3ー5章 クエスト・フォー・ザ・トゥルース 「上位の星輝石が12種類あるという話はしたな」 ジルファーが、前回のつづきから講義に入る。 「ええ」ぼくはうなずいた。「あなたの《氷》、カレンさんの《森》、ソラークさんの《風》。会ったことがあるのは、この3人ですね」 「ああ。他に覚えているのは?」 こちらの記憶力を試す、ちょっとしたテストだ。 「洞窟の外には、確か《大地》の人がいましたね」閉所恐怖症か何かで、洞窟に入ろうとしないんじゃないかな。 「ランツだな。そろそろ紹介の頃合いだろう」 それは、ぼくが洞窟から外に出る日が近いということだ。自分の成長が自覚できて、達成感を覚える。そのまま勢いこんで解答を続ける。 「それに《金》のイゴール。ペンダントをくれた」 「うん。彼も、君の才能には興味を示していた。会わせるのが楽しみだよ」 ジルファーの親友……ってことは、少々堅苦しくて、小難しい話をいっぱいするんだろうか? 学者タイプの人間は、一歩間違えれば自分の興味ある話を一方的に話して、相手を辟易させるところがある。そういう相手だったら積極的に会いたいとは思わないんだけど……ラーリオスだったら、望まぬ相手との交流も果たさないといけないんだろうな。 そう思っていると、ジルファーが後を続けた。 「星輝士筆頭は、《雷》のヴァンバロッサ・ブライアン。彼の場合は、本名よりもコードネームのバハムート、一般にはミスターBの方が通りがいい。本名で呼ぶのは、ある程度の親愛の表れだが、彼はそこまで立ち入らせない程の威厳があるからな。私も苦手な相手だ」 ジルファーにそう言わせる人間と、どう付き合ったらいいのかな。 『やあ、ヴァン。この間、星王神の啓示を受けてさ。ちょっと相談があるんだ』なんて、軽い会話を想像して、思わず吹き出しそうになるのをこらえる。 「筆頭ってことは、一番偉いんですよね」何とか冷静さを保って、話をつなげる。「ラーリオスとは、どういう役割分担になるんでしょうか?」 「王子に対する侍従長……といった感じかな?」 分かったような、分からないような。「ええと、大臣とか、執事みたいなもの?」 「う〜ん、それだと、やっぱり年配のイメージがあるな。バハムートは、まだ30代だ。ZOAコーポのCEOとしての顔も持っている」 大企業の長というのは、これまでの自分の人生と全く縁のない種類の人間だ。兄貴だったら、喜んで相伴したいと思うんだろうけど。 ぼくは、もっと自分の興味に話を向けることにした。 「カレンさんから聞いたんだけど、サマンサ・マロリーが星輝士って本当なんですか?」別に疑うわけじゃないけど、情報の出所は複数の方がいい、とは兄貴もよく言っていた。 「ああ、あの女か」ジルファーは顔をしかめた。「あれも苦手なタイプだ。どう付き合っていいか分からん」 そりゃ、そうか。新進気鋭のロックバンドの女ボーカルと、堅苦しい学者タイプの男じゃ、どんな会話が成り立つか、こっちも想像できない。 「ええと、星輝士としての情報が欲しいんだけど」 「《音》を司る。コードネームはセイレーン。セイレーンは鳥のイメージを持つ水妖だが、サマンサはどう見てもネコか女狐だ。セイレーンにネコのイメージはつながらないと思うのだが、カート、君はどう思う?」 「さあ」ぼくに、そんなことを振られても困る。「ロイドだったら、知っているんじゃないですか?」 日本のアニメ辺りに、そんなキャラがいるのかもしれないし。 「ああ、シリウスはある分野では、博学だからな。セイレーンとネコの意外な接点について、知識を持っているかもしれん」 その知識が現実に役に立つかどうかは分からないけど、知識を求める人間には、そんなことは関係ないのだろう。分野は違っても、ロイドだってジルファーに匹敵する量の知識は持っていると思う。 二人に違いがあるとするなら、ジルファーの方が自分も含めた物事を客観視でき、知識の世間一般的な価値を査定できるということだろうか。広い世界と付き合っていく上で、その差は結構、大きいような気がする。 ロイドのことから、星輝石の方に意識を引き戻した。 《風》、《氷》、《森》、《大地》で4つ。 《金》、《雷》、《音》で3つ。 これで半分を越えた。残りは5つ。 自分で指を折って数えてから、まだ挙がっていないものを考えた。 ジルファーは少し黙って、ぼくが考えているのを見つめている。その顔を見て、一つ思い出した。 「《炎》は、確か弟さんでしたよね」 「そうだ」ジルファーは短く答えた。 この話題は、あまり掘り下げない方がいいと判断して、次を考える。火があるってことは、当然、水もあるだろう。そう言えば、ジルファーが、裏切りの星輝士が3人いたって語っていた。確か、《炎》《大地》《水》。もしかすると自らが神をも超えると慢心して、悪魔の魂を宿すに至ったのかもしれない、3人の戦士たち……。 「9つめは《水》ですか」ぼくが確認すると、ジルファーはうなずいた。 「整理しよう。こちらの陣営に4人の上位星輝士がいるように、今、シンクロシアの元にも4人がいる。ソラークに相当するリーダーは、《光》のネストール・ゼフィロス。彼を中心に、《炎》《水》《音》の3人がシンクロシアを守護する任に就いているわけだ。彼らの能力は、いずれじっくり研究しないといけないが、その前に自分の能力を把握する方が先だ。『彼を知り、己を知れば……』と故事にも言うからな」 その故事を、ぼくは知らなかった。その続きが『百戦危うからず』と分かっていれば、『太陽と月の陣営の間で戦いが予定されている』ことを、ジルファーがさりげなく暗示していたことにも気付いただろう。 星輝石によって増幅された思考力、認識力は、ぼくに多くの洞察を与えていたけれど、それでも完璧ではなかった。本当に大切な情報を、ぼくはいくつも見落としていたのだ。 「ええと、《水》と《光》で10人ですね。あと2人」 「《重力》、そして……」 「《影》ですか」ジルファーの言葉の続きを、ぼくは引きとった。《影》のナイトメア、あるいはトロイメライのことを、もう少しで失念するところだった。文字どおり、ぼくの認識の影に入って、暗躍しているように感じさせる存在。 「そうだ」ジルファーはうなずいて、講義の続きを語った。 上位の星輝石は魂を宿していると言われており、星輝士が命を落としても、石は後に残り、後継者に受け継がれる。よって、下位の石よりも、相性の良さが問題となる。 下位の石は、星輝士個人の魂の影響を強く受けとめ、稀に物理的な拒絶反応を起こさない限りは、宿主に応じてくれる。 しかし、上位の星輝石は、より『自己主張』が強く、誰でも継承できるわけではない。石自体が認めた相手でないと、上位星輝士になることはできないのだ。 石と人の魂が相互に共鳴して、より強い力を発揮する一方で、人の意思が弱い場合は、石の宿す思念の影響に翻弄されることも有り得る。そのため、石の思念を抑制して自我を失わないだけの『精神性』を求められるのだ。 「それゆえに、上位星輝士はゾディアック内においても、相応の敬意をもって遇されるわけだ。下位星輝士を見下しがちな神官も、上位星輝士に対しては自分たちと対等、あるいは、それ以上の意識をもって接することが多い」 なるほど。バァトスも、リメルガやロイドに対してはあからさまに格下扱いをしていたけど、ジルファーに対しては、皮肉混じりながらもパーサニア殿と敬称で呼んでいたよな。 「上位星輝石の異名は、 「ぼくとしては、どちらかに統一してもらった方が、覚えやすくていいんですけどね」 「そうだろうな。分類の利点に思い至らない未熟な学生は、そう言いがちだ」さりげなく皮肉をこめるのは、ジルファーの悪い癖だが、ここは瑣末なことと割り切って聞き流すことにした。 「ちなみに、《太陽》や《月》の石は、 たぶん、そんな機会はないと思うんだけど。 星輝士として修業を積み重ねた結果、自分が鎧をまとった戦士として戦ったり、魔法みたいな不思議な力を使いこなしたりする姿は、まだ想像できるようになった。でも、自分が書斎に閉じこもって黙々と論文を読み漁ったり、執筆作業に専念したりする姿はとても想像できない。そういう役目は、ぼくとは違う誰かの仕事だ。 ぼくは、もっと現実的な問題に話を向けることにした。「ところで、《影》なんですけど……」 「ん?」話が不意に戻ったので、ジルファーの反応が一瞬、遅れる。 「トロイメライのことは、どうなりました?」 「あ、ああ、そのことか」ジルファーの返事は、歯切れが悪かった。 ジルファーによれば、トロイメライが 「すると、トロイは今、どこにいるんですか?」 「一応、イゴールに頼んで、探させているんだけどな」ジルファーは済まなそうに言う。「元々、隠密活動を生業とする《影》の女だ。その足取りはまだつかめない、とのことだ」 バァトスは投獄されている。しかし、彼の《闇》の師匠が自由に動ける以上、完全には安心できない。 「バァトスから手がかりは得られませんか?」 「神官殿は、無罪を訴えているよ。何かの間違いだ、ラーリオス様に対面させろ、申し開きをさせてくれ、とうるさかったが、牢獄に書物を運び込ませると、ひとまずおとなしくなった」 ああ、バァトスなら黙々と書物を読みふけっても、苦に感じないタイプの人間だ。 「なあ、カート」ジルファーが珍しく、おずおずと聞いてきた。「君は、本当に……何というか、《闇》というものを……見たのか?」 ぼくは、暗い目でジルファーを見つめ返した。 「い、いや、君を疑っているわけじゃないんだ。だがな、証拠を探すためには一通りの、何というか職務質問めいたことは聞いておかないと」 まるで、刑事ドラマの取調べを受けているような気分だ。でも、ジルファーの言いたいことは分かる。ぼくは、それまであまり考えないようにしていた悪夢の 「あれは、 その破壊の魔神が、 「炎……か」ジルファーはつぶやいた。 「闇と炎です」彼の強調した単語を、微妙に修正する。パーサニア家の事情を知った今、炎という言葉だけにこだわると、彼の推理を歪めさせてしまう危険がある。できるなら、《炎》という結果よりも、根源である《闇》の方に注意を向けて欲しかった。 「ぼくは、破壊の理由を、星王神に反抗する《闇》の所業と考えています」 「それが君に与えられた、星王神の啓示なのか?」ジルファーが真顔で尋ねてくる。 「分かりません」ぼくは正直に答えた。星王神の啓示というよりも、《闇》の陰謀を直接聞いたのだ。それが夢の中であったにせよ。啓示を与えたとしたら、神ではなく、むしろ神の敵対者ということになる。言わば悪魔から入手したような情報を、神の啓示と称していいのかどうか。 ジルファーは、考え込むように右手で額を抑えた。名案を呼び覚まそうとするかのように、人差し指でポンポンと脳に刺激を与える。 「おそらく、今は私たちの方が 「どういうことです?」 「君には見えている真理が、私たちには見えない」そう説明してから、「どうすれば、私たちが真理に到達できるか……どこかに道筋はあるはずなんだ」 「バァトスじゃないですか」トロイメライに手が届かない以上は、バァトスしか手がかりがない。 「やはり、そうだな。それと……」ジルファーの右手が額から外れた。「カレンだ」 「は?」何で、バァトスとカレンさんがつながる? ぼくはジルファーの言葉の真意を疑った。 「そりゃそうだろう」ジルファーは大発見をしたように、目を輝かせていた。「カレンは、バァトスから儀式関係の資料を全部引き継いでいるんだぞ。儀式のことはよく分からないが、バァトスがもしも《闇》に関わっているなら、彼の記した日記とか、メモの類に証拠があるかもしれないじゃないか」 次に会ったとき、ジルファーは子どものように落ち込んでいた。 「カート、カレンに言って欲しい」 「何をです?」 「カレンは、バァトスの資料の提示を拒むんだ。神官に対するプライバシーの侵害だとか何とか、理由をこじつけて」 カレンさんが調査活動の邪魔をするなんて、ちょっと意外だった。 でも、もしかすると、ジルファーの話の持って行き方が下手だったのかもしれない。 ぼくは、カレンさんに話を付けることを約束して、そのときはジルファーに引き取ってもらった。 「カレンさん、ジルファーが君に資料の提示を断られた、と言っていたけど、どういうこと?」 彼女の作った甘いコーンジュース、いやスープを《気》の力で適度に薄めながら、ぼくは尋ねた。 「当たり前です、リオ様」カレンさんは、頬を紅潮させて訴えた。「彼が最初、何と言った、と思います? 『カレン、真実のためだ。君の プッ。思わず、飲んでいたスープを吐き出しそうになった。 「一瞬、何の話なのか耳を疑いました」 こっちもだ。 ジルファーはもっと冷静な男だと思っていたけど、この時ばかりは、勢いづいたあまり、先を急ぎすぎたらしい。もしも、発言の意味を誤解されでもしたら、女性に迫るただの怪しい男と見なされても仕方ない。 「ええと、 「それぐらいは、すぐに察しました」カレンさんはそう答えてから、 「ところで、変な意味って何です、リオ様?」思わず身を寄せてきた。 「い、いや、だから……」赤面しながら、適切な距離を維持する。「ジルファーが知りたい真実は、バァトス絡みであって、カレンさんに関心があるわけじゃ……」 「そう……」ちょっと寂しげな声。 あ、何だか、こっちも口をすべらせたようだ。男性が女性に関心がない、なんて言うのは、もしかして失礼に当たる? 「え、ええと、ぼくは……カレンさんに関心ありますよ、もちろん」 「本当ですか?」カレンさんは表情を輝かせた。 この反応は何だろう? ぼくは年上の女性は、もう少し冷静で落ち着いているものだと思っていたけど、考えてみれば、それほど年上の女性との付き合いがあるわけじゃない。 いや、年上に限らず、女性との付き合いもスーザンが初めてだった。 スーザンとの付き合いも、決して長くはなかったので、女性の反応もあまり計算できないのが事実。それに対して自分がどう応じるべきかも、正直よく分かっていなかった。星輝石のおかげで、理屈で処理できることは何とかなるけど、女性とのやりとりは理屈だけではないことを、にわかに実感する。 割と理知的だと思っていたカレンさんも、決してそうではなかったことが判明したわけだし。 ドギドキした胸の鼓動を鎮めるために、ぼくはコーンジュース、いやスープのお代わりを要求した。 カレンさんは快く応じて、ハミングしながら、大鍋からカップにスープをよそう。実のところ、カレンさんの作るスープの味は、前とあまり変わっていない。たぶん、儀式のこととかいろいろ仕事があって、料理の練習をする時間がないんだろう。 ぼくは好意的に解釈して、自分で好みの味に調整したスープ、いやジュースを美味しくいただいた。 飲んで落ち着いてから、話を戻す。 「とにかく、ジルファーが欲しいのは、バァトスの悪事の証拠なんです。ぼくも、それが見つかればいいと思っている。カレンさんは、今まで見た中で何か心当たりはなかったですか?」 「とくに何も」伏目がちになって、かぶりを振る。「ジルファーにもそう言ったわ。すると、彼、こう言い出したの。『カレン、もしかして君の目が曇っていて、真実が見えていない可能性がある』って」 ずいぶん、失礼な言い方だな、ジルファー。 これじゃ、こっちもフォローのしようがない。 「だから、私、こう言ったんです。『あなたの助けはいらないわ、ジルファー。もし、あなたの言うような資料が見つかったら真っ先に届けるから、それまでは私の邪魔をしないで』って」 うん、確かに、カレンさんの言葉が理にかなっている。 「それで、いいかしら。リオ様」カレンさんの瞳が、ぼくを見つめた。 「あ、ああ、それでいいよ」ぼくは納得して言った。「ジルファーには、資料の整理はカレンさんに一任する、と言っておく。確かに、儀式の準備とかで忙しいんだから、横でいろいろ引っ掻き回されたら、よけいに苦労も増えるよね」 この件で、ジルファーは外見はいわゆる美形だけど、女性の扱いに慣れているわけではないことが、よく分かった。いわゆる学者バカというタイプなんだろう。なまじ整った顔をしているだけに、よけいに残念に思える。 「ところで……」もう一つ、気になっていた話題を持ち出す。 「《太陽の星輝石》の方は、異常ない?」ぼくの記憶の中では、トロイメライたちは、《太陽の石》を《闇》の力で染め上げようとしていた。カレンさんならその異常に気付くだろう、と警戒もしていた。 「心配ない、って言ったと思うけど」そう言う相手に対して、 「確かに、そう言った。心の修練を積んでいるからって。でも……」ぼくは、相手の目をじっと見つめた。「本当にそう? ぼくに何か隠してない?」 別に、悪意を疑ったわけじゃない。 ただ、善意で隠しごとをすることだってある、ということを、ぼくは理解するようになっていた。相手を必要以上に心配させないように、とか、気に入らない事実を知らせて相手を落ち込ませたりしないように、とか。ぼく自身が、そういう風に気を回すところがあるので、大事な情報を伝えきれずにいるのではないか、と考えるようにもなったのだ。 「ぼくの予想が正しければ、カレンさんは、《太陽の星輝石》に手も触れていないと思う」 「どうして、そう思うの?」カレンさんは、目を見開いた。その反応は、ぼくの言葉が正解だと裏付けているように感じて自信を持った。 推理の理由は簡単だ。カレンさんが《太陽の星輝石》を調べていれば、すぐに《闇》の力に気付くはずだと考えたから。もしも、《闇》の力を発見したら、ぼくやジルファーにすぐ異変を報告するだろうし、万が一、ぼくが見たような《闇》の この推理の穴は、そもそも《闇》の力なんて存在しなかった場合、前提条件が崩れることだけど、そのときは《太陽の星輝石》については、何の心配もいらないことになる。 よって、ぼくが心配しないといけないのは、《闇》の力が星輝石をむしばんでいるのに、カレンさんがそれに気付かず、ぼくたちが安心しきっている場合だ。そして、トロイメライの言葉を信じるなら、カレンさんが異常に気付けなければ他の誰も気付けないと思う。いや、もしかすると、ぼくなら気付くのかもしれないけど、今はまだ試すのははばかられた。 そこまで、思考をめぐらせるのに数秒。 ぼくは、カレンさんに対しては、別の答えを返した。「カレンさんは、星王神信仰に疑いを持っている。だから、そんな自分が《太陽の星輝石》という神聖な物品を扱うことに、抵抗があるんじゃないか、と思って」 「……」しばしの沈黙のあと、つぶやく声。「そこまで気持ちを推し当てられると、恐ろしさを感じるわね」 何だか、自分が化け物だと言われているような気分だった。 相手の心を言い当てる、というのは下手をすれば、相手の心に無理矢理、踏み込んだとも受け取られかねない。ぼくだって、自分の心に安易に侵入されたくはない。たとえ、相手が神さまだったとしても。 「ごめん」ぼくは頭を軽くポンと叩くことで、謝意を示した。頭の回転が速くなりすぎると、今度は逆に喋りすぎて、うかつなことを口に上らせないように気をつけないと、ジルファーの失言を笑えない。 「ただ、《太陽の星輝石》は危険なものだから」ぼくは慎重に付け加えた。「カレンさんにとっても、負担が大きいようなら、やっぱり自分で管理した方がいいのかなって」 「心配してくれているのね」理解を示す声。「ありがとう。考えてみれば、リオ様は、星王神の声を聞ける立場になる方ですものね。人の心の声が聞けたって不思議じゃない。そのことに慣れないと、いけないのかもしれないわ」 「そ、そんな……」ぼくは、人の心なんて聞こえない。だって、目の前の女性の心だって、よく分かっていないんだから。「ぼくのはただの当てずっぽうです。人の心の中なんて読めませんよ。大事なことは、やっぱり口に出して言ってもらわないと」 「試してみる?」カレンさんはかすかに微笑を浮かべた。「星輝石の力で、私が何を考えているか探ってみたら?」挑発するような発言。 「いや、そういうわけには行きませんよ。人の心に侵入するなんて」 「人は不思議なものでね」カレンさんは寂しげな表情を見せた。「知られたくないって気持ちと同時に、この人には自分のことを分かって欲しいって思うときもあるの。ラーリオス様には、そういう機微を分かっていただきたい」 そんな無茶な……。 ぼくはそう思ったけど、カレンさんの要望がラーリオスとしての成長にあるのなら、逃げてはいけない、という気持ちにもなった。 目は心の門。何かの本で読んだ、そんな言葉を思い出して、試すだけ試すことにする。 「ぼくの目をじっと見て」催眠術士か、占い師になったような気分で、カレンさんに優しくうながす。 碧い瞳が、ぼくの言葉に応じた。 よくよく見ると、そこに広がるのは一色ではなかった。 第一印象は、深い湖の色。同じ青でも、スーザンのように変化の激しい空の色、とは違っていると思っていた。 薄い青のスーザンと、濃い青のカレンさん。初めて会ったときから、瞳に対してはそういうイメージをずっと持っていた。 でも、人の瞳がそう単純に一色で表現できると思うのは、観察力不足の証拠。そもそも湖だって、光の加減や、観察する場所によって色が変わって見えるものなのだ。 カレンさんの瞳だって、じっと見ていると、色合いがさまざまに変化しているようだった。 理知的なブルーが基本だけど、 風を受けて白々と波立つように薄い色が混ざることもあるし、 水そのもののように無色透明なところもあるし、 その奥には、 表面は純粋無垢な透明さの一方で、内面にまで踏み込むと、底知れない 一通りの観察を終えて、ぼくは自分の視線を手でさえぎった。そのまま、ジルファーを意識した考える仕草をとって、人差し指で脳に刺激を与える。 「何か分かった?」カレンさんの不安そうな声。まるで医者の診断を聞く前の患者のよう。 目で見たことを、どんな言葉で伝えたらいいのだろう? 色をそのまま伝えても、相手の気持ちを言い当てたことにはならない。『あなたの瞳は、青と、白っぽい色と、透明な部分と、奥深さが入り混じっていますね』なんてことを、したり顔で語っても、その言葉には何の意味もない。 表面的な観察じゃ、何も相手の心に伝えられないのだ。そこに何らかの意味解釈を付与して、自分の理解を伝えないといけない。 泣いている人間を見て、『泣いているということは、何か悲しんでいるのだと分かりました。それを見て、ぼくもかわいそうだと思いました』と言うだけじゃ、小学生の作文だ。せめて、何を悲しんでいるのか、その相手の背景事情まで推察した言葉を述べないと、分析したとは言わない。 だから、ぼくは自分の考えを言葉にした。相手の顔を注視して、 「カレンさん、やはりあなたはぼくに何かを隠している。そして、そのことを、ぼくに伝えようとしている。だから、自分の言葉でいえない何かを、ぼくに察してもらおうとしている。そこまでは、間違いありませんね」 自分が精神分析医になったような気分で、語り始めた。 「そうね」カレンさんはうなずいた。 「それは、愛情か何かに関係することだ」ぼくは断言した。別に、そのことを彼女の瞳から読みとったわけじゃない。これまでの会話から、彼女が情の深い女性だということは分かっていたし、ぼくとの間でも、そういうキーワードは出ていた。カレンさんの秘密が、彼女自身のことであっても、ぼくのことであっても、そこに愛情に関した問題があることは当然の推察だからだ。 「当たってる」 「あなたは、愛する誰かを傷つけたり、裏切ったりすることを怖れている」この言葉に深い意味はない。ぼく自身、それを怖れているわけだし、よくよく考えると、愛に少しでも関心のある人間なら、誰にだって心覚えのある感情だ。この言葉は、『あなたは空気を吸ったことがある』と言うのとおなじくらい、誰にでも普遍的な事実と言える。よほどの悪人、人を傷つけても平気な人格破綻者でないかぎり。 自分が、言葉巧みな占い師にも似た言い回しをしていることに気付いて、多少の抵抗を感じる。 それでも、途中でやめることができずに、付け加えた。 「あなたは、信頼する誰かに見放されたり、裏切られたりすることを何よりも怖れている」 誰だって、そうなんだけどな。 星輝石で増幅されたぼくの頭の冷めた部分は、そう指摘していたけど、ぼく本来の少年らしい感情は、その言葉がカレンさんだけでなく、自分の心情を言い表していることに気付いた。 「ごめんなさい」カレンさんは、そうつぶやいた。 「え?」 「リオ様、あなたの言うとおりです。私はあなたを裏切っていました」 ちょ、ちょっと、カレンさん、何を言うの? 「私は、《太陽の星輝石》を調べる仕事を怠っていました」 あ、そういうこと。だったら、想定の範囲内。 「本当に、自分なんかがこれを調べたりしていいのだろうか、と気後れして。他のことで忙しいって言い訳して先送りにしていたんです。こんな私をお叱りになるのでしょうか?」 いや、お叱りって言われてもね。カレンさんを叱ることって、ぼくにできるんだろうか。 「う〜ん、《太陽の星輝石》なんだけどね」ぼくは専門家らしい口調を意識した。「あれは、人の心の闇を映し出したりするよ。心の底で怖れるものなんかを示して、資格のない者を遠ざけようとする」 たぶん。自分の受けた感覚として。 「だから、カレンさんが、あれを怖れる気持ちは分かる。やっぱり、ぼくが預かろうか?」好意を示したつもりだった。 「私では、やっぱり力不足……とお考えなんですか?」 あ、そういう風に受け止めるの? 困ったな。カレンさんの気持ちを考えると、肯定するわけにはいかない。 「カレンさんは、自分でどう思っているの?」相手に同じ質問を返して、言い逃れた。これがジルファーだったら、『質問に質問で返すのはマナー違反だ』とか言いそうだけど。 「私ですか?」カレンさんは素直に受け取ってくれた。「力、というか技や知識面はそれなりに備わっていると思うんですけど……」慢心ではなく、自分の能力を客観的に分析しての評価だろう。「問題は、私自身の心にある、と思います」 結局、そういうことだ。何しろ信仰に関係する問題なんだから。 「心の修練は難しいからね」ぼくは結論付けるように言った。 「はい、でも、自分の心は自分で解決しないと」患者が自分で決意の言葉を口にする。心理カウンセラーなら、満点のカウンセリングと言えるんじゃないかな。 「無理はしないでいいよ。困ったときは、いつでもぼくに言ったらいいんだから」気負いすぎる患者の心に、負担を与えすぎないようにするのも医者の心得だ。 「いいえ、これは私の仕事です。お任せいただけますか」 そう言われると、止めるわけにもいかない。 「すぐに何とかなるの?」これは、医者じゃなくて、上司っぽい言葉を意識した。仕事のスケジュールが詰まっている場合、できない部下にいつまでも任せるわけにはいかない。 「すぐに、と言うわけには……」カレンさんは言いよどんだ。まだ、心に何かの抵抗感があるようだ。 ぼくは、どうするか思考をめぐらせた。星輝石が、いろいろと実用的な知恵をぼくに授けてくれるが、その中のどれを選ぶかは、ぼく自身の意思による。 この場合、心理カウンセラーの立場をとるか、仕事を優先する鬼上司の顔を示すか、の二者択一。その結果、 「時間は掛かってもいい。カレンさんに任せます。自分の心にきちんと向き合った上で、無理をしない範囲で対処してください」 カレンさんの表情が、明るくなった。 そう、これが見たかったんだ。 ぼくは満足して、甘いコーンジュースを飲み干した。とっくに冷めていたけど、心の中には温かさが広がった。 「何? カレンの仕事には口をはさむな、だって?」 ジルファーが、抗議するように言い放った。 「一体、何を考えているんだ、カート。真実まであと一歩、というところまで来ているんだぞ。君だって、協力してくれると言ったではないか」 言ったような、言っていないような。 あいまいな自分の記憶をたどる手間はかけず、今、目の前の問題に専念する。 「ジルファー、君はカレンさんにずいぶん失礼なことを言ったみたいだね」習得した上司口調で、話をジルファーの責任問題に向ける。「目が曇っているだの、君の全てを見せろだの。下手したらセクハラだよ」 「セ、セクハラ?」思いがけない言葉に、ジルファーのクールな表情が一転、呆然となった。「ちょ、ちょっと待て。どう間違ったら、そういう誤解につながるんだ? 私は、別にカレンに対して、やましい感情はこれっぽっちも……」 「とにかく!」ぼくは、しどろもどろな言い訳を強引に断ち切った。「カレンさんだって、怪しいものが見つかったら、君に届けると言っている。少しぐらい、彼女を信頼して待ったらどうなの? 真実にこだわる気持ちは察するけど、事に急ぎすぎるのは君らしくない」 「そうは言ってもな」ジルファーはまだ不服そうだった。「もう少しかもしれないんだぞ。君だって、バァトスの悪事の証拠は見つけたいんじゃないか」 「だから、カレンさんが見つけてくれるのを待とうって」 「ああ、もう、じれったい。宝の山がすぐ近くまであるのに、お預けをくらっている気分が分かるか。長年探していた貴重な書物を、ついに発見したのに、値段が高すぎて手に入らない気持ち。誰かが自分より先に買ってしまわないか、とやきもきする気持ちだ」 まるで、子供みたいなことを言う。 そういう気持ちだったら、ぼくだって味わった。 スーザンとの初めてのデートの夜。 それまでのぱっとしない自分の人生では縁がないと思っていた美少女と懇意になり、二人っきりで、これからどんな幸せを満喫できるだろうか、と期待していた矢先。 あんたたち、ゾディアックが目の前からかっさらって行ったんじゃないか。 彼女と再会して、想いを伝えることを目標に、ぼくはここまで頑張ってきた。そう、できるだけ文句も言わずに、我慢して訓練を重ねてきたんだ。 それなのに、ジルファー、あんたと来たら……、 たかが、すぐに書類が読めないからって、こうも感情をむき出しにするか? だったら、ぼくも自分の溜め込んだ気持ちをここで爆発させたら、どんな反応をするだろうか? そう、最初の晩餐のときのように。 『ぼくは、あなたがた全員と戦うことになるかもしれない』って。 何も知らずに、さらけ出した感情だ。 言葉にしないと、伝わらない想いはある。けれども、全ての想いを伝えたからって、人が分かり合えるとは限らない。その想いの内容そのものを、相手が受け付けないことだってあるのだから。 理屈では伝わっても、個々の立場や心の違いが受け付けない想い。 だから、ぼくは、ジルファーに自分の鬱屈した恋心を知らせようとは思わなかった。 だけど、これぐらい深く関わりあったからには、ジルファーとあえて敵対関係になりたい、とも思わない。 そこで、当たり障りのないような言葉を見つけ出す。 「仲間を信じようよ、ジルファー。真実が見つかっても、人の信頼を損なっちゃ、失うものが大きすぎる」 ジルファーは観念したように、深々とため息をついた。そして、冷静さを取り戻したように、そっとつぶやく。「……なかなか言うようになったじゃないか、カート」 この言葉で、教師としての威厳を取り戻そうとしたのだろう。 そこは察して、「いろいろ学びましたから」と、にっこり応じる。 「教えないことまで、学び過ぎだ」教師役の男も、ニヤリと笑みを浮かべた。「短期間で、ずいぶん成長したな」 「先生が優秀でしたから」社交辞令だった。 「教え子もな」お互いにエールを交わし合う。 だけど。 ぼくも、ジルファーも、神ならぬ身では、この先に待つ運命の真実を知りはしなかった。 |