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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(5−2)


 
5ー2章 ラ・ピュセル・ブランシュ

 ほのかな緑の香りが、鼻腔をくすぐった。
 出口の見えない悪夢の中から解放されたような錯覚。
 腕に抱きしめた人肌の(ぬく)もりを味わおうとして、何の手応えも感じられないことに気付く。
 冷ややかな空気だけをかき抱くことになって、急速に意識が覚醒する。
 不安な気持ちで、ゆっくり目を開ける。
 寝台にいたのは、自分一人だった。

 カレンは? 
 肩すかしを食らった気分で、視線をかたわらに向けると、左手に白ローブの女性の姿があった。かたわらの椅子に腰かけたまま、瞳を閉じている。
 眠っているのか?
「カレン……」乾いた喉で名前をつぶやくと、彼女はピクリと動いて瞳を開いた。
 黒ではなく、澄んだ青い瞳に、心が洗われる気分になる。
「起きたのね」静かな口調には、どんな感情もこもってはいなかった。ただ、事実をそのまま口にしただけの事務的な響き。
 ぼくはかすかにうなずいて見せて、身を起こそうとした。
 だけど、力が入らない。
 体が麻痺しているのか? 
 疑惑の目をカレンに向ける。
 怒りに駆られて一思いに殺すのではなく、身動きを取れないようにして、じわじわと追いつめるつもりなのか? 
 それなら、体内に入った毒物を早く浄化して、対応しないと……。
「どうされました?」焦りが表情に出たのか、カレンが何食わぬ顔でたずねてくる。
「説明が必要なのか?」ぼくはノワールに対するときのような冷ややかさを言葉に込めた。
「いろいろと。そのために目覚めるのを待っていたのです」
 カレンの返答は、ぼくの予想とは少し違った。もっと悪意ある回答が返ってくる、と思ったのだ。
「その前に教えてくれ。どうして、ぼくは動けないんだ?」
「動けないって?」
 カレンが問い返す。彼女の仕業じゃないというのか?
「力が入らない」ぼくは正直に打ち明けることにした。「癒しが欲しい」
「ご存知のはずでしょう? 今は、私も消耗していて、力が使えないって」
「ああ、そうだったな」ぼくは横たわったまま応じた。
 力が使えないなら、植物の麻痺毒を盛ったのも、カレンではないということか。
 では、誰が?
 そこまで考えてから、はっと気付いて、ぼくは苦笑した。
 毒を盛られた、という前提が間違っている。
 カレンの言葉にあるとおり、ぼくもまた消耗しているのだ。
 何しろ、精神世界の中で一晩中いろいろと活動してきた。自分でも気付かない間に、相当なエネルギーを使ってきたのだろう。その精神的疲労が肉体の方にフィードバックしているのではないか。
「どうやら疲労が蓄積しているだけのようだな」
「ずっと眠っていたのに、ですか?」カレンの口調はいぶかしげだ。
「ただ眠っていたわけじゃない」ぼくはその夜のことを簡単に説明することにした。
「まず、封印した邪霊をおとなしくさせるために、いろいろやり合った。次に、過去の世界に介入して、自分の力を高める象徴となる物品(シンボル・アイテム)を手に入れた。最後に、ジェダイの騎士を間違って石に変えてしまって、解除するのに一苦労した。これが、ぼくの一晩の冒険さ」
 そこまで一気に語ってから、皮肉っぽく問いかける。「君なら、信じるかい?」
 たぶん、ぼくなら信じないだろうな、と思いながら。
 説明が杜撰すぎるし、内容も荒唐無稽そのものだ。
「信じるわ」
「え?」ぼくはカレンの顔をまじまじと見つめた。
「そういう夢を見たって話でしょ?」無邪気な笑顔で、そう応じられた。
「ああ、夢と言えば、夢なんだけど……」決まりの悪い思いで言葉を返す。どう説明すればいいのか、そもそも説明の必要があるのか……。
「でも、ただの夢なんかじゃない。そう、おっしゃりたいのでは?」カレンが、こちらの言いたいことを察してくれた。
 ぼくは何も答えず、うなずくだけにして、彼女の言葉の続きを待った。
「霊感に優れた者の夢は、世界の真理に触れ得ると聞いたことがあります」
 瞳を閉じて数瞬、彼女は穏やかな目をこちらに向けると、講義口調に切り替えた。
「あるいは、神の声は夢の啓示で与えられるとも。多くは、ただの妄想、独り善がりの思い込みに過ぎないのですけどね。ただ、夢が個人の精神状態を読み解く鍵になることは、学問的にも研究されていて……」
「知ってる。フロイトだな」長くなりそうな講義を途中で(さえぎ)る。「だけど、夢が真実かどうか、そういう話をしたいんじゃないだろう?」
 カレンの顔が一瞬こわばった。少しためらった後で返答する。
「いいえ、そういう話がしたいんです、私は」

 少し考えて、過去に出向く前、トロイメライが言っていたことを思い出す。
「悪夢を見たそうだな」
 確か、ぼくがノワールと接触した余波か何かで精神的に不安定になったとか。
「どういう内容なんだ?」
「それは……」カレンはぼくの顔を見て、言いよどんでいるようだ。
 ぼくは彼女の顔から目をそむけ、考えを整理するのを待つことにした。
 しばらくして、ためらいがちな言葉が返ってくる。
「本題に入る前に、一つ確認しておきたいことが……」
「何だ?」ぼくは顔を向け直した。体を起こせないのがもどかしい。
「ラーリオス様は……私とどういう関係だったのですか?」そう問いかけるカレンの表情は、生娘(きむすめ)のように恥じらう様子で、紅潮していた。
 今さら一体、何を聞いてくるのやら。
 改めて、どういう関係と言われても……。
「基本的には、主従関係だな。神学教師と生徒とも言えるし、姉と弟のように考えたこともある」
「そ、それだけじゃなくて……」ますます赤面の度合いが高まる。「も、もっとこう、愛情で結ばれた関係というか……」
「何が言いたい? はっきり言え」まどろっこしいやりとりは、うんざりだ。
 カレンの朱に染まった顔が、意を決したかのように輝いた。
「ラーリオス様は、私のことを、そのう、一人の女として、愛してくれていたのでしょうか?」
 続いて、まくしたてるような勢いで、言葉をかぶせてくる。
「私はラーリオス様に抱かれたのでしょうか?」
 さらにエスカレートして、
「肉体の契りを交わしたのでしょうか!?」
 カレンのつんざくような問いの叫びがキーンと鳴り響いた。
「お、おい、黙れ」思わず身を起こしてしまった。「声が大きい」
「あっ」カレンは大きく開いた口を、慌てて自分の手の平でふさいだ。
 しばしの静寂が漂う。
 部屋の外で誰かが声を聞きつけて、何かの行動を起こしやしないかと聴覚に集中する。
 幸い、そういう気配はなさそうなので、ホッと一息つけた。
「え、ええと、ごめんなさい。ここまではっきり口に出すつもりは……」
「……そうしろと言ったのは、ぼくだけどな」
 煽情的なノワールの媚態とか、駆け引きめいたやり取りに慣れてしまったからか、こういう初心(うぶ)な反応は予想外だった。
 本来なら、互いに赤面しながら、想いを打ち明けあうまでの長い過程があって、それが恋愛成就のドラマにもなるんだろう。だけど、ぼくはそういう段階を一気に踏み越えてしまった。それゆえに、余計に不慣れさ、ぎこちなさを覚える。
 一方のカレンも、先に大人の肉体関係を経験してしまって、恋愛感覚もどこか歪んでしまっていた。でも、そういう記憶が失われてしまったので、もう一度、少女の無垢な恋愛病をわずらうようになったのか。
 ノワールが言うところの白紙状態(パピエ・ブラン)ってやつだ。
「一度だけだな」ぼくはそう答えた。
「一度だけ……」カレンは噛みしめるようにつぶやいた。
「そう、一度だけだ。覚えてないか?」
 カレンはかぶりを振った。
「そうか、残念だな」自分のことは棚に上げて、そう応じる。
 ぼくだって、そこに至るまでの過程は覚えているけど、行為そのものの詳細は記憶から飛んでいる。
 たぶん、刺激が強すぎると神経が麻痺して、印象だけしか残らなくなるのかも。
「ぼくにとっては、初めての体験だったからね。子供から大人になるための儀式みたいなものだ。相手が君でよかったよ。あの一夜のできごとは、一生忘れないと思う」
 そう自分の中でまとめ上げる。
「私は……自分のことをよく覚えていないのが不安でした。ラーリオス様ともどう接すればいいのか。以前の私はどう振る舞っていたのか。これからは、どのような関係でいられるのか。自分の中心に何を据えればいいのか。私の信仰は何に捧げればいいのか、など何も見えてなくて……」
 こういう告白は、寝台の上で聞くようなことではない、と思った。
 だから、何とか立ち上がろうとした。
 大丈夫、怪我をしているわけじゃない。
 疲れてるだけだ。
 フラつきかけたところを、カレンが支えてくれた。
「無理をされてはいけません」
 寄り添う人肌の(ぬく)もりを感じて、思わず安堵の微笑が漏れる。
 そう、ややこしい駆け引きではなくて、こういう無垢な優しさやいたわりの気持ちが欲しかったんだ。
 ぼくが目指すべき世界も、こういう明るい情愛が広がるものじゃないか。
 ぼくの求めていたものもここにあるのでは……。
 瞳を閉じて、思いきり深呼吸して、心の中を満たそうとする。

「ラ、ラーリオス様。何を……」カレンの苦しそうなうめき声ではっと我に返る。
 瞳を開くと、ぼくの異形の左手が彼女の肩に回され、そこから力の波動を吸い取っているのが視認できた。
「す、すまない」慌てて手を引っ込めて、彼女から距離をとるように動く。
 ただ愛情を味わおうとしただけなのに、これだ。
 以前にもこういうことがあった。
 力を消耗したときに、無意識でリメルガから精気を吸収していた。
 あの時は、まだ闇を受け入れていなかったので、邪霊にまつわる力とは言えない。他人から精気を吸収する力は、カート・オリバー自身に起因するものなんだろう。
「大丈夫か?」カレンのことを心配する。
 彼女もまた消耗していたのだ。さらに精気を吸い取られたなら、どうなるか。
 カレンは呆然としていた。「私、力が……」
 大事に至る前に、吸収した力を何とか戻さないと。
 そう考えた瞬間、彼女の身に異変が生じた。
 腹部から、淡い緑の光が放たれ、全身を包み込む。
「こ、これは一体?」
 《森の星輝石》が活性化しているのは見れば分かることだった。
 分からないのは、その原因だ。
「ラーリオス様ですか? 私に力を与えてくださったのは?」
 違う。
 ぼくは与えたのではなく、吸い取ったんだ。
 それなのに、どうして石が活性化した? 
 少し考えているうちに、防衛本能という言葉を思いついた。
 ぼくの精気吸収能力が極度の消耗を癒すために無意識に発動したように、カレンの星輝石もまた、宿主が危機にさらされたのに際して、眠っていた力を自ずと呼び起こしたのかもしれない。
 その意味では、カレンの石を目覚めさせたのは、ぼくだということになる。
 だけど、それはほとんど事故のようなものだ。
 こちらの内心とは関係なく、カレンはにっこり笑顔を見せて宣言した。「今なら、できると思います。想いと力の定まった今なら」
 決然とした表情に引き締まる。
「見ていて下さい、私の……」
 しなやかに指先を伸ばした右手が、天に掲げられる。
「星輝転装!」

 カレンの身を包んでいた緑の霊光が弾けた。
 光の破片(かけら)が木の葉のように舞い、白いローブの大半を白銀色の装甲に転換していく。
 鎧の下地の布部分は上下のツーピースに分かれ、ピーターパンのような緑色に染まった。光の中心である腹部の星輝石は生命の息吹をたたえ、その周りの帯を薄桃色に開花させた。腰は布地のミニスカートとなり、羽毛のような装甲が覆って、絶妙な機能美を体現している。
 総じて肌の露出の少ない重装甲ながら、鎧の色合いと柔らかめのデザインから軽快な印象を覚えた。ちらちら見える太股のラインだけが、女性らしい露出を示して清純な色気をほのめかす。四肢を覆う手甲とブーツは、白銀色に緑のラインで縁取られ、繊細な造形となっていた。
 体の転装が完了すると、大詰めとして頭部に光が集まる。
 閉じた瞳で、祈るようなつぶやきに唇を動かすと、天から一羽の鳥が飛来して(室内のはずなのに)、頭部の光に舞い降りるように映った。光と一体化した鳥が、金髪を飾る額冠(ティアラ)となって、そこに鎮座する。
 鎧装束が完全に身を包んだ後で、背中からフワリと銀の翼が広がり、麗しの天使がここに光臨した。

「できた!」
 青い瞳が開いて、満足げな光がひらめいた。
「あ、ああ……」ぼくは戸惑うばかりだ。
 無垢な少年のように美しい肢体に魅せられていたこともあるけれど、何よりも星輝士ワルキューレのカレンの突然の復活は、思いがけない出来事だったのだ。
「大丈夫なのか?」気遣うように尋ねる。
「何がです?」カレンは首をかしげた。
「何がって、力を消耗していたんだろう? 病み上がりで、軽々しく転装したら……」
「ああ、それなんですけど、突然、力が満ち溢れて……もう心配はご無用です。ラーリオス様のおかげですよ。一体、何をされたんですか?」
「何って……ええと、力の流れを誘導する方向で刺激を与えたら、それに応じて、星輝石が反応して目覚めたとしか……。自分でも、こううまく行くとは思わなかった」
「ふ〜ん、よく分からないけど、東洋医術みたいなものかしら。ツボを刺激したら、血行が良くなって、肩こりが治ったとか……」
「君の星輝転装は、そんな(たと)えなのか?」
「え? ああ、私ったら、つい調子に乗って変なことを……。だったら、どう解釈したら……」
 力の波動を無防備に浴びたせいか、震えとともに、どっと疲労が押し寄せてきた。
 興奮が収まったからか、立っているのが困難になる。ちょうど、カレンの座っていた椅子が空いていたので、遠慮なく腰を下ろした。
 ぼくが休んで呼吸を整えている間に、静かに考えをまとめる光のワルキューレ。
 やがて、神妙な面持ちで彼女は言葉を紡いだ。
「もしかして、これって凄いことじゃないかしら。ラーリオス様に触れられたことで、失われた力が蘇ったって、正真正銘の奇跡体験なのかも。いいえ、間違いないわ。やっぱり、ラーリオス様は神の子であらせられたんですね」
 そう言って、腰掛けたぼくの前にひざまずく。
《太陽の星輝王》ラーリオス様。私、ワルキューレのカレンは、《森の星輝士》として新たに生誕した思いです。この恩義に報いるためにも、この先、変わらぬ忠誠と愛を主君に捧げます」
「お、おい、軽々しく、そんな誓いを立てられても……」
「軽々しくって、そんな、ひどい」カレンは上目づかいの瞳をうるませた。「ラーリオス様は私の誠心(まごころ)の誓いをお疑いなのですか?」
「い、いや、君の気持ちじゃなく、ぼくがそんな誓いを受けるに値する人間じゃないってことで……」
「ラーリオス様は、ご謙遜なさり過ぎです。もっとご自分の価値というものを正しく認識されませんと」
 自分の価値ねえ。
 《暗黒の王》として、邪霊のノワールからの忠誠を受けたぼくの本性を知っても、そう言えるのかな? 
 無垢な人間の存在は清々しく心が洗われるけれど、その無垢さに付き合うなら、ささやかな良心が刺激されて、自分の中の《闇》を後ろめたく思う。その居心地の悪さを克服するためには、無垢さを己の《闇》で汚すか、自分の《闇》に鈍感になって何食わぬ顔を維持できなければならない。
 相手の《光》を大事にするためには、自分は《闇》をひた隠しにせねばならず、距離を置いた付き合いに甘んじることになる。
 《闇》の忠誠を受けた身でありながら、素知らぬ顔で《光》の忠誠を受けるのは、一種のダブルスタンダードなのではないか? 
 そこまで考えて、自分自身が《光》と《闇》の二元対立思考に陥っていることに気付く。
 別に、《光》と《闇》はどちらか一方だけを選ばないといけない、とは決まってないのだ。
 少なくとも、ぼくの目指す多様性の世界では。
 ぼくが大事にすべきは調和や秩序であって、21世紀の人間社会だ。それを脅かす存在なら、覚悟を決めて戦うだろうが、単に《闇》だから、というだけで切り捨てるつもりはない。
 もちろん、《闇》に肩入れするからって、《光》の勢力をいたずらに敵視するつもりもない。
 大いなる中立の元に、世界を再構成できないのだろうか。
 《黒き太陽王(ブラック・サン)》という称号は、そうした理念を象徴する意味合いを帯びている。
 だったら、ぼくは(ノワール)のカレンと契約を交わしたように、(ブランシュ)のカレンの誓いを真正面から受け止めるべきではないか。
 そこまで考えてから、ようやく、ぼくはカレンの曇りない瞳を見つめ直した。

「ぼくが価値ある人間か分からない」静かに告げる。
「だけど、価値ある人間でありたい、とは思う。君の忠誠に恥じないぐらいにはね」
「忠誠と……愛です」カレンは真顔で、訂正しようとした。
「その言葉は受け入れられない」ぼくは、はっきり宣言した。左胸に宿るピース・オブ・ハートを意識する。「ぼくが愛する女性はスーザンだけだ。そこをねじ曲げると、ぼくは《光》を失うことになる」
 カレンは、ハッと息を呑んだ。「私が、ラーリオス様を《闇》に誘い込んだとでも?」
 その通りだとは、言わなかった。
「君じゃない。ぼくの心の中の問題だ。《闇》に負けないためには、心を強く保たなければならない。君なら分かってくれるはず……だよね。《光》を取り戻した君なら……」
「私は……」カレンの顔に葛藤の色が浮かんだ。
 説得するために、言葉を重ねる。
「ラーリオスは、愛する者と戦う宿命、いや呪いか、を負わされている。ぼくは、君とは戦いたくない」
 自分でも詭弁だと思ったけれど、カレンの純粋な恋病(こいわずら)いを醒まさせるためには、何でも言うつもりだった。さもなければ、こっちが恋愛感情にほだされるなり、流されるなりして、大局を見失う危険だってある。
 ぼくがもっと悪なら、自分に向けられた恋愛感情を狡猾に利用して立ち回ることも考えられたが、「ささやかな良心」を摘み取るような真似はしたくなかった。
「スーザン……シンクロシアとは、戦うつもりだと言うことですか?」
「ぼくの戦う相手は彼女ではなく、そうした宿命、呪いをもたらした存在だ。彼女は、そこに至るための通過地点に過ぎない、と思っている。本命の敵さえ見えれば、不毛な殺し合いは避けられることが分かった」
 暗に星霊皇のことをほのめかしたのだけど、それは一種の反逆行為になるので、うかつに口に出すわけにはいかない。
「本命の敵とは、やはり……邪霊ですか」
 そう誤解するか。
「そうだな。星輝戦争の目的は、邪霊と戦うための強い戦士を育成することかもしれない」
 適当な言葉を口にした。
 ロイド辺りなら、あっさり納得させられるだろう。
 実際はどうだか、ゾディアックの歴史をひもとくか、星霊皇やトロイメライに直接聞いてみないと分からないけど。
「ラーリオス様は遠くを見据えてられるのですね」カレンは己を恥じるようにつぶやいた。「私は、自分の中の想いしか見えてなくて……」
「それが見えてるなら、救いはあるんじゃないかな」ぼくは励ますように言った。
「想いは力、だろう? 自分の想いを見失っていれば、力は発揮できない。想いさえ定まれば、奇跡だって起こせる。さっき、実感したことじゃないか」
「そ、そうですね」カレンの表情が一転、明るくなった。駆け引きを講じない分、感情がすぐに顔に出る。
「私の想いは、愛、それを打ち明ける勇気、主に捧げる忠義。これが星輝士としての私の本質にして、魂……」
 自分に陶酔するかのように、つぶやくカレン。これが若さか。
 トロイメライは、「カレンが勝手に失った記憶を補完し、内面で合理化した」と言っていたけれど、こういうことだと納得した。
「君の忠誠は受け取ろう」ぼくは改めて、そう断言した。
「愛は受け取れないが……君の中で大切に守ればいい。その内なる想いが君を強くしてくれる。君の勇気ある告白は確かに聞いたし、嬉しく思う。ぼくを支える想いの一つとして、忘れないようにするよ」
 こんなところか。
 カレンの満足したような表情を見て、ぼくは安堵の笑みを浮かべた。
 しょせんは駆け引きに過ぎないけれど、騙しているつもりはない。
 どういう言葉を使えば、相手が納得できて、自分の望むとおりの成果が得られるか、知識と機転を総動員して真剣に考えているだけだ。
 ぼくの望みは、カレンの「ささやかな良心」を守り、強くすること。
 それが自分の中の《光》を維持してくれる、と信じて。

 たぶん、人は誰かの《光》を応援することで、独り善がりでない良心を保ち続けるのだろう。自分の内面の《光》だけでは、あまりにも不安定すぎて、もっと確かに見えるものを拠りどころにしたくなる。
 それが愛だったり、信仰だったり、正義だったりの概念に通じるのかも。
 傍目には、揺るぎない《光》を体現しているように見えたソラークも、内面では《闇》を抱え、ぼくに導きを求めた。
 だけど、カレンの「ささやかな良心」を支えた聖性もまた、ソラークの持つ本質なのだ。
 自分の中に聖性があるなんて、案外、自分では分からないものかもしれない。
 少なくとも、ぼくは自分の中の《闇》、獣性や欲望、コンプレックスにも似た陰鬱さは強く感じたけれど、神に通じる《光》の精神性を実感したことはあまりない。せいぜい、カレンが言うところの「ささやかな良心」、困っている人を助けたい気持ちとか、友情とか、ボランティア精神とか、道徳観とか、責任感とか、人間社会で当たり前に美徳とされている要素を大切にしたいと思っているに過ぎない。
 田舎の素朴な善人と評されるのは素直に納得できるけど、神に近い聖人と評されても、むずがゆいだけ。
 善性と聖性の境界線がどこにあるのかなんて、ぼくは考えたこともない。
 それでも、ソラークやカレンは、ぼくの中に聖性、すなわち《光》を感じとったのだ。ただ少し言葉を交わして、彼らの想いの一端を受け取っただけなのに。
 たぶん、彼らは自分の中の《光》を、ぼくに映し出したのではないか? 
 自分の中の《光》を求める心、それが他者に《光》を見出すのかも。
 そして、《光》の伝達は上からの一方通行とは限らない。仲間の《光》を感じ取って、自らの糧としてもいいのだし、ソラークやカレンがぼくの「自分では不確かな《光》」を励みにできるなら、ぼくだって「彼らの示す《光》」を励みにしたっていいわけだ。
 ソラークやカレンの《光》を守ることができれば、ぼくは自分の《光》を保つことができる……。

(そんなことが、あなたに許されると思って?)
 頭の中で《闇》がささやいた。
 何だ? 
 ぼくは目を開いた。
 いつの間に、うとうとと寝入りかけていたのか? 
「ラーリオス様?」カレンが心配そうに声をかける。
 ぼくは安心させようと笑みを浮かべたものの、疲れきっているのか、体が思うように動かない。
(当然よ。あなたは衰弱している)
 誰だ?
(分からない?)
「カ……レンか」かろうじて言葉を口にできた。
「はい、ラーリオス様」応じる声が耳に聞こえた。
(正解よ、《暗黒の王》)同時に頭の中で、もう一つの声が響いた。
 どうしてだ?
 カレン・ノワールは心の奥に封印してあるはずなのに……。
(あなたが弱れば、封印も弱まる。当たり前でしょ?)
 ぼくに何の用だ?
(警告よ。あなたは今すぐに精気を補充しなければならない)
 ちょっと待てよ。
(待てないわ。今すぐやって)
 やってって、おい……。
(あなたがやらないなら、私が代わりにやる)
 異形の左手が勝手に動いて、星輝士姿のカレンにつかみかかろうとした。
 ぼくは抑えようとしたけれど、かなわず、ただ意識が飛ばないようにするのが精一杯だった。
 視界が明滅し、左手に衝撃が走った。
 フラつく頭で何とか状況を把握しようとする。
 目の前のカレンは、少し後方に距離をとって、こちらを警戒する目で見据える。
「あなた、誰? ラーリオス様じゃないわね」
 ぼくの体はゆらりと立ち上がっていた。
『察しがいいこと。さすがは私』
 カレン・ノワールは、ぼくの唇を使って喋っていた。
「まさか……」カレン・ブランシュの表情は、幽霊を見たかのように蒼ざめた。
『その、まさかよ。私は、あなたの心の闇。リオ様に分断され、封印された片割れ』
「邪霊!」憎々しげな表情で睨みつけられる。「今すぐ、ラーリオス様から離れなさい!」
『私もそうしたいのは、やまやまだけどね。リオ様が許してくれないのよ』
「さっきから、リオ様、リオ様って、誰のことを言ってるの! 分かるように、話しなさいよ」
『呆れた。リオ様は、ラーリオス様のことに決まってるじゃない。そんなことも忘れて、ワルキューレのカレンを名乗ってるの? あなた、いろいろ記憶が飛んでるでしょう。私ともう一度、一つになれば、全部思い出すわよ。あんなこととか、こんなこととか……』
(やめろ!)
 ぼくは、心の中で叫んだ。
(これ以上、勝手なことをするな。今すぐ、ぼくの体を返すんだ!)
『チッ』カレン・ノワールは舌打ちした。
『邪魔が入ったから、帰ることにするわ』大げさに肩をすくめてから、
『だけど、最後に私に警告よ。力が使えるなら、今すぐリオ様に精気を捧げなさい。さもないと、間もなく昏睡状態に陥ることになるわ。本人は無頓着だから気にしてなかったけど、短時間に膨大な力を使いすぎたのよ。過去に飛んだり、自分を石に変えたり、バカなことばっかりして。自分の体調管理ぐらい、しっかりできるようになりなさいよね!』
 最後の言葉は、こっちに向けられたものか。
 急に支えを失って、ぼくの体はその場に崩れ落ちた。
 人に体を返すときは、もっと丁寧に、だな……。
 うめき声を上げながら、心でノワールに文句を投げかけた。
 こっちの体調を心配するんだったら、それぐらい気遣ってくれても……って、邪霊に気遣いを期待する方が間違ってるのかもしれないけどな……。
 ああ、何だか、だんだん意識が遠くなってきた……。
 
 気がつくと、ぼくは再び寝台に横たわっていた。
 カレンは? 
 視線をかたわらに向けると、彼女はそこにいた。
 かたわらの椅子に腰かけたまま、瞳をこちらに向けて。
 青い瞳。
 だけど、そこには(かげ)りが見られた。
 不安と疑念、そして秘めた怒りが、闇と炎の幻をちらつかせる。
 星輝士の戦闘姿は解除され、元の白ローブに戻っていた。
「目覚めたのね、リオ様」
 リオ様だって?
「もしかしてノワール……なのか?」自分の恐れを口に出す。
「それが、あの邪霊の名前?」カレンは首をかしげた。「あいつが(ノワール)なら、私は(ブランシュ)よ。決まってるじゃない」
 ぼくは体を動かした。
 倦怠感は消え、思ったより軽く動いたので、そのまま身を起こす。
「リオ様……やっぱり、こう言う呼び方は馴れ馴れしすぎるわね。ええと、ラーリオス様は元どおりなのですか? 精気なら捧げましたが……」
「どうやって?」
「どうやって、って、あのう、そのう……秘密です」赤面しながらの反応は、確かにノワールのものじゃない。
「人工呼吸でもしたのか?」
「ど、どうして分かったのですか?」カレンはハッと驚いた顔を見せた。
「君の反応を見れば、大体、予想はつく。あまり隠し事はできないみたいだからな」
「ラーリオス様は、隠し事が多すぎます。一体、どういうことか説明してもらいますから」
「ぼくの夢の話はしたはずだが……」
「信じられません」
 そりゃ、そうだ。
 無条件で信じられる方が、どうかしてる。
 この純粋な乙女(ラ・ピュセル・ブランシュ)も、少しは人を疑うことを覚えたようだ。
「大体、『封印した邪霊をおとなしくさせるため』って話がおかしいですよ。少しもおとなしくなってないじゃないですか!」
 そこを突っつくか?
「それは、ぼくが弱っていたから、封印も弱まって……」
「自分が弱っていることにも気付かず、私に力を与えたりして……博愛精神も度を過ぎれば、ただのバカです」
「ぼくはバカじゃない」とっさに反論が出た。
「自分を石に変えて、封印したはずの邪霊を解放してしまうのは、バカじゃないとでも?」
「うっ」反論できなかった。
「大体、ラーリオス様は口では立派なことを言ってるけど、実力が伴っていないんですよ。神の子としては、まだまだ修業不足です。だから、いつも無茶をして、こっちに心配ばかりかけさせて……」
「ごめん」と謝ってから、何かおかしいことに気付く。
「いつも無茶……って、カレン、記憶が?」
 ぼくに関係することは、覚えてなかったんじゃないか?
「ああ、ここに来て、ラーリオス様の寝顔を見つめているうちに、何となく思い出してきたんです。前にも、こんなことがあったなあ、なんて。怪我をして傷ついたのを癒している私とか、私のスープを美味しそうに召し上がってる姿とか……いろいろ思い出してるうちに、もしかして私はラーリオス様のことを愛していたのか、ラーリオス様は私のことをどう思っていたのか考えるようになって……」
「その話はもういい」ぼくは遮った。「君の愛は受け入れられない、と言ったはずだ」
「邪霊の愛は受け入れるのに、ですか?」カレンの瞳が物騒な光を帯びた。
「ぼくがいつ、そうした?」
「あいつが言っていたのよ。『離れたくても、リオ様が許してくれない』って。それは本当ですか? ラーリオス様ともあろうお人が、邪霊ごときに操られるどころか、あんな女にそこまで執着するなんて……許せません」
 これは……嫉妬なのか? 
 純粋すぎるがゆえの殺意? 
 ぼくは魔獣(ビースト)と相対したときに匹敵する、命の危険を感じた。
「も、元々は君の中にあった《闇》じゃないか!」
「だから憎いのよ」カレンは吐き捨てるように言った。
「《闇》は私から父を奪った。私に罪を犯させ、平和な日々を奪った。そのうえ、今度はラーリオス様まで奪うなんて」
「誤解だ。ぼくは《闇》になんて奪われていない」
「本当に?」カレンの目は、ぼくの左手に向けられた。
 うかつにも、異形のまま戻していなかった。
「悪いのは、その邪悪な左手ですか? いっそのこと切断した方がよろしいのでは?」
 この手を切断したら、ぼくは邪霊から解放されるのか? 
 それとも、再び力を失ったぼくから、邪霊の方が解放されるのか? 
 どっちだとしても、せっかく馴染んだ左手をもう失いたくはなかった。
「やめてくれ! いいから落ち着いて聞くんだ」半ば激情に駆られているカレンの心を鎮めるために、必死で言葉を探った。
「現状、ぼくはこの左手の力で、邪霊を封じ込めている。ノワールがもしも解放されたら、どうなると思う? あいつが狙っているのは君の体だぞ」
「返り討ちにしてやるわ」カレンは気丈に息巻いた。
 ぼくはかぶりを振った。「今の君には無理だ。それができていたなら、ぼくが封印する必要はなかったんだ。君は覚えていないかも知れないが、ノワールの力は君の中で増大して、押さえつけておけない段階まで達していた。だから、ぼくの方に移し変えたんだ。ぼくの、ラーリオスの力なら、それができると考えたからね」
「あんな奴、どうして滅ぼしてしまわなかったのよ?」
「あいつは、君の中に深く根差していたんだ。ぼくは君を助けたかった。あいつを滅ぼしてしまえば、君の心さえ壊してしまう可能性があったからね。ぼくにできるのは、君の記憶からあいつを切り離すことだけだった。もしも記憶を失った君が大切な何かを思い出さないといけなくなった場合に備えて、あいつを復元(バックアップ)用には考えていたんだが……」
「……つまり、私の失った記憶は、ラーリオス様の中に保存されていたわけね」
「ああ、邪霊のノワールといっしょに……」
 少しの沈黙の後、カレンはつぶやいた。
「やっぱり、ラーリオス様はバカよ」

 まだ、そんなことを言うか?
 いい加減に怒りを鎮めろよ。
 こっちもいい加減、腹立たしくなって、カレンの瞳に険悪な視線を向けたとき、ぼくは不意を突かれた。
 相手の瞳に見えたもの。
 それは怒りではなかった。
 代わりに、あふれていたのは……涙? 
 どうして泣くんだ?
「本当にバカです。私なんかのために、自分の身を危険にさらすなんて……」
「自分の身よりも守りたい『ささやかな良心』ってものがあったんだ」
 とっさに、そう応じた。
「邪霊に支配されたら、ラーリオス様の良心さえも壊されるんですよ!」
 ああ、カレンは誤解している。
 ぼくが守りたいのは、カレンの良心であって……って、結局は同じことか。
 カレンの良心を守りたい気持ちが、ぼくの良心だとしたら……ぼくの良心が壊されたら、カレンを守りたい気持ちさえ、失われてしまうのだろうか。
「約束してください」カレンは意を決した表情になった。
「もしも、ラーリオス様が《闇》の重みに耐えられなくなったら……」
 その瞳と口元に気を取られたため、反応が遅れた。
 異形の手がぐいっとつかまれる。
 何を?
「そのときは、私に《闇》を返してください」
 瞳からこぼれた涙が、左手を濡らす。
 カレンは、ぼくの手に顔を寄せると……吸い付くような口付けをした。
 その瞬間、ぼくは赤い竜鱗と鉤爪を元の人肌に戻した。
 肌触りの違いをすぐに認識したのか、カレンはぼくの手を両手で包み込んだまま、問いかけの視線を向ける。
「ああ、乙女の涙や口付けは、呪いを解くための特効薬……ってことかな?」
 白々しい出まかせを口にする。
「《闇》から解放されたんですね!」晴れやかな笑顔をほころばせた。
 まさか、こんな童話(メルヘン)めいた話を信じたのか? 
「う〜ん、たぶん一時的に《闇》を抑えこんだだけだと思うけど」
「それなら、何度だって試します」
 本気かよ。
「君の愛は受け入れられない。そう言ったよな」
「これは愛ではありません。忠義の口付けです。主君を《闇》から解放するための!」
 カレンは、真顔で応じた。
「私の忠誠の証、受け取ってくれますか?」

 ぼくは拒絶することができず、再度の左手への接吻を受け入れた。
 こんなことで、《闇》がカレンに移ったりしないだろうな、と心配しながら。


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