SFメカ別館 スパロボ雑記 本文へジャンプ
TOPページプチ創作
前ページへ次ページへ

プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−2)


 
4ー2章 ファフニール・フェイト

『拝啓ジルファー・パーサニア様』
『先夜は、ライゼルとの戦い、お疲れさまでした。いろいろ考えることはあったけれど、彼も最後は満足して去って行ったようです。自分を殺したことを悔やむな、と言ってました。腹を割って話してみると、戦士として、一人の男として見習うところも多く、惜しい人間を亡くしたと思いますが、ぼくたちは過ぎたことよりも、未来のことを考えないといけません』
『今後を考えるに当たって、一つ大きな懸念があります。それは《闇》、邪霊にまつわることです。ライゼルもぼくに警告してくれましたし、ぼく自身もいろいろ見聞きし、感じたことがあります。自分でもあいまいな感覚で、口頭で伝えようとしても、しどろもどろになりそうです。たぶん、信用してもらえないんじゃないかな、と思います。ただ、ジルファーなら、ぼくの書いたものを読むことで、ぼくの感じ方を体感できるんじゃないか、そう思って、ひとまずは書面に託したいと思います』

 自分の書いた手紙を読み返して、何だか遠い昔のような懐かしさを覚える。
 これを書いたのは、前夜のことなのに。
 このときのカートは何も分かっていなかった。
 《闇》に対する漠然とした不安を、ジルファーに打ち明けることで、解決できると無邪気に考えていた。
 けれども、ぼくは変わってしまった。
 あれだけ嫌悪していた《闇》を受け入れ、進んでトロイメライの計画に加担しようとしている。
 ジルファーがこの書きかけの手紙を読めば、何を感じるだろうか?
 彼は文字情報から、その背景の真実を聞き取ることができる、と言う。記述者の残した思いが語りかけてくるそうだ。
 この手紙の伝える真実は一体、何だろう?
 昨夜のカートの気持ちなら、あまり心配することはない。《闇》については、何も書いていないに等しいのだから。
 もちろん、トロイメライとの接触や、ライゼルから聞いた話などは伝わってしまうかもしれない。その場合、ジルファーはぼくの不安定な内面を心配して、あれこれ問い掛けてくるだろう。ぼくは、当たり障りのない回答をしながら、ジルファーの疑惑をそらせばいい。
 問題は、この手紙の文字が《暗黒の王》の内面までも反映してしまっている場合。ジルファーの能力が、記述者のその後の気持ちの変化までフォローするようなら、これを読まれることは致命的な失策となるだろう。
 だから……

 竜麟の左手の上で、書きかけの手紙は真っ赤な炎を上げた。
 たちまち消し炭と化し、この世から消失した物的証拠。
 まるで、それまでの自分自身を焼き尽くしたような思いで、ぼくはため息をついた。
 そう、惜しい人間を亡くしたとしても、ぼくたちは過ぎたことより、未来のことを考えないといけない。
 たとえ、それがどれほど運命に翻弄された暗い道であろうと。
 運命を打ち破る夜明けを求めて。

 扉の外に気配を感じた。
 スッと音もなく開き、黒い影が入ってくるのを、ぼくは見つめた。
『ククク、ラーリオス様。ごきげんよう』
 バトーツァが口にする言葉を、同時にそっくり重ねる。
 直後に、神官の目がぎょっと見開かれるのを見て、ぼくは笑みをこぼした。
「やあ、バトーツァ。いつも変わらぬあいさつ、ご苦労。その黒ローブと同様、そろそろ変えてみようとは思わないのかな」
「ラ、ラーリオス様。いいえ、《暗黒の王》でございますか。物事には作法というものがありまして、私の黒ローブと含み笑いは、いわばバトーツァのバトーツァたる象徴。そう簡単に変えてしまうと、秩序というものが乱れてしまい、世界が取り返しのつかない混迷状態に……」
 何て自意識過剰な言い草だ。
 この男の思考をさらりと精査すると、冗談ではなく、本気でそう考えていることが分かった。
「ぼくは変わったよ。これで世界も変わるかな」
 相手の過剰な自意識に合わせるような言葉を口にする。
「混迷状態ではなく、新しい秩序の建設を望みます」バトーツァの目は、ぼくをじろじろ見つめ、内なる猜疑心をありありと(かも)し出していた。
 不意に神官の鼻がひくつき、部屋の匂いを嗅ぐ仕草をする。「ふむ、何かを燃やした臭いがしますな」
「ああ、ちょっと、昨夜の手紙をね。我らの計画の妨げになってはいけないから」
「我らの計画……ですと?」
 ぼくはうなずいた。「そうとも。我らが師トロイメライから話は聞いた。星王神になり代わり、新たな時代の神を目指すということでいいのだな、神官殿」
「……本当に、《暗黒の王》に覚醒されたのですな。演技ではなしに」
「演技かどうか、君はその道のプロだろう、バトーツァ?」
「ええ、もちろんでございます」神官はうなずいた。
「それなら、簡単に見分けられるはずだ。それに……」ぼくは、竜麟の《闇の左手》を目の前に上げて拳を開閉してみせた。
「君の成果のこの手だが、実によく馴染んでいるよ。感謝する」
 それから爪と鱗を収め、人本来の姿に戻す。「日常生活にも支障はない」
「それは幸いです。ご意見すれば、手首にはまだ包帯をつけたままにしておく方がよろしいか、と」
 ぼくは、バトーツァの脳裏を読みとった。
「確かにな。切断された手がこうも簡単に回復すると、いらぬ憶測を呼ぶことになるか。手首に包帯を巻いて、あくまで接合中と言うことにする。リハビリも必要という形にした方が、周囲も納得するだろう」
「さすがです。嘘をつくなら、相手が納得しやすい形にする方がよろしいですからな。たとえ真実でも、相手が受け入れ難い内容では信じてもらえません」
「……つまり、ぼくが《暗黒の王》になったという真実は、まだ受け入れ難いということだな」
「い、いいえ、決してそのような意味では……」
「隠しても分かる」ぼくは相手の小柄な体を見下ろした。「君はある意味、裏表のない男だからな。演技は巧みだが、自己のポリシーは貫き通し、流儀を崩すことはない。それが長所でもあり、短所でもある。だが、一度、信用を得られれば、忠義を尽くして惜しまない……といったところか」
「《暗黒の王》は心理分析をされるのですか?」
「学問的な裏づけはないがな」ぼくは苦笑した。「今のはただの思いつきだ。だが、そう外してもいないだろう」それから付け加える。「その《暗黒の王》という呼称だが、正式には《黒き太陽王》(ブラックサン)ということにして欲しい」
「御意のままに」バトーツァは深々と頭を下げる。
「それで何の用だ?」
 改めて、用向きを尋ねた。
「ハッ、昨夜のスープ鍋をお下げしようと思いまして」
 ああ、そういうことか。
 ぼくはスープの入った鍋を見つめた。
 意外と美味しかったバトーツァの味付けを思い出す。
 その途端、グーッと腹の虫が鳴って、それまで保ってきた威厳を根底から覆した。
「……王だって、腹は減る」
「そのようでございますな」顔にこそ出さないが、バトーツァの内心のニヤニヤ笑いに苛立ちを覚える。
 だけど、そうした気持ちは、神官が「こんなこともあろうかと」と言いながら懐から取り出した紙袋を見るや、一転した。
 大手ファーストフードのロゴの入ったテイクアウト用の袋。
 ハンバーガーとポテトの匂いが嗅覚を刺激し、唾液がこみ上げてくる。
 王を演じるのに夢中で、現実の食べ物の存在に気付かなかったなんて。
 カート・オリバー失格だ。
「久しぶりに転送円の動作テストをするついでに、ラーリオス様のご実家のあるモンタナまで足を伸ばしたわけです。そこで、懐かしい味はどうかと思いまして、買ってきた次第。さあ、召し上がれ」
「バトーツァ、君は最高だ」
 ぼくは演技を忘れ、腹を減らしたティーンエイジャーの欲望のままに、モンタナ・バイソン・バーガーにむさぼり付いた。

 人間、腹が減ると、思考回路がおかしくなる。
 全てが陰鬱に感じられたのが、急に現実感覚を取り戻したように思える。
 バトーツァに見守られながら、ぼくはバイソン・バーガーの味をたっぷり堪能した。
 飼い慣らされた牛肉(ビーフ)ではなく、野生の雄牛(バイソン)の肉に、失った精力を取り戻した気持ちになって舌鼓(したつづみ)を打つ。
 たちまち3つを平らげ、シェイクで喉を潤し、ポテトをつまみながら、油で汚れた指先をなめる至福の時間。
「さすがはラーリオス様。豪快な食べっぷりでしたな」食べ終わると、バトーツァが追従の言葉を口にした。
「その健啖さは、もはや私ごときでは真似しようもございません……って、どうなされました? 涙などお流しになって」
 そう、ぼくは失った何かが蘇ったからか、感情を抑えられなくなっていた。
「うん、ゴメンね、バトーツァさん」ぼくは目をこすりながら、この影の神官に急に懺悔をしたい気持ちに駆られた。
「前にあなたを牢に入れるように仕向けたこと。本当に申し訳ないことをしたと思っている。あなたがこんなにいい人だと知っていたら、ぼくは決して……」
「やれやれ。ラーリオス様は、いささか情緒不安定気味のようですな」バトーツァがため息混じりに言った。「もう少し落ち着けるよう、気付け薬など用意しましょうか? あるいは葡萄酒(ワイン)など……と、おっと酒はまだ飲めないのでしたか」
「いや、葡萄酒(ワイン)でいい。法律なんて知るものか。すぐに用意して」
「我が祖国イタリアでは、16歳以上で飲酒が許されますよ。アメリカでは、法律が厳しいようですが、国外では気にする必要はございません」
「本当に?」
「嘘などついてどうしますか。少々お待ちくださいませ。葡萄酒(ワイン)なら、確かあの棚の上にお勧めが……それッ! ほッ、ハッ!」
 どういう技を使ったのか、黒ローブの懐から、1本の(ボトル)と、次いでグラスが2つ取り出された。まるで、手品師のような芸当に感心する。
「便利な技だね」
「術士にとっては、ただの基本技(キャントリップ)ですよ。さあ、どうぞ」グラスを手渡され、次いで、瓶から赤い液体が注がれる。「コッリーネ・ピサーネ。トスカーナ州はキャンティ地方産の赤ワインです。軽めで柔らかい味わいなので、初心者にもお勧めですな。私はアルコールを口にしませんので、残念ながらご相伴はできませんが。お飲みになって、ご不満があるようでしたら、遠慮なくどうぞ。別の銘柄を取り寄せますので」
 思わぬ親切を受けて、ぼくは感謝の気持ちでうんうんうなずいた。
「それでは《暗黒の王》、いや、《黒き太陽王》でしたか……の覚醒を祝って乾杯!」バトーツァも形だけグラスを持って、ぼくのとかち合わせた。「おっと、一気にではなく、じっくり味わいながら、ちびちびとお飲み下さいませ」
 神官の助言に従い、ぼくは生まれて初めての飲酒経験をした。赤い血のような液体は、ほろ苦くて甘い。何だか薬のようで、がぶ飲みするようなものではないけれど、それを飲んだことで心と体が癒されるような充実感を覚える。
「古来、ワインとパンは聖人の血肉にたとえられますが、美味い食事を共に重ねることで、我々は神の恵みと、共同体の一員としての一体感を得られると思うのですが、いかがですかな?」
 椅子に腰かけたバトーツァがいかにも聖職者らしい言葉を述べて、対面したぼくはうんうんと素直にうなずいた。
 満腹とほろ酔い気分が思考回路を刺激したのか、ここぞとばかり、いろいろ質問をしたくなる。
「あなたの信仰は、もちろん星王神ではなく、トロイメライに向けられるもの……だよね」
「ええ、トロイメライこそ、我が師にて、将来の女神。その崇高な計画のためなら、このバトーツァ、身を骨にして働く所存ですとも」
 この神官を初めて羨ましいと思った。
 信仰のことはよく分からないけど、敬愛するもののために自分を投げ出し、惜しむことのない忠誠心を抱けるというのは、ある意味、幸せと言えるのだろう。
 ぼくは、スーザンのために戦おうとしていた自分の一途さを、懐かしく思い起こした。
「あのう、こんなことを聞くと失礼かもしれないけど、トロイメライが自分を裏切ったら、とか、そういうことは考えたりしないのかな」
 バトーツァは激怒するかと思ったけれど、意外にも、ぼくの質問を受け止め、深々とうなずいた。「相手が自分を裏切ることよりも、弱い自分が愛や信仰を裏切ったら、と思う方が恐ろしいですな」
「どういうこと?」ぼくは相手の心を読むことよりも、相手の言葉の方を聞きたくて質問した。
「愛や信仰は、相手からの見返りを求めるのではなく、自分自身を律し、生き方を支え、強くしてくれる原動力だと考えます。相手が裏切ったら、と疑心暗鬼に駆られ、自らの生き様を見失ってしまうのは、愚かであり、悲しいことだと思いますな」
 バトーツァは、ぼくの心が読めるのか? 
 一瞬、そう思ったけれど、すぐに違うと分かった。神官は、ぼくの質問に応じて、率直に自分の信念を語っているのだ。
「もちろん、信仰者にとって神に見捨てられることほど恐ろしいものはない。私めにとって最大の信仰の危機はと言えば、そうですな……あなた様に疑われ、裁きにかけられた時かもしれませぬ。あなたの訴えは失礼ながら、最初は感情的で脈絡を得ないものでしたから、たやすく切り抜けられると思っていた。ですが、途中から巧みな話術というか、詭弁を弄するようになって、パーサニア殿を丸め込むことに成功しそうになった」
 ぼくは、バトーツァを追い詰めた尋問のことを思い出した。
 神官は人聞きが悪い言い回しを使っているけど、確かに彼の視点ではそういう見方になるのか、と納得する。
「どうやら、星輝石が良くも悪くも、あなたに知恵を授けてくれることに、その時は気付きませんでした。我が師からは、あなたが近い将来《暗黒の王》に覚醒するという話を聞いていたものの、正直、本気にはしておらず、油断ゆえの不始末だったと後悔しました。自己の能力を過信していたのやもしれませぬな」
 神官の言葉が、時々あてこするように聞こえるのは、気のせいだろうか。
 バトーツァは意に介さず、話を続けた。
「我が師の名前を出されたときは、さすがに動揺しました。下手をすれば、私だけでなく、師の計画の全貌までさらけ出されることになる。それだけは避けねば、と考えていた矢先、師が助け舟を出して、私を励ましてくれたのです」
 ぼくは、その時のことを思い出し、神官の心から何を伝えようとしているのか、読みとった。
『裏切り者には死あるのみ、ですわね』と、カレンさんは言っていたけど、それは彼女の身に入ったトロイメライの言葉だったのか。バトーツァの裏切りを封じるとともに、状況を見守っていることを神官にアピールした、とも言える。
「あの時、ワルキューレ殿の口を通じて、師が警告してくれなければ、私は追いつめられて自白していたかもしれません。師の言葉があればこそ、私は覚悟を決め、自分を励まし、裏切り者にならずに済んだのです。そうして、私は師のおかげで殺されずに済み、投獄されるだけで事態は収まりました。牢屋の中でも師は時おり励ましに来て、いずれ状況が変わるから耐えて待つように、と言われたのです。結果は……現状の通り、ということですな」
 なるほど、まんまとしてやられた、と言うわけか。
 ぼくは自分が経験したことの裏に潜む背景事情を知って、得心がいくとともに、トロイメライに対して改めて感服した。
「あなたがトロイメライに心酔する理由が分かったような気がする。たとえ、星輝石で能力が増幅されていたとしても、ぼくごときの浅知恵では太刀打ちできるはずがなかったんだな」
「そのことに気付かれただけでも、話をした甲斐があったというもの。私めも聖職者らしい仕事ができて、嬉しい限りです」
「ついでに、もう一つ聞きたいんだけど」と前置きしてから、「あなたにとって、星王神はどうしていけないのかな? トロイメライの個人的事情は分かったけれど、どうも私怨と大義をいっしょにしているような気もする。ぼくは星王神のことがよく分からないし、背景の……ええと、恋愛話以外の視点から意見を聞きたいわけで」
「……なかなか難しい質問ですな」バトーツァが、特徴的な顎鬚(あごひげ)を撫でる仕草をした。「トロイメライ様が正しいから、それに対する星王神がダメ……という単純な答えでは、納得されないでしょうし」
 ぼくはうなずいた。「それじゃ、ただの盲信だ」
「聖職者相手に、それは手厳しい言葉だ」バトーツァは苦笑を浮かべた。「信仰とは、しょせん個人の心の領域ですからな。盲信であっても、その人間が心穏やかに過ごせ、確たる生きる基盤を得られ、周囲を脅かすことのない幸福を得られるなら、それで構わないと考えます。そのための選択肢が一つだけですと、相容れない者にとっては生きることが難しいでしょうが」
 遠回しのように見えて、神官はある答えを示していた。
「星王神は、たった一つの選択肢しか示さない偏狭な神、ということかな」
「厳密には、当代の星王神がそうなってしまった、と言えましょうか。全ては500年前の星輝戦争の結果ゆえに」
「トロイメライが、邪霊として放逐された件だね」
「そこまで、お聞き及びだと話が早い。ゾディアックの信仰は、星王神と星霊皇の二王並立(ツートップ)体制で長年、続いてきた。人の世界の代表たる星霊皇と、霊の世界の代表たる星王神の意思が世界の姿に影響し、大枠を決めてきた。ゾディアックの根底には、人と神、神と諸霊たち、そして人間社会と意思の疎通を密に行なってきた経緯があります。この意思の疎通が滞りなく行なわれば、仮に一時的に問題が生じたとしても、長い目で見れば収まるところに収まる、それが部族社会に端を発するゾディアックの本来目指すべき理想です」
 そこで、一度、言葉を止めてから、神官はぼくの反応を見た。
 ぼくはうなずいて、続きを促した。
 バトーツァは大きく息をつぐと、話を再開した。
「しかし、当代星霊皇がパートナーであるべきトロイメライ様を拒絶したことで、神と人の権能がたった一人に集約され、いわば独裁とも言うべき閉鎖体制が始まってしまった。これで星霊皇が凡人であれば、そのような無理が続くはずもないものの、なまじ彼が非常に才能豊かであればこそ、無理が通ってしまったわけですな。恐るべきは、かつてのラーリオス様と言うべきでしょうか」
 バトーツァは、じろじろとぼくを見た。「私の目には、今のラーリオス様も才能に溺れて孤立してしまえば、同じ結果になりかねないと危惧するのですが」
「ぼくが?」自分が星霊皇と同じ道を歩んでいるなんて、思いもしなかった。「ちょっと待ってよ。星霊皇は《闇》を嫌悪して、《光》の道を歩んだ人でしょう? ぼくは……《暗黒の王》だ。真逆じゃないか」
「《光》や《闇》といったレッテルなど、どうでもいいのですよ」バトーツァは静かに諌めるように言った。
「本質的なことは、何を力の源にするかではなく、その力を行使するに当たって、自己をコントロールできるか。仮に力に溺れて暴走しかけたとしても、それを諌める他の存在との意思の疎通をないがしろにしないか。そこだと考えます。あなた様が《暗黒の王》として手に入れた力に酔いしれ、全てを自分の意思でどうとでもできる、自分が一人で世界を操作できるという思い込みに駆られたなら……それは今の星霊皇と何ら変わりない暴君だと断言できます」

 これまで見下していた影の神官に、このような真っ当な説教を受けるとは思っていなかった。ぼくは目から鱗が落ちた気分で、神官を見つめた。
「さて、話が長引きましたが、私の方もラーリオス様に質問がございます。よろしいでしょうか?」
「何?」
「昨夜のワルキューレ殿の感じはいかがでしたか?」
「ちょ、ちょっと……」固い話が急に切り替わって、ぼくは慌てた。
「おや、あの後は楽しまれたと思ったのですが、何事もなかったのですか?」
 バトーツァの目が、急に(よこし)まな輝きをたたえたように見える。
「《暗黒の王》の初夜の経験など、後学のために聞ければ、と思ったのですが」
「あなたには……」関係ない、と言いかけて、先ほどの神官の言葉を思い出す。意思の疎通が大事だってことは、拒絶を封じられたようなものだ。
「うう、話すことなど何もない」かろうじて、そう答える。嘘ではない。だって、覚えていないんだから。
「そうですか。私には話せないのですか……」目に見えて落ち込むバトーツァ。
 いや、あなた相手に話せないのではなくて、話す内容がないってことなんだけど。
 こちらの意図を正確に伝えるには、どう説明したらいいか分からなくなった。
 やむなく話をそらすことにする。「そんなにカレンのことが気になるの?」
「もちろんですよ」バトーツァは断言した。「あの小生意気なワルキューレが、ベッドでどれだけ乱れるか、という話を知っていれば、いろいろと牽制の材料に使えそうですからな」
「牽制って何? 好きとか、そういうことじゃないの?」自分がカレンの肉体に知らずに憑依してしまったとき、この神官は確か好色そうな瞳を見せていたはずだけど。
「好きなどとはとんでもない。誰がそのような根も葉もない噂を……」
 いや、噂なんてないけど、ぼくがそう思い込んだだけで。
「もちろん、ワルキューレ殿の見かけが美しいことは認めます。あの白銀の鎧を黒く染めることができれば、と妄想したこともございますが、人間は中身が大事ですからな。中身があのように腹黒くて不安定な女は、信用なりません。あの娘の過去なんかも、私には荷が重過ぎます。ラーリオス様も、あの女の扱いにはご注意下さいませ」
 ここはうなずいたらいいのか、反論したらいいのか分からなかったので、力なく苦笑いを浮かべるだけにした。
「強いて言えば、中身が我が師で、肉体だけがワルキューレの状態なら、それがベストですが……くれぐれも師には内緒ですぞ。こちらの趣味を疑われますからな」
 いや、もう疑われているんじゃないかな。
「そもそも、私は生きた女性が苦手なのです。俗に言いますからな、『良い女性とは、死んだ女性だけだ』って」
「そんなこと言わないって」さすがに口をはさんだ。「それじゃ、女性とインディアンに失礼だ」
「おっと、これは口が滑りました。要は、私の趣味を口にしたまでで」
 死んだ女性……ああ、だからトロイメライか。思わず納得する。
「すると、幽霊とか、ゾンビとか、吸血鬼とかが趣味?」
「そのとおりでございます」
「まさか、女性を殺して、死体にして()でたり、とかは?」
「……さすがに、それをするのは良心が(とが)めますな。見て愛でることと、自分の手を汚すことは別物ですよ。私の美学に反します。私の夢を一言で申せば、亡者と化した女性に仕え、立派な執事役を務め上げ、亡者として昇格することですから。他者を傷つけ殺害することは、趣味には反する次第で」
 先ほどまで尊敬していた神官殿への視線が、またも反転しそうになった。
 バトーツァは、確かに気遣いのできる人間で、その信念も一本、筋が通っている。だけど、その趣味を全て理解し、受け止めることなんてできない。
 それでも、バトーツァの全てを毛嫌いすることも間違っている、と今では考える。
 100パーセント良い人間も、100パーセント悪い人間もいないのだろう、と思えば、ある人間をたった一つの面を見ただけで理解しきったように考えるのも、早計なんだろう。
 そして、人にはたいてい、表に見せていい部分と、裏に潜めて見せたくない部分がある。そういうことを斟酌(しんしゃく)せずに、相手の全てを知りたいと思ってのぞき見ることや、自分の全てをさらけ出すことが、いかに品がないか感じるようになった。
 力を得て何でもできるからって、自分なりの規範を立てずに望みのままに振る舞ってしまえば、それはやっぱり獣であり、暴君なんだろうな。
 そんなやり方じゃ、王である前に、人間として失格だ。

 ふと思い出して、尋ねた。
「サミィのことはどうなってるの?」
「サミィとは?」バトーツァは首をかしげた。何で分からないんだ?
「サマンサ・マロリィのことだよ」
「ああ、セイレーン殿ですか。彼女は、《炎の星輝石》と月陣営への状況報告書を持たせて、転送円で帰しました。レギン殿の死について、ややこしい責任問題に発展しなければよろしいですが」
「彼女は《闇》じゃないんだよね」
「ええ、今はまだ」
「どうして、すぐに引き込まないんだよ」
 そう口にしてしまってから、自分の思いがけない言葉に気付いて愕然とする。
 いつの間にか、人を《闇》に引き込むことが当然のように思っているなんて。
「物事には順番というものがございます。まずは、ラーリオス様、あなたの問題を先に解決する必要がありました。あなた様が《暗黒の王》として目覚め、《太陽の星輝石》の力を身に宿す儀式を終えてから、他の星輝士を引き込む手筈になっています」
「カレンや、ライゼルはどうなんだ」
「ワルキューレ殿は以前から《闇》の同士です。レギン殿の方はうまく行くかと思いきや、想定外の暴走を引き起こしましたからな。事は慎重にいたしませんと」
 ライゼルは去る間際に、《闇》に抵抗して自分を取り戻した。彼の警告は、結局、ぼくが《闇》に引き込まれたことで無駄になった。
 今、ここにライゼルがいたら、何と言うだろう?
 理解してくれるだろうか、それとも心の弱さを嘲るだろうか? 
 今からでも、ぼくは《闇》に抵抗して戦うべきなのだろうか? 
 けれど、戦うとしても何のために? 
 あるいは、誰のために? 

 バトーツァは辞去する前に、さらに一つ忠告してくれた。
「いろいろと臭いますからな。シャワーでも浴びて、身だしなみを整えた方がよろしいか、と」
 もっともな意見だと思ったので、迷いなく従った。しばらく風呂には入ってなかったし、いろいろとこびりついた垢や臭いだってある。伸びてきた髭だって剃りたいし、何よりも汗を流して、さっぱりしたい気分だった。
 自分の臭いは自分ではなかなか気付かない。汚れて汗臭い体で、カレンを抱いたりしたことにも、後悔を覚える。
 そして陰鬱な気分も洗い流してきた帰りの通路で、再びバトーツァと遭遇するとは思わなかった。
「ラーリオス様」例の含み笑いは抜きにして、陽気なステップを踏むように、黒ローブの神官が駆け寄って来る。「ちょうど良かった。今、お部屋に向かおうとしたのですが」
 嘘だ。どういうわけか廊下のこの場所で待っていたらしい。
 神官の顔を見て陰鬱な気分が蘇ってきたけれど、それほど不快でないのは馴染んだからか。
「贈り物でございます」そう言って神官が差し出したのは、左手用の手袋だった。
 ゴシック調の優美かつ繊細な形の、黒い手袋。彼の趣味が明らかに反映されたデザインだ。
「これは?」
「先ほどのお話の途中で気になったのですが、時おり、その左手からちらほらと竜の鱗が明滅する感じでして」
 ああ、無意識ながら読心術を使っていたのかも。自分では気付かなかった。
 神官殿に指摘されなければ、危うくヘマをするところだった。
 赤竜の鱗に包まれた左手を見たら、ジルファーはどんな反応をするだろうか? 
 ぼくはバトーツァの差し出した手袋を装着した。「うん、なかなかいい感じだ」
「そうでしょうとも。治癒の効果を高めるサポーターということにでもしておけば、問題もありますまい」
「相変わらず、気が利く男だ」そう誉め言葉を口にすると、
「お誉めに預かり、恐悦至極」と仰々しい辞儀をする。
 これも馴染み深い定番の反応に感じられた。
「お気持ちの方はずいぶん落ち着かれたようですな」バトーツァが囁くように指摘する。
「ああ、おかげさまでね。世話をかけた」ぼくはそう言って微笑をこぼした。

 部屋に戻ると、衣装入れに取り付けられた姿見をながめて、櫛で髪をとかす。
 以前、リメルガに『ライオンの頭のようにぼさぼさ』と言われた髪形を、ヘアスプレーでオールバックに固める。
 そして、瞳の色をチェックし、本来の琥珀色をしたアーモンド型になっていることを確認した。夢でイメージした黒玉と黄金の瞳が定着していなくて、ホッとする。鏡を見るたびに、自分の変貌を突きつけられるのは精神衛生上良くない。
 痩せて翳りを帯びた顔つきは、先夜に見たとおりだけど、それによって目つきもずいぶんと悪く見えるのは、どうかと思う。これで、黒い背広を着ればマフィアの用心棒だし、タキシードとマントを付ければ恰幅のいいドラキュラだ。
 それなのに身に付けているのは、ラフなシャツとジーンズ。大人と子どもが入り混じった外見に苦笑する。
 心境の変化に応じて、服装の好みまでが大きく変わったようで、身に付けた衣装のうち、一番のお気に入りが左手のゴシック風手袋というのが、自分でも意外だった。
 黒のマントかロングコートが欲しいとも思ったし、今度、バトーツァにコーディネートを頼もうか、という気にもなった。
 さぞかし、《暗黒の王》にふさわしいファッションになるだろうな。
 だけど、その衣装のままモンタナに帰ったりしたら、場違いなことこの上ない。
 そう言えば、モンタナのファーストフード店でハンバーガーを買ったバトーツァは、自分のポリシー通り、黒ローブのままだったんだろうか。
 カウンターの前で黒ローブ姿の陰気な男が、「ククク、モンタナ・バイソン・バーガーを3つと、ポテト、それからヨーグルトシェイクをLサイズでお願いします」と注文している姿を想像して、思わずニヤニヤ笑いがこみ上げてくる。
 少なくとも素朴な田舎の町では、黒ローブの怪人が出現しただけで、秩序というものが乱れてしまい、取り返しのつかない混迷状態が発生したんじゃないかな。

 扉を開けて、痩せた男が入ってきたとき、またもやバトーツァかと思った。
 髭は生やしておらず、特徴的な紫のスーツからジルファーだと分かったけれど、最初に見た顔つきは、ゲッソリと頬がこけ、いかにもやつれた感じだった。
「ジルファー、大丈夫ですか?」こちらの第一声は、相手を気遣う言葉だった。
 さすがに足取りはしっかりしているみたいだったけど、ぼくはすぐに椅子を用意してあげるべく動いた。
 思わず左手で椅子をつかもうとして、例の手袋を見て気が付く。
 少し痛そうに顔をしかめると、右手で手袋を押さえて、さするように動かす。
 それから改めて、健在な右手で椅子を用意した。
「お前こそ大丈夫か、カート?」
「ええ、カレン……さんと、それからバト……バァトスのおかげで、何とか左手はつながりました。まだ神経が回復しきれてなくて、少しリハビリが必要みたいですけどね」
 心配してくれる相手を騙すのに少し心が痛んだけれど、ただそれだけのこと。仮病で授業を休むような不良連中に比べれば、ずっとかわいい嘘だ。
「そうか。何とか治るんだな。カレンから話を聞いただけでは、まだ信じられなかったが、これで一つ安心した。愚弟が迷惑をかけて、悪かったな」
「いいえ、そんなこと。ライゼルとの戦いでは、いろいろ勉強になりました」
「ああ、授業料は高くついたがな」そう言って、ようやくジルファーは用意した椅子に腰を下ろした。馴染みのある気取った座り方ではなく、力なくへたり込むような感じ。「情けない話だよ。あの戦いで消耗した力がいまだに回復しないとは」
 端正な顔立ちに疲れをにじませながら、自嘲気味に漏らす。
「見てろ」いつかのように右手の人差し指を一本立てて見せると、指先に《氷の気》を集めて……ただそれだけだった。集まった《気》は固まることなく、そこに数瞬、(とどこお)ってから四散する。
「君に出した課題、氷のグラスを作ることすら、できなくなっている」
「そんな……元に戻るんでしょ?」ぼくは《暗黒の王》であることを忘れた。
 以前のカート・オリバーと変わらない心配の気持ちが自然と言葉に出たのだ。
 ジルファーの変わりようを見て、自分を取り戻すなんて。
 実に皮肉なものだ、と一人ごちる。
「私には休息が必要だ、カート」ぼくの内心に関わらず、ジルファーは話を続けた。「だから、君の教師の任務はこれで終わりだ。後のことは、バトーツァに任せておいた」
「ちょ、ちょっと待ってください。バトーツァって、その……」まさか、ジルファーがバトーツァに後を委ねるなんて……もしかして、ジルファーも《闇》に引き込まれた? 
 ぼくは一瞬、右手で目を覆うフリをして瞳の色を変えながら、ジルファーの中に《闇の気》がないか探ってみた。
 しかし反応なし。
 姿見をちらっと見つめて、瞳の色が元に戻っているのを確認してから、覆っていた手を取り除く。
 ぼくの動きを気にかけることなく、ジルファーは話を続けた。
「あの男の今回の働きで、我々の間の長い確執も水に流すことになったんだ。思えば、私もつまらない意地を張ったものだよ。少し歩み寄って、あの男と交流を図っていれば良かったんだが。自分の感情よりも、大切なのは真実を知ることなのにな。あの男の持つ邪霊の情報を、もっと早く知っていれば、ライゼルを死なさずに済んだかもしれない……」
 その言葉には、悔いる気持ちがありありと表れていた。
「ライゼルは……自分を殺したことを悔やむな、と言っていましたよ」ぼくは、思わずそう告げた。「他にもいくつか伝言がある。ええと、『精一杯戦って満足して去った』とか『供養がしたいなら、勇者ライゼルの英雄伝を格好良く書き残せ』とか、そんな感じ」
「はは、いかにもライゼルらしいな」ジルファーは苦笑いを浮かべた。「わざわざ、そんな作り話で、私を励ましてくれるとは。カート、君はいい奴だ」
 いや、作り話じゃないんだけど。
 本当のことを言っているのに、伝わらないなんて。
 ぼくは昨夜の手紙を焼いてしまったことを後悔した。あれさえ読めば、ライゼルの遺言も正確に伝わるはずなのに。
 こちらの不満そうな顔に気付いたのか、ジルファーが言葉を継いだ。
「仮に、ライゼルがそう言い残したとしたら……許せんな」
 冷ややかな声音だった。
 どうして? 
 ぼくの疑問に答えるように、話が続いた。
「供養代わりにあいつの英雄伝を書き残せ、だと? どうして私がそんな物を書かないといけないのだ。あいつの武勇伝に時間を割くぐらいなら、もっと書きたい本や、読みたい資料がいっぱいある。カート、君は知ってるか? 6年前にエジプトで発見された初代ラーリオスの物語を。ざっと一読したが、初代ラーリオス、カウシュと、初代シンクロシア、セシェンの話は物語としても意外性があって面白く、歴史資料としてもゾディアックの起源が描かれていたりして興味深い。今、弟子の翻訳チームが解読しているところだが、君も機会があれば読んでみるといい」
「初代ラーリオスの話だって? 確か、月陣営にその末裔って名乗ってる人がいるそうだけど」
「マリードのベンだな。長いファミリーネームの一部にカウシュの名があることを根拠にしているようだが。しかし、どうも嘘っぽいんだよな」
「何で?」
「カウシュの物語によれば、彼は子孫を残さずに亡くなったらしい。それを指摘すると、ベンの奴はこう言った。『だったら、物語の方が間違っているか、記述が省略されたのだろう。自分がカウシュの子孫なのは間違いない。それを疑うのは、我が家系に対する侮辱だ。それ以上、侮辱を続けるなら、星王神とカウシュの名にかけて報復する』とのことだ。さすがの私も、無用な挑発を続けることは控えたよ」
 カウシュの話よりも、ぼくは初代シンクロシアの方に興味があった。シンクロシアと言えば、スーザンであり、トロイメライ、そしてセシェンか。古代エジプトということは、エキゾチックな顔立ちの美少女を勝手に連想する。
「つまり、私は今回の星輝戦争が終われば、したいことがたくさんあるんだよ」ジルファーの話は続いた。「カウシュの物語の監修とか、邪霊の研究とか、シリウスから聞いた参考資料の確認とかだ。それなのに、ライゼルなんかの英雄伝を書けとか、そんな寝言に付き合えるか。死んだ後まで、つまらないことで兄を悩ませるなんて、ええい、腹立たしい」
 そういきり立つジルファーの手の平に《氷の気》が集まって、立派な結晶を形作っていくのを、ぼくは見た。
「ジルファー、力が」
「ん?」ジルファーも気付いたらしく、無意識で作った結晶に意志を加え、コップの形に生成し直す。「ふむ、ライゼルの顔を思い出して、怒りがこみ上げてきたら、力が回復したらしい。コツをつかんだ気がする。カート、ありがとう。君のおかげだ」
 ぼくはうなずいて、心の中でつぶやいた。
 ライゼル、これでよかったんだよね?

 ぼくが少し安心してベッドに腰を下ろすと、氷の星輝士は再び話を引き戻した。
「いずれにせよ、私のここでの役割は終わった、と言える」
『今となっては用済みと言ったところかしら』トロイメライの言葉が不意に蘇ってくる。
 否。ぼくはそうやって、人を切り捨てたりはしない。
「……終わってなんかいませんよ」感情のままに口を開いた。「ぼくはまだまだ未熟だ。あなたには教えてもらいたいことがいっぱいある。歴史だって、剣の技だって、星輝戦争を勝つための戦術の立て方だって。今さら、途中で全部、放っぽり出すと言うのですか? ぼくにはあなたが必要だ」
「カート……」ジルファーは考え込むように、右手で目線を包んで額を押さえると、ポンポンと髪の生え際を叩く仕草をする。その仕草は先ほど、ぼくが瞳の色の変化を隠すために行なった動作と似ている。
 もしかすると、ぼくの不自然な動作は、ジルファーの目にはじっくり考え込んでいるように見えたのかもしれない。
「君もいつか、私を卒業して独り立ちしないといけないが……」やがて、ジルファーはそうつぶやいてから、「卒業しても君が良ければ、共同研究者とか、戦友とか、いろいろな関係で付き合うことができる。別に君の教師役を終えても、君との縁が断たれるわけではないし、私もそうしたいとは思わない。むしろ、君が私から離れて、より大きく成長する方が教師冥利に尽きるというものだ」
「しかし……」
「君がバトーツァに不信を抱いているのは分かるつもりだ」ジルファーは、ぼくの気持ちを理解している顔をした。「しかし、彼はとっつきこそ悪いが、細やかな気配りのできる、いい奴だぞ。第一印象や、好き嫌いの感情で判断してはいけないな……私が偉そうに言えた義理ではないが」
 そんなことは、分かっている。
 だけど、ジルファーはぼくの気持ちを分かっていない。
 ここで、彼がいなくなってしまえば……ぼくはこのまま《暗黒の王》の道を突き進むしかないじゃないか。
「《闇》……については、どう考えているんです?」
 自分のことを分かって欲しいという気持ちと、《暗黒の王》の自分をさらしてはいけないという思考にさいなまれた挙句、ぼくは差し障りのなさそうな質問をした。
「そのことだがな」ジルファーは腕を組んで、ため息をついてから、ぼくを見つめた。「バトーツァが言っていたよ。君が夢の中で、邪霊の悪影響にさらされている懸念がある、と」
 何だって? 
 バトーツァがどうしてそんなことを? 
「カート、君には自覚がないかも知れないが、確かに先日からの君の行動には不審な点がいくつか見られる。バトーツァを根拠もなく疑って牢に入れたこともしかり、洞窟を脱走した件もしかり。それらの行動は、星輝石の導きよりも、むしろ邪霊の仕業と考える方が辻褄(つじつま)は合うんじゃないか、と」
「ぼ、ぼくは……」バトーツァの奴がどこまで喋ったのか不安に駆られながら、ぼくは全てをさらけ出すべきか、それとも何とか白ばっくれたらいいのか、とっさに判断できずにいた。
「君の動揺する気持ちは分かる」ジルファーはさらに話を続ける。「バトーツァはこうも言っていた。『全ては、こちらの陣営を混乱させようとするシンクロシアの陰謀ではないか』と。シンクロシアは昔、《影の星輝士》ナイトメア、いや、トロイメライと言った方がいいか、に精神に関する術の手ほどきを受けたことがあるそうだ。君がバトーツァを疑ったのも、シンクロシアの仕業と考えれば、納得がいくのではないか」
「シンクロシアじゃなくて、トロイメライの仕業、とは考えないのですか?」
「バトーツァは、それを否定していたよ。そうする理由がない、と。一方、シンクロシアなら、儀式の戦いを有利にするために、無防備な君の心を狙って何かを仕掛けてきたという可能性も十分に考えられる」
「シンクロシアが……スーザンがぼくの心を操るなんて……」その事実はあながち否定できなかった。ジルファーの語る真実とは違っていたとしても、ぼくがスーザンの魅了の術に縛られたことがあるのは事実だ。
「信じられない気持ちは分かる」ジルファーは同情するような口調になった。「バトーツァの言葉が正しいかどうかも、私には判断できない。精神に関する術は専門外だからな。誰か詳しい専門家が書き記した文章でもあれば、私にも探ることができるのだが」
「ありますよ」ぼくは言った。
「どこに?」
「バァトスの資料。カレンさんが持って……」
 あっ、と、今さらながら気付いた。カレンさんがバァトス資料をジルファーに見せなかったのは、《闇》の真実を隠蔽するためだった、ということに。
「今さら、バトーツァの書いたものではなぁ」ジルファーはため息をついた。「彼の信じることが読みとれるだけだろう。彼が私に嘘をついているなら話は別だが」
「どうして、彼の言葉をそんなに信じられるようになったんです?」ぼくは、自分の立場を忘れて問い質した。
「理にかなっているからだよ。バトーツァは太陽陣営の儀式を担当する神官だ。何かの野心を抱いているにしても、ラーリオスを陥れて達成できるとは考えられない。彼が裏切るとしたら、当然、敵対陣営のシンクロシアのための行動を起こすはずだ。しかし、彼はあくまでシンクロシアを敵と見なした推理を行なっている。彼の推測を疑うことは、シンクロシア側の益にこそなれ、我々にとっては何の得にもならない」
 ぼくは、まだ納得が行かず、ジルファーの説明に穴がないか考えていた。
「何よりも、ライゼルが《闇》に堕ちたことが一番の状況証拠と言えるな。つまり、シンクロシア側には、あいつを邪霊に引き込む要因があるということだ。幸い、サマンサにはそういう兆候は見られなかったようだが」
「……ジルファーは、シンクロシアが《闇》の元凶だと考えているのですか?」
「最悪の場合はな」
「シンクロシアが《闇》に堕ちるなら、ぼくだって……」ぼそりとつぶやく。
「自覚はあるのか?」ジルファーが鋭い目で、ぼくを見つめた。思わずドキリとする。
「カート、君は先夜の戦いで、ライゼルの魂か《炎の星輝石》に憑依されたよな。いまだに信じられない気持ちだが、私の理性は自分の見たものを信じなければと考える。そのときのライゼルは《闇》だったのか?」
「違います」即座に、ぼくは否定した。「《闇》のライゼルは、ぼくたちが倒した方で……」
「そうだ。我々は協力して《闇》を撃退したんだ。そのときの仲間は、おおむね信用してもいい、と言うことになる」
「でも……」
「カート、こう言っては何だが、私は君も疑ったことがある。君のラーリオスとしての成長は、私にとっては驚くべきことばかりで、下手をすれば君が間違った方向に突き進むんじゃないか、と危惧を抱いたこともあるんだよ」
 その危惧は正しい、と、ぼくは他人のことのように考えた。
「私が一番心配したのは、シンクロシアとの戦いを知ったとき、君がその事実に耐えられず、戦いを投げ出すか、我々の敵になるか、あるいは精神的にどうにかなってしまうのではないか、といったことだ。ところが、君はライゼルとの戦いを通じて、事実を受け止め、うまく振る舞えたじゃないか。私の抱いていた危惧を、君は乗り越えたんだ」
 問題は、その後なんだけどな。
「私のコードネームを、君は覚えているかな?」不意に、ジルファーは話を切り替えた。
「ええと、確か、ファフニールでしたよね」
「そう、英雄ジークフリートに殺された悪竜だ。全く縁起でもない名だよ」
「それがどうかしました?」
「私は、君がジークフリートになるんじゃないか、と恐れていたんだよ」ジルファーは苦笑を浮かべた。「レギンはライゼルだ。神話伝承にのっとるなら、ライゼルが誰かをそそのかして、私を殺す……ということになるな。だが、死んだのは私ではなく、ライゼルの方だ。ライゼルは君を操ったかもしれないが、その矛先は私にではなく奴の分身に向けられた。私たちは協力して、神話の宿命を打ち破ったんだ」
 ぼくは、左手がうずくのを感じた。
 神話の予言が的中するなら、ぼくがジルファーを殺すことになる? 
 ライゼルを《闇》に置き換えるなら、邪霊にそそのかされたぼくがジルファーを殺すということになるのか? 
「だから……ぼくから離れようと言うのですか?」不安になって尋ねた。「殺されることを恐れて、ぼくのことを見捨てようと?」
「何を言ってるんだ、カート」ジルファーは意外そうに、ぼくを見つめた。「私の話をよく聞いていなかったのか? 私が君を恐れた、というのは過去形だよ。今は、神話の宿命を打ち破ったという結論じゃないか。ファフニールと名付けたのは星霊皇だが、その予見力も絶対ではない。心配事は終わったんだ」
 本当に?
 ぼくが竜麟に包まれた左手を見せても、そう言えるだろうか? 
「大丈夫だよ、カート。《闇》のことはバトーツァが対策を講じてくれる。もしも、我々の間に《闇》が忍び込むとしたら……一番、疑わしいのはランツだと思うんだが。あいつは、あまりに孤立している。だから、ソラークも外の監視に付くことになった。いずれにせよ、月陣営が次に何かを仕掛けてきたときには、即座に対応できるよう、見張りが必要だからな。もちろん、洞窟の中は、私とカレンがいるから問題ない」
「ここに……残るんですか?」ぼくは意外そうな目を向けた。「てっきり、ここを出て自分の研究に専念するとばかり……」
「研究なんて、どこでもできるさ」ジルファーはにっこり微笑んだ。「バトーツァを味方につければ、資料も手に入りやすい。それに……そんな不安そうな顔を見せられると、こっちも簡単に見捨てられん。まったく、少しは成長したかと思ったら、図体ばかりでかくて、とんだ寂しがり屋と来たもんだ」
 そう言って立ち上がると、ぼくのオールバックの髪型をなでた。「見かけだけ大人を装って、中身はまだまだ子どもだな、君は。ちっとも似合わん髪形で気取ってないと、ティーンはティーンらしくすればいい。教師役はバトーツァに譲ったが、私も儀式の終わりまでは付き合ってやるぞ。スケジュール管理とか、仕事は探せば何でも作れるしな。君が望むなら、悩みごと相談にだって応じるさ。もっとも……」
 そこで一端、苦笑いを浮かべる。「恋愛関係や、信仰、魂のことは専門外だから、聞いても無駄だけどな」
 今、一番肝心なことが聞けないなんて……と一瞬、不満に思う。
 だけど、すぐに思い直して、こちらも立ち上がった。「ありがとうございます」
「気にするな。私も君のおかげで元気になったようなものだからな。君の顔を見るまでは、少々弱気にもなっていたが、大丈夫、持ち直した。感謝するよ」

 そうして「じゃあ、またな」と言いつつ部屋から立ち去るジルファーを、見送ろうとしたときに扉が開いて、カレンさんが入ってきた。
 いつもの白ローブではなく、濃い緑を基調とした迷彩服と、対になったズボン、そして黒のロングブーツを身に付けた姿は、これから戦場に向かう女兵士を彷彿とさせた。


前ページへ次ページへ



inserted by FC2 system