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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−15)


 
4ー15章 ダブル・フェイク

 (カレン)はカートとともに《闇》に堕ちた。

 カレンはぼく(カート)とともに《闇》に堕ちた。

 記憶の再生が中断し、(カレン)ぼく(カート)に戻る。
 そこは光がなく、ただ暗黒の広がる世界。
 ぼくは瞳を開けて光を求める気持ちもなく、夢とも(うつつ)とも知れぬ狭間の世界をただ記憶の余韻のままに(たゆた)っていた。
 日中(ひる)でも夜中(よる)でもない、夜明け前の混沌(カオス)
 自分を導く星の光さえ感じ取れない精神世界(こころのなか)で、ぼくが感じとっていたのは多くの矛盾した感情。
 喜びと哀しみ。
 信頼と寂しさ。
 愛情と憎しみ。
 希望と絶望。
 反発する想いが入り乱れ、触れつつも交わらないところに葛藤の渦を呼び、それでも現実の中で何とかつなぎ止めようとする。
 カレンの記憶は、そうした背景をぼくに突きつけ、惑わせた。
 星輝石のおかげで、知識は高速で処理できても、感情はうまく処理できない。処理するためには、自ずと感情を殺し、機械人形のようにならなければならない。
 それはすでに経験したことだ。
 当座の解決にはなっても、人間性を重んじる星輝士の理念には反するのだと思う。

 ぼくは感情(こころ)を大切にしたい。自分のものも、他人のものも。
 その上で、互いに矛盾するそれらを上手くつなぎ止めることができれば、と思う。
 それを分断し、傷つけ、侮り、あたかも欠陥品のように見下すような傲慢(おごり)は許したくない。たとえ、神であったとしても。
 神は人の傲慢(おごり)を戒めるために、人の心をつなぐ言葉を分断した。
 人は互いに理解し合えなくなり、不和と諍いを繰り返すようになった。
 つまり、神こそが人の世に争いの種をまいたことになる。
 ただ、人が神の権威に逆らえないようにするために。
 神は、人に謙虚な奴隷であることを求めるのか。
 そんな神はただ、支配者にとって都合のいい偶像なのではないか。
 星輝士にとっての神が星王神であるならば、それは星輝士とともに、人間性を重んじる存在でなければならない。
 星王神が人を重んじないのに、星輝士にそうであれと諭すなら、それは星輝士を都合の良い奴隷として扱い、さらに、その力をもって世間の人々をも下級の奴隷として踏みにじることではないか。
 そのことの矛盾を、星王神や星霊皇、そしてゾディアックの中枢を形成(かたちな)す人々に叩き付けたい気持ちがにわかに湧き上がった。
 
 逃げだ。
 すぐに、そう感じる。
 カレンの生々しい感情に触れたぼくは、それをそのまま見据えることを拒み、神学理念の問題に置き換えようとしている。
 神が悪い、と責任転嫁することは容易だけど、それで自分自身の向き合うべき問題を棚上げするのは卑怯だ。
 カレンの記憶に改めて向き合う覚悟を決める。
 一度、神に焦点を向けたことで、感情に流されない冷静さを取り戻せたのかもしれない。
 改めて振り返ると、ぼくは少なからず自分のミスに気付いた。
『続きは……夜に話し合いましょう』すがるように言ったカレンの言葉を、ぼくは失念していた。これは彼女の一方的な訴えではない。
『お互いのコミュニケーションが足りないようだな。夜にでも、じっくり話し合うとしよう』確かに、自分の言った言葉だ。
 それを忘れていたなんて。
 ロイドとの交流で子供っぽく満足してしまい、カレンのことが抜け落ちてしまったのは、重大な失策と言える。
 まさか、そのことを憤って、魔獣(ビースト)に姿を変えたわけじゃないよな? 
 そんな単純なことだったら、何度でも頭を下げて謝る覚悟はある。
 ただ、命まで脅かされるほどの過ちとは思えない。

 もう一つのミスは、『ともに《闇》に堕ちた』の意味だ。
 ぼくは、カレンがとっくの昔に《闇》に堕ちていて、そのことを完全に受け入れていたものと考えていた。
 そのうえで、ぼくや他の星輝士を平気で裏切り、嬉々としてトロイメライの手先を務め、何ら悪びれることもなく良心の欠如した完全な悪女。ぼくに見せた清楚な振る舞いも、いじらしい涙も全てはぼくを騙すための演技。
 そういうしたたかな相手と渡り合うために、ぼくは必死に彼女の手練手管(やりかた)を学びとり、《暗黒の王》の称号に恥じないしたたかさを身に付けようとしてきたつもりだ。
 だけど、実はそれが逆の意味だったとしたら?
 強い彼女が他人を騙すために弱さを装っていたのではなく、弱い彼女が自分を守るために虚勢を張って強さを装っていたのだとしたら? 
 ぼくの振る舞い方は、したたかな相手には受け入れられたとしても、弱い相手には恐怖を伴う過剰な重石となっていたのではないか? 
 確かに、カレンはぼくと接しながら、たびたび恐怖と戸惑いを表明していた。ぼくはその反応を不思議に思いながらも、あまり大事には受け取らなかった。それすらも駆け引きの一環のように考えていた節もある。
 《闇》を受け入れたぼくは確かに自分でも分かるほど不安定なところがあった。不安定なのは、ぼくであって、カレンではない。カレンの言動がいささか奇矯に思えたのは、ぼくの不安定さに振り回されていたからであって、彼女自身の内面に起因するとは思っていなかった。
 だから、ぼくは経験豊富な彼女の胸を借り、甘える形で、傍若無人(わがまま)に振る舞ってきたのだと考える。
 だけど、もしも彼女自身がぼくと同じように、《闇》を受け入れることで不安定になっていたとしたら? 
 ぼく以上に傷つきやすい心に震えていたとしたら? 
 ぼくは彼女に一体、何をした? 

 フェイク。
 ぼくの夢に現われた、自称《暗黒の王》。
 もしかすると、奴がカレンに何かをしたのかもしれない。
 そういう危機感をもって、ぼくは彼女の記憶に接することを決めた。
 だけど、ぼくの体験した記憶は、ぼくの求めるものとは少し違っていた。
 事実や事件重視の叙事詩(エピック)を読もうとして、心情重視の叙情詩(リリック)に当たってしまった感触。
 ぼくの知りたいのは、ぼくと別れてからの彼女に何があったか、だ。
 彼女が、ぼくのことをどう思っていたか、という情報は興味深くはあったけど、事件解決の手がかりにしては主観的すぎる。
 まあ、それも仕方ないのかもしれない。
 カレンは、カートと違って、自分の想いを客観的に観察できる人間ではない。ぼくがそうできるようになったのは、ジルファーの訓練の成果だと考えられる。カレンの記憶に、同じことを求めてもそれは無理というものだろう。
 カレンの記憶に、フェイク、ぼく以外の《暗黒の王》は登場しなかった。
 フェイクは関係ないのか? 
 全ては、ぼくとカレンの間だけの問題なのか? 
 ぼくが悪いのなら、ぼくが謝ればそれで済むことだ。謝るだけでは済まないとしても、何とか問題を解決したいという気持ちはある。
 厄介なのは、他に悪い奴がいて、今でもぼくたちを狙っている場合だ。
 だから、原因は追及されなければならない。
 ジルファー譲りの真実への探究心をもって、ぼくは作業を再開することにした。

 カレンの記憶ディスクには続きがあるはずだ。
 ぼくは必要な情報を求めて、他人の肉体の中からディスクを探り当てようとしたけれど、少しズレたものに行き当たった。
 その理由は簡単だ。
 自分の記憶なら、たとえ失われたものであったとしても、どこに何の情報があるか推測することはたやすい。自分の編集した音楽リストなら、お気に入りの曲の流れる順番は熟知しているし、シャッフルしたとしても、それを飛ばして、今聞きたい曲まで行き着くことはすぐにできる。
 他人の音楽リストは、そうはいかない。目録でもなければ、一通り聞いてみるまで、どんな音楽が入っているか分からない。そして求める曲がどこにあるか、いやもっと細かく言えば、聞きたいフレーズがどの曲の中に入っているかも分からない状況では、飛ばし聞きで探り当てられる可能性は薄い。
 カレンの記憶は、ぼくが関わっているとは言え、ぼくには未知の世界だ。だから、探索の最中に多少のズレが生じるのはやむを得ない。
 ましてや、精密作業の道具である《闇の左手》は、カレンの手で間接的に操作しているのだ。ディスクの一枚か二枚ぐらい、ズレてしまうのも当然だ。
 そう考えるなら、最初に探り当てた一枚は、結構、近いところまで突いていたと言えるだろう。
 とにかく、先ほどの続きをイメージし、もう一度、アストラル記憶再生を試みる。
 自ら心臓を引き抜き、額に押し込む。
 肉体的な苦痛はなくとも、あまり快適とは言えない作業に慣れたくはないものだと思いながら、もう一度、ぼく(カート)(カレン)となった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 私はカートとともに《闇》に堕ちた。
 そのつもりだった。
 忌まわしい悪夢と甘美な陶酔の記憶がうっすらと心身を覆う気だるさの中で、私は目覚めた。
「おはよう」先に起きていたカート、リオ様が声をかけてくる。
 とっさに状況がつかめず、慌てた私はお守り代わりの星輝石にすがった。
「せ、星輝転装!」
 幸い、光の力は私を見捨てておらず、以前のような白銀鎧のままだった。
 もしも、完全に《闇》に堕ちていれば、鎧の色も黒く染まっていたのではないか。
 そうでなかったことに、安堵の想いと、かすかな失望感を覚える。
 結局、私は何も変わっていないのね。
 揺れる心をさらさないように、リオ様には形式的な臣下の礼を示す。
「今さら、そのように取り繕う必要はないさ。ワルキューレのカレン」冷ややかな言葉が返ってきた。
「リ、リオ様……?」
 私は変わらなかった。
 だけど、カートは? 
 その瞳は黒く染まり、トロイメライを思い起こさせた。
「も、もしかして、《暗黒の王》として覚醒された?」おそるおそる尋ねる。
 カートは余裕のある君主の笑みを浮かべ、私を見下ろした。
「覚醒と言うよりは、成長、脱皮と言ったほうがいいかもな。ぼくはぼく、カート・オリバーであることは変わらない」
 カートは変わらない。
 嘘。
 明らかに変わったじゃないの。
 いまだ、《闇》に染まりきれない私を置いたままにして。
「そして、カレン、君にもありのままの自分でいてほしいと思っている」
 カート、いや《暗黒の王》はそう言った。
 そして私の過去の体験をすでに知っていると言い放ち、《闇》を受け入れ、互いに隠し事のない関係を求めてきた。
「リオ様……」抑えきれず、涙がこみ上げてきた。
 純粋な少年だったカートを、邪悪さをまとう存在に変えてしまった申し訳なさ。
 そんなカートに付いて行けず、いまだ迷いを捨てきれない自分への悔しさ。
 変わりきれない私の迷いを見とったのか、《暗黒の王》は呼び名の変更を求めてきた。
 それまでの「リオ様」から、「カート」という本名への変更を。
 それによって、精神的距離を一気に詰め寄ろうとするように。
「そんな。急に変えることなんて、できません」
 断ったのは、単に呼称の変化ではない。思いの中では、リオ様とも、カートとも大した区別なく呼んでいる。
 私ができなかったのは、カートのように完全に《闇》を受け入れ、迷いない存在に自分を変えることだ。
 カートとともに覚醒し、自然に、悩むことなく変わるつもりだった。
 だけど、実際はカートだけが変わり、私は以前のままの迷いを抱えていた。
 そんな私の(かたく)なさを解きほぐすように、《暗黒の王》は(から)め手を打ってきた。
「確かに、ぼくは《暗黒の王(ダーク・ロード)》として覚醒した。君とともに闇の道(ダーク・ロード)を歩むために」
 そんな三流詩人のような歯の浮く修辞句は、カートなら使わない。
「けれども……その本質は、まだまだ未熟で不安定なカート・オリバーなんだ」
 嘘よ。
 まるで私の心を突いているかのような言葉に、背筋がゾッとする。
 本当に見抜かれているんだ、と思って。
「そういう本質も君には分かって欲しい。王に仕える臣下としてだけでなく……未熟な弟を支える姉代わりとして、今までどおりに助けてくれたら、と思っている」
 これは、妥協案なの? 
「臣下として……そして姉として、ですか」確かめるように、つぶやく。
 今までどおりの関係でいいなら、それはこちらにとっても望ましい。
 うまく振る舞えば、《暗黒の王》とも何とかやっていけるかも。
 そういう期待の目線でカートを見上げた。
「そうだね」《暗黒の王》はうなずきながらも、「全てが以前のように、とは行かないだろう」
 そう言って、左手を掲げて見せた。
 人の手から竜の鱗が発現する。
「ぼくは変わってしまった。君の手でね」私の責任を問うように、《闇の左手》を突きつけてきた。
 試されている。
 そう感じて恐怖に怯えた私は、嫌悪感にさいなまれながらも本心は見せないように、両手で王の鱗手を包み込む。
 まるで、そこから《闇の気》が伝わってくるような感覚に、受け入れるべきか拒絶するべきか迷ってから、やむなく前者を選んだ。
 臣下の礼で、(うやうや)しく口づけする。余計なものを吸わないように、息は止めたまま。
 突然、《暗黒の王》が私の手をつかむと、そのまま体ごと引き寄せた。
 《闇の手》で頬を撫でられる。
 慌てて拒絶しようとしたけれど、《闇の気》が注ぎ込まれ、私の中の何かが活性化した。
 《暗黒の王》はこのまま一気に私を引き込もうとしている? 
 恐怖と期待の入り混じった感情に、私は束の間、翻弄された。
 こちらが自分を見失う頃合いを見計らってか、《暗黒の王》は私を不意に解放した。
「夜が明けた」私の中で高まった《闇の気》を吸い取りながら、そう言い放つ。「闇の時間は終わりだ。君もそろそろ自分の部屋に戻るといい」
 私は偽りの臣下の態度を維持できず、内心の嫌悪感を視線に込めた。
「ひどい……ことを……するのね」ハアハアと息を荒げながら、何とか言葉に出す。
 相手は何やら言い訳していたが、全ては駆け引きだと割り切ることにした。
 狡猾な《暗黒の王》は、かつてのカート・オリバーとは全く異なる相手と考えるほうがいい。それに合わせるためには、私も早急に《闇》の流儀を身に付けなければならない。
 たとえ、自分の中のささやかな良心に背くことになっても。
 《暗黒の王》が活性化させたことで、力を増した《闇》の鼓動をはっきり感じながら、改めて覚悟を決めた。
 すぐには無理でも、私は変わる。
 迷いない自分に。
 
 《暗黒の王》とどういう距離をとるか。
 それが私の新たな課題となった。
 同時に、カートの変化を他の星輝士たちに気付かれないようにする。
 そのためには、カート、あるいは《暗黒の王》にいろいろ言い聞かせないといけない。
 トロイメライと相談しようかとも思ったけど、《暗黒の王》への覚醒が彼女の計画どおりであるのなら、向こうから何かの指示があるはずだ。それがない以上は、こちらから不安や恐怖を訴えるべきじゃない。
 私だって、トロイメライのやり方を間近で見てきて、学んだことがある。
 そのやり方で、極力冷静に、感情を乱さないように《暗黒の王》と関わっていけばいい。
 そう思い定めてから、改めてカートの部屋に行くことにした。
 カートはジルファーと話していた。
 部屋の外で立ち聞きしていると、思いのほかに、カートがうまくやっているのが分かった。《暗黒の王》の気配はおくびにも出さず、いつもの教え子らしさでジルファーと応対している。
 むしろ、自分の方が動揺して、おかしな真似をしているのではないか。
 覚悟とともに身に付けた衣装と化粧を意識しながらも、今さら後には引けないと割り切って、話の終わり際に部屋に踏み込んだ。
 ジルファーの軽い追及を難なくかわし、カートと二人きりになる。
 そこにいるのはカートであって、《暗黒の王》ではなかった。演技にしては、あまりにも巧みすぎる。未成熟な少年カート・オリバーが、そこまで上手く演じ分けられるとは思えなかった。
 試しにそこを追及すると、
「演技なんかじゃない!」カートは、はっきりと否定した。
 だったら、《暗黒の王》は少年カートの心の奥に隠れているのか?
 私の中に眠る《闇》と同じように。
 少年カートの心が残っているのは嬉しかったけど、そういう喜びの感情も冷然と突き放し、私は《暗黒の王》との対面、ひいては対決を急いだ。
 その結果、ひとたび《暗黒の王》が覚醒して力を振るえば、私の力ではどうしようもないことがはっきりした。
 《暗黒の王》の力は危険だ。
 とりわけ、私のように内面に《闇》を抱え込んだ人間には。
 たちまち自制心を失い、凶暴な獣を呼び起こされてしまう。
 幸いなのは、少年カートの心が《暗黒の王》に完全に支配されておらず、理性や良心を保っているように見えたこと。
 私としては、カート自身が成熟して、《暗黒の王》の意思に負けないように支援することが救いの道に思われた。

 《暗黒の王》とカートは別人格。
 私はそう思い込んでいた。
 カートがそのように振る舞っていたために。
 私自身が、身に覚えのある感覚だったために。
 異なるのは、私がある程度、自分の中の《闇》の考えや行動、経験を覚えているのに対し、カートの方は《暗黒の王》の時の記憶をほとんど保持していないように見えること。
 おそらく、知識や経験の上では、《暗黒の王》の方が相当に優位に立つだろう。
 カートの心が、《暗黒の王》に飲み込まれないようにするためには、その差を克服しなければならない。
 だから、私は自分の過去をカートに打ち明けることにした。
 それだけが、カート自身が《闇》を受け入れつつも、押し流されないように学ぶ手段だと信じて。
 《暗黒の王》が私の心を読むのなら、私の過去もカートに伝えるかもしれない。狡猾に歪めた形で。
 それなら、自分の口から語って、不信の根は断ち切ったほうがいい。
 それに、自分の体験を物語のように語ることは、私自身が《闇》と向き合うために、覚悟を定めることでもあった。
 《闇》に対するカートの教育と、私自身の心の整理。
 二つの理由を何となく意識しながら、私は告白めいた昔話を続けた。千夜一夜物語のシェラザードのように。
 カートに語った物語は嘘ではないけれど、脚色した部分もある。
 物語の中の私はクールで、自分の体験を超然と受け止めているように語ったけれども、現実の私はもっと臆病で、怯えていた。ただ流されるままに、あるいは気取った言葉で言うなら、運命の導くままに、《闇》の道に踏み込んでいった。
 そこには自分の意思などなく、ただソラークに支えられるだけのお姫様だった。そういう自分の無力さが許されず、葛藤を続けた末に、さらに《闇》の力に頼るようになり、次第に溺れていく自分を止められなかった。
 そんな矢先に、トロイメライと出会ったのだ。
 彼女が私を導いてくれた。その点は感謝している。
 それでも彼女の冷ややかさは、私を満たしてくれない。
 私を満たしてくれるのは、やはり《闇》ではなく《光》なのだ。
 だからこそ、カートの中の《光》は消したくなかった。
 たとえトロイメライや、《暗黒の王》と敵対することになったとしても。

「カートは変わったな」
 その日、定期報告の場で、ジルファーがそう言った。
 ソラークはいない。
 緊急会議のために本部に出ていたのだ。
 私とジルファーは、二人で彼の帰りを待っていた。
「変わったって、どこが?」私は冷静さを装いながらも内心では動揺していた。やはり《暗黒の王》の件は隠せなかったの? 
「悪い意味じゃないんだ」ジルファーはやつれた面持ちながら、力を取り戻した瞳で答えた。「試練を経て成長したというか、一皮むけたって感じだな。カレン、君のおかげかもしれない」
「私の?」何やら探りを入れようとしてくるのを警戒して、とぼけることにした。
「以前言ったように、君が彼に理由(リーズン)を与えた。真実を受け止めるための下準備ができていたんだ。だから、彼はうまく乗り越えた」
「乗り越えた……と言えるのかしら?」私は思わずつぶやいた。
「何が言いたい?」ジルファーは怪訝そうな目を向けてくる。
「彼の試練はまだこれからよ。安心してはいられないわ」
「それはそうだが……」ジルファーは気まずそうに親指で鼻の頭をこする。この冷静な男には、めったに見られない仕草だ。「カレン、何だかピリピリしてないか? 最近の君は少しおかしいぞ」
 ジルファーの目は、完全な節穴というわけでもないらしい。見るところはしっかり見ている。
 もちろん、カートの夜伽で寝物語を聞かせている、と打ち明けるつもりはなかった。
「儀式の日が迫っているから」ただ、それだけを言い訳にする。
 ジルファーはうなずいたが、まだ完全に納得している様子ではなかった。「カートのことで心配事があるなら、隠さずに打ち明けて欲しい。今さら、他人行儀な真似をしなくてもいいと思うが」
 ジルファーは何かを疑っている。その方向を()らせるには……
「それだけ心配してくれるのは、もしかして……」目線に期待の色を浮かべるように意識して、ゆっくり告げる。「()いてるの?」
「バ、バカを言うな」ジルファーの顔がいつになく赤面した。
「どうして私が、カートと君の関係をそういう風に見ていると思うんだ? カートは純粋に教え子であって、やましい気持ちはこれっぽちも持ち合わせてはいない。これだから、女という奴は!」
 まさか、ここまで動揺するとは思わなかった。
 それに私の問いかけの意味は、ジルファーが私に気がある可能性を示唆したつもりだったんだけど、ジルファーの意識は私よりもカートの方に強く向けられていたらしい。
「そうね」私はため息をつきながら言った。「あなたにはイゴールがいるものね」
「ちょっと待て。それも何か誤解している。カレン、君は私が男色家だと勘違いしていないか?」
「違うの? 女性に関心がないと言っていたから、てっきりそうだとばっかり……」
「女性に関心がないと言った覚えはないぞ」ジルファーの口調はいつものように冷静だったけれど、表情は赤面したままだ。
「恋愛感情が分からないと言ったことはあるが。信仰心と同様に、そうした感情は真実を見る目を曇らせる」
 だったら、あなたの目はやっぱり曇っているわ。
 カートへの期待と信頼のあまり、彼の心の闇が見えていない。
 もちろん、それを私の口から打ち明けるつもりはなかった。
「カートのことは……そうね、成長する子供を見ているような気分、と言ったところかしら」そう言ってから、意味深な目線で付け加える。「私とあなた、二人のね」
「あんな大きな子供を持つような年ではない」ジルファーは、私の媚びを含んだ演技に気付く素振りも見せず、そう言った。全く、つまらない男。
「どちらかと言えば……弟になるか」
 自分の弟を殺しておいて? 
 皮肉っぽくそう返したい気持ちに駆られたけれど、ジルファーが深刻な表情を浮かべたので、止めておいた。
 口に出してしまえば、人間関係を決定的に壊してしまう一言だってある。
 それが分かる程度には、世慣れていたつもりだった。
 だから、口に出したのはこんな言葉。
「私には弟がいないから分からない」そう前置きしてから、「だけど、カートの将来に期待する気持ちは変わらない、と思う。あの子を死なせたくはないわね」
「もちろんだ」ジルファーはうなずいた。「彼が負けて、シンクロシアが勝った未来を想像するよ。たぶん、ソラークが君を失った場合と、同じようになるだろうな。バハムートの言葉を考えることもある」
 そう言って、例の言葉の一節を口にする。

『神の子の試練には他の星輝士も随行する。神子(みこ)の感じる痛みを共に味わい、尊い命の犠牲を乗り越えてこそ、その身は聖別され、神の力にふさわしい精神性をも獲得するのだ』

「言葉通りに解釈するなら、我々はカートの感じる痛みを共に味わい、尊い命の犠牲を乗り越えないといけないことになる。果たして、そういう覚悟が自分にできているのだろうか? 聖別やら精神性やらの代償が、もしも未来の希望を断たれることと同義なら、そんな試練に何の意味があるのだろうってね」
 ジルファーの言葉は、私の胸を突いた。
「身も心も神に捧げるということは……」重い口調でつぶやく。「そういう人の心を放棄することになるのかもしれないわね」
「星輝士らしくない言い草かも知れないがな」ジルファーがそう言ったとき、
「待たせてしまったな」ソラークが部屋の扉を開けて、私たちの前に姿を現した。
「ちょうどいいところに来た」ジルファーは暗い表情を即座に切り替えて、軽い言葉で親友を迎えた。「ラーリオスと神の試練について、カレンと話していたところさ。君の意見も聞けたら、と思う。会議の動向も気になるがね」
「試練は予定どおり決行するとのことだ」ソラークは苦々しく応じた。「目下の不安定な状況では延期した方がいい、と意見はしてみたのだが」
「《闇》、いや、もっとはっきり邪霊と言ったほうがいいか。その話題は出たのか? 月陣営では、どのように言っている?」
「その件は、ネストール殿が自分の監督不行き届きとして、全面的に謝罪されたよ。しかし、ライゼルのことは、星輝士の力に溺れて暴走した未熟者の不始末という形になった。邪霊については、そのようなものは過去の伝承の残滓に過ぎず、今の時代に出現するはずがないとの一点押しだ。会議に参加した連中は頭が固すぎる」
「兄さんにそう言われるとは、よっぽどね」私は皮肉っぽい感想を口にしながらも、《闇》への追及が大事にならずに、内心ほっとしていた。
 仮にそうなれば、中世の魔女狩りのように、邪霊憑きをめぐって疑心暗鬼や、正義の名の元に虐殺行為が始まりかねない。そこまで事態が混迷することは、私も、そしてトロイメライも望んでいない。
「星霊皇は会議に出ていたのか?」ジルファーが兄に尋ねた。
「いいや。いつものように預言者二人だけだった」

 二人の預言者。
 セイナとイザヤ。
 ゾディアックの組織内で、星霊皇と並んで神の声を聞くことができると称される人たち。
 秘密主義で何を考えてるか分からないイザヤと異なり、セイナの方は率直だった。
 本来は、シンクロシアに選ばれた巫女だったとも聞くが、同じくラーリオスに選ばれたカズキ・カミザと結託し、儀式を破綻させた罪を持つらしい。この事実は、昔からゾディアックに在籍していた者を除けば、一部の聖職者のみに語り継がれたものの、公の場で話題に挙げるのはタブーとされている。
 私がその話を聞いたのは、トロイメライと、他ならぬセイナ自身からだった。
「預言者は本当に神の声を聞くことができるのですか?」
 ゾディアックに来たばかりのころ、聖職者の心得を語るセイナに対して、私は尋ねた。
「ええ」セイナははっきり答えた。
「神の声、それは一人一人の良心と言い替えることもできるわね。自分の中の良心を強く確信できること。そういう想いが星輝石を通じて、諸霊の意思と通じ合ったとき、それは神の声として伝わってくる。だから、大切なのは、自分の外に神を求めることではなくて、自分の内なる神を感じることなの」
「すると、別に星霊皇や預言者でなくても、神の声は聞こえることになりませんか?」
「そうね。神は一人一人の心の中にいる」セイナは私の疑問を受け止めた上で、
「だけど、人の想いは多様すぎて、一つの力としてまとまることは難しい。だから、そうした想いを集めて、大きな力にまとめることのできる存在、それこそが星霊皇であり、まとまった力が星王神。もちろん、星霊皇は大きな想いをまとめることはできるけど、その際にこぼれ落ちた小さな心だってあるわ。そういう神の取りこぼした小さな想いに気付いて、救いの手を差し伸べるのが、私の預言者としての務めだと信じているわ。カレンさん、あなたの想いだって、私は受け止めたいと思う」
「私の想いって……あなたには分かるのですか?」
「分からないわ。だから話してちょうだい。あなたの方で心を開いてくれれば、私が受け止めてあげる。一人で悩んでいるより、きっと楽になるから」
 セイナはあまりにも率直すぎた。
 彼女の言動は私には軽々しく聞こえ、他人の心の奥にずけずけ踏み込んでくるような厚かましさを覚えた。
 微妙な駆け引きなど考えることもなく、全てを正面から正攻法で思いどおりに乗り越えてきた人間特有の単純明快さ、力強さと(おご)り、無神経さを感じた。
 セイナのように自分の中の光を何の疑いもなく信じることができれば、どれほど幸せか。おそらくセイナは愛情に満たされながら、日々を生きているのだろう。
 そういう人間に、私の想いが受け止められるとは思えなかった。
 だから、セイナは私にとって憧れと嫉妬の対象となり、それ以上の信頼を寄せるまでには至らなかった。
 結局のところ、私の想いを受け止めてくれたのは、セイナではなく、トロイメライの方だった。もしも、トロイメライがあれほど冷たくなく、セイナの温かさを備えていれば、私は全てをトロイメライに捧げていたろう。
 だけど、誰にでも欠点はある。ない物ねだりをしても仕方ない。

「預言者たちは何か言っていた?」私はソラークに尋ねた。
「イザヤ師は『たとえ闇の妨害があろうとも、決してうろたえることなく、予定通りに全てを行なうことが神の道だ』と言っていた」ソラークは苦々しい気持ちを隠さずに、そう言った。「セイナ師は『自分の中の光、良き心を信じてください』と言っていたな」
「聖職者らしい精神論だな」ジルファーが辛辣に応じた。
「セイナ師だったら、もっと過激な言葉を期待したんだが、昔のように若くはないということか」それから腕を組んで、しばし考えてから、独り言のように付け加える。
「いや、今の状況で下手に目立つ発言をしたら、彼女の息子が槍玉に上げられる可能性もある。それを考えてのことか?」
「何の話だ?」ソラークは分かっていないようだった。「預言者の息子とは初耳だ」
「カート以外のラーリオス候補の話だよ」ジルファーは説明した。「カートが選ばれる前に何人かの候補が挙げられた。もしも、儀式に問題が生じれば、そうした候補を推薦していた派閥が得をする」
「その手の話か」
 つまらん、とソラークは吐き捨てた。
「カート・オリバーがラーリオス、これは揺るぎない事実じゃないか。今さら、それを覆すなら、我々のやっている仕事はどうなる?」
「カートがラーリオスにふさわしくないなら……」ジルファーはきっぱりと言った。「この命を捨ててもいいと考える。彼以上の逸材は、私には考えられん」
 ソラークがこちらにも視線を向けてきたので、私は同意のうなずきを返した。
「少なくとも」慎重に言葉を選ぶ。「カートなら今のゾディアックを変えられる。私はそう信じているわ」
「ゾディアックが変われば、世界もより良くなる。そう考えればいいのか?」ソラークはどこか不審そうだ。
「我々は自分にできることをするだけだ」ジルファーはそう答えた。「それと同時に、世界の動きをよく観察し、間違った方向に向かいそうになったら、きちんと正そうとする。真実と言葉の力でね」
「それほど確信できる君が正直うらやましい」ソラークが力なく言った。
「私だって、君に劣らず懐疑主義者だったさ」ジルファーは肩をすくめた。「カートが変えてくれたと言えるな。本当なら、ライゼルとの決着はもっと陰惨極まるものになっていたかもしれない。だけど、カートがそれを光で昇華してくれたんだ。私は彼の中の光を信じる。君の中の光を信じるようにね」
「自分の中の光か」ソラークはつぶやいた。それから、
「そうだな。少し会議に集まった連中の卑小さに、自分を見失っていたのかもしれん。バハムートにはこう言われた。『あまり《闇》を追及すると、自分に火の粉が降りかかってくるかもしれん』と。事実、誰かがこう指摘していたからな。『仮に月陣営に《闇》に堕ちた星輝士が現われたなら、太陽陣営にも現われるのではないか』とね。もちろん、即座に否定しておいたが」
「それは、おそらく私やランツに対する当て付けだな」ジルファーは苦々しく言った。「パーサニア家や《大地の星輝士》には裏切りの前科がある」
「今の世代の君たちとは関係ない話だろうに」ソラークが宥めるように言うと、
「前の世代の裏切りは、ずっとレッテルとなって付きまとうさ。誰かがそれを変えないかぎり。贖罪の気持ちとして、きれいに昇華できたらいいんだけどな」
「分かるよ」ジルファーの言葉にソラークはうなずいた。「君という友がいて良かった。私の中の迷いも、きちんと理解してくれるから」
「それはお互いさまさ」
 二人の男はこうして理解し合い、私はそれを聞きながら、一人取り残された気分だった。
 このとき、二人を裏切っていたのは、他ならない私だったのだから。

「トロイメライは現われたか?」ジルファーの質問に、私の沈み込んだ想いは唐突に呼び醒まされた。
「いいや」ソラークはかぶりを振った。
「そうか。邪霊のことは彼女が詳しいはずなんだが、この期に及んで、姿をくらましたままか」
「彼女を疑っているの?」私は気になって口をはさんだ。
「疑いもしているし、心配もしている」ジルファーはそう答えてから、さらに付け加えた。「彼女に関しては、二つの可能性を想定している。一つは、今回の邪霊騒動の黒幕として、ゾディアックを裏切っているのではないか、と」
「あの冷徹な女だったら、十分考えられるわね」私は吐き捨てるように言った。半ば本気の感情で、半分は自分の裏切りの罪を彼女に押し付ける気持ちで。
「おいおい、カレン。そこまで決め付けるのは短絡的だぞ」ジルファーは私の感情混じりの発言を戒めた。
 いつもこうだ。
 感情的な判断は、それが真実を突いていたとしても、この男にとっては批判対象になる。
「もう一つの可能性もある。それは、彼女が邪霊の復活および策謀に気付き、阻止しようとして動きの取れない状態にある、ということだ。バァトスもそれを心配していた」
「彼の言葉を信じるの?」私はたずねた。
「疑ってばかりいても始まらないからな」ジルファーはそう応じた。
「私が彼を疑っていたのは、彼が隠し事をしていたからだ。率直にいろいろ語り合えるようになって、疑う理由は少なくなったと思う。もちろん、彼が自分に都合よく虚偽を述べている可能性もあるがね。それなら別の事実と突き合わせれば、やがて新たな真実も浮かび上がってくるだろう。虚偽といっても情報には変わりない。何も知らされないよりは、考える材料にはなる」
 この辺りの考え方は、私にはよく分からなかった。
 虚偽と事実を混ぜられたりしたら、訳が分からなくなって混乱してしまう。
 そこから浮かび上がる真実なんて、推測する気にはとてもなれない。
 世界はもっと単純で、分かりやすい方がいい。

 いろいろな想いが頭の中を渦巻き、かき回すのを感じながら、私は自分の作った黒いプリンを見つめていた。
 リオ様の命令が蘇ってきた。
『カレン、残っているプリンを全部、処分しておいて。誰かが間違えて口にしたら大変だ』
 プリンは《闇の気》の塊だ。
 自分の中の《闇》が凝縮されて、形を成したもの。
 処分といっても、どうしたらいいの?
『何だったら、君も食べたらどうだ? 力が活性化するよ』リオ様、いや、《暗黒の王》はそう言っていた。
 その場は、何も考えずに断った。
『大丈夫だ、問題ない』《暗黒の王》はそう言って、力を補給し、混乱した事態を収めてみせた。
 最初、私はそれが《暗黒の王》の巧みな罠かと疑い、信じようとしなかった。
 カートと私の光を打ち消し、二度と変えれぬ深淵に引き込む罠。
 だけど、そういう疑念は、前提とともに崩れた。
『《暗黒の王》なんていないんだ』
 つまり、カートが《暗黒の王》の演技をしていたのか。
 いや、そうじゃない。
 《暗黒の王》がカートの演技をしていたのだ。
 そして選択を強要している。
 私の生み出した《闇》を取り込むことを促して。
 カートは《暗黒の王》に覚醒した。
 私がそうさせたのだ。
 それなのに私は取り残され、いまだ《暗黒の王》に従うことを逡巡(ためら)っている。
 私は何をしたいの? 
 光も、闇もあざむいて、孤独の道を歩みたいの?
 否。
 私が望むのは、カートの中の光。
 だけど、カートは闇に堕ちてしまった。
 私のせいで。
 それなら共に闇に踏み込むべきではないのか? 
 ただ、目の前の黒いデザートを口にするだけでいいのなら……。
 それを口にした巨漢(ハヌマーン)が《闇》を制御できず、獣化しかけた光景が頭をよぎった。
 《闇》に冒されて自我を失ってしまえば、その先に待つのは衝動に突き動かされた末の殺戮劇だ。
 だけど……リオ様なら助けてくれる。
 そう、結局、カートはハヌマーンを助けた。
 もしも私が自分を失ったとしても、助けてもらえるはずだ。
 たとえ、光であろうと、闇であろうと、私はカートを信じればいい。
 そう思い定めて、自分の作った《闇》のデザートを口に入れた。
 甘く柔らかい舌ざわりに、私の中の疑念は溶け去った。

 心身の異変を感じたのは、夜になってからだった。
 《闇》の力が高まるのは、日が暮れた後。
 昼間に残さず食べたデザートの作用が抑えられなくなったのも、夜中にリオ様の部屋に行こうと思ったときだった。
「どうやら食べ過ぎたようね」皮肉っぽくつぶやきながら、腹部の星輝石を両手で押さえる。そして体内の光の力で《闇》の毒を封じようとした。
 荒ぶる呼吸を鎮め、火照る体を制御しようと懸命になるけれども、自分の体が思うようにならない。
 視界が明滅し、冷や汗が流れ、全身の毛が逆立つのを感じながら、私はかつての悪夢を思い出した。
 《闇の獣》が目覚める、久しく味わうことのなかった衝動を。
「今さら何よ」自分の身の変化に苛立ちを叩きつける。「私は星輝士。邪霊の力には屈しない!」
 胸の前で腕を組み合わせ、
 鉤爪と化し始めた両手で肩をつかんで、
 痛みで何とか正気を維持しようと努める。
 苦痛のおかげで、望まぬ変身を食い止めたものの、体内にたまった《闇》の気は鎮まろうとしない。それでも……
「リオ様の部屋までは、何とか保ちそうね」自分を勇気づけるようにそうつぶやくと、熱に浮かされた体をギュッと抱きかかえるようにして、救い主の元に向かった。
 だけど……
「どうして、鍵がかかっているのよ!」
 途中、壁を支えにしながら、ふらつく体を()してようやく辿り着いたのに、部屋の主は受け入れてくれない。
 今夜、私が来るのは分かっているはずなのに、これはどういう仕打ち?
 星輝士の力で、扉ごと粉砕すれば……。
 凶暴な衝動がもたげて、体内の《闇》をますます活性化させる。
 暴力に訴えるのを何とかこらえて、部屋の中にいるはずのカートに通信を送ろうとする。
(リオ様、私よ。今すぐ部屋の扉を開けて。助けて欲しいの。《闇》を抑えきれない……)
 懸命の訴えにも、答えは返ってこなかった。
 どうして? 
 まさか、拒絶されているの?
 カート・オリバーは、そんな冷たい男だったの? 
 カートが応えてくれないので、私は意を決して、トロイメライにまで助けを求めた。
 彼女から定期的に連絡してくることはあっても、私の方から連絡することはめったにない。それは緊急の事態に限られたし、これまでそうしたのは2回だけ。
 1度めは、カートがシリウスとの練習試合で重傷を負ったとき。
 2度めは、カートが洞窟を脱走したとき。
 そして、今回が3度め。
 カートか、トロイメライのどちらかがすぐに反応してくれて、私の中の《闇》を抑えてくれないと私は……。
 …………。
 不安で正気を失いかけた頭に、嫌な思いがよぎった。
 もしかして、私がこうなるのも、トロイメライと《暗黒の王》の計画なの?
 
『ワルキューレの今後は、私の計画にはないわ』
 トロイメライの声が聞こえてくるような気がした。
 これは何? 
 遠い夢の記憶?
『元々、あの娘が闇を求めるに至ったことも、私の計画にないイレギュラーな事件だしね。それでも、あなたを引き込む上で便利な道具とはなり得た。だから大事にしたけれども……今となっては用済みと言ったところかしら』
 そう、私はやはり用済みなのね。
『私にとって大切なのは、あなたとスーザン。あなたがワルキューレに惑わされ、結果としてスーのことから目をそらすのなら、計画に支障をきたす。だったら、そうならないように、障害は排除しないといけない』
 私はトロイメライにとって障害なんだ。
 カート、あなたはどう考えてるの?
『カレンのことは計画にない、と言ったな』
 これはカートの声。
『すると、ぼくが彼女の役割を定めて、君の計画に組み込む余地があるわけだ』
 カートはトロイメライに積極的に協力をするつもりなのね。
 だったら、私に何をさせようと言うの?
『スーザンを引き込むのに、カレンの力が必要だ、と言えば?』
『言い換えれば、ワルキューレを使ってスーを堕とす、ということよね』
『闇だけが、ぼくを満たしてくれる。ぼくは自分の欲望を否定したりはしない。ぼくはカレンもスーザンも欲しい。《暗黒の王》だから』
『好きにしたらいいわ。ワルキューレのこともあなたに任せる。それでいいかしら』
『スーザンにも同じことをすればいいんだね。魅了(チャーム)の術で人の心を(もてあそ)んだ報いを与え、絶望と後悔の末に、ぼくたちの世界に引き込む。それこそが《闇》の計画』

 脳裏で再生されるトロイメライとカートの声は、私を追いつめた。
 絶望と後悔の末に……。
 そんな言葉を口にして平気なカートは、まさに《暗黒の王》そのものだった。
 私も、彼らの世界に引き込まれるというの? 
 嬉々として、他者に絶望と後悔を与える《闇》の尖兵に堕ちるというの? 
 自分の良心を守るためには、カートを止めないと。
 カートを殺して、私も死ぬ。
 それだけが私の大切なものを守る手段と思えた。

 だから……私は……

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 だから……(カレン)は……《闇》に呑み込まれたというのか。

 再び記憶の再生が中断し、視界が暗転。
 (カレン)の意識がぼく(カート)に戻る。

「バカ……」
 からからに渇いた喉で放つ一声。
 その言葉は(カレン)に向けたのか、ぼく(カート)に向けたのか。
「何で、こんなことに……」
 ぼくは《闇》に堕ちたわけじゃない。カレンと同じように、光を求めていた。
 ただ、周囲の《闇》に合わせて、それらしく振る舞っていただけだ。自分自身は維持したままで。
 だけど、カレンには、そのぼくの心が伝わらなかった。
 そして、ぼくにも、カレンの心が伝わっていなかった。
 だから、互いに疑心暗鬼に駆られて、自分自身を見失っていた。
 それでも、ぼくにはロイドがいた。少年の純粋さに接することで、自分の中の光を再確認したところだったんだ。

 カレンには、誰もいなかった。
 ソラークやジルファーを裏切っている後ろめたさで、自分を責めていた。
 トロイメライに対しても、心から信頼していたわけではない。どこか乾いた、冷たい関係。
 そして、ぼく。
 カレンはぼくに期待していた。
 《暗黒の王》ではない、光を体現するカート・オリバーに。
 だけど、ぼくは勘違いして、《暗黒の王》として振る舞うことに夢中になった。
 そう、《暗黒の王》はぼく自身だ。
 カレンの異変を、偽の《暗黒の王》フェイクのせいだと考えたりもしたけれど、そんな奴は、彼女の記憶の世界には登場しなかった。
 彼女を追い込んだのは、カート・オリバー、ぼく自身だ。

「ごめん」
 心の奥に届くようにつぶやく。
 カレンの孤独を和らげるように、自分の身を抱きしめる。
 ブルッと体が震える。
 ゾクッと冷ややかな感覚に見舞われる。
 寒い。
 そして、暗い。
 熱を逃がすまい、とグッと肩をつかむ。
 痛い。
 血の匂いが鼻腔を刺激した。
 何だ? 
 気がつけば、両手が鉤爪と化していた。
 自分の肩を傷つけてしまったのだ。
 呼吸が苦しい。
 空気を求めて、口を大きく開ける。
 流れ込んだ酸素が、体に火を付ける。
 口内を舌でなめると、鋭く伸びた牙に当たって、戦慄する。

 再び変身が始まっていることに気付いて、ぼくはパニックを起こした。
 カレンの中の《闇》が活性化しているのだ。
 記憶の再生が、一度は鎮まった《闇》を呼び起こしたのか? 
 このままだと、ぼくまで《闇》に呑み込まれてしまう。
 体内の《闇》を処理しないと。

「カート」自分の名前を呼んで、自分の体を求めた。
 ぼくの体なら、《闇》を浄化できる。
 ぼくの心だけでは無理だ。カレンの星輝石が同調してくれない。
 だから、ぼくの体と、左手の星輝石に触れないと。
 大丈夫。
 ぼくの体は、すぐそばにある。
 カレンの体から元に戻って、《闇》を浄化したらいい。
 そして、カレンを眠りから覚まして、いろいろ謝るんだ。
 そう、ぼくが悪いんだから、ぼくが反省すればいい。
 別の《暗黒の王》(フェイク)が絡んでいないのなら、誤解を解くのは難しいことではない。
 カレンだって、きっと分かってくれるさ。

 明滅する視界の中で、カート・オリバーの左手を握りしめようとしたとき、不意にそれが離れていった。
 拒絶された? 
 カレンの不安がぼくの心に宿り、唖然とする。
 どうして、ぼくの体がぼくを拒絶する?
 その時、寝台に横たわっていたはずのカートの肉体が、むくりと起き上がった。
 はっと、息をのむ。

 カート・オリバーはそのまま、ぼく(カレン)を見つめた。
 漆黒に染まった瞳で。


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