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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−1)


 
4ー1章 ダーク・ロード

 金髪の少女が、男に抱かれていた。
 あえぎ声と、かすかに聞こえる淫靡な水音から、それが見てはいけない映像だと悟る。
 心の動揺に応じて、映像にノイズが入って不鮮明になり、やがて画面が消失。ただ白いスクリーンを残すのみとなった。

 開始1分を待たずに唐突に中断した、闇の森の上映会。
 ぼくと、同席したトロイメライの間に、気まずい沈黙があった。
「あ、ええと、こういうのは慣れていないから……」王としての威厳を取り繕う余裕もなく、しどろもどろな言い訳を試みる。「つまり、夢を映像で見るには、配線の接続とか複雑なことをイメージしないといけなくて……決して、唐突に大人の(アダルト)映画が流れてきたから焦ってしまったわけじゃ……」
「そう」トロイは聞き流して、一言つぶやいた。「あなたには5年くらい早かったみたいね」
「そこまで子供じゃない」不機嫌に言い返す。「ぼくは16だ。2年経てば、こういう映像だって解禁される」
「映像に関する法律なんて、どうでもいいわ」トロイの声は冷ややかだった。「要は、あなたの心の問題。だって、ここは夢の中ですものね。こういう映像が流れることを、あなたが拒むなら、どうしようもないと言うことよ」
 外見は少女然とした相手に子ども扱いされるのは、いかにも屈辱だ。
 向こうは見かけよりもはるかに成熟した中身である一方、こちらは体こそ成熟していても、中身がこれからだと改めて実感する。
「大体、こういうのを見るぐらいで動揺しているなんて……ワルキューレを抱いたんじゃなかったの?」
「……それとこれとは話が別だ」まさか、よく覚えていないなんて言うわけにもいかず、言葉を濁すしかない。
「ふうん、大方、リードしたのはワルキューレということね。あなたにそういう知識がないのは、見当がついていたわ」
「知識なんて、どうとでもなる!」ぼくはむきになったけれど、「……足りないのは経験だけだ」続けた言葉は自分でも情けなく聞こえる。
「実体験を通じて、心が成熟するのよ。知識や技術だけ急速に学んでも、経験不足じゃ心の方が追いつかない。背伸びして気取っていないと、それぐらいの現状は認めなさい」
「……だったら、どうしろと言うんだ?」
「あなたはどうしたいの?」質問に質問で返された。
「ぼくは……カレンを知りたい」
「スーザンじゃなくて?」トロイの質問は意地悪だった。
「それとこれとは話が……」
「同じことよ」言おうとしていた言葉を先に封じられる。「あなたはラーリオス。シンクロシアとの絆は否定しても否定しきれない。ワルキューレに対しても、折々にスーを重ねて見ている、ということはない?」
 確かに。
 ぼくは、カレンさんを通じて、スーザンへの気持ちを満たそうとしているのかもしれない。でも、そういう気持ちは不健全で、自分も他人も傷つけてしまうのではないか。
「シンクロシアとは戦わないといけない」ぼくはつぶやいた。「想っても手に入れることはできない。それならせめて……」
「だから、ワルキューレを抱いたと言うの?」
「悪いか?」開き直り、と分かっていても、そう言うしかなかった。「君たちが仕向けたんじゃないか。ぼくを《闇》の道に引き込んで、信頼を裏切らせて……」
「そうよ」トロイメライは否定することなく、艶やかな笑みで返した。「誘いはかけた。そして、あなたはその道を選んだ。お互い合意の上よ。子どもじゃないんだから、相手を責めるのはお門違いってこと。それより大切なのは、これからどうするか」
 隙なく論破された気分で、ぼくは少し黙らざるを得なかった。
 それから、
「……君の計画を教えてくれ」切り返しを図って、相手に鋭い視線を向けた。その心を読みとろうとするように。
「勝手に読みとればいいわ」トロイはさらりとかわした。「できるんでしょ?」
「心の中にはいろいろな想いが渦巻いているから、読みとるのは容易ではない」ぼくは感情を抑えて、冷静な思考を手繰り寄せようとした。機械的な声音を意識して、浮かんだ知識を淡々と言葉にする。
「とりわけ、トロイメライ、君の考えは複雑だ。表層を読みとっても、それで分かったとは断言できない。成熟していない心では、相手の心の一部を読んでも、自分に理解できるように再構成することは不可能だ。精神読解(マインド・リーディング)は、相手が嘘をついているとか、単純な事実を知ることはできても、複雑な思考を追跡して整理するには相応の手間も掛かるし、その過程で誤解も生じる。だから、それだけに頼らず、相手に話させることで事実確認をしていく必要がある」
「その通りよ。さすがね」トロイは感心したようにうなずいた。「初歩的な読解者は、断片的な事実だけを読んで、全てを分かったつもりになる。それを避けるためには、複数のアプローチが必要だし、折を見て再検証する姿勢も持たなければいけない。そのことが常に意識できているなら、あなたもいい研究者になれるわ」
「君に研究の何が分かる?」何だかジルファーと話しているような気にさせられた。トロイメライと言えば、霊感的(オカルティック)な夢使いであって、科学的研究とは無縁だと思っていたんだけど。
「生前は錬金術のたしなみがあったのよ。観察と仮説と検証と……基礎的な科学の素養は身についている、と思ってくれていいわ」
「錬金術なんて、眉唾だろう?」
「だったら、アイザック・ニュートンだって眉唾ということになるわね」トロイは近代科学の祖と呼ばれる人物の名を挙げた。
「確かに、錬金術は今の科学の視点では間違いも多かったけれど、そこで繰り返された実験の数々が、現在の科学文明を発展させる(いしずえ)にもなっている。心理学者のユングも錬金術に注目していたわけだし、精神と物質の間をつなぐ糸口ととらえることも可能ね。そして何よりも科学と魔術の接点として星輝科学を志す者は、錬金術を決して見下したりはしないわ」
 トロイメライに錬金術の話をさせると、相当に長引きそうに思えた。
「分かった。詳しい話はいずれ」そう、かわしておいてから、話を引き戻す。「で、君はぼくに何をさせたい? 《暗黒の王》としての、ぼくの役割は?」
「スーと接触し、こちらの世界に引き込むこと」答えは簡潔明瞭だった。「そうすれば、あなたはスーといっしょになれるし、私もあなたたちを通じて星王神と対峙できる」
「星王神と対峙して……どうするつもりだ?」
「あなたたちが協力してくれれば、私自身が新たな神になることもできるかもね」
「そんなこと……」ありえない、と言いかけて、思い直した。
 トロイメライは500年を存在した霊体であって、それは神に近いと言えるのではないか?
 星王神がいかなる存在かは、いまだによく分からないけれど、トロイメライが神として君臨する世界が実現するなら、確かに彼女の理想、《異質な闇(フォーリン・ダークネス)》というのも、荒唐無稽なお題目ではないのかもしれない。
「君が神と対峙して敗れたときは?」念のため、ぼくは尋ねた。
「あなたかスーザン、いずれかが星霊皇になり、いずれかが星王神に吸収される。その魂が次の500年の統治のための活力を提供することになる」
「星輝戦争の敗者は、星王神に吸収されるのか」ぼくは知識として納得した。
 感情的には、そんな理不尽には同意できないと思いながら。
 そして、ふと疑問が生じる。「だけど……君はどうして星王神に吸収されていない?」
「……かつてのラーリオス、今の星霊皇が《闇》と関わった私を拒絶し、星王神との一体化を認めなかったからよ。私の魂は放逐され、代わりに星霊皇は自らの魂を星王神の活力として捧げた。だから、今の星霊皇は本来の儀式が求めるよりも倍の負担を強いられている。自ら選んだ道とはいえ、その代償はさぞ大きいことでしょうね」
 そこでトロイメライは、しばし沈黙した。冷静で仮面のような(かんばせ)に、何ともいえない感情の影がよぎる。その意味合いは、彼女の500年の秘められた想いを映し出しているようで、未熟なティーンの若者には想像も及ばないと感じさせた。
 ぼくは口出しをせず、彼女の気持ちが落ち着くのを待った。それぐらいの配慮しかできそうにない。
「ともあれ、星霊皇は《闇》を拒絶し、私は《光》に背を向けた」やがて、伝承を締めくくるように、トロイメライは言葉を継いだ。
「こうして、今の時代はおおむね《光》と《闇》の二極化する世界となったの。星王神もそうした私たちの想いを反映する形で、今に至っている。もちろん、近年に入って、いろいろと(ほころ)びが生じているのは、あなたも分かるんじゃないかしら。星霊皇と星王神の力も絶対というわけではない。この不寛容な歪みを継承して対症療法的に綻びを整えるか、それとも根本的な歪みを是正して新たな時代の秩序を作るか。私のあなたたちに掛ける望みは、もちろん後者よ。それが私の計画の全体像というわけ」
 正直、話が大きすぎて、十分理解できたとは言えなかった。
 歴史というよりも神話の類に思えて、実感が湧かない。
 それでも察する限り、星霊皇は相当潔癖で、頭の固い人物らしい。ぼくの知るかぎりでは、ソラークに相当しそうだ。
「星王神から星霊皇の魂を取り戻す、と言っていたよね」自分に分かる範囲の話に、何とか置き替えようとする。「星霊皇は、君がそうすることを望むだろうか?」
「その質問は、あなた自身にも言えることよ」トロイメライが切り返す。
「どういうことだ?」トロイの言いたいことが分からず、とっさに口に出した。だけど、すぐに相手の意図を読み取って納得する。「スーザンか」
「そう、スーは星霊皇の魂の影響を強く受けている。星王神から星霊皇の魂を取り戻すことは、あなたにとって、スーザンを神から取り戻すことに等しい。スーザンは、あなたがそうすることを望んでいる、と思う?」
「……分からない。いや、むしろ拒絶されるんじゃないかな」ぼくは悲しい気分で答えた。肉体が反応する状態なら、涙が流れてもおかしくない。
「もしもスーに拒絶されたなら、あなたはどうする?」意地悪な質問だと思った。
 けれども、すぐにこの質問がぼくだけに向けられたものでないことに気付く。
 トロイメライは、500年の間、こういう質問を自分に向けて葛藤してきたのだ。そして彼女は結論を出している。
 失ったものを取り戻すためには、何でもする、と。
 そして、ぼくにその覚悟を求めているのだ。
 神に対峙する《闇》の共犯者として。

『自分の意思はしっかり示せ』そう言ったのは誰だろうか。
 ぼくの意思はどこにある?
『相手がカレンなら殺しはしない』ああ、そうだ。これはランツの言葉だ。
『何とか戦闘不能に追い込んで、オレの想いを受け入れさせるんだ。欲しいものは何としても手に入れる。そのためにいろいろ考えて、強くなることを目指す。それこそが星輝士ってものじゃねえか』
 いや、それは星輝士の論理ではない。星霊皇を星輝士の鏡とするのなら、愛を捨てても世界のために自分を犠牲にすることが星輝士ということになる。個人的な愛情よりも、世界への大義の方を重んじる生き方を是とするべきだ。
 ランツの思考は、むしろ邪霊寄りなのではないか、と思った。本人が意識しているかどうかは分からないけど。
 それでも……
『愛や信頼なんてものは与えられるものじゃねえ、自分の手で勝ち取るものだ。人の好意に甘えて施しを求めるだけの生き方は、自分を堕落させる』
 そこは、その通りだと思う。

「もしも、スーザンに拒絶されたら……」改めて言葉を継いだ。
「それでも、ぼくは自分の気持ちを訴えると思う。初めからあきらめて、何も行動しないってのは、《暗黒の王》の……いや、カート・オリバーの生き方じゃない。こうと決めたら突き進む。闇を突き抜けて、その向こうに輝く光をつかむ。今、出せる答えはこれだけだ」
「……あなたらしい答えね」トロイメライは静かにうなずいた。「《暗黒の王》の称号には似つかわしくないけれど」
「それがどうした?」ここは開き直った。「ぼくはぼくだ。《暗黒の王》にふさわしくないとしても、自分をやめるなんてできそうにない」
「大した意思だこと」どこか嘲るような響きに聞こえた。「頑固さにかけては、星霊皇に匹敵するほどよ」
「あまり誉められている気がしないんだけど」そう冗談めかして、答えるしかなかった。『誉めてないもの』という切り返しが来ることを予想しながら。
「誉めているのよ」ほら、来た……って、え?
「誉めている?」ぼくは戸惑った。
「そうよ。星霊皇と同じくらい頑固だなんて、私にとっては最大級の賛辞だということぐらいは分かって欲しいわ」
「え? だって……ぼくは君の求める《暗黒の王》にはふさわしくなくて、誉められることなんて特に……」
「《暗黒の王》になれ、と言われて、あっさり自分を捨てて、悩むこともなく《闇》に宗旨替えして、欲望をむさぼるだけの単純な人間を同盟者として信用できる?」
 いや、そう言われたらそうだけど……。
「あなたは《闇》を受け入れた。そうなった場合、普通は欲望に身を任せ、理性を失った獣と成り果てるの。仮に理性を維持したとしても、《闇》の論理に従い、自己正当化を図って、己の人間性を捨てることになる。それでは、いずれ邪霊に魂を食い破られ、この世に災厄を巻き起こすだけ。少なくとも、王にふさわしいとは言えない」
「もしも仮に、ぼくがそうなっていたとしたら?」
「あなたが王にふさわしくないと判断したなら、心を壊して傀儡(くぐつ)になってもらうしかないわね」トロイメライはさらりと言った。「けれども、それでは星王神に対峙しても、勝ち目はない。つまり、私の計画は失敗ということになる」
「それは……君の計画が上手く行くためには、《闇》を受け入れつつ、《闇》に飲み込まれることなく、何とか自分を維持できる人間が必要ということか」
 ぼくが、そういう立派な人間かどうかは分からない。
 というよりも、さんざん迷いながら、流れに流れて自分らしい回答に行き着いたのだけど。一歩間違えれば、自分の心の闇にあっさり飲み込まれて、暴走する危険は十分考えられた。
「ずいぶんと分の悪い賭けに出たものだ」心の底からそう思う。
「でしょうね」黒髪の少女の姿が、厳かにうなずいて見せる。「それでも、あなたという人間は、得難い人材だと思うわ。だから、スーではなく、あなたに賭けることにしたの。あなたはあなたであればいい。もっとも、星王神に傾倒して計画の邪魔をしない、ということが前提だけど」
 やれやれ。
 どうやら、ぼくは彼女の複雑な試験に合格したらしい。
「これで、ぼくは名実ともに《暗黒の王》なのか?」
「まだ、そんな称号にこだわっているわけ?」
「いや、別に《暗黒の王》になりたいってわけじゃないけれど」そう断っておいてから、「それでも相手がそれを求めて、しかも、ふさわしくないなんて言われたら、気になるじゃないか、男として。格好いい男を目指すなら、女の求めには応じないと」
「やんわりと拒絶して、自分を貫き通す度量も必要よ」トロイは苦笑を浮かべた。「それも、女の気持ちを不快にさせることなく、ね」
 それができれば、立派なハードボイルドだ、と思う。
「何もかも自分の思いどおりになる男なんて、女にとってはただの便利な道具でしかない。相手の気持ちを推し量りながら、相応の駆け引きぐらいはこなせるようになれば、あなたも一人前の大人と言えるでしょうけど」
 なるほど。
「駆け引きなんて考えたこともなかった」ぼくは正直に認めた。「ただ、自分の気持ちに真っ正直に振る舞うだけで。だけど自分の気持ちすらよく分からなくて、与えられたものに飛びついたり、疑念に駆られて躊躇したり……そういうことだけを繰り返してきた気がする」
「今はどう?」
「少しは分かった気がする」ぼくはそう言った。「だけど、実体験が必要だ。駆け引きの……」
「王であろうとするなら、つまり他人を支配する立場なら、駆け引きの手管ぐらいは身につけないと、ね」
 ぼくはうなずいた。「こればかりは、単純に心を読みとって、すぐに身につくことではないんだろうな。確かに、相手の心を読むことは駆け引きを有利にする。だけど、その読んだ情報を活用して、相手にアプローチして自分の求めに応じさせるには、複雑な手続きがいる。その手続きの過程の構築には、個々のケースに対する柔軟な判断力と分析力などを必要とする」
「そういう理論の一端を構築した人物の一人に、フォン・ノイマンがいるけれど知っているかしら?」
「有名な数学者らしいけれど、よくは知らない。別に数学者になろうとは思っていなかったから」兄貴なら詳しいかもしれないけれど。
 ぼくは、トロイがその人物の話を詳しく聞かせてくれることを期待した。しかし、
「数学者の話がしたいわけでもなさそうね」
 あっさりかわされて、不満を抱く。
 そうして、ぼくは気付いた。ああ、これが駆け引きなんだって。
 相手の気を引くものをちらつかせて、相手が食いつきかけたところで、かわしてみせる。
 考えてみれば、ぼくもトロイに映画の話題で、無意識ながら同じことをしていた気もする。軽く仕返しをされたのかもしれない。
「駆け引きの話だったよね。あるいは王と支配の話」
「そう。あなたが《暗黒の王》にふさわしくない、という話」
「だったら、どうしろと言うんだ?」反射的にその言葉が出た。
「簡単なことよ。称号がふさわしくないなら、ふさわしい称号を作ればいい。呼び名なんて飾りに過ぎないのだから」
 その発想はなかった。リメルガがラーリオスを縮めて勝手にリオと名付けたら、それが定着したように、《暗黒の王》が気に入らなければ、自分で変えればいいだけの話だ。
《黒き太陽王》(ロード・オブ・ザ・ブラックサン)ってのはどう?」ぼくは思いつきを口にした。
「黒にこだわるの?」トロイメライは面白そうなものを見る目をした。「自由に変えられるなら、黒は避けると思っていたんだけど。《太陽の子》(サン・オブ・サン)がふさわしいのではないかしら?」
「それじゃ、子どもっぽくてダメだ」ぼくは断った。「黒太子(ブラック・プリンス)エドワードや、太陽王(ロワ・ソレイユ)ルイ14世がいるんだし、ぼくので問題ないと思うんだけど」
「御意のままに」トロイは臣下の礼を示した。
 それがあくまで、ぼくの気持ちを上機嫌にさせるための虚礼であり、駆け引きの一種だということは分かったけれども、相手の仕掛けた駆け引きをそうと知りつつ、受け止めることも大人の作法だと納得する。相手の恭順の仕草に、いちいち浮かれることさえしなければ、それでいい。
 こうして、《黒き太陽王》はぼくの中でラーリオスの異名として納まった。

「ぼくとスーザンの役割は大体、分かった」心理的成長の実感を得ながら、改めて課題に向き合うことにした。「それで、カレンはどうしたらいい?」
「ワルキューレの今後は、私の計画にはないわ」トロイは突き放すように言った。「元々、あの娘が闇を求めるに至ったことも、私の計画にないイレギュラーな事件だしね。それでも、あなたを引き込む上で便利な道具とはなり得た。だから大事にしたけれども……今となっては用済みと言ったところかしら」
「ちょっと待ってよ」ぼくは慌てた。「それってつまり……」
 トロイメライは冷淡にうなずいた。「私にとって大切なのは、あなたとスーザン。あなたがワルキューレに惑わされ、結果としてスーのことから目をそらすのなら、計画に支障をきたす。だったら、そうならないように、障害は排除しないといけない」
 これも、トロイメライの仕掛けてきた駆け引きなのか? 
 カレンを排除すると言うことで、ぼくに何をさせたがっている? 
「カレンは協力者だろう? それを用済みとあっさり切り捨てるなんて、君には血も涙も……」言いかけてから、無意味な発言だと気付く。トロイメライは肉体を持たない精神体だ。血や涙なんて持ち合わせているわけがない。
 トロイは、自分を邪悪だとは思っていない、と言った。だけど、ぼくから見ると、その冷淡さは十分に邪霊の資質があるように見える。
 トロイは慎重で、あまり過激な手段を是としていないけれども、自身の計画に対しては着実な手段をとろうとする。計画を狂わせるような事態に対しては、柔軟に対処しながらも、断固と処理する面があるのは否めない。
「カレンのことは計画にない、と言ったな」ぼくは何とか気を取り直して、王らしく振る舞おうとした。王であるなら、臣下は守らないといけない。「すると、ぼくが彼女の役割を定めて、君の計画に組み込む余地があるわけだ」
「そうね。ワルキューレのことは、あなた次第よ」
「スーザンを引き込むのに、カレンの力が必要だ、と言えば?」
 深く考えての発言ではなかった。
 ただ、ぼくの中では、カレンとスーザンはどこかでつながっているように思われた。星王神に傾倒しているスーザンと対峙するに当たって、カレンとの関わり合いこそが力になる、という予感があった。
 トロイメライは少し考え込んでから、じろじろとぼくを見た。「驚いたわ。あなた、自分で何を言ったか分かってる?」
「大したことじゃない。君の計画のために、カレンの助けが要る、と言っただけだ。驚くことでもないだろう?」
「言い換えれば、ワルキューレを使ってスーを堕とす、ということよね」トロイメライはさも楽しそうな表情をしてみせた。「正直、初心(ウブ)なあなたがそんなことを言い出すとは思わなかったわ」
「そういうつもりじゃ……」言いかけてから思い直す。
 だったら、どういうつもりだったんだ? 
 カレンを大切に扱いながら、スーザンを星王神の束縛から解放する。
 しょせんは綺麗ごとだ。
 本心ではどうなんだ?
 カレンを利用して、スーザンを自分の物にする。
 俗に言うところの、『二股をかける』ことではないか。
 ぼくの愛はどこにあると言うんだ? 
 ぼくはスーザンを愛している? 
 いや、違う。それは魅了(チャーム)の術によって仕組まれた幻だ。
 だったら、カレンを愛しているのか? 
 これもよく分からない。スーザンの代わりとして見ているなら、それは純粋な愛とは言えないだろう。
 『スーザンを愛している』というアイデンティティーを否定されたとき、カートの精神は一度、崩壊した。
 『信じている人間に裏切られていた』という気持ちは、カートを底知れない深淵に引きずり込んだ。
 それなら、ぼくは、カート・オリバーは何を(いしずえ)に生きていけばいい? 
 愛も誠も見えなくなった今は……。

「闇だ」
 ぼくは、うめくように漏らした。
「闇だけが、ぼくを満たしてくれる。ぼくは自分の欲望を否定したりはしない。ぼくはカレンもスーザンも欲しい。《暗黒の王》だから」
「《黒き太陽王》じゃなかったの?」トロイメライが口をはさんだ。
「どっちでもいい。ぼくは闇の道に生きる。それで文句はないんだろう?」
「少し不安定な気がするけれど……」トロイは慎重に眉をひそめた。「一人で勝手に暴走しないこと。王とは言え、あなたはまだ未熟な若者だから。行動を起こすときは、必ず私に連絡をとり、許可を求めること。それを守ってくれる限りは、好きにしたらいいわ。ワルキューレのこともあなたに任せる。それでいいかしら」
 ぼくは、相手と同じ暗い瞳でうなずいた。
 トロイメライと張り合おうとする気持ちは消失し、ただ相手の利益と、自分の欲望を同調させればいい、と感じるようになっていた。
 彼女との関係は、王と臣下のそれではなく、神の子たる王と、神の座に近き存在。母子にも似たつながりなのだと受け止める。
 あるいは、闇の同盟者として対等の関係を意識すればいいのか。
 そのぼくの想いを察したかのように、トロイメライは左手を差し出した。
「これは?」問いを口に出してから、相手の意図に気付く。盟約の証の握手を求めているのだ、と。
 握手は右手で行なうものという常識を、ぼくは持っていた。その理由は、左手が不浄なものという宗教的な起源と、武器持つ右手を相手に差し出すことで敵意がないことを示す意図があるらしい。
 だけど、トロイメライが左手を差し出したとき、ぼくもそれが当然と判断して左手で応じた。不浄な側の握手はいかにも闇の盟約にふさわしいだろうし、ぼくにとっての武器、星輝石、いや醒魔石を宿しているのは左手だからだ。
 トロイの手は小さく華奢だったけれど、伝わる力の波動は大きかった。
 ぼくは自然に膝まづき、恭順の礼をとった。彼女は王に仕える臣下というだけでなく、計画が成就すれば、星王神に代わる神となる。相応の敬意を示す必要がある。
 中世の騎士ならば、身を捧げる貴婦人の手に口付けをするぐらいの礼儀作法を示していたろうけど、さすがにそれはやり過ぎだと思った。代わりに、ぼくは左手の力を活性化し、《闇の気》の波動を彼女の手に送る。
「フフ」闇の淑女(ダーク・レディ)は心地よい笑みをもらした。「もう、《闇》は馴染んでいるようね」
「ああ」ぼくも笑み返す。「スーザンにも同じことをすればいいんだね。魅了(チャーム)の術で人の心を(もてあそ)んだ報いを与え、絶望と後悔の末に、ぼくたちの世界に引き込む。それこそが《闇》の計画」
 トロイメライの表情が一瞬、曇った。
 ぼくは何かおかしいことを言ったのだろうか? 
「そう、オリバー。あなたの心では、そのように合理化されたのね」感情を抑えた声が淡々と響く。
「無理もないわ。スーは、あなたの心を術で操るという過ちを犯した。この結果は、あの娘の自業自得かもしれない。いいわ、好きになさい、オリバー。その代わり、やり過ぎて、あの娘の心を壊すようなことだけは、決してないようにね」
「もちろんだ」ぼくは許諾をもらって満足した。「ぼくが欲しいのは、心を持たない人形ではない。運命を共にするパートナーだから」
 そう、パートナーとの間に結ばれる魂の絆。
 それこそ、ぼくが手を伸ばす理由(マイ・リーズン・トゥ・リーチ)
 絆の色がどうであろうと、問題ではない。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 夢は終わり、トロイメライは去って行った。
 目覚めたぼくが最初に確認したのは、カレンの様子。
 悪夢で苦しんでいたのは一時的なもので、その寝顔は穏やかに安らいでいる。
 次に時間を確認すると、6時前。
 緯度にもよるけれど、そろそろ夜明けが近いと思えた。
 トロイメライとの逢瀬はもっと長く感じられたが、現実と夢では体感時間も異なるのだろう。
 ぼくは夢の中の経験を反芻して、自分の記憶を確認した。
 たった一夜の経験で、純粋な少年期を終え、《暗黒の王》、あるいは《黒き太陽王》の名にふさわしい成熟を遂げられたと自負する。
 少なくとも、十年は年をとったように思えた。
 たったの十年。
 500年に比べれば、一夜の夢でしかない。

 物思いにふけりながら、カレンが目覚めるのを待った。
 結局はトロイメライの導きで、この女性の過去の体験を見ることとなった。
 知ってしまった後では、どうしてカレンが口に出したくなかったか、そしてトロイメライがアストラル投射による直接の接触を止めたか、理解できる。
 そう、未熟なぼくでは受け止めきれなかったろう。
 子どもが砂糖抜きの苦いコーヒーを飲めないように。
 だけど、ぼくの少年期は終わったのだ。
 一抹の寂しさとともに、ぼくは真実の苦味を思い起こした。
 自分の中の闇と、眠る女性の中に感じる闇。それらを同調させたいという欲望を内心で(もてあそ)びながら、性急(あわて)すぎないように自制する。
 欲求と本能だけで突き動かされるような振る舞いは、大人の流儀ではない。
 甘くて苦い葡萄酒(ワイン)を味わうように、じっくり時をかけて想いを合わせていくのだ。
 酒の味も知らない若造のくせに、と皮肉っぽく自嘲する。
 そうした感覚は、自分ではなく、トロイメライから伝わったものだ。自分自身の経験ではない。
 バトーツァに言えば、イタリア産の葡萄酒(ワイン)ぐらい用意してくれるだろうか。
 未成年だから飲酒は禁じられている……なんて俗世の法律にとらわれる必要はない。モンタナでの飲酒は18才で許されるが、他の多くの州では21才。法律なんて、時と場所が変われば違ってくるものだ。世界中を調べれば、16才で酒が飲める国だって普通にあると思う。
 いかにして現実の自分の殻を破るかをイメージしながら、静かな時を過ごす。

 やがて、カレンが「ううん」と色っぽくも、幼くも聞こえる声音をあげて身を起こした。
「おはよう」意識が目覚めるタイミングを見計らって、声をかける。
「え、リオ様? 私……」カレンは一瞬、戸惑ったものの、すぐに状況に気付いたようだ。赤面し、恥じらいながらも、何とか毅然と処しようとする心の葛藤が表情に見てとれ、いかにも可愛らしい。こういうのは、さすがに演じているわけではないだろう。
「とりあえず……」服を着たらどう? と言いかけたが、それより先に彼女が一言つぶやいた。
「せ、星輝転装!」
 シーツを通して、腹部に収まる緑色の光が一瞬きらめくのが見えた。
 すぐに全身が発光したと思うと、そこには鳥の意匠の鎧をまとった女戦士の姿があった。
「失礼しました」言葉とともに、ふわりと舞い上がり、ベッドから床に着地する。
 膝まづいて臣下の礼をとる白銀鎧のワルキューレ。
「わざわざ転装なんてしなくても……」ぼくは少々呆れ声になる。
「いいえ。リオ様にお見苦しい姿を見せたくはありませんから」その声は凛とした響きを帯びていたけれど、内心の動揺は押し隠せていない。
「今さら、そのように取り繕う必要はないさ。ワルキューレのカレン」ぼくは椅子に腰かけたまま姿勢だけ向き直ると、威厳を込めて冷ややかに言い放った。
「リ、リオ様……?」青い目が動揺に見開かれる。
「その呼び名も二人だけのときはよせ」ぼくは目に闇をたたえて言った。「こっちはカートでいい。君とは《闇》のパートナーとして、もっと親密な関係を築きたいからね」
「も、もしかして、《暗黒の王》として覚醒された?」
 ぼくはうなずきながらも、相手を脅かすことのないよう、柔らかな笑みを意識した。「覚醒と言うよりは、成長、脱皮と言ったほうがいいかもな。ぼくはぼく、カート・オリバーであることは変わらない」
 流暢に言葉をつなげる。
「そして、カレン、君にもありのままの自分でいてほしいと思っている。悪いが、君の過去の体験は見せてもらったよ。そのために、君が忍従を強いられてきたことも。君が隠してきた《闇》に手を伸ばした理由(リーズン・トゥ・リーチ)。トロイメライを通じて、ぼくも理解した。今後は、隠し事のない関係でありたい、と思う」
「リオ様……」カレンは感極まった様子で、見開いた瞳に涙を浮かべて見せた。これが演技なら、ぼくの目は相当な節穴ということになるだろう。
 だけど、ぼくはあえて冷然と振る舞うことにする。「リオ様じゃない。カートだと言ったろう」
「そんな。急に変えることなんて、できません」
 それはそうかもしれない。
 バトーツァのような役者上がりなら、状況次第でいろいろと演じ分けることもできるだろう。だけど、カレンはそれほど器用ではない。本心を隠すことはできても、役割に応じて、言動をころころ切り替えるような真似は難しいのかも。
 いろいろ強要すると、不自然さを露呈することになりかねない。
 これまで、カレンに感じてきた大人の態度は、トロイメライの助けがあってこそのもの。本来のカレンは、ぼくが思ってきたよりも幼く、不器用で、精神的に成熟していないところがあるのだろう。
 ただ、それだけでないことも承知していた。
「分かった」ぼくはうなずいた。「好きに呼べばいい」
 不安そうな表情が、ほころぶような笑顔を浮かべる。
 以前のカートなら、これだけで天高く舞い上がっていたろう。
 トロイメライが、『人の紡ぐ感情や想いの流れに触れることで、存在を実感する』と語った意味が分かる気がする。
 カレンは、心に闇を抱えていると言っても、こういう笑顔を作れるのだ。
 もちろん、それは自分の闇を理解する相手に出会い、信頼しているからだろう。
 トロイメライが、『ワルキューレは用済みだ』と言っていたことを明かせば、どういう表情をするだろうか? 
 ぼくは嗜虐的な気分でカレンの美しい笑顔を見ながら、夢の中の映像を思い起こす。
 信頼する男に裏切られて陵辱(おか)されている金髪の少女。
 あの少女は、ぼくやスーザンと同じくらいの年齢だった。
 カレン・アイアース。
 貴族の称号を持つ家柄の令嬢として、何不自由なく暮らしてきた彼女が、残酷な運命の結果として家を失い、今や戦士の道を歩むことになっている。
 兄と二人、行く当てのない生活を送った彼女が行き着いた先がゾディアック。
 だけど、ゾディアックの中でも、彼女の傷ついた内面を癒してくれる存在は少なかった。星王神は彼女を拒み、星王神に代わるべく陰謀を企てるトロイメライだけが、組織の中で彼女の頼れる(よすが)となっていった。
 依存の対象に向けられる彼女の愛は本物だ。
 それだけに、依存関係を脅かす存在に対しては、過剰に敵対的になる。
 カレンの心の闇は、愛情と表裏一体と言えるだろう。

 夢の中の少女の姿が、今のワルキューレに重なり合い、過去の記憶からの分析を終わらせた。
 続いて今後を意識しながら、カレンをぼくのパートナーとして過不足ない存在に育てる方策を思い浮かべる。
 基本的には、トロイメライのやり方を踏襲すればいい。
 カレンを受け入れ、その内面を満たすこと。
 彼女の(おさな)じみた依存心を利用すれば、立派な道具となるだろう。
 でも、それだけではパートナーとして物足りない。
 ぼくが欲しいのは道具ではなく、自立した人間の絆だからだ。
「確かに、ぼくは《暗黒の王(ダーク・ロード)》として覚醒した。君とともに闇の道(ダーク・ロード)を歩むために」
 詩人のような凝った言葉を紡ぎ出した後で、苦悩を表情と声に示し出す。
「けれども……その本質は、まだまだ未熟で不安定なカート・オリバーなんだ」
 寂しげな笑みを浮かべてから、
「そういう本質も君には分かって欲しい。王に仕える臣下としてだけでなく……未熟な弟を支える姉代わりとして、今までどおりに助けてくれたら、と思っている」
 最後に不安そうな目線を意識した。
「そういう気持ちは我儘(わがまま)……なのかな?」
「いいえ。そのようなことは」カレンは慌ててかぶりを振った。
 変わってしまった自分への不安。
 それでいて、変わらない本質を保ちたいという想い。
 そういう思春期特有の気持ちを示され、自分の体験と重ね合わせているのだろう。
「臣下として……そして姉として、ですか」確かめるような、つぶやきを漏らす。
「ああ」うなずいてから、照れたように頬をかいて見せた。「ぼくには兄はいるけど、姉はいないからね。今までもいろいろ相談に乗って、導いてもらったのはありがたかった。この関係は崩したくないし、これからも教えてもらいたいことはいろいろある」
「私でよろしければ、喜んで」そう言ってから、カレンは付け加えた。「私にも兄はいるけど、弟はいない。だから、そんなに姉らしく振る舞えたとは思えないですけど。それに……」まだ何か言いたそうな目で下から見上げてくる。
「そうだね」ぼくは彼女の言いたいことを理解した。「全てが以前のように、とは行かないだろう」
 左手を掲げて見せる。
 人の手から竜の鱗を発現させる。
「ぼくは変わってしまった。君の手でね」そうして、《闇の左手》を彼女にそっと差し伸べた。
 カレンは白い籠手の付いた両手で、差し出しされた鱗手を包み込んでから、一瞬の逡巡(ためらい)の後で(うやうや)しく口づけする。騎士が敬愛の印でそうするように。
 ぼくは彼女の敬愛をしばし受け止める時間を堪能すると、その手をつかみ、体ごと引き寄せた。
 近づいた頬を竜手で撫でる。
 凛とした騎士の顔つきが和らぎ、陶酔した女性のそれに移り変わるのが分かる。
 青い瞳が細められ、トロイメライに憑依されたときのような(かげ)りを帯びる。
 しかし、トロイメライの気配はない。
 この表情は、カレン本人の物なのだ。
 以前、催眠術師か占い師の真似事をして、カレンの瞳の奥にあるものが見えないか、と覗き込んだことがある。その時は、よく分からなかったカレンの内面が、今は手に取るように分かる。
 ぼくは、彼女の頬に当てた左手から《闇の気》を送ってみた。
「あ……」カレンの目が見開かれる。その瞳は、前夜と同様、闇の色に染まっていた。
 ぼくの《闇》に反応して、内面に秘めていた《闇》が活性化したのだ。
 緑色の星輝石も影響され、暗緑色に染まっていく。本来、星輝石は《闇》に激しく反発してしかるべきなのだけど、カレンの石は何の抵抗も示さない。それは星輝石に擬装しただけで、本質はライゼルと同じ醒魔石と化していたからだ。
「そ、そんな……また……」
 カレンが喘ぎ声をもらしたのを確認すると、ぼくは左手を彼女から離した。
 ぐらついた体を右手で支えると、彼女の高まった《闇の気》を、ぼくが本来持つ力で吸収してやる。
「夜が明けた」ぼくはそう言い放った。「闇の時間は終わりだ。君もそろそろ自分の部屋に戻るといい」
 陶酔から無理に醒まされたカレンは、恨みがましい目でぼくを睨んだ。
 闇は晴れ、青い瞳に戻っているけれど、内心の動揺と激情はありありと感じられる。
「ひどい……ことを……するのね」ハアハアと息を荒げながら、何とか言葉に出す。
 ぼくは、いかにも申し訳なさそうな表情を浮かべた。「自分の力がどれほどか確認してみたんだけど……今のが限界だったようだ。昨夜だけでも、相当、力を使ったからね」
 カレンの目つきが和らいで、ぼくの表情を映し出す。
「た、確かに、リオ様……いいえ、カートは疲れているみたいね。気遣いできなくて、ごめんなさい」たどたどしい言葉遣いの奥にも、自分を見失いかけたことへの後悔と、謝罪の気持ちがはっきり表れていた。
 ぼくの嘘に、容易(たやす)く騙されるワルキューレを(いと)しく感じる。
 相手の気を引いてみせて、相手が食いつきかけたところで、かわしてみせる。駆け引きの練習としては上々だ。
 トロイメライと違って、カレンの心は無防備で、ちょっとした手管で簡単に反応してくれる。手頃な練習相手と言えるだろう。
 もちろん、相手の欲求はうまく満たしてやらないといけない。
「続きは今夜また……で、どうかな?」少年らしい純真さを示して、おずおずと尋ねてみる。王の命令ではなく、あくまで、相手の意思に委ねるように。
「……」カレンはすぐに応えなかった。
 イエスかノーかを迷っているのではない。
 答えはイエス、と決まっている。
 ただ、イエスを表明する方法を選んでいるのだ。
『仕方ないわね』と、姉らしい気取りで、望まぬことをやむなく応じるように振る舞うか、
『はい、喜んで』と、無邪気で素直な少女らしく、願いがかなうことを嬉しがるのか。
 カレンなりに駆け引きを算段していることが読みとれ、ぼくは内心、笑みを浮かべた。相手に対して、駆け引きを試みること自体、相手を尊重していることを意味する。意にかけない相手に策を講じるようなことはしない。
 やがて、カレンは結論を出して答えた。
「御意のままに」
 無難だけど、つまらないセリフだ。
 内心が読めていなければ、儀礼的すぎて、カレンの真意が分からないままだったろう。
 まだ、ありのままの自分をさらけ出すのを、渋っている。《暗黒の王》に覚醒したカートをどこまで信用していいのか、迷っているのかもしれない。
 急ぐことはない、と、ぼくは性急になりがちな自分を諌めた。
 心の絆を構築する時間は、まだ十分にある。
 夜は明けたが、またやってくる。
 そして、昼のうちにしておきたいこともある。
「ジルファーに伝えてくれ。カートが目覚めたって。午後から、いろいろ話したいこともあるし。眠っている間に何があったか、じっくり確認しないと」
「今、報告しましょうか?」カレンが事務的な口調で尋ねた。
 ぼくはかぶりを振った。「《闇》の視点以外の話も聞いておきたい。状況判断はあくまで、多面的な情報を手に入れてからだ」それから付け加える。「今なら、《闇》の話はいつでも聞けるからね。君からも、トロイメライからも」
「分かりました」カレンはうなずいた。それから、おずおずと付け加える。「くれぐれも、《闇》のことが悟られないようにお願いしますね」
「バトーツァじゃないんだ。そんなヘマはしない」
 カレンはその言葉にクスリと笑った。「そうですわね」

 そうして、カレンは部屋を出た。
 星輝士の装いのまま、ずたずたに引き裂かれた白ローブの残骸を抱きかかえて。
 その衣服の用を為さなくなった布切れこそが、前夜の荒々しい交合の物証(あかし)であった。
 カレンの体を傷つけたりはしなかったろうか、と後から気になってくる。
 そして、同時に気にしたことが一つ。
 自室に戻る途中で、星輝士姿のカレンが誰かに見咎められたりはしないだろうか? 
 ヘマをしかねないのは、バトーツァだけじゃない。
 カレンがドジらないことを、ぼくは神に祈った。
 星王神ではなく、将来の暗黒の神となるべきトロイメライに。


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