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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−19)


 
4ー19章 ブラン・エ・ノワール(2)

 白い月明かりの下。
 鬱蒼(うっそう)と茂った森の開けた隙間に、清らかな水をたたえた泉が見える。

 この景色を見るのは、もう、何度めになるだろうか。
 夢の中でスーザンと会い、戦い、そして望まぬ殺害に至った舞台。
 《光》と《闇》が交錯する景色は、いつだって夜だ。
 昼の光で見れば、また違った印象に映るのだろうか。
 ふと、木漏れ日と木陰の織り成す斑模様(コントラスト)が脳裏によぎる。
 結局、《光》と《闇》が交錯し、どちらかに定まることはない。
 それは、ぼくの心の映し鏡だからか。
 だけど、今は《闇》を求めなければいけない。
 強大な《光》の支配力に(あらが)い、自分自身を維持するために。

 覚悟を決めて、泉のほとりに立つ。
 以前、ここではスーザンが水浴していた。
 今は、その影はない。
 そのはずだ。
 ここはスーザンの夢ではなく、その舞台を模した、ぼくの夢なのだから。
 スーザンのいた森は、彼女の夢の中での死によって崩壊した。
 闇と炎に包まれて。
 その記憶は、ぼくにとっても大きなトラウマだったけど、何とか乗り越え、心の底に封じ込めてある。
 ただ、《闇》の力を使いこなすには、自らの、そして他者の忌まわしい記憶と向き合うことだ。全てを受け止める心の強さが求められているのだから。

 泉の水面は、波一つなく静謐(せいひつ)そのものだった。
 カレンの瞳を思い起こしながら、その奥にあるものをのぞき込んだ。
 深い水の底に封じられた《闇》の息づかいを感じる。
 邪悪な魔物は清らかな水を渡ることができない、という言い伝えがある。
 《闇》の魂を封じるのに、水の底ほどふさわしい場所はない、と考えた。
 だから、封印の洞窟を水中に定めたのだ。
 そこに意識の手を伸ばす。
 現実世界と違って、水に体を濡らす必要はない。
 精神世界では思念の手がかりさえつかめれば、舞台の移動は短縮(ショートカット)できる。
 ぼくの意識はたちまち水中を突き抜け、水底に隠された仄暗(ほのぐら)い洞窟に到達した。
 そのまま高速で飛ぶように通廊を突っ切り、最深部に向かう。
 途中、妨害するものは何もない。
 迷うことなくたどり着いたその場所で、目当ての女は拘束されていた。

 女の手足には、枷がはめられていた。
 四つの枷からはそれぞれ銀の鎖が伸びて、洞窟の壁に固定されている。
 闇色のドレスが女の身を包んでいたが、胸元や太股など、ところどころの布地は切り裂かれ、白い地肌が(なまめ)かしく(さら)されている。
 特徴的な金髪は汚れ、光沢を失っていた。
 ジャバ・ザ・ハットに捕らえられたレイア姫を思い出す。
 ただし、ぼくは囚われの姫君を救いに来た英雄、ルーク・スカイウォーカーでも、ハン・ソロでもない。
 むしろ、ジャバ・ザ・ハット……いや、やはりダース・ヴェーダーと考えた方が自尊心が満たされるか。
 シスの暗黒卿になぞらえるなら、ダース・オリバーとでも名乗った方が(はく)がつくかもしれない。

 こちらの気配を感じたのか、女は伏せていた顔を上げた。
 やつれた顔つきは間違いなくカレンのものだったが、その瞳はドレスと同じ闇色をしている。
 一見、トロイメライに憑依された彼女を思わせたけれど、その印象はすぐに(くつがえ)される。
「やっと来たわね、カート」
 女は憎々しげな瞳で(にら)みつけてくる。
 トロイメライは、ここまで感情を(あらわ)にしない。
「こんなところに閉じ込めて、一体どういうつもり? 今ならまだ許してあげるわ。すぐに拘束を解きなさい」
 囚われの身に関わらず、女は高飛車に要求した。
「相変わらず強気だな。嬉しいよ、カレン」ぼくはそう声を掛けて、ニヤリと笑みを浮かべた。
「人を拘束するのは、ぼくの趣味じゃない。だけど、君は人じゃない。カレンの姿をしているが、彼女の《闇》の記憶を宿した邪霊だ。今はまだ解放するわけにはいかない」
「今はまだ……って、どういう意味?」耳ざとく問い返してきた。
 相応の知性は持ち合わせているようだ。
 理性を持たない相手とは違うと分かって、少し安心できた。
「君が危険でない、と判断できるまでだ」問いに対しては、そう答えておく。
「私はあなたに忠実よ、《暗黒の王》」女の口調が媚びるように変わり、その瞳から憎悪が立ち消え、どこか潤んだような上目遣いになった。
 表情とともに体の方も、誘惑するような姿勢をとろうと身じろぎするけれど、鎖の拘束のせいでうまく行かない。
「ねえ、お願い、リオ様。私はあなたのために、いろいろ尽くしてあげたいの。だから、この鎖を外して」
 《神子(みこ)の間》で会ったカレンよりも、よほど鮮明にぼくとの記憶を残しているようだ。
 あちらのカレンは、ぼくのことをラーリオス様としか呼ばなかった。ぼくを知るカレンは、《光》ではなく《闇》の方なのだ。
 だからと言って、《闇》に心を許すつもりはない。
「甘い言葉で油断させて、寝首を掻くつもりだろう? 君は獣と化して、ぼくを殺そうとした。忘れたとは言わせないぞ」そう牽制する。
「あれは私じゃない!」女は即座に否定した。
「私が《暗黒の王》に逆らうはずがないじゃない」必死に訴えてくる。
「あなたを襲ったのは、《闇》を恐れる良心(ひかり)の仕業よ。力を持たず、いつも怯えているくせに、私の邪魔をする忌々(いまいま)しい(やつ)。封じ込めるなら私でなく、彼女(あっち)にした方がいいわ。そうすれば、あなたも思う存分、《暗黒の王》の力を振るうことができる。私はあなたを愛しているの。お願い、信じて」
 一つ分かったことがある。
 邪霊(やみ)のカレンは遠慮なく、ストレートだ。
 ストレートだが、そのまま信じられるとは限らない。
 思ったことを口にするのが早い分、その感情は軽薄で、気まぐれにコロコロ変わる可能性がある。ストレートに嘘をついて、あっさり前言撤回して恥じない人間だって、世の中にはいる。
 ましてや、相手は人ではない邪霊なのだ。下手に同情や信頼を寄せるのは危険だ。
 だから、ぼくは冷たく言い放った。
「ぼくに忠実なら、もう少し今のままで、おとなしく我慢してろ」
 たちどころに、瞳の中の憎悪が復活した。
「何よ、カートのバカ! 人を弄んでおいて、用が済んだらポイってわけ? 信じられないわ。私を体から追い出して、従順な良心(こころ)だけ残して、自分の意のままになる操り人形をこしらえて、さぞご満悦でしょうよ。しかも、私をこんなところに拘束して、人知れずSM趣味に興じようとするなんて。そんな卑劣な男だとは思わなかったわ。純情なリオ様はどこに行ったの? 今のあなたは堕落しきって、嗜虐的(サディスティック)で、自分勝手で、嘘つきで、陰湿な《暗黒の王》よ」
 一気にまくし立てられる。
『悪かったな。ああ、ぼくは《暗黒の王》だよ。それが何か?』
 開き直って言い返そうとしたけれど、その前に邪霊(カレン)が付け加えた。
「だけど……そんなリオ様も素敵。惚れ直したわ。一生付いて行くから、お願い、私を自由にして」
 何だ、それは?
 再び、媚びるような目線に戻して、こっちを見つめてくる相手に、ぼくは頭を抱えた。
 この変わり身の早さには対応できない。
 あることないことほざいて、さんざんこっちを(ののし)っておきながら、最後の最後に急カーブ。
 理屈も何もあったものではない。
 それでいて、こっちの良心に刺さるような、(全部ではないにしても)半ば本質を突いた指摘をしてくる分、性質(たち)が悪い。
 邪霊を相手にするにあたって、良心や常識はしばしば邪魔になる。
 邪霊憑きであったライゼルのことも思い出した。
 傲岸不遜なライゼルと比べて、今のカレンは絡め手を使ってくる点で性質が異なっている。それでも、自我が肥大化して、激しい思い込みのままに一方的に弁舌豊かになるという点では、よく似ているとも言える。
 こういう相手には話半分で聞き流し、時には冷たく突き放す態度を見せないと、巧みな誘惑と押しの強さには(あらが)えないだろう、とぼくは判断した。
 まずは態勢を立て直す必要がある。
「気分を害した。帰る」そう宣言して、来た道を戻ろうと背中を向ける。
「ああ、そんな、待って!」邪霊(カレン)が引き止めようと悲痛な叫びを上げた。
 鎖がジャラジャラ鳴る音が、背中越しに聞こえてくる。
「ひどいことを言ったのは謝るから。独りにしないで。寂しいの」
 その後に聞こえてきたのは、涙交じりの嗚咽(おえつ)慟哭(どうこく)
 少なくとも、ぼくの知っているカレンは、ここまでストレートな哀しみの見せ方はしなかった。
 これが純粋な邪霊のあり様なのか。
 それとも、ぼくの注意を惹くための演技なのか。
 どちらか判断できないまま、ぼくは彼女の言葉に応じてやることにした。

「リオ様?」通廊から戻ってきたぼくの姿を認め、カレンの表情が喜びをたたえた。
「ああ、ぼくだ」そう言葉を伝える。「あのまま帰ったんじゃ、何のために君に会いに来たか、分からない」
「何しに来たの?」カレンは問いかけて来た。「私でできることなら、何でもするわ。だから、その前に自由にして欲しいの」
「仕方ないな」ぼくが念じると、邪霊(カレン)を縛る鎖と枷がたちどころに消失した。
「え、本当に?」意外そうに反応したけど、すぐに「嬉しい!」と歓喜の声が上がる。
 そのまま勢いよく飛びついてきた。
「感謝の気持ちよ」そう言って、うっとりとなるような口づけを何度も浴びせてくる。
 予想以上に真っ直ぐすぎるアプローチに困惑しつつも、ぼくは何の抵抗も見せず、彼女の望むがままに任せた。
 邪霊(カレン)は手慣れた娼婦のように、たちまちドレスを脱ぎ捨てて、積極的にリードした。
 愛撫を加え、恍惚の吐息を漏らすその様は、妖艶な淫魔さながらに、初心(うぶ)な男をたちどころに(とりこ)にする。
 ぼくはカレンとの最初の交合の夜を思い出した。
 あの夜、カレンは《闇》に仕える者としての姿をさらけ出し、ぼくはそれを受け入れて、《暗黒の王》として覚醒した。
 今にしてみれば、荒々しくて未熟な初めての営みだったけど、情熱たっぷりで下心のない純愛の賜物(たまもの)だったと思う。行為そのものは覚えてなくても、気持ちそのものは通じ合っていた。そうした交感の記憶だけで十分満足だった。
 だけど、それからぼくは多くの虚偽や駆け引きの仕方を学び、短期間のうちに、純情だった少年は大人への階段を駆け上っていった。
 そして《闇》に慣れ親しむにつれ、猜疑心が芽生えてくる。
 《暗黒の王》としてのぼくはいつしか、カレンを見下し、裏切りを警戒し、力をもって屈服させようと考えるようになっていた。
 カレンの方はどうだったのだろうか? 
 ぼくの知る限り、彼女は内なる《闇》と、カートの中で育つ《闇》に怯え、削り取られる自我を維持しようと必死だった。
 内と外の両方の《闇》を何とか制御しようとして、果たせずに暴走した。
 ぼくはカレンの心を救おうと、できるだけのことをしたつもりだったけど、ぼくが救いたかったのは《光》なのか《闇》なのか、はっきりしなかった。
 それでも、《闇》のカレンが、その言葉どおりにぼくのことを純粋に愛してくれるなら、溺れてもいいとぼんやり考えた。

 邪霊(カレン)の下で横たわる体は、やがて力を失い、身じろぎ一つしなくなった。
「リオ様?」甘いささやき声に反応しないのを確かめると、「どうやら完全に意識を失ったみたいね」
 カレンの口調が冷ややかに変わる。
「《暗黒の王》と持ち上げられてはいても、所詮は未熟な子ども。こうもあっさりと無防備な心をさらけ出すとは、愚かしいにも程があるわ。今なら、身も心もたやすく乗っ取ることができそうね。でも、喜んで、カート・オリバー。今日からあなたと私は一心同体よ」
 そう宣言するや、カレンの全身がぐずぐずと溶け出し、液状化していった。
 体積が膨張し、黒い粘液がカートの体を包み込む。
 そこで初めて、邪霊は気付いたようだ。
(カートはどこ?)驚きの思念が洞窟内に轟いた。
「ぼくならここさ」そう言って、身を潜めていた通廊から姿を現す。「やはり、醜い正体を現したようだな、邪霊」
(こ、これは……)邪霊は慌てて、もう一度、姿を整える。
「何かの間違いよ」カレンの姿を取り戻した邪霊が、白々しく口を開く。
「そうだな、間違いだ」ぼくはニヤニヤとした笑みを隠さず、うなずいた。
「君はぼくの作った幻のカートを誘惑し、偽りの愛の営みで相手を完全に骨抜きにしたと思い込んだ。だから、本性をさらけ出したんだよな。そんな愚かしい邪霊と一心同体になるなんて、とても喜べたものじゃない」
 説明を受けてカレンの顔が醜く歪み、驚きと怒りの感情を表現する。
「そう、私を騙していたのね」
 その後で、かすかな哀しみとともに、一言付け加える。「ひどい人」
 巧妙な心理攻撃を冷徹にとらえてから、ぼくは受け流した。「駆け引きができなければ、《暗黒の王》は務まらない」
 黒い瞳がつり上がり、憎悪の色がますます深まる。
 直後にカレンの口が開き、ニヤリと笑みを浮かべる。
「さすがと言ったところね。だけど、まだまだ甘いわ。あなたは私を鎖の拘束から解放した。あなたを倒せば、ここから出られる。覚悟なさい!」
 殺気が膨れ上がるや、邪霊(カレン)はたちまち(ビースト)の姿と化した。
 吠え声を上げて飛び掛かって来る。
 ぼくは何の身構えもしなかった。
 必要ない、と分かっていたから。
 凶暴な(ビースト)は勢いよく障壁にぶつかった。
 甲高い悲鳴とともに地面に倒れ落ちる。
「悪いな。君が幻と遊んでいる間に、獣用の(おり)を作らせてもらったよ。時間は十分あったからね。幻に夢中になっていて気付かないとは、うかつにも程がある」
 邪霊(カレン)は半人半獣の姿で、自分の周囲を取り囲む霊気の結界をいまいましく睨みつけた。
「さて、これからどうしようかな」ぼくは力を誇示すべく、左手を異形に変えてみせた。
「何をする気?」人身に戻ったカレンが怯えを見せる。
「覚えているかい、君がぼくに言ったことを。『裏切り者には、死あるのみ』って。それとも、あれはトロイメライの言葉だったか。どうも、ぼくの周りは欺瞞だらけで、ややこしくなるな。だけど、どっちでもいい。今はただ、自分の力を試したい。教えてくれるかな、邪霊はどうやったら殺せるんだい?」
「殺すのは無理よ。消滅させるだけ。でも、お願い。それだけはやめて」
「どうしてだ? 邪霊を倒すのは星輝士の仕事だ。ぼくは《太陽の星輝士》ラーリオスを目指す男だからね。邪霊の倒し方はきちんと学んでおきたい。君は、ぼくにいろいろ尽くしてくれるんだろう? 身をもって、邪霊の滅ぼし方を指導してくれないのかい?」
「卑怯よ。都合によって、《暗黒の王》と《太陽の星輝士》を使い分けるなんて……。どっちかに決めなさいよ」
「だったら、合わせて《黒き太陽王(ブラック・サン)》だ」ぼくはあっさり切り返した。
「そろそろ観念したらどうだ? ぼくに邪霊の断末魔を聞かせてくれ。何しろ、ぼくは嗜虐的(サディスティック)らしいからな。おまけに自分勝手で、嘘つきで、陰湿みたいだし」
 邪霊(カレン)は不利を悟ったようで、結界の中で力なく座り込み、シクシクと泣き出した。
 すすり泣きながら、なおも訴えてくる。
「確かに、私は邪霊よ。だけど、これまで人として、カレンの中で生きてきたの。罪も重ねてきたかもしれないけど、私の力がなければ、弱いカレンが生き残ることはできなかった。これでも、私はずっと彼女の守護者として振る舞ってきたつもりよ。お願い、私を体に戻して。今度は、カレンの良心(ひかり)を脅かさないように、うまくやっていくから。私がいなければ、カレンも生きていけないわ」
「そんなことはない」ぼくは否定した。
「言っておくが、カレンは君が思うほど弱くない。少なくとも、従順な操り人形なんかじゃない。たとえ、記憶を失ったとしても、《闇》と戦う誇りと気高さは失わなかったんだ。それと、恥じらいの心もね。誇りと恥じらいを持たなければ、それは獣でしかない」
 邪霊(カレン)と一体化すれば、ぼくも魔獣(ビースト)の力を得ることはできるだろう。だけど、それはぼくが求める力ではない。
 《闇》の獣の力では、スーザンを殺すことはできても、彼女を助けるために星霊皇と対峙することはできないのだから。
「獣にはなりたくないってわけ?」邪霊(カレン)は問いかけてきた。
「星輝士だって獣じゃない。あなたもいずれ獣になるわ。そういう道を選んだのだから。今さら逃げられやしない」
「分かってるさ」陰鬱な気持ちで言い返す。
「ぼくが言っているのは内面だ。獣の力を宿しても、人間性を捨てないって話だよ。君はどうなんだ? カレンの持っている誇りや恥じらいが君には備わっているのか? それとも、邪霊にはそうした人間的な価値観は理解できないのか?」
「馬鹿にしないで。誇りと恥じらいの感情ぐらい、私にも分かるわよ」
「そんな格好で言っても、説得力ないな」見下す目線で、指を突きつける。「せめて何か着ろよ」
「ううッ!」邪霊(カレン)はうなり声を上げた。
 もう一度、獣化するのか、と思ったけれど、違った。
 結界の中で立ち上がり、左手を高く掲げて見せる。
「醒魔転身!」
 ポーズは星輝士の転装をなぞらえていたけれど、光は発しない。
 代わりに、内なる闇があふれ出し、這いずる(つた)のように身を縛る。
 肌を覆う闇が要所要所(ところどころ)で暗色の装甲と化していく。
 ビキニ状の胸甲と腰当て。
 手甲とすね当て。
 それ以外の部位はレオタード状の布地がカバーしているけれど、総じて本物(ひかり)のカレンよりも軽装で露出度が高い。
 太股(ふともも)と肩から先の二の腕がむき出しなのも、一見、防御効果を減じているようだ。しかし、そこには濃緑の紋様が施され、物理的ではなく霊的な保護効果を備えているのが分かった。
 金髪を飾る額冠(ティアラ)は、黒鉄(くろがね)の色合いを除けば本物と同じく、鳥のくちばし状の目庇(バイザー)と、左右の翼飾りを特徴としている。ただし、より鋭角的(シャープ)なデザインで、猛禽類っぽいラインを構成していた。
 闇の鎧装束が完全に定着した後で、背中からバサッと翼がひるがえる。
 大鴉(レイブン)のような黒い翼を広げた姿は、暗黒の天使と呼ぶにふさわしい。

「ほう……」思わず感嘆の溜め息を漏らしてしまった。
 何の飾り気もない露骨(あからさま)な裸体よりも、光を反転させた背徳的な装束の方が、ぼくの感情を刺激する。
「どう? これで文句ないでしょ?」黒い星輝士、いや醒魔士の姿となったカレンが得意げな笑みを浮かべる。
「ああ、バトーツァなら絶賛するだろうな。黒はいいって」誘惑の手玉に乗せられないよう、本心をはぐらかした。
「神官なんて、どうでもいいのよ。《暗黒の王》、あなたはどう思ってるの?」
「そうだな……」うまく追及をそらすような言葉を、しばし探してから一言。「萌えた」
「は?」困惑の表情で、女はぽかんと口を開ける。「それって、どういう意味?」
「東方の誉め言葉さ。愛よりも深みはないが、まろやかに心を刺激する甘美な味わい……とでも言うのかな?」
「ワインか何かの話?」
 ワインと萌えがどうつながるのか分からなかったけど、あいまいにうなずいておいて、目線で話の続きをうながした。
「父が好きだったわ」カレンは額冠(ティアラ)に手を当て、記憶を呼び起こそうとした。
「モエ・エ・シャンドン、18世紀にクロード・モエが創立した有名ブランドよ。かの皇帝ナポレオン・ボナパルトも愛飲したとのこと。誉め言葉としては上出来ね。そのセンスは少し見直したけど、勘違いしていることもある」
「何が?」そう問い返すと、
「フランスのことを東方とは言わないわ。あなたの祖国からは東に位置するかもしれないけど、普通は東方といえば、小アジアより向こうを指す。《暗黒の王》は、そんなことも知らないのかしら」
 勘違いしているのは、どっちなんだか。
 ぼくの口にした東方は、もちろんフランスではなく、ロイドゆかりの島国だ。萌えという言葉がワインに通じるなんて、こっちは考えもしなかったけど、相手がそうつなげて納得したなら誤解を正す必要もない。
 元々、ぼくがここに来た目的は邪霊の持つ知識だった。
 ずいぶんと遠回りをしてしまったが、強引な脅しに頼らずに、また誘惑混じりの駆け引きにわずらわされることなく、こっちのペースで欲しい知識を引き出すには良いきっかけに思えた。
「どうやら、ぼくはまだ無知らしいな」そうつぶやくと、左手を掲げる。「貴重な知識には敬意を表するよ。これはお礼だ」
「ちょ、ちょっと……」カレンは身を守ろうと、手甲を付けた両手を顔の前で交差させる。
 ぼくは結界の中に力を注ぎ、物体のイメージを顕現させた。
「な、何をしたの?」相手はおずおずとした目を、自分のかたわらに現われた物品に向けて、呆然とした。「い、椅子(いす)?」
「ああ、便利な道具だ。イザという時には武器にも使えるしね」ぼくはいたずらっぽく唇を歪めると、自分用にこしらえたもう一つの椅子にどかりと腰を下ろす。
 現実世界では、物体変成には材料が必要になるけど、精神世界では意志の力で無から有を生み出すことも簡単だ。
「まあ、座れよ。立ち話も何だし、地面(じべた)に座るのも獣みたいだからな。知性と気品を示す相手には、こっちも相応の礼儀を示す用意がある」
 カレンは何かの(トラップ)が仕掛けられていないか確かめるように、座板を撫でたり、軽く叩いたりした。
 やがて納得はしたけれど、仕方なくといった雰囲気を顔に表し、フンッと不満そうに鼻を鳴らす。「礼儀と言うのなら、こんな安物じゃなくて、高級なソファぐらい用意して欲しかったわね」
「手の掛かる女だな。これで我慢しろ」そう言って、クッションを作ってやる。ていねいに黄色と紫の花の模様を付け加えて。
 相手の要求を全てかなえることはしないが、適度な妥協を小出しにして、交渉の余地があることを示すのも、駆け引きのコツだ。
 優雅に太股(ふともも)を組んで、カレンは腰を下ろした。
 これで、ようやく、予定通りの話ができそうだ。

「さて、(デュンケ)カレンよ」
「おかしな呼び方をしないで!」
 いきなり、話の腰が折れた。
「あんなけだもののような(ライゼル)といっしょにされたくないわ!」
「だったら、(ブラック)カレン」
「それもイヤ。カレン・ブラックって女優がいたのを知らないの?」
 言われてみれば、いたような気がする。
 何の映画に出ていたかは覚えてないけど。
「だったら、フランス語にしたらいい。黒は何て言うんだ?」
「ノワールよ」
「今後は、そう名乗れ」
「どうしてよ。今まで通りでいいじゃない」
「二人もカレンがいるんだ。紛らわしい」
「本物は私よ。外にいるのは抜け殻だって言ってるでしょう!」
 偽者はお前だ、と言ってやりたかったが、議論が長引きそうなので妥協することにした。「ぼくにとっては、どっちも大事なカレンだ」
「二股を掛けるって言うの? ひどい男」
 《暗黒の王》としては、誉め言葉と受け止めることにした。
(ノワール)カレン。それでいいな」
「間違い。正解はカレン・ノワール。フランス語の形容詞は後置修飾なんだから。無知は恥ずかしいことよ」
 隙あれば、ぼくのことを馬鹿にしたいらしい。
 力ある人間を馬鹿にすることで、自尊心を満たすタイプの人間はいるが、邪霊であるノワールにはそういう性質が強く表れているようだ。
「では、君はカレン・ノワール。そう名付けたからな。ぼくが名付け主(ネイムギバー)だ」
「まさか、私を使い魔扱い?」ようやく、邪霊は気付いたようだ。
 トロイメライの知識にあったことだけど、実体を持たない霊魂や、それに基づく霊能術(オカルト)の世界では、名付けという儀式が大きな拘束力を持つという。
 固有名詞を持たない霊気(ソウル)は意志を持たない単なるエネルギーでしかないが、そこから抽出した精髄(エッセンス)に術者特有の名前を付与することで、意識や人格を与えるとともに、術者との主従関係を構築することができる。それがいわゆる使い魔だ。
 これを応用すれば、人格を持った人間に《真の名(トゥルーネイム)》を与えて霊的に呪縛し、忠実な従僕に仕立て上げることも可能だけど、相手が強い意思を持って抵抗することもあるし、その関係を維持するには術者の方にもエネルギーの負担をともなう。だから、名付けの儀式は、普通は師弟のように信用できる相手との絆を強める形式で行なわれることが多い。
 ぼくは、邪霊(カレン)が名付けの意図をどう解釈するか、反応を見守った。
 抵抗するなら、強制力を働かせるつもりだったけど、名付けられた側の利点(メリット)に向こうが気付いてくれれば……。
 しばしの逡巡のあと、彼女は観念したかのような、それでいて嬉しげな笑みを示した。
 騎士らしくひざまずき、伝統的な誓約の言葉を口にする。
「《黒き太陽王(ブラック・サン)》ラーリオス様。私は、あなたにいただいたカレン・ノワールの呼び名を《真の名(トゥルーネイム)》として、魂に刻み付けます。変わらぬ忠誠を誓うとともに、あなたの庇護を求めます。契約が守られる限り、双方の霊力が高められることを。契約に違背した場合は、互いの魂に相応の苦痛が伴わんことを」
 誓約の言葉は、ノワールの知識から出たものではない。
 彼女がぼくの思念に従うと決意した際に、ぼくの知識が流れ込んだものだ。
 つまり、精神的な絆が構築されない限り、こちらの意図どおりの言葉は発せられない。
 ノワールの発した言葉は、誓約がすでに成されたことの証というわけだ。
 ぼくは、それを確信し、彼女を囲む結界を解除した。
「ようやく、私の思うとおりになったわね」ノワールは立ち上がると、勝ち誇ったような表情を見せた。
「ああ、ぼくの思うとおりだ」こちらは座ったままで応じる。
 双方の満足いく結果になったればこそ、交渉成立ということになる。
「私の利点(メリット)は、《暗黒の王》の力と庇護を(たまわ)ること。これで、あなたに滅ぼされることなく、存在し続けることを保証された」
「ああ、保証しよう。君の忠誠が本物である限りな。ぼくを騙したり、(おとしい)れたりすれば、その時点で君の魂は地獄の苦しみを味わうことになる」
「わざわざ得にならないようなことはしないわ。あなたは強い。しかも、さらに強くなろうとしている。そんな主君に仕えることは、邪霊の身にも喜びよ。本当に愛しているわ、リオ様。だって、強さは愛だもの」
「強さは愛、か。愛が力を与えてくれる、と言ったところかな」
 強さと優しさは、ハードボイルドの両輪だ。そう納得してみたけれど、
「違う違う」いきなり否定された。
「何が違うって言うんだ?」少しムッとする。
 誓約が成されても、すぐに従順で素直な性質に変わるわけではないらしい。
「強さを持つ者だからこそ、愛が得られるの。強くない者、強くなろうとしない者に、愛を語る資格はない。私は《暗黒の王》の力と狡猾さを認めた。私の忠誠を得るために、それらを示すことで、あなたは愛を証明してみせた。力をもって示さない愛なんて、何の価値もない。愛があれば強くなれるなんて、そんな腑抜けた考えじゃ私は従えないわ。私の主であるのなら、邪霊の考え方を理解しないとね」
 いろいろ反論の余地はあったけど、弱肉強食の考えが邪霊の哲学の一つであることは理解した。《暗黒の王》として邪霊を従える上では、ただ否定するだけでなく、相手の思考法を受け止め、利用することも覚えなければいけないのだろう。
 思考法を学ぶことと、その思考法に染まることは別物である。
 他者の思考法を、自らの狭い価値観、好き嫌いの感情で否定することは、自ら交渉の機会を放棄することになりかねない。
 好き嫌いの表明は構わないが、他者と通じ合うためには、そうした感情さえコントロールすることが必要だ。
 そう、嫌いな考え方にも、一定の筋が通っているなら、そこには熟考する価値を認めなければいけない。
「カレン・ノワール」ぼくは優しさと強さの両方を言葉にこめた。
「君の忠誠が、強さに根差した愛に向けられることを了解しよう。愛は強さで証明しなければいけない。だったら、ぼくは強くなければいけない。そういうことだな」
「最初から、あなたはそうだったでしょう、カート・オリバー?」
 ああ、そうだったか。
 スーザンを取り戻すために、強さを求めた。
 紆余曲折はあったけれども、愛を得るための力に貪欲なカートの根本姿勢には、ブレがなかった。力を得る手段と、誰と戦うべきかの選択に迷っただけで。
「ゾディアックの長、星霊皇クリストファーが倒すべき敵だ。彼を倒して、スーザンを取り戻す。それがぼくの誓いだ。いいな」
 ノワールはうなずくと、もう一度、椅子に腰を下ろした。
「倒せるの?」脚を組みながら、確認するように聞いてくる。
「方法は見つけるさ」下に向けた視線を戻しながら、そう答えた。
 次いで、思いついたことを聞いてみる。
「ノワール、君はピース・オブ・ハートを知っているか?」
「宝石かアクセサリーの名前?」
 がっかりした。
 カレンの記憶だったら、そういう回答になるのか。
「ええと、そういう俗世間的なものではなくて、たとえば邪霊一族の間に伝わる伝説の秘宝とか、そんな感じの物品(アイテム)はないのか? カレンの記憶だけでなく、邪霊としての知識を呼び起こして欲しい」
「そんな難しいことを言わないでよ。私はずっとカレンの中で存在してきたのだし、それ以前の記憶なんて遠い昔のことじゃない。あなたは前世のことなんて覚えてるの?」
「ぼくは邪霊じゃない」
「邪霊だって同じことよ。トロイメライみたいに500年前の記憶を残している方が珍しい。それだけ現世に対する執着心が強かったってことね。私はそれほどでもない。邪霊の序列では格下なんだと思うわ。だから星霊皇の封印が弱まって、あっさり解放された」
「使えない奴だな」思わず、そうつぶやく。
「ああ、そういうことを言う?」ノワールはすねるように、唇をとがらせた。
「トロイメライの方が物知りなんだから、そっちに聞いたらいいでしょう?」
「トロイメライは知らないって」
「だったら、私が知るはずないじゃない。聞く相手を間違えてるわ」
「他に邪霊の知り合いはいないからな」
「一人いるじゃない」
「誰?」
 ノワールは、ぼくの左手を指差した。「そこに眠っているのは何なの?」
 赤い竜麟の異形の手。
「ええ!? まさか、ライゼルゥゥゥ!?」
(デュンケ)ライゼルよ」そう修正する。「今のあなたの力は、(デュンケ)を封じた醒魔石によるもの。気付いてなかったの?」
「いや、だって、前にライゼルに呼びかけてみたけど、答えはなかったし」
 その時に声をかけたのは、きれいに昇華された(セイント)ライゼルの方だけど。
 暴虐の黒竜となって散々暴れたあげく、ぼくたちに退治された(デュンケ)ライゼルと再会したいとは思わない。
「どうやら(デュンケ)の魂は、深い眠りに就いているみたいね。でも、力の源(パワーソース)としては十分機能する。いわば産業廃棄物の有効活用と言ったところかしら。限りある資源は無駄にできない、と誰かが考えたのね」
 バトーツァめ。
 よりによって、(デュンケ)ライゼルをぼくに移植するなんて。
「起こしたら、起きるかな?」ノワールに恐る恐る問いかける。
「何をビビッてるの? あんな小物は、今のあなたの敵じゃないわ。もっと自信を持ちなさい」
 いや、ぼくの記憶の中では、(デュンケ)ライゼルが小物だなんて、とても思えないんですけど。
 何しろ、優秀な上位星輝士たちが力と心を合わせて連携し、ようやく撃退できたほどの怪物だ。
 その力を自在に操ることができれば、あるいは……
(デュンケ)の力ごときでは、星霊皇に片手で一蹴されるわよ」ノワールが言い放った。
「まさか……」ぼくは愕然とした。「星霊皇って、そんなに強いのか?」
(デュンケ)が弱いのよ。邪霊の戦闘力は、宿主(うつわ)次第。(デュンケ)ライゼルが強敵だったのは、《炎の星輝士》ライゼルの潜在力がそれだけ卓越したものを持っていたから。道を踏み外すことなく成長していれば、きっと月陣営、いやゾディアックでも最強の星輝士となっていたんじゃないかしら。さっさと始末できて幸いだったわ」
「そんなに凄い男が、どうして君の言う小物の邪霊(デュンケ)に乗っ取られたんだ?」
「肉体的な力と、精神的、霊的な力は別だからよ。ライゼルは心の修業がまだまだだった。大きな潜在力と肉体の頑健さ、そして未熟な心。邪霊にとっては格好の宿主(うつわ)と言えるわね」
 ノワールの意味深な目に、ぼくは彼女の言いたいことを理解した。
「ライゼルだけでなく、ぼく自身も、邪霊にとっては良い餌になるわけだな」
「そう思ったんだけど、甘かったわ。トロイメライがどうしてあなたに期待しているのか、今なら分かる。未熟にも関わらず、あなたの霊的能力は想像以上、精神防壁(マインドブロック)も含めてね。意識して鍛え上げたなら、どこまで伸びるか予想もつかない。もちろん今はまだ隙も多いし、欠けているものもある」
 そこまで言ってから、フーッと溜め息をついた。
「だから……かしらね。助けたいと思うのは。最初から完成されている相手じゃ、近寄ることもできやしない。手を掛けた分は、きちんと報われる相手だと期待できるからこそ、奉仕しても悔いはない。邪霊にしては珍しい感情よね。これはカレンの記憶のせい? それとも、あなたの人徳か何か?」
「名付けの誓約の影響かもしれないな」
「……そういうことにしておくわ」ノワールは肩をすくめて、脚を組み直した。
「言っておくけど、(デュンケ)を起こしたりしないでね。うるさいから」
 同感だった。
 全てを受け止める心の強さを目指してはいても、余計な苦労をあえて背負うほど、ぼくはバカじゃない。
 今のぼくに、知性を持たない(デュンケ)を御する自信はない。
 それに、知性を持たない以上、ぼくの求める答えは得られないだろう。

「帰る」
 ぼくは意を決して、そう言った。
「え、もう?」ノワールはなおも不満そうだ。
 十分な時間はいっしょに過ごした、と思うんだが。
「ここには答えはなさそうだからね。バトーツァか、ジルファーにでも当たることにする」
 それでも無理なら、ロイドか。
 案外、彼の持つオタク知識の中に、ピース・オブ・ハートの答えがあるかもしれない。
「お願いよ、カート。私を外に連れ出して。体が欲しいの」
「今は我慢しろ」
「私はもう危険じゃないわ。誓約したでしょ」
「ああ、ぼくにとってはな。でも、外のカレンを脅かす。今の彼女は……無垢すぎる。危険にはさらせない」
白紙(パピエ・ブラン)ってわけね」ノワールは舌なめずりをした。
「もう一度、染め直してあげるわ。あなたが協力すれば、今度こそうまく行く。人形に魂を込めるようなもの」
「彼女は人形なんかじゃない!」ぼくは叫んだ。「ぼくはカレンを呪われた運命から解放したいんだ」
「呪われた運命って私のこと?」
 ノワールは哀しみをたたえた瞳でぼくを見つめた。
「邪霊は呪われた存在なんだから、封じられなければならない。結局、それがあなたの見解というわけ?」
 重い問いかけだった。
「ぼくは人間を守りたい。人の社会を、そして心を守りたい」そう思いを訴える。
「だから、邪霊が人を脅かすなら、止めるつもりだ。邪霊と呼ばれる存在であっても、人と共存できるなら……いや、そうできるように導きたい、と考えている。そのためには、もっと邪霊のことも知らないと」
 何だか、自分が公民権問題の指導者になっている気がした。
 「邪霊差別反対。邪霊にも人権を」と書いたプラカードを掲げたり。
 「邪霊の、邪霊による、邪霊のための政治」を訴えたり。
 ええと、《暗黒の王》として邪霊解放宣言を出したら、ぼくもアブラハム・リンカーンのように、歴史に名を残すことになるのかな?
 ……そんなことをぼんやり考えながら、当座の結論を出す。
「分かったよ。カレンの意思を尊重しよう」
「さすがはリオ様」ノワールが飛びついてくるのを、ぼくは片手で阻止した。
「君じゃない。白の(ホワイト)カレンだ」
「カレン・ブランシュよ」フランス語で訂正される。
「白はブランシュか」発音を確認してから、話を続ける。
(ブランシュ)(ノワール)を受け入れると決めたなら、交渉成立だ。それまでは、現状維持を貫く」そう宣言した。
「《暗黒の王》としては、うまく説得してくれるのよね」ノワールが期待の目を向ける。
「この件については、ぼくは中立の立場をとる。あくまで(ブランシュ)の自発的判断に委ねるつもりだ」
(ブランシュ)が拒んだら?」
「それは……そのときに考える」
「今、考えて。別の肉体を用意してくれたら、私は納得するわ」
「誰の肉体だよ」ぼくは拒むつもりで反語の問いかけをした。
 ノワールはじっくり考えてから、こう答えた。
「……ソラーク・アイアース」

 ぼくはノワールをじっと見つめた。
 カレンの姿をした邪霊が何のつもりで兄の名前を出したのか、真意を確かめるために。
 すると、ぼくの意思に応じたのか、カレンの風貌がソラークを思わせるものに移り変わっていく。
 黒い瞳だけはそのままに、目じりが鋭い鷹の目に。
 女性らしい鎧装束は闇に溶け込み、貴族風の礼服(タキシード)として再構成される。
 背筋はすっと伸び、細身だが十分筋肉質な肉体に。
 そこに立っていたのは、闇をまとったソラークの姿に見えた。
 もっとも、よく見ると細部は異なる。
 明るい金髪ではなく、濃く黒ずんだ色合いの地毛が白髪交じりとなっている。
 顔も年経たような皺が見られ、初老の趣きをかもし出していた。
 そして、ソラークにはない口髭。そこに浮かべた笑みも、若者のさわやかさは感じられず、尊大さと狡猾さを感じさせる老成したものに見えた。
「誰だ、お前?」ぼくは油断ない目線で、突如出現した男をにらみつけた。
「もちろん、ノワールだよ、《暗黒の王》」男の姿となった邪霊は、カレンの姿とは一風変わった威厳ある口調で答える。
「アイアースの名前を聞いたのでね。それが合言葉(キーワード)となって、私の記憶が呼び起こされたらしい。ただの推測でしかないが」
「カレン・ノワールの中に眠る、もう一つの人格というわけか」
 確かに、ぼくはピース・オブ・ハートの手がかりを求めて、邪霊の潜在記憶を望んだ。
 この男の出現は、ぼくの想いによるものなのか。
 しかし……
「娘がいろいろ世話になっているみたいだな」こちらの戸惑いを気にかけることなく、男は自分のペースで話し続けた。
「父親として、挨拶しておきたいと思うのだが……」
 間違いない。
 この男は、以前、夢で見たカレンと……そして、ソラークの父親だ。
「お前のことは知っているぞ」嫌悪の念が湧き上がってくるのを抑えきれないまま、ぼくは記憶を呼び起こした。
「確か……ラビット・アイアース!」失礼は承知で、相手に指を突きつける。
「惜しい」男はやんわりとかぶりを振った。「ラビックだ。(ラビット)じゃない」
「……ラビック・アイアース」赤面しながら言い直す。
「ふむ、過ちを正す潔さと、羞恥心は持ち合わせているようだな。礼儀知らずではあるが、心根は曲がっていない。貴族としての敬意を表明して、そなたのことは何と呼ぶべきかな。(シーア)か、(ムッシュ)か、どちらかを選んでくれたまえ」
 何とも慇懃無礼な男だ。
「カート・オリバーだ。カートでいい」素っ気なく答える。
「分かったよ、オリバー君。しかし、ファースト・ネームは後の機会にとっておこう。いきなり馴れ馴れしいのも、互いの格を落とすというものだからな」
 対等に接するなら、こちらもミスター・アイアース、またはサー・ラビックとでも呼ぶべきなのだろうけど、相手に合わせるつもりはなかった。

「ラビック・ノワール。そう呼ぶぞ」
「好きにすればいい、《暗黒の王》。主君はそなたなのだからな」
 互いにふてぶてしい態度を崩さないまま、ぼくたちは油断ない視線をぶつけ合った。


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