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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(3−9)


 
3ー9章 ザ・ファースト・バトル

 化け物の鉤爪が一閃、少女に襲い掛かった。
 カートの豹変は一瞬のできごとで、スーザンはとっさに対応できず、左の肩口を切り裂かれた。傷口がもっと深ければ、心臓に達する致命傷だったろう。
 青い衣がじんわりと血の色に染まる。
「カート……」スーザンは呆然とつぶやいた。
 ぼくは自分の位置から飛び出して、スーザンの楯になってやりたいと思った。
 あるいは、夢の中のカートに乗り移って、その行動を制御したいとも。
 カートの自我は完全に失われ、ただシンクロシア、すなわちスーザンを、ラーリオスとして倒すことだけを求める殺戮機械(バーサーカー)と成り果てていた。
 『スーザンへの愛情』が星輝石の術による偽りの感情であるという事実を突きつけられ、精神的に崩壊し掛けていたところを、新たな暗示となる言葉『シンクロシアと戦え』を植え付けられることになり、破壊の魔物としてのアイデンティティーを誤って構築してしまった過去の自分。
 いや、記憶にない以上、それは自分と言っていいのだろうか。
 ただの化け物。
 それでも、確かにそれは自分自身だと見てとれた。
 距離を置いた立場で冷静に観察すると、カートの変身した化け物は、必ずしも恐ろしげではない。ぼくの目から見て、それはSF映画の中のチューバッカ、毛むくじゃらの巨漢ウーキー族の戦士そのものだった。
 ラーリオスがウーキーかよ。
 夢を観察するぼくの中には、もっと醜悪な闇と炎の魔神のイメージが残っているので、正直、拍子抜けだった。巨大な類人猿か熊を思わせる姿は、ぼくよりもMG、マウンテンゴリラの異名を持つリメルガにふさわしいと思う。
 ただ、この時のカートは、まだラーリオスのイメージをしっかり抱いていなかった。戦え、と言われて、自分の中で最も強い異種族として定着しているウーキーの姿が自然と浮かび上がったのだろう。そういうイメージになってしまう辺り、確かに自分の過去に違いない、と納得できてしまうのだ。
 もっとも、違う立場で見るなら、そう呑気には分析していられまい。
 仮に自分の目の前に毛むくじゃらな巨体が現われて、鉤爪で襲い掛かってきたら、やはり恐れおののくのではないか。現実では、平均的な大人よりも小さい体長5フィートの熊でさえ、脅威になり得る。熊やゴリラなどの獣は、筋肉の太さが人間とは異なり、体のサイズよりも遥かに強大な力を秘めている。おまけに爪や牙など天然の武器を本能のままに駆使するわけだから、人間が身を守るのは容易ではない。ましてや、ウーキーは人間よりもサイズが大きい。『スター・ウォーズ』を知らない者の目には、狼男(ワーウルフ)豹男(ワーパンサー)にも匹敵するほどの化け物に映るだろう。
 そのような脅威にスーザンは、見舞われていた。
 誰も止める者がいなければ、スプラッター映画の被害者のように惨殺されてしまうのではないか? 
 いや、そういう光景を、別の夢の中でぼくは見たような気もする。記憶がいろいろ混同して、ややこしい。

 ぼくがとりとめない考えを続けている間、スーザンは獣人ラーリオスの攻撃からひたすら身をかわすことに専念していた。獣人の攻撃は速度と破壊力はあるけれども、単調で大雑把なもの。素人のぼくの目からも、きちんと見切ることさえできれば回避は困難ではなさそうに思えた。
 スーザンも一応の体術の心得はあるらしく、最初の一撃を除けば、何とか自分の身を守り続けていた。けれども、それも時間の問題だ。夢の中とはいえ、流れる血が確実に体力を奪っているらしく、次第に息をあえがせ、動きが鈍っていった。
 そして……キャーッと悲鳴が上がる。
 その響きにスーザンの最期を覚悟する。
 一瞬、惨劇から意識をそらしかけたとき、影が動いた。
 それまで画面の外にいたもう一人の人物が獣人と少女の間に割り込み、素早く術を掛ける。
 すると、獣人ラーリオスは結界めいたものに捉われて動きを封じられた。
 咆哮だけがむなしく月夜に響く。
「トロイメライ……」スーザンのつぶやきが聞こえる。
「スー、ばかな()」地上からふわりと空中に浮遊した黒衣の妖精めいた美女が、金髪の少女を見下ろす。スーザンよりも小柄なトロイだけど、まとっている威厳も含めて明らかに上の立場にいた。「何も抵抗できず、むざむざ殺されるつもりだったの?」
「ちょっと油断しただけよ」スーザンは反抗期の少女のように、ムッとした表情を見せた。ぼくの前では、決して見せなかった顔だ。「あなたこそ、どういうつもり? カートを送り込んできたかと思えば、わたしを助けるなんて」
「あなたに死なれては困るもの。たとえ夢の中であってもね」
「だったら、どうしてカートを送ってきたの? 彼はわたしの敵対相手よ」
 こうはっきり言われると、こちらとしては傷つくばかりだ。ぼくはまだ、スーザンを敵と認識したわけじゃない。経緯がどうあれ、何とかやり直したいと思っている。フラれた男の未練なのかもしれないけど、そう、さばさばと割り切れないのが人情だ。
「少なくとも、彼の方は、あなたを敵だとは思っていなかったわ」トロイが、ぼくの気持ちを代弁してくれた。結界の中の獣人に、思いがけず同情的なまなざしを向けてくる。「あなたの心ない言葉に操られて、自我を失うまではね。私は彼のあなたに会いたいという望みに応じただけ」黒い瞳の中の意外な温かさを、ぼくは素直に受け止めることにした。
「よけいなお世話ね」しかし、スーザンのトロイに対する言葉はとげとげしい。傷ついた左肩に手を当てて癒しの術を施すと、弱々しさは払拭された。「わたしとカートを対面させて、このような事態になるとは考えなかったのかしら?」
「警告はしたわ。それでも彼は意思を示した。私が人の想いを尊重していることは、あなたも知っていると思うけど」
「それが星王神の目から見て、間違っているとしてもね」スーザンは、トロイに感情むき出しの視線を向けた。「あなたはわたしの姉みたいな人で、術の師匠でもあった。信じていたのに、どうして裏切ったの? 本気で《闇》に魂を売ったりしたの?」
「星王神が人に幸せをもたらさないからよ。犠牲を強いる神など、私は望まない。スー、妹みたいに思ってきたあなたを犠牲にしたくはないのよ。だから、あなたの敵対相手になるかもしれないオリバーにも接触した。どういう人間か見極めるためにね。つまらない人間だったら、あなたが彼を殺して終わる、という選択肢もあった。でもね、彼は思っていたよりも純粋だったのよ。そういう人間の命を奪って、あなたが星霊皇の後継者になったとしても、何かが間違っている。私にはそう思えてならない」
 スーザンとトロイの姉妹のような関係性。それに、術の師匠ってことは……ぼくとジルファーみたいなものか?
 ジルファーが仮に裏切ったとしたら、ぼくは傷つき、相手をなじるだろう。それがスーザンの立場。
 一方で、トロイの言葉にも今では共感できる。その言葉はぼくに対してではなく、顔見知りのスーザンに向けられている分、より確かな信憑性を感じる。ぼくの知らない、知ろうともしなかったトロイの姿がここには映し出されていた。
 理性を失った獣人カートは、彼女たちの会話のやり取りを、無意味な聴覚情報として聞き流していた。それでも結界のすぐ外側で展開された会話は、確実に深層心理に記憶していたのだ。それが今、ぼくの前で再生され、真実として構成される。
 観客の立場で成り行きを見守るだけの今のぼくも、手出しができないという意味では、結界に閉じ込められているのとさほど変わらない。しかし、ぼくは獣人と違って、情報を受け取り考えることができる。彼女たちの会話に強い興味を持って、一言たりとも聞き逃すまいと集中した。
「人は大いなる意思に従うべきよ」スーザンは信念を披瀝した。「それでこそ、広く大局的に世界の安定を考えることができる。個人の愛情だけに突き動かされるのは、ただのエゴだわ。わたしは身を捨てても、世界を安定させるために生きたいと思う」
「立派な信仰心ね」トロイはため息混じりの口調で言った。「スー、あなたはゾディアックの中で生まれ育ってきた。だから、それを当然のように受け止めている。けれども、世界にはそう考えない人たちもいるの。カート・オリバーもそう。あなたはそういう人たちをどうするつもり?」
「星王神の名の下に、正しく導くわ。それがわたしの生まれてきた使命だから」
 まるで、洗脳された信者のような言い方に、ぼくは身震いした。愛情から醒めてみれば、自分の元・恋人はカルト宗教の信徒、いや次代の教祖候補だったということに気付き、愕然とする。
「私が《闇》の力を求めたのは、そうした神の呪縛から人の心を解放するためよ」トロイが説得するような言葉を重ねる。「《闇》は、かつて星王神に従わずに反抗した勢力の総称。その中には、人類に害なす魔物や悪鬼の類もいれば、人類の進化と解放を志して星王神の独善に否を唱えた者の魂魄(こんぱく)もいる。必ずしも、《闇》の全てが悪というわけではないの。今や星霊皇は力を失い、かつて封じられた《闇》が復活を遂げる時代が来た。《闇》が無軌道に復活すれば、この世は混沌と破壊、殺戮に見舞われることになる」
「だからこそ、新しい星霊皇と星輝士の力を駆使して、《闇》、いいえ、封印された邪悪、《邪霊(イーヴィル・スピリット)》を再封印しないといけないのよ。それなのに、《邪霊》の側に付こうとするなんて、あなたはおかしいわ」
「スー、あなたの考えは『汚いものに蓋を閉めて、見ないようにする』だけよ。そうして、星王神の意思に従わないものを封印して、世界から排除していくことを繰り返せば、いずれ神は人類そのものを危険と見なして、排除の対象に定めるかもしれない。そうなった場合、あなたはどうするつもり?」
「そうさせないための星輝士であり、星霊皇継承の儀式じゃないの。星霊皇と星輝士は、自らの犠牲を顧みず、清廉な精神をもって悪と戦い、人類の価値を神に示してみせる。それができないのであれば、人類には存続する価値だってない。だから、わたしは人類を存続させるために、儀式に身を捧げるって決めたの。誰にも邪魔はさせないわ」
「それほど強い意思を持っているあなただからこそ、《闇の女王》にふさわしいと思ったのだけどね」トロイは秘め事を語るように、神妙な口調になった。「世界が滅びるのは、《闇》が無軌道に復活するか、星王神が人類を見限って強大な力を行使した場合。それを避けるには、今までのように人類が星王神の奴隷の立場で甘んじるか、《闇》をしっかり統制し、星王神に匹敵する新たな力の主として人類を守護する者が出現するか。私は後者に希望を託したの」
「わたしに《闇》に下れと? そんなバカなことを言うなんて、そこまで堕落しきっていたの? 誇り高き《影の星輝士》ともあろう人が信じられない」
「あなたがダメなら、オリバーに話を持ちかけるわ。この坊やの方が、先入観なく受け入れてくれそうだし」
 なるほど、そういう事情か。
 トロイメライが、ラーリオスを《暗黒の王》として覚醒させようとする背景を、ぼくは理解した。けれども、それって結局、星王神の使徒としてのスーザンと、ぼくが戦わないといけないってことじゃないか。
「勝手にすればいいわ」スーザンが吐き捨てるように言った。「ラーリオスがそうなったら、わたしがシンクロシアとして倒すだけ。《闇》に堕ちた相手なら、気にすることなく戦える」
 戦わないって選択肢はないのかよ。
 ランツだけじゃない、スーザンの戦闘狂(バトルマニア)っぽい発言に、ぼくは泣きたくなった。ゾディアックの世界で、戦士の価値観で生きていく、というのは結局こういうことなのかと改めて認識し、重い気分になる。
「話し合いは決裂のようね」トロイは諦めたように決断を下した。「スー、あなたがそれほど(かたく)なだとは思わなかった。坊やに対して、そこまで非情な物言いをするなんて、私以上に冷酷で無慈悲なこと。いい《女王》になれるわ」
「いい星霊皇の間違いね」トロイの皮肉を、スッとかわすスーザン。「分かったら、さっさとカートを連れて、わたしの夢から出て行きなさい。いずれ、きっちり決着をつける時が来るわ」
「それはできないわ」トロイの言葉に、スーザンは言葉を荒げる。
「どうしてよ? 連れて来たなら元どおり帰しなさいよ。それぐらいの責任を取れないって言うの?」
「今の自我を失ったままの坊やじゃ、おとなしく自分の中に戻すことはできないって言ってるの。あなたの夢から追い出すことは簡単よ。あなただって今は無意識状態じゃないのだから、自分の意思で眠りから覚めることだってできるはずよね。でも、そうなれば彼は居場所を失い、自分の体にさえ戻れず、アストラル界をさ迷うことになる」
 トロイの言葉の意味を、スーザンはじっくり考えた。
「それは困るわ」やがて、結論を口にする。「カートとはいずれ戦わないといけない。けれど、その前に魂を失った廃人になってしまっては、儀式にならない。今は何とか彼の正気を取り戻させて、あなたに連れ帰ってもらわないと」
「どうする気?」スーザンの決意を確かめるように、トロイは尋ねた。
「もちろん、ここで戦うのよ。痛めつけて無力化させたら、あなたが連れ帰る。それでいいわね」
「それが……あなたにできるかしら?」トロイメライは慎重に問うた。
「わたしを誰だと思っているの? スーザン・トンプソン、《月の星輝士(シンクロシア)》に選ばれた者よ。いくらラーリオスでも、覚醒し損ねて、自我をなくした獣になんて負けはしない」そう言い放つ様は、まさに女王らしい風格に満ちている。ぼくの知らないスーザンの姿がそこにはあった。

「星輝転装!」
 スーザンが右手を高々と天に掲げた。
 頭上の満月から光が降り注ぎ、魔法陣にも似た五芒星を描いて彼女の体を包み込む。
 血に濡れた貫頭衣が光の中にスーッと溶け、一瞬、透き通った少女の裸体が浮かび上がる。
 しかし、すぐに革めいた感触の装甲が身を覆い、その背中からバサッと翼がひるがえる。翼は力強く羽ばたき、彼女は空の人となった。
「なるほど、それがあなたのイメージのシンクロシアというわけ?」トロイメライは面白そうに笑みを浮かべる。「やっぱり、《闇の女王》にふさわしいわ」
 確かに、そうだった。
 黒いレザー風の装衣。
 背に広がるコウモリめいた翼。
 頭部から突き出す、ねじれた二本の角。
 すらりと伸びる手足の先で、禍々しい光を放つカギ爪。
 スーザンの転装した姿は、天使よりもむしろ女悪魔と形容するにふさわしいものだった。
「ち、違う……。わたしはこんな姿、望んでいない」自分の変化にうろたえるスーザン。「シンクロシアはもっと神々しく光り輝いているはずよ」
「覚醒し損ねているのは、ラーリオスだけじゃない。未熟なのは、あなただって同じみたいね。その姿が何よりの証拠だわ。スー、あなたは口では星王神への信仰を説くけれども、その内面では《闇》に惹かれる気持ちも強く残している。あなた自身、気付いていないかもしれないけどね。人はそう簡単に暗い感情や欲望と無縁ではいられないの。あなたは自分の中のそれを見ないようにしているだけ。そんな不安定な気持ちがそのまま反映されたシンクロシア。安心したわ。まだ、あなたにも付け入る隙があったということね」
 スーザン、いや悪魔の姿のシンクロシアは、それにふさわしい憎々しげな表情でトロイメライを見下ろした。「あなたのせいよ」吐き捨てるように言う。「あなたとカートが、わたしを惑わせたから。本来のわたしは光の使徒。その姿を取り戻すために、わたしはあなたたちを心の中から追い出してみせる。覚悟なさい」
「あらあら。自分の不安定な心の闇を、他人のせいにするわけ? いいわ。その姿で、坊やと戦いなさい。私が見届けてあげる。どちらの闇が強いのかをね。心配しなくても、あなたが坊やを倒したら、ちゃんと坊やは連れて帰る。それが約束よ。坊やが勝ったら……」
「それ以上の言葉は無意味よ」シンクロシアはピシャリと言った。「闇を倒すことで、わたしは光を取り戻す。これも試練の一つ。あなたは黙って見てればいい。さあ、カートの結界を解いて。大いなる戦いの始まりよ」

 不意に、視点が切り替わった。
 気が付けば、ぼくはトロイメライのかたわらにあって、戦場を観察するのに最も向いた視点を手に入れていた。
 それまでのぼくは、獣人化したカートの背後、やや上から事態を観察する位置にあったのに、突然の切り替わりを受けて戸惑いを覚える。
 映画だったら、よくあることだ。
 けれども、これはぼくの夢だ。
 いや、スーザンの夢なのか? 
 だったら、どうしてトロイメライの視点に切り替わったんだ? 
 ぼくの心は混乱し、何らかの説明を欲した。星輝石の恩恵を受けた頭脳が高速思考し、短時間のうちに納得できる説明を紡ぎだす。
 この夢には、ぼく以外に三つの意思が混在する。
 昔のカートと、スーザンと、トロイメライ。夢の法則はよく分からないけれど、三つの意思がある以上は、視点も三つ存在すると考えるのが自然だ。
 これまでは、カートの主観に近い位置に固定されていたけれど、スーザンやトロイの会話を受け止めているうちに、ぼく自身の感情移入が作用して視点の変化が生じたのでは? 
 トロイメライの視点。
 この切り替わりは、何を意味しているのか。
 たぶん、魔物と化して戦い合うことになるカートとスーザンに、今のぼくの意識が同調できなくなった。だから、最も冷静な観察者の位置にあるトロイに自然と没入してしまったのだろう。もしかすると、彼女の自我がぼくの視点を引き寄せたのかもしれないけれど。
 それは幸いと思えた。
 カートのそばの至近距離で、ぼく自身が戦いを疑似体験せずに済む。自分がスーザンを傷つけてしまう感覚を、味わうのは勘弁してほしい。そんなぼくの無意識が、視点の変化を望んだとも考えられる。
 自分を納得させたところで、ぼくは状況の進展を受け止めた。
 カートの動きを封じている結界。
 スーザンの要請に応じて、それをトロイメライが解除する。
 解放されたラーリオスが飛び出してくる前に、トロイはスッと戦場から距離をとった。
 そのよどみない動きに、ぼくは以前、彼女に憑依した記憶を呼び起こされた。
 ああ、トロイの視点は、前にも経験していたことなんだ、と納得する。
 アストラル投射を経ての記憶の再生なんだから、違う体に乗り移ることを考えれば、違う視点に切り替わるぐらいで今さら動揺する必要なんてない。
 こうして、ぼくはトロイとともに、戦いの経緯を見守ることとなった。

 ラーリオスは飛べない。
 ウーキーのイメージなんだから、当然だ。
 それに、仮に翼を生やして飛べたとしても、自分が器用に空中戦をこなせるとは思わなかった。昔から、飛びたいと強く願ったことはない。むしろ、固い大地に足をしっかり踏みしめて、速く走りたいと願う方が自然だ。飛びたいなら、フットボールよりバスケットボールの選手を目指している。俊敏さよりも、確かな力強さ、安定といったものを、ぼくは望んでいた。
 一方、シンクロシアは軽々と飛んでいた。満月を背景に、黒いシルエットが浮かび上がる。
 ラーリオスを見下ろす、冷たく青い瞳がだんだん闘争本能を映し出すような赤へと染まっていく。スーザンの美しい顔立ちが、獰猛な獣じみたものへと移り行き、原始の殺戮の女神めいた絵姿となる。
 そんなシンクロシアを地上から見上げるラーリオスも、煌々とした金色の光を瞳に宿していた。猿や狼よりはネコ類を思わせる双眸は、憤怒の本能に彩られ、もはや人としての理性は欠片も見受けられない。
 ラーリオスは天に向かって吠え、それを受けてシンクロシアも甲高い悲鳴じみた叫びで応じる。
「まずは威嚇……といったところかしらね」トロイがつぶやく。「けれども、それだけじゃない」
 一瞬、ぼくにはその言葉の意味が分からなかったけど、ラーリオスの声音が変わったのを聞き取った。かすかに苦痛が混じっている。
「先に仕掛けたのはスー。空中から手出しのできない飛び道具は有効ね」
 飛び道具?
 何をしたんだ? 
 トロイの解説が、ぼくには理解できない。シンクロシアはただ叫んでいるだけ。
 その叫びは確かに耳障りだけど……いや、そうじゃない。映像の音は現実を忠実には再現していない。楽器の生演奏に接したことがあれば、すぐに分かることだけど、音は空気を震わせて全身に圧力をぶつけてくる。肉体を持たない自分には、その震えが伝わらないのだ。
 夢の中とはいえ、そこに登場しているトロイ、そしてラーリオスとシンクロシアは、肉体を持っているように刺激を受け止めている。シンクロシアの叫びは、衝撃波となってラーリオスに襲い掛かり、その微かな余波をトロイメライも実感しているのだ。
 ぼくはトロイに近い立ち位置にいるものの、トロイの感じているものや、その思考をそのまま受け取れるわけではない。自分が感知できない情報は、トロイのセリフや、戦う魔物の動きから推測し、補わないといけないのだ。
 映画なら、超音波や衝撃波は分かりやすいCG映像などを合成して、観客に伝えようとしてくれる。しかし、現実には目に見える超音波や衝撃波など存在しない。ぼくたちが感知できるのは、それらの波によって与えられた実際の被害だけだ。ガラスでも割れて、コンクリートにひびでも入ってくれれば、その威力が見た目で実感できるのだけど、ラーリオスはそこまで傷ついているわけではない。血が噴出すわけでもなく、ただ全身にビリビリと苦痛と圧迫を感じるのだろう。
 ラーリオスの声の響きが変わった。より低く、周囲を圧するような重さに。
 シンクロシアの叫びがやんだ。いや、彼女の大きく開いた口から察する限り、叫びはまだ続いているのだけど、その効果を失ったと言うべきか。
 シンクロシアの高音に対抗して、ラーリオスは低音を放つことでうまく中和させたのだ。
 過去の自分が、とっさにそのような機転を利かせたことに驚く。どこで、そのような手段を覚えたんだろう?
 いや、覚えたのではなく、やってみたら偶然うまくできた、というのが正解か。星輝石を通じて、ぼく自身が実感してきたことだ。そういう感覚を、戦闘センスと称するのであれば、ラーリオスは卓越した戦闘センスを身に付けている、と言うべきだろう。ただし、それはカートが持ち合わせているものだとは思えない。理性を捨てて、本能だけになったときに発現した特殊なセンスなのだろう。
「飛び道具は無効化された。やるわね、坊や」トロイのつぶやきが、ぼくの優越感を微妙にくすぐった。「さあ、どうする、スー?」
 飛び道具がダメなら、接近して攻撃するしかない。
 そう感じたとおりに、シンクロシアは行動した。
 空中から一気に急降下。
 それを予期したラーリオスが鉤爪で迎撃するのを、巧みな制動でかわし、隙の生まれたところを、足のカギ爪で一閃。右の肩口をえぐる。
 その勢いのままに身を翻し、再び空中に舞い上がるシンクロシア。
 どうやら、空中戦の技術は完全に習得しているらしい。
『広い場所であいつに飛ばれちゃ、オレじゃ手も足も出せねえ。オレの攻撃は大雑把で、いくぶん正確さに欠ける。こちらが攻撃を当てられずにいるうちに、奴に先に急所を突かれてしまうだろうな』
 ソラークとの仮想の戦いをそう分析していたランツの言葉が、記憶に蘇る。
 幸い、シンクロシアは相手に致命傷を負わせるような攻撃力を備えていないようだ。一撃の破壊力では、体躯に勝るラーリオスの方が明らかに有利。ラーリオスが勝つとしたら、シンクロシアが接近してきたときに、うまく一撃を食らわせて地上に叩き落してしまえばいい。問題は、それまでの攻撃をどう凌ぐか。
 ふと、戦いの勝ち方を冷静に考えている自分自身に驚く。それは、戦いを受け入れているということじゃないか? 
 ランツの戦闘狂(バトルマニア)がうつったかな? それとも、二匹の魔物の戦いに当てられたか……。
 太陽の獣と、月の悪魔。
 一見すると禍々しい闇の生き物っぽい姿態も、慣れてくると別種の美意識を刺激してくる。これらの姿は、生物の異なる可能性、現実の秩序の前に封印された混沌を体現していた。人によっては幻想と呼び表し、闇とも(あやかし)とも魔とも形容される、夜の世界の住人たち。
 光り輝く理想(イデア)の世界とは違う、原始の神話に見られる悪夢の産物。
 それでも、破壊と殺戮の本能が人の中から消えず、戦いがいつまでも続くのと同様、闇や混沌の中に得難い美を感じ、心の奥底で惹かれる情動も、人の中からは消し得ない。それらを否定するなら、人そのものを否定しなければならない。
 自分のかたわらに位置する影の女の想念めいた考えが、すっと心に染み入るのを意識する。否定するよりも受け入れて、その上で制御の方法を考える方が賢明だ。光と闇の戦いがずっと続くなら、せめて被害が少しでも減るように統御する術を考えるべきではないか。
「そうよ」トロイのつぶやく声がする。「戦いは一方の勝ちでは終わらない。どちらも傷つき、勝った方も痛みを抱えて苦しみ続けることになる。さあ、どうする、ラーリオス?」
 その言葉が、ぼくに向けられたのか、それとも戦っている昔のカートに向けられた独り言なのか、判断できなかった。ぼくにできるのは、トロイのかたわらで戦いの行く末を見つめ続けることだけだった。

 ラーリオスが動いた。
 シンクロシアの何度目かの空中からの急降下攻撃を受けた末に、ついに対応策に至ったのだ。
 ラーリオスは森の中に飛び込んだ。
 確かに、戦場が開けた空き地だからこそ、空中からの攻撃の的になる。森に逃げ込めば、木々が邪魔して一方的な攻撃を受けることもない。
 単純な猪突猛進だけではない獣人の知恵に感心するとともに、逃げるだけか? と、かすかな不満も覚えた。戦いを受け入れるようになっている自分に、はっきり驚きを感じながら。
 トロイとぼくは、森の中のラーリオスの後を追った。
 シンクロシアは、上空からラーリオスの行方を探している。
 そして、ぼくはラーリオスを見つけた。獣人はそこで反撃の手段をこしらえていた。
 鉤爪を何度も振るいながら、辺りの木々をなぎ払う。その様子は、ハサミ状の武器で巨木を切り倒すランツを思い出させた。ラーリオスの爪の破壊力は、ランツの物騒な武器に引けをとらない。
 木々を刈りとって手頃なサイズに切断したラーリオスは、バランスのとれた棒切れ一本をつかみ、試しに投げつけた。強力な力で幹に突き刺さる。ぼくが以前、イスの脚を即席の棍棒にしたように、ラーリオスは切り取った木から即席の投げ槍を作っていたのだ。獣らしからぬ知恵と言うべきだろう。
 そこにシンクロシアが飛んできた。
 翼を持った悪魔が気付く前に、ラーリオスはさらに武器を構え、勢いよく空中に放った。
 シンクロシアは地上からの思わぬ攻撃に不意を打たれた。かろうじて身をかわす。
 しかし、ラーリオスの攻撃は容赦なく続く。二本、三本……と連発される投げ槍。
 飛んでくる槍の一本をしなやかな蹴りでそらし、一本を口から放つ衝撃波の叫びで粉砕し、一本は単に身を翻して避け、次々といなしてみせるシンクロシア。
 けれども翻弄されるうちに、一本だけ対処が遅れた。体への直撃を防ぐために、背中の翼で身を包んで防楯(シールド)代わりにする。槍の威力がもう少し小さければ、あるいは翼がもう少し強靭ならば、それで防ぎとめることができたろう。
 だが、ラーリオスの槍はにわか作りながら強力な破壊力を秘めていて、翼の皮膜を見事に貫通した。革の装衣すら抜けて胴体を傷つけはしたものの、それよりも致命的なのは翼が機能しなくなったことだ。空中での姿勢制御を失い、悲鳴とともに森に落下する。
「スー、油断もいいところよ。ラーリオスはただの獣じゃない」トロイは冷静につぶやいた。「それにしても、坊や、意外と知恵が回ること。スーの代わりの傀儡程度と思っていたけど、もしかすると得難い素材かもしれない。本命はシンクロシアではなく、ラーリオスに切り替えることも考えた方がいいようね」
 ずいぶんと買いかぶられたものだ。悪い気はしないけど、《暗黒の王》として祭り上げられるのは望ましいことではない。急速に近づいたトロイとの距離感をうまく保つのに、ぼくは苦心した。
 その間に、ラーリオスが動いていた。
 墜落したスーザンにとどめを刺そうと、森に踏み込んでいく。
 止めないと。
 ぼくは、その後に起こるであろう悲劇を予期して、かたわらのトロイメライに心の中で行動をうながした。
 しかし、トロイはすぐには動かない。戦いに巻き込まれる危険を避けるため、適度な距離を維持するつもりなのだろう。賢明な判断だけど、ぼくの気持ちとはそぐわない。
 トロイは、腹立たしいほどゆっくり、ラーリオスの後を追った。
 神出鬼没。その言葉が彼女にはふさわしい、と思っていたけれど、近くで行動に接していると、必ずしもそうでなかったことに気付かされる。これまでは《影の星輝士》としての特殊な能力と、計算高い観察者の知恵、陰謀者としての慎重さを駆使して、ぼくに対して優位を示して来たが、直接の力の行使や勢いに任せた行動は苦手なのだろう。そこに人としての限界がある。彼女とて、神にはなれないのだ。
 ぼくは、彼女から離れ、一足先にラーリオスに追いつくことを願った。
 そして、再び視点が切り替わった。
 夢の視点を操作するコツを、ぼくはつかみ始めていた。

 うっそうと茂った暗い木々の間を、ぼくは走っていた。
 木々の匂いと、枝葉のざわめきと、口の中の唾液と、殺戮本能を意識する。
 これは? 
 ぼくは自分がラーリオスの中にいることを知った。どうやら追いつきすぎたようだ。
 止まれ。
 ぼくは自分の感じている肉体の制御を試みた。
 ダメだった。それは、ぼくの体であると同時に、本能で動く獣のそれだった。ただ、狩りの獲物を仕留めることしか頭にない野生の獣。ぼくにできるのは、それの感じていることを受け止めるだけ。
 この感覚は、すでに別の夢で経験していた。
 と言うよりも、先にこちらの夢で経験したからこそ、後々の悪夢で再生されたのではないか。夢というものは、脳裏の記憶を形を変えて何度も再現されるものかもしれない。それは、まるで歴史のように。もしかすると、歴史も神の脳裏の記憶を再現した夢のようなもの……と感じたりもした。
 哲学的なことを考えるのは、獣の本能に飲み込まれないための無意識の知恵だったのか。
 獣の嗅覚は、獲物の甘やかな匂いを敏感に受け止めていた。
 ぼくはゴクリと喉を鳴らした。欲望がこみ上げてきて、唾液がポタポタ流れ落ちる。
 肉体を得たがために、理性だけではままならない感覚にさいなまれる。
 やがて、ぼくの獣の目は、金髪の少女の姿をとらえた。
 転装は解除され、無防備な血まみれの貫頭衣姿のスーザンがそこにいた。
 負傷に耐えながらハァハァと息をあえがせ、自分に迫る獣を気丈な瞳でにらみつけようとする。しかし、その青い眼には冷たさはなく、抑えがたい怯えと哀しみが宿っていた。
「カート、おねがい」懇願するような声。「元に戻って」
 その言葉は、すぐには力を持たなかった。
 抵抗を放棄した彼女の喉笛に、ぼくは夢中で喰らいつき、その血肉の味を味わった。
 結局、ぼくは惨劇を止めることができなかったのだ。
 ラーリオスは勝ったが、カート・オリバーは敗北した。

 涙が瞳を濡らし、嗚咽が喉から漏れた。
「カート……」スーザンが弱々しくつぶやいた。喉を裂かれ、致命傷を負っているはずなのに、最後の力で言葉を紡いでいるのか。「良かった。元に戻ったのね……」
「スーザン! 一体、何があった?」カートは膝まづくと、血まみれの少女を抱きかかえて叫んだ。口の中に血の味を感じながらも、目の前の惨劇が自分の仕業だとは気付いていなかった。ただ、呪われた変身が解除され、殺戮の本能からも解放されたことで、急激に自分を取り戻す。それでも周囲の状況を完全には受け止めきれずにいた。
 ぼくは状況を把握していたものの、昔のカートの混乱した思考と感情をまともに受けて、しばらく一心同体に振る舞うことしかできなかった。
「まさか、負けるとは思ってなかったな」力ない微笑を浮かべるスーザン。「わたしはもうダメ。夢を維持できない。あなたは早く逃げて」
「スーザン、何を言ってるか分からないよ。しっかりするんだ」
「これは夢なの。泣くことなんてないわ」ぐったりした少女の体から、急速に温かさが失われていった。「カート、あなたも強くなって。自分を見失わないように。わたしもそうするから。次は、もっときちんとした形で戦いましょう」
「いやだ、スーザン。戦いなんて、君を失うなんて、ぼくは望まない」
 ぼくとカートの腕の中で、スーザンの肉体は光の粒子となって、そのまま辺りの空気に溶けるように消えていった。
 何もない空中を抱きしめたまま、ぼくたちは悲嘆に暮れる。
 そのとき、ガサリと葉ずれの音が聞こえ、トロイメライが追いついて来た。
「スーは……夢から離脱したみたいね」状況を理解したような声。「思ったよりも、あっさり負けたこと。口ほどにもないわね」厳しく批評する。「それでも、オリバーを正気に戻すという役目は果たしたのだから、上出来と言うべきかしら」
 その淡々とした口調が苛立ちを募らせる元になった。
 カートは地面を見つめたまま、背後のトロイに感情的な言葉を投げつけた。「何があったか……説明しろ」振り返ると、怒りに満ちた目で影の女をにらみつける。「ナイトメア、お前がぼくとスーザンを戦わせたのか! ぼくを操り、スーザンを倒させた。そうなんだな!」
 それは違うだろう。
 ぼくは、過去の自分の勘違いを聞いて、それまで感じていた一心同体の感覚から解き放たれた。この時のカートは、あまりにも短絡的だ。
「説明したいのはやまやまだけど……」トロイはため息混じりの表情を見せた。「今は時間がないの。すぐに、ここから脱出しないといけない。夢の主が離脱したのだから、世界はすぐに崩壊する。急いで、自分の体に戻らないと危険よ」
「はぐらかすな!」カートは、トロイの話を受け付けようとしなかった。「ぼくは動かない。スーザンがいなくなって世界が滅びるって言うなら、ぼくも世界と命運を共にする。スーザンのいない世界なら、生きていたって仕方ない!」
「バカなことを言わないで」トロイは心底、困惑したようだ。「説明なら、後でするから。今は戻るの。そうするように、私もスーに頼まれたんだから」
「信じられるか!」カート・オリバーは呆れるほどに頑固だった。
(おい、バカカート。状況もよく分からないで、下手なことを口走るな! 今は、トロイの言うことが正論なんだから、それに従えよ)
 そういう思念を、過去の自分に伝えようとする。
 その時、不意に世界が揺れ動いた。
「始まったみたいね、崩壊が」トロイがつぶやき、素早く転送円の五芒星を描く。「さあ、いっしょに来るの」手を差し伸ばす。
「ぼくは……行かない」
 しびれを切らしたトロイが無理矢理引き込もうと、近づいたとき、
「来るな!」カートは叫んだ。
 すると、地面から突然、炎が噴き上がった。
 それがカートの意思によるものか、夢の世界が崩壊する際の現象なのか、はっきりしない。
 しかし、結果として、炎の壁がカートとトロイの間を遮ることとなった。
 さらに、辺りの木々が燃え始めていた。
 闇と炎が世界を包み込もうとしている。
 ぼくは、自分の体を動かせないことをもどかしく感じていた。多少の火傷を覚悟しても、炎の壁を突っ切って、トロイといっしょに転送円に飛び込めば助かるのだ。それなのに、愚かにも世界とともに破滅する道をカート・オリバーは選ぼうとしている。
 感じるだけで手出しができない状況が、こんなに辛いものだとは思わなかった。
 何とか自分の体を、自分で制御できるようにしたい。
 そう考えて、思念の力を総動員しようとしたけど、その前に崩壊が訪れた。
 カートの足元の地面が陥没し、ぼくたちはぐっと暗い奈落に引きずり込まれた。


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