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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−17)


 
4ー17章 ウインド&ザ・サン

 内に強い闇を抱えた者は、それだけ深く光を求めるようになるのだろうか。

 その日の午後、ぼくは一人、洞窟から外へ踏み出した。
 外の空気を吸うのは、ライゼルと戦った夜以来のことだ。
 左手の石の加護を感じながら、雪の上をふわりと歩く。
 スキー板は必要なかった。
 ジルファーと同じように《氷の気》に働きかけ、普通に歩みを運ぶことができた。ささやかな芸とはいえ、成長した自分の力を確認して微かに笑みがこぼれる。

 空は相変わらず曇っていた。
 白い大地を覆う、グレーの空。
 振り返ると、黒い洞窟が口を開いていて、心の闇を刺激する。
 雲の向こうで輝いているだろう黄金の陽光は、欠片すら見えずにいる。
 先夜見た光景の方がまだ、星明かりのおかげで、にぎやかな色彩だった。
 くすんだ昼間よりも、深みのある夜の方に親近感を覚える。
 そんな気分を憂鬱に味わいながら、夢遊病者のようにぼんやり歩を進めていく。
 白黒(モノトーン)の世界のどこまでが現実で、どこからが幻想なのか、分からなくなっている。
 確かなようでいて、おぼつかない雪原のように、ぼくは夢と(うつつ)狭間(はざま)にいた。
 以前のぼくなら不安に駆られ、何とか自分の現実を取り戻そうと足掻(あが)いていたことだろう。
 だけど、この時は不安定(アンバランス)境界線上(ボーダーライン)にいることを当然のように受け止めていた。
 生と死。
 過去と未来。
 肉体と霊魂。
 そして、正気と狂気。
 確かなものと、不確かなものが入り混じって、カート・オリバーの周囲に漂っている。

 そのとき、物憂さを吹き飛ばすように風が流れた。
 鳥の羽音のような飛来音が耳に届いて、急激に意識を呼び起こす。
 再び目線を持ち上げると、色のない世界で、金色の光が天から舞い降りてきた。
 力強く、それでいて軽やかな着地とともに、空色の瞳、タカのような鋭い視線が目に止まる。
 ぼくが求める陽光と青空が、そこにはあった。
 彼こそ風の星輝士にして、イカロスの称号を持つ男。
「ソラーク!」ぼくの声は、自分でも驚くくらい朗らかに響いた。
「ラーリオス様」ソラークの声も鮮明に響いたけれど、
「どうして外に出ておられるのか?」詰問めいた口調は視線と同じように鋭く、こちらを射抜きそうな威圧感を帯びていた。
 一瞬、気後れしそうになったけど、何とか踏み止まる。
「光が欲しかったんだ」互いの緊張をほぐすように微笑を浮かべた。
「それに、新鮮な風も味わいたかったしね。地下の闇ばかりでは息が詰まる」
「お気持ちは分からないでもないが、それでも……」ソラークは引き締まった表情を崩さない。「護衛も付けずに、一人でいるなんて危険すぎる。今はいつ、月陣営の刺客が来るか知れないのだから……」
「護衛なら、あなたがいるじゃないか」そう切り返すと、
「しかし……」反論の言葉が返ってきそうだったので、切っ先をそらすことにする。
「それよりも、聞きたいことはもっと別にあるだろう? こっちも直接、話したいことがある」
 端正な顔立ちが一瞬崩れ、苦渋の色が見えた。
 ぼくはうなずいて、話をうながした。
「妹は……カレンはどうなっているのだ?」数瞬の沈黙の後、ソラークは問いかけてきた。
「神官殿は一応の説明をしてくれたが、状況がよく分からん。ラーリオス様に任せるしかないと言っていたが……」

 その日の朝、ぼくはバトーツァを通じて、星輝士たちに一日ゆっくり休むよう命令を下していた。
 衰弱していたジルファーは、何とか力を取り戻した頃合いだった。
 しかし、前日にリメルガが体調を崩し、カレンもまた昏睡状態に陥った。
 そういう非常事態に対して、ラーリオスの名前で即座に指示を出したのだ。
『原因はおそらくライゼルと戦った際の疲労の蓄積と考えられる。
 だけど、もしかすると見えざる《闇》の呪いが影響しているかもしれない。
 神官が原因を特定し、対策を立てられるようになるまで、星輝士は警戒しながらも体を休め、いざという時に備えよ』
 神官による簡潔ながら唐突な命令に、ソラークやジルファーは戸惑ったようだ。
 それでも、バトーツァはまず冷静なジルファーを説得した。
 相手がジルファー一人なら、説得が難航していたかもしれないが、その場にソラークがいたのが幸いだった。妹の異変に動揺したソラークは冷静さを欠いた反応を示し、ジルファーはバトーツァに異を唱えるよりも、親友をなだめることを優先したらしい。
 その間、ぼくは伝言役の神官以外、誰も立ち入らないように命じて、昏睡中のカレンの部屋にいた。
 《闇》を除去し、壊れた魂を修復するために。

 ソラークは午前中に抑え込んでいた感情を、さらけ出そうとしていた。
 普段はいかにも冷静で達観しているように見えて、内面では激しやすい衝動を抱え込んでいる。
 直接会った回数は少ないが、カレンの心を通じて、彼の人となりをおおよそはつかんでいた。
 初めて会った晩餐の夜、ぼくはこの兄妹がよく似ている、と思ったものだ。
 共に金髪碧眼で高貴な顔立ちをした美男美女。
 洗練されて穏やかな物腰の一方で、強い信念を持った人格者。
 ソラークとカレンの第一印象はそれだ。
 ぼくのような粗野な田舎者には、おいそれと近づけないような人たち。
 だけど、カレンの迷い、内に秘められた闇に接したことで、それまで見えなかったものを感じられるようになっていた。
 ここに来て、ソラークとカレンの違いを、ぼくは発見した。
 それは瞳の色合いに象徴される。
 カレンの瞳は静かな湖の色で、どことなく吸い込まれるような雰囲気を秘めていた。それは奥に隠された闇の影響だったのかもしれない。
 一方で、ソラークの瞳は他を吸い込むことはなく、むしろ弾き返すような頑なさを宿している。それに、陽光に満ちた空の色は、涼しげなカレンの瞳に対して、激しい熱気を帯びている。
 改めてソラークの瞳を見るにつけ、ぼくはスーザンを思い出した。
 そう、太陽を思わせるソラークの髪の質も、空色の瞳も、カレンよりは、ぼくの記憶にあるスーザンのそれに近かった。
 これまでカレンとスーザンを比べることは多かったけれど、ソラークとスーザンを並べて考えるのは初めてだった。

 観察の間のしばしの沈黙。
 互いに睨み合う時間を経て、やがてソラークが言葉を次いだ。
「どうしたのだ、ラーリオス様。話したいことがあるのではなかったのか?」
「ああ」ぼくはうなずいた。
「話さないといけないことはいっぱいあるんだが、いざあなたと対面すると、何から口にしていいのか迷ってしまって」言い訳っぽく口にすると、視線をそらす。
 鋭い目に威圧されたのではなく、スーザンに似た瞳を意識しために、妙に動揺してしまったのだ。
「カレンの容態を話してくれればいい」ソラークは短く告げた。「やはり、ただの疲労ではなかったのか?」
 ぼくは意を決して、うなずいた。
「彼女は……《闇》に(むしば)まれていた」
「何だと?」ソラークは動揺を明らかにした。「《闇》とは……例の邪霊とやらか?」
 ぼくはうなずいた。「ライゼルにとり憑いていたのと同種の魔物だ」
「そんな馬鹿な……」冷静さの仮面がたちどころに割れ、ソラークは両手で顔を覆った。鋭い視線も見えなくなる。
 それだけで、こちらが優位に立った手応えを感じた。
 案の定、この男の急所はカレンだ。
 以前は完璧な立ち振る舞いに見えた男の弱さを目の当たりにして、ぼくの心の一部はほくそ笑む。
「カレンの心の中で、《光》と《闇》の戦いがあった」芝居っぽい語り口調で続ける。
「《光》が勝てばカレンは戻ってくる。だけど《闇》が勝てば……」
「どうなるというのだ?」話し終わる前に、ソラークは激した目をぼくに向けて詰め寄ってきた。
「ラーリオス様は、カレンが《闇》に堕ちれば……殺すつもりなのか? ライゼルの時みたいに!」
「それが星輝士の務めなんだろうね」淡々と口にする。
「私は、ジルファーのようには受け止められない」ソラークはかぶりを振った。
「妹を殺さないといけないのなら、何のために星輝士になったと言うのか? 仮にカレンが《闇》に堕ちれば……」
 そこで言葉が途切れる。
 しかし、その瞳の中に宿る想いを見つめたとき、ぼくの中の《闇》は喝采をあげた。
 ソラークが口にできなかった言葉。
 それは、ぼく自身の選んだ道でもあったから。
『自分も共に《闇》に堕ちよう』
 ぼくと同じ選択を、この高潔な男も下すだろうと確信した。

 高潔な男を堕落させる。
 それは、誘惑者とも称すべき悪魔の快楽とも言えた。
 カレンの中にあった、そういう一面の感情をぼく自身、はっきり意識していた。
 だけど……
「そうはさせない」数瞬の葛藤と溜め息の後で、ぼくははっきり宣言した。
 ソラークの光はカレンの希望でもあり、同時にぼくの希望でもある。
 簡単に壊してしまうのは、ぼく自身のささやかな良心をも否定することになる。
 カレンも、そしてカート・オリバー自身も、そうなることは望んでいない。
「何をさせない、と言うのだ?」ソラークは身内への情を隠すことなく、キッとにらみつけてきた。
「これだけははっきり宣言しておく。家族を守るためなら、私は何でもする。星輝士の務めは尊重するが、カレンのことはそれ以上に大切なのだ」
「気持ちはよく分かるよ」ぼくはうなずいた。
 カレンのこと。
 そしてスーザンのこと。
 ラーリオスとしての使命云々よりも、愛する人たちを守ることを優先するのは、ぼくだって同じだ。
 ただ、ソラークという男はもっと落ち着いて、達観しているという思い込みがあった。使命に忠実で高潔な騎士という印象があったのだけど、実際は内なる葛藤に揺れ惑い、ぼく以上に激しさを宿していることが分かった。
 そのために、急速にソラークという男への親近感が湧いてきた。
「あなたは誤解している」ぼくは、ついつい皮肉っぽく考えるようになった自分を抑え、相手の気持ちをなだめるように静かに言った。
「カレンのことが大切なのは、ぼくも同じだ」
 タカの目が挑みかかるような鋭い光を放った。
「い、いや、あなたほどではないかもしれないけど……」何だか射すくめられたような気分になって、慌てて言い直す。
「とにかく、ぼくは無慈悲にカレンを害するようなことはしない。彼女やジルファーにはいろいろ助けてもらったし、恩を仇で返したくはない。彼女を守り救うために、最善を尽くすつもりだ」
「それは本当か?」ソラークの瞳が和らいで、かすかな希望を宿した。
「ああ」ぼくは力強くうなずいた。
「ラーリオスの力は人を殺すためにあるんじゃない。人を救うためにあるんだ。ぼくがいる限り、むざむざカレンを《闇》に堕としたりはしない。よもや《闇》に堕ちたとしても、もう一度、引き戻してみせる!」
「信じていいのだな」ソラークは感情を鎮め、緊張を解いた。
 こっちもほっとして微笑をこぼす。
「ソラーク、あなたがカレンのことになると冷静さを欠いてしまうのは、今のでよく分かったよ。だけど、ぼくはこう言ったんだ。『彼女は《闇》に(むしば)まれていた』って。過去形だよ、現在形ではない」
「それはつまり……?」
 ぼくはうなずいた。
「カレンの中の《闇》は、もう取り除いた。ちょっとした荒療治になったから、精神的に回復するまで2、3日かかるかもしれないけど、少なくとも、これで《闇》からは解放されるはずだ」
 そう、《闇》からは解放される。
 問題は、カレンの心、人格まで元どおりになるかどうか。
 トロイメライが協力してくれているとは言え、結果を見てみないと安心はできない。
 今まで施したことのない大手術を決行した後の医者の気分と言うべきか。
 ただ、自分の中の不安を相手に伝えて、過度に刺激したくはなかった。
 だから、不必要なことは口にしないようにする。

「ラーリオス様も人が悪い」ソラークもようやく安心したように微笑を浮かべた。
「《闇》などと驚かせるようなことを言うものだから。見苦しいところを見せてしまったようだな」
「人が感情的になることは悪くない、と思う」ぼくはそう告げた。「こっちがあなたの立場なら、きっと同じ反応を示していたろうし」
「そうか。初めて会った夜のことを思い出すよ」風の星輝士は懐かしむような目をした。
「あの夜は、あなたが感情的になっていたな。私が冷静に教え諭す立場だと思っていたが、今は逆になったのかもしれない」
「ジルファーたちの指導の賜物だろうね」ぼくは謙遜してみせた。
「あの時は、ぼくも何も分かっていなかった。目の前しか見えてなくて、周りに不安と感情をぶつけることしかできなかった。それから、いろいろ学び、考え、悩み、判断を下してきた。間違いも重ねてきたかもしれないけれど、その分、成長したと自分でも感じている」
「そうみたいだな」ソラークは重々しくうなずいた。
「ジルファーも、カレンも、ラーリオス様のことを高く評価している。二人に任せたのは正解だったようだ」それから苦笑を浮かべる。
「こうなってみると、私も教育の場に立ち会わなかったのが、残念な気もするがね」
 ぼくは、カレンの記憶の中で聞き取った会話を思い起こした。
「いや、あなたにもいろいろとお世話になったと思います」そう言って、真剣な表情で相手を見つめた。
兵站(へいたん)とか、外部との折衝とか、いろいろ動いてくださったと聞いてます。あなたのおかげで、こっちは毎日、美味しい食事もとることができたわけだし。それだけでも感謝しないといけない」意識せずとも、自然に笑みが浮かぶ。
「ジルファーの奴、そこまで話していたのか」
 ソラークは今や完全に相好を崩し、ぼくたちは旧知の友人のように語り合うことになった。

「そもそも、私がラーリオス様に教えることがあったとは思えないがな」
 ソラークは気を抜いたのか、大げさに肩をすくめてみせた。
「ええと、そのラーリオス様ってのは、今はなしにしてくれませんか? ジルファーみたいに、カートと呼んでくれると、こっちも落ち着くから」
「カート……これでいいのか?」
「うん。それで、ぼくに教えることはないって?」
「ああ、私もカート、君と同じで、外からゾディアックに来た身だからな。組織の事情や星輝士の力などは、今なお、学ぶことばかりだ。たまたま《風の星輝石》との親和性が高かったらしく、重要な立場に選ばれもしたが、自分で人に説明できるほどの研鑽を重ねてきたわけではない。そんな私が太陽陣営の代表みたいに振る舞っているのは、バハムートの推薦と、ジルファーの補佐があってこそだ」
「……ずいぶんと謙遜するんだね」
「傲慢は身を滅ぼす。そのように考えている。星輝士の力は強大なものだ。ともすれば慢心し、自分が何でもできるような錯覚に陥りかねん。その末路がライゼルだったのではないだろうか。カート、君はどう思う?」
 不意に哲学的な問題を尋ねられて、多少とも戸惑いを覚える。
「確かに、ライゼルは傲慢な男だった。それでも誇り高く、自分の正義を示してくれました。彼を否定することは、星輝士の愛や勇気、正義をも否定することになると思う。ぼくは彼との戦いでも、いろいろ学ぶことができたので、あまり悪く言いたくはありません」
 本心から、そう言ってみせる。
「君は自分を殺そうとした男を許せるのか?」ソラークは首をかしげて、問いかけてきた。
「彼の魂とは星輝石を通じて、分かり合ったから」そう答えたうえで、
「星輝士に求められるのは精神性だと学びました。だけど、単純に(おご)りや慢心が邪悪に直結するとは思いません。自分の力を高め、その有用性を把握し、適切に使うためには、謙虚さだけを誇っても仕方ない。強大な力を与えられた人間は、それを否定するのではなく、有効に使う方法を模索するべきだと考える。ぼくがラーリオスに選ばれた以上は、その責任から逃げることなく、自分を選んだ人々の期待に応えるよう全力を尽くすのが道じゃないでしょうか」
「君の信じる道とは?」
 暗黒の道(ダーク・ロード)、という言葉が浮かんだけれど、さすがにそれを口にすることはなかった。
王に至る道(ロード・トゥ・ロード)……と言えばいいのかな。帝王学とか、今もいろいろ研鑽している最中です。愛とは何か、正義とは何か……いろいろな人の意見を聞いたり、想いに触れたりしながら、それらを受け止めようとしている。もしも、傲慢が身を滅ぼすとしたら、それは自分の力や才能が自分だけのものと錯覚して、他を顧みなくなった時だと思う。だから、ぼくのラーリオスとしての道は、人の想いを大切にして絆を構築することだと考えます。本当は、星輝戦争なんて不毛な儀式には今も反対なんだけど……」
「儀式が不毛……か」ソラークは深刻な面持ちになった。
「口にしたのがラーリオス様でなければ、冒涜と言うところだろうな。神が求める儀式なら、それに従うのが星輝士だとは考えていたが……」
「神がカレンの犠牲を求めたら、あなたは従えない。そうでしょう?」
「確かにな」ソラークはうなずいた。
「だけど幸いにして、カレンは味方の陣営にいる。ジルファーとライゼルのように、対立する立場ではない。その意味では神も組織も無慈悲ではない、と私は考える」
 ぼくは、かぶりを振った。「あなた個人はそれでよくても、ぼくはスーザンと戦うことを強要されている。結局、救いにはならないよ」
「それでも、ラーリオス様は、月の陣営と戦う覚悟は決められたのではないか?」
「それがどうしても避けられないものならば……」溜め息をついた。
「だけど、まだ希望はあると思う。今はバトーツァたちとも話しながら、この儀式の背景にある歴史、隠された秘密などを探っている最中です。うまくいけば、戦いを回避できるかもしれない。あるいは必要以上の犠牲者を出さずに済むかも」
「星霊皇の後継者を選ぶために、ラーリオス様とシンクロシア様が戦いを通じて、互いの力を高める。そのように理解はしていたのだがな」ソラークは重々しい口調になった。
「いわゆる練習試合、武闘大会みたいなものだと見なしていた。まさか命を掛けた死闘にまで発展するとは、私も甘く考えていたらしい。思ったよりも過酷な状況に置かれて、戸惑いを覚えているのも事実だ」
「星霊皇が何を考えているか、今はそれが知りたいですね」ぼくはそう言った。
「後継者を決めると言っても、当事者のぼくに打ち明けることもなく、勝手に事を進める。ずいぶん身勝手なやり方だと思う。それがゾディアックの体質なら、改めないといけないとも考えたし、そのために力が必要なら、どこまでも高めないと、と感じています。《闇》に負けない力、そして運命を強要する神にも渡り合える力があれば……」
「神に渡り合える力だと?」ソラークは驚いた目を向けた。
「当然でしょう。神が犠牲を欲するなら、大事なものを守るためには、それを拒絶するだけの力が必要です。ぼくは神の操り人形になって、黙って運命を受け入れるつもりはありませんから。邪霊だろうと、神だろうと、乗り越えてみせる」
「それが君の結論か? いささか首肯しかねるが……」ソラークの視線は再び厳しいものになっていた。「私の信仰心からは、神は絶対的なもの。それに抗う者は神罰を受けてしかるべきだと考える」
「唯一神信仰なら、そうなるかもしれないでしょうね」ぼくは受け止めた上で、
「だけど、ゾディアックは違う。星王神は人を支配する絶対者ではなく、人の多様な想いを受け止める星々の象徴であるべきなんだ。そして星霊皇の代替わりと共に、星王神の生み出す秩序だって変わる。ラーリオスとシンクロシアは、神にただ従うのではなく、新たな神を生み出すことが求められる役割なのだ、と理解しています」
「新たな神……」ソラークは考え深げにつぶやいた。「それは本当なのか?」
「星輝石に宿る御霊(みたま)がそう教えてくれたんだ。秘められた過去の記憶を通じて……」トロイメライのことをそのように婉曲的に説明する。
「当代の星霊皇の時代は終わろうとしている。そのために、ぼくとスーザンは後継者候補に選ばれた。ぼくが勝てば、新たな神を擁立することができる。それは人を呪われた運命で縛ることなく、人の想いと絆を大切にする神であり、新たな時代の始まりともなる。それこそ、ぼくにとっての理想郷なんだ。だから、イカロスのソラーク、あなたにももちろん協力して欲しい」
 ぼくは風の星輝士の瞳をのぞき込んだ。
 タカの目に迷いの影が見られた。
 揺れている彼の心に《闇》を送り込んで、傀儡に仕立て上げることは容易に思えた。
 だけど、それは望むところではない。
 ぼくが欲しいのは操り人形ではなく、意志を持った人間が心からの忠誠をもって、ぼくに従ってくれることだったから。
 王として人の忠誠を勝ち得るには、時間がかかる。
 相手の望みを理解し、こちらの理想を示し、それらを共に勝ち得る方策を示すこと。

「……正直、話が大きすぎて、すぐには受け入れられそうにない」しばしの沈黙の後、ソラークはそう答えた。
「ラーリオス様は選ばれし者として、我々凡人とは違うものを見ておられるのだろう。それこそ、神の声と思しきものに接しているのかもしれない。だが、その御心を我ら俗人が受け止めるには時間が掛かることも理解してもらいたい」
「分かるさ」ぼくは視線を和らげた。
「正直、ぼくも自分の言葉が真実なのか、迷うことだってある。洞窟の闇の中に捕らわれる中で、現実逃避の気持ちが生み出した妄想かもしれないってね。だから、光が見たかったんだ……現実と真実を照らす光が」
 ソラークの黄金の鎧は曇りなく、いかにも堅固そうに見えた。
 しかし、その内面は、ぼくと同様に惑い揺れている。
 辺りを覆う曇り空のように、おぼろげな光。
「バハムートなら、君の求める光を示せるかもしれないな」しばし置いてから、ソラークはそう口にした。
「少なくとも、ゾディアックの改革を志すなら、彼の協力が必要だろう。独り善がりにならないためにも、本音を打ち明けられる協力者、助言者は求めたほうがいい」
 ぼくはその言葉にうなずいて、ジルファーから聞いた話を思い出した。
「確か、ヴァンバロッサ・ブライアンというのが本名だそうですね。星輝士筆頭にして、ZOAコーポのCEOを務めるとか」
「じっさいのところ、ブライアンも本名ではないのだがな。彼は日系で、本当の姓は漢字で表される。正式には武雷院(ブライイン)、日本の雷神を祭る神社の家系と聞いている。東洋の神学についても語ってくれたが、君の話にも興味を示すと思う」
「雷神というと、マイティー・ソーみたいな感じなのかな?」ぼくはとっさにアメコミのヒーローを思いついた。
「それほど筋肉質な外見ではないさ。映画にたとえるなら、『ロード・オブ・ザ・リング』のエルロンドに近いと思う。武人というよりは、賢者の風貌だ」
 エルロンドと言われてもピンと来なかった。
 映画自体、古典的ファンタジーの傑作という評判は知っていたけど、実際に鑑賞したことはないし、ポスターなんかで見た印象では、小人たちと、白髭の魔法使い(確かガンダルフって名前だったはず)と、屈強の戦士と、金髪エルフの美男美女が印象的だった。
「ええと、エルロンドって確かエルフでしたよね」何となく名前の響きと、賢者という役割の連想から当たりをつけてみる。
「正確には、半エルフだな。裂け谷(リーヴェンデル)の長で、三つの指輪の一つ、風の指輪ヴィルヤの所有者でもある。登場シーンこそ少ないが、重要人物の一人だ」
 ずいぶんと詳しいな、と感心する。
 問題は、そういう説明をされても、ぼくにはちっとも分からないことだ。
 兄貴なら詳しそうなんだけどな。
「なるほど、するとバハムートも、あなたみたいに金髪なんですね」
「何で、そうなるんだ?」ソラークの目が呆気にとられたように丸くなる。
 鋭い視線が特徴の男に、こういう表情をさせたのは一つの成果だ。もっとも、ぼくが盛大な勘違いをやらかしたようなので、あまり誉められたことじゃないだけど。
「ええと、エルフ族って金髪の種族でしょ?」言い訳がましく口にする。
「……エルロンドの一族は黒髪だ。娘のアルウェンを見ても分かるだろう。エルロンドが金髪なんていうのは、素人っぷりもはなはだしい」
「……すみません。映画は見てなくて」
「原作は読んだのか?」
「読んだ人から話を聞いたぐらいです」
 ソラークは溜め息をついた。「基礎教養も身につけないとな。光と闇の戦いや、強大な力の誘惑など、我らが直面しそうな命題が示唆されている。先ほどの君の言動は、どうもボロミアを思わせるところがあるしな。彼は偉大な勇者だが、闇の誘惑には抗えず、力を求めて身を滅ぼした」
「ぼくがそうなるとでも?」
「誰にでも起こり得ることだ。君だけでなく、私でもな」
「まさか……」
「ラーリオス様には、この機会に打ち明けておくが……」ソラークの瞳が(かげ)りを帯びた。
「私は大罪を犯した罪人(つみびと)なのだよ。司法の手を逃れ、ゾディアックに拾われた人間なのだ。光よりも闇に属する、といっても過言ではない。おそらく、カレンがいなければ、とっくに闇の力に屈していたろうな。唯一遺された身寄りとして、彼女を守りたいという気持ちがあってこそ、私は光の側でいられる」
 ソラークの告白を、ぼくはすぐに受け止めることができなかった。
 彼と話すまで、ぼくは彼の光が揺るがないものだと思い込んでいた。
 カレンがそう信じていたためだ。
 彼女が邪霊に(むしば)まれながらも、人の理性を維持できたのは、ソラークの光に清められたから。彼女の物語ではそうなっていた。
 だけど、ソラークにとっては、カレンの存在こそが光を維持するよすがだったらしい。
 つまり、この二人はどちらかが光で、どちらかが闇と分けられた存在ではなく、互いに光を補い合う間柄なのかもしれない。
「ラーリオス様に頼みたいことがある」戸惑うぼくに向けて、ソラークは言葉を重ねた。
「何?」
「星輝戦争の結果、私かカレンのどちらかが命を落とすことになった場合だ」
「そんなこと……」
「可能性としては十分あり得る話だ。私とカレンの両方が生き残れば問題ないし、両方死んだとしても、事後のことを私が心配する必要はない。捨てた家名を遺すことにも、とりたてて未練はないしな」微かに(くら)い笑みを浮かべた後で、言葉が続く。
「私が不安を覚えるのは、片方が生き延びた場合だ」
 こちらは視線で、さらに先をうながした。
「私が死ねば、カレンのことを守ってやって欲しい。バハムートにも頼んではいるが、ラーリオス様にもこの場でお願いしたい」
 こちらの反応をうかがうように、言葉が止まった。
「もちろんだ」ぼくはすかさず、きっぱりと応じてみせた。
「カレンを守りたい男は、いっぱいいる。頼まれなくても、ジルファーや、ぼくや、ランツはカレンを助けるだろうさ」
「ランツ?」ソラークは首をかしげた。「どうして、あの男が?」
 ぼくは、ソラークをじっくり見た。
 本当に分かってないのか? 
 ランツが、カレンのことを好きなんだって。
 思わず、そのことを口に出したくなったけれど、彼から口止めされていることを思い出した。
 それに、ぼくはランツの想いを知りながら、衝動的にカレンと床を共にした。今さら、彼の恋心をどうこう言う資格はない。
「深い意味はないよ。太陽陣営の仲間だからさ」そう言って、追及をそらす。
「仲間……か」ソラークは不審そうな面持ちを隠そうともしない。「悪いが、ジルファーや君ほど、私はあの男を信じられるわけではない」
「どうして?」
「奴は、私に目を合わせようとしない。いかにも隠し事をしているという素振りだからな。仮に太陽陣営に裏切り者がいるとしたら、一番怪しいと考えている」
 それは気のせいだとも、裏切り者なんているはずがないとも、言い張ることはできなかった。ランツが隠し事をしているのは事実だし、陣営に裏切り者がいるとしたら、それはぼく自身じゃないかとも考える。
 もっとも、ぼくが裏切っているとしたら、それは理不尽な星霊皇のやり口に対してであって、ソラークやジルファーに敵意を抱いているわけではない。ゾディアックという組織の中で多くの賛同者を募り、自分の望む形に改革したいという気持ちは裏切りと言えるのかどうか。
 少なくとも、自陣に不要な疑念と(いさか)いを生み出すような真似はしたくない。
「機会があれば、じっくり話し合ってみることを勧めるよ。ぼくの見るかぎり、ランツは悪い奴じゃない。そりゃ、粗雑で荒々しいところがあって、洗練されているとは言い難いけど、気のいい男であることは保証する」
「ふむ」ソラークは考え深そうな面持ちになった。
「カート、君は私よりも懐の広い人間らしいな。いや、むしろ、私が狭量なのかもしれないが。どうも、ついつい人を疑う癖があるようだ。ランツのことは偏見を捨てて、じっくり様子を見るとしよう。それと、もう一つの可能性だが……」
「何の話?」
「……星輝戦争でカレンが命を落とした場合だ」

 ソラークの言葉は、深刻な響きを帯びていた。
 実のところ、その可能性は十分高いと思われた。
 星輝戦争どころか、今この時、壊れた魂が修復できるかどうか、それすら定かではないのだ。
「カレンがいなくなれば、私は自分を保てる自信がない。ライゼルのように自我を失い、暴走する危険さえ考えられる」
「まさか……」
「そうなったら私を殺してくれ。(すみ)やかに」
「バカなことを言うな!」ぼくはぴしゃりと言った。
「ソラーク、あなたはそんなに弱い男なのか? カレンのことが大事なのは分かる。だけど、彼女がいないと生きていけないなんて、女々しすぎやしないか? それが星輝士に選ばれた人間の言うことか?」
「女々しいのとは少し違う」ソラークは、ぼくの目を見据えて言葉を重ねた。
「激情を抑えられなくなって、見境なく周りを傷つけてしまうからだ。かつても、そうやって大切な人間を手に掛けてしまった。私の中には確かに獣がいるんだよ。それを解き放って、悲劇を招いてはいけない」
「それは、あなた一人の問題じゃない」ぼくはソラークの目をにらみ返した。
「ぼくだってそうさ。大切な人間を殺した記憶が、ずっと心の中を(さいな)んでいるんだよ。それは過去か、未来か分からないけど、星輝石が伝える幻像(ビジョン)だ。もしかしたら、ぼくたちの未来は破滅の運命(デスティニー)かもしれない。だけど、それを打ち破る精神性、心の強さを持たないと!」
「ラーリオス様、あなたは強いお方だ。太陽のように」ソラークは雪上で膝まづいた。「主君として仰ぐ。私を導いてくれ」
「本気で言っているのか?」芝居っ気たっぷりの仰々しい態度に、ぼくはうんざりした。こんな風にかしずく男は、バトーツァ一人で十分だ。
「あなたは誰かにすがらないと生きていけないのか? 立派な一人の大人だろう? ぼくは神でも何でもない。ただの高校生だ。どうして、あなたに導きを与えてあげられると言うんだ?」
「あなたはラーリオス様だ」
「違うね。ぼくはカート・オリバーだ」ソラークの露になった依存心を否定する。
「運命に怯えながらも、それに立ち向かう勇気だけが取り柄の学生だ。あなたの求める聖人なんかの器じゃない。そんなぼくに、あなたを殺せと言うのか?」
「私が自分を見失った場合、だ」
「だったら同じことを言うよ」一言一言かみしめるように言う。「ぼくが自分の中の《闇》、理性を失った獣の心を抑えられなくなった場合、あなたがぼくを殺せ。いいな!」
「私が……殺す?」ソラークの目に怯えが走った。「ラーリオス様を?」
「そうだ。できるか?」
 ソラークはかぶりを振った。「そんなこと……したくない」
「だろう? ぼくだって同じだ。あなたがたとえ自分を見失っても、殺して解決するようなことはしたくない。言ったじゃないか。ラーリオスの力は人を殺すためにあるんじゃない、人を救うためにあるんだって。甘いかもしれないけど、ぼくは殺し殺されるような運命なんて真っ平だ」
 続いて、ぼくは大切な言葉を噛みしめるように言った。
「カレンがもしもいなくなったら……彼女の想い、魂が安らげるよう、その心を受け継ぐよう生き続けるべきじゃないか。魂の継承、星輝士にもしも神性があるとしたら、先人の遺志を大切にして、未来を創ることにあるんだと思う」
 ぼくはソラークに右手を伸ばした。
 気弱になって膝まづいているソラークなんて、いつまでも見ていたくない。
 ソラークが恐る恐る伸ばした手を力強く引っ張り、立ち上がらせる。
 彼は長身だったが、ぼくほどではない。
 鍛えられて引き締まった体格だが、ぼくほど強靭ではない。
 以前、ぼくを萎縮させた内なる霊気は、今のぼくには通用しない。
 いつの間にか、ぼくはこの男を乗り越えてしまったのだと感じる。
 それでも……
「ソラーク、あなたはさっき、ぼくに教えることは何もない、と言ったよね」立ち上がった彼を見下さないように、膝の曲げ伸ばし運動を始めながら口にする。
「だけど、一つ鍛えてもらいたい」
「何を?」
「武器の使い方、剣とか槍とかを自在に扱えるようになりたいんだけど。武芸にかけては、ここではあなたが一番だと、ジルファーもランツも言っていた」
「ああ、それはいずれ教える予定だが……まずはハヌマーンが基礎訓練を施すことになっていたはず。その点は、ジルファーから報告がないままだな。ラーリオス様は、どこまで学ばれたのかな?」
「ハヌマーンって、リメルガのことだよね?」
「リメルガ……」ソラークがつぶやいた。「確かに、ハヌマーンの本名はそういう名前だったかな」かすかに首をかしげる。
「ハヌマーン、改めMGのリメルガ。それからシリウスのロイド。2人とも、ぼくの大切な友人だ。コードネームだけでなく、本名もはっきり覚えておいてくれると嬉しい」
「分かりました。ラーリオス様のお言葉であれば……」ソラークは何度か、リメルガとロイドの名前を口ずさんで、記憶に留める。
「さっきの質問だけど……」ぼくは続けた。
「リメルガとロイドからは軽く練習試合をして、気の使い方の初歩を学んだ。だけど、ぼくが怪我をしたために、どうもジルファーのカリキュラムどおりには進まなかったみたいだね。結局、体を使った技よりも、術を身につける方が先になった。戦闘訓練は後回しになった感じだ」
「それで、ライゼル戦を切り抜けたと?」
「無我夢中だったから」
 ソラークは腕を組んだ。「戦闘の素人なら、ハヌマーンとシリウスがいい練習相手だとジルファーは言っていたのだがな。ハヌマーン……」
 言いかけたところを、ぼくは軽く目で修正を促した。
「いや、リメルガはパワーファイターで、遠近両方の武器に熟達している。ロイドの方は機敏で、アクロバティックな動きが得意だ。学ぶところは少なくないはずだ」
「確かにリメルガとロイドからも、まだまだ学ぶことはあると思うけど、ぼくは少しでも早く最強の武芸を物にしたい。ライゼル戦、そして闇ライゼル戦で、自分の無力さを実感したからね。ラーリオスの名に恥じない強さを、ぼくは求めている」
「……では、一つ試してみましょうか」

 言葉とともに光が走った。
 次いで衝撃が襲い掛かってくるのを感じ、ぼくはとっさに受け止めようと身構えた。
 足を踏みしめた瞬間、滑りやすい雪上であることに気付く。
 体を支えきれず、無様に転倒する。
 尻もちをついた姿勢のまま、頭上に静止した槍の穂先を呆然と見上げた。
 精霊武器の一つ、竜巻槍(レイ・ヴェルク)
 間近で見るのは初めてだった。
 工芸品のように精巧な造りに一瞬見とれ、その後で奇襲攻撃を受けたことを意識する。
「見えたのですか?」こちらが抗議するよりも先に、ソラークが問うてきた。
「何が?」意味が分からず、問い返す。
「本当なら、槍の先端が額に触れる寸前で止まっているはずだった。しかし、ラーリオス様はうまく身をかわされたのだ。驚くべきことに」
 言いながら、右手に構えた槍を引き戻す。
「そんな大したことじゃない。光と風が押し寄せてくるのを感じただけだ。雪で滑って転倒したに過ぎない。身をかわすなら、もっとうまくやる」
「うむ」ソラークは考え深げにうなずく。「偶然とは言え、何かを感じ、とっさに体が反応するのは、悪くない資質でしょう」
「持ち上げ過ぎだって。それより手を貸してくれ。腰が抜けて、うまく立ち上がれない」
 ソラークは槍を持たない左手を差し出した。
 こちらも左手でつかもうとして、思い返すと右手の方を伸ばす。闇の力を宿す手では、ソラークに触れたくない。
「ああ、左手は接合したばかりだったな。力を加えるわけにはいかないか。失礼した」
 ソラークも槍を左手に持ち替え、右手を差し出す。
 その手を受け取って、さっきとは逆にソラークがぼくを支え起こす。
「……それにしてもひどいな。突然、攻撃してくるなんて」
「とっさの行動で、相手の反応を見極めることも兵法の基本だからな」端正な表情に、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「だが、これで星輝士のスピードを実感できたと思う。星輝士でない者に見極めることは難しい。絶対的な破壊力とスピード、これだけは少々、気の力をかじっただけの者には到達できない領域だ。どうしても、石の力を肉体に宿し、感覚と運動の神経を研ぎ澄まさないと追いつくことはできないだろう。資質があるなら、そこから始めても遅くはない。肉体の変化に合わせて、筋肉の使い方とか、間合いの取り方とか変わってくることだしな」
 つまり、本格的な訓練は、やはりぼくがラーリオスの石を宿してから、ということか。
 だけど、今のぼくも不完全とはいえ、左手に石を宿した身だ。自分の得た力が、どこまで星輝士に通用するか試してみたい。
「さっきは油断していた。もう一度、同じ攻撃を仕掛けてくれないか。せめて槍の動きを見とることぐらいはしたい」
「無駄なことだ」ソラークはそう言ってから付け加えた。「ラーリオス様でなければ、そう返していただろうな」
 言いつつ、微笑をこぼす。「だが、私も見極めてみたい。ラーリオス様の持つ可能性を。さっきのスリップが本当に偶然なのか、それとも秘められた戦闘センスの発露なのか。ジルファーも君を教えていて、こういう気分だったのかな」

 ぼくとソラークは、少し距離をとって対峙した。
 雪上でなければ、ちょうどタックルの練習をするのに最適な間合い。
 星輝士なら軽く跳躍するだけで、容易に相手の懐に飛び込める立ち位置。
「では行くぞ」ソラークが槍を構え、ぼくの注意をうながした。
 ぼくはうなずくと共に、石の力を少し解放した。
 左手が異形にならない程度に調整しながら、気の力を瞳に宿すよう意識して。
 風の動きを肌に感じた。
 それに合わせるように、ソラークが飛び込んできた。
 槍が輝く。
 その軌道が光の矢のように、ぼくを貫く刹那の未来が見てとれた。
 かわそうと思った。
 でも、体の動きが付いて行けないことはすぐに分かった。
 超人的な感覚は身につけても、運動能力は並みのアスリート程度でしかない。
 超越した動きができるとすれば、それは異形の左手ぐらいだろう。
 そのつもりになれば力を解放し、左手で防護障壁を生成し、槍の一撃を受け止めるぐらいのことはできたと思う。
 だけど、今、ソラークに対して異形の竜鱗をさらけ出すことは得策だと思えなかった。
 力を誇示すれば、それを説明する必要に駆られる。
 だから、自分の持つ爪は隠したままでいることにした。
 かわすことも、防ぐこともできないまま、思考だけをフル回転させた挙句、ぼくにできたことは一つ。
 攻撃を見極めることができた満足感を胸に、瞳を閉じること。
 左胸に槍の穂先が突き当てられるのを感じて、ぼくはその場に膝まづいた。

「やっぱり見えませんでした」ぼくはそう口にした。
「そうか……」ソラークの言葉は残念そうに響いた。「一瞬、君の瞳が輝いて、何かを見極めたように感じたんだが……」
 やはり、ソラークの瞳は鋭い。
 たとえ奥に隠されたものを探り当てることはできなくても、表面に現われたものを見逃さないのが彼の資質なのだろう。
「気のせいですよ」そうかわすことにした。
「こっちは見極めようとしたけど、急に怖くなって目を閉じてしまったんだし。リメルガだったら、『戦場でびびって目を閉じてるんじゃねえ、最後までしっかり相手を見極めるんだ!』って怒鳴りつけてるだろうね」
「あの男は、そんなことを言うのか。やはり、現場で接することなく、書類だけで人を分かった気になってはいけないんだろうな」
「現場を知らない管理職って、リメルガの嫌うタイプの人間ですからね」
「……だろうな。彼はずいぶん扱いにくそうな男だと思うよ」ソラークは苦笑した。
「もっとも、現場を知らない頭でっかちな連中は、私も腹立たしいと考えるが。直接自分で見て肌で感じることを大切にしなければ、と改めて君には気付かされたよ。ありがとう」
 ソラークが右手を差し出した。
 こちらも応じる。
 互いに堅く握手をかわす。
「今日はいい日だ。ラーリオス様がどのような男か、しっかり分かったんだからな」
 そうだろうか? 
 ぼくはすぐに言葉を返さず、ただ空を見上げた。

 風は吹いていた。
 だけど、太陽は雲のヴェールに覆われて、今だ見えずにいる。
 曇った瞳には、真実の光は見えない。
 瞳を曇らせるのは、恐れや疑惑だけではない。時には、愛や信頼ゆえに曇ってしまうことだってあるのだ。
 ソラークという男に光を感じたのは、カレンの瞳が曇っていたからだろう。確かに光はあるが、同様に闇も持ち合わせている。
 多くの人間と同じように。
 それは揺るぎない光とは言えない。
 揺るぎない光というものは、本当にあるのだろうか? 
 星霊皇とは、そうした存在なのか? 
 そして、揺るぎない光を手に入れた者は、闇を抱える人間をどういう目で見るのか?
 慈悲を示して、自らの到達した光に導くのか?
 それとも導けない場合は、光を守る名目で、闇を排除するのか?
 自分の中の光と闇をどう扱えばいいのか、うまくまとまらないまま、すっきりしない曇り空を見上げて、ぼくは口を開いた。
「ソラーク、ぼくもあなたがどういう男か、分かったと思う」
 たぶん、彼自身よりも。
 彼は、揺るぎない光の導きを求めている。自らの闇を直視したくはないゆえに。
 そこが彼の弱さであり、信仰を希求する原動力と言えるかもしれない。
 大義さえあれば、迷いなく突き進む一途さを彼は持ち合わせている。
 その点で、彼は堕落したぼくよりも純粋なんだろうな。
 その純粋さを大切にしたいと共に、蹂躙したいとも思う。
 だから彼の瞳を見つめて、こう言った。
「ぼくは光を目指す。星霊皇と星王神に対面し新たな時代を築くために」
 その結果、光と闇のどちらを選択するか、ぼくにも定かではない。
 ただ……
「これからも、ぼくの力になってくれるよね。ぼくの選択の先を、あなたには見極めて欲しい」
「ああ、もちろんだ」《風の星輝士》のさわやかな声は、空しく荒涼とした雪原を吹き抜けた。
 白いヴェールの下に隠れた大地には触れ得ないまま。

 雲と雪に覆われた世界は、ただ陰鬱な(かげ)りを帯びていた。


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