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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−20)


 
4ー20章 ノブレス・ノワール

 精神世界の闇の中。
 このぼく《暗黒の王》と、(ノワール)の呼称を持つ貴族の亡霊が対峙していた。
 二人の間に、しばしの沈黙が漂う。
 ぼくは、この唐突に出現した男ラビックにどう接していいか、困惑していた。
 先ほどまで黒のカレンと話していたのに、それが彼女の父親の姿に化けるなんて。
 邪霊はもちろん人間の常識外の存在だし、そもそも、ここは夢の中だ。何があっても不思議ではないのかもしれない。
 ただ、強い意志を持って構築された夢空間では、それなりの秩序を備えているものだ。人が突然、化け物の姿に変わることはあっても、本質まで別の存在に変わったりはしない。
 夢の中でも、ぼく自身の人格は維持されているし、その世界に封じられたカレンの記憶は彼女なりの人格を維持しているはずだった。
 だけど、それはもしかすると、ぼくの思い込みに過ぎないのかも。

「カレンはどうなったんだ?」
 ぎすぎすした自己紹介の後で、ようやく発した言葉がそれだった。
「おそらく、私の中で眠っているのだろう」ラビックは答えた。
「すぐに彼女に代われ」そう命じた。
「今はまだ無理だな」男は肩をすくめる。
「断るな。これは命令だ!」ぼくは威圧的に叫んだ。
 このふてぶてしい男には、どちらの立場が上か、思い知らせてやらないと。
「命令されても、不可能なことはできん。まあ、少し落ち着きたまえ、オリバー君」
 そう言うと、ラビックはかたわらにあった椅子に腰を下ろした。
「ふむ。煙管(パイプ)でも欲しいところだな。一服すれば、良い知恵が出るかもしれん。用意してくれないかね、《暗黒の王》よ」
「どうして、ぼくが?」
「そなたが、ここの宿主(ホスト)だからだよ。客をもてなすのは当然の礼儀ではないか」
「お前を招いた覚えはない」
「う〜む」ラビックは考え込むように腕を組んだ。
「私はもしかして嫌われているのか? 先程から、そなたの目には憎悪が見え隠れしているようだが。《暗黒の王》らしい良い目をしていると言えるな、少年。その激しい感情は、邪霊の身としては甘美で、ゾクゾクした刺激を与えてくれる。実に気に入ったぞ、と言いたいところだが、憎悪の理由が分からないのは、いささか不安だな。記憶を探っても、私はそなたに恨まれることをした覚えがないのだが」
「お前は、カレンに何をした!?」男のとぼけた口調は、ぼくをますます苛立たせた。
「ああ、そのことか。娘が心配なのだな。安心したまえ。私は娘を消滅させたわけではない。カレンは確かに存在している。私のここにな」
 そう言って、自分の胸をトンと叩く。
「おそらく、何かの合言葉(キーワード)で呼び戻すことも可能だろう。ただ、今はその合言葉(キーワード)が私にも分からないのだよ。少なくとも、『娘』でも、『カレン』でもないことは確かだな。その言葉はさっきから何度も使っているのだから。推測するに、私にとっての『アイアース』同様、あの娘にとって重要な意味を持つ言葉だとは思うのだが、そなたは何か心当たりがないかな?」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
 自分でも驚くほど、ぼくは怒りを抑えることができなかった。
 邪霊の目的が、ぼくの理性を奪い、自分が優位に立つことであるとするなら、ラビックの姿に変わったのは正解だったろう。

 ラビック・アイアースという男について、ぼくが知ることは少なかった。
 しかし、その少ない知識の中で、彼は悪逆非道の人物として印象づけられていた。
 カレンの記憶を探る中で、彼女の純潔を汚した男こそがラビックだと分かったのだ。
 カレンは、ラビックの愛人の娘であるが、実の娘ではなかったらしい。それでも、アイアース家の養女として、実の娘のように育てた彼女を父親のラビックが抱く姿はおぞましいものだった。
 まともな理性や常識を持たない、けだもののような男。
 その末路は、ぼくと同じような激しい怒りに駆られた息子ソラークによって、殺害されるという無惨なものだったが、自業自得としか思えなかった。
 結局、このラビックという男が、ソラークとカレンの運命を狂わせた諸悪の元凶なのだ。
 けれども、ぼくの前で優雅に椅子に座った男は、以前の夢で見たようなけだものではなかった。
 公正な目で見れば、むしろ物腰の柔らかい知的な人物、と評価すべきだろう。
 ジルファーとバトーツァを足して2で割れば、このような感じになると思えた。
 ただし、斜に構えた感じのジルファーや、卑屈で俗っぽい印象のバトーツァと違って、正面から自分を押し通す傲慢さが特徴と言えた。その真っ直ぐ物怖じしない気質は、息子のソラークにも受け継がれているのだろうが、貴族の当主として年季の入ったラビックの方が、よほど鼻についた。
 殺しても飽き足らない、そんな思いをぼくは持て余していた。

 怒りが高まるうちに、やがて、ぼくは自分の左手が熱を発していることに気付いた。
 眠れる(デュンケ)ライゼルの力が、ぼくの感情に呼応し、彼の得意な炎を生み出そうとしている。
 ラビックと、(デュンケ)ライゼルなんて、最悪の組み合わせだ。
 自分の中にこんな連中を抱え込んでしまっては、正気を維持できる自信がない。
 そういう危機感を覚えて初めて、ようやく冷静さを取り戻す。
 今は(デュンケ)の相手をしている余裕はない。
 (ノワール)から、何とか対処していかないと。
煙管(パイプ)だ」相手の求めに応じてやる。万年筆サイズの道具を、手渡しではなく、無作法に投げつける。
「ふむ」くるくる回りながら飛んでくるそれを、ラビック・ノワールは器用に受け取った。
「火だ」左手に篭った熱を解放してやる。ライゼルがぼくに撃ち出した火球の大きさには届かず、せいぜい消しゴムサイズの火のつぶてだ。
「すまんな」手持ちの煙管(パイプ)で、優雅に受け止めるラビック。
 そのまま一服すると、フーッと煙を吐き出した。
 一つ一つの動作が、やたらとこれ見よがしで腹立たしい。
 だけど、その怒りの感情に支配されることこそが相手の目論見だと考えると、思いどおりになってたまるか、という憤怒の念で、何とか自分を鎮めた。
 ジルファーのことを思いながら、冷ややかな怒りの凍気を右手に宿し、左手の熱を冷ますのに専念する。

「さて、お互いに落ち着いた頃合いかな?」
 一服を終えたラビックが声を掛ける。
「ワルキューレ」ぼくは、そう応じた。
「何だって?」男は面食らったような表情を浮かべた。
 相手を困惑させたことに、ひそかな満足を覚えつつ、ぼくは説明した。
「カレンを呼び起こす合言葉(キーワード)だよ。彼女の星輝士としてのコードネームだ。試してみるといい」
 ラビックはうなずくと立ち上がって早速、「ワルキューレ」と唱えた。
 正解だったようだ。
 憎むべき男の姿が、CGモーフィングのように、愛らしい女性の姿に変化する。まるで、液体金属のサイボーグだ。
 違うのは、映画の中のT1000が硬質な銀色の液体だったのに対し、邪霊の変化を彩るのは軟質な黒い影であること。そして、変化のプロセスが映画の視覚効果よりも速やかで、意識して観察しなければ、瞬時に化けたようにしか見えないことだ。
「何があったの?」カレン・ノワールは目をぱちくりさせた。額冠(ティアラ)に手を当てて考え込む。
「急に意識が遠くなって……ぼんやり夢でも見たような気分。リオ様、あなたが何かしたの? それとも……トロイメライ?」
「覚えていないのか?」ぼくは問いかけながらも、これも邪霊の狡猾な演技なのではないか、と疑った。
 カレンとラビックの二つの姿を使い分け、こっちを飴と鞭のように翻弄する。
 ラビックと接しているときの嫌な気分が、カレンを見ていると癒されるようだ。
 思わず、目の前の女性を抱きしめたくなる気持ちを、ぼくは何とか抑えた。
「君は父親、ラビック・アイアースの姿になって、ぼくと話をしていた」
「嘘……」カレンはかぶりを振った。「私の中にお父さまが?」
 驚きと嫌悪、それでいて納得と安堵の入り混じったような複雑な表情が浮かんだ。
「やっぱり、私に《闇》を植え込んだのは、お父さまだったのね」理解と諦観の溜め息を漏らす。「直接会って、いろいろ言ってやりたいけど……」
 そう言って、意識を集中する。
 自分の内面に思念を送ろうとしているようだ。だけど、
「駄目ね。私には感じられない」
「向こうは、君のことを感じられるみたいだが……」
「たぶん、私が人間の意識に縛られているからかもしれないわね。まだ生きているんだから、霊の世界に順応できていないというか。すでに死んでいる父の方が、純粋な邪霊としていろいろ感じられるんじゃないかしら」
「つまり、ラビックの方が邪霊の知識や感覚を強く備えているということか?」
「おそらく、ね。それで、あなたの知りたいことは聞けたの? そのために、父を呼んだんでしょ?」
「いや、勝手に出てきた。ぼくが呼んだんじゃない」
「そんな……だったら、父はいつでも勝手に私と移り変われるというの? 死んだ後まで、私に絡みついてくるわけ? いやよ、そんなの。リオ様、何とかして」
「君は、父親が嫌いなのか?」そう聞いてみた。
 答えがイエスなら、その点で、ぼくはカレンに共感できる。
「愛憎入り混じった気持ちってところね」カレンは静かに答えた。
「父にはいろいろ感謝しているし、懐かしくもある。だけど、ずっと干渉されたいとは思わないわ。私には私の人生があるんだし、好きな人と愛し合っているところまで、覗き見されたくはないの。言ってみれば、プライバシーの問題ね」
「なるほど。それは人間らしい意識だな」
 純粋の邪霊なら、プライバシーなんて気にかけるとは思えない。
「ラビックも、君と自在に入れ代わることはできないみたいだ」ぼくは相手を安心させようと、そう告げた。
合言葉(キーワード)が必要らしい。『アイアース』と君が呼べば、彼の意識が顕在化するみたいだけど……試してみるか?」
「いやよ。私は私、好きこのんで他人に乗っ取られるつもりはないわ」
 それはそうだな。
 ぼくがカレンの体に憑依したことがある事実も、打ち明けないほうがいいだろう。
「あ、でも、私が乗っ取るなら話は別よ。要は、支配されるよりも、支配する方がいいってこと。『力なき者は支配を甘んじて受けよ。力ある者は弱者を支配し、保護し、導くべし。他からの支配を望まぬ者は、己を磨き、精進をもって、高みの星に手を伸ばせ』 父は私にそう教えたわ。帝王学の基本ってところね」
 ラビック・アイアースの哲学か。
「支配がどうこうというのは、あまり気に入らないな」ぼくはアメリカの一般市民らしい意見を出した。「人は自由かつ平等であるべきだ」
「民主主義の精神ね。革命の理念でもある」カレンは応じた。
 そうだ。アメリカの民主主義の理念は、元はと言えばフランスに端を発すると聞く。思想家のモンテスキューや、ルソー、それに軍人にして政治家でもあるラファイエットの名前が思い浮かぶ。
 カレンは言葉を続けた。
「革命は、既成権力の体制を打破するまでは良かったのだけど、それで社会が丸く収まったわけじゃない。破壊の後で、いかなる社会を建設すべきか。そのための拠って立つ力を何に求めるか。自由や平等といった理想を掲げても、それを保証する力がなければ、しょせんは絵空事の理想論に過ぎないわ」
「君は、民主主義を否定するのか?」
「私の周りの現実にはなかったもの」皮肉っぽく吐露する。
「もちろん、民主主義の概念は知っているし、共感もできる。でも、それって、いわゆる書物の知識、幻想物語(ファンタジー)と大して変わらないと思う。王制や貴族制が力を失い、商業主義の市民階級(ブルジョワジー)がとって変わった。彼らは富裕な資産家であり、今でいうところの庶民とは異なる立場と考えるべきね。貴族や聖職者などの特権階級ではないものの、経済力という力をもって新たな権力を構築した。だから、後に資産家に対する社会主義(プロレタリアート)革命を引き起こすことにもなるのだけど……って、何で歴史の講義を始めているのよ、私? これも、お父さまの記憶が顕在化したせい?」
 知るものか。
 ただ一つ、分かったことはある。
「革命は、権力の移行に過ぎないということか。革命精神の理想は、あくまで建て前であって、宣伝文句(プロパガンダ)でしかない、と」
「それは極論だと思うけど、世の中には裏と表があって、一本筋の通った理想だけで回っているわけじゃないの。権力者は当然、表向きの建て前の通し方と、裏の実益、権力基盤の維持の両面を見据えなければいけない」
「難しいな」ぼくは腕を組んだ。
 まさか邪霊と、人間社会の権力談義をすることになるとは思わなかった。
「それと知ってる? 民主主義の掲げる自由って、元を正せば経済用語なの。自由競争を重視するって。それに平等といっても、あくまで機会均等、誰にでも競争に参加する機会は与えられるけど、結果の平等までは保証されない。つまり、競争して勝った者がさらなる力を得る一方で、負けた者は支配を余儀なくされる。その結果の不平等を是正するために作られた仕組みが、いわゆる社会保障なんだけど、アメリカでは独立独歩の個人主義が蔓延しているために、ヨーロッパほど社会保障に乗り気でない人が多いと聞く。あなたがアメリカ人なら、その点はどう思っているのかしら?」
「勘弁してくれ」組んでいた腕を解いて、肩をすくめる。
「政治家を目指すなら、もっと真剣に考えるべきテーマなんだろうけど、今のぼくはまだまだ勉強不足だ。慌てて結論を出す段階じゃない」
「そうね。私だって、こんなことを話すつもりはなかった。きっと、父の思考の影響ね」
「ラビックは、どこまで君に影響を与えているんだ?」
 念のため問うてみる。
「そんなこと、分からないわ。父は私に……いろいろ教えてくれたから。親の影響を受けない子供がいるの?」
「少なくとも、うちは放任に近かったな。親の期待の目は、兄貴にばかり向けられていたから。ぼくには、優秀な兄を見習えとか、兄の邪魔をするなとか、そんなことばかり言われた気がする」
「私は、父と兄の役に立つよう、しつけられたわね。私の人生は私のものではなく、彼らに奉仕するためにあったの。自由や平等なんて、しょせんは力ある者の理想的な建て前でしかなかったし、私もそれを疑うことなく育った。兄が父を殺したとき、ようやく解放された、と思ったんだけど……」
「ラビックは、君の中の《闇》として潜んでいたわけか」ぼくはうなずいた。「もう一度、ラビックとは話す必要があるな」
「どうしてよ?」
「理由は三つある」ぼくは右手の指を三本立てた。
「一つ」薬指を折る。「ピース・オブ・ハートの答えを彼が持っているかもしれない」
「あまり期待しない方がいいと思うけど……」
「二つ」カレンの言葉を無視して、ぼくは中指を折った。「《暗黒の王》として自分を確立するには、彼の知識、見識が有用かもしれない」
「支配の原理は気に入らないんじゃなかった?」
「好きか嫌いかと、必要かどうかは別問題だ」そう割り切ってみせる。
「少なくとも、食わず嫌いをするつもりはない。帝王学を学んだ上で、それをどう使うかはぼく次第だ。知らないことに対しては、批判することもできないだろう?」
「……そうね」カレンは渋々うなずいた。
「三つ」最後の人差し指を折って、代わりに親指を立てる。「君のためだ」
「私のため?」カレンは目を大きく見開いた。
「ぼくに『何とかして』って言ったろう? 彼と話して、君への干渉をやめるようルールを決める。君の意志でもないのに、勝手に言動を操作されるのは、こっちも気に入らない。君がラビックの操り人形でないことは確信しておきたいからな」
「……分かった」カレンは納得したようだ。「父を呼び出せばいいのね」
「ああ、用事が済めば、必ず君を呼び戻す」
「信じているわ」そう言って、カレンは唱えた。「アイアース!」

 たちまち、黒の貴族が具現化した。
 今度は事故ではない。ぼくの意思で呼び出したわけだ。
「ほう」ラビックは辺りを見回してから、こちらに注意を向けた。
「まさか、もう一度、呼ばれるとは思わなかったよ、《暗黒の王》。そなたには嫌われているようだったからな」
「嫌っているさ」ぼくは言葉を飾らなかった。
「だけど、お前はぼくに誓約をしたはずだ、ラビック・ノワール。人格が代わっても、邪霊(ノワール)としての本質は同じだろう? だったら、お前の姿でも誓約が有効だと考えるが、どうだろう?」
「『変わらぬ忠誠を誓うとともに、そなたの庇護を求める』と言ったところか。確かに、誓約は有効だ。私はそなたに敵意は持っていないよ、オリバー君。むしろ、同じ娘の交渉相手として、親近感すら抱いているぐらいだ。(あれ)の味はどうだった?」
「貴族にしては、ずいぶんと下品な物言いだな」ぼくはぴしゃりとはねつけた。「アイアースの名が泣くぞ」
「これは手厳しい。では、こう呼ぶべきか。我が娘婿どの、と。この私を実の父親のように思ってくれて構わない」
「ぼくの父は、ぼくをゾディアックに売った。子供を利用して貪るような親を、ぼくは許さない」
「やれやれ」ラビックは肩をすくめた。「どうやら、《暗黒の王》は愛情に飢えて育ったようだ。だから、他人から注がれる親愛の情にたやすく溺れると思ったんだが……」
「溺れる前に、危険を見極めるぐらいの知恵は備えているさ」そう応じる。「愛に溺れて盲目になったのは、ぼくよりも、むしろお前の方だろう?」
 こういうやりとりは、ジルファーやバトーツァとの話で慣れていた。
 皮肉の応酬の中で、互いの機知と自制心を披露し合うことに喜びを感じる人間もいるのだけど、カート・オリバーはもっと単刀直入(ストレート)であるべきだ。
「《暗黒の王》には、大らかさと諧謔(かいぎゃく)精神が必要だ。ラビック・ノワール、お前には諧謔(かいぎゃく)精神があっても、大らかさというものがない。スケールが小さいのかもな」
「スケールだと?」ラビックの口髭がピクリと揺れた。
「そうだ。一見、達観しているように見えて、自分の内面の苦悩に引きずられ、外が見えないでいる。内に核がないから、外に依存するか、過剰に攻撃的に振る舞おうとする。前者はカレンとソラーク、後者がラビック、お前だと思うがどうかな?」
 ラビックが、上から目線でこちらを見透かそうとする態度をとるなら、こちらもそのスタンスで返せばいい。しかし、
「ソラークが……息子が外に依存していると?」
 ラビックが、自分のことよりもソラークの名前に飛びついてきたのは意外だった。
(あれ)は優秀な男だ。アイアース家の後継として、立派に育て上げてきた。我が誇るべき息子だよ。誤算だったのは、私の気付かぬほどの苛烈さを隠していたことだ。そのために私は命を落とすことになったのだが、息子は私の死を乗り越え、うまくやっていると思っていた。教えてくれ、《暗黒の王》よ。息子はどうしている?」
 まさか、ソラークの名を出したことで、ここまでこの男の冷静な態度が崩れるとは思わなかった。
「ソラークのことは、カレンが詳しいはずだけどな。知らないのか?」
「どうして、娘の知ることを私が知っていると考える?」
「いや、だって、同じノワールなんだろう?」
「ラビックとして目覚めたのは、つい先程だ。生前の記憶は覚えているし、(カレン)とそなたのやりとりも何となく感じたりもした。夢のようにおぼろげにな。だからこそ、はっきりしないことも多いのだ」
 夢だから、はっきりしないか。
 たぶんトロイメライと接触するまでのぼくも、そう考えていたのだろうな。
 だけど、星輝石の力とトロイメライの導きで、ぼくは短時間のうちに、精神世界の流儀を身につけるようになっていた。
 少なくとも、夢の記憶を操作し、おぼろげな霊の思念と接触し、自分の意思で論理的な会話を交わす程度のことは普通にできている。
 しかし、霊の方はどうなんだろう?
 普通の人間が霊の世界に交信することが困難であるのと同様、霊体の方も、ぼくたちの現実世界に触れ、干渉することはさほど簡単ではないのかも。
 ぼくはラビック・ノワールのことをカレンの背後に潜んでいた大物だと思っていたのだけど、それは彼のふてぶてしい態度からの錯覚に過ぎず、その知覚能力はごくごく限られたものなのかもしれない。
 そこのところを見極めたい、と思った。
「ソラークは元気だよ」彼の知りたいことを答えてやる。
「お前を殺したことで、自分を罪人と嘆き、アイアースの家名は捨てた。カレンといっしょにゾディアックに拾われ、優秀な星輝士として認められたが、内面では罪の意識にさいなまれて、心の救済を求めている、と言ったところか」
「そうか……」ラビックは力なく、かたわらの椅子に腰を落とした。「私の所業は、息子の人生にも影を落としたのだな」
「後悔しているのか?」意外な心情の吐露だった。
「ああ、私の人としての意識はな。息子を本当に愛していたのだ。その気持ちがそなたには分かるか、《暗黒の王》よ」
 分かるとも、分からないとも答えられなかった。
「人としての意識……と言ったな」そう話をそらす。「邪霊としてはどうなんだ?」
「どういう意味だ?」
「カレン・ノワールは、自分の肉体を取り戻す代わりに、ソラークの肉体を求めた。そこには、お前の意向も働いているのではないか?」
「私がソラークの体を求めているだと?」ラビックの表情に戸惑いと、驚愕、そして理解の色が浮かんだ。「そうか。確かに、それなら家族が一つになれる。《暗黒の王》よ、素晴らしい提案だ!」
「提案じゃない!」ぼくは慌てて否定した。「ソラークの肉体はソラークのものだ。いくら父親だからって、勝手にはさせない」
「そなたは一家団欒(だんらん)の幸せを認めないのかね?」
「父親に支配され、体を乗っ取られることを一家団欒とは言わない」
「どうも、そなたは家族愛というものを理解していないようだ」
「家族といっても、他人なんだ。プライバシーを守れ。干渉しすぎるな。カレンの言葉だ」
「私がいつ干渉した? 私は愛情を示しているだけだ」
 ぼくとラビックの間に、火花が飛び散った。
 だけど、すぐにラビックが折れる。
「分かった。息子と娘の意志は尊重しよう。何しろ、私は死んだ身だからな。現世に大きな未練があるわけでもない」
「邪霊にしては殊勝じゃないか」思わず、皮肉を漏らす。
「私の未練は現世でなく、死後の世界にあるんだよ、オリバー君」ラビックは改めて手にした煙管(パイプ)をくわえて一服した。
「私の愛した女は、最初の妻ケイト。イザベルも、娘のカレンも、私にとってはケイトの代わりでしかなかった。私の心は、現世にありながら、ずっと死後の世界にいる亡き妻に向けられていたのだ」
 ぼくは黙って、視線で続きをうながした。
「私は降霊術の会合(セアーンス)の情報を集めては、しばしば参加することにした。その中の多くはインチキな代物だったが、少なくとも一つだけは本物で、異界の門を開く結果になったようだ。私はただ妻の霊と接触したかっただけなのだが、私にとり憑いたのは、妻とは関係ない一介の名もなき邪霊だった」

 しばしの沈黙の後。
「……一つ確認したいんだけど」ぼくは不意に思い当たって、話の腰を折った。「さっきから、ラビックのように話をしているが、彼はゾディアックや星輝士、それに邪霊のことを知っていたのか?」
「いい指摘だ、オリバー君」ラビック・ノワールは、煙管(パイプ)を口から放して、フーッと煙を吐いた。
「生前のラビックは、もちろん知らなかっただろうな。自分が何かにとり憑かれていたことも。今の私はラビックの人格、記憶、感情を再現しているが、同時に邪霊として、カレンやそなたの影響も強く受けているみたいだ。だから、ラビックとしては知らないことも、何となく認識できているのだろう」
「カレンはともかく、ぼくの影響だって?」
「ここはそなたの世界(なか)だからな。それに《暗黒の王》は我が主だ。思念の影響は免れ得ないよ。さて、ずいぶんと遠回りをしたようだが、ラビック・アイアースに何を聞きたいんだね? ラビックとしては探り合いの時間も嫌いではないが、オリバー君も探偵小説(ミステリー)なんかを愛読するのかな?」
「ぼくが好きなのはハードボイルドだ」
「趣味が合わんな」ラビック・ノワールはあっさり言い放った。「ハードボイルドなど、知的好奇心を満たすことのない、行き当たりばったりな分野(ジャンル)だ。知識人の読む代物ではない……と生前のラビックなら言うだろう」
「知識人じゃなくて悪かったな。だったらハードボイルドらしく単刀直入に聞くよ。お前は、ピース・オブ・ハートについて何か知っているか?」
「ピース・オブ・ハート?」ラビックの紺色の瞳がキラリと輝いた。
「どうやら、私の知的好奇心をそそる謎解きのようだな。英語ではなく、フランス語に置き換えるとどうなる? ペ・ド・クール、あるいはピエス・ド・クールといったところか。どっちかね?」
「フランス語は、よく知らないんだ。ペとか、ピエスとか、どういう意味?」
「ペは安らぎで、ピエスは一粒と言ったところか。英語のピースには二種類の単語があると聞いたことはある。どっちの意味で、そなたは使っているのかね?」
「ええと、たぶん、砕けた塊、欠片(かけら)の意味だから、ピエスの方では?」
「ピエス・ド・クールか」ラビックは思索にふけるように両目を閉じ、またも煙管(パイプ)をくわえた。
 やがて、一言。
「おそらく、あれだな」
「知ってるのか、ラビック?」
「はっきり覚えてはいないが、昔、それに似た名前のワインを飲んだことがある。ピエス・ド・ロッシュ……いや、クー・ド・クールだったか? とにかく、手がかりはワインだ。まちがいない」
「いや、ワインは関係ないと思う」ぼくはあっさり否定した。
 頼りにならないアル中のヘッポコ探偵を見るような目線を向ける。カレンの言うとおり、期待しない方が良かった。
 だったら、もう一つの目的に移ろう。

「ラビック、お前から帝王学を学んだ、とカレンは言っていた。では、無能な部下に対してはどう処したらいいのかな?」
 暗に、ラビックを無能な部下になぞらえた問いかけだ。
「ふむ。単純に無能な部下と言っても二つあるな」ラビックは煙管(パイプ)を持たない方の手で口髭を撫でた。
「一つは、本当に無能で使いものにならない場合。相当に稀なケースだが、どうしようもない場合は早急に切り捨てるべきだろう」
 そう言ってから、にやりと笑んで、かぶりを振る。
「だが、君主が気にかけるべきは、もう一つの場合だ。すなわち自身の器量が足りないために有能な部下をうまく扱えず、あるいは間違った場所に配置するなど持ち味を殺しているケースだな。上に立つ者としては、自分の下につく者の特性を手駒として冷静に分析し、どう動かせば戦略的目標を達成できるか熟考しなければならない。人材を活かすも殺すも主君の器量に掛かっていることは自覚しておいた方がいい」
「なるほどな」こちらの皮肉に対して、正論で返してくるのは感心した。
 探偵気取りの態度はともかく、帝王学を語るぐらいの見識は備えているようだ。
「カレンの言葉は正しかったようだな」ぼくは納得して、今さらながら椅子に腰を下ろした。相手の見識を認めた証に、目線をそろえる。
「帝王学の講義もいいが、私としてはピエス・ド・クールの謎を追いたいね。そもそも、その言葉はどこから得たのかね? 手がかりの出処とか、それを手に入れた経緯とか、考えるための材料が十分に備わっていなければ、正しい解答には到達できんよ」
「確かに、そうだな」そう答えてから、腹を割って話すことに決めた。 
「最初に、これだけは言っておく。ぼくの戦略的目標は、星霊皇を倒すことだ。そのための力を求めている。ピース・オブ・ハートもそうだ」
「星霊皇を倒すための力とな」ノワールは驚きを隠さなかった。
「知っているのか、そなたは? 彼を倒すことは、すなわち、彼の力で封印されている邪霊がことごとく解放されるということだぞ。そなたは、世界の混乱と破壊を望んでいるのかね?」
「ぼくが望むのは、星霊皇の強権に抗い、新たな秩序を構築することだ。そのために、力ある邪霊の長とも接触したいと考えている。可能ならな」
「強力な邪霊は、星霊皇に封じ込められている。今の時点では、彼を倒す助けにはならないと思うが」
「封印を解くことはできないのか?」
「星霊皇を倒すか、せめて封印を維持できないように弱らせればいい。しかし、本末転倒ではないか。封印している当事者の星霊皇を倒す手段として、封印を解くというのは」
「そうだな。バカな質問だった」
「いずれにせよ、今のそなたでは強力な邪霊を制御することなどできんよ。《暗黒の王》としても、まだまだ未熟だ。安易に力を求めては、身の破滅を招くだけだ」
「分かっているさ」
「しかし、面白い。星霊皇を倒すために、邪霊の長の力を求めるとはな。実に皮肉なことだよ」
「皮肉ね。確かに、後継者になるべきラーリオスが、邪霊の力で星霊皇に挑もうとするなんて、ずいぶんと滑稽なことなんだろうな」
「……そうか、オリバー君は知らないのか」
「何が?」
「19世紀末にロンドンで起こった事件だよ」
「シャーロック・ホームズや、切り裂きジャックの時代か。いろいろ事件はあったと思うけど」
「その際に、邪霊の長が解放されて、星霊皇が再封印に尽力したという話だ。その事件でいっしょに解放された長の寵妃(きさき)がいて、そなたもよく知っているはずの女だ」
「……トロイメライのことか?」
「ああ。おそらく、今の時代に解放された邪霊の中では、彼女が最強の力を秘めているのではないかな。そなたはすでに彼女の導きを得ている以上、それを越える力を外に求めても無駄だと考えるのだが」
「トロイメライは、そんなことを教えてくれなかったが……」
「利用しようとしている人間に、全てを語る必要もないと思うがね。トロイメライを信じるのは結構だし、互いに利用し合っているうちはいいが、信じ過ぎると甘言に騙されて操り人形に堕してしまう危険も覚えておくことだ」
「……それは、お前に対しても言えることじゃないか。甘言で、ぼくを操ろうとしているように聞こえるのだけど」
「否定はしない。だから、どこまでなら騙されてもいい、相手の目論見に乗じてもいい、というラインは自分で決めておくのだ。騙す方も、ここまでなら利用できるが、これ以上は求めても得るものがない、と見極めて、無理強いせずに適度に引いてみせる知恵が求められる。駆け引きとはそういうものじゃないかね」
 確かに、邪霊に関する情報源が、トロイメライ一派だけしかないのでは、真実が歪められている可能性もあるのだろう。情報の裏づけができる手段は確保しておくべきだろうな。
「まあいい。それで、ピース・オブ・ハートだが、出処はトロイメライじゃない。ぼくの夢だ。《暗黒の王》と自称する男が、それを探索していた、と言い残した。どうやら、その男は未来のぼくらしいんだが……」
「そなたは、もっと現実に目を向けた方がいい」ラビックは呆れた口調で応じてから、「生前の私なら、そう切り捨てたろうな。まるで、妄想にとり憑かれた男の言い分だ」
「ああ」ぼくは苦笑を浮かべた。「非現実な霊の世界に関わり過ぎているようだな。でも、それを言ったら、ゾディアックも、星輝士も、すべてを否定しないといけない。現実と妄想の区別をどこで付けたらいいんだろうな」
「だから、我々は肉体を求めるのだよ。現実の肉体感覚こそが、我らの存在を確かなものにしてくれる。思念体というものは自由なようでいて、吹けば飛ぶような脆弱な存在なのだ。現世に対する強固な執着があってこそ、霊体は存在を維持できるが、そのためのエネルギーは生命力を必要とする。そなたが我々ノワールの思念を外に出さずに自分の中に封じ込めるなら、私の意思とは関係なく、そなたの体と心は(むしば)まれていくことになるだろう」
「力や知識を得るための代償か」心身を健康に保つには、何らかの対策を講じなければいけないのだろう。
「さて、未来のそなたと言ったが、いつの未来かは分かるかね?」
「分からない。そう遠くない先だとは思うんだけど……」
「では、質問を変えよう。今のそなたは、時を越えることはできるのかね? それができないなら、まずは時を越える能力を得ることから始めないといけないわけだが」
「過去の記憶に接したことはある。たぶん、物理的な干渉は無理なんだろうな。精神的な接触に限られるのだと推測する」
「だったら、ピース・オブ・ハートの手がかりは、そなたの過去の記憶にあるのではないか? 外ではなく、そなた自身の中に」
「ぼくの中に?」
 心の欠片(ピース・オブ・ハート)
 欠片ということは、何か大きな心の塊があって、それが砕けて……。
「あっ」ぼくは思い出した。
 夢の中で、スーザンと戦ったときの記憶。
 失われた夢(ロスト・ドリーム)
 忘れられた記憶(フォーゴトン・メモリー)
 そして打ち砕かれた愛(ブロウクン・ハート)
「それだ!」ぼくは確信を得た。
「何か分かったのかね?」ラビックには伝わっていないようだ。
「説明は今度する。ヒントをくれて感謝する。全てはピース・オブ・ハートを見つけてからだ。一度、現実に戻らないと」
「ふむ。何だか分からんが、《暗黒の王》のお役に立てて光栄だ。他に、何かすることはあるかな?」
 少し考えて、約束を思い出した。
「ワルキューレと唱えて」
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 ラビックから切り替わったカレン・ノワールを何とかなだめすかして、一時の別れを告げた後。
 目覚めたぼくを見つめていたのは、別れたばかりのカレンの黒い瞳だった。
「え?」まだ夢から醒めていないのか?
 ぼくは目を瞬かせてから、ベッドから身を起こし、確かに現実世界だと確認した。
「ノワール?」目前の女性に問いかける。
 間違えて、精神世界から連れてきてしまったのか? 
「何を寝ぼけているのかしら、オリバー」
 その口調から、ぼくは理解した。
「何だ、君か。トロイメライ」安心の溜め息をこぼす。「どうしてここに?」
「ワルキューレが悪夢を見たからよ。巨大な闇に、自分と父親が飲み込まれる夢。何とか落ち着かせようと思ったら、どうも悪夢の原因があなたらしいと分かって」
「ぼくが? どうして?」
「こっちが聞きたいわ。あなたは夢の中で何をしていたのかしら?」
 隠しても無駄だと悟り、白状する。
「カレンの《闇》の記憶と接触していた。ピース・オブ・ハートの答えを見つけるためにね」
「また、勝手なことを」トロイメライが舌打ちする。
「ぼくは、君の操り人形じゃない」先に宣言しておく。「何をするべきかは、自分で判断できるんだ」
「判断できるなら、自分の行動の影響まで見通すことね。あなたが《闇》の記憶と接触した余波が、こっちのカレンにも及んだの。私もいつまでも、あなたの尻拭いばかりしているわけにはいかないのよ」
「《闇》の記憶……ノワールは、カレンにも影響を与えるのか?」それは厄介だ。
 事実なら、今後の接触は控えないと。
「一度、砕かれた心は不安定なの。だから他からの思念の影響を受けやすい。自ら心を鍛え直すか、より強い心に支配されて庇護されるか、それまでは安心できないわね」
 おそらく、ぼくとの誓約を果たしたことで、ノワールは力を得たのだろうな。
 封じられているとは言え、カレンを間接的に苦しめられるぐらいには。
 あまりにひどい場合は、ノワールの封印を強化しなければいけないかも。
 あるいは、カレンを苦しみから解放するために、ノワールを肉体に戻してやるべきか。
「カレンとは、また話し合わないといけないな」
 面倒だが、そういう問題から逃げるつもりはない。
 だけど、今は優先することがある。
「トロイメライ、カレンのことは後で解決する。それよりも、ピース・オブ・ハートだ。どこにあるか見当がついた」
「どこ?」
「ここさ」そう言って、自分の胸を指し示す。「過去への旅を始めよう」

(第4部『暗黒編』完。第5部『失墜編』へつづく)


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