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プレ・ラーリオス

夜明けのレクイエム(2−6改)
※オリジナルバージョンはこちら 

2ー6章 エクストラ・エクササイズ(改)

 朝、目覚めたところが自分の部屋だと、言い知れない安心感がある。
 個性のない殺風景な部屋ではなく、自分の持ち物に彩られた自分の居場所。
 ただ、ぼくの元々の持ち物はほとんどない。黒の革ジャン、ジーンズといった衣服に、免許その他のカードの入った札入れと、兄貴のバイクのキー一本。
 ここでは無用な品物の数々だけど、自分という人間を見失わないためには大切な拠りどころに思えた。これらを失くさないかぎり、いつか元の生活に戻れるだろうという希望が持てる。
 携帯電話の充電の問題も解決した。朝食前に出会ったバァトスの話や、ロイドのシアタールームで分かったことだけど、ここでは電気だって使える。星輝石の力を利用した発電システムを、神官たちが管理しているらしい。ゾディアックの神官の中には、単に時代遅れな宗教家だけでなく、実用的な技術をもった研究者もいる。決して科学を否定した連中ばかりではなく、星輝石の力を分析しながら、独自の研究を生み出したりもしているようだ。そう言えば、星の力を利用したエネルギーなんかの話を、兄貴が嬉々として話したこともあったっけ。
 もちろん、通信システムは端末だけあってもどうしようもない。電波が届かないため、外部との連絡がとれないのは相変わらずだ。それでも、以前にダウンロードしていた、お気に入りの音楽がいつでも聞けるのはありがたい。そう、しょっちゅう聞いていたわけじゃないけど、たとえば、落ち込んだりしたときに、サミィ・マロリー&トムキャッツの歌や、ジョン・ウィリアムズやブラッド・フィーデル作曲の映画BGMを聞いたりすると、元気が出てくる。音楽データも含めて、携帯電話の中には、自分の個性が詰まっている。
 そして、ここに来て新しく与えられた物もあった。
 都会風の洒落た普段着や、燃えるような赤色が印象的なトレーニングウェアなど、ぼくのために用意された着替えの数々は衣装入れに収められている。サイズが少し大きめなのは、特注であつらえるときにリメルガを参考にしたからだそうだ。ぼくの体格ではLでも少しキツいので、これは助かった。
 鏡や、壁時計、小物用の引き出しも備えた本箱などの家具も搬入され、元々あった小机の上には、水差しと3つのグラスが載せてある。
 1つは、何の飾りもないふつうのグラスで、飲み水用に用意されているもの。
 もう1つは、口の小さな小さなビン状の形で、黄色い花が生けてある。ぼくには別に花を飾る趣味はないけれど、カレンさんの心使いの表れだ。洞窟から出られないぼくのために、自然の恵みを感じてもらえたら、とのこと。
 外出は別に禁じられているわけではないけれど、厳しい寒さのために、星輝石の加護なしに外に出ることは自殺行為だ、とジルファーは言っていた。外に出るためには、何とか《気》の力を修得する必要がある。
 そのために……3つめのグラス、氷の《気》で生成された美しい造形の芸術品に挑まなければならない。

 ジルファーの授業は、午後の予定だ。それまでに何とかしないと、と思いながら、前の日にはどうやっても課題は達成できなかった。
 何も考えなかったわけではない。
「参考になるかもしれんが」と言って、ジルファーが貸してくれたのは中国拳法の本だった。気功に関する説明が、星輝士の操る《気》に近いらしい。「もちろん、厳密には違うがね。書物が全ての現実について記しているわけではない。中には間違った記述もあるだろう。しかし、現実を理解する上での道標になることはある。少なくとも、迷ったときの手がかりや指針にはなる。そして、人に自分の考えを伝えるうえでの参考材料にもね」
 中国拳法によれば、気とは、血液とともに体内に流れているエネルギーの源、と定義されるようだ。科学的に考えるなら、それって酸素なのか、それとも他の栄養分なのか疑問が湧くけれど、どうも、そういう物理的なものとは違うようだ。本には、一種の生命エネルギーと書かれていた。
 気を操る気功術には、体内に循環させることでコントロールする「内気功」と、呼吸によって外部の気を取り込んだり吐き出したりする「外気功」があり、また、自身の健康を維持したり、美容体操などにも応用されたりする「軟気功」と、武術などで相手を倒す技になる「硬気功」にも分類されるようだ。
 ……こういう本を読むのは初めてで、新鮮な知識だとは思ったけど、目前の課題をクリアするのには何の役にも立たなかった。本に書いてあるとおりに深呼吸してみて、グラスに「溶けろ」と念じたけれども、やっぱりうまくいかない。
 一体、どうしたらいいんだ? と、夜中に苛立ちを覚えたあげく、あきらめて眠ることにした。ただ、2つの思いつきがあったので、翌朝に期待を向けることにしたのだった。

 気を静めるために、カレンさんの花の香をかいでみる。
 それだけで、心が洗われた気分になった。
 それから、用意されたグラスで水を一口のんで、渇いた喉をうるおした。
 すると、何だか上手く行きそうな気になる。そのまま勢いよく、氷のグラスを手にとって念じた。
 あの時も、こんな朝だった。
 ラーリオスは《太陽の星輝士》だ。もしかすると、朝に一番、力を発揮できるのかもしれない。これが前夜の思いつきの1つ。
 もう1つは、ジルファーの《気》の持続時間の問題。生成されたばかりのグラスは、まだ《気》の力が強く残留している。未熟なぼくの力で、それを溶かすには、ある程度の時間が過ぎて、ジルファーの《気》が弱まらないといけなくて……自分では結構、合理的な考えだと思った。
 さあ、溶けろ。
 期待と気合を込めて念じた。

 朝食の席で。
 虎視眈々とぼくの肉を狙ってそうなリメルガを警戒しながらも、思わず愚痴をこぼしてしまう。
「どうしてダメなんだ。いろいろやったのに、うまく行かない。《気》の操作なんて、どうやっていいか本当に分からないよ」
「紫トカゲの課題か。星輝石も持たない者に、一体、何をさせたいのやら」早くも食べ終わっていたリメルガは、こっちの警戒心を解くためか腕組みをして、いささか考えるような面持ちになった。
 やがて、静かに口を開く。
「考えたから、《気》を操作できるってものじゃねえよな。現実にできること、できないことを見極める。できることなら努力してやればいい。だが、できそうにないことなら、別の手段を考えて対処しろ。そういうことだ」
 要するに、あきらめろ、と言うことか? 「一度はできたんです」納得できないまま、ぼくは憮然と応じた。
「だったら、もう一度やれよ。何で、できないんだ?」
 それが分かれば、苦労しない。
「言っておくが、オレに《気》の操作なんて聞いてもムダだぜ。そういうのは、神官どもや、紫トカゲみたいな上位の星輝士の管轄なんだ。オレに分かるのは、体の使い方や鍛え方、戦場での心得ぐらいのもんだ。その辺は、理解(わか)っとけ」
「……それは、少し冷たくありませんか、リメルガさん?」
「何だ、犬っころ。今朝はやけに突っ掛かるじゃねえか」
「いつもどおり、思ったことを口にしているだけです。リメルガさんが、そうしろって、日頃から言ってるじゃないですか」
「ああ、そうかよ。だったら、オレの方も、きっちり言わせてもらうとするか」攻撃の矛先はロイドに向けられるかと思ったけど、思いがけずリメルガはぼくを厳しい目でにらみつけてきた。背中に冷や汗が流れる。
「リオよ、お前はオレたちの大将だ。部下の前で、愚痴をこぼすべきかどうか、もっと考えろ。自分の課題が上手く行かないからって、ところ構わず、ぼやいてんじゃねえ。できないってんなら、そういう文句はオレたちじゃなく、紫トカゲに言うんだな。オレは、言いたいことも言えねえ女々しい奴に物を教えたくはないんだ」
 ……それも戦場の心得なんだろうか。
 リメルガの言葉をぼくは反芻して、それから口に入っていた肉の一切れといっしょに呑み込んだ。
 確かに、そのとおりだ。
 リメルガに喝を入れてもらった気分で、軽く頭を下げた。
 途端にむせて、慌ててゴクゴクとスープを飲み干す。腹に熱がたまって、元気が回復したように思えた。
「食べ終わったな」リメルガがゆっくり立ち上がった。「今から、トレーニング室に行くぞ。とっとと着替えて来い」
 確かに、頭を使いすぎて疲れた。こういう時は、体を動かして汗を流した方が、何か思いつくかもしれない。
「犬っころ、お前もだ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」まだ食事を終えていなかったロイドは、慌てて呑み込んで、のどを詰まらせた。

 自分の部屋で素早くトレーニングウェアに着替えてから、トレーニング室の扉を開けた。
「やあ、リオ様。遅かったですね」そこには、青いウェアに着替えたロイドがいた。
「お、お前……何で?」食事が遅いから、我慢できずに置いてきたはずなのに。
「素早さが、ぼくの身上ですからね。食べる速さ以外は負けるわけにいきませんよ」
 そう、勝ち誇った表情で言われると、何だか悔しい。
「そんなところでバカみたいに大口開けて突っ立ってねえで、さっさと入って来い」部屋の奥から声がした。リングのそばに立っていたのは、もちろんリメルガだった。着ているウェアは、モスグリーンとカーキ色の迷彩色。思わず、軍曹(サージェント)と呼びたくなる出で立ちだ。
 ぼくは、子犬のようにまとわりつくロイドを無視しながら、急いでリメルガのところに向かった。ロイドに合わせると、自分のペースがつかめないような気がしたからだ。
 リメルガは時間を無駄にすることなく、講釈を始めた。
「《気》なんてのはな、考えたり何かを見たりして分かるもんじゃねえ。自分の体で感じとるものなんだ」
 威厳のある、その口調に期待しながら、ぼくはうなずいた。
 『考えるな、感じろ(ドント・シンク.フィール)』 まさにその通り。
「だから、今から感じてもらう。犬っころ相手に実戦練習(スパーリング)だ」
「それって、殴り合えってこと?」
「そのためのリングだ」リメルガはニヤリと笑った。「別にレスリングでもいいんだけどな」
 ボクシングやプロレスなんて、テレビや映画の中でしか見たことがない。でも……ぼくはロイドの小柄な体つきを見て、勝てると思った。リメルガと戦え、と言われたら躊躇するけど、こいつ相手なら。
「え〜、ぼくがリオ様と戦うんですか?」
「お前の練習も兼ねているんだ」リメルガの口調は揺るがない。
「リオ様は星輝士じゃない生身でしょ? 怪我させてしまいますよ」
 その言い方には、カチンと来た。いくら何でも、ロイドに怪我させられるとは思わない。けれども、リメルガの話した星輝士の力が本当だとしたら……ロイドも戦車と戦えるんだろうか?
「もちろん、転装は禁止だ。あくまで自分自身の技と肉体だけで戦う。星輝石の力には頼るな」
「分かりました、リメルガさん」
 ロイドは納得したようだ。
 それなら、と、ぼくも自信たっぷりにうなずいて見せた。
「先に言っておくがな、リオ」リメルガは、ひときわ重々しい声音になった。「犬っころはこんな奴だが、それでもオレが3ヶ月近く訓練しているんだ。あんまりナメてかからねえ方がいいぞ。今回は、オレがお前の介添(セコンド)についてやる。やれるだけのことは、やってみろ」

 何の準備もなしに、いきなり殴り始めるのは素人のケンカだ、とリメルガは言った。
 その辺の感覚は、ぼくもフットボーラーなので分かる。体をぶつける競技では、怪我の危険に備えて、関節部や衝撃が加わりそうな部分にテーピングを施す。手首や指を初め、各部にリメルガがしっかりガードテープを巻いてくれた。その手慣れた仕草から、この男が口先だけの素人じゃない、実戦経験豊富なトレーナーだと分かる。
「ボクシングで行くか? それともプロレスで行くか?」リメルガは、そう尋ねたりもした。それによって、拳のテープの巻き方が変わるからだ。ボクシングスタイルなら拳を完全に固めてしまう。その方が突き指をしたり、指の骨を折らなくて済む。けれども、相手につかみ掛かったりはできない。逆にプロレススタイルなら、時に指の動きが必要になるので、巻き方も緩やかになる。説明されると、その違いは納得できたのだけど、格闘技の経験のないぼくは、そこまで考えたことはなかった。とりあえず、技量の必要な殴り合いよりも、力任せに何とかできそうなつかみ合いのため、プロレススタイルで頼んだ。
 他に、どんな技を得意にするかで、重点的に巻く箇所も変わったりするのだけど、ぼくは自分がどんな攻撃をするかも分かっていない。フットボールの経験で、肩からぶつかって行ったり、肘や膝を打ち当てたりしそうだと考えたので、関節を動かす邪魔にならない程度に巻いてもらった。
 肘や膝には、さらにパッド入りのサポーターを装着。
 本当なら、肩パッドの付いたプロテクターも欲しかったけれど、これはフットボールの試合じゃない。あまりに動きを阻害する装備は不利になる。そもそも、この部屋にフットボール用のプロテクターは置いていない。袖付きのジャケットも暑くなりそうなので、脱いでタンクトップだけになった。
 最後に、ヘルメット代わりのヘッドギアをかぶって、準備は完了。高揚した気分で、ぼくはリングに上がった。

 ロイドの準備は、ぼくよりもあっさりしていた。
 単に、ヘッドギアをかぶっているだけ。青いジャケットも着たまま。ボクシングやプロレスよりも、空手の演舞に出るような雰囲気だ。
「星輝士は、石の加護で怪我しにくい」リメルガが試合前のアドバイスとして言った。「だから、リオ、本気でやっていいぞ。向こうの方が、お前に怪我をさせないよう、気を使ってくるはずだ」
 何だか、そういうのってフェアじゃない気もするけど。
 ゴングは鳴らない。部屋には置いていないようだ。
 代わりに、戦闘前の前口上を述べたのがロイドだった。中国拳法を模した奇妙なアクションをとりつつ、「技の戦士、何ちゃらブルー」とか名乗りを上げる。
「さあ、次はリオ様の番ですよ」ロイドがこちらに話しかけてきた。試合前の緊張感に欠ける奴だ。「力の戦士、何ちゃらレッドって言えばいいんです」
 誰が言うか。
「……つまらないことをやってねえと、早く始めろ!」リメルガも、ロイドの戯言にイライラしているようだ。その声が、ぼくを後押しした。
 ダッと数歩踏み出して、勢いで殴りかかる。
 当たらない。
 ロイドは、バックステップしていた。
 もう一度、踏み込んで殴る。今度は、相手の後退まで予測して。
 それでも、ロイドの動きは巧みで、こちらの間合いのギリギリ外にいた。
「やれやれ、リオ様。『当たらなければ、どうということはない』ってセリフは知ってますか?」
 知るかよ。
 さらに数歩。攻撃は当たらなかったけれど、コーナーの隅にまで追いつめた。
 この位置から殴るのはやめにした。避けられたら、間違えてコーナーポストに拳をぶつけてしまいそうだ。
 むしろ、じわじわと近寄って、バッとつかみ上げてしまえばいい。
 殴るのは慣れていないけど、楕円形のボールをつかみ取ったことは何度もある。ロイドがいくら小さいからって、ボールほどつかみにくいことはないはず。
 一瞬の動きだった。
 こちらがつかみに掛かるやいなや、ロイドは小柄な体を沈ませて、ぼくの開いた両脚の間にすべり込んだ。
 やられた、と思った瞬間、ロイドに足を引っ掛けられて、ぼくはバランスを崩した。前に倒れて、もう少しでコーナーポストに顔面をぶつけてしまいそうになる。かろうじてポストに手を当てて、転倒をまぬがれることはできた。
 振り返ると、追いつめたと思っていたネズミは、あっさり罠から脱出し、リングの中央でピョンピョン飛びながら、シュシュッとボクサーのパンチの真似事をしていた。ここまで余裕を見せつけられると、いっそう腹が立つ。
 ぼくは猛然とダッシュして、体ごと突っ込んで行った。何度も練習してきたフットボールの動き。これには自信がある。ボールをつかむのではなく、相手選手をショルダーチャージで弾き飛ばすつもりの勢いだった。

 接触の瞬間、ぼくの体はふわっと浮き上がった。何をされたのかも分からないまま、空中で半回転した体は、背中からリングの床面に叩きつけられる。とっさに受け身をとることもできず、衝撃で一瞬、意識が朦朧(もうろう)とした。
 投げられたんだ。
 少しして、そのことに気付いた。何秒ダウンしたかは分からない。テンカウントするような審判がいれば、ぼくも慌てて立ち上がっていただろう。けれども……ぼくは横たわったまま、先に状況把握に努めた。
 ロイドの小さな体で、まさか投げられるとは思わなかった。でも、東洋の格闘技の柔道や合気道では、相手の力を利用して最小限の力で投げる技があると聞く。「柔よく剛を制す」だっけ?
 それに、支点や重心をうまく使うことで、小さな力で大きな効果を発揮する「てこの原理」というのも習った。
 何も知らなければ、ロイドの投げは神業とも思えたろうけど、理屈さえ分かれば納得できた。ぼくは気持ちを落ち着かせてから、ゆっくり立ち上がった。
「まだ戦えるか?」背後のポストから、リメルガが声をかけてきた。
「もちろん」振り向かずに答える。「ダウンしたら負けってルールじゃないでしょ?」
「柔道なら、一本とられていたけどな」見えていないけど、リメルガがニヤリと笑んだのを声音から察した。それからアドバイスが聞こえてくる。「そもそも、お前は動きが単調すぎるんだ。攻める前に相手の動きをよく見ろ。そして、かわされたその後まで考えて、攻撃を組み立てるんだ」
 ぼくは背後の声にうなずいた。
「それに見るだけじゃダメだ。相手の動きそうな方向、取り得るアクション、何を考えているかまで、意識するように心がけろ。感覚を総動員してな」
 なかなか難しい注文だ。
 そんなにいろいろできないよ、と言いたくなった気持ちを抑える。一つ一つ課題をこなして、身に付けていけばいい。そして、身に付けたコツは忘れず、常に活かすようにする。
 目以外の感覚……まずは耳。聞こえてくる音に集中する。
「リオ様、黙り込んで大丈夫ですか?」ロイドの甲高い声がきんきん響く。心配しているような響きだけど、どこか嘲りも混じっているようだ。「はっきり言って、動きがトロいですよ。赤いんだから、通常の3倍くらいの速さで動いてもらわないと」
 また、わけの分からないことを。
「奴の挑発に、いちいち惑わされるな」リメルガの声に、心を落ち着かせる。
 雑音は閉め出すことにした。さらに別の感覚。
 鼻。汗の臭いが充満している。思わず、顔をしかめた。犬なら、相手の体臭で位置を察するんだろうけど、ぼくは獣じゃない。
 口。どこか酸っぱい味の唾液が充満しているのが分かり、手の平で口元をこすった。さっき投げられたときに、口の中のどこかを噛んだのだろう、つばに赤い物が混じっていた。
 皮膚。熱いのに、鳥肌が立っている。緊張している証拠だ。
 それらの感覚を一つ一つ確認するのに数秒。その間に、頭脳も総動員して、作戦を練り直す。こちらから攻撃してもダメだ。ロイドは動きを素早く見切り、かわすなり反撃するなりしてくるだろう。格闘の素人のぼくにできることなら、リメルガと数ヶ月訓練しているロイドだって、当然できると考えた方がいい。そもそも、得意のタックルをあっさり投げで返されるなら、他に有効な攻撃手段は思いつかない。
 だったら、ロイドの方から攻めさせて、返り討ちにするというのはどうだ? 
 何しろ、ぼくの専門は守りなんだから。
「どうしたんですか、リオ様? 戦意喪失ですか?」いちいちうるさい。
「今度は、そっちから来いよ」ぼくは言い放った。「さっきから、こっちが攻めているだけじゃないか。避けとか、相手の勢いを利用した返し技しかできないのか?」
「いいんですか? じゃあ、行きますよ」ロイドは答えてから、動き出そうとして、すぐに止まった。こいつなりに、こちらの思惑に気付いたのかもしれない。
 ロイドは、素早さが身上だと言っていた。正面から突っ込むよりも、巧みに側面から攻めたり、いろいろ撹乱したり翻弄したりしてくるだろう。けれども、こちらがコーナー(ぎわ)で待ち構えていれば、攻める方向は限られてくる。
 ぼくは黙ったまま、ニヤリと笑んだ。リメルガみたいに迫力のある表情だったらいいと思いながら。
 それに対して、ロイドの方も、ニッコリ微笑んで見せた。「リオ様も、少しはこっちの手の内を読んでいるってことですね。それなら、こちらも練習した技を使わせてもらいます。それを受けたら、いつまでも、そんなところで待ち構えていられなくなりますよ」
 一体、何をするつもりなんだ?
「行きますよ」そう言って、リング中央でオーバーアクション気味に右腕を振り上げた。「狼牙咆哮拳(ウルフ・ソニック)!」
 一陣の風と共に、狼の声が聞こえてきた。
 耳の錯覚? と思う間もなく、左の二の腕に鋭い痛みが走って驚く。
 見ると、ナイフの切っ先が通過したような傷が一線、走っていて、じわりと血が(にじ)み出している。
「これは一体?」
「ヘヘッ。以前にソラークさんの風の技を見る機会があって、格好良かったので、自分なりに真似してみました。もちろん、威力とかは全然なんですけどね。星輝士相手じゃ、石の加護を破ることもできないし。せいぜい、人の肌一枚をスッと切り裂くぐらいですか」
 嬉々として、技の解説を行うロイド。
 だけど、ぼくの心には戦慄が走った。傷は浅いとはいっても、血を流させるには十分なもの。目とか首筋とか、急所をザクッと切り裂かれでもしたら、重傷あるいは致命傷にもなりかねない。
「こういうのって、ありなの?」思わず振り向いて、リメルガに意見を求める。
「《気》の力は使ってないみたいだからな」リメルガは苦虫を噛みつぶしたような表情だった。「犬っころの奴、器用なことをするじゃねえか。純粋に拳の風圧だけで、ちょっとした鎌いたち現象を作り出すなんてよ。隠し芸にしちゃ上出来だ」
 感心されたって困る。せっかくの介添(セコンド)だ。アドバイスぐらいくれてもいいだろうに。そう思って、尋ねてみる。
「どうやって戦ったらいい? あんな技、防ぎようがない」
「いや、防げるさ」リメルガはあっさり言った。「奴の技には欠点がある。よく見極めて、攻略法を考えるんだ」そして付け加える。「《気》の操作より、よっぽど簡単なはずだぜ」
 はあ。
 ぼくはため息をついた。
 アドバイスになっているようで、その実、こっち任せってことだ。
 一瞬、怪我をする前に、ギブアップしようかとも考えた。しかし、その気持ちを読んだように、
「リングを降りるなら、そうしてもいいんだぜ」リメルガは深みのある声音で言った。「お前はまだ星輝士じゃねえ。戦いについても素人だ。逃げたからって、誰も責めたりはしねえよ」
 その言葉は確かに優しかった。けれども、ぼくに向けられた視線は、思いのほかに鋭く感じられた。まるで、初めて会った朝みたいに、こちらを値踏みするような目。あの時のリメルガの言葉を思い出す。
『ビビッて、泣き言をぬかすかと思ったぜ』
 リメルガの拳を受け止めたぼくが、ロイド相手にビビる? まさか、そんな臆病風を吹かすなんて……。
『戦場では、猛者でもビビる。それでも怖気づくことなく、必要な行動に移れるかどうか』
 そうだった。リングは戦場だ。ビビることはある。でも、怖気づいて、必要な行動をとれなければ……負けだ。
『リオ。オレは、お前が鍛え甲斐のない野郎だったら、お前の鍛錬を辞退するつもりだった』
 その言葉を振り払うように、ぼくはリメルガから視線を返した。
「やってやる」そう後ろに言い放ちながら、戦場に立つ敵、シリウスのロイドを真っ直ぐにらみつける。
 カート・オリバーは、意気地無しなんかじゃない。それを証明したい気持ちだけで、ぼくは戦場に戻った。

 コーナー(ぎわ)の防御態勢をやめ、リングの中央に歩み出す。
 ロイドの方も、それに応じて数歩後退する。こちらの覚悟に気圧されたみたいに。
「打ってみろよ。狼牙咆哮拳(ウルフ・ソニック)とやらを」ぼくは挑発してみせた。相手の技を見極めるには、まず打たせないといけない。
「いいんですか?」心なしか、ロイドの声が震えているように聞こえた。
 そうだ、ビビッているのは、ぼくだけじゃない。この小柄な少年だって、怖くてたまらないんだろう。傷つくことじゃなくて、自分が人を傷つけることを。
 リメルガ相手の訓練だったら、同じ星輝士ということで、たぶん遠慮なく力を発揮できたんだろう。でも、星輝士ではない相手との戦いは、初めてなのかもしれない。だから、どこまで本気を出していいのか、加減が分からない。
 そういう相手の気持ちに思い当たったとき、ぼくは自分でも意外な言葉を口にしていた。
「そんな小技ぐらい耐えてみせる!」
 そう言い放ったときの気持ちは、あの朝、リメルガの拳に挑んだときと同じだ。ここが正念場だと、思いきる。
 ロイドは、3メートルほどの距離から咆哮拳(ソニック)の身振りをとった。
 耳元で狼の声がしたと思った瞬間、左の頬にザクッと痛みが走った。流れる血を右手でふき取り、舌でなめる。その感覚で、出血があまりひどくないことが分かった。しょせんは、この程度か。
 ただ、少々、無防備な姿勢でいたのはうかつだった。もう数センチ上に当たっていたら、目を傷つけていたかもしれない。今回は運がよかっただけ。そう思い、両の拳を顔の前に持ってくる。拳なら命中しても、ガードテープが保護してくれる。
 ロイドは、さらに何度か咆哮拳を放ったが、動揺してコントロールができていないのか、命中打は来なかった。
「こんなに当たらないんじゃ、実戦では使えないな」ぼくは正直に言った。
「ええ、当たっても致命傷にはなりませんし」ロイドは済まなそうに言う。「もう、お(しま)いにしますか?」
「いや、試したいことがある。打ってみろ」
 狼の声。近いと思った瞬間、ぼくは拳を振った。バシッとガードテープに亀裂が入る。防御の感覚は、これでつかんだ。「次だ」
 外れの感覚も見極めて、命中打の咆哮を待つ。聞こえた、と思うと、さっきよりも早いタイミングで腕を振った。ガードテープには何も起こらない。しかし……、
「どういうことですか? こっちに咆哮拳が返って来ましたよ」
 そりゃそうだ。風圧で生じる鎌いたちなら、逆向きの風を放って送り返せるのも道理。流れのタイミングさえ見極めれば、難しいことではない。
「やりますね、リオ様。けれども、こちらには咆哮拳は通用しません。星輝石の加護がありますからね」
 まったく、加護が邪魔だ。消えてくれれば、もう少し戦いやすくなるのに。
 ロイドは、むきになったのか、さらに咆哮拳を放ち続けた。
 防御のタイミングを間違って少々かすり傷を負ったけれども、大事には至らない。むしろ鎌いたちを送り返すのが面白くなってきた。真剣勝負というよりも、どこかキャッチボールをしているような感覚。そして……、
 何度か打ち返していると、突然、ロイドの左肩の袖口がスパッと切れた。
「どうしてですか? 加護が働いていない!」焦った声で、ロイドが言う。
「時間が経てば、効力が切れたりするのか?」よく分からないままに尋ねた。
「いや、加護は常に星輝士を守ってくれるものなんです。めったなことでは、失われないはずなのに……」そう言ってから、ロイドは疑わしげな目をこちらに向けた。「リオ様、何かしましたか?」
「何で、そうなるんだよ?」こっちはただ……加護が邪魔だから消えてくれって願っただけで……そんなことで消えたりするものなのか?
「もしかすると、リオ様の力がぼくの星輝石に何かの作用を及ぼして……」
「おいおい、人のせいにするなよ」
 動揺しているロイドは、こっちの言葉を聞いていなかった。「リメルガさんの星輝石には、何の異常もありませんか?」
「当たり前だ」リメルガは腕組みをして、少し考える面持ちになった。「もしかして、咆哮拳とやらを使いすぎたんじゃねえか? 自分でも気付かない間に、力を消耗したのかもな。まったく調子に乗り過ぎだ」
「分かりました。少し休みましょう」
「何だよ、それ?」ロイドの言い草が身勝手だと感じたので、ぼくは反対した。「自分が星輝石の加護に守られているときは、散々こっちを攻撃していたのに、お守りがなくなってダメージを受けると分かった瞬間、戦いをやめるってどういうことだよ?」
「でも、リオ様……」
「でも、じゃない。こっちが今までいろいろ考えて、覚悟も決めて、やっと反撃に移ったとたん、そっちは逃げるつもりか? 星輝士って言っても、その程度の心根なのかよ?」
 一度、言い始めると、気持ちが高ぶってきて止まらなかった。
「大体、正面からのぶつかり合いを避けて、遠くから飛び道具をビシビシ当てるなんて、正義のすることか? どう見ても、やっていることがセコいんだよ。お前も正義の星輝士を気取っているんなら、加護とかがなくても、最後までしっかり戦って決着つけようとは思わないのか?」
「……分かりました。お相手します」ロイドはこれまでにない決然とした表情を見せた。

 ぼくとロイドは、それぞれのコーナーに戻った。
 先ほどまでのキャッチボールめいた雰囲気は消え、最後の激突の前の緊迫感がぼくたちの間に漂う。
 そして、ぼくはリングの中央に突進し、ロイドも変な小細工は考えずに真っ直ぐ挑んできた。
 ぼくの得意技は、フットボール流のショルダーチャージ。ロイドもそれを読みとって、低い姿勢で投げの構えに入っていた。
 一回目は何が起こったか分からない間に投げられてしまったけど、同じ手には二度も引っ掛からない。勢いづいたまま、ぼくは体勢を変えて、スライディングを試みた。このリングで蹴り技を使うのは、これが初めてだ。
 意表を突かれたのか、ロイドはとっさの判断を誤った。下からの攻撃を避けるため、ジャンプしたのだ。一度空中に上がった者は、翼でも生えていない限り、なかなか体勢を変えることができない。それに、ジャンプ力には個人差があっても、落下速度は誰であっても変わらない。
 スライディングの姿勢から素早く立ち上がったぼくは、この試合で初めて、ロイドの体に触れることができた。落下中の体をつかみ、そのままロープに向けて投げ飛ばす。後は、ロープの反動で帰ってきたところを、腕のラリアットで仕留めて終わり。そんな勝ち方を、ぼくは予想していた。
 けれども、ぼくはロイドの反撃までは予想していなかった。
 ロープの反動で帰ってきたのは、無防備な肉体ではなかった。
 ぼくは一瞬、ロイドの体を包むように、巨大で獰猛な狼の姿が浮かび上がるのを見た。これが獣の姿をしたロイドの《気》なのか? 
 不自然な体勢ながら、ロイドはとっておきの必殺拳を発動させた。
天狼旋風拳(シリウス・トルネード)!」
 渦を巻くように回転するロイドの拳が、牙をむき出した狼の幻をともないながら、襲い掛かってきた。
 リメルガの拳以上の衝撃を全身に感じて、ぼくの意識は闇に落ちて行った。


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●作者余談(2012年1月16日、ネタバレ注意)

 こちらはショートバージョン。
 別名ATバージョンです。念のため、ATの意味はエヴァのATフィールドとは関係ありません。
 アクセル・トライアルの略。文字どおり、短縮加速実験という意味合いなんですけど、元ネタは『仮面ライダーW』に登場した仮面ライダーアクセルの高速戦闘形態がアクセル・トライアルというわけで、いらない装甲を削り落として、身軽になったことを意図しています。

 で、何を削ったかと言えば、オリジナルバージョンで噴出しまくった「パワーレンジャーを初めとする特撮薀蓄」と、戦闘シーンを脱力させる「ロイドの攻撃ミス」の大きく二点。
 つまり、オリジナルバージョンは、「ロイドのロイドらしさを、うっとうしいぐらいに描写した」一方で、ATバージョンは「作者のこだわりを削って、普通にアクションシーンとしての盛り上がりを追求した」作品となります。
 キャラの特殊な個性を追求したネタ小説か、まじめにストーリー展開を描いたシリアス小説か、という判断で、自分の中でうまくバランスがとれず、試験的に両方残すことにした次第。

 なお、これが一般的な商品なら、こちらのショートバージョンが完成品で、オリジナルバージョンを「削られた映像を復活させたディレクターズカット版」として、マニア向きに販売することになりそうです(笑)。

 さて、このシーン。
 「シアター室のロイド」を完全にカットしたために、彼の星輝士としての強さの片鱗が大きく描かれています。
 基本的には、「素早さと技の戦士」ということで、決して無能ではなく、むしろ機転を利かせて、敵の不意を討つキャラとして設定。
 一方のカートは、「力とタフネスに秀でた戦士」ですが、これはそのままアメリカン・マッチョなカートと、ジャパニーズ忍者感覚のロイドという戦闘スタイルの違いになっています。

 カートは、攻撃するけれども当たらない。
 ロイドは、攻撃を当てるけれども、カートがそれに耐える。
 もちろん、ロイドには星輝士としての本気の力があり、カートはタフといっても、しょせんはまだ一般人。この時点で、本気でやればロイドの勝ちは確定なんですが、「星輝石の力に頼って、転装してはいけない」という暫定ルールによって、純粋に「技と力の戦い」を描いてみた、と。

 ちなみに、この二人の組み合わせは、最近のガンダムAGEだったりもしますね。
 高速起動型のスパローと、パワーファイターのタイタス。まあ、両方うまく描写できてこそ、アクションが盛り上がるのだ、と自分は考えます。

 ただし、ここでのポイントは、カートが単純な筋肉バカではなく、戦況を観察し、分析し、対策を考えながら、学習していく点。つまり、敵を知り、己を知ることで、自分の勝ち方を模索していく流れです。相手の能力と、自分の能力の違いをしっかり描き、いかに相手に応じた攻め手を展開していくか、それがバトル物の醍醐味だと自分は考えます。
 もちろん、個々の能力だけでなく、チームとしての連携とか、バトル中の会話などによるドラマ的な逆転の契機とか、いろいろ描き方はあると思うのですが、
 ここでは純粋に「技と力の激突」から始まって、「単純な力押しが通用しない相手に、いかに感覚を動員して、相手の動きをつかむか」、そして、「相手の繰り出す飛び道具をいかに防ぐか」、ここまでの過程で、カートに《気》の感覚と対処法を習得させるヒントを示すという流れを構築。
 ロイドとの比較では、パワーとタフネスという肉体面ばかりが強調されますが、実はカートの本領は、感覚的な受容力、そして《気》を受け止めて吸収・無効化する力にあることを示唆。

 もっとも、本章ではカート自身、そういう自分の秘めたる力を意識できていないので、最後は自分の身体能力を過信し、相手の身体能力を侮ってしまったために、逆転の敗北を喫してしまうわけですが。

 一応、自分としては、ロイドの強さと、カートの潜在的な能力を示し得たことで、成功したバトル展開だったなあ、と考えます。
 それに戦いの駆け引きを書いていて、楽しかったですし、ね。
 やっぱり、バトル物の醍醐味って、互いの能力を示し合う駆け引きの面白さだと思います。相手の技を攻略するにはどうしたらいいか? ということを考える過程があればこそ、読んでいて納得できる勝利が描けるんじゃないかな、と。まあ、武道じゃないけど、心と技と体の三拍子そろった描写があればこそ、だと思います。

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