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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(4−9)


 
4ー9章 ブラック・プディング

 カレンの冷ややかな目が座を見下ろしていた。
 沈黙が世界を覆っていた。
 周囲のテーブルにいた人たちはいつの間にか食事を終えていたようで、食堂に残っているのはぼくたちだけ。
 何も妨げるもののない空間で、ただぼくは息をのんで、にわかに発生した緊迫感に対峙していた。

「あ、ああ……嬢ちゃんか」失言をとがめられたリメルガは、ようやく気まずそうな表情を取り繕って口を開く。
「どうやら、誤解があるようだ。オレの経験が聞きたいってか? 別に大した話ってわけじゃねえよ。オレの知っている商売女は、あんたとは住んでいる世界が違うしな。いっしょにするもんじゃなかった。つい調子に乗って、ガキどもに適当なことを言っちまうところだったぜ。止めてくれて感謝するよ、可愛い子ちゃん(プリティ・ベイビー)
 あまりにも白々しい言い草だった。
 だけど、こういうセリフを臆面もなく言ってのけるのが、ハードボイルドなのか?
 半ば呆れながらも、必死で状況を切り抜けようとするリメルガに、ぼくはある種の尊敬の目を向けた。
 その一方で、カレンがどう追及するのかにも期待する。
 刺激的な言葉の応酬は、当事者から距離を置いた観客として見る分には、十分な余興にも思えた。
「見た目よりも口が軽いのね、MG(マウンテン・ゴリラ)
「お、おお、戦場では動きの軽さが生死を分けるからな」
「周囲に気を配ることも、でしょ?」カレンはやんわりと笑みを浮かべた。
「星輝士にしては、軽率じゃないかしら。油断は命取り。敵はどこに潜んでいるか分からないんだから」
「確かに、場を弁えない失言だったな。うかつだったぜ。忠告は受け取っておく」
 カレンの毒のある皮肉の意味を分からないままに、リメルガは言葉を続けた。
「それに、あんたの名誉を傷つけるような言い方になったことも謝る。決して、悪気があったわけじゃないんだ」 
 実のところ、リメルガの発言は、思いがけず事実を言い当てていたのだ。その点では、女性に対する観察力もジルファーより余程鋭いのだろう。
 しかし、発言の核心をさりげなくそらせる(すべ)において、カレンは巧みだった。
 リメルガが何となしに感じた疑惑も、本人自身が否定するように持っていくのは、さすがだと思った。
「私の名誉よりも、むしろ純粋な子ども達に、あまりいかがわしい話を吹き込まないでね。星輝士の品性にも関わるから」
 ぼくにいかがわしい話をしているときの艶っぽい表情をおくびにも出さず、穏やかな聖女然とした立ち振る舞いを演じているカレン。
「そうだな。もっと相手を選んで話すとしよう」
 リメルガはだいぶ落ち着いていたが、相手の演技を微塵も疑う様子がなかった。
 一度こういう形で釘を刺されてしまえば、今後、彼女の本性に勘付いたとしても、邪推のし過ぎだと自分を戒めるだろう。

 カレンはそれ以上、追及することをやめ、特盛プリンをぼくたちのテーブルに並べ始めた。
 ぼくは一つの戦いが終わった後のような安堵を感じた。
「手間取ってごめんなさい。リオ様の快気祝いとのことだから、心を込めて作ったわ。たっぷり召し上がってね」
「あ、あんたが作ったのか?」リメルガの声は再び上ずった。
 目前の大型カップに入ったデザートをおそるおそる見つめている。
 よく知っているカスタードプリンと違って、表面の焦げ目だけでなく、全体が黒いチョコレート・ムースに見えるのはフランス風だからなのか。
「オレの知っているプリンとは違うみたいだが……」
 リメルガも、ぼくと同じ感想を持ったようだ。
「ショコラ風味のクレーム・ブリュレよ。安物のカスタード・プリンよりも手を掛けているわ」
「質よりも量で良かったんだがな。オレに高級なデザートは似合わねえ」
「あなたはそれで良くても、リオ様のためだから。質にも気を配らないと」
「……だそうだ。だったら、まずはリオから口を付けるべきだろうな」
「え、ぼくから?」
 唐突に、ぼくは観客から当事者に引き戻された。
 リメルガが毒見をしてくれるんじゃなかったのか? 
 てっきり、そのつもりで油断をしていた。
 そう、カレンの与える試練に直面しているのは、リメルガだけじゃないのだ。
 一難去って、また一難。
 カツカレー攻略戦の次は、プリンという魔物の掃討作戦に当たるとは。
「先にリメルガが食べたら? プリン好きなんでしょ?」
「今この場の主役はお前だ。それに、見たところ、このプリンには嬢ちゃんの愛情がたっぷり注がれているようだ。オレから先に口を付けるのは、畏れ多くてできねえ」
「わたしの愛情……って、あまりおかしなことを言わないで」カレンが慎み深く、頬を染めて見せる。これが演技だとしたら、アカデミー賞女優にも匹敵するのではないか。
「別に、おかしなことを言っているわけじゃないがな」リメルガは重々しい声音で言葉を継いだ。
「料理には、多かれ少なかれ料理人の気持ちがこもるんだ。だから、食べるときは大地の恵みと作り手に感謝しながら口にする。そんなことは常識だ。さあ、リオ、人の気持ちをじっくり味わうんだ」
 この男、こんなに口が上手かったのか? 
 ぼくは、リメルガをまじまじと見つめた。
 表情が真剣で、額から汗をだらだら流している。
 ああ、この男は必死なんだ。だから、いつもより冗舌に、何とかデザートを押し付けようとしてくる。
 ……そんなにカレンの作ったものを食べたくないのか? 
 そう言えば、リメルガも、ロイドも、味見係が務まらなかったと言っていたよな。
 ここは、ぼくが食べるしかないってわけか。
 ため息が漏れた。

 敵を見る目で、プリンをにらみ付ける。
 ゴゴゴゴゴ……と効果音を放ちながら、迫ってくるようだ。
 黒色のゼリー状の物体がぶよぶよと脈打つように震え、突如、キシャーと奇声を発しながら、幾本もの触手が飛び出す様子が目に浮かんだ。
 思わず瞳を閉じて、何度か瞬きしながら、SFホラー映画のような幻視を追い払う。
 何をビビッているんだ? ただのプリンじゃないか。
 そう、ただの。
 いくらカレンが作ったからといって、ただのプリンが、人を襲う暗黒の魔物に化けたりは……しないよな。
 おそるおそる、右手のスプーンで闇のオーラを放っていそうな物体に触れてみる。
 酸か何かでスプーンが溶けたりしないかと冷や冷やしながら、何も起こらないことに、そっと安堵の息を漏らす。
 そのまま軟らかい一欠片をすくうと、勇気を奮い起こした。
 ぼくはラーリオスだ。何ものも怖れない。
 ぼくは暗黒の王だ。いかなる暗黒物質でさえ、支配し、浄化し、敗れることはない。
 ぼくはカート・オリバーだ。どんな食べ物からも逃げるわけにはいかない。
 心の中で、幾つもの自負と決意の言葉を並べ立て、覚悟を決めて、スプーンに乗った一欠片を口にした。
 甘さのあまり、舌が麻痺する可能性を思い浮かべる。
 そうなったら自分の気の力を発動させて、味を自分好みに調整しよう。
 コーンスープのときと同じように。
 だけど……
 ぼくの思考は束の間、完全に停止した。
 力を使う必要なんてなかった。
 カレン特製のプリンは、何も調整しなくても美味(おい)しかったのだ。
美味い(グレイシャス)!」ぼくは思わず叫び声をあげた。「こんなに美味しいプリンは食べたことないよ。傑作だ」
 カレンに満面の笑みを向けると、穏やかな微笑が返ってきた。
 至福の境地で二口三口とすくい上げ、たんまりと味わう。
 まるで天に昇るかのような芳醇な味わいが口の中いっぱいに広がった。極上の葡萄酒(ワイン)でも隠し味に使っているのかな。
 そのまま酔い()れそうな感覚を満喫する。
「そんなに美味(うま)いのか?」リメルガが意外そうに尋ねてくる。
「食べたら分かる」ぼくはにっこり微笑んで、たっぷりすくって口に入れた。
 美味しさを逃さないように、舌で唇をなめる。
 自然と表情がほころぶのを意識する。
「そうか、それなら……」リメルガも安心したようで、持ち前の豪快さを発揮して、スプーンでたっぷりすくい上げ、一気に口の中に放り込む。
 ぼくはニコニコと、その様子を見守った。
「む、これは……」突然、うめくように一言発すると、巨漢の顔色が蒼白になった。
 一瞬、恨みがましい目が向けられる。
(は、謀ったな、リオ……)と言いたげな感情が視線を通じて伝わってくる。
 巨漢はやにわに立ち上がり、
 天井を見上げて咆哮を上げるや、
 プリンに憑かれたかのようにブルブル全身を震わせると、
 不意に力が抜けてズシャーッと後方に倒れこんだ。
「リ、リメルガさ〜ん」ロイドの悲鳴が響き渡る。

 何が起こったか分からなかった。
 思わず、カレンの表情を見る。
 邪魔になったリメルガを始末するために毒でも仕込んだのか? 
 そんな疑念を抱いたものの、彼女の表情も呆然としていた。
(カレン、これは君の仕業じゃないよな)思念を送って確認する。
(当たり前よ。こんな目立つやり方をするはずがない)即座に返信が来る。(やるなら、もっと巧妙な手を使うわ)
 おい。
 手段の問題ですか。
 リメルガを陥れるわけがない……ぐらいの返事を期待したんだけど。
 ぼくとカレンが交信している間にロイドが素早くテーブルを回り込んで、倒れたリメルガのそばに膝まづき、様子を確認した。
「白目をむいています。それに口から泡を吹いて……誰かが毒を仕込んだようですね」それから、ぼくに心配するような目を向けた。「リオ様は大丈夫ですか?」
「あ、ああ、ぼくは何ともないけれど……」
 そうだ。プリンなら、ぼくだって食べた。
「すると、リオ様を狙って毒を仕込んだプリンを、間違えてリメルガさんが口にしたってことか」ロイドが探偵めいた口調でつぶやく。
「そんなことより、リメルガの治療を早くしないと。カレン……」癒し手の女性に指示しかけて思い直す。
 仮に彼女がリメルガに殺意を抱いていたなら、まともな治療が施されるはずがない。
「いや、ぼくがやる」
「ちょ、ちょっとリオ様?」ロイドが戸惑う。「専門家はカレンさんでしょ? 任せた方が……」
「プリンを作ったのは彼女だ」ぼくは冷たい声で言った。「普通なら、真っ先に容疑者扱いするところだ」
「ちょ、ちょっとリオ様?」カレンが抗議した。
(黙っていろ)彼女に思念とともに、険しい視線を送る。
(その瞳……あ、《暗黒の王》?)戸惑いの思念が返ってくる。(いけません、ここでは……)
 カレンはロイドの方を心配げに見た。
 ああ、ロイドの前で力を示すのは危険ということか? 
(大丈夫、何とでも言いくるめられる)妙な確信をもって、ぼくはカレンの反対を押し切った。
 覚醒した瞳で見ると、異変の原因があっさり分かった。
 やっぱり、カレンの作った黒いプリンだ。
 毒々しい《闇の気》が渦を巻いている。
 リメルガの食べた物だけでなく、ぼくやロイドの分にも。
 ぼくが口にしても平気なのは、きっと《暗黒の王》だからだろう。
(カレン、君はプリンに《闇の気》を仕込んだのか?)
(そんなこと、するわけないじゃない)
(よく見ろ)ぼくはプリンを指し示した。
 カレンは見たけれど、はっきり分からなかったらしく、リメルガの食べかけたプリンを指ですくって、舌でなめとった。
(……確かに《闇の気》ね。でも、どうして?)
 どうして? って、こっちが聞きたいよ。
 星輝士を狙う《闇の気》の使い手が他にもいるのか?
 いや、カレンのことだから、無意識のままに《気》の力を込めたことも十分あり得る。何しろ、コーンスープの前例があるのだから。
 それに、ぼく自身、意図せずに不可思議な力を発動させたことは何度かあるわけだし。
(どうやら、自分でも気付かないうちに《闇の気》が漏れ出たらしいな)
(そんな、どうしてよ……)つぶやいてから、思い出したように告白する。(暗黒の王、あなたのせいね)
(ちょっと待て。何でそうなる?)
(あなたが私を昂ぶらせるから。それでいて満足させてくれないから。溢れ出た《闇の気》がうまく処理できないから、こうなったんじゃないの)
 何て言い草だ。
 思念の伝達から、カレンが感情的になっているのが分かった。原因追及のために、お互いを責め合っても仕方ない、と割り切ることにする。
 今はリメルガの治療が優先だ。
 《闇の気》が原因と分かれば、対処は簡単。
 手で触れて吸い取ってやればいい。

 ロイドのかたわらに立って、倒れたリメルガの容態を確かめる。
「こ、これは……」思わず言葉が漏れた。
 《闇の気》に蝕まれた影響か、リメルガの体には超自然的な変身の兆候が現われていた。
 痙攣している全身をうっすらと剛毛が包んでいる。
 苦悶の表情を浮かべて開いた口元からは、異様に伸びた犬歯が見えた。
 夢に見た獣人ラーリオスのことを思い出す。
「闇の獣か」そうつぶやいてから、手を伸ばそうとする。
「闇なんかじゃありませんよ」ロイドが反論した。「これは星輝士の戦闘形態。今は毒に抵抗するために、力を発動させているんです。見てください」
 ロイドの指差したリメルガの腹部には、シャツ越しにも強い発光が見てとれた。獣の毛を想像させる褐色めいた光。
「星輝石です。リメルガさんの抵抗力を高めてくれる光の力なんですよ。何も恐れる必要はありません」
「……こんな獣のなり損ないが星輝士だって?」ぼくの知っている星輝士は、もっと神々しかった。確かにライゼルなんかは竜人の特徴を示していたけれど、それは闇に蝕まれたためだと思い込んでいた。
 そう言えば、トロイメライが言っていたな。
『星輝士は、ただの鎧をまとった人間じゃない。野生の力を身に宿し、戦うときは半人半魔の姿となる。覚醒して異形をとることこそ力の証』だって。
 頭では分かっていても、実際に目撃してみると、獣化という現象に抵抗はあった。
 石の力を使うことも、《闇の気》を受け入れることも、あくまで魔法や超能力の類、そして心の問題だった。どこか抽象的、観念的に受け止めていたのだと思う。
 それに対して、肉体の変貌はあまりにも生々しく感じられた。
 自分がいずれは人の身を捨て、獣と化してしまうということ。
 夢で知り、頭の中では分かっていたつもりでも、こうも間近で見るまでは、さほど重くとらえていなかった。
 肉体の変質への恐怖を突然、自覚して、ぼくは身震いした。
 星輝士は人ではない化け物であり、光や闇は関係ない。
 そういう目で、ぼくはリメルガからロイド、そしてカレンを見つめた。みんな、人の皮をかぶっているけれど、その本質は異形の怪物なのだ。
 そして……ぼくもその道に足を踏み入れている……。
 抑えられぬ衝動のままに、左手の手袋を外した。
 周囲の高まる《気》に反応してか、埋め込まれた石が輝き、竜麟の鉤爪が(あら)わになっている。
 この腕と同じような変化が、自分の全身にも及ぶのだ。そうなったとき、ぼくは人の理性を保てるのだろうか。
 震える左手を見つめ、自分の中の折り合いを付けようと思念を巡らせる。
(リオ様、ダメです!)カレンの思念が悲鳴となって脳裏に響いたが、ぼくは意に介さなかった。
「リオ様、その手……」ロイドもぼくの異形に気付き、ハッと息をのんだ。
 改めて少年に目を向けると、直立した狼の幻が重なって見える。
 模擬練習(スパーリング)で対戦したときのことを思い出す。
 あのときは、相手の内なる獣のことを知らず、見たままの小柄な少年だと思って戦っていた。だけど、その実体が獣を宿した化け物だと知っていれば……。
 今さら、昔を振り返っても仕方ない。
 ぼくはかぶりを振って、現実に臨んだ。
「気にするな。君たちと同じだ。獣のなり損ない、中途半端な力の副作用……」身震いを抑えて、不敵な笑みを浮かべる。
「気になりますよ。その目の色も、何だか禍々しい感じで……」ロイドの表情は警戒心を帯びていた。「一体、何が起きているんです? いろいろな力が暴走しているような……説明してください」
「後でな」すぐには説明できそうにない。
「今はリメルガの治療を急がないと」やるべきことを口にして、何とか自分を保つ。「毒素を吸い取るんだ。ぼくなら、それができる。邪魔をしないでくれ」
 ロイドは真っ直ぐな瞳で、こちらを見た。
 ぼくはスッと目を細め、ただ信じるように、と願った。
 ロイドの目は大きく見開かれ、それからこくりとうなずく。「分かりました。邪魔はしません」どこか虚ろな声で応えて、わずかに後退する。
 ぼくは空いた位置に入って、リメルガのかたわらにしゃがみこもうとする。
「どういうつもり?」カレンの厳しい声が割って入った。「シリウスに術を施すなんて……」
「術?」ぼくは立ち尽くして、カレンに怪訝な表情を示した。「そんなことをした覚えはない」
「現に、この子は催眠状態にあるわ」そう言って、ロイドの顔の前で手を振ってみせる。
 ロイドの目は瞬きすらせず、ぼんやり宙を見ていた。
 以前にも言葉一つで、相手の動きを封じたり、眠らせたりしたことはあったけれど、あの時は自分でも力の暴走を感じとることができた。
 過度の緊張感で、意思の力も高揚していたのだ。
 だけど、今回はそんな自覚もなく、ただ視線一つ、思念一つで大した気負いもなく、術の効果が発揮された。
 そこまで、ぼくの……《暗黒の王》の力は高まっているのか? 
「どうしたらいい?」思わず、カレンに問いかける。「君だけじゃない。ぼくだって無意識に力を使ったようだ。どうしたら抑えられる?」
「どうしたら……って、今は《暗黒の王》じゃないの?」カレンは不思議そうな顔をした。「カートなの?」
「ああ、ぼくだ」そう言って、瞳の色を元に戻す。
「う、う〜ん」力の効果がなくなったからか、ロイドがうめき声を上げて覚醒しようとする。
「邪魔よ、シリウス。眠りなさい」カレンがとっさに術を施し、ロイドの顔をかざした手で抑える。
 ふらついて倒れかけた少年を、カレンはそっと支え、横たわらせた。
「急がないと。誰が見るか分からないわ」
「何だか、どんどん事が大きくなっているような気がするんだけど」
「誰のせいだと思っているの?」
 ぼくか? 
 ぼくのせいなのか?
 元はと言えば、カレンの暗黒プリンが引き起こしたことじゃないか。
「とにかく、急いで」
「急ぐって何を?」
 カレンが呆れ顔で、ぼくを見た。「自分で言ったことよ。毒素を吸い取るんでしょ? ただの毒ならともかく、《闇の気》だったら私には処理できない。ラーリオス様の力が必要なのよ」
「このままだったら、どうなる?」念のため、ぼくは質問した。
「星輝石の抵抗力が《闇》に打ち勝てば、回復するでしょうけど。でも……」リメルガの方を心配そうに見る。
 星輝石の光が明滅している。
 プリンの闇との戦いは拮抗しているようだ。
「《闇》に負ければ、邪霊憑きと化す」カレンの言葉は重々しく響く。
「邪霊憑きってことは、お仲間じゃないの。そうなっても、事情を話して納得してもらえれば……」
「相手が理性を保っていれば、それもいいかもしれないわね」カレンはうっすらと皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「問題は、邪霊憑きが人の理性を保てる可能性が少ないってことよ。私が自分を維持できたのは、ソラークがいてくれたから。その後も、トロイメライが導いてくれたわ。あなたの場合も、ラーリオスとしての才能があるからこそ、《闇》に飲み込まれずに自分を維持できている。もっとも、それも何だか心許ないけれど……」
 確かに、ぼくはまだ自分の力を完全に制御できずにいる。時おり発動する現象に翻弄されながら、何とか手綱を握っている段階だ。
「つまり……ぼくたちの場合は特別ケースだってことだね」
 カレンはうなずいた。「理性を失って暴れるだけの魔獣を増やすわけにはいかない。仮に、この男がそうなったら……」冷たい目で見下ろす。
「そんな……」ぼくは慌てた。
 急いで、巨漢のそばにしゃがみこみ、首筋に右手を当てようとした。
 そこから体内を蝕む《闇の気》が吸い出せると思ったからだ。
 だけど……うまくいかなかった。
 ぼくの右手は、高圧電線に触れたかのような衝撃で弾き飛ばされたのだ。
 星輝石の力が抵抗となって、外部からの干渉を防いでいるようだ。力のない者には触れることさえできない霊気の壁が、巨漢の全身を包んでいた。
 こっちは助けたいと思っているのに、星輝石が邪魔するなんて……。

 毛むくじゃらの肉体が熱と光を放ちながら、周囲を陽炎(かげろう)のような煙が渦巻いている。
「時間がないわ」カレンがつぶやいた。
「急がないと、リメルガが負けるってこと?」ぼくは心配そうに尋ねた。
「この男の安否はどうでもいいわ。《闇》に負けたなら、後腐れなく始末するだけよ」
 カレンの物言いは、あくまでも冷ややかだ。
「私が心配しているのは、さっさと事態を収拾しないと、周りにいろいろ説明する必要が出るということ」
 つまり、《闇》の秘密が公になることが問題なのだ。
 とりわけ、カレンの作ったプリンが原因なのだから、それを調べられると、ややこしいことになる。
「力が足りない」ぼくはつぶやいた。
 リメルガの体に触れて、体内の《闇》を吸収するには、まず星輝石の抵抗を突破しなければいけない。そのための力……。
 ぼくは食べかけの暗黒プリンに目をやった。
 この力を取り込めば、《闇の気》を活性化させることができる。
 ぼくが無意識のままにロイドに術をかけてしまったのも、おそらくはプリンによる影響だろう。だって、今は昼間だから《闇》の力がそこまで高まるはずもない。
 だから、ぼくは意を決して、プリンを食べることにした。
 まずは、一番近いリメルガの食べ掛けをペロリと平らげ、続いて、自分の席まで急いで戻り……
「ちょっと、リオ様、何をやっているのよ?」カレンが戸惑いの声を上げる。
「しなければいけないことをしているだけだ」ぼくは何かにとり憑かれたような気分で、(くら)い視線を彼女に返した。「力の補給、そして《闇》の証拠を消す。何だったら、君も食べたらどうだ? 力が活性化するよ」
「お断りします!」カレンがぴしゃりと断った。「これ以上、事態を混乱させて、どうするのよ、《暗黒の王》?」
 《暗黒の王》か。
 そうだな。
 《暗黒の王》を演じることで、冷静さを呼び起こす。
「大丈夫だ、問題ない」ぼくは補給した力に飲み込まれないよう、適度に消費する目的で、術を行使した。
 竜麟の左手で紋様を描き、自分たちの周囲に結界を施す。
「不可知の陣。これでぼくたちの周囲の物事は外から認知されることはない」
「本当に?」カレンは疑わしげだ。
「トロイメライの知識にあったものだ。信用してくれていい」
「私が信じられないのは術の効果ではなく、あなたです、王よ」カレンははっきり言った。「あなたが出てくると、どうも事態が混迷してしまうようで……正直、制御できない力をいたずらに濫用している感じです」
「ぼくが信じられないって?」愕然とする。
 こっちは、カレンの引き起こした問題を穏便に解決しようと、必死に考えているのに? 
「あなたは独り善がりなのよ。自分勝手に突き進む。私たちの気持ちを察しようとしない」
 それじゃ、まるで星霊皇じゃないか。
 いっしょにして欲しくない。
「お互いのコミュニケーションが足りないようだな」ぼくはそう言わざるを得なかった。「夜にでも、じっくり話し合うとしよう。今は……従ってくれ」
 カレンは不服そうな表情を浮かべたが、ぼくは冷たい笑みを唇に乗せた。
 それまでカート・オリバーが示したことのない表情だった。
 だけど、トロイメライがしばしば見せる笑みが、自然とぼくに宿った。
 笑みとともに送った思念を受け取ると、カレンは観念したようだ。
「御意のままに」人形のように硬い視線をやや伏し目がちに下ろす。
 微妙な表情がかもし出す渋々の了解の意思を、ぼくは受け取った。

 ロイドのプリンまで美味しくいただくと、力は十分に高まっていた。
 その間、リメルガの星輝石は《闇の気》の侵食を防ごうと抵抗しながらも、無駄に力を消耗していた。
 おそらく彼自身の技量の問題なのだ。
 石の力で肉体を強化することはできても、細かい《気》の操作を習得していないのだろう。
 力だけあっても、技がない。
 その隙をついて、体内に入った《闇の気》がじわじわと力を増していた。
 そもそも、カレンが無意識に生み出した暗黒プリンの力は、下位の星輝石の抵抗力自体を凌駕しているのではないか。
 リメルガを助けるために、彼の星輝石の抵抗を打ち破ろう、と最初は単純に思っていた。
 だけど、仮にそうしたなら、抵抗を失った肉体はたちまち《闇》に食い尽くされるのではないか?
 力任せにやったのでは、かえって事態を悪化させてしまいそうだ。
 それを避けるには、星輝石と敵対することなく、こちらに同調させる必要がある。
 ぼくは《闇》を受け入れたけれど、星輝石の《光》の力を捨て去ったわけじゃない。両方の力をうまく制御できれば、毒をもって毒を制することもできるはずだ。
 そう判断して、左手の鉤爪でリメルガの腹部に触れようとする。
 シャツ越しに星輝石の光が反発し、ぼくの闇の左手を()いた。
 苦痛で悲鳴を挙げないように歯を食いしばりながら、リメルガの星輝石に思念を送った。
(光の石よ。おまえは闇に抵抗するんだよな。ぼくは闇の力を操るが敵ではない。お願いだから、こっちに協力してくれ。お前の主を蝕む闇を全部、吸い取ってやる。お前を脅かす闇を全部、ぼくに送り出せ)
 初めのうち、星輝石はぼくの思念に反発し、強い光で抵抗した。
 自分に反発する力に抵抗することなく、ただ息をするかのように吸い込もうとする。
 ()けた左手の感覚はほとんど残っていなかったけれど、右手を左肘に押し当て、動かないように抑えこむ。
 そして思念を、ひたすら星輝石にぶつけた。
(主を助けるためだ。協力しろ! ぼくはラーリオス。星輝士たちの王だ。リメルガのことは尊敬している。失いたくない。分かってくれ!)
 やがて光の抵抗は和らいできた。
 石がぼくに従ったのか、それとも単に抵抗する力を失ったのかは、よく分からない。
 ただ、リメルガの体内を蝕んでいた闇が流れてくる感覚とともに、全身から過剰に噴出していた熱や光が収まっていくのを感じた。
 獣の力の象徴である剛毛や牙も消失し、やつれた巨漢の姿に戻った。
 そう、ぼくはリメルガから光や闇だけでなく、生命力そのものも吸い取ったようだった。
 ここを脱走したときのように。
 自分が他人の生命を吸い取る魔物になったように思えて、身震いし、吐き気を覚える。
 それでも、あの時よりは冷静に考えることができ、また力の扱いに慣れてもいた。
 吸い取ったものは返してやればいい。
 左手の中で反発する二つの力が戦っている不安定さをうまく調整して、光の力と、それに付随する生命力と思しきエネルギーを右手に送り出す。
 そして、右の掌を腹部の星輝石に押し当てる。
(星輝石よ。闇は全て吸い取った。これで安心していいよ。命の光は返すから、しっかり受け止めてくれ)
 石は了解したかのように淡く発光して、砂漠で渇いた人が喉を潤すように、ぼくの送る力を抵抗なく受け入れて行った。
「うう」リメルガがうめき声を上げて、身じろぎした。

 意識を取り戻した二人に、ぼくとカレンは辻褄あわせの説明をした。
「つまり、オレの食べたプリンに入っていたのは、毒ではなくて、薬だったということだな」自分の席で腕組みをしながら、リメルガはぼくたちの話を受け止めた。
 消耗した顔つきで、目だけがギラギラと輝いている。
「ああ、そうだ」苦しい言い訳だけど、《闇》のことを隠すべく、ぼくとカレンの考えた話はこうだ。
 邪悪な力に憑かれた星輝士ライゼルと戦って傷つけられたぼくは、竜人の呪いを掛けられて、力を使う際に副作用として一部の肉体が異形と化してしまう。その呪いを抑えるために、カレンが治癒を施すための手を尽くしている。
 その際に行使した《気》の一部が、プリンに混入した。
 呪いを抑えるための力が、星輝石にも悪い方に干渉して、反発現象を招いたのではないか、とそれらしい推察も交えたりする。
「リオ向きの薬が、オレには毒として働いた。そういうことか?」
「たぶん」ぼくは、そう言って、カレンの方を見た。「何かおかしいことを言ってるかな? あくまで推測だけど」
「そうかもしれないけど……断定はできないわ」カレンはあいまいにかぶりを振った。
「わたしも自分の力が悪い方向に働くなんて予想していなかったから、正直、戸惑っているのよ。せっかくの自信作のプリンなのに、こんなことになってゴメンなさい」
 いたずらにぼくに同調することなく、控えめな態度をとるカレン。
 これも計算どおりだと分かる。
 自分で考える相手に対して、意見の過剰な押し付けや断定は、下手をすると強固な反論を招くことになる。不確かな事象に対する見解では、あくまで仮説の提示という形に留め、結論は相手に委ねる形をとった方がいい。
 案の定、リメルガはしばし沈黙した。
 この男は、豪快で力任せなところはあるが、決して単純なバカではない。理屈よりは、自分の経験重視だけど、独自の戦場理論を構築するだけの知性は備えている。
 やがて、重々しく口を開いた。
「正直、毒とか薬とかはどうでもいい。オレにはよく分からん。難しいことは、専門家に任せる」そう言って、瞳を閉じる。
 おい、それでいいのか?
 思わず、拍子抜けする。
 どうやら、リメルガの思考能力を過大評価したようだ。どうしても、ジルファーを基準に考える癖が抜けない。
「だが、一つだけ言えることがある」こちらが発言する前に、リメルガは再び目を見開いて、言葉を続けた。「こいつはプリンの専門家としての意見だが、この危険な食べ物は一刻も早く処分した方がいい。何しろ、味がな……」
 そこで急に言いよどむ。
 おそるおそるカレンに視線を向ける。
「言いたいことがあったら、言って下さい」カレンは強張った表情のまま言った。
「ああ……これは個人的な感想に過ぎないのだが、オレはこんなに甘いプリンは今だかつて食べたことがない。甘さで脳天がかき混ぜられて、そのまま天にも昇ってしまうような気分にさせられた。人に耐えられる限界を突き抜けた甘さ、といったところか」
「ええと、それって誉めてないよね」ぼくは指摘する。
「死にそうなぐらい甘い、と言えば分かるか? お前は平気だったみたいだが」
「ぼくは甘党だからね」少なくとも、カツカレーよりは食べやすかった。
「オレに言わせれば、舌がどうかしてる」
 そうなのか? 
 もしかすると、邪霊憑きは甘さを好むようになるとか? 
 ぼくはロイドに視線をやった。試してみるには、こいつにも味見をさせたいところだけど。
「ぼくに意見を求めないで下さい」こちらの意図を察したらしく、必死な表情でかぶりを振る。「大体、リメルガさんほどの人が耐えられなくて、あんな風に倒れたのを見た後じゃ、絶対に食べたいなんて思わない」
 そう言ってから、カレンをちらっと見て、済まなそうに付け加える。「ええと、作ってくれた人には悪いんですけど」
「とにかくだ」リメルガは、プリンの話題から切り替えようとした。「その、何だ。リオは相変わらず、無茶をし過ぎだ」
「何の話だよ?」こちらが責められた気分で、口をとがらせる。
「お前のその手だよ」黒く焼け焦げた左手を示す。「いくら解毒に必要だからって、活性化してる星輝石に押し当てるなんて、自殺行為もいいところだ。エネルギーの塊なんだからな。せっかく接合された左手が大火傷に見舞われるなんて、オレが嬢ちゃんに顔向けできねえだろうが」
「まったくです」カレンは不機嫌そうな口ぶりで、リメルガに賛同した。「今回ばかりは、原因が私のプリンとは言え、ラーリオス様が傷つくなんて。そうならないように全力を尽くすのが臣下の務めだったのに。たとえ、私たちが傷つこうとも、王の身に何かあることに比べれば……」
 その言葉や態度が素のものか、それとも演技なのかは判別できなかった。
 こうして、いちいち人の言葉の裏を読みとろうとする自分にも嫌気がさす。
 だから、素の感情をとっさにぶつけた。
「ぼくは誰も傷ついて欲しくないんだよ!」そう言い放って、二人の大人をにらみつけた。「ぼくの傷はすぐに治る。せっかく得た力も、人を助けるのに使いたい。それのどこがいけないんだ?」
 リメルガも、カレンも言いよどんだ。
「……ヒーローや騎士だったら、立派だと思います」思いがけず、ロイドがぽつぽつと口にした。
「そういうことを素で口にできるリオ様は尊敬に値します。だけど、王が自己犠牲を前提に行動するのは、周りが迷惑するから自制してほしい。もっと自重しろってことだと思うんですよ」
「珍しく、犬っころの言うとおりだな」リメルガがまとめに入る。「自分一人で何でもできると思うな。力を得たからって、調子に乗って無謀なことばかりしてるんじゃねえ。周りをもっと信じて、腹を割った話をしろ」
 それから付け加える。「お前が王だったら、必要なときには臣下を見捨てる局面もあり、だろう。だけどな、自分からわざわざ孤立することはないんだぜ。この王のためなら、命を張っても惜しくねえ。そう思わせる人間になるなら、オレから言うことは何もない」
「言いたいことは分かった」何とか感情を抑えて、そう答えた。
「実践できるかどうかは別だけどね」皮肉っぽく苦笑してから、さらに付け加える。
「いろいろな意見を次々と聞かされるから、自分の考えも整理しないといけないし。そもそも、ぼくは孤立したいとは思わない。ただ、星輝石の力を使いこなす試練は、他人の力をあてにしてばかりでもダメなんだ。一人で解決できることは、そうするだけの力を習得しないといけないし、一人で解決できないことは、みんなの助けを借りるつもりもある。その見極めもできないといけないんだろうな。今は……試しに自分でやってみて、もしも失敗したときに、君たちに尻拭いをお願いすることになるかもしれない。それじゃ、ダメなのかな」
「頼りたいときには頼ってくれ」リメルガはニヤリと笑った。
「頼れるものならば、な」肩をすくめて、そうつぶやく。
 少なくとも、闇のプリンを食べて理性を保てる保証がない限りは、全てを明かすわけにはいかないだろう。
 だけど、この男の信頼を崩さない程度には、うまく振る舞っていきたいところだ。
「どういう意味だよ。オレじゃ頼りにならないってか?」リメルガは、ぼくのつぶやきに少し遅れて反応した。
「今はね」皮肉っぽい言葉を口に出しながらも、真剣な目を装って告げる。「リメルガ、今の君は消耗している。試しに立ち上がって、転装してみなよ」
 リメルガはいぶかしげな表情を浮かべながらも、こちらの言葉に応じようとした。
 だけど、少しふらつきながら立ち上がった巨漢の姿は、案の定、獣人に変わることはない。
「どういうことだ?」
「やっぱり、ジルファーと同じだな。君の星輝石は、毒に抵抗するために力を使いすぎたんだ。しばらく療養しないと、力は回復しないだろうね」
「畜生、何てことだ」
「普通に生活する分には問題ないだろうけど、星輝士として高まった身体能力とか、疲労の回復速度とか、いろいろ支障は出ると思う。当面は激しい運動なんかは控えた方がいい」
 そう言ってから、巨漢の相方の少年に指示する。「ロイド。リメルガを部屋まで送ってあげて。今日一日は自室でゆっくり休む。その後は転装能力を取り戻すまで、過剰な運動も禁止ってことで」
「おい、リオ。勝手に決めるな」リメルガは文句を言おうとしたけれど、
「ぼくは王だ。勝手に決めて、命ずる立場にある」毅然とした態度とともに、微笑を浮かべる。
「それに、人に自重しろと言うなら、自分だってそうしないと。しっかり回復しないと、イザってときに働けないでしょ」そう言って、ロイドに目配せする。
「はいはい、リメルガさん。無理しないで。行きますよ」少年の反応はいい。即座にこちらの求めに応じて、ふらつく巨漢の体を支えて場を退出しようとする。
「ええい、犬っころ、放せ。オレを病人扱いするな」自分の消耗を自覚していなかった巨漢は、力でロイドを引きはがそうとするけれど、果たせずにずるずると引きずられて行った。
 その場に、ぼくとカレンだけが残された。

「これで良かったのかな?」
 焼けた左手の治療を受けながら、カレンに尋ねる。
 白い両手の柔らかい感覚と、治癒の霊気の温かい感覚を同時に味わいながら、安らいだ気分になる。
「思っていたよりは」カレンは目を合わせることなく、左手の醒魔石に集中していた。「いろいろ喋りすぎたとは思うけど、適度にごまかして疑いはそらせたと思うわ。だけど、今後、あの二人の監視は必要になる」
「警戒し過ぎじゃないか? ぼくは二人を敵だとは思っていない。そりゃ、闇の力を秘密にしないといけないことは分かる。だからと言って、別に悪いことをしようってわけじゃないんだし、うまく話せば、納得できる形で協力してもらえると思う」
「リオ様はそれでいいのでしょうね」カレンは探るような視線をこちらに向けた。「だけど、《暗黒の王》はまた違った考えを持っているはずよ」
「どういう意味だよ」
「私を通じてプリンに《闇の気》を仕込ませたのは、《暗黒の王》ということ」
「ぼくは、そんなことをしていない!」即座に反論する。
「カート、私が言っているのはあなたじゃなくて、あなたの中に眠る《暗黒の王》って意味よ。さっきの治療も、もしかすると《闇の気》をさらに送り込んで、MGを完全な闇の従僕に作り変えるんじゃないか、とハラハラしていたわ」
「《暗黒の王》が、そんなことを望んでいると言うのか?」
「彼が何を考えているか、私には分からない。せめて私たちの求めに応じてくれるよう、いろいろ試みているんだけど」
 もしかすると、そのいろいろの中に、身を尽くした色仕掛けもあるのか?
 カレンがぼくに色事を迫ってくるのは、《暗黒の王》を篭絡することが目的なのか?
 カレンの中では、カートが初心(うぶ)な子供である一方、《暗黒の王》は快楽を求める欲望の権化とでも定義されているのだろうか。
「《暗黒の王》なんていないんだ」堪りかねて、ぼくはそうぽつりと漏らした。
「何を……」青い瞳がはっと見開かれる。
「カートが演技していただけなんだよ。今まで騙していて、ゴメン」そう言って、顔を背ける。治療中だった左手もカレンから引き離し、バトーツァの黒い手袋に収める。
 そのまま自分の部屋に駆け戻りたかったけれど、カレンが後を追ってきて、いろいろ事情を問い質してくるかもしれない。
 だから、そうされないように指示を与えた。
「カレン、悪いけど、厨房に残っているプリンを全部、処分しておいて。誰かが間違えて口にしたら大変だ」
 誰かじゃなくて、何かかもしれない。
 触手を伸ばして襲ってくる巨大なネズミや、ゴキブリなんかとは戦いたくない。
「分かったわ」カレンは静かに応じた。「続きは……夜に話し合いましょう」

 その言葉を背に、ぼくは逃げるように食堂を出た。


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