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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(3−11)


 
3ー11章 ファイヤー・ボンバー

 洞窟の闇から抜け出したぼくを出迎えてくれたのは、満天の星空だった。
 《星近き峰》(プレクトゥス)とは、よく言ったものだ。
 これほど美しく、近く、数多い星々を、ぼくは見たことがない。
 地上の光は、星を見えにくくするという。そのため、明るい都会よりも、自然の豊かな田舎の方が夜空は美しいと聞くが、この地はその意味でも完璧だった。
 いくつの星があるかは分からないけど、その一つ一つの光が地上に降り注ぎ、白一色の山肌を淡く染め上げている。空の星の色は多彩で、青や赤、黄色などの原色が幻想的だ。けれども全てが混じり合うと、光の本質の白として周囲の闇を打ち消すように思われる。多様な色合いも好きだけど、無垢な白一色も悪くない。
 空の星に心が洗われる癒しの力を感じたのは、この時が最初で、最後だった。
 その瞬間だけ、ぼくは星の神を崇拝し、祈りを捧げる気持ちになった。

 星の一つ一つを確認し、知っている星座を見つける。ここが北半球だという証だ。
 星の位置から方角も明らかになった。洞窟の入り口は東側に向かって開いている。つまり、ぼくから見て左手側が北で、右手側が南ということになる。カレンの森(カレンズ・ウッド)は、南の斜面ということにもなるようだ。あいまいな感覚だけだった位置関係が、明確な地図や座標となって頭の中に描かれる。
 次に、ぼくは月を探してみたが、見つからなかった。新月でなければ、西の空、峰の向こうに隠されているのだろう。まるで《月の星輝士(シンクロシア)》スーザンが物理的にも、そして何より心理的にも、ぼくから遠く隔たっているように思われた。
 この空には、太陽も月もない。あるのは無数の星々(カウントレス・スターズ)だけ。
 夜空が星王神の地上の代理人、星霊皇の支配下にあることを象徴しているようにも感じられて、少し重い気分になった。星霊皇がどのような人間なのか、あるいは人間を超越した神に近い存在なのか知らないけれど、ぼくにとっては尊敬よりも嫌悪の対象だ。
 スーザンは、星霊皇の座に就くための儀式を何よりも重んじているみたいだけど、ぼくはそんなものに興味がない。自分がそんな器でないことは、十分自覚している。
 それでも……ぼくが儀式の戦いに勝ち、スーザンを殺さずに済んだなら、星霊皇の権限として彼女を得ることができるのだろうか。そのようにルールを改訂できるなら、星霊皇を目指してもいい、と思い立つ。
星に手を伸ばす理由(リーズン・トゥ・リーチ・フォー・ザ・スターズ)……」つぶやきが漏れる。
 この気持ちは理屈じゃないのかもしれない。
 きれいなものに惹かれ、それに触れたいという想い。
 崇高なものに憧れ、自分をそれにふさわしいように高めたいという想い。
 心の安らぎを求め、自分を癒してくれる何かを手に入れたいという想い。
 愛や信仰心が、そういう純粋な気持ちの発露であるなら、それが自分の理由になるんじゃないだろうか。
 スーザンへの想いは、術の力で人為的に構築されたものと分かってはいても、やはり拭い去ることはできなかった。たぶん、きっかけは何であれ、一度根付いた感情や気持ち、思い出というものは、芽吹き、育ち……枯れるまでは心に留まり続けるのだろう。花開き、実りがあるかは別として。
 星々を見つめて物思いにふけっていると、ふと、
『星の異常を感じられましたか?』
 辺りの闇に引きずり込もうとする呪いのように、バァトスの言葉が思い出された。
 異常だって? どこが? きれいな星空じゃないか。
 ぼくは、心の中のバァトスに反論した。
 闇の使徒には、この美しさが分からないのか?
 暗い言葉から意識を無理に引きはがそうとする。
 それでも、何かがおかしいという思いは消えなかった。
『ジルファーさんに命じられたんです。イヤな予感がするそうで……』
 ロイドの言葉も思い出す。先ほどはあまり気に留めず、ジルファーの抱いた『イヤな予感』の原因をぼく個人の心境の変化に関係するものだと思い込んでいたけれど、もしかすると違う意味だったのかもしれない。
 いま少し、ジルファーの言葉を思い返す。
『ここは、ゾディアック以外には隠された場所なのだ。自然を装いながら、視認困難なヴェールで覆い隠している』
 そうだ。山を包む雲はどうなったんだろう? 
 昼は、太陽の見えない曇り空だった。
 夜は、雲がなくなってしまうのだろうか? 
 それとも、何らかの理由で結界が解除され、この山が外から無防備になっているのだとしたら? 
 ジルファーに確認した方がいいのではないか、と考えたとき、南の空に異変があった。
 彼方から迫り来る赤い火を、ぼくは見た。
 何かがこの地に起きる。
 そんな予感がして、腕の星輝石に目を向けた。
 そこに空の星に負けない光を意識すると、ぼくは促されるように飛び出した。
 スキー板とストックが構成され、斜面を滑り出す。
 灼熱の流星が前方に落下するのが見えた。

 流星の落ちた現場にたどり着いたぼくは、意外なものを見た。
 巨大なクレーターか何かを予測していたので、呆気にとられる。
「あ、足?」
 積雪から突き出ていたのは、二本の足。
 自転車のペダルを漕ぐような動きでジタバタもがいている。
 これが女性の白い素足だったりしたら見とれてしまうところだけど、赤い脚甲に覆われながらも筋肉質であることが分かる足は、色気を感じるどころか、どうにも無骨で無様だった。
「え〜と、助けが必要ですか?」遠慮がちに聞いてみる。
「モガガ〜」雪に上半身を埋めた足の主の返事は、『さっさと助けろ〜』と訴えているようだ。
 不審に思う気持ちよりも、親切心と好奇心の方が勝った。
 暴れる足を押さえつけ、自分が引き込まれないように気をつけながら、何とか引っ張り出してやる。
「プハ〜」赤い鱗鎧の戦士が雪から救出された。「ふう、ひどい目にあったぜ。これだから雪や氷ってのはキライなんだ。おお、誰だか知らんが、危ないからちょっとどいてろ。今から、厄介な雪を片付けるからな」
 そう言って、男は気合とともに一声、叫んだ。
「フォイヤーーーーーッ!」
 熱気が押し寄せる。
 何とか星輝石の加護で身を守りはしたものの、衝撃で弾き飛ばされた。
 こいつ、何を考えてるんだ? ちょっとどいたぐらいじゃ、危ないのは変わらないだろうに。
 幸い、やわらかい雪の上なので、怪我はない。足もひねっていないことを確認しながら、文句の一つも言ってやろうと立ち上がる。
 男の周りの雪はきれいに蒸発して、そこだけ周囲から陥没した窪地になっていた。
「ふん。オレサマの行く手をさえぎる雪め。邪魔するものはみんな消え去る運命なのだ」一人悦に入っている男の顔を、ぼくは少し離れた雪上から見下ろした。赤い竜を模した額冠に飾られた顔は見覚えがある。ジルファーじゃなくて……
「え、ええと、ライゼル……さん?」恐る恐る確かめてみる。
「おお、誰かは知らんが、名もなき村人Aよ。お前みたいな辺境の民にまで名前が知られているとは、さすがはオレサマだ。そうよ、オレこそライゼル。誇り高きパーサニア家の正当後継者にして、音に聞こえた《炎の星輝士》。コードネームは猛き竜レギン。将来は伝説の勇者とも、最強の戦士とも呼ばれる予定の偉大な男と対面したことを光栄に思え」
 言いたかった文句は吹き飛んだ。
 こ、こいつ……バカだ。
 バカというのが失礼なら……ドン・キホーテ?
 どちらにしても関わるんじゃなかった、と後悔する。
 一体どうしようか、と距離を置いたまま思案していると、ライゼルが先に声をかけてきた。
「そんなところに構えてないで、近くに下りて来い、村人Aよ。この辺りの状況を詳しく聞かせてくれ。何ぶん、初見の地だからな。勝手が分からないところがある。星輝士の案内役を務めるなど、まっこと名誉なことだぞ。断ったら、三代に渡って神罰を受けることになる」
 こいつ、月の陣営に所属しているんだから、敵だよな。
 警戒心が首をもたげてくる。
 だけど……月は敵だと決めつけるのは望ましくない、と思い直す。
 うまく交渉すれば、こいつといっしょにスーザンのところに行けるかもしれない。
 少なくともジルファーの弟なんだから、まったく話が通じないということもないだろう……たぶん。
 夢で会ったときは一瞬で夜空の星になったわけだし、どうも、ぼくの顔は覚えていないようだ。敵意むき出しの相手ならいざ知らず、ここは話し合ってみるのも悪くない。

 スキーの装備を身に付けたままのぼくがよたよた窪地に下り立つや、開口一番、ライゼルは言った。
「さて、村人Aよ。お前は本当に村人か?」
 何だよ、それ? 
「オレサマが見るに、この峰の近くに村はないように思われる。すると、お前は果たして、どこから来たのか? 村がないのに、村人だというのはおかしい。どうだ、完璧な推理だろう?」
 いや、完璧も何も、村人Aって、あんたが勝手にそう呼んだだけじゃないか。
「え、ええと、ぼくは村人じゃなくって、名前はカートといいます」戸惑いながらも、自己紹介はしておく。
「カート?」ライゼルが反応した。「どこかで聞いたことがあるような、ないような……」
 名前を出したのは、まずかった?
 カート・オリバーがラーリオスであることは、月の陣営の戦士なら知っていて当然だったのかもしれない。ランツは、スーザンがシンクロシアだということを知らなかったけど、彼やリメルガみたいに他人の名前を覚えない人間が、そう何人もいるとは思えない。
「カートなあ。思い出せん。思い出せんということは、オレサマにとってどうでもいい名前だということだ。大切な名前なら、高貴にして明晰な我が頭脳に入っていないはずがないからな」
 どうやら、他人の名前を覚えない人間は結構いるようだ、と自分の中の常識を修正する。
 ぼくの気持ちにおかまいなく、ライゼルは話を続けた。
「おい、正体不明のデカイ奴。お前はオレに名前を覚えてもらうに値する重要人物なのか?」
 何て言い草だよ。
 そう思いながらも、下手に重要人物と見なされて敵対視されるのも厄介なので、こう言った。
「いやあ、ぼくなんて、全然重要じゃありませんよ。でも、村人Aは勘弁して欲しいです」
「そうだろう。お前みたいにデカイ奴、一度会ったら、そうそう忘れないだろうしな。まあいい。で、村人じゃなかったら、何だ? ここには雪しかないから……雪男?」
 何でだよ。
 ぼくはイエティとか、ビッグフット、サスカッチみたいな未確認生物じゃない。
「せめて、人間扱いしてください。差し支えなければ、一般市民Aということで」
「村がないのに、市があるわけないだろうが」冷ややかな目で見つめるライゼル。「さっきから、言動が怪しいぞ、お前。一体、何を隠している?」
 いや、あんたに言動が怪しいなんて、言われたくないんですけど。
 そもそも、ぼくが一般市民というのは疑いようのない事実だ。少なくとも、ゾディアックに拉致されるまでは。未成年だから、納税など市民の義務を完璧に果たしているかと尋ねられたら、首を横に振るしかないけど。
「ええと、そちらこそ、どうしてこのような辺境の地に? 星輝士さまがわざわざお越しになるようなところではないでしょうに」
 どことなく卑屈な言い回しは、バァトスの口調が参考になった。
「よくぞ聞いてくれた」ライゼルは武勇伝を語りたがっている自意識過剰な戦士の表情を見せた。「本来は秘密にすべきところだが、お前には雪の中から引っ張り出してもらった恩もあるからな。特別に話してやろう。ありがたく聞くがいい」
「それは、まことに恐悦至極なことで」言葉だけはバァトスの言いそうなことだけど、彼の大仰な演技力はぼくにはない。何となく、心のこもっていない棒読み口調になった。
 それでも、ライゼルは気にする様子も見せず、嬉々として自分語りを始めた。
「本当は語るべき話は数多くあるのだが、時間もないことだし、無知なお前にも分かるように、かいつまんで話すとしよう。まず、オレサマの仕える女主人、月の皇女たるスーザン様の名前を覚えておくがいい。オレの全ては彼女のためにある。彼女の全てはオレのためにある、とは言えないところが哀しいわけだが、彼女の崇高な使命をオレごときが遮るわけにもいくまい。オレにできるのは、彼女の剣となり、立ちはだかる敵を粉砕することだけだ。何しろ、オレはシンクロシア様の第一の騎士だからな」
 そこまで断言できるライゼルという男。
 言っていることは馬鹿馬鹿しくも聞こえるけれど、羨ましくも思えた。ぼくだって、スーザンと敵対する立場ではなく、彼女を守護する騎士になれたら、どんなに嬉しいことか。役割を代われるものなら代わりたい、と羨望の目で《炎の星輝士》を見る。
「何だ、その目は?」ライゼルがいぶかしがる。「お前、今の話を信じていないな?」
「いや、そういうことじゃなくて……」ライゼルは誤解している。ぼくの羨望の目は、彼には不信の目に映ったみたいだ。「信じますよ。月の皇女に、第一の騎士。憧れますよ、ホント」その言葉に嘘はない。
「ふん、お前なんかに何が分かる」ライゼルは、こちらの気持ちにお構いなく切り捨てた。言葉と想いが通じてくれないのは何が悪いんだろう。「確かに、オレが第一の騎士だというのは傲慢かもな。月陣営ならネストールの爺さんがトップだろうし、星輝士全体ならバハムートのおっさんが最強だ。それぐらいはオレだって分かっている。だがな、いずれオレの時代が来る。二人が現役を退いた後は、オレサマこそが最強の星輝士として君臨するのだ。今はまだ時至らず、というわけだな」
「最強を目指して、自分を鍛えるということですか」
「そう、その通り。分かってるじゃないか。村人Aにしておくのは勿体ないぞ。我が従者にしてやろうか」
「い、いや、従者なんて畏れ多い」
「冗談だ、バカ」バカにバカと言われて、ぼくは内心カチンときた。だけど、ライゼルは気にせず、話を続けた。
「オレサマの最強伝説を邪魔する者は、目下2人いる。そいつらを討つために、オレはこの地にやって来た。1人は《氷の星輝士》ジルファー、もう1人は敵の首格ラーリオスだ」
「へ?」ぼくは唖然とした。ラーリオス、つまり自分を討ちに来た戦士がここにいる。こっちは話し合いを望むのに。「どういうことですか?」
「どういうこともあるか。ラーリオスは、月の皇女の安寧を脅かす太陽の皇子。オレサマに言わせれば魔皇子となるがな。スーザン様の夢の中にまで現われて、暗黒の獣と化して殺害に及んだらしい。オレも夢の中で精一杯戦ったが、口惜しくも力及ばず彼女を守れなかった。だから、スーザン様を守るには、ラーリオスが力を付ける前に何とかしないといけないのだ」
 ええと、ライゼルは確か、スーザンの夢で水浴を覗き見していたところを、カートに殴られて星になって散ったんじゃなかったっけ?
 精一杯戦った? 
 彼女を守れなかった? 
 何だか、夢の記憶がずいぶん美化されているようなんだけど。
 それに、ラーリオスが力を付ける前……って、今?
 星輝士が、まだ星輝士でない一般市民を討とうというのか?
 それって、儀式にならないんじゃないの?
 スーザンがそんなことを望んでいるの? 
 いろいろ確認したいことはあったけど、そういう質問をすると、自分がゾディアックの太陽陣営の中核にいることを必然的に明かすことになる。ぼくがラーリオスであることは知られてはいけない。
「ジルファーは、オレの兄だ」ぼくの葛藤に関わらず、ライゼルは話を続けた。「パーサニア家の長男でありながら、家の名誉を守らず、研究と称して好き勝手なことをしているバカで無責任な兄貴だ。奴を倒して、パーサニア家の汚名をそそぐことが、このオレの個人的な使命なのだ」そう語るライゼルの瞳は、激情に熱く燃えていた。
「それでも……」ぼくは口をはさまずにはいられなかった。「個人的な恨みや怒りで相手を倒すのって、星輝士としてどうなんですか?」
「チッ、知ったような口を……」そうつぶやいてから、ライゼルは瞳を閉じた。それから、何度か瞬きすると、「そうだよな。ネストールの爺さんにも釘を刺された。星輝士は個人の感情で戦うものじゃない。もっと広く全体を見据えろってな。だから、オレはスーザン様を第一義に置くことにしたのだ。ジルファーを倒すのも、オレのためじゃない。太陽陣営、すなわち敵の星輝士の一人として、スーザン様のために討つのだ。これなら文句はあるまい」
「戦わない、という選択肢はないのですか?」念のため、確認したが、
「ない」即座に却下された。「オレは二人を倒すために、単身、ここに来た。神官の一人が協力的でな、転送円で飛ばしてくれたのだが、あまり優秀な術士ではなかったようだ。ドジな術の作用で、空中に投げ出されてしまったのだ。おかげで着地に失敗し、雪で身動きがとれない羽目になった。くうっ、何たる恥ずべきことか。そこをお前に救われたわけだ。助かったぞ、礼を言う」
「いや、礼なんていいですよ。それより……」ぼくは意を決して、自分の望みを口にした。「今から引き返しませんか? ぼくを月の皇女のもとに連れて行って欲しいんですけど」
「は?」ライゼルの目が驚きに見開かれた。「何を言っているんだ、お前?」
「ぼくも月の皇女のために働きたいんです。あなたの従者だって、何だっていい」
「バカか、お前」ライゼルは言った。「オレサマは神官の転送円で来たって言ったんだぞ」
「ええ、帰りもそうすればいいじゃないですか」
「転送円は一方通行だ。オレサマ一人じゃ帰れん」
「ええ?」ぼくは驚いた。「たった一人で敵陣に乗り込んできて、帰りのことは考えていない、と言うんですか?」
「そうとも。スーザン様のために、単独決死の覚悟で、敵陣に乗り込む。これぞ我が愛。これぞ我が勇気。これぞ我が誇りある星輝士魂の発露なのだ!」
 バカだ。
 すがすがしいほどのバカがここにいる。
 だけど、そのバカが他人のようには思えなかった。ぼくだって、同じことをしようと考えたのだから。バァトスはそれを愚行と断定し、協力を拒んだ。
 それに対して、目の前のライゼルは神官の協力を勝ち得て、単身乗り込んできた。ぼくにできないことを、この男はやり遂げたのだ。
 ただ違うのは、ぼくがあくまで話し合いを目的にしていたのに対し、ライゼルは戦いが目的だということ。
「真実の愛を、お前は知っているか?」ライゼルは右手の人差し指を天に掲げて、尋ねてきた。
「真実の愛?」
「そうだ。愛とはためらわないこと。こうと決めたら、一途に突き進む。あれこれ考えて迷うのは、愛が偽りだという証拠だ。オレサマのスーザン様への愛は、真実そのもの。他の偽りの愛など問題ではない。そして、星輝士は愛と勇気の戦士なのだ。だから、愛は勝つ。オレサマは勝つ。これぞ揺るぎない真実の光というやつだ」
 ライゼルの指が銃身のように突き付けられ、ぼくを射抜く。
「偽りの愛……」その言葉に、ぼくは打ちのめされた。
「さあ。これで、オレサマの事情は話し終わった。次は、お前の番だ」
「え?」不意にライゼルの姿が視界から消えた。と、背中に気配を感じたと思った瞬間、首根っこを押さえられ、左腕をつかまれる。
「おっと動くな。傷つけたくはない。正直に答えてもらうぞ」
「な、何をするんです?」
「心配するな。質問するだけだ。お前は答えるだけでいい」
「こんなことをしなくても、普通に答えますって」
「だったら聞く。カートとやら、お前は太陽陣営の斥候か何かだろう?」
「……」何と答えるべきか迷っていると、左腕が背中の方にねじられ、肩関節にギリギリと痛みが湧いてくる。
「隠してもムダだ。うまく一般人を装ったつもりかもしれないが、オレサマの目はごまかされん。並の星輝士ならいざ知らず、相手が悪かったようだな。お前の左腕の星輝石。それに気付かないとでも思ったか」
 うかつと言えば、うかつだった。別に隠そうとしていたわけではないけれど、余計なことを言わないよう、ただそれだけに心をとらわれ、自分の見かけまで気を留めることはなかった。これじゃ、頭隠して尻隠さずだ。
「大方、星輝士か術士の見習いで、夜の見張りを担当しているということだろうが、任務に忠実なのは誉めてやる。しかし、月の皇女のために働きたいと言うのは、どういう料簡だ? よもや、自分の陣営に嫌気が差して、裏切ろうとしているのではあるまいな」
「……」それにも何と答えていいか、分からなかった。ぼくは確かにスーザンのところに行こうとしたけれど、ジルファーやカレンさんたちを裏切ろうと思ったわけじゃない。嫌気が差したとしたら、それは太陽陣営の人間ではなく、ゾディアックの強要する儀式の戦いに限ってのことだ。
 だけど、ぼくはリメルガやロイドを動けないように、術をかけた。これは、見方によれば、裏切りに値しないだろうか。
「黙秘か」ライゼルはそうつぶやいた。「大方そういうことだな。月の陣営に来たいと言ったのは、こちらに適当に話を合わせて油断させるため。任務に忠実な斥候なら当然そう考えるだろう」
 勝手な解釈だと思いながら、それでもライゼルという男が意外と論理的に物事を考えていることに驚いた。夢のイメージでは、もっと感情だけの下卑た男だと思っていたけれど、曲がりなりにもジルファーの弟だけはある。
 だから、ぼくは相手が話のできる人間と判断して、こちらの情報を明かすことにした。左腕の痛みから解放されたいという気持ちもあったのだけど。
「話します。全て話します。だから腕を放して」
「話の内容による」
「確かに、ぼくは太陽陣営に所属します。でも、斥候じゃない」
「だったら何だ?」
「信じられないかもしれませんが……」覚悟を決めて打ち明ける。「ぼくがラーリオスなんです」
「は?」ライゼルの力が抜けた。
 その隙に彼の手から逃れることに成功する。
 慌てて、こちらを押さえようと飛びかかられる前に、ぼくは意志の力とともに言葉を放った。
「動くな!」
 ライゼルの動きが止まった。「一体、何のマネだ」こちらをにらみつけて来る。「このオレサマに抵抗しようというのか?」
「自分の身を守りたいだけです。落ち着いて話を聞いてください」
「何の話を聞くと言うんだ? お前がラーリオス? 妄言もたいがいにしろ。オレはよくバカだと言われるが、他人の嘘を見分けられないほどじゃない。それにバカを装っていると、相手が油断するからな。これも一つの知恵というやつよ。本気で、お前を村人Aと思ったわけじゃないし、太陽陣営だということも最初から分かっていた。全てを分かった上で、お前を油断させるための芝居だったんだが、まさか、ラーリオスの名を騙るとはな。そこまでの大嘘はオレサマでも思いつかないぜ。嘘ならもっとマシなことを言うんだな」
 いや、嘘じゃないし。
 それに、ライゼルが全てを分かっていたとは、とても思えない。何だか後から自分を飾るために、こじつけているような気もするんだけど。
「ぼくがラーリオスなら……何か不都合はありますか?」ただ真実のみを伝えたくて、こう問い質してみた。
「ないな」ライゼルは簡潔にそう答えたけれど、「しかし納得いかん。お前がラーリオスなら、何で一人でこんなところにいる? 従者ぐらいいて当然だろう」
 さて、どう説明したらいいだろう。
「ラーリオスだって、一人で深夜の散歩をしたくなることだってあるさ。今夜は、星がきれいだからね」
「お前、バカだろう?」ライゼルはぼくの回答にそう応じた。
「ぼくはバカじゃない」とっさにそう返す。
「い〜や、バカだ。お前が本当にラーリオスなら、正体を隠そうとするのが当たり前。それを自分を殺そうとする男の前で、正体を明かすなんて、バカそのものと言っていい。それに、お前がラーリオスでないなら、わざわざラーリオスを名乗って命を危険にさらすのも、バカな態度だ。つまり、お前がラーリオスであろうとなかろうと、バカなのは変わりないことになる」
 こいつ、ライゼルのくせに、やけに理屈めいたことを……。
「ぼくがバカかどうかは、大した問題じゃない」結局、そう割り切ることにした。「ラーリオスとしては、シンクロシアと戦わず、話し合いで解決することを望んでいる。あなたが月の陣営の誇り高い戦士なら、この伝言を持ち帰って、平和的共存のために尽力してもらいたい」
「断る!」ライゼルは即座に言い切った。「オレはそんなことを望んでいない。オレサマが望むのは、ジルファーとラーリオスの死だ。平和的共存? バカも休み休み言え。お前がラーリオスだと主張するのなら、オレのすることは一つ。お前をこの場で抹殺することだ。覚悟しろ!」
 どうやら、話し合いは決裂したようだ。
 動けない相手を前にどうすべきか、ぼくは思案した。
 相手は敵だ。動けないならチャンスだ。とどめを刺せ、と囁く声を感じる。
 殺すのはイヤだ。それよりも、この男がここに来ていることをジルファーやカレンさんに伝えないといけないのでは? と勧める声もある。
 だけど、考えている余裕はなかった。
 思いがけず、ライゼルが動き出したからだ。

「動くな!」術の効果時間が過ぎたのだと思い、再度、仕掛ける。
「やはり、お前はバカだ」ライゼルが冷ややかな笑みを浮かべた。「このようなチャチな術が、本当にオレサマに効いたと思うのか? バカにするな!」
 ライゼルの蹴りが腹部に襲い掛かり、防御も間に合わず、ぼくは弾き飛ばされる。窪地から飛び出した勢いのまま落下して、雪の中に体がめりこむのを感じる。
 意識が飛びかけたときに、ライゼルの勝ち誇った高笑いが聞こえてきて、何とか自分を保つことができた。
「ハーハッハッハッハーーッ! 相手が動けないと油断して、いろいろと喋ってくれたな。正直、お前がラーリオスなどとは信じられないが、それが本当なら、オレサマにとって好都合。仮に嘘でも、お前一人の命など、たかが知れている。太陽陣営への宣戦布告代わりにはなるだろうがな。おい、聞いているか、カートとやら……」
 ぼくはうめき声を上げることしかできなかった。
「ふん。星輝士の蹴りをまともにくらったんだ。術士程度じゃ、しばらく動けんだろう」ライゼルの声が響く。
「一つ教えてやろう。お前の術、ああいった言霊(ことだま)の類はな、ちょっとした暗示でしかない。星輝石を持たない曇りし者(クラウド)か、意思の弱い奴、あるいは星輝石を持っていても強く抵抗しない、信用して心を許している相手にしか通用しないものなんだよ。大方、下位の星輝士辺りを実験台にしたのかもしれないがな、オレサマをそんな奴らと一緒にするな。この《炎の星輝士》ライゼル様は、お前ごときの術じゃ抑えられないってこと、よっく覚えておけ」
 ああ、リメルガやロイドに術が効いたのは、二人がぼくを信用してくれていたからか。それなのに、ぼくは力に溺れてしまい……後できちんと謝らないと。
 ぼくは雪をつかみ、何とか身を起こそうとした。ストックを杖代わりに、と思ったけれども、手にはなかった。蹴りを受けたときに、弾き飛ばされたらしい。
 蹴られた腹の痛みは、すぐに収まった。星輝石の癒しの効果が自然に働いているのを感じる。最初の衝撃も加護の力で和らいだのかもしれない。以前にリメルガの拳を受けたときよりも、マシだと思える。こちらの打たれ強さがそれだけ向上しているのだろう。
「さて、小僧。選択の機会を与えてやろう」
 ぼくが態勢を整えようとしていると、ライゼルの声が聞こえてきた。そちらを見ると、《炎の星輝士》は窪地の上空に浮かび上がっていた。
 その姿はまさに赤き竜の戦士そのものだった。赤い鱗の鎧を身に付けた肉体は、筋肉質でいかにも頑健。それでいて柔軟さは損なわれていない均整な体つきと言える。痩せ型のジルファーよりは、ソラークに近いかもしれない。
 赤は膨張色なので紫よりも大きく見えるのかもしれないけど、それでも鎧の装飾自体、ジルファーのものよりも派手で重装甲。それでいて、ランツほど無骨でもない。装飾性と防御力を兼ね備え、力強さと優美さを両立させたデザインは、敵でなければ素直に絶賛するところだ。
 全体的に赤いカラーリングの中で、ところどころ黒いラインが目立つ。関節部や、装飾の縁取り、そして腹帯(ベルト)状のパーツ。ジルファーの鎧は紫が基本で、ラインは氷を思わせる白だったけれど、紫に対する白はあまり自己主張せずにしっくり収まっていた。それに比べて、ライゼルの赤地に黒のラインは、ひときわ目立って闇を想起させる。そう、ライゼルの鎧は、ぼくの怖れる闇と炎を体現した姿と言えた。
 黒い腹帯の中央に、血の色の星輝石が燃えるように凶暴な光を放っている。さらに赤い光はライゼルの背中からも伸びていた。ゴーッと紅炎(プロミネンス)のように伸びる炎の翼が、戦士の人型に龍のシルエットを与えていた。
 闇夜に浮かび上がる炎を身にまとった戦士、それこそがライゼル・パーサニア。ぼくの命を奪うために現われた刺客の姿だった。
 闇と炎の魔神。もしかすると、それはぼくではなく、ライゼルのことだったのではないか? 
 太陽の星輝石は、このことをぼくに伝えようとしていたのではないか? 
 ジルファーやカレンさん、リメルガやロイドを地獄の劫火に包むのがラーリオスだと考えたのは、ぼくの誤解だったのではないか?
 それほどの圧倒的な存在感を《炎の星輝士》は全身に帯びていた。
「選択肢は二つだ」ライゼルの重々しい声が轟く。
「一つは、オレサマの炎に焼かれてくたばるか」そう言うや、左手に火の玉が生成され、突き出すように放たれる。倒れ伏したままのぼくの右側に着弾。閃光と爆発音、衝撃と熱気がわずかな時間の差で一気に押し寄せてきた。ただの威嚇とはいえ、加護がなければ火傷を負わずには済まなかったろう。
「二つは、オレサマの華麗な剣技を味わい、切り刻まれて死ぬか」言葉とともに、右手に赤い刀身の剣が生成される。刃には炎が明滅し、辺りの空気がかすんで見える。ブンブン振るって、巧みな舞いをこれ見よがしに披露する。
 一通りの動きをこなした後、
「どっちにしろ、お前の死は確定した事実だがな。さあ、どっちにする?」選択を迫ってきた。
「どっちも断る!」ぼくは即座に立ち上がると、ためていた力を一気に放ちながら雪面を蹴った。
 ランツから覚えた重力制御の技を使い、勢いをつける。
 ライゼルの攻撃演舞(パフォーマンス)の間に探していた二本のストックの位置を確かめ、思念で呼びかける。別々の場所に転がっていたストックが、目に見えない糸に引っ張られるように飛来して、ぼくの両手にスッと収まる。
 ぼくは戦う技を習得していない。
 それでも、他の習い覚えた技を駆使して、何としても生き残るつもりだった。こんなところで殺されるわけには行かないのだ。
「逃げるだと? それでも、ゾディアックの誇りある戦士か!」ライゼルの声が背後に響く。
 そんな戦士になった覚えはない。心の中で反論する。
「逃げられると思うなよ!」背後から熱気が押し寄せるのを感じる。
 ぼくは滑りながら右側に避けた。左側で爆発があったけど、被害はない。
 ライゼルの攻撃は殺気を感じやすい。どちらに飛んでくるかは容易に分かる。飛んでくる方向さえ予測できれば、素人のぼくでもかわすことは可能だ。フットボールのような球技でも、ボールの動きをとらえ、それに合わせて動くのは基本。集団戦だと全体の場の流れをつかむのが困難だけど、1対1でかわすことに専念するのであれば、何とか対応できる。
 そして、ライゼルの執拗な火球弾を、ぼくはかわし続けた。
「ええい、ちょこまかと逃げ回りやがって!」思っていることをそのまま言葉に発するライゼル。「こっちは、飛びながらの射撃が苦手なんだ。飛行の制御をしながら、狙いをつけるなんて器用なマネができるかっての!」
 そうなのか。
 こちらの優位を、ぼくは感じた。この雪に覆われた大地なら、十分かわしきれると確信した。
 問題は、回避だけでは状況が好転しないということだ。生き残るためには、誰かの助けを借りないといけない。洞窟に逃げるか、それとも……
 ぼくは南に向かうことにした。カレンの森(カレンズ・ウッド)、そこにはランツがいる。
 もちろん、洞窟の方が仲間の数は多い。だけど、ジルファーを殺そうと思っているライゼルを、そちらに引き付けるのは抵抗があった。さらに、カレンさんたちを闇と炎に巻き込むわけにはいかない。それに、単純に距離から考えても、洞窟に戻るよりは森へ向かう方が近いと思えたからだ。
 そのとき、背後のライゼルが叫んだ。
「ええい、作戦変更。邪魔な雪から始末する。フォイヤーーーーーーッ!」
 飛んできたのは火球ではなく、熱気そのものだった。しかも、狙いはぼくではなく、ぼくの前の雪原。熱の風は殺傷力こそあまりないけれども、雪を溶かすには十分だった。
 ぼくの前の雪が急に消失し、窪地と化した。空中に投げ出されたぼくは、かろうじてスキー装備を収納し、受け身をとりながら地上にゴロゴロと転がった。
 窪地にライゼルも降り立った。ぼくも覚悟を決めて対峙する。
「フフフ。たかが一介のザコごときが手間を掛けさせやがって。これで、もう逃げられんぞ」悪役のようなセリフで脅しつけてくる。
「ああ、そのようだね」ぼくは身震いしながらも、冷静さは維持しようと努めた。「でも、君の方こそ、逃げなくていいのかな? あれだけ騒いだんだ。すぐに、ぼくの味方の星輝士が駆けつけて来るよ。多勢に無勢、ここは引いたほうが賢いと思うけど」
 地の利はこちらにある。うまく時間稼ぎさえできれば生き残られる。そう期待してみた。
「お前一人、殺すのに時間は掛からない」ライゼルはそう言い切った。「お前がラーリオスなら、それで戦いは終わりだ」
 確かにそうだ。ぼくが殺されたら全てが終わる。そして、ぼくは終わりたくない。
「くたばれ、火炎弾!」ライゼルが撃ってきた。地上から放つ射撃は正確だ。
 ぼくはジルファーの氷の術を受け止めたときのことを思いだし、左手で防護姿勢をとった。
 けれども、すぐにそれだけでは受け止めきれないと察し、対策を練る。
 収納したスキー板が《気》の力で楯の形に生成され、防護力を高めてくれる。
 その瞬間、熱と轟音と衝撃が襲い掛かってきた。
 爆発の炎と水蒸気で何も見えなくなる。
「フン。直撃だ。跡形もない」ライゼルはそう言ったけど、煙の中で立っているぼくの姿を見て、驚きの表情を浮かべた。「何? 無事だと?」
「楯のおかげでね」スキー板は焼け焦げ、これ以上の防護効果は期待できそうになかった。「大した破壊力さ。楯を作らなかったら、即死だったろうね。だけど、もう通用しない。一度味わった《気》の技は、ぼくには効かないんだ」
「何を寝言を!」そう叫んで、ライゼルは再度、火球を放った。
 それに耐えるのに、加護の力も必要ない。
 ぼくには星輝石を手に入れる前から持っていた才能、《気》の力を消去する能力がある。
 飛来する火球の熱気を、熱いスープの湯気のように吸い込む。
 全身で、火球の色を、音を、匂いを、味を、そして肌を燃やす熱さを感じとり、自分の中に受け入れ、そして呑みくだす。
 火球は消滅し、ぼくにわずかながら《気》のエネルギーを補充してくれた。
「こういう炎だったら、喜んで受け取るけどね」ぼくはにっこり微笑んだ。
「お前、ただのザコじゃないな」ライゼルはいっそう驚愕の面持ちを示した。
「言ったじゃないか。ぼくはラーリオスだって。信じないのは、そっちの勝手だけど」
「……信じよう」ライゼルは端正な顔を歪めて、ニヤリと笑んだ。「やはり、オレサマは幸運の女神に祝福されているようだ。さすがは、将来の勇者だぜ。いきなりお目当てのボスキャラに遭遇するとはな。てっきり斥候だと思って、敵陣に案内させるつもりだったが、手間が省けたってもんだ」
 そう言って、右手に炎の剣を生成する。「火球が通用しないなら、剣で戦うとしよう。お前も武器をとるがいい、ラーリオス。正々堂々の一騎討ちで勝負だ!」
 武器といっても……ぼくにあるのはスキーのストックだけ。
 こんなものが武器になるのか?
 ライゼルの炎の剣は、ダークジェダイの赤いライトセーバーのように輝いている。ストックで受け流そうとしても、たちまち切断されるか、熱で溶かされてしまうだろう。
 ぼくには、炎に対抗できる武器が必要だ。
『剣か。だったらジルファーから教えてもらえ』
 戦いのプロであるランツの言葉が蘇ってきた。それに、
『ジルファーの氷の楯は、再生してまとわりついて来る。砕くのは簡単でも、割っても割っても、また固まってくるのでキリがねえ。短期決戦で勝負をかけるならオレの勝ち、のらりくらりといなされたら奴のペースになるだろうな』
 今、ぼくに必要なのは時間稼ぎだ。
 だったら、ジルファーの技を借りるしかない。
 幸い、氷の《気》はぼくが作らなくても、周囲に豊富にあった。やっぱり地の利は、ぼくにある。
 ぼくは左手を高く掲げた。「《氷》よ、我に力を!」
 氷のグラスを生成したときの感覚を呼び覚ます。
 さらに、加護の試験のときに、ジルファーの放った冷気の感覚を。
 ぼくはジルファーから全ての技を学んだわけではない。
 だけど、何も学ばなかったわけでもない。
 生き延びるためには、学んだことをきっちり活かし、状況に対応しないといけない。
 幸い、氷の《気》はこちらの意志に応じてくれた。辺りの雪から淡いブルーの光が伸び広がり、焼け焦げたスキー板の楯を包み込むと、氷の防護能力を与えてくれる。
 さらに、ぼくは右手にストックを構成し、正面、真一文字にかざした。
 左の手の平で金属の棒に触れ、氷の《気》を注ぎ込みながら先端まで鞘を滑らすように撫でつける。《気》の力を受けた部分から青い光が放たれ、ジェダイのライトセーバーのような輝く刀身が生成される。
 こうして、ぼくの武器となる氷の剣が完成した。
「ふん、面白い。何をするかと思えば、ジルファーの技とはな」ライゼルが舌なめずりをしてみせた。「ラーリオス、そしてジルファーの技。まさにオレサマ向きの、格好のお膳立てってところだ。行くぞッ!」そう言って、炎の剣を振り上げ、勢い良く斬りかかってくる。
 武器を作り終えたばかりのぼくは、とっさに楯の方を構えて、攻撃を受け止める。
 炎と氷がぶつかり合って、ジューッと蒸気が立ち上る。
 楯の一部が溶け、砕けた。
「ハハハ、防御力は大したことなさそうだな。脆すぎるぞ」
「そうだけど……」ぼくは強引に相手を押し返した。力比べなら決して負けはしない。
 同時に数歩引き下がって、距離を取る。そして少し念じると《氷》が再び結晶し、欠けた部分が再構成される。「これが氷の技だ」
「ええい、小細工を!」ライゼルは再び斬りかかった。「何度だって砕いてやる。そらそらそらそらソラーーーッ!」怒涛のような攻撃をぼくは必死に凌いだけれど、その都度、楯が砕かれ、再生が間に合わない。
 ぼくはやむなく、剣で突き込んだ。不意を突いたその攻撃はライゼルに命中したけれど、鎧を貫くことはできず、火花を放っただけだった。
「フッ、腰が入ってない!」ライゼルは今度は楯ではなく、剣に応じた。巧みな技量に得物を弾き飛ばされそうになり、慌てて左手で支える。
 両手に握った氷の刃と、片手だけの炎の刃が、ギリギリと互いを押し込もうと競り合う。
 幸い、ぼくの剣は楯と違って砕けたりはしなかった。元々、スキー板自体が最初の火球で防御力を失っていたために、脆かったのだろう。ストック製の剣は、元の素材が丈夫な金属ということもあって、十分な防御効果を備えている。
 再生の隙を相手が与えてくれない以上、楯での受けは当てにならない、とぼくは判断した。
「お前、《気》の技は効かないと言ったな」ライゼルが嫌らしく言った。「今の態勢でもそうか?」
「何?」
 ライゼルは右手で刃を支えつつ、空いていた左手をぼくの方に向けた。火球が瞬時に生成され、至近距離で放たれる。とっさにその力を吸収しようとしたけど、能力の発動には相応の集中が必要だったらしい。
 消去は間に合わず、ぼくは火球の爆発にさらされた。
 轟音が耳をつんざき、衝撃とともに吹き飛ばされる。
「やはり、至近距離の火球には対応できないようだな」ライゼルの声が遠くで聞こえた。耳がおかしくなったのか、それだけ飛ばされたのか、とっさに分からない。
 何とか体を起こすと、相手は十歩ほどの距離にいた。走って踏み込めば数瞬の間合い。
 だけど、ライゼルはこちらが立ち上がるのを待っているようだ。彼なりの騎士道精神を弁えているらしく、無防備な相手を一方的になぶるのを良しとしないのかもしれない。
 ぼくは立ち上がる前に、自分の状況を確認した。
 楯は完全に焼失していた。先ほどの火球に対して、身を守るためにとっさに構えたのだ。そのために直撃は免れたのだけど、もはや再生はできないだろう。
 剣は手になかった。よく見ると、ライゼルの足元に転がっている。
 そして肝心の体は……まだいけそうだった。スキー板を失った以上、今さら逃げることもできない。戦って切り抜けるしかないのだ。
 ぼくは立ち上がった。
「いい度胸だ」ライゼルは嬉しそうな笑みを浮かべた。「あれでくたばってちゃ、こっちが物足りないからな。ラーリオスだったら、楽しませてもらわないと」
 剣で戦って勝てるとは思えない。武器は作ることができても、ぼくは剣術の訓練を受けたりはしていない。楯があればこそ、防御に専念して何とかなると思ったけれど、剣だけで相手の攻撃を凌ぎきれるとは思えない。ましてや、攻撃に移ったとしても、相手の鎧を貫くことは困難。鎧の隙を狙おうにも、そのような技量はぼくにはない。
 それなら、接近戦以外で何とかできないか?
 ライゼルの火球に対抗するための飛び道具。
 ぼくは両手を高く掲げた。武器に《気》が込められるなら、直接、《気》の技を相手にぶつけることだって可能なはずだ。
「くらえ、ジルファー先生の技!」
 周囲の雪から力を集め、冷気として放つ。
「そんなもの。フォイヤーーーーーーッ!」
 ライゼルも熱気を放った。
 青と赤の光となった《気》が中央で激しくぶつかり渦を巻く。
 二つの力は対等なようだ。
 ぼくとライゼルは、自分の《気》で押し込もうと手の平で構えをとり、念じ続けた。
「くっ」先に力を失ったのは、ぼくではなく、ライゼルの方だった。
 ぼくが周囲の環境から力を借りているのに対し、ライゼルの熱気は自前だ。それだけ消耗も早かったのだろう。
 これなら行ける。
 ぼくはそう判断し、自分の《気》の流れに乗って踏み出した。ライゼルの熱気を押し込まず、体だけ進めて《気》の衝突点、紫に輝く渦の中心に分け入る。そして、熱を発する赤い《気》をも吸収しながら、自らの力と為す。
 周囲の《気》がぼくを中心に流れ込んでくるのを感じた。
 右手に炎の力、左手に氷の力を宿したぼくは、フットボール仕込みの勢いをつけて突進する。
「うぉぉぉぉぉぉーーーーーーッ!」雄たけびを上げながら、ライゼルにぶつかっていく。
 冷気を帯びた左手で、襲い来る炎の刃の軌道をうまくそらす。
 炎に包まれた右拳を、そのまま無防備な相手の顔面に叩き込んだ。
 勝った。
 腰を入れた渾身のパンチで、相手の体が弾き飛ばされるのを見ながら、ぼくはその場に膝をついた。

 だけど、ライゼルは倒れなかった。
 空中に舞い上がったその体は、炎の翼を広げると、後方宙返りしながら器用に着地した。
「おのれーーーーッ。ラーリオス、ジールファーーーッ。絶対に許さんゾーーッ!」我を忘れて吼え猛る。その目が憤怒に彩られている。
 ぼくは己の過ちを悟った。
 もっと防御に徹し、時間稼ぎに専念すべきだったのだ。
 それを調子づいて、攻撃に転じてしまった。
 《気》の力を使いこなせば、星輝士にだって勝てる。そう思いこんでいた。
 しかし、現実は甘くなかった。ぼくの全力の一撃は、ライゼルに致命傷を与えるには遠く及ばなかった。
『お前のパンチじゃ、人は殺せない』
 リメルガの言葉が蘇ってくる。
 パンチで無理なら……ぼくはその場に落ちていた剣を拾い上げた。この剣に、炎と氷の《気》を込めて威力を高めることができれば、あるいは……。
 ぼくはもはや、ライゼルを殺すことを躊躇しなかった。相手の殺気に感化されたのか、それとも、ぼく自身の本能や衝動に火がついたのか、悪夢の中の獣人と変わらない闘争心だけが内面を満たしていた。
 しかし、それは相手も同じだった。
「小僧、お前はオレを本気で怒らせたッ! 星輝士の真の力を思い知らせてやる!」そう宣言したライゼルは一声、叫んだ。「輝面転装!」
 星輝士は鎧を身につけた人間。そう見なしていた。
 獣人ラーリオスも単に悪夢の中の存在でしかない、そんな思い込みがあった。
 しかし、ライゼルの変化は、悪夢の獣人の記憶をまざまざと呼び起こした。
 竜を模した額冠が輝くと、ライゼルの頭部に同化する。
 瞳が赤く輝くと、人の物とは異なる爬虫類のそれと変わる。
 口が裂け、肉食獣の牙が生えてくる。
 顔の全面に鱗が浮かび上がる。
 そして鋭利で硬質な角が伸び、同時に体にも変化が生じる。
 筋肉がいっそう盛り上がり、拳は人外の鉤爪と化す。
 そこにいたのは、竜の鎧を着た人間ではなく、人体を模した赤き竜そのものだった。
 夢で見た獣人ラーリオス、あるいは悪魔シンクロシアの姿を子供だましと感じさせるほど、存在感のある醜悪な怪物の姿が舞い上がった。
 ぼくは恐怖に怯えながら、心許ない気持ちで剣を握りしめた。切っ先が震えるのを止めることができない。
 竜人ライゼルは、開いた(あぎと)から火を吐いた。
 思いがけない攻撃に、かろうじて氷の《気》で防護した。
 そのまま舞い降りる化け物に、強引に剣で斬り付けようとする。
 しかし、さらなる予想できない攻撃に見舞われた。竜人には、人にはない尻尾が生えていたのだ。ブンッと振るわれた強靭な尾の一撃がぼくの右手を弾き、あっさり剣を叩き落とす。
 無防備になったぼくの頭上から、鉤爪が振り下ろされる。
 とっさに、ぼくは左腕で頭を守った。
 致命傷は免れたが、それでも致命的な攻撃だった。
 ライゼルの鋭い鉤爪はぼくの左手首を切断し、星輝石の腕輪ごと体から弾き飛ばしたのだ。
 真っ赤な血が噴き出し、ぼくは今までにない絶叫を上げた。
 体の一部だけでなく、ぼくは星輝石の加護そのものをも失ってしまった。
 視界もかすみ、聴覚もあいまいになり、ただ痛覚だけが身を覆う。
 その後、ライゼルの全身の熱気が、辺りの冷気と融合し、悪寒と発熱の両方を同時にもたらした。自分の中にたまっていた冷気と熱気が、あたかも逆流して襲い掛かってきたように。
 激しく心臓が高鳴り、頭がガンガンと割れるように痛み、ぼくは死を覚悟した。
 このまま竜人に引き裂かれたら、全ては終わるだろう。
 夢の中で獣人ラーリオスに殺害されたスーザンの姿が思い浮かぶ。
 ごめんよ、スーザン。
 ぼくはそう心につぶやくと、力なく倒れ伏した。

「死んだか」ライゼルの声が上から聞こえる。
 ぼくはうめき声を漏らした。
「しぶといな」ライゼルの声は冷静だった。「じきに死ぬだろうがな。情けぐらいはかけてやる。死ぬ前に何か言い残すことはあるか?」
 言い残すこと……。
 死にたくないってか。
 それじゃ格好悪い。
 これで死ぬんだったら、ハードボイルドな最期でいたい。自分らしさを残せるように。
 運命に抗って死んだ気持ちが残せるように。
「う、歌が……聞きたいな」朦朧とした頭のまま、渇いた喉で何とかしぼり出す。
「歌だと?」ライゼルは顔を近づけて、ぼくの言葉を聞き取ろうとした。それは竜人のそれではなく、ジルファーに似た端正さと理性を取り戻していた。「子守歌か何かか? いや、違うな。こういうときは……そう、葬送曲(レクイエム)だったか。だが、オレの歌を聞け、などとは言わないぜ。オレは歌い手じゃないからな」
「ハハ、あなたの歌なんて期待してない」戦士の言葉に軽いユーモアを感じながら、力なく笑った。「あなたが許してくれるなら……」ぼくは残された力で懐を探った。
 戦いの中でなくしていなければいい、と思いながら。
 あった。
 右手が携帯電話を探り当てた。
 そのまま取り出すと、ぎこちない動きながらも手慣れた操作で、お気に入りの曲を呼び出す。
 エレキギターのイントロが鳴り響き、好きな女性ボーカルの声に期待を寄せたとき、

 ライゼルの足が、携帯電話ごと、ぼくの右手を踏みつぶした。
 残された手ごと、ぼくの核と言うべき歌や音楽のデータの詰まった機械が踏みにじられ、砕かれた。
 ぼくは痛み以上に愕然とした気持ちで、無慈悲な足の主をにらみつけた。
「そんな目で見るなよ、ラーリオス。お前はオレを本気にさせた戦士だ。敬意を表して、崇高な葬送曲で見送ってやるぐらい、許してやろうとは思ったんだ」
 それなのに、どうして? 
「だけどな、お前、趣味が悪いぜ。クラシックの交響曲ならともかく、エレキギターのロックだと? そんな退廃的な悪魔の音楽を聞きながら死にたいだって? 間違いなく地獄行きだぜ。こう見えても、オレサマはお前のためを思ったんだ。文句を言わず、安らいで死にやがれ。今、楽にしてやる」
 ここに悪魔が本当に現われたなら、ぼくは魂を売って、この狭量で傲慢な男に呪いを掛けていたろう。
 だけど、ぼくにはそんな力もなく、ただ死を待つだけだった。
 最後に聞きたかった歌も聞けず……。

 どこかで幻聴のようにエレキギターの音色が聞こえてきた。
 そして、聞きたかったあの歌。
 ぼくは瞳を閉じて聞き入った。

『がんじがらめの鎖に縛られても
 決してあきらめないで
 運命なんて打ち破れ』

「何だと、この声。まさか……」ライゼルが呆然とつぶやいた。「追いかけてきたか、セイレーン」
 すぐには気付かなかった。
 そのコードネームの主が、サマンサ・マロリーその人だってことに。


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