3ー7章 カレンズ・ウッド 「今から、ちょっとオレに付き合わねえか」ランツが気さくに話しかけてきた。 ぼくは、ジルファーに目を向けた。 「行って来ればいい。久しぶりの外だろう? 体を動かした方が気晴らしになる」 確かにその通りだけど……。 「カリキュラムは大丈夫なんですか?」 「今日のプランは、二つ考えてあった。プランAは、君とランツの相性が決定的に悪いと判明した場合。そのときは部屋に戻って、私の講義のつづきだ。もっとも、教えることはあまり残っていないと思うがね」 「プランBは?」 「オレの仕事の手伝いだ」ランツが片目をつぶった。 ランツの仕事って何だろう? 確か、外の見回りとか言っていた、と思うけど。 「ぼくは何をしたらいいんです?」 「ついて来れば分かる」そう言って、スノーボードでいきなり雪上を滑り始めた。 「あ、ちょっと……」ぼくは慌てた。 ジルファーなら、質問されると解説せずにはいられない。でも、ランツは説明することを面倒がるタイプの人間らしい。大事なことだけズバズバ言って、すかさず行動に移る。そういう人間には憧れもするけど、合わせるのは大変だ。 「行ってきます」ジルファーにそれだけ言い残して、ぼくはランツの後を追った。 久々のスキーは体が覚えていた。 すぐにコツを取り戻して、前を滑るランツに付いて行けるようになった。 星輝石の力が運動能力にも働きかけているのかもしれないけど、頭の回転ほど劇的な変化は感じない。 元々、運動は得意分野だ。多少、器用さに劣るところはあるものの、筋力や持久力、平衡感覚、そして力をため込んだ後の瞬発力には自信がある。運動選手としての欠点を挙げるなら、瞬時に体が動く機転の良さに欠けているところか。行動に移るのがワンテンポ遅れるのはよく指摘されていて、「 元から得意な運動能力に星輝石の恩恵を感じるとしたら、さほど集中しなくても、体を動かしながら頭でいろいろ考えたり、周囲の状況をよりじっくり観察したりすることができるようになったことだろうか。 赤橙色の鎧をまとった小柄な戦士の後を滑りながら、ぼくは曇り空や周囲の雪原の様子、風の音、目の覚める空気の冷たさ、そして澄んだ透明な匂いをたっぷり味わうことができた。加護に守られた体には不快さはなく、直射日光ではない薄暗がりとは言え、洞窟の中では得られない自然の光を受けて、ぼくの心ははずんでいた。単純に運動ができて嬉しいという気持ちもあるのだろうけど、自分の人生の全てがうまく回っていくような爽快さを感じていた。 でも、滑っていくうちに突然、あることに気付いた。 「おーい、ランツ。ちょっと待って」前の星輝士に呼びかける。 「何だ?」振り返らずに、声だけを返してきた。このままだと話しにくい。 「止まってくれよ」そう言って、ぼくは強引にスキー板を横に回す形のブレーキをかけた。転ばないように、うまくストックで体を支えてバランスをとる。このやり方は初心者が下手に行なうと足をくじく危険があるので、最初は板先の間隔を狭めて徐々に減速する方法を習うのだけど、ぼくにとっては今さらの技術だ。上級者とまでは行かなくても、中級ぐらいには達していると自覚している。 ランツのスノボーも止まった。よくよく見ると、彼のスノボーにはクモだかカニだかのような足が付いている。それらがガシガシと動いて、前に進みすぎたボードごと乗り手を戻してくる。実用的にも見えるけど、ちょっと不気味な光景に冷や汗を感じた。 「足でもくじいたか?」ランツが声を掛けてきた。 「いや、そうじゃなくて……」ぼくは、おずおずと答えた。「ええと、どこまで滑るのか、とか、こんなに滑ったら帰りに登るのが大変だろうな、とか気になって」 「もうすぐだ」ランツは最初の質問にそう答えた。それから付け加える。「お前は雪山を登ったことがないのか?」 「い、いや、あるけど……」スキー板をはいたまま斜面を登る技術は、あるにはある。カニのように板を斜面に平行にして横歩きしたり、上りを向いた板先の間隔を開いて後方にブレーキをかけながらストックで体を上に押し上げたり、斜面のゆるやかな角度の方に進むようにジグザグで登って行ったり、いろいろできるんだけど……結局、滑るよりは手間が掛かるわけで、あんまり長距離は移動したくない。「ここには、リフトってないよね」 当たり前のことを聞きながら、あくまで冗談で言ったのだと示すように肩をすくめる。 「ふつうに登ればいいじゃねえか」ランツは素っ気なく言った。 「は? だからスキーで登るなんて手間掛かるでしょ?」 「掛からねえよ」ランツの言葉は短かった。短すぎて、話が通じない気がする。「よく見ろ」 スノボーに乗ったランツの体はスーッと動いて、ぼくの横を通り過ぎて、そのまま斜面の上まで滑るように向かう。それから、また滑るように下りてきて、ぼくの横に戻ってくる。 「な、こんな感じだ」短い確認の声。これで分かったろう、というように、得意げな表情を浮かべていた。 「え、ええ?」ぼくには分からない。ランツの昇降自在な動きが手品のように見えた。「どうやったんですか?」登りはカニ足を動かしてやるものだと思い込んでいたけど、今の動きにはそういうぎこちなさがなかった。 「星輝石に決まってるだろうがよ」ランツは自分の腹部を示した。そこには、 「うん、もちろん、そうだけど……」ぼくは戸惑いながらも、目を輝かせている自分を意識した。「やり方を教えて欲しい。便利そうだし」 「説明は苦手なんだけどな」頬をかきながらも、満更でもない表情が浮かんでいた。割と崩れることの少ないジルファーと比べると、この男の表情は豊かだ。しかも、何を考えているかが分かりやすい。嘘はつけない人間なんだろうな。 「ちょっとしたコツ程度でいいんです。後は、自分でいろいろ試してみます」星輝石関係は『習うより慣れろ』だと実感している。そして、ぼくにとっては、その方が得意分野だった。 「《大地》はオレの体を支えると同時に、引っ張ったりもする」ランツは渋々といった表情で、説明を始めた。「オレは地面に『少し引っ張るのを抑えてくれ』と心で念じる。すると、《大地》が手を放して、ちょっと後押ししてくれたりもする。こんな感じだ」 「それって、重力を操作しているってこと?」 「重力の専門家は別にいる。会ったことはないけどな」ランツはそう言って、説明を続けた。「オレの力は《大地》に由来するから、たとえば空を飛んだりはできねえ。いろいろ試してるんだが、どうもまだ糸口がつかめねえんだ。せいぜい高く跳躍する程度だな。後は、壁や崖などの登攀ぐらいなら、重力の角度を調整して何とかできる。ええと、こういう説明でいいのか? オレは普段、重力なんて言葉は使わないから、自分でもうまく説明できているのか、はっきりしねえんだが」 「いや、何となく分かりましたよ。重力の角度を調整か。無重力とか反重力じゃないなら、何とかできそうだ。やってみます」 そう言って、ぼくは体勢を変えて、登り斜面に向き直った。 そして、体の角度をあれこれ調整しながら、星輝石に自分を重力から解放するように念じた。 スーッと体が軽くなるのを感じたところで、ストックを使って、体ごと前に押し出す。 ぼくは雪山を滑り登ることに成功した! さっきのランツみたいに少し登って、それから重力の角度を元に戻して、同じように滑り降りる。「こんな感じですね」 「ああ、そんなところだ」ランツの反応は素っ気なかった。 これがジルファーなら、わざとらしいぐらいに驚きを露にし、『カート、君には大した才能がある』とか誉めてくれるだろう。ランツの反応を見る限り、ジルファーのあの振る舞いは、ぼくをその気にさせる演技みたいなものかもしれない、と今になって思いつく。たぶん、ぼくが誉められると伸びるタイプなのだと見切った上で。 「他には、何かないんですか?」ぼくはランツにも誉められたい気持ちになって、次の課題をせがんだ。「重力が操作できるなら、天井を這ったりもできそうですね」 「クモやハエと一緒にすんじゃねえ」不機嫌な反応だった。 「え? ええと……」何か失言したかな、と思って、とまどいの表情を意識する。 「カニが天井を這うか? 無理だろう? 星輝士の技にはイメージが大事なんだ。自分のイメージにないことはできない。ジルファーから習わなかったのか?」 習ったような、習わなかったような。 「イメージか」とりあえず納得しておいて、別の質問をする。「どうしてカニなんですか?」 「カニは水陸両用だ。体も堅いし、攻撃力もある。ああ見えて、機動性も十分だ。空が飛べない以外は、いろいろ実用的なんだよ」ランツは、カニの利点をいろいろ語った。「それに 美味いって、星輝士のイメージに関係あるのか? 「本当なら、甲虫類も捨て難かったんだよ。あいつらなら、空も飛べる。タガメとかなら、水中も行けるんだが、どうも虫は好かねえ。イナゴとか、蜂蜜ぐらいしか食ったこともないしな。自分が虫になるなんて想像したくもねえ。ゾッとする」 カニならいいのか? いや、わざわざ聞くことじゃない。ランツは、カニの鎧をまとっているんだ。きっと、彼のセンスではいいに決まっているのだろう。 「リオ……ん〜、やっぱ呼びにくい。ええと、カートでいいのか?」 「あ、ああ」ランツに本名で呼ばれて驚く。「どうして?」 「ジルファーが呼んでたじゃねえか。単純な名前だ、聞いたら分かる」 単純な名前で悪かったな。 別に、自分の名前にさして誇りを持っているわけじゃないけど、軽んじられるとやっぱり腹が立つ。 「カートでいいよ。その代わり」多少ふてくされた気分で、付け加える。「こっちがクレーブスと呼んだら、そっちもラーリオス、またはリオで返すこと。ラーリンは却下だ。今後は認めない」 「ああ、いいぜ、カート」 「契約成立だね、ランツ」自分の言い分が通ったようで、満足だった。 その後、ランツに付いて向かった先の光景を見て、ぼくは普通に驚いた。 「こんなところに森があったんだ」 「当然あるさ」ランツはやっぱり素っ気ない。「オレの仕事場だし、住処でもあるからな」 でも……ジルファーが言ってなかったっけ? 『本来なら標高が高すぎて、高山植物さえ生えない』って。 それとも、いつの間にか、植物の生えるところまで降りて来ていたのか? 結構、滑ったけど、それでも生態層が劇的に変わるぐらい標高を下ったとは思えない。 「普通の森じゃないですよね」 「ああ、 「え? カレンさんが作ったんですか?」 「いや、そうじゃない。オレが勝手にそう呼んでいるだけだ」 ふ〜ん。 「あ、大した意味はないからな。森といえば、カレンの属性。単純にそう発想しただけで、変な誤解はするなよ」慌てるランツが面白い。 「カレンさん、美人ですもんね」 「そうだろ。ああいう娘と仲良くなれたら……って、何、言わせるんだ」 「あ痛ッ」突然、蹴られた。「何するんですか!?」 こっちの抗議には応じず、ランツは不意に真剣な表情になった。「カート、いや、リオ、いや、ラーリオス様。約束して欲しい」 「え、え〜と……」ぼくが反応しきれずにいると、 「今の話は絶対に内緒だぞ。カレンだけじゃない。ジルファーにもだ。それと、間違ってもソラークには言うなよ。下手したら……殺される」 何だ、それ? 「裏世界の噂に聞いたんだ。ソラークという男は、妹のために、人を何人も殺したことがあるって」 そうなのか? あのソラークの端正な顔を思い出す。 確かにタカのように鋭い視線に見つめられると、たじろぎもするけど、そんな裏世界の噂に上るほどの悪党には思えない。 「その噂、本当なんですか?」ぼくは好奇心に駆られて、尋ねた。 「オレが聞く限りは、そこそこ信憑性がありそうだぜ」その保証がどこまで当てになるのか、よく分からない。ジルファーの言うことなら信憑性が高そうだけど、ランツの話には思い込みや尾びれが付いている可能性が十分に考えられる。 「とにかく、ランツはカレンさんのことが好きなんですよね」 「そう、はっきり言うなよ、恥ずかしい」 いや、『カレンの森』なんて名前を付ける神経の方が、よっぽど恥ずかしいと思うんだけど。ぼくだったら、『スーザンの森』なんて名前は絶対に付けないだろう。せいぜい付けるとしたら、『シンクロシアの森』かな。 「ああ、もう、カート。お前相手だから、はっきり言う。オレはカレンのことが好きだ。異性として付き合えたら、とも思っている。しかし、この目的のためには障害が二つある。一つは当然、ソラークだ」 ぼくはうなずいた。自分がランツの立場でも、ソラークの認可を得るのは厳しそうだと思う。あの兄妹の親密な絆の間に踏み込むには、それこそ並みの星輝士を遥かに凌駕するほどの愛と勇気を必要とするだろう。 「もう一つは、ジルファーだ」 「何で?」思わず尋ねてしまった。 「お前の目は節穴か?」ランツは当然のことを説明するように言う。「ジルファーの奴は、認めるのも悔しいが、クールな美形といった顔つきだ。オレみたいな田舎出とは違って学もある。カレンと横に並べば絵になる。そうだろ?」 「まあ、確かに……」ランツの主張には一理ある。「でも、ジルファーと、カレンさんは、そういう仲では絶対にありませんよ」ぼくは断言した。 「どうして分かる」 「ぼくの目は節穴じゃありませんから」皮肉っぽく答えた。「あなたより、いろいろ近くで見ているんです。まず第一に、ジルファーには女心が分かりません」自分のことを棚に上げてよく言う、とは思ったけど、案外、人のことの方がよく理解できるものだ。 「そうなのか?」ランツは意外そうな顔だった。「あいつは物知りだから、てっきり、そういう方面にも詳しいのかとばっかり……」 「ジルファーが詳しいのは、本に乗っている知識や理屈です。女性の気持ちは、もっとデリケートなんです」 「ふむふむ」ランツは神妙な面持ちでうなずいている。 「次に、ジルファーは、カレンさんの料理を口にしません。女心にとって、こういう反応は致命的です」 「カレンの料理を口にしないだって?」ランツが驚いた。「何て贅沢な。ジルファーめ、許せん」 いや、そこまで敵愾心をむき出しにされても……。 「お前は食ったのか?」ランツは突然、尋ねてきた。 「え、い、いや、食べたというか、飲みましたよ」ここで、うかつな答え方をすると、ジルファーに向けられた敵意が自分の方に放たれる、と感じながら、ぼくは慌てて答えた。「甘いコーンジュースです」 「甘いコーンジュースかあ」ランツの目がほわ〜んとなった。 何を想像しているんだろう? どうも、コーンジュースという言葉の響きに、ロマンチックな誤解をさせてしまったのかもしれない。事実は『コーンスープの作り損ないで、異様に甘くなってしまって、ジュースと形容するしかない残念な代物』なのに。 ええと、コーンジュースを自分好みの味に調整する方法って、人に教えたりできるんだろうか? 「とにかく、カレンの作るジュースは甘いんだな」 「ええ、まあ」おずおずと答える。「正直言えば、甘すぎるんですけど……」 「甘いの結構。いかにもカレンって感じじゃねえか」 別に、味を調整しなくても良さそうだ。ランツなら、何を食べても耐えられそうな気がする。 「ところで、リオ」あ、そっちで呼んでくれた、と思ったのも束の間、ランツの視線がギラリと鋭さを増した。「お前、ずいぶんとカレンのことに詳しいじゃないか。まさか、お前も彼女を狙っているんじゃないだろうな?」 「え、い、いや、カレンさん、美人ですし……」 「やっぱり、そうか」ランツの目が大きく見開かれ、明らかな殺意を向けてくる。 「だ、だから、美人に対する憧れは感じますけど、ぼくには好きな娘がちゃんといるわけで……」 「ほう」ランツの殺意が収まって、代わりにその目は好奇心をたたえるようになった。「どんな娘だ」 「……スーザンって言います」ぼくは赤面しながら答えた。「ラーリオスの試練を終えたら、再会できるはずで……」 「そういうことか」ランツは納得したようだった。「お前にも負けられねえ理由ってのがあるんだな。だったら約束するぜ。お前の命はオレが守る。試練を果たして、彼女のところに帰るのも応援してやる」 「ランツ……」ストレートな激励にちょっと感動した。 「その代わり、オレとカレンのことも応援よろしくな」 は? 「よ〜し、ジルファーは女心が分からねえから、ライバルにはならない。となると、残る障害はソラークだけだ。これも、ラーリオス様が応援してくれるとなれば、勝ちは見えた。今日は最高の日だぜ」 何だか、勝手に盛り上がっているし。 しかも、さっきのは下心付きの激励かよ。 感動して損した。 それに……肝心のカレンさんの気持ちは考えないのか? 食べ物の話題が出たからか、ぼくとランツは空腹を感じていた。 そこで、森の中にあるランツの住処とやらに向かうことになった。 森の中は、外と違って暖かい。 「ここは、星輝石の力で結界が張られている」ランツが歩きながら説明した。「仕組みはよく分からねえが、神官たちが何かの儀式で作り上げた人工の森だ」 「どうして、こんな場所を?」 「木がいるから、に決まってるだろうがよ」ランツが物分かりの悪い人間に接するように、不機嫌な口調になる。ジルファーなら決してとらないような態度だ。 「ええと、木は何に使うんです?」ぼくは辛抱強く尋ねた。 「お前、夕べは何を食べた?」唐突に問い掛けられた。 「え、ビーフステーキですけど」ゾディアックに来てからの食事は大体そうだし、星輝石の力の使用にはそれなりのエネルギーが必要だ。普段よりも腹が減ることは間違いない。 「それは、どうやって作る?」ランツはしつこく尋ねてくる。 「牛肉を……焼きますよね」こんな答えでいいのか、と思いながら、おずおず答えると、 「それだよ。肉を焼くのに何を使う?」 「電気ですか? ヒーターとかレンジとか……」 「バカ野郎!」突然、怒鳴りつけられた。「お前は常識知らずか! これだから都会生まれの小僧は。焼くのに使うのは普通、薪だろうがよ。ここまで説明させて、いい加減に察しろよ、オイ。木を何に使うかって話だったはずだぞ」 「ああ、そういう説明だったのか」ぼくは、ようやく納得した。はっきり言って、ランツの説明は分かりにくい。難しい言葉は使っていないけど、延々と回り道をさせている割に、答えは単純極まりなくて深く考える意味を感じない。 『木は何に使うんです?』『薪だよ』 普通ならこれで話が終わるのに、ずいぶんと遠回りさせられて、しかも『常識知らず』とはひどい言い草じゃないか。おまけに、『都会生まれの小僧』なんて言われたのは初めてだ。ぼくはずっと自分を『モンタナの田舎者』と思っていたのに。 でも……ランツの服装を見て納得した。森に入るときに彼は転装を解除して、緑色を基調とした野良着とも野戦服とも取れる、垢抜けない姿になっていた。お洒落とは縁遠い格好の彼から見れば、革ジャンにジーンズの格好は十分都会風に映るのだろう。 ぼくもまたスキー板を外して、軽装になっていた。 板と一体化していたシューズをどうしようか、と考えているときに、ランツが助言をくれたりもした。 「ああ、面倒くせえな。お前は、装備の収納を習っていないのか?」 ランツの拙い説明をまとめると、星輝士や神官は、自分の衣服や所持品を星輝石の中に、粒子化して保管できるらしい。ただし、携帯電話のように仕組みの複雑な機械は収納しても、粒子から再構成するのが困難で、収納できるのは『自分が愛着を持った、構造の単純な、無生物』と定義できるようだ。 「物品の変成術を習っているのなら、できるはずだぜ。やってみろ」 そんな無茶な……と思いながらも、やってみたら難なくできた。 スキー板とストックは、左腕の 念のため、再構成も試してみる。短い時間とはいえ、それまで使ってきた『それなりに愛着ある』スキー板とストックのイメージを思い浮かべて腕輪をそっとこすると、そこから光が広がり、足元の板とストックの形をとる。ストックは実体化した際に慌ててつかみ損ねたため、二本ともカランと倒れてしまったけど、確かに再構成されていた。 「便利ですね、これ」ぼくは自分が魔法使いになった気分で、上機嫌になった。それでも、自分で食べ物を作り出すことができないのは残念だけど。 ランツの住処は、一軒の 「いい感じだろう」誇らしげに言うランツに、ぼくはうなずいた。 中に入ると、いかにも暮らしやすそうな部屋があって、ずっと洞窟暮らしだった身には眩しく見えた。 「飯はどうする? 「え、ええと……」ぼくは考え込んだ。牛は食べ飽きている。すると豚か鶏の選択だ。「 「ダメだ。今は 「だったら聞かないで下さいよ」ぼくは、理不尽な問いにからかわれた気分で抗議した。「最初から豚しかないんだったら、ぼくの意見を聞く意味がないじゃないですか」 「お前、それでいいのか?」ランツは思いがけず真剣な表情で問い掛けてきた。「選択肢も与えられず、定められた運命に何の意思も見せないままで納得できるのか?」 「え、ええと……」ぼくは戸惑った。 「世の中にはな。選択肢が一つしかなく、自分の望まぬ行動を押し付けられることだってあるんだ」ランツが自分の悟りを語るかのような口調になる。「それでも、自分の意思はこうだときちんと訴える機会は手放したくない。オレなら、そう考えるぜ。そして、自分の望むものはこれだとはっきり口にしたなら、たとえ、その場の選択肢が一つしかなくても、後から状況が自分の望むように変わることだってあるんだ。選択肢、これは運命と言ってもいい。たとえ望まぬ局面しか見えなかったとしても、自分の意思を突きつける機会は大事にして、可能な限り自分の意思を押し通す。それがオレの決めた星輝士としての生き方って奴だ」 「……だったら、 「出ねえよ。今は 豚肉だって、十分美味しかった。 別に鶏肉にこだわっていたわけではないし、ぼくはイスラム教徒でもない。戒律に引っ掛かるから食べられないということもなく、久々に牛肉以外を味わえて満足だった。 「食ったら仕事だ」 ランツの言っている仕事は木こりだった。 洞窟に薪を運び、その代わりに食料を得る。こういう形で生活しているらしい。 「元傭兵って聞いたけど」ぼくが尋ねると、 「今でも傭兵みたいな仕事だ」とランツは答える。「だけどな、傭兵は戦場でドンパチするだけじゃねえ。時には野営地を築いたり、食料を得るために狩りをしたり、生きるためには何だってしないといけねえんだ。お前は死にてえか?」 「まさか」 「だったら、生きるためにできることは何だってしろ。できる限り、多くの技を身に付けるんだ。そして、自分にできないことは他人を利用しろ。利用した分は、自分のできる技で返してやってもいいがな。そうすれば、恩義に感じてくれる奴もいるだろう。お互いに利用できる仲なら、信用にも値するってものだ。受けた借りは何かの形できっちり返す。そうすると、お互いにまた貸したり、借りたりが気楽にできる。だがな、自分が何もできないのなら、友情が長続きするとは思わない方がいい。相手だって、いつまでもお荷物を抱えてちゃ生き残れないからな」 「戦場は過酷なんですね」ぼくは呆然と感想を述べた。 「戦場じゃねえ。人生すべてだ」 この段階で、ランツに付き合うのが、ただの気晴らしでないことは理解した。これも、ジルファーの考えたカリキュラムの一環なのだ。彼に教えられないことを、実践形式でランツから学ぶ。ジルファーに比べて教授方法は粗いけど、基礎さえ身に付けていれば、自分で考えながら効率よく習得していける。 もちろん、ランツ流はジルファーとは全く違う。ジルファーなら『先生』と呼べたけど、ランツをそう呼ぶ気にはなれない。あえて言うなら『教官』になるのか。ぼくはもちろん軍隊経験はないけれど、リメルガが『 「いいか、見てろ」小屋から少し歩いた地点で、ランツは宣言する。辺りの木は切り倒されていて、切り株がいくつも残っている。 ランツは、右腕だけ転装して見せた。ひし形の装備が予想どおりに展開し、二本の刃を構成する。開けば そのハサミ状の武器を、ランツは一本の木のそばでザンっと横薙ぎに振るった。 巨木が麦の穂のように刈られ、ズズーンッという衝撃とともに倒れる。木でこれなら、人間の体なんてたやすく両断されるだろう。 「二本目はお前がやれ」そう言って、ランツはいつの間にか手にしていた斧を渡してきた。 「斧なんて使ったことないですよ」 「誰だって、初めてはあるんだ。物は試し、やってみろ」 仕方なく、ぼくは斧を構えた。 「何だ、そのへっぴり腰は。そんなので木が斬れるか。もっと腰を落としてだな……」 教官殿の口汚い罵りに耐えながら、ぼくは何とか木を切り倒すことができた。ぼんやりしていたので危うく倒れてきた木の下敷きになりそうになったけど、すんでのところで気付いて、身をかわす。 「初めてにしては上出来だ。図体のデカさは伊達じゃないってところだな」 口の悪いランツが珍しく誉めてくれたので、心の中でガッツポーズを取る。けれども、あまり使っていない筋肉を使ったみたいで、両腕が少しビリビリしていた。 「これで終わりですか?」 「そんなわけないだろう。今からこれを細かく分けて、運べるようにしないとな」 食べた分のエネルギーは、きっちり消費しそうだった。 「それでカート、武器は何にするつもりだ?」 ぼくが手斧で枝を切り払っている間に、ランツが話しかけてきた。 「拳、それと体一つ……というわけにはいきませんよね」ランツの強力な武器を見ていると、素手で戦うということがいかに無謀かよく分かった。 「お前の体格じゃ、斧が結構、有効だと思うけどな」 「それじゃ山賊か海賊みたいじゃないですか」ぼくは反論した。「他の人は何を使っているんですか?」 「ソラークが槍、ジルファーが剣、カレンが投げ短剣ってところだな」 「刃物ばかりですね」 「棍とか鎚でも構わないけど、いまいち殺傷力に欠けるからな。うちの陣営にはパワーファイターはあまりいないんだ」 「リメルガは?」 「誰のことだ?」 「ほら、ぼくより体のデカイ……ハヌマーンですよ」 「ああ、あのヘッポコか。ウドの大木……」 いくら、上位星輝士が格上だからって、その言い方はひどいと思った。それを指摘すると、 「だってよ、どう考えてもヘッポコじゃねえか。戦場で、上官の無謀な突撃命令にバカみてえに従ってよ、重傷を負ってブルブル震えてやがったんだ。オレが助けてやらなきゃ、くたばっていたな。そうか、あいつ、リメ何ちゃらって言うのか。初めて知ったぜ」 「え、もしかして、リメルガを助けた星輝士ってランツなの?」 「ああ、あいつだけじゃない。戦場に出れば、しょっちゅうだぜ。オレは下位の星輝士の 「リメルガに言えばいいのに。自分が助けたって。きっと感謝してくれますよ」 「どうして、オレが奴に感謝されないといけないんだ? オレは自分の仕事を果たしただけ。それで報酬ももらってんだ。感謝の言葉じゃ、腹はふくれねえからな」 ランツの考え方はよく分からなかったけど、リメルガも『命の恩人の顔も名前も知らないし、誰に助けられたかなんて大事じゃない』と言っていたような。戦場を生きてきた人間特有の考え方なんだろうか。非情というか、命に対して淡白というか。 「武器なんですけど、銃器はどうですか?」話を元に戻す。 「普通なら有効なんだけどな」ランツは言った。「星輝士の加護は、銃弾じゃなかなか貫けない。加護を破るには、武器に同じだけの《気》の力を込めないといけねえんだ。機械仕掛けの道具には、《気》を込めるのは難しい。どうしても接近戦が主体となるわけだ。まだ弓矢とか、投擲武器なら何とかなるんだけどな」 「なるほど」ぼくはどうして星輝士が戦場で活躍できるのか、リメルガから聞いた話をようやく納得した。普通に鎧を着た戦士ってだけでは、銃弾飛び交う戦場で無敵というわけにはいかない。加護という霊的な力で守られてこそ、同じような霊的な力を帯びていない攻撃は威力を軽減あるいは無効化されるのだ。星輝士のような超常能力を身に付けた戦士と戦えるのは、やはり星輝士のみとなるのだろう。あるいは、他の超常能力を宿した化け物みたいな存在が他にいるのか? 「やっぱり、ぼくは剣がいいですね」ひとまず武器についての結論を出しておく。選んだ理由は、『スター・ウォーズ』のライトセーバーだった。星輝士は自分のイメージを大切にする。それなら、一番イメージしやすい武器を選ぶのが道理というものだ。 「剣か。だったら、ジルファーから教えてもらえ。あるいはソラークから」 「ソラークも? 槍じゃないんですか?」 「オレが手合わせした中で最強の剣士はジルファーだ。しかし、ジルファーがソラークに剣術で勝てなかった、と聞いたことがある。ソラークは剣だって、槍だって使えるということだ」 材木の分断を終え、小屋に運んでいる最中に、ぼくは改めて聞いた。 「結局、最強の星輝士は誰なんですか?」 「オレだ……と言いたいが」ランツは苦笑を浮かべた。「ここじゃ、ソラークが総合的に最強ってことになるだろうな。広い場所であいつに飛ばれちゃ、オレじゃ手も足も出せねえ。戦場が洞窟の中だったらオレが有利だが、それでもオレの攻撃は大雑把で、いくぶん正確さに欠ける。攻撃力では対等、機敏性ではあいつが上、防御力ではこっちが上だが、こちらが攻撃を当てられずにいるうちに、奴に先に急所を突かれてしまうだろうな」 「ジルファーは?」 「オレと対等じゃねえか」ランツは神妙な表情で答えた。「戦場にもよるだろうが、防御面では割と対等だ。奴の氷の楯はオレに比べて脆いが、再生して、まとわりついて来る。砕くのは簡単でも、割っても割っても、また固まってくるのでキリがねえ。破壊力ではこっちが上だが、奴の攻撃は正確で、しかもこっちの動きを制してくる。短期決戦で勝負をかけるならオレの勝ち、のらりくらりといなされたなら奴のペースになるだろうな」 「カレンさんは?」 「誰だって倒せる」ランツはあっさり言い放った。「正直、戦闘力は知れている。牽制に回るのがせいぜいってところだ。でもな、カレンと誰が戦いたいと思う?」 「思いませんね」ぼくは同意した。 「だよな。それに集団戦闘になると、個人の戦闘力が全てじゃねえ。カレンの長所は支援能力だ。味方にいれば、負傷を癒してくれるのだから、継戦能力が格段に高まる。集団戦ならオレが楯になり、ソラークが攻撃、ジルファーが攻撃補佐、カレンが回復支援に回ることで、バランスが取れる。そこに、ラーリオスが加わるわけだ。お前には何ができる?」 「攻撃以外なら……」ぼくはそう答えた。 「だったら、攻撃力を鍛えねえとな」ランツがニヤリと笑みを浮かべた。「それだけの図体だ。パワーを活かさないのはもったいねえ。少なくとも、オレが聞く限り、 ぼくは、しばらく黙りこくった。 ランツの話を聞いていると、いかにも戦うことが当たり前で、どうすれば勝つことができるか常に研究を欠かさない様子がうかがえた。話を聞いているだけだと面白い。 でも、自分がその中に入って何かの役割を期待されていると思うと、抵抗があった。戦いはスポーツの試合か何かではなく、命の奪い合いだ。人を殺すことも自分が殺されることも勘弁願いたいのが、裏とは関係ない世界で生きてきたぼくの偽りなき実感だ。 人を殺せと言われて『はい、分かりました』と応じることができるほど、ぼくは機械的でも冷血漢でもない。誰かを守るために命を掛ける、そんな自分に憧れ酔いしれることはあるかもしれないけど、自分が生き残るために誰かを倒すなんてことが本当にできるのか? 「何だ、押し黙ったりしてよ。もう疲れたのか?」ランツがこちらの気持ちに気付かず、声を掛けてくる。丸太をかつぎながら小屋まで何往復か。久々の重労働だけど、そんなに疲れてはいない。肉体的なタフさには自信がある。けれども……『オレはこう見えても繊細なんだよ』 ランツの言葉は、そのままぼくにも当てはまった。 戦いの話から気をそらせたい。そう思って、周囲を見渡した。 「きれいな森ですね、ここ」 「そうだろ、そうだろ」ランツは自分が誉められたように、喜びを表す。「何しろ、カレンの森だからな。オレにとっちゃ、最高の環境だ」 うん、作られた人工の森で、いかにも守られているような気分を与えてくれる。 でも……、 「普通の原生林とは違って、暗さってものが感じられないかな。あと、じめじめしたところもなく、カラッとしている。 ぼくには、この森がカレンさんに似ているとは思えない。いや、表面上は似ているかもしれないけれど、その内面が再現しきれていないように感じるのだ。 「何か不満でもあるのか?」ランツの口調が、どこか不機嫌に聞こえた。 この森が、カレンさんとは違う……ということを指摘すると、どんな反応をするだろうか? 「じれったいな。言いたいことがあったら、はっきり言えよ」 カレンさんの内面……湖を思い起こさせる瞳。 「ここには、川や泉、池みたいなところはないんですか?」 「ああ、喉が渇いたってのか」ランツが都合のよい解釈をした。別に誤解を正す必要もないと考えて、ぼくはコクリとうなずいた。「外が雪だらけだろ? 下手に水を引いたら、雪崩を引き起こしかねないとか言ってたな。川とかはなし。それでも地下水はあるみたいで、小屋のそばに井戸が掘ってある。そこまで我慢しろ」 井戸の水は、冷たく美味しかった。 さっぱりした純粋な味で、喉を潤すにはちょうどいい。 「この水も、いかにもって感じだな」ランツが満足げに言う。「混じりっけのない清純さってのが、カレンにも似てよ。いかにも神に祝福された清水ってところだな」 どうやら、ランツの頭の中では、カレンさんのことが相当に美化されているようだ。 熟練の戦士らしい大人の カレンさんの名前を口にするときのランツの姿は、以前の自分の日常を思い出させた。 たぶん、自分も同じような気持ちで、スーザンのことを想っていたんだろうな。 あの時は、何もかもが輝いていて、世界には何も暗いところがないような気分だった。 恋する相手に過剰な幻想と期待を抱き、裏切られることになるなんて、万に一つも予想していなかったあの頃。 『ごめんなさい……わたしは選ばれたの』 別れ際のスーザンの言葉が、ぼくの恋心に暗い影を落としたような気がする。 『そして、あなたもよ。ラーリオス』 そう、ぼくは選ばれた。スーザンと同じように。 そして、スーザンとの再会を望みながら、ここまで漕ぎ付けたのだ。それなのに、心の奥底では何か暗くて哀しい想いがもたげて来ている。もう、以前のようには戻れないという予感が、カレンさんに憧憬を寄せるランツの表情に接すると、急に意識された。 たぶん、今のぼくは、スーザンに再会したとしても、そういう無邪気な憧憬の気持ちで相手を見ることはできないのではないか? 自分の心の中で、何かが決定的に崩れているにも関わらず、それを認めようとしないまま、失った恋心の断片にしがみついているだけなのじゃないか? その心の隙間を埋めているのが、カレンさんだ。 ぼくは、もう一度、井戸の水を飲んだ。 この純粋さ、冷たさは、カレンさんではなく、あの夜のスーザンを思い起こさせるものだった。星王神を純粋に信じ、信仰のためには何をも犠牲にできる崇高さ。これこそ、あの夜のシンクロシアを思い出させるものだった。 あの夜? スーザンと別れた夜のことではない。 もっと後。 スーザンが これは、悪夢の中の記憶? ぼくは、不吉なものを追い払うかのように頭を振った。 「おい、大丈夫かよ、カート」ランツの声が、ぼくを現実に引き戻した。 貧血を起こしたかのように、頭がくらくらして、その場に腰を下ろす。息をあえがせながら、力ない笑みを浮かべる。「久しぶりの……運動だったから……思ったより……バテちゃったみたい……です」取り繕うような言い訳を口にする。 「だらしねえ奴だな」ランツは呆れたような声を出した。「しばらく休んでおけ」口は悪いが、気遣ってはくれているみたいだ。 「この森には、花は咲いていないんですか?」 スーザンの記憶から意識をそらせるために、ぼくは違う話題を振った。 「カレンさんの森だったら、花は必須だと思うんですけど」 「確かに、そうだな」ランツがニヤリと笑った。「花畑……とまでは行かないが、いい場所はあるぜ。動けるようになったら、行ってみるか?」 「今すぐ行きましょう」ぼくは立ち上がった。 「無理するな。一仕事終わらせてくる。それまで、お前は休憩してろ」 残った丸太は、ランツ一人で運び終えた。 ぼくは、ランツの仕事の手伝いでここに来たはずだけど、実際はランツ一人でやった方が効率よく、単に足手まといでしかなかった自分を自覚する。手伝いは名目で、やはりぼくの訓練の一環だったのだろう。 それを指摘すると、ランツは「気にするな」と言った。「オレは、お前を訓練することで、報酬をもらっているんだ。気になるようなら、とっとと強くなって、本当に人を手伝える人間になれ。あ、それと、どうしても気にしてくれるなら、カレンのことでいろいろ頼む。こればっかりは、オレ一人じゃ手に負えそうにねえ。助っ人が必要だ」 その表情は、本気のようにも冗談のようにも見えたけど、たぶんランツ流のユーモアで、こちらの気分をほぐそうとしたのだと解釈する。 仕事後に彼が案内してくれたのは、夢で見たような樹間の空き地だった。そこに泉があれば、舞台として完璧なんだけど、ランツの言葉どおり、この人工の森には水辺がない。代わりに空き地を飾っていたのが、黄色い絨毯のような一面の花々だった。 「きれいだろ?」得意げな声。 この花の色は、どこかで見たような……。 「洞窟に薪を運ぶときによ、ちょっとした心遣いだと思って、花を一本、紛れ込ませてるんだ。カレンが気付いて、こっちの想いを受け止めてくれたらいいと思って」 何て遠回しな愛の表現だろう。 「その花、カレンさんは確かに受け取ってますよ」ぼくは、ランツを励ますように言った。 「本当か?」 「ええ、彼女がその花を飾っているのを見たことがあります」 「そうか。無駄じゃなかったんだな」 ランツは単純に喜んでいる。彼に内緒なのは、この花がカレンさんの手で、ぼくの部屋の飾りになっていることだ。たぶん、カレンさんは、この花にランツの想いが込められていることは気付いていない。 想いが確かにそこにはあるのに、言葉にされていないせいで、気付かずに流れ去るもののいかに多いことか。 「何て名前の花なんです?」花言葉とか、いろいろ気になって聞いてみた。 「そんなことオレが知るか」 そうだろうな。 ぼくはしゃがみ込んで、一本、摘み取ろうとした。 (手折られ花は怨み花) そんな声が心によぎって、慌てて手を引っ込める。 「どうした?」 「……たぶん、花の気持ちを聞いたんだ、と思います」 「花の気持ち?」 「ええ。カレンさんは、それが分かると言っていました。花の気持ちなんて考えたこと、あります?」 「土の声とは何か違うのか?」 ぼくは、土の声というものを知らないし、花の気持ちだって今、初めて感じた……のだと思う。違いなんて分かるはずもない。 「人に手折られた花は、生を全うできなかったことで、怨みに感じる……といった感じです」 「そうなのか?」ランツが慌てて頭をかく。「オレ、今までそんなことを何も考えずに、摘み取っていたよなあ。カレンは花の気持ちが分かるんだろ? 何かまずくないか、それ」 言われてみれば、まずいかも。 花一本だって一つの命と思うのなら、それを摘み取ることは、人を殺すことと同じくらい重罪だと考えることもできる。けれども、そんなことを気にしていると、世の中、根本的に生きていけなくなる。だったら、せめて、摘み取る花に敬意を表し、ささやかな供養の気持ちを捧げることがぼくたちにできることだと思う。 「ランツ、死者の魂のことは気にしない、って言ってなかった?」そう問い掛けてみる。 「ああ、気にしてちゃ、オレの仕事は務まらねえからな」 「木や花にも魂があると思う?」 ランツは腕を組んで、しばらく考えた。「……分からねえ。魂があるのは人間だけで、動物にはないって言う奴もいるな。ましてや、植物だろ。仮に魂があって、殺生を禁ずなんてことになったら、人間は何を食って生きていきゃいいんだ?」 「ぼくのお婆ちゃんは言っていた。世界の中で命や魂は続き、つながっていくものだって。人間もそうした大自然の営みの中にいればこそ、そうした連環の中に自らを位置づけ、やむなく奪ってきた命に対しても敬意を示し、決してないがしろにしないことが人の生きる道みたい。そして、仮にそうした事を知らずに罪を犯し続けても、知って悔い改めれば、罪はあがなえるらしいよ」 「まるで、どこかの聖人みたいな言い方だな」ランツがつぶやいた。「聖ラーリオス様の御言葉ってことになるのか?」 「そんな大したことじゃない。素朴なネイティブ・アメリカンの伝承です。ゾディアックの教義に結びつくかどうかも分からない。ぼくがただ、そう感じたってだけで」 「だったら、都合よく利用させてもらうぜ。罪はあがなえるんだろう? 今後は、もう少し、花の気持ちを考えて、摘むときには祈りでも捧げるようにするわ。ついでに、愛の気持ちも伝わるようにってな」 ランツの軽口に、ぼくは軽い笑みで応じた。 「カレンは花の気持ちが分かるんだろう。花に向かって告白すれば、想いが通じるかな?」 知るものか。 そこまで他人の恋話に付き合いたいとは思わない。 「やっぱり摘ませてもらうわ。花には悪いけど、オレは自分の気持ちの方が大事だしな。カート、お前も摘んだらどうだ? お前の想い人、ええと、スーザンだっけか? 再会して、きちんと気持ちが通じ合えるようにって、ちょっとした願掛けだ」 いいかもしれない。 辺りを彩る明るい黄色が、ランツの言葉に希望を感じさせた。 花に恋愛成就を託すなんて、まるで年頃の乙女みたいで、無骨な野郎二人で行なうことではないようにも思ったけれど、ぼくもランツも見かけによらず繊細なんだ、と納得する。 付き合いの形で、祈りを込めながら花を摘む。 「よし、ついでに戦勝祈願だ。オレたち《太陽》陣営は、必ず《月》の陣営に勝利して、生き残る、と」 風が草木をざわめかせた。 「ランツ、今、何て?」ぼくは突然、心臓が早鐘を打つのを感じながら、鋭い口調で問い質した。「《月》の陣営に勝利、ってどういうこと?」 「どういうことって、当たり前じゃないか」ランツが何、バカなことを、という表情を浮かべる。「ゾディアックの次期星霊皇を決めるために、《太陽》と《月》二人の星輝王が雌雄を決することが試練の中心。そのために、双方4人の上位星輝士が守り人として、付き従うことにもなっている。予言だか何だか知らんが、そういう儀式になっているはずだぜ」 「それって、《太陽》と《月》が敵同士ってことなんですか?」 「当然そうだ」 あの夜の夢の中で聞いたトロイメライの言葉がはっきり蘇る。『星王神は、自分への信仰を試すため、絆で結ばれた者の犠牲を求めるの。《太陽》のラーリオスと、《月》のシンクロシア、2人の星輝士を戦わせ、勝ち残った者にこそ星霊皇として、この世を裏から統治する権能を与える、とされている。運命に選ばれたあなたは、望むと望まざるとに関わらず、絆で結ばれたスーザンと戦うことを強制される。これが、あなたの未来よ』 「それが、ぼくの未来……」ぼくはつぶやいた。「シンクロシアと……スーザンと戦わないといけないなんて……」 視界が涙の色に染まった。 手にした黄色い花が、手折られた心を映し出すように、色合いを反転させていく。 ぼくの手の中で、花弁を紫色に染めた一輪が、そっと生まれた。 |