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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−13)


 
4ー13章 ビースト

 ロイドと夕食を共にした後、部屋に戻ったぼくは、彼から受け取った銀色の人形(フィギュア)を中身の少ない本棚に飾って、そのまま寝台(ベッド)に横になった。
 いろいろあった一日を反芻(はんすう)することもなく、眠りに落ちる。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 星空の下に、ぼくはいた。
 ここは? 
 雪原ではなく、森の中でもない。
 見渡すかぎり、荒涼とした砂景色が広がっている。
 そして、手にしているのは……ライトセーバー。
 『スター・ウォーズ』の物語の始まった惑星タトゥイーンだ。
 どういう設定の夢なんだ、これは?
 ぼくの役は、ルークか、アナキンか?
 少なくとも、ライトセーバーを手にしているということは、戦いが近いということか、それとも、すでに戦い終わった後なのか? 
 研ぎ澄まされた感覚は、間もなくその人物の気配を察知した。
 白い砂丘を背景に、黒ローブの人影がぼくを見つめている。
「シスか!」ジェダイの意識と一体化した反応。
 だけど、すぐに修正する。
 黒ローブの主から感じるのは、空想の世界の理力(フォース)ではなく、もっと身になじんだ《闇の気》、邪霊の力に基づくものだ。
 バトーツァ? 
 いや、黒ローブの放つ《気》の威圧感は相当なものだ。彼のような小者ではない。
 すると、トロイメライか? 
 だけど、それも違うと判断した。
 彼女の放つ《気》は、もっと秘めやかで柔らかく包み込むような質を持っている。
 圧倒的な力で押さえつけるような感覚は、物理的にたとえるなら、リメルガの無骨さに近いものがある。
「誰なんだ、君は?」相手の正体が分からずに、そう質問する。
「《暗黒の王》」相手は答える代わりに、そう呼びかけてきた。声の質は深いバリトンで、男だということが分かる。
「何だ? 君はぼくのことを知っているみたいだが、ぼくは君を知らない。正体を現せよ」
「フフ」男は含み笑いを漏らした。「正体を知らないとはね。こっちは答えたはずだぞ、カート・オリバー。《暗黒の王》だ、と」
「バカを言うな」上から目線の相手に反発心がこみ上げてくる。「《暗黒の王》は、ぼくのことだ」
「そして、ぼくのことでもある」距離があっても、男の口元に浮かんだ冷笑は見てとれた。声質の割に口調は若々しいと思ったけど、相変わらず黒頭巾をかぶった顔の全体像ははっきりしない。
「《暗黒の王》は……もしかして2人いるのか?」ぼくは疑問をぶつけた。
 相手からは敵意を感じない。
 だから、状況が分かるまでは話を続けてみるつもりだった。
「2人か? 2人ね……ぼくは自分以外の《暗黒の王》は知らないけど、もしかすると、もっといるのかもしれないな。《暗黒の王》が集まって、その中で真の《暗黒皇帝》を決めるためのバトルを展開する。実に燃えると思わないか?」
「ふざけるな」敵意こそないが、明らかにからかってくる。
 こういう悪ふざけが好きな相手を何と言ったっけ? 
 北欧神話のトールに対するロキ、そう、悪戯者(いたずらもの)のトリックスターだ。
「悪ふざけに付き合うつもりはない」ぼくは相手に乗せられず、毅然と振る舞うことにした。「どうして、ぼくの夢に介入する? 用件を言え」
「やれやれ、君は余裕がないなあ」男のペースも変わらない。わざとらしく、肩をすくめてみせた。
「いささかストレートすぎる。《暗黒の王》として未熟なこと、この上ない。その称号を名乗るなら、もっと大らかさと諧謔(かいぎゃく)精神を持たないと」
「何精神だって?」言葉の意味が分からず、問い返す。
諧謔(かいぎゃく)さ。皮肉を交えたユーモアと説明すれば分かるかな。まだまだ勉強不足だね」
「余計なお世話だ。無駄話もいい加減にしろ」
「う〜ん、この余裕のなさは、やはり心が欠けているせいかな」男のつぶやきが微かに漏れ聞こえた。わざと聞こえるように言ったのか、それとも純粋に独り言なのか。
「心が欠けているって、どういうことだ?」気になって問いかけた。
「ああ、さっきの質問だけど」直接の質問に応えず、前の話ではぐらかされる。会話には応じているのに微妙にズレているようで、どこかイラっと来る態度だ。「君の夢に介入したのは事のついでさ。大事な用件はもう済んだ。トロイメライといっしょにね」
 やはり、トロイメライの知り合いか。
 どうして、彼女の関係者は秘密めかした言い回しが好きなのか。
 いや、だからこそ、影の星輝士として務まるのだろうけど。
「ついでで眠りを邪魔されたくはない。さっさと帰れ」ぼくは《暗黒の王》と名乗るトリックスターを冷たくあしらうことにした。
「どうせ、どんな用件だったか言うつもりもないのだろう?」皮肉っぽく問いかける。
「ピース・オブ・ハートの探索。そう言えば分かるかな?」思いがけず、答えが返ってきた。
 心の平安(ピース・オブ・ハート)だって? 
「《暗黒の王》が平穏を求めるとは……らしくないな」相手につられてか、皮肉っぽく応じる。
「人のことは言えないだろう、カート・オリバー。いや、プロトタイプ《暗黒の王》と呼ぶべきか」
 誰がプロトタイプだ。
 だったら、将来は《暗黒の王》が大量生産されるのか。
 そんな未来は……嫌すぎる。
「とにかく、ぼくは君の顔が見たくなっただけさ。まあ、《暗黒の王》としてしっかり頑張ればいい。そうすれば、すぐにぼくに追いつけるだろう。じゃあね」
「ちょっと待て」言いたいことだけ言って、好きに帰らせるつもりはなかった。「人の顔だけ見て、自分は顔を見せないってか? 正体ぐらい示したらどうなんだ?」
「チッ、さっきは帰れと言ったのに、ころころ気が変わる奴だ。君はぼくの顔を見ない方がいい。ぼくたちが下手に接触すると、いろいろと面倒だからね。少々、うかつに介入し過ぎたようだ」
「何を訳の分からないことを!」ぼくは衝動的に力を放った。
 右手のライトセーバーではなく、自前の武器、瞬時に変化した《闇の左手》で、呪縛の気をぶつける。傷つけるつもりはなく、ただ動きを封じようと試みて。
「好戦的だな」男は一言つぶやくと、力の波動を受け止めた。
 ぼくと同じ、獣めいた異形の左手で。
「戦うべき相手は、ぼくじゃない。もっと相手を見極めろ」
 あざけるように言い放つ頭巾の下の表情は、見極めようにも、隠されて見えない。
 だけど、その視線の力をぼくは感じた。
 まるで、鏡を見たメデューサのように凝結したまま、ただ見つめる中で、
 男の姿は、わずかな仕草で張られた転送陣の中に消え失せる。
 それほど器用に術を行使することは、ぼくにはできない。
 敗北感を覚えながら、ぼくの意識も朦朧となる。
「これは警告だ」かすかな声だけが心に届く。
「すぐに起きたほうがいい。さもないと、魔獣(ビースト)が君を殺す。がんばって試練を切り抜けることを、願っているよ」
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 男が警告したからか、夢が終わったからか、唐突にぼくは目覚めた。
「一体、何だったんだ、あいつは?」
 寝台の上で身を起こしながら、疑問を口にしてつぶやく。
 そうすることで意識を急速に覚醒させつつ、夢の中の出来事を、何とか記憶に留めることができた。
「トロイメライの知り合いと言っていたよな」
 すると彼女の差し金か? 
 どういうことか彼女に問い質そうかと考えたけれど、何と言えばいい?
 夢の中に変な奴が出て来たから……と、いちいち呼び出すのも気が引ける。
 つまらないことで連絡を送るほど、彼女に依存しているとは思いたくない。
 彼女の使う術の素養はすでに習得した。だから夢の中のことである限り、対処可能だという自負もある。
 それでも……トリックスターにはあっさりいなされた。
「上には上がいるということか」
 ぼくは力を放った痕跡のある左手を見つめた。
 夢の中で変化させた腕は、現実の世界でも異形のままだった。
 まだ緊張が解けていないのだ。
 力を受け止めた相手の腕も、ぼくと同じ異形だった。
 いや、腕だけではないとも考えられる。本当は全身まとめて異形だったのが、単に黒ローブや頭巾に隠れて見えなかっただけなのかも。
 頭巾を外すと、ダース・モールのような赤い鬼面だという可能性だってある。
 決して、長くはない接触のため、相手の特徴をじっくり観察する余裕なんてなかった。
 ましてや夢の中だ。
 その気になれば、姿形だって変えることはできる。
 あの左手だって、こちらの変化に合わせて、真似しただけかもしれない。
 そこまで瞬時に思考をめぐらせた後で、男の残した警告に意識が向いた。
魔獣(ビースト)だって?」

 言葉に出してしまうと、何だか現実感に欠ける響きだ。
 夢の中ならともかく、どうしてそんなものがここに現われるんだ? 
 外から、ぼくを殺しに刺客が放たれたのか? 
 確かに、月陣営の陰謀がどうこうという話にはなっているけど、それは《闇》の秘密を隠すための方便で、事実ではないはず。
 そして、仮に刺客の存在があるとしても、今はそれを警戒しているのだから、星輝士たちの警備は万全のはずだ。
 ……いや、そうとも言い切れないか、と考え直す。
 ジルファーは、ライゼル戦で消耗した力を取り戻すために、リハビリを始めたところだ。
 リメルガは、暗黒プリンの毒で体調を崩している。
 ソラークとランツは外で見張りの任についているだろうから、洞窟内でまともに戦える星輝士はカレンとロイドだけだ。
 仮に魔獣(ビースト)という刺客がここに出現するなら、今このタイミングが最も手薄な状態と言えるかもしれない。
 半ば杞憂(きゆう)と思いながら、寝台から立ち上がった。
 どちらにせよ喉が渇いていたし、それでいてトイレにも行きたいと感じた。
 たぶん、夢の中の緊張感が続いているのだろう。
 左手の異形は崩れない一方で、右腕は鳥肌が立っているのに気付く。
 頭で感じる以上に、体が危険を察知しているようだった。
 ぼくが熟練の戦士なら、この本能的な感覚をもっと真剣に受け止めていたろう。そして、即座に戦闘態勢に移っていなければならなかった。
 部屋の明かりを灯すなり、仲間に思念を飛ばすなり、夢の中のライトセーバーのような武器を生成するなり、戦闘前にすべきこと、できることはいくつもあったはずだ。
 あるいは、部屋の前で低く轟くうなり声や、扉を引っ掻く鉤爪の音などにも気付いていたかもしれない。
 寝起きということを差し置いても、ぼくはあまりに鈍感だった。
 だから、ギリギリまで命の危険に気付かなかった。

 カレンが警告していたように、扉の鍵は封じていた。
 そのことが幸いだったのかどうか。
 扉の封を解いた瞬間、力任せに押し込んでくる影があった。
 とっさに危険を感じて、扉の脇に身をかわす。
 飛び込んでくる相手のタックルを避ける動きは、身に馴染んだものだ。いざという時には、(じか)に経験した動作が生死を分ける。書物や映像なんかで間接的に見知った知識じゃ、こうはいかない。
 闖入者(ちんにゅうしゃ)はうなり声を上げて、そのままぼくの横を通り過ぎ、先ほどまで休んでいた寝台に飛びかかって行った。
 相手の正体を見極める前に、布地(シーツ)が引き裂かれる鋭い音が聞こえ、獰猛な殺意が(あらわ)になる。
 音と、肌を刺す気配、それに続いて、視覚情報が追いついて来た。
 確かに、それは魔獣(ビースト)と呼称すべきものだった。
 全身は黄金の体毛に覆われ、薄暗がりの中で青い燐光を放っている。
 獲物が寝台にいなかったことに気付き、ゆっくりこちらを振り返る。
 その顔つきはイヌ科に近く、全体としては巨大な狼のような印象だ。
 狼と言えばロイドを連想したけれど、彼よりもずっと大きい。
 体当たりすれば、ぼくを押し倒せそうなほどの巨大狼。
 そんな巨躯(からだ)を持った人間がいるとすれば……リメルガか? 

 魔獣(ビースト)は赤く染まった瞳を向けると、ぼくの姿を認めて威嚇の咆哮を放った。
 ビリビリと震える鼓膜に耐えながら、ぼくは気圧されまいと、相手を睨み返した。
 巨漢と初めて会った朝のことを思い出す。
『オレがここに来た目的は、ただ一つ。それは、リオ、お前が《太陽の星輝士》に値する男かどうか見極めるためだ』
 そう言って、ギロリと殺意を向けてきた表情と、魔獣(ビースト)の姿がかぶる。
 リメルガだったら、どうしてこんな姿に? 
 魔獣(ビースト)から発せられる《闇の気》に遅まきながら気付く。
 その夜のぼくは夢と違って、あまりにも鈍感だった。
 知覚が思考に追いついておらず、大切な手がかりをつかむのに、いちいち時間を費やしてしまう。武道の教えである『考えるな、感じろ(ドント・シンク.フィール)』が何一つ実践できていない。しょせんは、書物なんかで知った言葉なので、完全には習得できていないのだ。理念だけじゃ、現実の役には立たない。
 それでも考える材料がある以上は、判断すべきだ。
 知覚の遅れを取り繕う高速思考で結論を出す。
 当然、暗黒プリンの影響に決まっている。
 昼間は、リメルガの体内の《闇》を浄化できたつもりになっていたけど、それは一時的なもので、完全ではなかったのだと考えた。
 だから、夜になって残留した《闇》が活性化したことで、魔獣(ビースト)に変貌してしまった。
 そう急いで結論を出すと、次に対策を考えようとする。
 だけど、さすがにそこまでの余裕はなかった。
 戦いの前のにらみ合い、その僅かな思考時間を、こちらは相手の正体を探るのに費やした。その間に魔獣(ビースト)の方が先に攻撃態勢を整えて、勢いよく飛び掛かってきた。
 俊敏な動きは、リメルガらしくない。
 だから意表を突かれたけれど、翼を持たない獣の跳躍は単調だった。落ち着いてよく見れば、対策は簡単に立てられる。
 かたわらにあった椅子を持ち上げ、力いっぱい叩きつける。
 ぼくの力と、獣の力と、その両方にはさまれて木製の椅子はバラバラに砕け散った。
 床を支えにしているこちらと違って、空中で態勢を崩した獣は寝台の上に落下した。
 相手が衝撃から回復する刹那の間に、砕け散った椅子を再構成し、即席の武具にする。背もたれと座板の部分を変形させて楯に変え、四本の脚を一本に連結して槍と為す。
 星輝石の物品変成はすでに実践を重ねて、十分馴染んだ操作だ。だから瞬時に行なえる。
 曲がりなりにもライゼル戦をくぐり抜けたことで、修羅場での対応には自信が持てた。
 戦闘訓練を積んだわけではないけれど、相手はたかが獣だ。星輝士のような達人と違って、こちらの武具さえ揃えば、決して倒せないことはない。

 だけど……倒してしまっていいのか? 
 相手がリメルガなら、殺すのはまずい。
 何とか動きを封じて、元に戻したいのだけど。
 そう考え直している間に、もう一度、獣が飛び掛かってきた。
 空中の相手を槍で突くのは簡単だったけど、ぼくは違う対策をとった。
 瞬時に気を込め、言葉にして放つ。
「眠れ!」
 この行動は、判断ミスと言えた。
 第1に、空中の相手を眠らせたところで、こちらに向かって落下する相手の体を避けなければいけない。あるいは落下した相手がその衝撃で即座に目覚めることも考えられる。総じて意味を為さない無駄な行動だったと、後からなら分析できる。
 同じ行動をとるなら、空中から襲い掛かる相手の一撃をかわしたところで、着地した隙に眠らせるべきだった。
 戦闘中に術を行使する際は、そういうとっさの状況判断がうまくできるかどうかに、やはり経験の差が出るのだろう。
 しかし、そんな小手先の戦術論なんかよりも、ぼくは第2の、もっと単純かつ致命的なミスを犯していた。
 魔獣(ビースト)はちっとも眠らなかったのだ。
『一つ教えてやろう』脳裏に死んだライゼルの言葉が思い浮かぶ。
『お前の術、ああいった言霊(ことだま)の類はな、ちょっとした暗示でしかない。星輝石を持たない曇りし者(クラウド)か、意思の弱い奴、あるいは星輝石を持っていても強く抵抗しない、信用して心を許している相手にしか通用しないものなんだよ』
 ライゼルのような上位星輝士には、眠りの術は通用しなかった。
 確かに、リメルガ相手には通用したけれど、あくまで警戒していない時の不意討ちのようなものだ。
 たかが獣とあなどってしまい、不用意に安易な策を講じてしまった。
 死んだ男の教訓を無駄にしてしまい、ぼくは動揺する。
 それでも慌てて状況に気付き、ギリギリのところでやむなく槍を突き出した。
 力の入らない腑抜けた攻撃だった。
 魔獣(ビースト)は空中で器用に身を翻し、流れるように槍の間合いの内側に入ってくる。
 ぼくは即座に楯を出して、鉤爪の一撃を受け止めた。
 だけど、ぶつかってくる相手の勢いを押し返すには至らず、逆にそのまま体ごと押し倒されてしまった。
 獣の牙がぼくの首筋を狙う。
 したたり落ちる(よだれ)が恐怖感を煽る。
「うう……」ぼくは倒された衝撃で硬直し、何の抵抗もできないまま、死を覚悟した。
 魔獣(ビースト)の赤い瞳を、自分の血の色のようにのぞき込む。
 そして……ぼくの意識は体から抜け出した。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 目の前に、図体の大きな男が倒れていた。
 赤くかすむ瞳で、何とか状況を認識しようとする。
 何だか全身が痛い。
 鈍器のようなもので激しくぶたれたような衝撃が残っている。
 ぼくは、倒れている男の体からふらふらと離れ、自分を殺そうとした相手の正体を見極めようとした。
 そして、気付く。
 倒れているのが、カート・オリバーその人であることに。
 魔獣(ビースト)の正体は、ぼくだったのか? 
 いや、違う。
 ぼくが魔獣(ビースト)の中にいるのだ。
 獣毛に覆われた手、いや前肢を目にして、遅ればせながら己の変化を認識する。
 それでも自分で驚くほど冷静でいられたのは、すでに左手だけでも異形に変わる経験があったから。そういう超自然的な変化には、心が馴染んでいた。
 しっかり状況を観察し、思考できているうちは、不安や動揺を最小限に鎮めることができる。そう信じて、事態の推測に努めた。
 まず、全身に濃い《闇の気》が満ちていることは分かる。放置すれば、耐性のある《暗黒の王》の心身さえ、いずれは(むしば)みかねないほどに。
 これじゃ、宿主が理性を失って暴走するのも無理はない。
 だけど、ぼくは体こそ魔獣(ビースト)になってしまったものの、意識は正常で、獰猛な殺意に支配されているわけではない。
 夢の中でスーザンを殺してしまったときのような激情は感じなかった。
 あの時のぼくは星輝石や術のことなど何も知らず、超自然的な力や現象の前に全くの無抵抗だった。そのために、たやすく侵食され、悲劇を止めることができなかった。
 それに比べると、経験を積んで、知識を増やし、それに基づいて理性的に考えられることは最大の武器と言える。少なくとも、理性にすがりつくことで衝動を抑える役には立つ。
 もちろん、危急の際には、そういう衝動のおかげで命拾いすることもある。
 生死の危機を感じたぼくは、とっさにアストラル投射を行なって、相手の体を乗っ取った。これも理性では説明しにくい衝動ゆえだろう。
 理性と衝動、間接的な知識の探求と直接的な身に付いた経験動作、どちらが優れているわけでもない。
 両方とも状況に応じて巧みに活用しなければ、生き残れない。

(さて、この状況をどうしたらいいのかな?)
 独り言をつぶやこうとしたけれど、舌がうまく回らず、口から漏れ出るのは獣のグルルルといううめき声だけ。
 獣に理性がないのは、言葉をうまく使えないから、と考える。
 人の感覚や思考を維持しようと努めると、人ならではの所作振る舞いを維持するのが一番だ。
 だけど、人の特権たる言葉がうまく話せない。
 おまけに、獣の後肢では二足歩行もままならず、幼獣のようなヨチヨチした四足歩行が精一杯。
 もっと獣の感覚に身を委ねるようにすれば、肉体に身に付いた本能が動きを助けてくれるのかもしれないけれど、それは危険だと分かった。
 ぼくは人である自分を維持しないといけない。
 観察のために、ふらつきながら部屋の中を歩いてみて、低い目線で見慣れた部屋の事物を再確認し、周囲の匂いをかいだ。
 部屋にこもったカートの男臭さを猛烈に意識し、もっと体臭管理に気を使おう、と心底から思えた。つまらない再発見だ。
 ただ、カートの肉体そのものは血の匂いを喚起させて、嫌悪感よりもむしろ食欲をそそる。
 負傷して流血していないことが幸いだった。
 食欲という衝動は、カート・オリバーにとって(あらが)い難い誘惑となる。
 それは、魔獣(ビースト)の肉体に入ったぼくの魂にとっても同じことで、もしも血の匂いが辺りに広がっていれば、人の理性などたちどころに消し飛んでいたかもしれない。
 血の匂いのしたたる人肉を貪り食う感覚は、夢で経験していた。
 その時の対象は、スーザンだ。
 そして、今度は自分の肉体を食うという衝動に心が揺れる。

 瘴気混じりの深呼吸を何度も繰り返して、破滅的な衝動に抗った。
 獰猛な身体感覚を鎮めるために動き回るのをやめて、床に伏せたまま考えることにする。
 まずは獣の身に慣れることなんかよりも、体内の《闇の気》を処理しないといけない。衝動の多くは獣の本能よりも、邪霊のエネルギーによるものだと感じた。
 人間性を維持するための話相手にならないかと、魔獣(ビースト)本来の意識に接触することを考えてみたけれど、すぐに思い直す。
 相手がリメルガなら、魔獣(ビースト)になった状況を説明するところから始めないといけない。それじゃ、かえってややこしい。
 それに、もしかすると、魔獣(ビースト)の正体はリメルガではないのかもしれない。
 跳躍を中心とした俊敏な攻撃スタイルは、巨漢の雰囲気とは全く異なるものだ。リメルガが変身したなら、もっと地に足ついたパワフルな突進を仕掛けてくるのではないか。
 相手が万が一、月陣営の刺客だったりしたら、わざわざ敵を起こすことになる。訳の分からない状況で、そういう危険は避けた方がいい。
 何よりも先に、《闇の気》を浄化する。
 そうすれば、おそらく人の姿に戻るだろうから、それから相手の正体を見極めて、うまく対処する。
 方針は決まった。
 でも、どうやればいい? 
 経験が力になる。
 昼間は、直接、自分の手で《闇の気》を吸い込もうとした。
 その際、星輝石が抵抗してきたので、何とか言い聞かせて協力してもらった。
 そうだ、困ったときはやっぱり星輝石だよな。
 この魔獣(ビースト)にも星輝石があるのか?
 伏せた体を起こし、頭部を下げて自分の腹を見ようとする。
 これが意外と難しい。人の視点だと90度下を見ればいいものを、四つ足の獣の視点で腹を見ようと思えば、首を180度近く下げないといけない。
 何とか苦労して腹部をチラっと見たところ、もちろん腹は毛に覆われていて、はっきり見えない。微妙に発光しているので、おそらくそこに星輝石があるのだろうと判断はできた。だけど、その光はどんより黒ずんでいて、元の色合いが見分けられない。
 星輝石、いや醒魔石なんだろうな、もちろん。
 醒魔石に協力を依頼できるだろうか、と一瞬、考えた。
 《暗黒の王》の命令で、《闇の気》を浄化するのに手を貸せってか。
 だけど、魔獣(ビースト)はそもそも《暗黒の王》を殺そうと襲撃してきたわけで、そういう《闇》に染まって我を忘れた相手を信用することは難しい。
 たとえ、それが石であったとしても。
 このややこしい状況を仕掛けた奴は誰だよ? 
 魔獣(ビースト)の試練と言い放ったトリックスターか、それともトロイメライか。
 とにかく、浄化まで含めて何かの試練なら、一人で解決しないといけないんだろうな、と覚悟を決める。
 頼れるのは自分だけだ。

 意識が抜けて倒れたままの、カートの体を見つめる。
 その左手は、異形のままを維持している。歩み寄って、自分の右前肢をちょこんと重ね合わせる。
 お手。
 何だか従順なペットになったような感覚で、意識を失ったご主人様の安否を気遣うような妙な想いに駆られた。
 心が獣の肉体に同調し始めているのか? 
 意識が憑依(ポゼッション)先の肉体にどれほど影響を受けるのか、興味深い課題だけど、そんな実験を繰り返すと、本当に自分が自分でなくなってしまうようで嫌だ。
 ぼくは、カート・オリバーの肉体と人格を大切にしたい。
 ともかく思念を込めると、ぼくの左手は反応してくれた。どうやら、そこに仕込まれた石の力と自分の心が通じ合っているようで安心した。肉体を離れてしまうと星輝石との(リンク)が断たれてしまうのでは、今の状態を解決できないからだ。
 ぼくの肉体の方に、獣の体内の《闇の気》を送り込みながら、うまく浄化できればいいんだけど。
 その作業は慎重を期さなければいけない。
 もしも、浄化できない場合は、魔獣(ビースト)を元に戻せないどころか、ぼくの肉体すら《闇の気》の影響で、取り返しのつかないことになり兼ねない。
 ゆっくり深呼吸を重ねながら、獣の肉体とカートの肉体を、ぼく自身の思念で同調させるようにする。その精密な霊的作業の途中では、誰にも邪魔されたくはない。
 魔獣(ビースト)本来の意識が目覚めないことだけを願いつつ、細心の注意で《闇の気》の処理を続けた。
 二つの肉体が淡く発光し、
 力の移動と浄化による変容を感じ、
 そして少しずつ成果が現われ始めた。
 舌に感じる牙が縮み、人の犬歯に戻っていく。
 顔全体を覆う毛の感触も消え失せ、目元にかかる前髪が散らつくだけになった。
 毛だらけの前肢も白い人肌に戻り、安堵のあまり、思わずカート・オリバーの異形の《闇の手》をぎゅっと握りしめた。
 体内の《闇の気》が薄れてきたのを感じ、呼吸の音もゼーゼーという耳障りな響きから、スースーと人らしい聞き慣れたものに変わって行った。
 甘い血の匂いは感じなくなり、嗅覚よりも視覚の方がカートの肉体を改めて強く認識させる。
 筋肉質のたくましい肉体に対しては、食欲よりも信頼、安心感を覚える。もちろん、自分本来の体なのだから当然だ。
 一方で憑依先の肉体感覚の方も、獰猛な猛々しさから穏やかな柔らかさに移っていくのを、ぼくはうっとりした気持ちで味わった。
 全ては上手く解決した。
 そう思いながら、ぼくはふと違和感に気付く。
「この体は誰?」
 予想よりも高い声が聞こえ、ぼくを焦らせる。
 それ以上は作業を維持できなくなり、自分の体を両手でかき抱く。
 胸のふくらみをはっきり感じ、女性の裸体を認識した。
「まさか……」
 腹部の星輝石は元の色合いを取り戻し、緑に発光している。
 慌てて、衣装入れに駆け寄り、そこに取り付けられた姿見をまじまじと見つめる。
「これは、どういうこと……?」
 鏡の中でつぶやいたのは、淡い金髪と、湖のような瞳の持ち主だった。
「カレン……」
 首をかしげた彼女の姿が、ぼくを不思議そうに見つめていた。


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