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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−14)


 
4ー14章 フェイク

 本当にどうなっているんだ?
 鏡の中のカレン、いや、ぼくは口をポカンと開けたまま、言葉を発することができなかった。
 ええと、夢の中で《暗黒の王》と名乗るトリックスターに何やら警告されて、
 起きてみれば自分の部屋で突然、魔獣(ビースト)に襲われて、
 死にかけたと思ったら、魔獣(ビースト)の体の中にいて、
 いろいろ考えて魔獣(ビースト)を人間に戻したと思ったら、それはカレンだったという……。
 出来事だけをたどってみれば、そういうことなんだけど、あまりに目まぐるしくて、星輝石の力で強化された思考力でも、事態が把握できない。
 誰の仕掛けた悪戯(いたずら)だ、これは。
「責任者、出て来い」冷ややかな瞳で鏡を見つめ、何とかそう呟く。
 全てが夢ってことじゃないだろうな。
 腹立たしい気持ちで、カレンの頬っぺたをつねってみる。
 カートの頬よりも、柔らかくてすべすべしている……その肌触りに一瞬、心奪われてしまってから、慌てて気を取り直す。
 一応、つねった頬は痛かった。
 夢じゃないのだろう。
 たぶん。

 これぐらい焦って、気持ちが動転したのは、《暗黒の王》になった朝以来だ。
 あの時は、自分の横でカレンが眠っていた。
 で、今度はカレンの中に自分がいる。
 全ての元凶はカレンなのか? 
「私が悪いの?」そうカレンの口調でつぶやいてみる。
 あまりにもリアルに聞こえて、カレンがぼくを責めているような気分になった。
「ごめん、カレン」慌ててつぶやき直し、考えを改める。
 カレンを責めても始まらない。何しろ、今のぼくがカレンなんだから。単に自分を責めるよりも、話がややこしくなる。
 責めるべき相手がいるとしたら、おそらく例のトリックスターだ。
 せめて、名前ぐらい聞いておくべきだった。
 《暗黒の王》と自称していたけど、それを認めるつもりはない。偽者の類と決め付けて、フェイクと呼ぶべきか。
 うん、そうしよう。
 奴の名前はフェイク。
 この事態を巻き起こした全ての元凶だ。
 きっと。
 無理矢理ながらも一つの決断を下したことで、少しは気が落ち着いた。

 次にするべきことは……鏡をじっと見つめる。
「服、着ないと……」さすがに裸のままじゃ居心地が悪い。
 じっと観察していたい男の欲望を封じ込め、以前の出来事を思い起こす。カレンは、こういう非常時にどうしたか?
「せ、星輝転装!」
 同じように言いよどみながらも一言放ち、
 同時に力を呼び込むように左手を天に掲げて、
 さらにバレリーナのようにクルッと一回転する。
 これでどうだ? 
 ドキドキしながら鏡を見る。
 数秒待ったけど、何も起こらない。
 どうして? 
 もう数秒待ちながら、自分の疑問の答えを探ってみる。
 たぶん、カレンの星輝石は、ぼくの魂に同調していないので、星輝士の力を与えてくれないのだろう。
 あるいは、リメルガの時みたいに体内の《闇》を浄化された副作用で、カレンの肉体が消耗してしまい、一時的に転装する能力を失っているのかも。
 そこまで考えてから、理由はどうあれ結局は転装できないという事実を認め、普通に服を着ることにした。

 もちろん、ぼくの衣装入れには、女物の服は入っていない。
 それに男物の服で間に合わせるにしても、サイズが違いすぎる。
 魔獣(ビースト)の時は肉体が膨張していたのか、ぼくに匹敵する巨体だったけど、本来のカレンは、平均的な成人女性よりやや長身程度の標準サイズだ。ぼくの服だと、ぶかぶかだろう。
 サイズの合わない男物の服を着たカレン……その映像が心に浮かんで、ぼくの魂の何かを刺激した。
 しばし、ぼんやりしてから、慌てて正気に戻る。
 今はぼくがカレンだ。
 自分に萌えてどうする。
 ………。
 ああ、これが萌えという感覚なのか。
 ぼくの中で、突然、ロイドの説明がつながった。
『愛は外への関係性を求め、モエは内なる想いを掘り下げる』
 ロイドと話しながら、ぼくなりに考えた萌えの定義だ。少なくとも、ぼくはカレンの内にいて、愛情とはまた違う不思議な感覚にときめいている。
 冷静に考えれば異常な事態なんだけど、たぶん、ぼくの心はこの状況そのものに興奮しているのだ。
 ……そんなことを思いながら、体は冷静に衣装入れをあさり続け、ようやく良いものを探り当てた。
 古代ローマ風の一枚布の白い貫頭衣。
 ここに来て初めて目覚めたときに着せられていたものだ。
 自分のセンスとは違うので、他の衣服がそろえば着なくなったけれども、まだ残っていたのは幸いだった。これなら男女関係なく着られるだろう。サイズの違いも、造りが簡単なので、適当に締め付ければ何とかなる。
 また一つの問題が解決した喜びに、何となくフフフンと鼻歌なんかをうたいながら、ぼくは衣装をまといにかかった。
 もちろん、ぼくの部屋には女性の下着なんてないので、肌の上から(じか)に布衣を着けることになる。
 抵抗はあったけど、
「今は非常事態なんだから、そんなことを気にしなくてもいい。裸のままでいるより、ずっとマシだと思わなくちゃ」
 そう自分に言い聞かせて、下着なしで服を着る葛藤を克服した。
(ここまで来ると、萌えを通り越して、もはやエロスの領域である)
 何やら哲学的な考察を独りごちた後で、何故かバトーツァの顔を思い出した。
 彼なら「一口にエロスと申しましても、厳密に分けるなら……」と前置きして、古今の生々しい性愛描写を語り、分類してくれそうだ。
「イヤらしい……」カレンの口で吐き捨てるように言う。
 ぼくの感じている気恥ずかしさが表情に出て、赤面している様子が鏡に見えた。
 カレンの肢体(からだ)が、ぼくの考えどおりに動くだけでなく、気持ちまでそのまま反映する事実を知って、ますますドキドキする。
 心臓の高鳴りまでがリアルに感じられて、右手で左胸を押さえないと、息を整えることもできない。
 内心もだえながら苦労して、ようやく身づくろいが済むと、全力疾走した後のような疲労感がドッと押し寄せた。

 落ち着け。
 落ち着け、自分(カート)
 今は萌えている場合じゃない。
 ふらふらと寝台に腰かけようとして、魔獣(ビースト)の痕跡に気付く。引き裂かれた敷布(シーツ)を恐る恐る手でなでながら、興奮した気持ちが冷めるに任せた。
 冷静な思考力が戻ってきて、ホッと息をつく。
 自分の内なる感覚(モエ)や倒錯した肉欲(エロス)よりも、周囲の事物や、今の状況に注意を向けることにする。
敷布(シーツ)を直さないと……」
 まずはそこから、と思った。
 物品変成の能力を使えば、物の修復は簡単だ。
 星輝石に思念を向けて、力を発動させようとする。
 だけど、さっきの転装と同じように反応なし。
 やっぱり、自分の星輝石でないと力を使えないようだ。
 カレンの星輝石に呼びかけて自分に同調するように命じようか、と思ったけれど、他人の力を無理矢理使おうとするのは望ましくない。
 壊れた物の修復は、後で自分の体に戻ったときにすればいい、と考え直す。
 そして全ての痕跡を消し去れば、表面上、事件は解決する。
「物だけならね」思考をうながすように、カレンの声でつぶやく。
 だけど、問題は物品の修復だけで収まることじゃない。
 危うく、ぼくは殺されかけた。
 人の命は、物みたいに修復できない。
 よもやカレンを利用して、ぼくを殺させようとするなんて……。

「カレンは悪くないよな」
 そう、彼女はぼくに殺意なんて抱いていない。
 ただ、誰かに《闇の気》を注ぎ込まれ、内なる獣を目覚めさせられ、ぼくを襲うように仕向けられたのだ。 
 カレンが魔獣(ビースト)と化したことは、事実を知ってみれば納得できることだった。
 彼女自身から、過去に魔物と化して人を殺した話を聞いていたからだ。
 白鳥姿の星輝士になる以前、彼女のもう一つの姿が獰猛なあれだったのだろう。
 てっきり、正体はリメルガかと勘違いしていたけど、魔獣(ビースト)の黄金の体毛を見たときに、カレンの金髪を想像すべきだった。
 だけど、魔獣(ビースト)の姿になることは、決して彼女の本意ではなかったと思う。
 ぼくの知る彼女は、自分の過去を冷静に語り、《闇》を享受し、奔放な()(かた)を決して否定してはいなかった。だけど、それは《暗黒の王》として覚醒したばかりの、不安定なぼくが相手だったから。彼女が《闇》を否定すれば、それはすなわち、ぼくの選択を否定することにもなる。
 しかし、彼女はそれでいて、《闇》を全面肯定していたわけでもない。つまり、《闇》の危険性を誰よりも理解し、恐れ、それに飲まれないように、ぼくに伝えようとしていたのではないか? 
 《闇》を受け入れながら、決してそれに飲み込まれるな。
 端的に言えば、そういうことをカレンはぼくに伝えたかったのだ、と思う。
 言葉としてまとめてしまえば、あっさり分かったつもりになれそうだ。
 だけど、あっさり分かったことは深い思索を経ていないために、たやすく忘れ去られる。だから、人は本当に分かるために、思索を重ねるのだ。何度も何度も、過ちと反省を繰り返しながら、自らの哲学を形作る。
 そうして習得した理解こそ、本物だ。
 カレンがぼくに伝えようとしたことを、ぼくはカレンの中に入って、初めて理解した。
 矛盾の多いように思えた彼女の言動が、ここに来て初めてつながった。
 その彼女を利用して、ぼくに差し向けた奴がいる。
「許せない」カレンの口で、ぼくはつぶやく。まるで、彼女の心を代弁するように。
 壊れた物を直しただけで、何もなかったように解決したりはしない。
 ぼくを狙う犯人は、同時にカレンの心を踏みにじったのだ。放っておくと、ぼくに関わる他の誰かをも利用して、ぼくを追いつめるかもしれない。
 そうなる前に何とかしないと。
 何とかって何を?
 倒す!
 思考の果てに到達した冷静(クール)かつ単純(シンプル)な怒りに突き動かされたぼくは、ハードボイルド探偵の気分だった。
 この怒りは、誰にぶつけたらいい?
「まず大切なのは、犯人を特定する確かな証拠よ」カレンの言葉で自分を鼓舞し、思考の方向を定める。
 そう、証拠だ。
 犯人がいるなら、必ず証拠がどこかにあるはずだ。
 容疑者の見当はついている。
 《暗黒の王》を名乗った男フェイク。
 ぼくの夢に現われ、挑発し、魔獣(ビースト)の出現を予告した奴。
 全てのタイミングが良すぎて、今夜の事件に何の関わりもないとは考えにくい。
 しかし、ぼくの夢だけでは何の証拠にもならない。
 トロイメライなら何かを知っているのかもしれないけれど、彼女に伝える前にもっと確かな手がかりをつかんでおきたい。
 ぼくやトロイの他に、彼と接触した者がいるとすれば……ぼくは鏡を見た。
 鏡の中のカレンは、決然とした表情でうなずいて見せた。
「昼間、ぼくと別れた後、君に何があったんだ?」
 ぼくは鏡の彼女に質問したけれど、何も答えてくれない。
 当たり前だ。
 これは童話に出てくる魔法の鏡じゃない。ぼくの知らないことを知っているはずがない。
 姿はカレンでも、心はぼくなのだから。
 でも、カレンの心はカレンのものだ。
 答えを知っているカレンの心が、この肉体の奥にいる。眠ったままの意識を起こして、問い(ただ)すべきか? 
 魔獣(ビースト)と化して、ぼくを殺そうとした事実を伝えるべきか? 
 ぼくは……カレンはかぶりを振った。
 彼女の消耗し、傷ついた心に負担を掛けるべきではない。
 だけど、ぼくは真実を知らなければいけない。
 彼女を、そして、ぼくの身の周りの人たちを邪悪な陰謀から守るために。

 倒れたまま動かないカート・オリバーの肉体を、ぼくは何とか担ぎ上げた。
 こんなに重かったのか。
 星輝石の助けの得られないカレンの体では、引きずらずに運ぶことができない。
「ごめん、ぼく(カート)」足を床にこすり付け、擦り傷ぐらい残るだろうなと思いながら、何とか寝台まで運び込む。
「後で治してあげるから」カレンの声で、ささやくように告げると、ぼくの肉体も嬉しそうに震えたようだった。
 ただの錯覚かもしれないけれど。
 少なくとも、ぼくの心は女性にそう言われたら、嬉しがるだろう。
 まあ、今までだったら赤面して「いいよ、自分で治せるから」と断るんだろうけどな。
 ちょっと初心(うぶ)すぎる。
 今度から、女性の好意は恥ずかしがることなく素直に受け入れようと決意しながら、異形の左手をそっと両手で包み込む。
 この《闇の手》こそが、ぼくの力だ。アストラル投射を行なうにも、手の甲に仕込まれた星輝石の欠片(シャード)の力が必要となる。自分の肉体から離れている以上、力を発動させるための有効距離がどれくらいか気になるところだ。それでも、魂と肉体が直接接触していれば、力を行使するにも支障ないはず。
 万が一そうでないなら、アストラル投射で違う肉体に入ってしまうと、もう一度離脱して元の肉体に帰ることも困難になる。憑依先の肉体では、術を行使することもできないのだから。
 そう考えると、カレンの肉体で自在に術を行使していたトロイメライはやはり凄いということになる。憑依術を駆使する者は、遠く離れた肉体から自身の力を伝達する技をどうにかして確立しているのだろう。
 ともあれ、ぼくの意思は《闇の左手》に同調し、力を発動する準備ができた。このままの状態でアストラル投射は十分果たせるはずだ。そうすれば、自分の肉体に戻ることもできる。だけど、その前にぼくにはしなければならないことがある。
 カレンの記憶を探り、敵の正体を確かめること。
 以前、アストラル投射を応用して、自分の失われた夢の記憶を復元したことがある。
 今回もそうするつもりだ。
 違うのは、自分の記憶ではなく、他人の記憶であること。
 人の記憶をのぞき見ることは倫理的に抵抗がある。《暗黒の王》になったばかりで、力や意識などが不安定になっていた頃に、カレンの記憶を探ろうとしたけれど未遂に終わった。
 記憶の断片だけで、彼女の過去の悲劇の一シーンがちらっと見え、ぼくの心が受け付けなかったのだ。結局、彼女の過去の話は、彼女自身の口から物語られることになった。
 以前は単なる好奇心に過ぎなかったけど、今回は敵を知るという大義名分がある。
 だから、ぼくは覚悟とともに決行した。

 カレンの肉体の中で、ぼくと別れてからの何時間かを思い起こすよう念じ、
 その心のデータを映像ディスクにイメージ化しようとする。
 《闇の左手》を心臓のある左胸に押し当て、大きく深呼吸してアストラルの円盤を引き出す。アストラルゆえに痛みはないものの、まるで心臓を引き抜かれるような心的感覚に、思わずうめき声を漏らす。
 こんなことを他人にやられたら、心的外傷(トラウマ)が残るんだろうな。
 カレン自身が目を覚ましやしないかと気配をうかがったけれど、そうなる様子はない。
 安心して次の操作に移る。
 アストラルの円盤を再生するために、額に挿入するのだ。
 自分の意思で行なっているとは言え、異形の手が何かを頭に押し込むのを、じっと見ているのは怖い。
 ぎゅっと目を閉じて、一息に挿入する。
 まぶたの裏で急速に光が広がるのを感じ、ぼく(カート)(カレン)となって、その昼の記憶と想いを再体験した。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「《暗黒の王》なんていないんだ」
 リオ様がぽつりと漏らしたその言葉が、私に大きな衝撃をもたらした。
「何を……」
 何を言っているの、カート?
 そこまで言おうとしたけれども、言葉にならず、ただ瞳を大きく見開いただけ。
 その間に、リオ様が言葉を続けた。
「カートが演技していただけなんだよ」
 演技……純情だったカートと、狡猾な《暗黒の王》が本当は同じだったということ? 純情そうに見せかけて、私を騙してきたの?
「今まで騙していて、ゴメン」
 言葉の上では謝っていた。
 だけど、正面から視線を合わせようとはせず、プイと顔を背けるカート。
 誠意がない、私はそう受け取った。
 私が治療のために触れていた手も無理に引きはがし、闇色をした手袋に収める。
 明確な拒絶の仕草。
 もっと説明して欲しい。
 私の何が悪かったの? 
 年下だと思って、上から諭すように振る舞いすぎた?
 姉のように振る舞え、って言ったのは、そっちじゃない。
 プリンのミスを責めているの?
 《闇の気》がここまで抑えられなくなっていることに、自分でも戸惑っているの。
 《暗黒の王》の力が、私に影響しているのは確かよ。あなたが《闇》に覚醒するまでは、こんなことはなかったもの。《森の星輝石》の力で十分封じ込められていたのに。
 どうしていいか、私一人では分からない。
 いっしょに考え、導いて欲しい。
 あなたなら答えにたどり付けるはずだから。
 私の知っているリオ様、誠実でひたむきなカート・オリバーだったら……。

 言いたい想いはいろいろあったけれども、あまりに多すぎて、何一つ言葉としては出てこなかった。
 私の揺れる心とはうらはらに、リオ様の言葉は事務的で冷然としていた。
「カレン、悪いけど、厨房に残っているプリンを全部、処分しておいて。誰かが間違えて口にしたら大変だ」
 違う。
 私の聞きたい言葉は、そんな指示や命令なんかじゃない。
 もっといろいろ説明するのが先でしょう? 
 それでも、私は自分の心を鎮めるために、静かに返した。「分かったわ」
 何も分かってはいない、それなのに……。
「続きは……夜に話し合いましょう」それだけ、すがるように訴えるのが精一杯だった。
 リオ様はうなずき返すこともなく、私に背を向けたまま食堂を出た。

 見捨てられた。
 そんな想いが吹き荒れる。
 不安に苛立つ心を抑えるために、人差し指でテーブルの表面をコツコツ弾く。
 本当はリオ様のがっしりした胸板に、そういう想いをぶつけたかった。
 相手の不実を責めさいなみ、
 言い訳めいた弁解があれば恩着せがましく聞いてやる。
 それでも、きちんと話してくれれば許すつもりはあった。
 互いに触れ、支え合っている実感さえ得られれば。
 純情な少年相手なら年上らしく優しく包み込み、
 狡猾な《闇》の守護者なら従順な下僕として忠義を示し、
 それでも彼が自らの心の《闇》に飲み込まれそうになったら反発し、過ちには踏み込まないように求める。
 その程度の駆け引きなら、さして難しくないはずだった。
 私の求めるリオ様は、少年の優しさと、王の強さを備えた一人の男。
 それを歪めて、少年の卑屈さと、王の狡猾さに踏み外させるようなことは、あってはならない。そうさせたとしたら、私のミスだ。
 たぶん、私の心の卑屈さや、狡猾さがリオ様の心を蝕んだのだから。
 私は決して、立派な人間じゃない。
 一人きりではいられない愛の渇望を、常に抱いている。
 義父ラビックや兄ソラークがそれぞれのやり方で、私を満たしてくれた。
 兄は義父のやり方を倫理的に許せず、自らの正義心で断罪した。そのことが、兄と私の心の両方に影を落とした。
 私の心は二つに分かれ、光を求める一方で、闇に安らぎを感じるようになっていった。
 義父が遺した闇が私の中で成長し、それを(いと)いつつも決して切り捨てることができなかった。
 
 ゾディアックの中に、私が居場所を得られたのは、そこがやはり光と闇を内包する組織だったからだ。
 星霊皇は光。
 星輝士は光。
 かつては、光の正義を志向する気高き組織であった。
 しかし、今のゾディアックは違う。
 星霊皇は表向き姿を見せなくなり、組織の構成員は光を見失っていた。
 星輝士は、闇を払う本来の力を失い、戦うべき相手すらはっきり分からぬまま、過ぎたる力をもってただ世界の紛争の影で軍事介入することを職分としていた。現場で戦う者たちの大半はそうすることで、世界に平和をもたらせると信じてはいたが、組織の上層部には「金儲けの便利な道具」としか見ないものもいた。「愛と勇気と正義の戦士」だなんて子供だましのお題目を本当に信じ、追求している者なんて数少ない。
 ゾディアックは、星霊皇の意思も分からず、単なる組織維持のための傭兵活動と、学者や聖職者の神学を隠れ蓑にした保身のための派閥抗争、星霊皇の後継者問題にまつわる思惑の衝突など、世俗的な人の愚かさがはびこる組織と堕していた。
 私には組織の難しいことは分からない。帝王学の何たるかぐらいは、義父がちらちら語ってくれたことを聞きかじっているけれど、体系だったものではなく断片的に覚えているに過ぎない。
 さしたる理想もないから、ゾディアックのあり方は単にそんなものだと割り切ることができた。神聖なる秘密結社といっても、しょせんは人が作ったもの。神の声が伝わらなければ、理念を維持することは困難だ。
 ソラークはそうではなかった。
 ゾディアックに新たな光の可能性を見い出し、そこを自分の新たな家族と定めた。彼は光を追求するにつれて、次第に私と距離を置くようになっていった。
 彼は、私にも信仰の道に生きるよう進めてくれたが、私が選んだのは彼と異なる《闇》の道だった。
 表向きはセイナを導師としながらも、《影の星輝士》リン・マーナオの姿を借りたトロイメライこそが真の師であった。
 光と闇、表と裏の二重生活、それがゾディアックに来てからの私の人生だった。
 いや、ゾディアックに来る以前から、そうなっていたのだろう。

 カート・オリバー。
 《太陽の星輝士》候補として選ばれた16才の少年。
 少年と呼ぶにはその体格はたくましく、並みの大人を凌駕している。ただ、その心は未成熟で、私にとっては可愛い弟を見るかのようだった。
 未成熟な相手には、大人は純真さとひたむきさを期待する。
 まぶしい未来に向けた成長を望むから。
 ましてや、将来の指導者候補なのだ。
 ジルファーは教師役として彼に接し、その思いがけない才能を発見した。日頃は冷静な皮肉屋の彼が、ことカートの話になると、情熱たっぷりに語りだすようになった。
 兄のソラークは、報告の席で彼の話を興味深く聞いていた。
 カートの教育に際して、一度は距離を置いた私たち兄妹も再び身近に接するようになり、また、いつの間にか兄の親友となっていた学者とも、私は知り合うようになった。
 私が星輝士になったことを兄は反対していたが、ジルファーは彼なりに私を気遣って、兄をなだめてくれた。お礼にコーンスープを用意したところ、この神経質な学者は一口飲むなり青ざめて吐き捨てた。「これは命に関わる」と言いながら。
 ジルファーは失礼でズケズケ物を言うが、そのストレートぶりには好感が持てた。少なくとも陰謀で人を陥れるタイプではないが、理路整然とした思考力の持ち主で議論を好み、一度割り切ってしまえば、いつまでも後に引っ張らないさっぱりした気質を備えている。
 後からいろいろ悩みがちなソラークには、こういう割り切れる相方が必要なのだろう。そのソラークは、自身では直接カートの相手をすることなく、組織運営のための裏方に徹していた。
「あの年頃の少年と、どう接していいか、よく分からなくてな」と兄は言う。
「ビジネスライクに付き合える相手ならいいが、自分の過去を思い出すと、どうしても構えてしまう。本当に指導者の器なら、いずれじっくり話してみたいが、我々の事情を押し付けるとかえって反発を招くかもしれん。私はジルファーのように柔軟に振る舞うことはできないからな」
「確かに、カートには繊細(デリケート)なところがあるな」ジルファーは同意した。
「ひとたび反発すると、自暴自棄な行動に移る危険はある。だけど好奇心は旺盛で、理を以って説明すれば、それを受け入れようとする素直さもある。押し付けではなく、うまく引き込むことだな。だからこそ、神官殿の計画どおりに力づくで拉致同然に連れてきたのは失敗だったと考える。カレン、君はどう思う?」
「もう、過ぎたことでしょう?」私は問いに問いで返すことで、話をそらした。
 神官バトーツァの計画は、すなわちトロイメライの意図でもある。
 カートに、ゾディアックという組織への反抗心を植えつけて、《闇》の陰謀の手駒として利用できるようにしようという目論見がそこにはあった。
 トロイメライの、そういう陰謀気質が私は好きになれない。
 人はもっと開放的であるべき。それが私のささやかな哲学。
 だけど、《闇》の秘密を抱えるものとして、隠さなければいけない事情もあることは分かる。自分たちの安全を確保するためには、暗い策謀に手を染めなければいけないことは、ゾディアックに参加する前から分かっていた。
「拉致が問題なら、私やソラークも半ば無理矢理、連れて来られた口よ。事前の説明が十分だったとは言えないわ」
 トロイメライは私を力で屈服させ、彼女の庇護と命令を受け入れざるを得ない立場に追い込んだ。
 一方、ソラークは私の身の安全と引き換えに、ゾディアックに連れて来られた。私を人質としたのは、トロイメライの仕組んだ芝居だったけど、もう少しやりようはあったと思う。ソラークを組織に引き込むために、私は利用されたのだ。
「過ぎたことだな」兄が私の言葉を引き継いで、内心の不満を和らげた。「我々は受け入れた。初めは神秘の力にも半信半疑だったが。あの少年、いやラーリオス様にもいずれ分かってもらえよう。何しろ、選ばれし者なのだから」
 そう、選ばれし者。
 《月の星輝士》シンクロシアに選ばれたスーザン。
 その相方として選ばれた《太陽の星輝士》ラーリオス。
 星霊皇の後継者として、どちらかが試練の戦いに勝たなければならない。

 だけど、カートを選んだのは、星霊皇だけではなかった。
(彼は《暗黒の王》として覚醒するわ)
 夢の中でトロイメライがそうささやいた。
「《暗黒の王》?」影の女の霊的接触を味わいながら、私は問い返した。
(そう。彼の夢で接触したときに知ったの。カート・オリバーは手駒どころか、私たちを導く貴重な人間になる)
 トロイメライがカートを見込んだ理由は、その夜は分からなかった。
 だけど、ジルファーと共に導き手として接しているうちに、秘めたる才能を開花させていく様子を見ることになった。
 カートは、無垢で大きな器だ。
 液体を注ぎ込むと、どんどん吸収し、何色にも染まる柔軟性がある。
 導き手としては、これほど将来有望な人材はいないように思えた。
 ただ、器としては大きすぎて、少量の液体を注いでも周りからは変化が認めにくい。だから、ある程度、溜まるまでは辛抱強く教え込む必要がある。
 大器晩成と言ったらいいの? 
 時間を掛けて、じっくり育てれば大きく伸びるタイプ。
 だけど、私たちには時間がなかった。
 カートに無茶な成長を()いることになる。
 巨漢のハヌマーンが生身の彼を、訓練中の未熟者とは言え、それなりの力を備えた星輝士と戦わせ、重傷を負わせたと聞いたときは、どうなることかと思った。
 トロイメライには、彼をじっくり導くとともに、《闇》に誘う策を講じるように言われていた。それをどうやろうか考えていた矢先に、命を落としかけたのだ。
 私の治癒術だけでは彼を救えないと悟ったので、トロイメライの助力を求めた。彼女の霊力によって増幅された治癒効果のおかげで、カートは一命をとりとめた。もちろん、彼自身の強靭な体力もあったのだけど。
 カートは強い。
 そして優しい。
 自分を負傷させた巨漢と少年を簡単に許し、自らの過ちは素直に認め、そして試練を克服して成長する。
 私には同じことはできそうにない。
 負傷には相応の報いを与え、過ちはさっさと忘れて深く考えないようにし、刹那的に生きるようにする。
 もちろん私にだって心を寄せる誰かのために、できることをしてあげたいという感情はある。ささやかながらも、私という人間を維持する良心。
 しかし、カートはそれだけじゃない。
 無知で危なっかしいけれど、一途で、自分よりも周囲を気に掛ける。
 一見、頑固で鈍重に見えるけれど、経験から学ぶ速度は誰よりも早く、ひとたび芽が出ればみるみる成長する。
 そんな彼の光、まぶしい可能性を、教える者は称賛し期待した。
 私は最初、《闇》の秘密もあって、カートに感情移入しないよう努めていたが、接触を重ねるうちに、ソラークとは違うタイプの光を彼の中に見い出すようになっていった。

「シンクロシアとの戦いは、秘密にしておけだって?」定期報告の場で、ジルファーが驚いたように言った。
「そうよ」私は自分の提案を一歩も譲るつもりはなかった。「あの子には耐えられないわ」そう断言する。
「しかし、一番肝心なことじゃないか」ジルファーは明らかに不満を示す。「シンクロシアの件は隠し通せるはずがない。人を信用させるのは、何よりも虚心坦懐な真実だ。虚偽で人を操ろうとしても、いつかはバレる。裏切られたと知ったとき、人は動揺して、時に自暴自棄になるぞ。なあ、ソラーク」
「あ、ああ」兄はいつになく、歯切れの悪い返答をする。
 裏切りという言葉は、兄の傷口をしばしば突き刺すようだ。
 兄は、自らの過ちを悔やみ続ける。だから、極力、完璧を求めるために努力を重ねるのだ。そんな兄の姿は好ましいが、時に歯がゆく映ることも多い。
 もっと肩の力を抜いて、楽に生きればいいのに。
「我々がラーリオス様を裏切るような真似は、決して望ましいことではない」兄の言葉は、総じて正論だ。しかし、人情の機微までは解し得ないことがある。
 それでも、分からないことは分からないと認め、事態を解決するのに必要な答えを求める誠実さは持ち合わせている。独り善がりの押し付けで物事を通さないだけの分別は備えているのだ。
 兄は私にそういう視線を向けた。「どういう理由だ、カレン?」
 トロイメライの命令よ。
 そう返したかったけど、もちろん口にはしない。
「恋心よ」私は返した。
「バカバカしい」ジルファーは鼻で笑った。「真実と恋、どっちが大切だ?」
「バカなのはあなたよ」辛辣に言い返す。「学者バカって奴ね。貴重な書物を焼け、と言われたら、あなたはどう思う?」
「その理由を問い質し、書物の貴重さをたっぷり訴え、相手の要求の理不尽さを論破し、真実の重要性をもって情報の価値を守ろうとする」学者バカは淡々と、しかし異様な情熱を瞳に宿して主張した。
 私は、ほとんど聞き流し、最後の言葉にだけ反応した。
「そう、守ろうとするの」カートの気持ちを代弁する。「あの子はスーザンを守るために、私たち全員と戦おうとするわ。最初の夜に宣言したようにね」
「いくら何でも、それほど愚かじゃないだろう」ソラークが口をはさむ。
「兄さんは私を殺せと言われたら、どうする?」そう返した。
「むっ」兄はうめき声を上げた。「それとこれとでは話が……」
「同じことよ。誰だって、愛するものと戦えなんて言われたら、反抗するわ。繊細(デリケート)な問題なの、これは」
「しかし、秘密にして、それからどうしろと言うんだ?」ジルファーが苛々と言った。真実を隠して物事を進めるというのが、よほど嫌なのだろう。参謀にはなれても策士にはなれない、そんなタイプ。
「機を見て、私が伝えるわ」そう結論づける。「問題は理性ではなく、感情、そして使命感や信仰心に関わってくるの。愛するものと戦うには、それだけの理由が必要だわ。あの子には、まだそれがない。星に手を伸ばす理由(リーズン・トゥ・リーチ・フォー・スターズ)があれば、自らの意思でそれをつかみ取ろうとするはずよ。その段階で、真実を伝えればいい。任せてくれるかしら」
「信仰心か……」ソラークはつぶやいた。
「カレン、君の言いたいことは分かった」ジルファーが納得の笑みを浮かべた。
「恋心なる感情は私には分からないが、真実を伝えるためには下準備が必要ということだな。心の問題は君に任せるとしよう。その間、私は技術面の伝達に専念することにする。カリキュラムも、そう修正しておく。後で君の学習計画をまとめてくれ。それと報告書もきちんと書いてもらうぞ。その上で、ひととおりの準備ができたら、私にも教えてくれ。難しい真実を伝えるのは私の仕事だ。君には……傷ついた彼の心の治療(ケア)を頼みたい」
「任せておいて」私も微笑で返した。
「だけど、私には報告書なんて立派なものは書けないわ。今みたいに口頭で勘弁してくれないかしら」
「……書いたものの方が正確に伝わるんだがな」ジルファーは少し考え込んだけど、
「まあ、いいだろう。君は教育の専門訓練を受けてきたわけではないのだし、君を教師として導くことは私の仕事ではない。君には、君のできる、そして私のできないやり方で助けてもらえれば十分だ」
「私にも何かできることはないか?」ソラークが口をはさんだ。
「もちろんある」ジルファーは真剣な表情を見せた。
「カートを養い、不満を最小限に抑えるには、何よりも食事が肝要となる。彼の分の食料は、通常の3倍ぐらいは見繕った方がいいだろうな。高級品でなくてもかまわないが、とにかく量を確保しないといけない。兵站や調達などの地道な事務仕事は、君のような堅実な人間でないと務まらないと思う。私はやれと言われたらやるが、自分の創造性を発揮できないような作業には乗り気になれん。それができる人間は、ここには君しかいない。ランツに任せるわけにもいかないだろうし」
「別に私は書類仕事が好きだというわけじゃないのだがな」ソラークはかすかに不平をもらす。珍しいことだ。ジルファーには相当気を許しているのだろう。「できるなら外で飛び回っていたいくらいだ」
「飛び回っているじゃないか」ジルファーは苦笑いを見せた。
「神官殿の転送円で本部に行き、バハムートやお偉方との無駄な会議に列席する。いまだに、カートをラーリオス候補として認めない派閥があるそうだな。しかし、最高神官の手前、表向きにはそういう反対ができない。だから、会議の席でねちねち難癖を付ける程度の妨害で絡んでくる。面倒な話だよ、まったく」
「……相変わらず耳ざといな、ジルファー」
「イゴールからの知らせだ」学者は、彼の友人の名前を出した。
「彼はソラーク、君を高く評価し、味方をしたがっているからな。バハムートだけでなく、彼にもしっかり連絡を取り合ってるといい。表向きはただの武器屋を装っているがな、あれで結構したたかなところがある。もっとも、バハムートの対抗馬を狙っているわけじゃないのだが、周りからそう焚き付けられて困る、とこぼしていた。君が間に入れば、両者の仲がこじれなくて済むと思うんだがな」
「そんなことになっていたのか」ソラークは苦々しい表情を浮かべた。「どうして一つの組織で、そうも対立を煽る輩が出てくるのだ? 共に神の理想を目指す同志のはずじゃないか」
「全ての人間が、君のように理想を追う者ばかりではないということだ」ジルファーは淡々と割り切る。「ともかく、君の忙しさは私も十分承知している。それでいて落ち度がない。内の仕事は我々に任せて、君は外と内をつなぐ仕事に尽力して欲しい。カートが成長しても、組織に人脈を持たない裸の王様であっては、彼が可哀想だ」
「分かった」ソラークはうなずいた。「ラーリオス様のための人脈作りか。君がそこまで考えていたとはな。私は単に、彼が成長すれば皆がその威光に従い、一つにまとまるものだと思い込んでいたが」
「君のように純粋な信仰者ではないからな、私は」ジルファーは苦笑を浮かべる。「何事も現実的に考える。理想は、君やカートのような光を持つ者が追求するといい。私はその理想の手助けができれば、それで満足だ」
「そうね」ジルファーの言葉に私もうなずいた。
「カートのために、私たちはそれぞれの立場で、できることをする。ジルファーは彼に技術(スキル)を、私は彼に理由(リーズン)を、兄さんは彼の組織での土台(ベース)をそれぞれ与えればいい。そういう結論で問題ないわね、ジルファー」私は自分の役割を再確認できたことで、満足の笑みを浮かべた。
「ああ、カレン、うまくまとめてくれた。全くその通りだ」ジルファーも、望む合意に達した喜びを表情に示す。
「……二人はずいぶん気が合うんだな」ソラークが思いがけない言葉をはさんだ。「ジルファー、君さえ良ければ、将来、妹の面倒を見てやってくれないか?」
「ソラーク」ジルファーは驚きの目を兄に向ける。「冗談が言えるとは思わなかったぞ」
「いや、これは冗談ではなくて、だな……」
「兄さん」私も冷ややかな視線を向ける。「どういう風の吹き回しか知らないけれど、今はそういう話じゃないでしょう。私にはラーリオス様が大事だし、彼が立派に育ってくれないと、試練を乗り越えることもできない。私たちの将来は、カートがどう育つかにかかっているんだから」
 ソラークが私から離れたがっている。
 そう感じたのは、そのときからだった。
 私の面倒をジルファーに押し付ける。それはつまり、自分がこれ以上、私に関わりたくないということではないか? 
 そんな疑念が私を(さいな)んだ。
 ソラークは光を求めている。それは私も同じだったけど、私の求めるものはソラークの中にある一方で、私の中にはソラークの求めるものはない。
 だって、私の中にあるのは醜くて人目にはさらせない《闇》だから。
 ソラークがいなくなれば、私は自分の《闇》をどう抑えたらいいの? 
(抑えなければいい。ソラークも《闇》に引き込むの。そうすれば、自分を隠すことなく一緒にいられる)
 時おりそんな声が内心に聞こえて、私の想いを惑わせた。
「いやよ。私は彼の光を望んでいるの。それを消し去るようなことは望んでいない!」
 悪夢を見た夜などに、不意に目覚めて、そう叫んだこともある。
 その悪夢は、トロイメライが仕掛けたものではない。
 私の中の《闇》が仕掛けたものだ。
 (カレン)は、(やみ)から自由になれない。
 ソラークが私から離れたら、私はどうなる? 
 私の求める光は、どこにあるの? 
 その答えが、カート・オリバーだった。

 年下の少年に寄せる想いは、愛なのか? 
 いつの間にか、そういう疑問を考えるようになっていた。
 答えはノー。そのたびに自分で否定する。
 たぶん、これは信仰なのだ。だって、彼は神に近い存在となって、私たちを導いてくれるはずだもの。それがたとえ、光であろうと、闇であろうと。
 トロイメライは私に、機を見てカートを闇に引き入れることを求めてきた。
 私は上辺だけは分かりましたと応じながらも、なかなか実行には移せないまま、どっちつかずの気持ちで彼に接し続けた。
 いつしか、カートを主君と仰ぎ、リオ様と呼ぶようになっていた。
 一時的に心を閉ざして星輝石の操り人形のように振る舞っていたカートを見ていられず、現実の世界に引き戻そうと言葉を尽くしたこともあった。
 カートの心の状態は、いつでも気がかりの種だった。
 彼の心が不安定だと感じると、私の心もざわついた。
 心配するのは当然だ。
 だって私は聖職者なのだから。
 彼の心の治療(ケア)も、私に任された仕事なのだ。
 カートに接するまでは、自分がそのような気持ちになるなど有り得ないと思ってきた。
 信仰に敬虔なソラークを見るたびに、どこか冷めた気分になり、神に対する懐疑的な想いを捨てきれなかった。
 それなのに、どうしてカートに畏敬の念を覚えるのか? 
 このまま真っ直ぐ成長したなら、彼は本当に私たちを導く存在になってくれるのか?
 それとも、ソラークみたいに光の道に邁進して、私の心の《闇》を見透かして、やがては見放すようになるのか? 
 そうなる前に、トロイメライの言うように彼を私たちの側に引き込んで、暗き道の主として祭り上げるのが望ましいのか?
 そうした疑問に答えを出せないまま、流されるように、その夜を迎えた。
 私やジルファーが計画的に伝えるはずだった秘密をカートが知り(ランツに口止めしていなかったのは失敗だった。彼がそこまでお喋りだったなんて想定外。私の前ではいつも寡黙だったのに)、
 予想どおりにカートは自暴自棄になって洞窟を逃げ出し(それでもジルファーが伝えた以上の手腕で見張りを眠らせ、投獄中の神官殿に交渉を持ちかけるなど、並みの少年のすることではない。あのトロイメライさえ驚かせるほどの成長ぶりだ)、
 予想外の刺客が彼の命を狙い(月陣営に対してトロイメライが仕掛けた陰謀が、悪い形で実ったらしい。ジルファーの弟は、カート以上の計算外の存在だったみたい)、
 全ての計画が崩れるかに思えた運命の夜。
 事態の収拾を図るため、トロイメライが私の体を借りて、表に出ざるを得なかった夜。
 そこで否応なく、私は自分の《闇》をカートにさらけ出すことになった。

 トロイメライがカートに打ち明け話をし、巧みな言葉で説得するのを、私は自分の体の奥で黙って聞いていた。
 私は彼女のように、冗舌じゃない。
 自分の気持ちを自分でうまく説明することなんてできない。
 だって、どう説明できたというの? 
(私は、カートの中の光を求めています)事実だ。だけど、それが全てではない。
(私は、私の中の《闇》を憎んでいます)それも事実だ。だけど、自分の中の《闇》は消せない。それを口に出してしまうと、私は永遠に自分を憎み続けなければいけない。そんなの辛すぎる。
(私は、カートに《暗黒の王》として、私たちを導いて欲しいと思っています)それも事実。だけど、同時にそうなって欲しくないとも思っていた。カートにはカートらしく、強さと優しさ、勇気と慈愛をなくさないでいて欲しかった。
 私の中で、光と闇が揺れていた。
 どちらが勝つか、私には決められなかった。
 だから……私は導いて欲しかったのだ。
 そして、救われたかった。
 私の中の《闇》を否定することなく、それでいて光の世界に誘ってくれる救い主を渇望していた。
「王として、命令したらいいのか?」カートは私に問い掛けた。
 次いで、強い口調でこう言った。「それなら、あなたの手で、《闇の左手》をぼくに装着して欲しい」
「リオ様、それは……?」それまで極力、感情を抑えようとしていたけれども、ついに抑えられない段階に来た。
「それで、ぼくが《暗黒の王》に覚醒するなら、あなたの手でそうして欲しいんだ、ぼくのワルキューレ」
 私の手で……リオ様を、カートを《闇》に引き込む。

 私の《闇》は、それを聞いて興奮した。
 自分と同じ(くら)い想い、破滅に至るかもしれない欲望を共有できる相手を生み出すなんて。
 しかも、自分から求めるのではなく、相手から求めてくるのだ。
 自分はただ、それに応じればいい。

 私のかすかな良心は抵抗した。
 光あふれる未来が期待されている少年を、私と同じ堕落と葛藤の存在に(おとし)めるなんて。
 たぶん、彼は自分が何を失うことになるのか気付いていない。
 ただ、巧みに仕掛けられた罠に引き寄せられ、破滅の未来が待つことにも気付かず……。
 いや、気付いているのか? 
 彼の瞳に宿る(くら)い光を見たとき、私の背筋はぞくっとした。
 目の前にいるのは、最初に会ったときのような無知で純真な少年ではない。
 裏切られ、傷つき、絶望を味わった者のみが持つ心の闇を宿していた。その闇が成長すれば、明確な《闇》すなわち邪霊を引き寄せ、その温床となる。
 いや、己自身が《闇》と化し、人の世を脅かす化け物とさえなり得る。
 それほどの危険を、カート・オリバーは内包していた。
 私はそれに初めて気が付いた。
 それとも、気付いていながら、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
 私自身がそれに手を貸している事実を認めないために。
 何がカートに闇を植えつけたの?
 トロイメライのもたらす悪夢?
 星輝石のもたらす幻視作用?
 スーザンとの過酷な運命?
 あるいは、私がカートを騙していたという事実? 
 何とかカートの心の闇を癒したかった。
 だけど、私にはそれはできない。
 私の中には光はなく、ただ《闇》があるばかりだから。
 《闇》では闇を癒せない。
 できることは、共に寄り添い、せめて残された良心だけは保つように支え合うことだけ。
 それがなくなれば、心を持たずに暴走した化け物となり、人とは呼べなくなる。
 カートを《闇》の化け物ではなく、人の心を留めた王として導くことが私の為すべき仕事になった。
 《闇》の力を宿してはいても、人間性を失わない。
 それこそが、私にできるギリギリの選択だった。

 そうして、私はカートとともに《闇》に堕ちた。


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