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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(3−13)


 
3ー13章 セイクリッド・ウォー

 窪地(くぼち)を見下ろす雪原に、鎧をまとった男女3人の戦士と、1つの影が立っていた。

 指揮役(リーダー)として中央手前に出ていたのは、《風の星輝士》イカロスのソラーク。黄金の板金鎧(プレートメール)と背中の翼は、まるで天界から降り立ったような光の騎士。頭に付けた額冠には鋭いタカの目の装飾が施され、本来の人の目と合わせて、4つの輝くブルーの瞳でぼくたちを射抜くように見下ろしている。さらに鮮烈な青い光を放っているのが、腹部の星輝石。澄んだ蒼穹(そら)の色と、気高く堅固な黄金の色が、ソラークという男を象徴していた。
 その左奥に(はべ)るように立つのが、《氷の星輝士》ファフニールのジルファー。彼の鎧は紫の龍鱗(ドラゴンスケイル)。先ほど見えた翼は背部に折りたたまれ、前からは見えない。同じ鱗鎧でも弟の派手さに比べると、繊細でスマート、精巧な氷細工を思わせる芸術品。かたわらのソラークの発散する力強さと並べると、一歩引いてぼんやりとかすんで見える幽玄さ。だけど、戦士の強さは見かけだけでは決してないことを、ぼくは学んでいた。とは言え、内面の強さを測るほどの経験はないので、自分の師匠というべき人間が戦場でどれほどの力を発揮するかは、はっきり分からない。腹部の星輝石だけが内面の力を示すように、ただ静かに紫の光をたたえている。
 反対側、ソラークの右側に付き従うのが、《森の星輝士》ワルキューレのカレンさん。彼女の鎧は、兄のソラークと好対照をなす白銀色。雪原では保護色のようだけど、放たれる輝きのために埋没することはない。希望を乗せるような銀の翼は、兄と共通の印象を与えるけれど、鎧そのもののデザインはより女性らしい丸みと(なめ)らかさを帯びていた。サミィのようにあからさまな凹凸はなく控えめだけど、腰がミニスカート上の構造(パーツ)になっていて、ちらちら見える太股のラインがぼくを(まぶ)しく(いざな)う。その上は薄桃色の腹帯に備えられた緑色の星輝石が、穏やかな光とともに内包した癒しの力の片鱗を発散させている。こちらを見下ろす顔つきはあくまで凛々しく、鎧姿だからか日頃の穏やかさとは違った印象だ。金色の髪を飾る額冠のデザインは鳥のくちばし状の目庇(バイザー)になっていて、左右には鳥の翼状の部品(パーツ)が伸び、優美な印象を高めている。まさに戦場に降り立った天使の姿そのものだった。
 しかし、その斜め後ろには影が侍していた。白き天使に(かげ)りを添える黒ローブは、死神のように身を潜めているようでいて、消せない存在感を(かも)し出している。《影の神官》バァトス。
 どうして、この男までここに?
 その疑問の答えは、男の手にしている凝った造りの杖と、その先端の珠から上空に伸びる微かな紫光が示していた。消えかけた紫の五芒星。つまり、この男が転送円を発動させて、三人の星輝士をこの戦場に導いたのだろう。彼がいなければ、ソラークたちの到着はもっと遅れていたはずだ。
 ぼくはこの夜、この男と密談めいた話をし、意見の決裂の結果、感情的に術を発動させて相手の言葉を封じた。そのことをどう受け取ったのかは分からないし、ソラークたちにどう説明したのかも分からない。
 だけど、今の状況を切り抜けた後は、みんなにきちんと釈明しよう、と決意した。
 どうかしていたんだ。
 一人で思い悩んだ挙句、こそこそと陰謀めいた手法で物事を解決しようとするなんて、ぼくらしくない。かけがえのない人たちの信頼を反古(ほご)にしないためにも、想いはきちんと伝えないと。好きな相手だけではなく、自分を支えてくれる人たちみんなに気持ちを伝えることの大切さ、それは先程たった一人で殺されそうになった経験もあって、痛いほど感じていた。
 誰にも想いを伝えることなく惨めに死んでしまう悲劇は経験したくない。
 仮に命を落とすにしても、自分の気持ちだけは誰かに伝え、精一杯生きた証として遺しておきたい。そういう機会がまだ失われていないことを、ぼくは喜ばしく思った。
 星は一つじゃない。
 星座を形作るには、多くの絆を結ばないといけない。それこそがゾディアックなら、かけがえのない組織と言えるだろう。決して独り善がりではなく、世界を(あまね)く光で照らす組織なら。
 《数多の星々》(カウントレス・スターズ)、儀式の果てに得られる星霊皇の象徴。それが魂の絆を意味するなら、スーザンの気持ちも分かる気がした。
 星々に手を伸ばす理由(リーズン・トゥ・リーチ)
 もはや考えるまでもなかった。このかけがえのない数多の想いを守るため。それこそが、ぼくの理由。

 理解は数瞬だった。
 星空の下の星輝士たちの神秘的な姿と、これまで経験してきた試練が、一種の悟りめいた心情を脳裏に描いてみせた。
 この場に集った多くの星輝石たちが、ぼくの感受性と思考力を高めてくれたのかもしれない。
 だから、ランツが仲間に声を掛けたときには、観察と思索は終わっていた。
「よう、ソラーク。いいところに来た」油断なくライゼルに目をやりながら、鎧に付いたカニの脚部を持ち上げ、合図を送る。
「クレーブスのランツ。状況を説明してくれ」ソラークのよく響く声が問い掛ける。
「見たら分かるだろう。月の奴ら2人が、オレたちの縄張りに入ってきた。目的はうちの大将の命だ。だから戦っている」
「その通りだ」ライゼルが隠そうともせずに言い放つ。「オレサマの目的は、ラーリオスとジルファーだ。他の奴らはどうだっていい。だが、邪魔すれば、そいつも餌食にしてくれる」
「ちょ、ちょっと」サミィが慌てた。「ソラーク君、誤解しないで。あたしはパーサニアのバカを止めに来たんだ。ネストール様の指示でね」
「パーサニアのバカではない」とジルファーが言った。「ライゼルのバカと改めてもらおう」
「そんなこと、どうだっていいよ。あたしは敵じゃない。それと、ラーリオス様が左腕にひどい怪我をしている。カレンちゃん、あんたの助けが必要だよ」
「リオ様が?」カレンさんの反応は早かった。すぐに雪上から翼を広げ、舞い降りてくる。直後にジルファーも従った。
 ソラークだけが雪上に残ったまま、ライゼルに睨みを利かせていた。
「《炎の星輝士》レギンのライゼル。どういうことか説明してもらおう。ラーリオス様の命を狙うとは、儀式を妨害する背信行為。それが事実なら、ネストール殿になり代わり、裏切り者として我が手で鉄槌を下さねばならんが」
「おお、イカロスの(にい)ちゃん。あんたは相変わらずの堅物だな。そういう生真面目さは嫌いじゃないが、自慢のタカの目も節穴みたいだ。何も世界の真実が見えていないようだしな」
「世界の真実?」
「この世には、星王神の光以上に多くの《闇》が眠っている、という真実だよ。人の心にもな。今のあんたにそれは見えているのか? 《闇》の(ことわり)というやつが。オレサマには見えるぜ。あんたの心にも《闇》が眠っていることがな。あんただけじゃない。ここにいる全員の中に《闇》は巣食っている。気付いているか気付いていないか、ただそれだけの違いだ」
 ソラークは、しばし沈黙したまま、ライゼルを見下ろした。
 風が時間を止めたように感じる。

 炎と風のやりとりの間に、カレンさんが素早くぼくの体を横たえた。
 あまりに手際よい動きなので、抵抗する間もなく、ぼくは彼女に身を委ねることにした。
 左手の怪我を確認すると、その場に腰を下ろした姿勢でサミィに言葉を掛ける。
「サマンサ、あなたのことは好きになれないけど、お礼は言わないとね。リオ様の手当をしてくれたのだから」
「大したことはしてないさ」サミィもぼくの横に膝まづき、正面からカレンさんに向き合った。「この子は、自分で止血までしたんだ。あんたの教え方が上手かったのかね。あたしはハンカチ巻いて、痛み止めともう出血しないように、おまじないを掛けただけだよ」
「それでも感謝してる。ありがとう」
「感謝だったら、もう、あたしのことを嫌わないでくれると嬉しいね。あたしは、あんたも、ソラーク君も大好きなんだから」サミィの言い方はあっけらかんとしていた。
 だけど、その率直さは、カレンさんには受け入れ難いらしい。
「あなたのそういうところが気に入らないの」不機嫌さを隠さずに言う。「そうやって、兄にちょっかいをかけないでもらえる? 他の男にも、そんな風に気を()こうとしてるんじゃないの?」
「そいつは誤解さ」サミィの頭の猫耳が心なしかシュンと垂れ下がったようだ。「あたしはそこまで尻軽じゃない。ファンの子への愛情を除けば、ソラーク君一筋なんだから。そりゃ、向こうには素っ気なくされてるし、あんたには疎まれてるけどね。おまけに儀式じゃ敵味方に分かれているんだ、笑うしかない状況だよ。せめて、気持ちだけでも真っ正直に伝えたっていいじゃないか。あんたには、そういう人はいないのかい、カレンちゃん? お兄さんっ子だって聞いたけど、いい(ひと)が現われたら……」
「あなたには関係ないわ」カレンさんの顔が紅潮する。それでも瞳は青く、冷ややかだ。
 あのう、ぼくこそ、こういう話には関係ないんだけど。
 そういう女同士の会話はこちらの聞いてないところで、やってくれないかな? 
「怪我の原因は、やはりライゼルか?」と、ジルファーが割り込んで、女性陣の会話を止めてくれた。
 助かった、と彼に感謝の目を向けながら、ぼくは黙ってうなずいた。
「そうか、済まないな。愚弟の不始末はこの手で償う」そうつぶやいて、ジルファーはランツの方に向かった。
 ちょ、ちょっと。
 取り残された形のぼくは、横たわったまま、顔と意識だけそちらに向けた。

 ソラークは、いつの間にかランツのそばに降り立っていた。
 すぐにも、斬り合いを再開しようとする好戦的な戦士たちを牽制している形だ。
「闇が世界の真実だと?」ソラークがライゼルに疑問をぶつけた。
「それは聞き捨てならないな」そこにジルファーの声が割り込む。「ライゼル、お前に何が分かる?」
「お前がそれを言うか、ジルファー!」ライゼルの憎々しげな声。「お前の存在こそ、オレの心の中の《闇》を活性化させる。お前を倒せば、《闇》もおとなしくなるんだよ。さあ、分かったらオレサマと正々堂々、戦え」
「こいつ、何言ってんだか分からねえよ」ランツの声。「追いつめられて、とち狂ってるんじゃねえのか」
 確かに、そうだった。ライゼルは狂気に陥っている。
 だけど、その原因は追いつめられたからじゃない。
 もっと内面に巣食うもの、《邪霊》に取り付かれているからじゃないか。
 《邪霊》すなわち《闇》、さっきから何度もライゼルは《闇》という単語を連発している。しかし、ぼくやサミィが感じたおぞましい気配は内に秘めたまま、表面上は星輝士として振る舞っている。これが《闇》の脅威を軽く思わせているのかもしれない。
 それとも、もしかして、ここにいる星輝士たちは《闇》と呼ばれる存在について、知らないのではないか。ただの一般名詞の闇のつもりで聞いていて、《邪霊》という危機については認識していない。
 その存在を知っているのは、星輝士ではなく、スーザンやトロイメライ、バァトスといった巫女や神官の経歴を持つ者だけで、一般の星輝士には知識として正しく伝えられてないのではないか。知っているなら、ジルファーがぼくに教えてくれていたはずだ。だが、ジルファーはぼくが話した《闇》について、逆に質問してきたぐらいだ。
「闇とは何だ?」ソラークが尋ねた。「何か特別な意味を込めて、口にしているようだが」
 ライゼルに向けたその質問は、ぼくの疑いを確信に変えた。
 《闇》に関する伝承は、星輝士に正しく伝えられていない。もしかすると、これこそ、昔バァトスが言っていた『並みの星輝士には知り得ない影派の秘儀たる知識』なのかも知れない。
 トロイメライは《影の星輝士》であり、スーザンは彼女の教え子だから知り得た。
 だけど、カレンさんは? 
 彼女は《闇》についてあまり知らないようだった。
 知っていれば、今までも話題に出していただろう。
 星王神に懐疑的な彼女が、仮に《闇》について知っていれば、信仰を考察する材料にしていたかもしれない。
 そもそも、彼女はバァトスの資料に触れ得る立場だ。《闇》の危険を承知していれば、ジルファーの協力を拒んでいた、とは思えない。
 そこまで考えを巡らせてから、ハッと気付いた。
 カレンさんはすぐそばにいるんだ。疑問があったら、直接聞けばいいんじゃないか? 
 考える人間が賢いとは限らない。その場で適切な行動がとれる人間が賢いんだと思う。
「《闇》とは力だ」ライゼルの答えが響いた。「全てを手にする力。それこそ《闇》」
「おい、こんな答えしか返ってこないんじゃ、聞くだけ無駄だぜ」ランツが呆れたように言った。「闇がどうこうとか、気にしたって仕方ない。こいつは頭がイカレちまってんだ」
「お前も《闇》だ」ライゼルがランツに指を突きつけた。「感じられないか。星輝石の中に潜む先人の魂を。《闇》に惹かれ、裏切り者と称された邪悪な魂を」
「感じねえよ、そんなもの。お前みたいなバカといっしょにするな」
 質問する相手を間違えると、正しい答えは返ってこない。
 ライゼルは《闇》を宿しているが、《闇》が何か知っているわけではない。
 知っているのは……ぼくはカレンさんを見た。
 彼女は鋭い視線で、ソラークたちの会話に注目していた。
 当然だ。いつ、戦いが発生するかも分からない。
 ぼくはサミィにも目をやった。
 こちらも猫のような大きな目に不安を宿している。
「サミィ、君は感じたかい? さっきのライゼルの力を」
「ああ、あれが《闇》って奴かい? 一体、何だろう、あれは?」
「《邪霊》。人の心に巣食う悪しき魂らしい。星霊皇の封印から解放されつつあるようだ」
「どこで、そんな話を?」カレンさんが尋ねてきた。
「知っている話?」ぼくは逆に尋ねた。
「……いいえ」一瞬、間があったのは気のせいか。「私の聞いた神学教義には語られていない。だから、不思議なの。そんな重要な話をどうしてリオ様が知っているのかって。ジルファーから聞いたの?」
「星輝石」ぼくはそう答えた。どうしてカレンさんに疑惑を感じるのか、不思議に思いながら。
『ワルキューレを信用しないこと』
 これか。不意に聞こえたようなトロイメライの声が、ぼくを納得させた。
 一連の出来事は、もちろんトロイメライの差し金なのだ。
 ライゼルを使って、ぼくを殺そうとしたのも。
 いや、だけど、それはおかしい気がする。彼女の目的は、ぼくを《暗黒の王》として覚醒させることだったはず。少なくとも、夢の中ではそう言っていた。夢と現実は違うのか? 
 ぼくは苦笑を浮かべた。
 夢と現実は、もちろん違う。だから、ぼくは夢ではなく、現実で答えを探そうとした。トロイメライに会おうとして果たせず、代わりにスーザンに会いに行こうとした。
 その過程で、バァトスに話を持ちかけたのだ。結局、断られたのだけど。
 そう、バァトス。全ての手がかりはあいつにある。カレンさんを疑うなんて、筋違いだ。
「神官殿はどこ?」ぼくは起き上がって、探そうとした。どこだ、あいつは?
「いけません、リオ様」カレンさんが止めようとする。
「どいて。バァトスを探さないと」
「だめです。すぐに洞窟に戻って、安静にしないと。腕だって、生えてくるわけじゃないんだから」
「そんなことを言っている場合じゃない」ぼくはふらつきながらも何とか立ち上がった。「《闇》が動いているんだよ。ぼくはラーリオスとして、陰謀を止めないといけない」
「リオ様の体の方が大事です」カレンさんがすがりついてくる。どうして、ここまで、ぼくを止めようとするんだ?
「カレンちゃん、いい加減にしなよ」サミィが声を掛けてきた。「何だよ、さっきから、リオ様、リオ様って。あんた、この子の保護者かい? この子は何かを考えて、行動しようとしている。だったら、好きにさせてやんな。過保護に振る舞うだけが愛情じゃないだろう?」
『なっ』ぼくとカレンさんは同時に同じ言葉を発した。
「おや、その反応は図星かい。カレンちゃんは、ラーリオス様に惚れているんだね」
「バカなことを言わないで!」カレンさんは顔を紅潮させた。「私はただ、臣下として心配しているだけで……」
「でも、これは禁断の恋だ」サミィはにんまりと言った。「ラーリオス様は、シンクロシア様との絆がある。どうも、あんたはお兄さんといい、結ばれ得ない相手にばかり目が行くみたいだね」
「いい加減にしないと……」カレンさんの表情が不意に冷ややかになった。瞳に暗いものが混じる。
「おい、サマンサ・マロリー!」ぼくはフルネームで呼んだ。「今はそんな話をしている場合じゃないだろう。カレンさんが誰を好きだろうが、ぼくがカレンさんを好きだろうが、そんなことは君には関係ない!」
「おや、あんたもカレンちゃんのことが好きなんだ」
「そんなこと……」言ってない、と言いかけて、つい口をすべらせて言ってしまったことに気付く。ランツやソラークの方に目をやる。幸い、聞かれていなかったようだ。
「リオ様、今のお言葉……」カレンさんの目が心なしか潤んでいるように見える。怒りの冷ややかさとはうって変わって、微妙な恥じらいの色が見え隠れして……。
「とにかく、バァトスだ!」ぼくは叫んだ。

「お呼びになりましたか?」
 不意にかたわらから声がして、心底驚いた。
「バ、バトーツァさん?」思わず、ていねいな口調になる。
「ククク、ラーリオス様。落とし物です」そう言って、黒ローブの神官は左手を差し出した。ぼくの切り落とされた手を携えながら。「このような大事なものを失くされてはいけませんな。大切になさりませんと」
 自分の手とは言え、この陰気な神官に差し出されると、何だかホラー映画の呪われた品物のように思え、素直に受け取るのがはばかられた。
「今は星輝石をお持ちでないようですな」バァトスはニタリと笑みを浮かべた。「形勢逆転と申しましょうか」右手に持った杖をこれ見よがしに振ってみせる。その先端についた珠が、星輝石かそれに相当する力を持っていることが察せられた。
 ぼくはゴクリと唾を飲み込んだ。
 この男がぼくを恨んでいるなら、何をされるか分からない。カレンさんやサミィは、守ってくれるだろうか? 
 ちらっと、二人に目をやった。神官が不意に近くに現われたので、少し距離をとって警戒している。観察には最適だけど、とっさに庇うには遠すぎる距離。
 神官が何か術を使おうとしたら、杖の先の珠を右手で握りしめてやろうと思った。何か対策になるかもしれない。
 その上で、ぼくは神官に言葉をかけた。
「うまく牢から出られたようだね」敵意のない様子を見せようと、右手を開いてみせる。何かあれば、杖に伸ばせるぐらいの距離を意識しながら。その上で問うた。「どうやって?」
「あなた様の脱走に気付かれたパーサニア殿とワルキューレ殿が出してくれましたよ」そう言いながら、バァトスはカレンさんに感謝の礼を示した。「いけませんな。大切な女性に心配をお掛けするとは。ゴリラや小犬に対するやり方も、あなた様らしくない。一体、どのような邪悪が取り付いたのでしょうな? 逃げるなら、もっと密やかに動くべきだったと存じます」
「……愚行だったことは認めるよ。あなたの警告どおりだ。慢心していたのかもしれない」
「お分かりになればよろしいのですよ。御身は大切なお体だ。儀式の前に命を落とすようなことがなくて、何よりです」
「……君は、ぼくの命を狙っていたのではないのか?」ぼくはライゼルをちらっと示した。「あの《闇》はてっきり、《影》の差し金とばかり」
「あれは想定外ですよ。あなた様の行動と同じく」バァトスはため息をついた。「師の綿密な計画も、想定外の動きが二つもあれば取り繕うのが大変です。師は自由意思を尊重しますが、制御できない混沌までは望みません」
「ぼくの殺害は計画ではないと?」
「当たり前です。それが計画なら、とっくにやってますよ」バァトスは微笑を浮かべた。この男なりにさわやかさを演じたつもりだろうが、どう見てもゾクッとさせる悪役の嫌らしい笑みだった。「愚行をお止めせずに、月陣営まで転送すれば、あなた様はレギン殿に殺されていた? いや、レギン殿はこちらに向かわれていたのだから、結果として怪我を負わずに済んだのかも。想定外な可能性を論じると、いろいろ錯綜します。どちらにせよ、殺すつもりなら、いろいろ手はありますよ。転送円を使うだけでも、目的地をマグマの中や、岩の中、空高くに設定するだけで、あなたを簡単にこの世から消すことができる。その可能性は考えておられましたかな?」
「いや、うかつだった」
「あなたは本質的に陰謀には向かないのですよ。直情的すぎて。考えていることはあるにしても、行動は突発的だ。計算外の存在にはなれても、綿密な計画を立てたりするのには不向きだ」
 見抜かれている。そう思った。
 策士としては、この男の方が年季が入っているのは明らかだ。
 今の込み入った状況を解決するには、神官の持っている知恵が必要かもしれない。
「左手を預かっていてくれ」ぼくは信頼の証として言ってみた。
「何と?」
「後で返してもらう。それまでは、あなたを信じよう」
「望外の喜び。このバトーツァ、あなた様の片手として精一杯の忠義を尽くしましょうぞ」
 大げさな。
「一つ確認したいことがございます」ぼくの片手を自称する男が問うた。「星輝石を持たぬあなた様が、このような寒空の下で加護なしに耐えてらっしゃるのは、どういう仕掛けなのですか?」
「さあ」心当たりはいくつかあった。
 サミィの体温に触れたこと。
 ライゼルの火球を受け止めたこと。
 だけど、それだけじゃない。ぼくの頭は今、活性化している。星輝石を失ったとは思えない。
 考えられることは一つ。
「この場に多く集まった星輝石の力が間接的にも、ぼくに影響しているんじゃないかな」
「何と!」バァトスは心底驚いたようだ。「すると、星輝石が多く集まるほど、ラーリオス様は強く賢くおなりにあそばされると」
「確証はないけどね」過剰な敬語で誉められて、悪い気にはならない。「それより、あなたに今のややこしい状況を解決する手立てはあるのか?」
「もちろんでございます」影の神官は深々と頭を下げた。

「一体、何の話をしていたんだい?」話を終えたぼくたちに、サミィが苛々と問い掛けてきた。「きちんと説明して欲しいんだけど」
「セイレーン殿でしたな」バァトスが向き直る。「改めて自己紹介いたしましょう。影の神官バァトス。バトーツァとお呼びいただければ幸いです」
「バトーツァ。イタリア人かい。芝居に出てきそうな名前だね」
「さすがは芸術家。よく分かってらっしゃる」
「まあね。オペラ歌手なんかは、歌い手として尊敬できるからね。ローマかい?」
「メディオラーヌ。俗に言うところのミラノの出身でございます」
「ミラノか。スカラ座なんかは一度、行ってみたかったんだ」
「儀式の後で機会がございましたら、案内申し上げますよ」
「へえ、あんた、見た目で損しているけど、いい人なんだね。よく分かるよ」
「ほう、そのようなことを言われたのは初めてでございますな。あなた様も広告なんかで見るよりお美しい。黒いゴシック風のドレスなどを身に付けると、お似合いかと存じます」
「よしてくれ。赤毛には似合わないさ」
「そんなことはございません。コーディネート次第で、バラの花のように美しく咲かせることも可能です。黒と赤、決して悪い取り合わせではございませぬ。そう思いませんか、ワルキューレ殿?」
「私には分かりません」カレンさんはピシャリと言った。「バラ? 確かにトゲがあるのは間違いないけれど」
「カレンちゃん、陣営、交換しない? あたし、このおじさん気に入ったよ。こっちにはソラーク君も、リオ様もいるし、バトーツァ様もいる。向こうにはネストールの爺さんが渋くていいんだけど、口うるさくてさ」
「冗談言わないで。あなた、兄一筋じゃなかったの?」冷ややかな目のカレンさん。
「本命はそうさ。だけど、あんたたち兄妹があまりにつれないから、二番手ぐらいキープしたっていいじゃない」
「バトーツァ様で良かったら、そちらにあげるわ」
「そんな。わわわわ、ワルキューレ殿。私には、心に決めた方が……」それ以上は言葉にできず、カレンさんにすがるような目を向ける神官殿。到底、可愛らしくは見えないのだけど。
 それにしてもサミィがバァトスと気が合う、とは意外だった。この陰気な男は、万人から嫌われかねないと思い込んでいたのだけど、人間関係はそれほど単純なものではないらしい。
 捨てる神あれば、拾う神あり。神が一柱でなければ、一つに見限られても、宗旨替えすることで居場所を見い出せるのかもしれない。ゾディアックだって星王神ただ一柱ではなく、別の可能性を模索する時期に来ているのではないか。
「バトーツァ」ぼくは声をかけた。
「何でございましょう、ラーリオス様。もしかして、あなた様も私めが月陣営に行けばいいとでも?」怯えたような声を出す神官。
「そんなことは言っていない。今は、君の力が必要だ」
「おお、何とも寛大なお言葉。ラーリオス様に認められ、セイレーン殿には慕われ、このバトーツァ、今宵が人生最良の時かと存じます。いよいよ、我が時代の到来と言うべきでございましょうかな」
「そうか。それは良かったね」ぼくは生温かい目で黒ローブを見た。
「バトーツァさん、あんたロックは好きかい?」
「いえ、それは……」バァトスが問いに否定の返答をしかけたので、サミィの表情が曇った。それに気付いたのか、慌てて付け加える。「いや、ロックに限らず、私はアルコールの類を口にしないのでございます。脳の働きを弱めるゆえ」
「は?」サミィは一瞬、呆然とした。
「オン・ザ・ロックの話みたいね」カレンさんがそうつぶやく。
「ああ、そういうジョークも言えるわけ。バトーツァ様、最高。ソラーク君じゃ出てこないユーモアじゃない?」
「兄からこっちに乗り換えたら?」
「う〜ん、いいかもしれない。そしたら、カレンちゃん、仲良くしてくれる?」
「儀式で生き残ったらね」
 カレンさんの、儀式という言葉で思い出した。今はこんな話をしている場合じゃない。
 ロック音楽をアルコールと勘違いするような世間知らずで、天然ボケだとしても、この神官に何かの策があるのなら、今はそれが必要だ。
「バァトス。とっととライゼルのことを解決しないと」
「おお、そうでした。私としたことが、あまりの幸福に酔い痴れてしまい……アルコールも飲まずにこうなるなど、セイレーンの声には魔性が宿っているのでございましょうか。ともあれ、セイレーン殿、あなたの協力も必要なのです。力を貸していただけますかな」
「もちろんだとも。あのバカを何とかしてくれるなら、喜んで」

 こっちで話している間、ソラークたちは一触即発のまま固まっていた。
 状況を推測するに、ソラークとジルファーの《闇》に関する質問に対し、
 ライゼルが要領を得ない返答を自信たっぷりに放ち、
 それに対してソラークとジルファーがどう解釈するか真面目に議論を交わし、
 ランツがひたすら苛立って、じだんだを踏むような流れで進んだらしい。
 折りしも、ジルファーが真剣な面持ちで、自分の研究テーマの核心となる問いをぶつけた。「もしかして、闇とはルシウス・パーサニアの魂なのか? お前はそれに操られているのか?」
「違う。これはオレサマの意思だ。《闇》が操ってるんじゃない。オレが《闇》を利用しているのだ。何度言わせたら分かる。戦うのか、戦わないのかどっちだ?」
「戦うに決まっているだろう。カートを傷つけられたんだ。生きて帰れると思うなよ!」
「黙れ、カニ。オレサマはジルファーに聞いてるんだ。邪魔すると殺すぞ!」
「殺せるものなら、殺してみろ。返り討ちだ!」
「それはオレサマの言ったことだ。人のセリフをパクるな。泥棒ガニ」
「カニは盗みなんかしねえ!」
「……ランツ、少し黙っててくれないか。話ができない」
「しかしよ、ソラーク」
「儀式において、闇とやらがどう影響するのか吟味してからでないと、うかつな結論は出せない。殺すのは簡単だが、そうしてしまうと取り返しがつかないということも考えられる。ここはジルファーに任せた方がいい」
「ジルファー、お前はカートが傷つけられて悔しくないのか?」
「……ランツ、私が悔しくないとでも思っているのか?」
「悔しいか、ジルファー。そうか〜、それは我が究極の喜び。お前が悔しがる様子を、何度、夢見てきたことか! 今宵は我が人生、最高の夜だ」
「ソラーク、もう我慢できん。この愚かな弟を始末させてくれ」
「落ち着け、ジルファー。早まるな。君らしい冷静さを取り戻すんだ。我々は、闇に対する手がかりをつかまないといけない。真実を明らかにするのは、君のモットーだろう?」
「真実……そうだな。おい、ライゼル。闇の目的は何だ?」
「お前とラーリオスの小僧を殺すことだ」
「殺せるものなら、殺してみろ。返り討ちだ!」
「ランツ、何度も同じことを繰り返すな」
「しかしよ、ソラーク。オレだけじゃないぜ、同じようなことしか言わないのは。さっきから、バカは同じことしか答えてないじゃないか。これじゃ尋問にもなりゃしねえ」
「巧みに、答えをはぐらかしているのか?」
「奴に、そんな知恵はねえよ。脳みそまで筋肉でできている奴が、頭ン中、沸騰して、闇か何かでかき回されてるんだぜ。まともに話をするだけ無駄だ。そう思わないのか?」
「しかし……」
 ランツじゃないけど、聞いてる方が苛立ってきた。
 ソラークという男は慎重すぎる。優柔不断とまでは言わないけれど、最良の選択をしようとあれこれ吟味しているうちに、機会を逸することが多いのではないか。決断したときには、手遅れということもあるのだろう。ぼくもエンジンが掛かるのが遅いところがあるけれど、こうと決めたら一直線だ。
「いやはや、お粗末なものですな」バァトスが小声でささやいた。「栄えある星輝士たちといえども、真実が見えていなければ、曇りし者(クラウド)と何ら変わらぬ体たらく。ラーリオス様は、いかが思われますかな」
「ぼくだって、大して変わらないよ。何も分かっていなかった。いや、今でも分かっていない」
「そのことに気付かれただけでも賢明ということですな」影がささやく。「しかし、ラーリオス様は彼らとは違う。彼らを導かれるお方。その御自覚をくれぐれもお忘れなきよう」
「ああ」ぼくはうなずいた。「君の策とやらを示してくれ」
「心得ました。では」そう言って、バァトスはソラークたちの方に進み出た。
 ぼくは後ろに二人の女星輝士を従えたまま、神官の動向を見守ることにした。

「いささか混迷しているようで、ございますな」神官の登場に、ソラークたちは口論をやめ、静寂を取り戻した。
「神官殿、いいところへ」ソラークが希望を見い出したような目で、バァトスを見た。「どうも埒の明かない状況に直面している。知恵を貸していただけるとありがたい」
「もちろんですとも、イカロス殿」バァトスは可能なかぎりの愛想を見せて応じた。
「今まで何をしてた、神官殿」ジルファーがぶっきらぼうに背中ごしに尋ねる。その視線は弟の方からそらさないままだ。
「パーサニア殿、いや、お二方おられるのでしたな。ファフニール殿とお呼びすべきか」
「今はジルファーでいい。質問に答えろ」
「もちろん、ラーリオス様の手当てに協力しておりました。切り落とされた手首の捜索なんかを少々。それに、打ち合わせなどもしておりましたな。ラーリオス様、そしてセイレーン殿と」
「ラーリオス様は何と?」
「私めに状況の収拾を任されました」
「本当か?」ジルファーは一瞬、こちらを振り返りそうになって躊躇した。ランツが彼の前に出て、ライゼルを牽制する構えをとったことで、ようやく余裕ができて振り返る。「カート、どういうことだ?」
「後で全部説明する。今は神官殿に任せてほしい」
「必ずだぞ」ジルファーはそれで納得したようだ。
「よろしいですかな。話はいささか長くなりますが……」
「短くまとめろ」ランツがぶっきらぼうに言った。
「ランツ!」ソラークが釘を刺す。
「だってよ」不満そうなランツ。
「いえいえ、クレーブス殿の言われることも、ごもっとも。要点は二つ、《闇》について、と儀式について、で構いませんかな」
「それこそ、目下の課題だ」ソラークが我が意を得たり、といったようにうなずく。
「レギン殿もよろしいかな」
「オレサマの要求はただ一つ。ジルファーと戦わせろ。ついでに、ラーリオスだ」
「一つじゃねえじゃねえか」とランツ。
「かしこまりました。パーサニア兄弟で戦えるようにして、なおかつ、儀式を成立させる。これでよろしいのですね」
「話が早いじゃないか、神官。では待ってやる。とっとと他の連中を納得させろ」
「では……」バァトスはゴホンと咳払いした。「ええ、《闇》とはすなわち、伝承にある《邪霊》、人の心に巣食う悪しき魂のことでございます」
「それは魔物か何かか?」ソラークが尋ねる。
「ジルファー殿も研究されていたようですが」
「本当か、ジルファー?」ランツが尋ねる。「知ってたんなら、さっさと……」
「断片的な手がかりを遺跡で見つけただけだ。何かが封印から解放された跡……それが《邪霊》だという確証はなかった」
「おそらく、そうでしょう」バァトスは大きくうなずいた。「ジルファー殿とイゴール殿、それにカミザ殿が何かを調べていることは、私どもの方にも聞こえておりました。しかし、公式に発表されないため、情報を照らし合わせる機会が得られませんで……」
「そうではない」ジルファーが不満そうな顔をする。「私は影の者たちに情報の提供を求めたぞ。しかし、君たちは拒んだ。まるで何かを隠そうとしているかのように」
「《邪霊》については、大喪失期にいろいろと記録が散失しましたからな。何が真実か改めて整理が必要な段階なのです。それに、この秘密を公開するには、星霊皇さまのご許可なども必要で、手続きがはなはだ複雑なわけで。すぐには回答できかねる、という話だったはず」
「それなら、何故、今、公開する?」
「次期星霊皇候補であらせられるラーリオス様のお許しが出たからでございます。そうですね、ラーリオス様?」
「あ、ああ」唐突に話を振られて焦ったけど、何とか応対する。「《闇》や《邪霊》については、星輝士全てが知っておくべき情報だと判断する。本格的に封印から解放される前に」
「封印だと?」ソラークが厳しい表情になった。「そのような話、星輝士として初耳だ」
「ええ。近年までは必要のない知識でしたから」バァトスが厳かに言った。「(いにしえ)のゾディアック、そして星輝士の元来の役目は、人や獣などに取りついた《邪霊》を浄化し、撃退もしくは封印することでした。歴史の影で、星輝士と《邪霊》は密かに戦いを続け、その記録の一部が神話・伝承として語り伝えられているのです。しかし、それも遠い中世までの時代のこと。世代を受け継いだ星輝士たちの活躍により、《邪霊》は次第に駆逐され、当代星霊皇さまの御世(みよ)において、ほぼ完全に封印されることになりました」
「なるほどな」ランツが感心したように言った。「オレたちの時代には《邪霊》は残っていない。だから、オレは出会ってないわけだ。そいつらは強いのか?」
「強さはまちまちですよ、クレーブス殿」バァトスは説明を続けた。「封印されたとはいえ、時おり解放されるものもおります。主に、遺跡探索や環境開発の際に、事情を知らぬ曇りし者(クラウド)が誤って、封印を解いてしまうケースですな。解放された《邪霊》は近くの人や獣に取りつき、ささやかな猟奇事件を起こした挙句、人の手で退治されることもあるようです。解放された直後で力を付けていないか、退治されたように見せかけて再び潜伏するか、ケースはいろいろございますが、それほど大きな事件に発展することなく、たまたま居合わせた下位星輝士や術士が化け物退治する形の報告がちらほらと。わざわざ上位星輝士のお手をわずらわせずとも問題はなかったわけですな、今までは」
「ところが、星霊皇さまの力が枯渇してきて、封印がどんどん解かれ始めているのが今の時代ってわけだ」唐突にライゼルが口をはさんだ。「すぐに解放されるのはザコ邪霊。厳重に封を施されたのがボス邪霊。邪霊もいろいろいる中で、人の願いを聞き届けてくれる親切な邪霊ってのもいるんだがよ。そんなのにまで邪と名付けたのは、ゾディアックの勝手な解釈だ。オレサマに協力してくれる《闇》はちっとも邪悪じゃねえ。何しろ、勇者のオレサマの夢をかなえてくれるんだからな。《闇》の間では、醒魔(アウェイカー)と呼称されているらしいぜ」
「さしづめ封印から覚醒した魔物というところか」ソラークがつぶやいた。
「違〜う!」ライゼルが首を振った。「魔の力に覚醒した者だ。何なら、醒魔士(アウェイクリッター)と名乗ってもいいぜ。星輝士(セイクリッド・リッター)よりも目の覚めた強き存在だからな。覚醒したオレサマに比べれば、お前たちなど(そろ)いも揃って目の曇った連中(クラウド)と同じよ」
「本気で言っているのか、こいつ?」ランツが呆れたように言った。「星輝士よりも強い? 面白え。どれぐらい強いかオレが先に試してやる。オレが負けたら、ジルファー、お前に譲ってやらあ」
「勝手に決めるな、ランツ」ジルファーが決然と言った。「悪魔に魅入られし愚かな弟を裁くのは、兄の務めだ」
「神官殿、どうすればいい?」ソラークが尋ねた。「星輝士が倒すべき魔に取りつかれるなど、あってはならぬこと。このままでは儀式に支障が出るのでは?」
「儀式の作法にのっとって倒せばいいのですよ」バァトスが笑みを浮かべた。「幸い、この場には条件がそろっております」
「しかし……」
「申し遅れました。儀式の目的は、新たな星霊皇の選出。諸事情あって、それが遅れたがために、《邪霊》が次々と解放される事態が発生している。ライゼル殿もその犠牲者の一人。星輝士としては一刻も早く、儀式を完了させ、ライゼル殿の魂を邪から解放するのが慈悲であり、何よりも肝要かと」
「……分かった」ソラークは重々しくうなずいた。

「それでは、儀式の作法を説明いたします」バァトスの声が雪原の戦場で響き渡った。
 ぼくの周りには、カレンさん、サミィ、ソラーク、ランツが集っていた。
 対戦相手であるパーサニア兄弟が距離を置いて、にらみ合っている。
「儀式の呼称は、星輝士同士の戦い、星輝戦争(セイクリッド・ウォー)というのが古来からの慣わし。これは、星輝士一人の力が百人から千人の軍勢に匹敵するとの考えからそう呼ばれるようになった次第で、戦争と称されるのも、いささかも誇張表現ではありません」
「バァトス、芝居がかりすぎだ」ぼくは思わず、そうつぶやいた。
「そこがいいんじゃないか」サミィがバァトスを擁護する。「こういう儀式ってのは、見栄や形式ってのが大事なんだよ。淡々と戦うだけじゃ、ただの殺し合いだ。きちんと演出(ショーアップ)しないと、死んで行く者も浮かばれやしない」
「戦いは舞台芸能(パフォーマンス)じゃないわ」カレンさんが反論した。
「舞台芸能をバカにするんじゃないよ」サミィが怒ったように大声を上げる。「あたしたち歌い手はね、それこそ魂込めて演奏し、歌っているんだ。その演出に命を掛けている。歌いきったら、声がかれて、死んだっていいぐらいの気持ちで絶叫(シャウト)することだってあるんだよ。だから、死に行く者には一世一代の大見せ場を与えてやって、戦いきって世界から退場させてやる。そして観客は、その最後の光を称えながら見送る。世界にはそういう見せ場すら与えられず、人知れず死んで行く者だっているんだ。せめて、あたしたちは戦う姿を茶々入れず、見守ってあげようじゃないか」
「まことにその通りでございますな」バァトスは、サミィの主張が終わるのを待っていたようだ。「それでは静粛になったところで、続けます。戦いはあくまでも1対1。乱戦は儀式の意義に反します。味方が不利になっても、手を出さぬようにお願いします」
「了解した」ソラークが太陽陣営の代表としてうなずいた。
「審判役は神官の務め。僭越ながら、私、影派に属するバトーツァが執り行わせてもらいます」自らを誇示するように、手にした杖を高々と掲げる。
「試合に立ち会うのは、両陣営の戦士たち。太陽陣営はそろっておりますが、月陣営は代表としてセイレーンのサマンサ殿。異存はございませんな」
「ああ、戦いの流れと結果は、きちんとシンクロシア様のところに持ち帰るさ。録音の準備もバッチリだよ。映像機器がないのは残念だけどね」
「その辺りは、言葉による実況解説を加えるがよろしいかと」
「分かってるじゃないか。了解したよ」
「さて、儀式の戦いにおいて一番必要なのは、星輝王さまの開戦の辞でございます。残念ながらシンクロシア様はこの場におられませんので、ラーリオス様にお願いするしかないのですが、よろしいですかな?」
 本当に、それでいいのか?
 バァトスに問いを突きつけられ、ぼくの中に再びためらいが生じた。
 ぼくの意思で、殺し合いが始まる。
 先送りになっていた問題と、再び向き合うことになる。
 逃げるわけにはいかなかった。ラーリオスとして、星輝士たちを導く立場にある者として、重い責任を痛感する。一介のハイスクールの学生だから……そう言って決断を大人たちに任せる、それができれば楽だろう。
 だけど、それは自分の運命を他人に委ねること。自分の意思を放棄して、他人の操り人形としての自分に甘んじること。そういう自分になることを、ぼくは嫌悪していたのではないか?
 決断こそが、男の仕事の大部分。どこかのハードボイルド探偵が言っていたセリフが思い浮かぶ。
 ぼくはハードボイルドに憧れていた。決断できなければ、男じゃない。決断の重み、それを背負いながら、自分の意思で人生を歩むのがハードボイルドな生き様じゃないか。
 しかし、その決断は独り善がりであってはならない。
 ぼくは、その場にいる者一人一人の意思を確かめようとした。

 まず、ランツに目が行った。彼の中には明確な意思がある。戦いを望む戦士の心が。
 彼の言葉を思い出す。
『世の中にはな。選択肢が一つしかなく、自分の望まぬ行動を押し付けられることだってあるんだ。それでも、自分の意思はこうだときちんと訴える機会は手放したくない。選択肢、これは運命と言ってもいい。たとえ望まぬ局面しか見えなかったとしても、自分の意思を突きつける機会は大事にして、可能な限り自分の意思を押し通す。それがオレの決めた星輝士としての生き方って奴だ』
 ぼくは、ランツの意思を受け取った。

 次に、サミィ。
 出会って間もないけれど、彼女の意思は歌詞の中にある。
 『運命なんて打ち破れ』
 そう、打ち破るんだ。逃げるんじゃない。流されるのでもない。
 自分の意思で運命を受け止め、立ち向かう。
 ぼくは、サミィの意思を受け取った。

 次いでソラーク。
 この男とはあまり話したことがない。柔らかな物腰の中に、思慮深さと、断固とした自分を貫く力を感じたと思う。だけど、指揮官としての決断力には欠けるのではないか? 
 ソラークのタカのような目が何を考えているか、ぼくは視線を合わせた。
 額冠を合わせた4つの瞳が、こちらを射抜くように観察している。
 あくまで、ぼくの言葉を期待するかのように真剣な表情。
 決めるのは彼ではなく、ぼくだと訴えかけている。
 ぼくは、ソラークの意思を受け取った。

 カレンさん。
 彼女だけは、この戦いに反対するのではないか、と考えていた。
 癒し手として、傷つく者がいる戦いには賛成できない。だから、不安、心配の混じった、曇った表情を見せるのではないか、と思っていた。
 だけど、その表情は凛々しく澄んでいた。こちらを促すような深い瞳。
 そう、ワルキューレ。彼女も星輝士、戦いの運命を受け止めることを決めた女性なのだ。
 ぼくは、カレンさんの意思を受け取った。

 そして、ジルファーとライゼル。
 二人は今や、開戦の時をひたすら待っていた。
 ライゼルがおとなしく、ぼくの言葉を待っているのが意外だった。彼のことだから、狂戦士のようにルール無用で襲い掛かってもおかしくないはずなのに。
 それでも、その熱く激しい竜の目は言っていた。「オレサマの邪魔をするな」と。
 一方のジルファーは、ぼくに顔を見せず、ひたすらライゼルを見据えていた。パーサニア家の抱えた闇と決着をつけようとするかのように。
 ぼくは、二人の意思を受け取った。

 最後にバァトス。
 この男の背後に、トロイメライの影を感じる。
 正直、彼女の計画がどのように進められるのか、想像できない。
 星王神には反対するものの、《邪霊》の意図する儀式の妨害も望まないようだ。
 あろうことか、バァトスが儀式の戦いを積極的に推し進めようとしている。
 そして、ラーリオスに決断を促した。
 ぼくは、二人の意思をいぶかりながらも、この場は受け取ることにした。

 そして、ジルファー以外の注目の視線を受け止め、口を開いた。
 あまり飾ることなく、正直な自分の気持ちを語ろう、と決める。それ以外は、考えられない。
「今も、ぼくは迷っている」それがラーリオスの第一声だった。
 ライゼルがチッと舌打ちしたような表情を見せ、ジルファーがこちらにいくぶん心配げな視線を送った。
 かまわず続けることにする。
「ここにいるのは、ぼくとバァトス……バトーツァ殿を除けば、いずれも鍛えられた星輝士たちだ。戦いに対する覚悟もできているのだろう」
 ランツが当然のようにうなずいた。
「ぼくには、その覚悟が足りなかった。儀式の意義も分からず、独り善がりの思い込みで、シンクロシアとの戦いを回避しよう、なるべくなら穏便に話し合いで解決しようと考えた。そのため、安全な洞窟を抜け出してここにいる。愚かで子供のような振る舞いだったと痛感する」
 ソラークの表情が、一瞬、驚きの色を浮かべる。
「迷惑をかけた仲間には謝りたいと思う。だけど、おかげでいろいろなことを経験し、考えることができた。その代償に失ったものもあるけれど」
 ぼくは、手首の切り落とされた左腕を掲げて見せた。
「これが、運命から逃げようとしたぼくへの罰であり、同時に決断を促す契機だと受け止める」
 ソラークは重々しくうなずいた。
「戦いは、腕一本じゃ済まない厳しいものとなるかもしれない。文字どおり命を掛けた戦い。それでも必要があって為されるものであれば、星輝士として受け止めなければならないのだと思う。たとえ、それが愛する者と戦うことであろうと……」
 サミィがコクコクと首を縦に振った。
「肉親の命を奪うことであろうと。星輝士の目的は《邪霊》なる闇の存在を倒し、封印することだと今宵、神官殿が語ってくれた。そのために新たな星霊皇を決めなければならないとも」
 ジルファーの視線が満足げに変わり、ライゼルが苦々しい表情になった。
「ぼくは、今だ星輝士ではない未熟者だ。だけど、いくつかの技を学び、今夜の経験で、星輝士の心というものにも触れ得たと考える。星輝士の資格が心、精神性にあるとするならば、ぼくは今こそ本当の意味で《太陽の星輝士》ラーリオスに手が届いたのだろう」
 カレンさんにちらっと目を向ける。
星に手を伸ばす理由(リーズン・トゥ・リーチ)。星輝士を目指す理由を、ぼくに尋ねた女性(ひと)がいた。今のぼくには一つの答えがある。『かけがえのない人々の想いを守るため』 それがぼくの答えだ。ここにいる皆の想いを、ぼくは受け取った。その想いに答えて、今こそ、ラーリオスは星輝戦争(セイクリッド・ウォー)、大いなる戦いの開始を宣言する!」

 こうして、ぼくは自らの意志で、運命の扉を押し開けたのだった。
 その先に待つ闇と悲劇をも予感しながら。
 それらの試練も、しっかり受け入れ、自分を貫こうと決断した。


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