られるのも程ほどになさい』
 どうして、自分同士の会話で、こうも噛み合わないんだ?
 昔のカートが特別、察しが悪いのだと思ったけど、トロイメライだって大差はないようだ。ぼくは横槍を入れることにした。
「トロイメライよ。ぼくは未来のカート・オリバーだ。ラーリオスの力で、時空を越えた通信を送っている。未来の君もここにいて、協力してくれているよ」
『もしかして……』昔のトロイの声が畏怖に震える。『《闇》の導き手? 《暗黒の王》?』
「ああ、察しがいいな。君を《異質な闇》の導き手として、遠からずカートは覚醒し、《暗黒の王》となる。今はまだ無知に見えるかもしれないが、それだけの資質を備えた存在だよ、カートはな」
『ふうん、そういうこと』昔のトロイはそれで納得してくれたようだった。『なかなか面白いわね。近い将来、そんなことが起こるだなんて……』
「どうして、オリバーの話は素直に受け入れるのよ」ぼくの横のトロイメライは小声で不平を漏らす。
「誰だって、自分自身と会話をかわすなんて経験はないから、落ち着かないんじゃないか? 妄想とか、幻覚だと思いたくなる」
「ドッペルゲンガーに接して、混乱するようなものかしら」何とか自分を納得させると、トロイメライは映像の続きをうながした。
 再生速度を戻してやる。
『何の話だ?』カートの思念は、漏れ聞こえたトロイメライの反応の意味が分からず、そう問い掛けてきた。
『もうすぐ分かるわ。将来の《暗黒の王》よ。今から、我が主(マイロード)とお呼びしましょうか?』含み笑いを込めて、昔のトロイがそう告げる。
『何とでも呼ぶがいい』カートの思念には、憮然とした想いが感じとられた。

 その後、カートの思念は昔のトロイと何とか協力しながら、虚無世界から無知なカートを救い出すことに成功した。
 ぼくたちは特に介入することもなく、記憶どおりの成り行きを見守るだけだった。
 これで全てが終わったと思ったとき、暗転した映像から声だけが聞こえてきた。
『《暗黒の王》、まだそこにいるのかしら?』
 昔のトロイが交信を呼びかけてきている。
「《暗黒の王》は、もうお休みよ」かたわらのトロイメライがすかさず答えを返した。
「時空を越えた交信には、ひどく力を消耗するの。時間はあまり残っていない。用件があるなら、手短に済ませて。何もかも説明するわけにはいかないのだから」
『あなたが未来の私? 本当なの?』
「今さら分かりきったことを聞かないで。時間の無駄というものよ。質問はあと2つにしなさい」
『その冷たさといい、秘密めかしたところといい、自分だってことは十分すぎるほど分かったわ。他人だったら呪い殺したいぐらい。では聞くわ。あなたはどうやって、過去に介入しているのかしら。やり方を教えてくださる?』
「その時が来たら、オリバーに聞きなさい。私だって、よく分かってないんだから」
『思ったより、使えないわね。それでも私なのかしら。だったら大事な質問よ。その時って、いつ来るの? オリバーが《暗黒の王》に覚醒するきっかけは?』
脱走(エクソダス)の後だ」ぼくが口をはさんだ。
『今の声は《暗黒の王》? お休みだなんて、嘘をついていたの? 脱走(エクソダス)って何?』
「質問は終わりよ。ラーリオス様、交信を切って」
『ちょ、ちょっと、話はまだ終わってないわ。脱走(エクソダス)を経て、ラーリオスが《暗黒の王》として覚醒する。それに備えて、私は何をすれば……』
「自分で考えなさい。私はそうしたわ」小声でつぶやいたトロイメライが、ぼくに鋭い一瞥を向けた。
 彼女の意思に従い、記憶の再生を終了する。
「最後のやりとりは、ぼくの記憶じゃない。君の記憶が混ざったのかな?」
「たぶん、そうでしょうね。確証はないけど……」
「昔の自分相手だったら、もっと丁寧に接した方が良かったんじゃないかな?」
「あなただって、丁寧に対応していたようには見えなかったわよ」
「それは……よけいなことを喋ると、いろいろと齟齬(パラドックス)がうまれると思ったから……」
「必要最低限の介入に留めた、と」トロイメライが、こちらの言葉を引き継いだ。
「過去への介入も、他人の記憶の操作も辻褄合わせが大変ね。雑なやり方だと、相手の世界の秩序を壊しかねない」
「ああ。慎重にしないとな」ぼくはうなずいてから、話を切り替えることにした。
「とにかく、これで約束の一つは果たしたわけだ。『過去への交信方法を教える』って」
「そうね。だけど、私自身のためには使えないと思う」
「どうして?」
「あなたのやり方は、自分の肉体に残った記憶を媒介にする必要がある。私の生前の肉体は、とっくに朽ち果てているわ。ワルキューレや、ナイトメアの過去に干渉することはできても、今となっては私自身の人生に、未来からの啓示を送ることはできない」
 確かにそうか。
 トロイメライが死んだのは、500年前。
 その肉体が失われてしまえば、記憶の円盤(メモリー・ディスク)を作ることだって、できないだろう。
「再生できるのは、君が憑依しているカレンや、リン・マーナオの肉体の記憶だけということか」
「そう、ロゼマリア、つまり私の生前に接触できれば、クリストファーの裏切りについても、警告できるのだろうけど。もちろん、私のことだから、そんな警告があっても、幻聴とか気の迷いと断じて、笑い飛ばしているでしょうね。実験で証明できないことに対しては、懐疑的だったから。それに、やっぱり、クリストファーのことは信じていたし……」
「遠すぎる過去には干渉できないのか……」自分の能力の限界を思い知った。「だけど、未来は変えられる。運命は一つじゃない。そうだろう?」
「当然、私は運命論者じゃないから、そう考える。それに、あなたが私を信じて、何とか神に奉じてくれるなら、私は力を得て役割を果たす。それが過去の過ちを正し、幸福な結末(ハッピーエンド)へ至る道。あなたとスーが、うまくそういう選択をすることを、私は期待しているわ」
「ああ、そういうことは、ぼくだけでなく、スーザンにも伝えないと」言葉を重ねて、ようやくトロイメライと想いが通じ合ったような気がした。
「だから、これ」右手に携えたままの、蒼いハートの宝石(ジュエル・オブ・ハート)を差し出す。
「重荷かもしれないけど、君に託すしかないんだ。スーザンに、このハートをきちんと届けて欲しい。こっちは相手の心を奪って、支配することなんて望んでいない。フェアな気持ちで向かい合いたい。その上で、彼女にもこっちの想いを伝えることができれば……」
「あなたの想いは受け取ったわ」言葉とともに微笑をこぼし、かつてのシンクロシアは、宝石を手にとった。
「じゃあ、行くわね」

 こうして、ぼくの師の一人である《影の星輝士(ナイトメア)》、かつての《月の星輝王(ロゼマリア)》にして、《異質な闇の導き手》であったトロイメライは、ぼくの精神世界を後にした。
 しかし、彼女が去って一人取り残された後で、不意に疑念が持ち上がる。
『トロイメライを信じるのは結構だし、互いに利用し合っているうちはいいが、信じ過ぎると甘言に騙されて操り人形に堕してしまう危険も覚えておくことだ』
 ラビック・ノワールの囁いた言葉。
 彼は、トロイメライが19世紀に星霊皇の力で封印された邪霊の長の寵妃(きさき)だった、と語っていた。
 遅ればせながら、その件について、直接トロイメライに問い質すべきだと思った。
 星霊皇を倒すことが、仮に邪霊の長なる存在を復活させることであるならば、トロイメライはどう対処するつもりなんだろうか? 
 うまく支配下におけると考えているのか? 
 危険な存在は、やはり封印しておくべきではないのか? 
 まかり間違えれば、こっちが逆に支配されたりはしないだろうか? 
 それとも、トロイメライの本当の目的が、万が一、邪霊の長の復活であるならば、ぼくはどうすればいい? 
 そこまで、考えを突き詰めてから、ぼくは思い直した。
 次にトロイメライと接触したときに、確認すればいいじゃないか。
 疑心暗鬼に囚われて、信ずべき相手を信じないのは、カート・オリバーらしくない。
 そう、きちんと話をすれば、疑念は晴れるはずだ。
 こっちは、次の機会を待っていればいい。

 だけど、次の機会が訪れることはなかった。
 この後、トロイメライとぼくの接触は断たれることになったのだ。
 運命が定まるラーリオス覚醒の儀式の夜になるまで。


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