3ー8章 ロストドリーム・アゲイン 「そうか。《月》がスーザンだってのか」ランツの声が静かに響いた。「想い人と戦わないといけねえってのは、不幸な巡り会わせだよな」 ぼくは他に乱れた感情の持って行き場がなく、《大地の星輝士》を憎々しげににらみつけた。「あなたは知らなかったのですか?」 「敵の名前には興味ねえよ」ランツは、ぼくの視線を臆することなく受け流す。「《月》は《月》。それで十分だ。シン何ちゃらなんて、ややこしい名前もどうだっていい」 「シンクロシア、スーザン・トンプソン。ぼくにとっては大事な名前です」口に出すことで、崩れそうな想いに必死にしがみつく。 「ラーリオス、リオ、カート。お前の名前だって、今朝までは覚えてなかったんだ。オレにとっては、《太陽》で十分だったからな。シン何ちゃらも、きちんと向こうから自己紹介されたら覚えてやるよ」 味方の名前はしっかり覚える分、リメルガよりはマシだと思ったけど、ぼくにとっては何の慰めにもならなかった。 「こんなのってないですよ。スーザンと会うことだけを願ってラーリオスの修業に取り組んだのに、修業の後では彼女と戦え、だなんて」 「だったら、どうするんだよ」ランツが突き刺す言葉を向けてきた。「スーザンとは戦いたくありませんって、何もかも投げ出して逃げるってか? まるで ズケズケと言い放つランツをにらみつけるしか、ぼくにはできなかった。 「言っておくが、 「自分の意思はしっかり示せ、って言いましたよね」 「ああ、言った。ついでに言ってやるさ。『お前がカレンのことでオレを助けてくれるなら、オレもスーザンのことでお前を助けてやる』ってな。オレは嘘はつかねえ。戦術的撤退とか、隠しごとは時と場合によっちゃするがな。お前がスーザンと会うまでは、できるだけ守ってやる。それからどうするかは、お前が考えるんだな」 「あなたなら、どうするんです? ぼくと同じ立場なら……」 「そんなこと、人に押し付けるなよ。オレはスーザンが好きでも何でもないんだから、戦えと言われたら気にせず戦うぜ」 「そうじゃなくて」ぼくは苛立ちを何とか抑えこんだ。「あなたが好きな人、カレンさんと戦え、と言われたらどうするんですか?」 「そいつは難しい質問だな」ランツは腕を組んで、真剣さを増した顔つきになった。「カレンが敵に回ったら、真っ先につぶさないとな。回復役を残しておいたら、こっちが不利になる」 「いや、そういう戦術論を聞きたいんじゃなく……」 「オレは戦うぜ」ランツの視線が鋭くなった。「敵なら誰だろうと倒す。ただ、それだけだ」 どうやら、ランツはぼくが想像していたよりも、 「だがな、相手がカレンなら、殺しはしない。何とか戦闘不能に追い込んで、とっ捕まえる。そしてオレの想いを受け入れさせるんだ。欲しいものは何としても手に入れる。そのためにいろいろ考えて、強くなることを目指す。それこそが星輝士ってものじゃねえか」 星輝士ってそういうものなのか? いや、ランツの中ではそうなのかもしれない。 確かに、星輝石は、人の想いや描いたイメージを実現する。それなら、『スーザンと戦いたくない』と強く願えば、実現するのか? いや、ランツの言葉を借りるなら、『スーザンを手に入れたい』と言うべきか。 したくない、という想いよりも、したい、という想いの方が強いような気がする。 「戦いの中でスーザンを殺さないなんて、できますか?」ぼくはランツに聞いてみた。 「お前の強さ次第だ」と答えが返ってくる。「自分が弱ければ、殺されるだけだ。対等な強さなら、良くて痛み分け、悪くて相討ち。普通はどっちかがどっちかを殺して終わりだな。圧倒的な強さを持ってこそ、相手を生かしたまま戦いを終わらせることができる。世の中は、強者が好きにできるようになっているからな」 最後の言葉には違和感があったけど、戦場で生き抜いてきたランツらしい哲学だとは思った。 「結局、戦いそのものは肯定するんですね。戦わない道、というのは考えないんですか?」 「生まれつき戦いしか知らない男だからな、オレは」ランツはニヤリと、そう応じた。「それに戦わないと手に入らないものもいっぱいある。オレにとっては、愛だってそうだ。愛や信頼なんてものは与えられるものじゃねえ、自分の手で勝ち取るものだ。人の好意に甘えて施しを求めるだけの生き方は、自分を堕落させる」 ランツの考え方は、憧れていたハードボイルドそのものにも聞こえる。 優しくなければ、生きている資格がない。 しかし第一に、強くなければ、生きていけない。 ぼくは、目もとをごしごしこすって、優しさではなく弱さの象徴と思える涙をきれいに拭い去った。 「本当に、一人で帰れるのか?」ランツが問い掛ける。 「子供じゃありませんから」強がって見せる。「いろいろ教えてくれて、ありがとうございました」 「仕事だからな」淡々と応じるランツと別れ、ぼくはカレンの森を後にした。 正直、気持ちの整理が必要だと思った。 スーザンと出会うために強くならないとっていう目的は変わらない。 しかし、中途半端に強くなるだけでは、スーザンと戦う不本意な結果に終わってしまう。それを避けるためには、もっともっと強くならないといけない。 何も知らなかったころの自分の発言を、もう一度、思い出す。 『ぼくは、あなたがた全員と戦うことになるかもしれない』 たとえ一人になって周りが邪魔をしてきても、自分の意思を押し通す強さ。 無知ゆえの強さ、向こう見ずなまでの大胆さを、いろいろ学んだ後でも果たして維持できるのか。 さらに、ジルファーに言った言葉を思い出す。 『仲間を信じようよ。真実が見つかっても、人の信頼を損なっちゃ、失うものが大きすぎる』 そう、そして、一つの真実が見つかった。 ラーリオスがシンクロシアと戦うことを宿命づけられている、という真実が。 嘘のつけないランツが教えてくれた真実。 ジルファーは、どうして教えてくれなかったのか。 『日頃は、何かと真実が大事とか言ってるくせに、肝心なことが抜けてやがる』 ランツの口にしていた言葉に、心底、同意する。 いや、抜けていたんじゃない。わざと抜かしていたのではないか? ぼくは結局、信頼されていなかったのか? こういう隠し事をされて、それでもジルファーを信じられるのか? 雪山を滑り登りながら生じた疑念に苛まれつつも、真実に向き合う覚悟というものを、ぼくは固め始めていた。 心の中ではいろいろな思いが千々に乱れて、迷ってもいた。 けれども、星輝石の導きか、持って生まれた天性の方向感覚のおかげか、洞窟までは迷わず行き着くことができた。まるで最初の日に、洞窟の奥から入り口まで難なく抜け出ることができた時のように。 「よく戻ってきたな」 あの日のように、ジルファーはそこに立っていた。 あの日と同じ緊張感を持って、ぼくはジルファーと向き合った。 氷のように冷ややかな視線を、真正面から受け止める。 手にした装備は、あの日と違っている。イスの脚を折って作った即席の棍棒ではなく、スキー用の二本のストック。先端部をうまく使えば槍代わりになる。 衣服も、貫頭衣ではなく、アクション向きの革ジャンとジーンズ。 さらに、左腕の星輝石。あの日にはなかった力が、ぼくには備わっている。 それでも……まだ足りない。 「運動は十分、楽しめただろうか」こちらが何も答えないので、ジルファーが緊張をほぐすように尋ねてきた。 「ランツからは、いろいろ教えてもらいましたよ」相手の問いにそのまま答えず、別の皮肉めいた意味を込める。 「だろうな。彼から連絡があった」 「星輝石を使った通信という奴ですか」ぼくはまだ試したことがないけど、確かそういう技があったはずだ。「何でもお見通しってわけですね」 「そうでもない」ジルファーが首を振る。「カート、君がどう考えて行動するかは正直、予想できないところがある。ここに一人で帰ってくるとも思わなかった。場合によると、迷子になる可能性さえ想定していたぐらいだ」 心の中では、十分迷子なんだけどな。 そう思いながらも冷静にたずねる。「迷子になったら、どうしてました?」 「ランツとソラークなら、地上と空から簡単に探せるだろう」 「なるほど。つまり逃げようとしても、やっぱり逃げられないわけですね」 「逃げたいのか?」ジルファーの視線が鋭さを増した。 「まさか」ぼくは平静さを装って答えた。「逃げても何も得られない。だったら、戦うだけです」誰と戦うかは言わなかった。自分でもはっきりしない。ただ、一つ聞きたいことはあった。 「シンクロシアとの戦い。どうして、ぼくには知らされていなかったんです?」 ジルファーは何と答えるべきか、額を手で押さえる仕草をとった。そのことで、彼が真剣に回答する気持ちであることが分かる。やがて……、 「君が真実に耐えられない可能性を想定した。ラーリオスとしての修業に差し障る危険性を考慮した。君の修業がある程度に達した段階で、私の口から伝えようとしたんだが……済まん、できなかった」 誠実な回答に、それまでわだかまっていた気持ちは薄らいでいった。 「カレンさんも、そのことをぼくに伝えようとして、できなかったんですね」 彼女の態度がどこか不自然で隠し事をしていると感じたのも、これが原因か。ぼくはそう納得した。だから、彼女はぼくに 「シンクロシアとの戦い、避けられないものなのですか?」 「星輝士筆頭バハムートは、こう言っていた」ジルファーが暗誦するように言った。 『星輝士がいかに強力な戦闘力を持っていても、地上の悪を滅することはできぬ。なぜなら、悪は人の心に巣食うゆえ。悪を滅しようと思えば、人類そのものを滅ぼさなければならぬのだ。それでは意味がない。真に、人の心の悪を滅することができるのは、試練に打ち勝った神の子のみ。そして、神の子の試練には他の星輝士も随行する。 「つまり悪と戦うために、ぼくやスーザンに犠牲になれ、ということですか」 「君たちだけではない。随行する私たちにも同様のリスクがある」 「そんなの、ゾディアックの中だけの話でしょ。ぼくには関係ない」理屈としてはそうなる。けれども、スーザンがゾディアックのメンバーである以上、ぼくは無関係を押し通すつもりもない。「関係ない……というか、何でラーリオスがぼくなんです? もっとゾディアックの理念に賛同している信徒の中から選べば良かったじゃないですか」 「代々、《月の星輝士》はゾディアック関係者から選ばれる。しかし、《太陽の星輝士》は外部の文化で育った者が望ましい、とされるのだ。おそらく伝統と革新のせめぎ合い、そして和合を意図してのことだろう。それにカート、君の血族だって全くの無関係ではない」 「そりゃ、兄のZOAコーポがゾディアック関係の企業って話は聞きましたが……」 「君の父方の祖父がゾディアック関係者だったんだよ」 初耳だった。 お祖母ちゃんのことはよく覚えていたけど、お祖父ちゃんは物心がついたときにはすでに亡くなっていて、何をしていた人なのかも聞いたことがない。父は都会出身の母と結婚し、古い伝統は迷信だと切り捨てるような人だった。もしかすると、そうすることでゾディアック関係者であった祖父との因縁を断ち切るつもりだったのかもしれない。 お祖母ちゃんはどうだったんだろう? ネイティブ・アメリカンの伝承は、ぼくにゾディアックのことを教えようとしたのか、それともゾディアックとは違う生き方を示していたのか。 いずれ、ゾディアックの歴史や教義を深く研鑽する機会があれば、はっきりするかもしれない。 「今、分かりましたよ」ぼくはうっすらと笑みを浮かべた。「あなたがどうして、真実にこだわるか。自分の家系に秘められた謎を突き詰めることは、一種の自分探しになりますよね。確かに、魅力あるテーマだ。先祖の辿った道が、自分に何らかの影響を与えていると思えば、そこははっきりさせておきたい。そういう気持ちですね」 「……」ジルファーは沈黙とともに、真意を読み取りにくい複雑な表情をした。それから、気を取り直したように言葉をつなげる。「先祖がどうだったかは、この際、置いておこう。君自身の今の意志を聞きたい」 「どうしても戦いは避けられないのですか?」 「かつて、ラーリオスに選ばれた一人の男は、大きな代償とともに、己の愛を成就したという話を聞いたことがある」ジルファーは秘められた歴史を語るように言った。「しかし、それとて試練を先送りしたに過ぎない。その結果が後世、すなわち今の君たちを巻き込む形になっているのが現状だ」 「その男は自分の重荷を、後に続く者になすりつけたわけですか?」 「君の立場からは、そうも受け取れるな」 「先祖の責任を子孫が償うことになる。これって、どうなんでしょう?」 「私に聞くな。良くも悪くも、先達の所業は子孫やその周囲の人間の運命に影響を与えるということだ。それは君だってそうだ。君が試練から逃げようとすれば、君の代わりに誰かの運命が変わることだってある。その人間は、君のことをどう考えるだろうな」 自分の運命は、過去にも、未来にもつながっている。そう考えると、うかつな決断はできないようにも思われた。 「少し考える時間をいただけませんか。一人で整理したいんです」結局、当座の結論はそれだった。 「一人で大丈夫か?」ランツと同じようなことを、ジルファーも聞いてきた。 「子供じゃありませんから」同じ言葉で返す。 「そうか……」ジルファーは珍しく、歯切れの悪い応答をした。それから何か言葉を探すかのように額に手を当てて、続けた。「カレンを……その、何だ……相談役にしてもいいんだぞ。彼女も君のことを心配していた」 ジルファーが何を言いたいのか、本当に子供だったら察することができなかったろう。 けれども、ジルファーが言いよどむ、ということは、彼の苦手分野に関することだと気付いた。 相談役……と言えば聞こえはいいが、要はスーザンの代わりに、カレンさんをあてがっておけば、ぼくが納得するのでは? という余計な配慮なのか。邪推かもしれないけど、ぼくには最近のカレンさんの態度も含めて、いろいろと思い当たることがあった。 カレンさんは確かに魅力的な女性だ。 けれども、こういう形で手に入れるのは、何か間違っているような気がする。 それに、ランツの恋心を知った今では、カレンさんに心を移して、スーザンの代わりに見なすのは、重大な裏切りのようにも思えるのだ。 ソラークとランツ、二人の男を敵に回せば、おそらくぼくは生きていられないだろう。 「カレンさんは忙しいんでしょ? 今は、本当にぼく一人にしておいてください」それだけ言って、ぼくは部屋に戻った。 外から帰ってみると、自室は思いのほかに暗かった。 唯一、明るいのは、グラスの中の黄色い花一輪。その色合いがぼくの心には眩しかった。 この色は、ランツの恋心の表れなんだ。 そして、ぼくのかつての無邪気な恋心。 部屋を横切ると、左手を伸ばしてそっとつまみ上げる。 ぼくの気持ちに応じて、花は色合いを変えた。 まるで手品師みたいだな、と苦笑する。種も仕掛けもございません。唯一、魔法の石を除けば。 紫の花をグラスに戻し、ぼくはベッドに横たわった。着替えはしない。リラックスしたいのではなく、これから真実を探求する旅に出るつもりだった。 目を閉じて、記憶の中にある三つの警告を思い起こす。 『一つ、アストラル投射を使わないこと』 『二つ、ワルキューレを信用しないこと』 『三つ、自分の望みは大切にしなさい』 一時期は曖昧になっていた言葉が、はっきり蘇る。それは、試練を一つ一つ乗り越えて、精神が研ぎ澄まされたからだろう。 三つめの警告に従うことに異論はない。 二つめの警告の意味は、おそらくカレンさんが隠し事をしていたことを意味するのだろう。今となっては、どうでもいい。 そして一つめ。不慣れな者が下手に実行すると、『魂の迷子』になりかねない危険な技だから。これが何よりも重要だ。 ぼくだって、これ以上、迷子になるような羽目に陥りたくはない。しかし、自分の失った夢の記憶を取り戻すには、必要な技術だとは思う。そう、他人の体に憑依するのではなく、自分の体と記憶を外から覗きこむことが、真実への手がかりなんだと思う。 アストラル投射というものを、どうやって行なうか。 星輝石の力の行使には、イメージが大切だ。 癒しの力の発動にカレンさんへの想像が役立ったように、アストラル投射はやはり《影の星輝士》トロイメライが鍵だろう。 だけど自分にとって、トロイメライのイメージといっても、はっきりしない。何しろ、夢の中でしか会ったことのない女性なんだから。トロイメライと現実をつなげるとなると、そうとは気付かずに憑依したときの記憶しか思いつかない。 そこからイメージを膨らませることにする。 最初に思い出すのは、ほの暗い通廊を静かに歩く後ろ姿。 そして、柔らかい響きの声。 ドアのノブを回す白くて繊細な指先。 なめらかな動作と、瞳と唇の綾なす表情。 不意に、その顔がカレンさんの青い瞳と金髪に重なった。 これは……違うだろう。トロイメライをイメージするはずなのに、どうしてカレンさんが出て来るんだよ。 ぼくは、イメージの練り直しを図る。 トロイの目は黒く、髪の色も黒。その表情も無機質で、よそよそしい。カレンさんのような多感な愛らしさとは全然違う。 何か他にイメージにつながりそうなものはないか。 目を開けて、部屋の中にあるものを探した。 あった。 黄色から紫に変色した花。この色こそ、トロイメライにつながると思う。 もう一度、つまみとって、スッと匂いをかいでみる。麻薬のような毒々しい甘さが心を酔わせ、意識を混濁させていくように感じる。半分は自己暗示のせいだ。 力なく横たわったぼくは、そのままフワッと己が浮かび上がるのを感じた。 起こってしまえば、簡単なことだった。 ぼくは、空中を漂う自分の視野の下に、ベッドに横たわるカート・オリバーの肉体を見とった。 今回は自分の意志でアストラル投射を果たしたのだ。 外から見るカート・オリバーの姿は、鏡で見慣れたものとはまた違っていた。 左右が違っているだけではない。 自分の意思で動く表情や肉体の持ち主として見るのと、外から自分とは違う物体として見るのとでは、距離感からして違う。 痩せたな。 自分の顔を見て、そう思った。記憶にあるカートの顔は、どこかぽっちゃりしていて引き締まらない子供といった感じだったけど、こうして見ると、それほど悪くない。天真爛漫さから脱皮して、苦悩の痕跡が残っている顔は、人知れない翳りを帯びているようでクールだ。 もちろん、着ている革ジャンや、部屋の暗さの影響もあるのだろうけど、生まれて初めて自分の顔が素で格好いいと思った。 でも、何だか老けて見えるよな。 ジルファーの話を聞いた後だからか、写真でしか見たことのない祖父の顔がかぶる。眉間のしわとか、部分的な白髪とかが老人の印象を持たせていた。 もしかして、星輝石の力の使いすぎ? 適度にエネルギーを補充しないと、急激に老化するって副作用でもあるのかな? 体力には自信があったけど、体調維持にも気を使わないといけないということを、外から見て初めて意識した。 それに、肌も白くなったような……。 魂が体から抜けて半ば死んだ状態になっているからか、それともずっと洞窟の中で日に当たらない暮らしをしてきたからか。 死体のようにも見える自分の肉体を一通り観察し終えた後で、次の手順を考える。このまま肉体に戻っても、記憶の再生にはつながらないだろう。何かのイメージが必要となる。 自分の昔の夢を映画のように再生したい。 ぼくは、魂の手で自分の革ジャンの胸部分に触れた。 記憶が頭にあるのか、心臓にあるのか。 頭には残っていないようなので、心の中にあるのだろうと単純に考えて、胸から何かを引き出す。 それは1枚の映像ディスクのイメージ。 なかなかシュールな光景だけど、あくまで「比喩みたいなもの」と割り切って、イメージをさらに展開する。 アストラルの映像ディスクを眉間のしわの隙間に差し込んで、再生ボタン代わりにこめかみをポンポンと魂の手で押す。 電源が入ったかのように、カートのどんよりした瞳が一瞬、光を放つ。 そして、ぼくは上映中の映画を観覧するつもりで、特等席、つまり自分の肉体に入り込んだ。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 「ぼくをスーザンの夢に送ることはできるかい?」カートのセリフが聞こえてきた。「たとえ、夢の中でも、ぼくはスーザンに会いたいんだ」 ぼくは、その光景を舞台から一歩引いた観客席みたいなところで受け止めていた。自分の昔の夢を他人のように見るのは望んだとおりだけど、カート・オリバーがドラマの登場人物のように見えるのは、少し照れ臭かった。自分の出演映画を見る俳優の気持ちは、こんな感じだろうか。 カートの会話相手であるトロイメライは、闇夜を背景に浮遊していた。 高みから何かの警告めいたセリフを与えたけれど、無鉄砲かつ無知なカートは聞く耳を持とうとしない。 「大丈夫だ。それより、会えると分かっているのに、何もしない方が辛い。何とか会って、少しでもいいから、話がしたいんだ」 その気持ちは、今のぼくも持っている。カート・オリバーの本質は、やはり無鉄砲な行動派なのかもしれない。悩みまくって何も行動しない、あるいは怯えて逃げるのは絶対にカートらしくない。 「後悔しても知らないわよ」トロイメライは、スッと空中から降りてきて、カートのかたわらに立った。 そこから先の記憶が自分でも曖昧だった。まるで、途中まで見た映画にノイズが入ったりして、はっきり再生されなかったように。結末は何となく予測できるものの、実際の映像を見ながら再確認する作業は、その映画のファンならわくわくすることだろう。 『カート・オリバー主演 少なくとも、どんな形であれ、スーザン・トンプソンとの再会が描かれるのだ。 以前のような無邪気な恋心が再燃するのは、自分でも意外な気持ちだった。 トロイメライは、何かの呪文を唱え、空中に このような五芒星が魔物や何かの力を召喚したり、異世界への門として描かれたりする話は、よく聞く。真上に星の頂点を示すのが正位置で聖なる力の象徴となる一方で、反転させて頂点が真下に来ると、いわゆる『 ぼくはオカルトには無知だけど、星輝石がそのような知識を授けてくれるおかげで、トロイメライの本質を見極めることができたと思う。 一方、それを知らない昔のカートは、神秘的な力の発動に半ば呆然としつつ、それでも持ち前の好奇心旺盛さを発揮して、嬉々として禍々しい色合いの転送円に飛び込んでいく。自分のこととは言え、危なっかしいことこの上ない。 映画のシーンが切り替わるように、画面が砂漠の惑星タトゥイーンから、鬱蒼と茂った森に変わった。この森は、スーザン……いや、シンクロシアの森と呼ぶべきか。B級ホラー映画の記憶が何となくちらつく。魔物が徘徊し、美少女を惨殺するようなスプラッターの舞台。 元々は、トロイメライに導かれたスーザンの夢なんだけど、そこでの悲劇が自分の心に根強く残っていたから、後の悪夢を呼び起こす元凶ともなったのだろう。 本来は、カレンの森にも通じる美しい場所だと思う。 カートは、リアルな森の光景に驚きながら、呑気に散策している。そのすぐ後をトロイメライが影のように従い、二人の後ろ姿を観客のぼくが見つめる。 そして、記憶どおり、樹間の小さく開けた空き地に、澄んだ泉があった。 砂漠の太陽と違い、そこを照らすのは満月。 月明かりの下の泉で水浴している一人の少女。 幻想的な光景にぼくの心は高鳴る。これは、昔のカートの心に、今のぼくが同調したのだと思う。その後の悲劇を思うと、自分の心は単純には喜べないはずなのに。 無邪気なカートは、想い人のうるわしい姿に心踊らせ、木陰に身を潜めて覗き見を行なった。我が事ながら『恥ずかしいマネをするなよ』と怒鳴りつけたくなる。 その時、カートは、自分と同じように覗き見しているスケベ男を発見した。 「何だ、あいつ?」カートのつぶやきが聞こえた。「ジルファー?」 もちろん、それは勘違いだったのだけど、確かにその男はジルファーに似ていた。 ジルファーをもう少し筋肉質にして、暑苦しい雰囲気を足したら、その男になるだろうか。顔つきは端正だけど、より傲岸不遜で、知性のひらめきを感じない。もっぱら感情を行動原理にしているような雰囲気で、スーザンの沐浴を覗きながらニヤニヤしていた。 おそらく、《炎の星輝士》ライゼル・パーサニア。ジルファーの弟なのだろう。 今のぼくはそのように推測したのだけど、昔のカートはそこまで考えない。ただ、自分のスーザンを汚す不埒者がいるという事実に憤りを感じて、自分が同じことをしているという事実は棚に上げて、こっそり、その男のところへ歩み寄った。 「ん? 何だ、お前?」ライゼルと思しき男は、カートを見下すような態度で一瞥した。体つきはカートの方が大きいのだが、怯える様子は見せない。「ええい、夢の中のエキストラその1が邪魔するな。今がいいところなんだからよ」 どうしてスーザンの夢の中に、こんな奴が入り込んでいるのか。 これもトロイメライか彼女の弟子の差し金かもしれないとは、その時のカートは考えなかった。ただ、怒りに駆られて、スケベ男にアッパーカットの一撃を食らわせる。 「フォイヤーーーーーッ!」相手は甲高い断末魔の声を発して、そのまま夜空の星となって飛んでいった。 いくら夢の中とはいえ、 まあ、この時のカートは、ジェダイの騎士の夢を見たばかりで、おそらく戦闘力なんかも、そういう本人の想像力が大きく影響したのだろう。 不埒者を倒したカートは、無敵のヒーローのように調子に乗った得意げな表情を浮かべ、両手をパンパンと叩いて汚れを払う仕草をとった。 もう少し、ハードボイルドな振る舞いができないものか、と期待したけど、この役者の芸は発展途上だ。 仕方ないので、(お前さん、打ち上げ花火になっているのがお似合いだぜ)と、自分で気の利いたセリフを補完しておく。 「誰? そこにいるのは?」さすがにスーザンに気付かれた。 何で、ぼくまでドキッとしないといけないんだ? 自分はただの観客、自分はただの観客、とつぶやきながら、立ち位置を確認する。やれやれ、カートに感情移入し過ぎだ。 「や、やあ、スーザン」カートは律儀に目を閉じ、しかも手の平で視界を遮って、好きな娘の裸体を見ないようにしている。ぼくの位置からも、カートの大きな体が邪魔をして、スーザンの姿がよく見えない。 ちっ、カートの奴、そこをどけってんだ。せっかく、いいところなのに。邪魔なんだよ。 そういう自分の思考が、さっきの打ち上げ花火になった男と変わらないことにすぐに気付いて、苦笑する。 いや、カートはそれでいい。そもそも、見えないから見たくなる。想像力を駆使させるのが、いい映画の基本じゃないか。何でも露骨に見せたりしたら、ただのB級映画だ。 何とか自分の思考をクールな方向に修正して、刺激をそそる映像よりも、ドラマの流れに専念させる。 カートは白々しい弁解をくどくどと重ねていた。 「ぼくは、自分の夢を見ていたんだ。そこで悪い奴を倒していたら、突然、舞台が変わって、この森にやって来た。君がいるとは思わなかったよ。そしたら、君を覗き見している不審者を見つけて、今やっつけたところなんだ」 「嘘ね」スーザンは鋭く見抜いていた。「トロイメライが、あなたを送ってきた。そうでしょ?」 「え、ええと……」言いよどんでしまうカート。「い、いろいろ、よく分からないんだけど……とりあえず服を着たらどう?」 「もう着たわ」 え、もう? ぼくは一瞬驚いたけど、すぐにこれが本物の映画ではなく、夢なのだということを思い出す。夢なら、一瞬で服を着ることも可能なのだろう。 ちょっと残念な気がしないでもないけど。 カートも驚きながら、それでも視界を遮る手をどけて、スーザンの姿を見た。カメラの位置が動いたように、ぼくにもカートの見た映像がはっきり見えるようになる。 久しぶりに見たスーザンは、やっぱり可愛かった。身に付けているのは薄青い簡素な貫頭衣。体のラインを大体示すけど、変に強調することもない衣装が、いかにも清純って感じでいい。胸はそれほど大きくないけれど、ぼくの関心はそこにはない。衣装の下はミニスカートのようになっていて、そこから白いカモシカのような脚が伸びていた。 ぼくは自分の見たものに満足して、それから彼女の表情など細かい部分への観察に入った。 金髪と青い瞳は、カレンさんと同じだけど、よく見ると大きな違いに気付いた。カレンさんの髪がストレートな長髪なのに比べて、スーザンの髪はやや短いセミロングでカール気味。髪の色はスーザンの方がはっきり金色に輝いていて、全体的にはよりアクティブな印象を与えている。瞳の方はスーザンが空の青だとは分かっていたけど、カレンさんに見られる深い翳りのようなものは微塵もなく、より透明度が高い、それでいて鋭さと気高さを備えた瞳。時には鋭いけれども基本的に柔らかく包み込むようなカレンさんの瞳に比べると、より冷たい目といった印象がある。この冷たさに、どうして今まで気付かなかったのだろう。 カートも、スーザンの視線の冷ややかさにさらされ、どう応じていいか戸惑っていた。そこには、恋に不慣れな一人のティーンエイジャーがいるだけで、ハードボイルドさのかけらもない。 「た、確かに、ここに来るのに、トロイメライの力は借りた。でも、決めたのはぼくなんだ。どうしても君に会いたくて……」 「会って、どうするつもりだったの?」スーザンの冷ややかさは、久しぶりに再会した恋人に対するものではなかった。不信と疑念、いや、むしろ明確な敵を見るような目で、カートを見ている。 距離を置いているぼくはスーザンの意思を察することができたけれど、未熟なカートはそれに気付いていない。 「好きな女の子に会いたいのに、理由が必要なのか? あんな形で別れるなんて最悪だ。ぼくはまだまだ君の姿を見たいし、いろいろ話もしたいし、君が困っているなら力にもなりたい。言いたいことだって、いっぱいあるんだ」 「わたしの方にはないわ」スーザンはあっさり言った。「恋人ごっこの時間は終わったの。未練を残してちゃ戦えない。わたしも、あなたも、運命に選ばれたの。わたしは受け入れた。あなたも受け入れるのよ、カート。お願いだから、今さら、わたしを惑わせないで」 「ぼくが君を惑わすだって?」カートは思いがけない言葉に、動揺していた。「恋人ごっこって何だよ。君はぼくのことを愛していなかったのか? 全て嘘だとでも?」 「そうよ、嘘」スーザンの瞳が揺れていた。これは……自分の本心を偽り、あえて冷たい宣告をしないといけない心情によるものだと、ぼくは察した。しかし、未熟なカートにはとても伝わらないだろう。「私が、あなたを愛しているように振る舞ったのも、それに……あなたが私を愛するようになったのも」 「そんなバカな!」カートは感情的に叫んだ。「君がぼくを騙したとは思いたくない。いや、たとえそれが事実だとしても……ぼくのこの気持ちは絶対に嘘なんかじゃない!」 「いいえ、それも嘘よ」スーザンの瞳が決然とした光を放った。「あなたは最初、私のことを気にかけていなかった。私が儀式のために、あなたの心を私に向くように操作したの。星輝石の力を使って」 ゲームでは精神操作系の呪文として扱われているし、昔話では惚れ薬などの形で扱われてもいる。 ぼくはスーザンの言っている話の内容を正しく理解した。 儀式のために、ラーリオスとシンクロシアの間には、精神的な絆が求められる。それをスーザンは、星輝石の力を使って人為的に構築したのだ。そうした術のことを何も知らず、抵抗もできない無防備なカート・オリバーの心を操作することで。 ぼくはこの事実を受け入れても、耐えることはできた。おそらく、自分自身が《気》の力を使う修業をする中で、スーザンの仕掛けた魅了の術が効果を弱め、「ぼくがスーザンを愛していた」という事実だけが、記憶に残っていたのだろう。ぼくがスーザンよりも、カレンさんの方に気を寄せつつあったことも、これで合点がいく。 それでも、自分の大切な想いが、実は誰かに、それも他ならない恋人と思いこんでいた相手に操作されたものだと知ったのは、かなり衝撃的だ。 『真実を求めるのは結構。しかし、それを受け止める構えのできていない者には、重すぎる情報もあるのです』 影の神官バァトスの言葉が蘇り、心に突き刺さった。 いくら儀式のためとは言え、カートの心を操り、弄んだ娘スーザン。 ぼくは、自分の心に怒りと憎しみが沸々と湧きあがるのを感じた。 この衝動に身を任せてしまえば、おそらく破滅の運命が待っていることだろう。それを自覚していたからこそ、ぼくは何とか自分の感情を抑え込んだ。冷静な理性で自分を維持するように努めた。星輝石の力で高まった意思の力も総動員した。 だから何とか耐えることができた。 しかし……、 夢の中の未熟なカートは、耐えることができなかった。 「ハハハ、冗談だろう」カート、かつてのぼくはスーザンの重い事実の告白に、笑うことで、冗談と思い流すことで、耐えようとした。「星輝石の力で、ぼくの心を操作したって? そんな魔法みたいなことができるわけないだろう」 このときのぼくは、今と違って、まだ星輝石の力に懐疑的だった。多少、神秘的な力の存在を受け入れ始めたとは言え、深く思索と実践を重ねたわけではないのだから当然だ。 「冗談ではないわ、カート」スーザンは冷静に言葉を重ねた。「あなたの気持ちは最初から偽りなの。だから遠慮なく、わたしと戦いなさい。それが、わたしの望みなの」 「そうかい。だったら戦ってやる」カート・オリバーの背中がやるせない悲しみに震えていた。たぶん、その目は絶望と憤怒に彩られていたことだろう。 「そう。それでいい」スーザンはどこか寂しさを感じさせる口調で言った。「わたしはシンクロシアとして、あなたはラーリオスとして、力を付けて戦うの。平凡な人間ではいられないのだから、大いなる運命に従って、自分の責任や役割をしっかり果たす。それでこそ、世界を救うことができる」 その言葉を口にしながら、スーザンは涙を流していた。その涙が、今のぼくの感じていた怒りや憎しみを洗い流していた。 そう、スーザンはカートへの未練を断ち切るために、あえて冷たく振る舞っているのだ、と、ぼくには察することができた。やり方としては自分本位で稚拙な振る舞いだけれど、これが彼女がシンクロシアとしての責務を果たすために、選んだ態度なのだろう。 自分の未練を断ち切るために、そしてカートの自分への未練を断ち切らせるために。 けれども、ラーリオスとシンクロシアの間には、精神的な絆が必要だ。この絆は決して一方通行のものではないだろう。カートがスーザンを愛するようになったのが人為的な物だとして、では、スーザンの方はカートのことをどう想っているのか。愛していない、という言葉は本心なのか、それとも未練を断ち切るための嘘なのか。 愛していないのが本心なら、スーザンの涙は何ゆえなのか。 ぼくは直接、夢の中に乗り込んでいって、スーザンに問い質したい、と思った。 夢の中のカートじゃ未熟すぎて、スーザンの本心にたどり着けない、と確信した。だって、この後、夢の中のカートは……、 「ラーリオスとして戦う。ラーリオスとして戦う……」 カートの精神がガラスのように崩壊しているのが、目に見えるようだった。後で、カートが自分自身の維持のために、この夢の記憶を封印した理由がよく分かる。『スーザンを愛している』という自分のアイデンティティーを完全に打ち砕かれたのだ。自分を保つためには、そういう記憶をなかったことにして、ラーリオスとしての修業に専念するしかないじゃないか。 そして、スーザンの言葉は暗示のように、虚ろなカートの心に影響した。 カートは、スーザンの望みどおりに変身したのだ。そのまま、ラーリオスとして、夢の中でスーザンに襲い掛かった。 それは、スーザンの望みとは違う形だった。スーザンは、カートにラーリオスとして修業することを望んだのだ。きちんと儀式の手順にのっとった戦いを。 しかし、カートは、「ラーリオスとして戦う」と短絡的に受け取った。 こうして、夢の中での戦いと悲劇が実現することになったのだ。 ぼくは、それを止めるすべもなく、ただの観客として見つめるだけだった。 |